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劇団四季『ライオンキング』

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<イントロダクション>
 ミュージカル、映画ともに不朽の名作と言えるだろう。 そして何度見ても感動のできる作品だ。 今回で鑑賞するのは二回目、そして,劇団四季のミュージカルで一番最初に見たのがこの作品である。 劇場の扉を開けて見た景色はわりとこじんまりとした印象にも関わらず、空間を上手く利用し,また舞台装置にもかなり手が込んでいる、さらに作品じたいも映画版に劣らぬ感動があるという最高のエンターテインメントというのが私の個人的な感想である。 舞台でしか見れない数々の演出…このドラマティックな物語をライブで見るという楽しさはテレビ画面通してでは決して100%で味わうことは難しいであろう。 舞台版「ライオンキング」を手がけた演出家,ジュリー・ティモアがこだわったように着ぐるみではなく、役者の顔を見せる,パペットと生身の人との他にない演出が観る者を惹きつける最高傑作である。

<あらすじ>
 アフリカの大地、プライドランドには様々な動物たちが住んでいる。 その国を治めるのが百獣の王・ライオン。 プライドランドに新たなる命が生まれる。 それはムファサ王の子,シンバである。 シンバが次期王になるのは明らか。 けれど、シンバが王になるまでの道のりには様々な試練が待ち受けている。 ムファサの弟・スカーは自分を差し置いて王位を継承することになる,シンバを快くは思っていない。 力では王に劣るが、悪知恵に長けたスカーの策略でプライドランドは危機にさらされ、シンバも窮地に追いやられてしまう。
 そんなシンバに悲劇が訪れ、それはプライドランドにも大きな衝撃と打撃を与えた。 その責任が自分にあると思い込み,それがトラウマとなったシンバ。 王になる定めにあるシンバは、そのトラウマに苦悩し,葛藤しながらも成長し,乗り越えていく…。 単純に言えば、シンバが王になるまでの話である。

<感想>
 前回の鑑賞から四年くらいになる。 四年経った今でも、一番印象に残るのがこの作品の最大のテーマである,“サークル・オブ・ライフ”(生命の輪廻)である。 観客席を含めた劇場全体が舞台であることを感じさせる最初の場面だ。 映画でもとても印象的なところ。 ライフィキの第一声で一気に観客は「ライオンキング」の世界に入り込むことが出来る。 そして、あちらこちらで歌声が加わり,響きわたる。 この冒頭からのライブ感がなんともたまらない。 間近でその,工夫に工夫が重ねられた動物たちを見ることができる興奮は見終わった後も冷めやむことはない。 
 まず最初に言えるのが映画のコピーではないことだ。 話の大筋は同じだけれど、作り手の解釈により,よりドラマティックかつ深い内容に生まれ変わっている。 最大の違いはキャラクターの見せ方。 ミュージカルなのだから、当たり前と言えるかもしれないが,先も触れたように役者の顔が見れるのが,舞台版の楽しみ。 これがあるからこそ、子供から大人まで楽しめるのだと思う。 もしも、着ぐるみで構成されていたら 思い切り,子ども向けのショーになっていたことだろう。 個人的には、衣装やパペットももちろん,魅力的なのだが 毎回どんな役者がどのように演じるのかが楽しみなのだ。 その理由は演じ手によって違う味が出されるからというのはもちろんなのだが、スカー役の方がムファサを演じるという一例が見受けられるからだ。 現実にそれを味わうことができた。 役が違えば、発声の方法も異なることだろう。 タイプの違う,ムファサとスカーであれば尚更、その声の出し方をどう変えてくるのかという楽しみができる。 また、シンバの印象的な一こまとして挙げられるであろう,最後にプライドロックで叫ぶあの名場面も役者さんによってどんな風に聞こえてくるかという期待感も持てる。
 アフリカをよく知らない素人が言って説得力があるかどうか定かではないが、音楽から舞台のセットまで映画以上にアフリカを感じさせるものがある。 特に音楽。 これは完全に舞台版にしかない味。 調和の取れたハーモニーが異国の空気を漂わせる…。 かと言って、映画が劣るわけではない。 
 舞台装置。 プライドロック、像の墓場、ヌーの大群が押し寄せる峡谷、ジャングル…とあらゆる場面で次々と変わる舞台セットは数多くある。 この装置の数々がどう収められているかも気になるところだけれど、場面の変わる一瞬の間にどんなふうに動かされているかというのは想像は難しいけれど,何気ない場面一つにしてもたくさんの人たちがせわしくなく動いていると考えるとすごい。 プライドロック一つにしても、誰が回転しつつ舞台の下から登場すると想像しえただろうか。 製作の課程の書かれたジュリー・ティモアの著書にもあったが、映画のようにカメラで映し出されているかのような工夫がここに見られる。 他にもそういった場面が多々あるようだ。 象の墓場の場面での、象の骨の装置は丸み帯びた階段という印象を受けたが、それだけに留まらず 他にも仕掛けがあるし、ヌーの峡谷の場面での,ヌー大群の表現方法もさることながら,舞台を隅々まで使って表現されている。 どの場面にもあらゆる仕掛けがある。
 ダンスと言っても、様々な種類のもがあったけれど 一番印象に残ったのがハイエナのダンサーたちが舞台の中央で踊るモダンなダンスである。 バンザイやシェンジといった主軸のハイエナとは違ったスタイルのハイエナたちが,まるでストリートダンスかのようにかっこ良く舞台を彩るのである。 ハイエナというキャラクターじたいがとてもリアルに表現されているし、映画版のトリオを見ているかのようだ。 それに役者自身の表情の豊かさもよく見える。 
 衣装にも注目したい。 シンバとナラ、ムファサとスカー(とサラビ)との違い。 最大の違いは重量感。 シンバとナラはアクションが多いこともあってか,かなり動きやすく,ムファサたちに比べるとかなり軽量化されている印象だ。上から下まで。 このような言い方が適しているかはわからないけれど,年の功と若さという違いからくるものだとも考えられる。 頭にかぶるパペットはその役者が演じる動物を表す一番象徴的なものだと思うが、衣装にも作り手のその動物を表す意図が隠されていることを初めて知った。 尾はすぐわかるけれど ライオンの腹の部分の色合いにまで工夫がされているのに驚いた。 もちろん全体的な色もそうだが、細部にまでこだわって衣装がデザインされていると聞くとそこにプロのこだわりを感じる。
 シンバが子供から大人に成長を遂げた,初の場面も好きな場面の一つなのだが、その他にもいくつか印象的な場面がある。 シンバに王としての素質が目覚める瞬間とその課程、そして王となってプライドロックに上る場面などなど。 王の証が手渡され、プライドランドに響き渡る叫びをあげるが美しい。 
 自分が王になる存在だとうことを信じられない、過去を乗り切れずにいる…これは子供から大人へとなる私たち人間をそのまま投影した場面(これもどこかに記述があったかもしれないが)と思うととてもリアリティがあると思う。 
 生命の輪廻について考えてみる。 映画にもあったようにライオンがシマウマなど草食動物を食べ,ライオン
が死んだ後,その大地から生えた草を草食動物が食べるというような生命のサイクルもその一つであり、王の死の後、その子供がその王位を継ぐというのもその一つ。 一人(一匹)の王が誕生し、そしてその王から次期王が生まれるというサイクル、一つの命があらゆる生命ののもと成り立っているという仕組みなど“生命の輪廻”は作品の随所で表現されてる。 それらが私たちに語ることは今ある命は,様々な生命の輪廻のもと,成り立っている,大切なものなのだということだろう。
 舞台版「ライオンキング」が公開されるまでには作り手たちの激しい戦いと苦難があったそうだ。 ムファサの頭一つにしてもかなりの試行錯誤が重ねられたとのこと。 一つの作品が出来上がるのに,いかに苦労があるかを考えるともっとよく端から端まで見なくてはと思う。 不可能を可能にするというのが,今の時代に与えられた課題なのだろうか。 まさに舞台版「ライオンキング」の製作過程を読むとそんなふうに受け取れる。
 この先も変わらぬ楽しさを期待できることだろう。

by jd69sparrow | 2009-09-17 22:53 | ドラマ・その他