20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗

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<イントロダクション>
 作り手側の言葉によれば、「“ともだち”が誰なのかより、“何”なのか」という方が作品のポイントのようだ。 とは言っても、“ともだち”が誰なのかというのは誰もが気になっていたはず! その全ての謎の答えがついに明らかになる。 主人公ケンヂたちの子供時代の出来事が、“ともだち”へとつながっていく… 歳を経ても“ともだち”へ立ち向かい,脅威から人々を救おうと戦う オッチョやユキジたち,はらっぱの仲間達、そして力を増していく“ともだち”。 彼らの戦いに今、決着がつこうとしている。
 映画は最後の最後まで見るもの…エンドロールが流れても最後まで席を立たないで!となると、その最後の部分に大いに期待がかかる。 大々的に謳われてなくても劇場が明るくなるまではとどまっているべきだと私は思う。

<あらすじ>
 ともだち暦三年。 “よげんの書”、“しん・よげんの書”が現実となっている。 細菌兵器は世界中にばらまかれ,大勢の人間が犠牲になった。 “神”となった“ともだち”は思いのままに東京を支配している・・・、いや世界と言うべきか。 東京は大きな塀の中にあり、まさにその場所だけが隔離されているかのよう。 オッチョは漫画家と共に東京への塀を乗り越えた。 そこで彼らが見た東京は数年前とはまるで違う姿だった。 オッチョが過ごした少年時代の東京、まるでタイムスリップしたかのようなものだったのだ。 ともだち暦が来て、東京は“ともだち”の手で姿を変えられていったのだ。
 一方、カンナも氷の女王と名で知られ、“ともだち”へ反旗を翻す武装集団のリーダーとして動き、また,ヨシツネも源氏一派を率いて,“ともだち”に抵抗している。 “ともだち”のもとへ集まる者もいれば、そうでない者も大勢いるのだ。 後者である人々の希望はケンヂの“あの”歌だった。 放送されていないはずのラジオ局から流れてくるその曲が。 
 大勢の人の命が失われた今、無謀に攻撃することよりも,生き残った人々を一人でも多く守ることを知ったカンナと、オッチョやユキジ、はらっぱの仲間達は最後の戦いへ挑む。 そしてある男が、ギターをかかえた男が東京へと向かっていた。

<感想>

※ここからはネタバレになるかもしれないので、ご注意を!

 “ともだち”はこの物語の登場人物だけれど、現実に置き換えても それにつながる何かが多く存在していると思う。 パンフレットにも書かれていたことだけれど、確かに“ともだち”の生まれる過程には社会的な問題がからんでいると思う。 そもそも“ともだち”が生まれたのはケンヂたちの少年時代のある出来事によるもの。 それはいつの時代にも起こりうることである。 子供のときにやったこと、だけどそれは時に危険な何か生んでしまうことへもつながるのだ。 昨今、いろいろな事件が起こり,その犯人たちの過去にはいろいろな背景がある。そう思うと“ともだち”が受けた過去というのは他人事とは言い切れない。 映画のような“ともだち”そのものとは言わないけれど、それに近いものを作リ出されてしまうのは私たちが生きる社会の大きい問題だ。 
 シリアスに話が進んでいく一方で小ネタもところどこに隠されていて、面白い。 パロディだったり、小ボケであったり…など様々。 例えば、地球防衛軍の服がどうしても『ウルトラマン』の隊員の制服を連想させたりなど、とういうかそのようにしか見えない。 登場人物のネーミングそのものや、名前がつけられた理由など。そういったものははっきりと掲示されるものばかりとは限らない。 それは背景に何気なく隠されていたりもするものだから、そういった意味でも おさらいをしてみたい。
 時は2017年となり、ケンヂたちの少年時代は70年代。 月日は流れ、ケンヂやオッチョたちはもう還暦がすぐ近くまで迫っている。 その色は登場人物一人一人を見れば伝わってくるけれど 年齢以上の力を彼らは持っている。 心はまだ,ともだちとの戦いを決意した時のままという感じ。 ケンヂとオッチョは六十近くには見えない。 二人は体を張る場面が多い。 設定のわりになんでそこまで動けるのか?というツッコミは不要だ。 それこそがいいのだから。 特別な能力は何もない。 だけど、その勇気一つで強くはなれる、また人に力にだってなれるのだ。 ケンヂやその仲間達が私たちに勇気をくれいているような気がする。 彼らにはそれぞれ背負うものがあり,守るべきものがあったりとそれぞれに人生がある。 でも、向かうべき道は皆、一緒だ。 それは人類に再び平和を取り戻すことだ。 彼ら一人一人違った方法で。 
 “ともだち”を良く思っていない人々だって大勢いるはずなのだけれど、それが目に見える形で現れるとこんなにもたくさんいるんだなと、まるで見ている自分がその場所にいるかのように驚いた。 また、意外な味方がいたり。 第一章では はらっぱのメンバー達がいて、ともだちがいて…というふうに『20世紀少年』の世界はこうなんだ、というふうに描かれていて,その中でいろいろなことが起こっているというのがほとんどに思えた。二章では“ともだち”の信者が続々と増えていて、不気味な世界が広がっていた。 そして続く、この最終章では“ともだち”信者よりも、ケンヂを信じ,希望を託す人々が目立つ。 “ともだち”と言えど、その力が絶対ではないということだ。 よくよく考えてみれば、“ともだち”も一人の人間なのだから それは自然なことかもしれないが。
 過去が甦ってくる… “ともだち”が生まれるまでの過程がしだいにあらわになってくる。 つまりは真実へと近づいてい来る。 だけど、三部作を見通さないと答えはそう容易には出てこないし、“ともだち”の正体も最後、明確に出されるまでははっきりとは断定できないという作りになっている。 そしてその前にも仕掛けもあるから侮れない。 
 “ともだち”は次第に謎めいた存在から、少しずつ人間らしさが見え隠れしてくる。 そして、本性もが浮き出てくる。 彼は少年時代の心が大きい。 むしろ過去に傷を受けたその時のままという方が正しいのだろうか。しかし、指導力を持ち,大勢の信者を作るという人を動かす力を持っている。 それが恐ろしい点である。 たとえ、細菌兵器をばらまき、人の命をたやすく奪ってしまうという非道な人間でも人の上に立ってしまう。 つまりは、人を動かす力さえあれば、どんなに残酷な人間であっても,恐ろしいもの(・集団)を築き上げてしまうということだ。 これは現実にもありうることではないだろうか。
 ケンヂはキングマートで働いていたあの頃から見ると別人の如く、変わり勇者そのものだ。 死をも恐れないという感じ。 それはオッチョにも言える。 シリーズを通して一番アクションの見せ所が多いのはオッチョだと思うし。 二章では主人公と言っても過言ではなかった。 という主人公だろう! 将軍というあだ名にふさわしいくらいの戦いぶり。 どこを見てもかっこよくてクール。 あれほど、パワフルに戦える58歳がいたらすごいなぁと思う。 武器を持たせれば、武器と一体となり 戦士となる。 一章からしだいに渋さが増していき、と同時にかっこいい見せ場も出てくる。 カンナの実の父親は存在する。 だけど、本当の意味でそうと呼べるのはケンヂ。 ケンヂが第一の父親ならば、オッチョは第二の父親。 映画の中で見ると、一番長くいたのはオッチョだから、オッチョの方が…なんてふうにも考えられるけど、比べるものではないだろう。 カンナの親は“ともだち”と戦ったはらっぱの仲間達みんなだ。
 “ともだち”の行ってきたことは残酷なことばかりだ。 しかし、“ともだち”の過去,少年時代のある出来事は彼を大きく変えてしまった。 それはあまりに辛いものだ。 ある一人の勇気さえあれば彼の未来はきっと変わっていたことだろう。 
 とても気持ちのいい締めくくりだと思う。 最後の最後でこれほどまでに時間をかけ,そしてすっきりとしtものに,また観る者を納得させる終わり方は最高だ。 作り手たちがいうように物語のメインとは味が違い、控えめなトーンで爽やかな空気の中で幕が下りる。
 様々な謎が解明された今、やはり第一章,物語の始めから復習をしたくなる。 隅々まで描写を見て謎とその答えを見たい。

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by jd69sparrow | 2009-09-01 21:39 | 映画タイトル な行