かいじゅうたちのいるところ

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<イントロダクション>
 懐かしいと思った。 幼い頃、よく読んでいた絵本が実写として再び見ることができたことに。しかし、完全なコピーではないのは 絵本が原作だからだそうだ。絵本が持つ特性だ。人それぞれその本に持つイメージが違うのだから当然と言えば当然だろうか。今回メガホンを取ったのは『マルコビッチの穴』で知られるスパイク・ジョーンズ。 つまりは、“スパイク・ジョーンズ”の『かいじゅうたちの~』ということになるわけで、別の人がとればその人のカラーになる。本読者の数だけ、そのバージョンができうるだろう。 しかし、世界観は原作にとても忠実である。
 今はもう家にない、『かいじゅうたちの~』の絵本を今度は映像として見れることがとても嬉しい…と思うのはきっと私だけではないだろう

<あらすじ>
 マックスは母親とお姉ちゃんとの三人家族。想像力が豊かな少年だ。マックスの大好きな母親とお姉ちゃんと遊びたいけれど、中々相手にしてもらえず、一人で遊んでいることが多い。不満が溜まっていき、ついに爆発させてしまう。お母さんに噛み付いてしまったマックスは、母親の心配をよそに家を飛び出し 遠くへと,ひたすら遠くへと走っていった。 
 たどり着いたのは、無人島を思わすようなところ。 しかし、そこには生き物がいた。マックスはその生き物がいる場所へと目指し,その先にいたのは人間ではなく不思議な怪獣たちだった。なにやら問題の渦中にある彼らの中にマックスは飛び込んだ、怪獣たちはマックスが不思議そうに見つめ,理解のできぬものにとまどい,その解決法として問題のものを食べることで解決しようとしたが…
当然食べられたくないマックスはとっさに嘘をつく。 自分は偉大な王様だと。 それをすっかり信じた怪獣たちはマックスを彼らの中の王としてあがめるようにし、かいじゅうとマックスの共同生活が始まった。 
 リーダー格のキャロル、陰気なジュディスに,その夫でおおらかなアイラ、小柄なアレクサンダーと、そしてキャロルの頼もしい相棒ダグラス、ほとんど口を開かないザ・ブルといった森の住人…いや、かいじゅうたちがいた。 そして、キャロルが思いを寄せるKW。 彼らの望みは孤独から解放されること。 また、キャロルは誰もが幸せな国を作ることだった。マックスの成長の冒険が始まる。

<感想>
 どこをとってもツッコミどころがないくらい、絵本の世界そのものだ。かいじゅうたちは誰もが可愛らしく、個性もそれぞれ違う。 彼らの中にはそれぞれの居場所や立ち居地があるけれど、それはそのままマックスと同じ年頃の少年たちを映していると思う。 「かいじゅう」でありながらも可愛らしさが全面に出ていることがこの作品が愛される一つだ。個性が豊か。 いつも陰気で意地悪なジュディスでさえも可愛いどころが優しい目をしている。 彼らは体型などももちろんだが、可愛らしさ・愛らしさを象徴しているのは“目”だと思う。 彼らよりうんと小さいマックスを見る目はみんながみんな優しい。感情の表現もストレートで、いろんな面で子供らしさが出ている。まさにそこにいたのは、かいじゅうに姿を変えた友達とでもいうくらいだ。 
 キャロルはマックスの心を鏡で映したかのよう。大切な人にはいつも側にいて欲しい,寂しがり屋で思いが叶わぬとつい“壊す”ことで気を晴らそうとする。それは、大切な人に振り向いて欲しい,また、遠く離れそうなその人に自分の下へ戻ってきて欲しいという意思表示なのだ。マックスはキャロルがKWに対してとる行動・姿に自分を見るのだ。つまり、自分の解決すべき問題を見ているとうこと、自身を見つめているということになる。幼いマックスにはそういう意識はないけれど、感覚的に見ているものがあると思う。最終的に、キャロルへ,自分に向けられた母親の言葉と同じ事をマックスが自然と言っているのが面白い。 この場面で既にマックスは一歩おとなになったんだなぁということがわかる。
 キャロルだけがマックスの嘘を信じたのは、彼らの間にこうして共通するものがあったからだろう。 マックスは大好きな母親と自分との間に距離を感じ、それに我慢できなくなって家を飛び出し、かいじゅう達のところへたどり着く。キャロルは、マックスが島にたどり着く前までの行動と同じ行動に出る。そこが物語の面白いところであり、この話を絵本で読む子供たちに気付かせたいという作者の狙いかもしれない。
 キャロルはKWの新しい仲間に嫉妬する、マックスはお姉ちゃんの友達,あるいは母親の友達を見てやきもちを焼く。 なんだか思うようにいかないとき、力任せに気持ちをモノにぶつけるけれど彼の心に残るのは後悔に近い後ろめたさなのだ。 自分の世界で自身がぶつかった問題のようにキャロルへ泥団子ゲームを進めるけれどやはり良いようにはならない。 それどころか友達を傷つけてしまう。 結局,“暴力では何も解決には至らないと言う事”を決定付けている。 現実は核で何か起こそうとしているけれど、戦争は悲劇しか生まない。 関係の無い人まで傷つける必要がどこにあるのか。 傷つけあって何かが解決するはずがないし、解決したように見えても、決してそうではないと思う。 この物語には現実に触れたメッセージに説得力とわかりやすさをつけて私達に訴えかけている。 絵本を見る子供たちには将来戦争のない社会にしてはならないという作者の切実な言葉があるのではないだろうか。
 マックスは かいじゅう達のところへ来て、自分を外から見て成長する。 そして、少し大人になったマックスとキャロルの別れの場面にぐっと来る。 そして極め漬けに母と息子の再会の場面では、お母さんのマックスへの深い愛情がにじみでていて、涙が出そうになる。 二人の喜びと安心がまるで自分のもののように見えてくるのだ。
 原作で見られる,かいじゅう踊りと感動。 とても素朴な雰囲気と優しい風がただよう作風が忘れられない。まるでウェンディたちがネバーランドに行ったときのような時の流れがここにもある。 わくわくしたり、しみじみしたり、うるっと来たり…いろんな感情で一つの作品を見る楽しさを是非味わって欲しい。
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by jd69sparrow | 2010-01-15 23:10 | 映画タイトル か行