NINE

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<あらすじ>
 映画界きっての天才監督グイド・コンティーニは、今度の新作『イタリア』の製作発表をするものの,スランプに陥っていた。 撮影が間近に迫っているのにも関わらず、脚本が1ページもできていない。 アイディアすら浮かばない状態。しかし、クルーたちはそのことは言えぬままだ。脚本がない状態で製作の準備が着々と進む中で、窮地に追いやられたグイドは 会見の途中逃亡する。そして彼が向かった先には一人の女性の姿が。愛人のカルラだった。 グイドは自分を慰めるべく、女たちのもとへ逃げおおせたのだ。時に現実逃避、妄想にふけりつつ なんとか危機から逃れることを試みる。9歳の少年だった頃の記憶を甦らせて、ママの幻想を作り出す。彼の人生にとって特別な時期だった時代である。
 どんなにひどい男でも、何故かその周りに女たちが集まってくる。 グイドとその女たちの物語。女たちはグイドが求める,あらゆるものを持っている。 それぞれ全く違う個性の持ち主だ。 
 グイドが苦しむ一方で、無情にも映画の製作は迫ってくる。 人間として,映画監督として追い詰められていく,グイドに脚本を作ることができるのか。 波乱万丈の男の人生の1ページ。

<感想>
 シリアスでどろどろな印象を与えないのは、なんと言っても主人公の妄想の場面で 映し出されるエンタテインメント・ショーの数々。 現実にはないけれど、グイドを囲む女たちが登場し,それぞれスタイルの全く違う,歌とダンスを披露する場面だ。 それらは,グイドがそれぞれに抱く思いが反映されたイメージである。 そのため,ジャンルも何もかも違うエキセントリックなショーを楽しむことができる。 それぞれの歌には役割がある。
 私が最も印象的に思うのは、映画の終盤に近づく頃に登場する,ケイト・ハドソン演じる女性記者が歌う,“シネマ・イタリアーノ”だ。 これは映画の要と言っても過言ではないクライマックス・ソング。 白と黒というはっきりとした色に分けられた男女がステージで,はじけて踊る とてもモダンなナンバーである。 ソウルフルな音楽と蝶が舞うようなダンスがエキサイティングで、個人的には数あるここでの歌の中の“華”だと思う。 
 役割としては、シンプルに言えば グイドが映画作りへ踏み出すために,後押しするような感じ。車で言えばアクセル。鋭い報道記者とは考えられない、一面が前面に出ている場面だ。
 そしてもう一つ、印象的な場面なのが ファーギーが演じる サラギーナが少年時代のグイドに歌う,“ビー・イタリアン”。これは、9歳のグイドに「立派なイタリアの男になれ」とアドバイスするようなナンバーだ。 これぞ、ブロードウェイの王道だと言わしめんばかりのパフォーマンスが炸裂する,グラマラスかつ大胆な、野性味たっぷりの魅惑の女の歌だ。 他の登場人物たちの曲とは一線をひくこの曲。 何が違うのか。 それは現在の多くの女たちから愛される,また愛を選びきれない性をグイドを作ったのが、サラギーナとの出会いだからと言えよう。 少年を男にした曲。一言で言うなら、“誘惑”ないしは、“魅惑”。どちらにしても惑わす歌である。
 しかし、グイドを一番癒すのは“ママ”である。 もう既に他界したママは、今もグイドに求められ、幻想と記憶の中、また妄想の中に生きている。ママはグイドにとって、“聖母マリア”のような存在なのだと思う。 彼が道に迷う時、必ずそれを救い,導くために現れるのがママなのだから。幾度となく、重要な場面に登場する。 グイドがママを愛したように、ママも息子を同じくらい愛していたのだろう。 完全にスランプに陥り、プライベートさえも居場所がなく道に迷う,グイドをあるべき道へと導くのだ。
 グイドが愚かなのか、それとも女たちが鋭いのか。 きっとそれは両方だと思う。 男が力で、女が知性とされるように 男の偽りは女には通用しないし、隠せない。 嘘はいずれ明るみに出るのだ。 言葉で言うのとは違う,その裏にあるもの。 それは本人ですら気付かないこともある。それが本能だ。 意思は目の前にいる存在が一番だと言っても、どこかで他のものを少しでも願っていたら、また,捨てるべきものを捨てきれてなかったりしたら それはおのずと見抜かれてしまう。それがよく伝わってくるのが、グイドの妻・ルイザと愛人カルラとの間に立ち,ルイザにカルラとの終わりを告げる場面だ。
 しかし、欲望のまま 愛を選びきれない男でも女たちが離れないのは何故だろう。 それがグイドの魅力だと言ったらそれまでだが。 優しさはもちろんのこと、人間としての脆さを見て,守りたいと言う思いにかられるからなのだろうか。
 ラスト、ついに結論を出す。 『イタリア』という壮大なタイトルから一転して、グイドが行き着いた作品は『NINE』というものだった。 最初この映画を見たときに、何故映画の題名が『NINE』なのかと疑問に思っていたけれど、改めて解説を読んでみたら、その答えがわかった。グイドが最後に持っているカチンコに書かれた“NINE”の文字、そのためだけにそのタイトルがついたのか?と内容が読み取りきれておらず、もやっとしていたのが一気に消えた。
 こんなにも『9』が強調されていると言うのに何故自分はわからなかったのかと思った。 これは確か解説の中にも詳しく説明されていたと思うが、グイドの今度の新作が“9作目”ということと,度々映画の中に登場する “9歳”のグイドの二つが鍵。 特に後者。 まず最初に、言えるのが 9歳の時に衝撃的な出会いを受けたグイドは9歳のまま、時が止まっている。 その“時”が彼の男しての目覚めの瞬間だったからこそ そこで止まっているのだろう。 
 グイドの原点が“9歳”のあの時。 悩みに悩まされた彼が、出した結論と言うのが まさに、原点に返ることだったのだと言えるだろう。
 あくまでこれは私が勝手にイメージした、男性が母親を見る目なのだが。母親とは、優しくて子供を一番に理解してくれる存在。 また、許しを求めれば それに答え、また癒しの存在。色々な側面を持つ,母親という存在が グイドのまわりいる女たちに分散された感じがする。 だから、それぞれ違う“母親”をルイザやカルラ、リリーといった仕事上の関係の人たちや身内などの女たちが持っているから グイドは彼らを,愛を選びきれないのかもしれない。
 とても衝撃的な場面(グイドがたくさんの女たちに文字通り囲まれるところ)に始まり、最後は温かな感じに終わる,ストーリー性という軸もしっかりした作品だ。  
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by jd69sparrow | 2010-03-26 16:30 | 映画タイトル な行