アリス・イン・ワンダーランド

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<あらすじ>
 アリスが始めて“アンダーランド”を訪れて13年という月日が経ったある日、大人と子供の境目にあるアリスは選択を迫られるが、どうしたらいいかわからず,逃げるようにしてその場を後にする。 その時アリスは白いウサギを目にし、木の根元にぽっかりと空いた穴へとたどり着く。ウサギが消えたその穴を覗いた,その直後、吸い込まれるようにしてアリスは穴の奥深くに落ちていくのだった。
 不思議な部屋にたどり着く。そこにはいくつものドア。 ドアの中で一番小さなドアに入るために薬やケーキの力を借りてなんとか,扉を開ける。 その扉の向こうには世にも不思議な世界が広がっており、アリスの目にはとても現実とは思えなった。 
 そこでアリスはかつて訪れた時に出会った、仲間達と再会し,彼らからアリスがアンダーランドに平和を取り戻すべく,悪と戦うという預言を聞かされる。 マッドハッターたちの力を借りてアリスの悪を倒すための,また自分の進むべき道を探す冒険が始まる。

<感想>
 「不思議の国のアリス」は19世紀に生まれ、愛され続けてきた不朽の名作の一つ。日本にやってきた,この名作は何人もの翻訳家によって訳されたそうだ。原作では、挿絵が複数の人が手がけられた(初版と、その後に出版されたものとで)。一つの作品が何人もの人たちの手で読者へ届けられる…その数が多いほど,その作品が愛されているということになるのだろうと私は思う。翻訳する人が違うと,物語の根にある魅力じたいは変わらないにしても、印象はちょっとずつ違うだろう。 だから、様々な人により訳された本それぞれを、読み比べするのも面白いかもしれない。 解説を読んで、印象に残ったのが 固有名詞である人物の訳し方。 (他の国で日本の小説が訳されるときもそうかもしれないが)その国で親しまれるように、カタカナの名前を,日本人風の名前に変えるというのが面白い。 「アルプスの少女ハイジ」でもそうだったように。 
 ルイス・キャロルという想像力豊かな作家によって生み出されたアリスの物語とティム・バートンとの出会いは運命的だと言っても過言ではない。こうとも言える。イマジネーションに長けた,原作者と監督の「不思議の国のアリス」という作品を通しての必然的な出会い。 バートン監督の作品の数々の世界観は,「アリス」と,とても相性がいい。
 世に知られる童話の数々。「シンデレラ」や「白雪姫」という名作をディズニー・アニメにより知ったという人は少なくないはず。それだけディズニーの影響力は大きい。
個人的に、ファンタジックで色彩も柔らかなパステルカラーな印象を受けていたのだが ダークな色合いにより,描かれたこの「アリス」がまさに原作のカラーだったのだろうと思った。 「本当は怖いグリム童話」という本があるように、童話は暗い部分があるものなのかもしれない。
“ネバーランド”に訪れた子供たちが、自分たちの世界に戻り,大人になると不思議な世界を忘れてしまうように、夢のような世界“アンダーランド”に再び訪れたアリスも同じだった。しかし、「ピーターパン」と本作が違うのは、大人になった主人公がもう一度不思議な国へ戻れたこと。
 アリスが初めて訪れたのは6歳の頃。マッドハッターやウサギたちはアリスが戻ってくると信じ、待ち続けること13年間、ティーパーティで待ち続ける。どんなふうにここで,この長い年月が過ぎていったのだろうか。「スリーピーホロウ」のクライマックスに出てくるような場所で… アリスが救世主だと信じる彼らの時は,アリスが現れるその日までずっと止まったまま。 そんな中,どんな思いで待ち続けたのだろうか。
『不思議の国のアリス』を最後に見たのはいつのことだっただろうか。あまり何度も繰り返したという記憶はないけれど、幼い頃にやはりディズニーアニメで見たという記憶はある。 その記憶も見たという事実だけを覚えているというものなのだが、不思議と物語の随所随所は覚えているのは何故だろう。幼い頃の記憶というのは-印象の濃いところは特に-大人になっても覚えているものなのだろうか。それともこの物語の持つ“力”なのか。
本作を見て「そうだったのか」というところがいくつかある。 どんなキャラクターが登場するのかという点、キャラクターの性格…などなど。 例えば、ウサギ。 「アリス」でウサギと言ったら、懐中時計片手に「大変だ!」と言って走り回り,アリスを不思議の国へと導く(意図的にではなく)白いウサギというイメージが個人的に持っていたのだが、実はもう一匹ウサギが存在したということを気付かされた。 三月ウサギ。 白いウサギとは似ても似つかない,むしろ正反対とも言える。なんでもそこにあるものを投げる癖のある,三月ウサギ。長年の仲であるマッドハッターはともかく、アリスも物語の中盤を過ぎた頃には三月ウサギの投げるものを,すっと避けれるところが面白かった。アリスの持つ力なのか、それとも幼い頃にこの場所へ来たことを体が覚えているということなのかはわからない。
 どんな結末だったのか、マッドハッターとのお茶会、ハンプティ・ダンプティとのやり取りの風景…などなど原作をもう一度おさらいしたくなる。文字として、映像として。 「鏡の国のアリス」も然り。 
 「アリス」において、やはり語らずにはいられないのが美術。物語自体にも十分に魅力があるのだが、“世界観”はとても重要なポイント。 見るもの全てが魔法で出来ているかのようで、動物も花も言葉を話すなど奇想天外な場所、この設定だけでも魅力的だが,バートン監督版は少し不気味だけどよりいっそう魅力的。最新技術により作り出されたとは言え,城は城内の隅々まで見たくなるほど綺麗で可愛い。 それは、赤の女王,白の女王の城共に言える。 赤の女王は欲深く,無慈悲な性格だけれど,彼女の住む城はとても色鮮やかで綺麗。 赤を中心とした色使い、贅沢に手入れをされた庭…そんな城から来る赤の女王の印象は、派手好きで…気に入らないと,すぐ「首をはねよ」と癇癪を起こす性格とは裏腹に彼女の憧れる女王像の表れと思われる。
 アンダーランド全体の雰囲気もさることながら、美術的に印象に残るのが衣装。特にアリスのもの。体が伸縮するという特殊な設定なだけに衣装は様々だ。ベーシックかつシンプルなドレスから、甲冑までアリスの着るものは実に多く,中でも綺麗だと思ったのが 赤の女王から与えられた,赤のドレス。 アリスを印象付ける第二の衣装という感じ。もう一つが小さなドアからアンダーランドへ足を踏み入れたときの服。現代風で露出のあるドレスだが,全く違和感のない花びらが折り重なったかのような美しさがある。
 物語を全体としてみると,とても平凡。 “シンプルに”という作り手の言葉があるからなのかもしれない。だけど、もっとダークでブラックユーモアに作れたのではないか?とも思う。 しかし、よく目を凝らしているとそんな,バートン監督らしいところが見受けられる。それは物語の始まり,タイトルが画面に出てくるところや、普通の人間でさえ,また アリスの住む世界でさえ“世にも奇妙な”印象を受けるところなど様々だ。 出てくる人たち全員とは言わないが、色白で目の周りが暗い感じがする登場人物を見ると 「コープスブライド」に出てくるキャラクターたちを思わせる。たまたまなのか、アリスへ求婚する貴族がとりわけ,そうなのだ。 その他、「スリーピーホロウ」ばりの不気味さが垣間見れるところもあった。
 キャラクターはどのキャラクターをとっても,かなり個性的だ。宣伝文句にある「マトモではいられない」という言葉のようにアンダーランドには誰一人として,完全にマトモと言える者はいない。個人的に好きなのがトウィードルダムとトウィードルディーの双子と、マッドハッター。 まず、双子は意地悪なキャラクターと思っていたが,実はそれは大きな間違いで とても憎めない,愛らしいキャラクターだ。サイズ、姿形、その行動(性格)、どれをとっても面白い。二人の会話もさることながら、どつきあっている場面はお笑いコンビのようで愉快だし,ジャブジャブ鳥に捕まって無気力な後姿がとても愛らしい。
 マッドハッターは、純粋な少年そのものだけれど,素朴な一面も見えたり,格好よく映るところもあったり,時にはダークに見えたりもして いろんな面を持っているのが魅力的な人物。 ピエロのようにも見えるけれど 帽子屋としての手さばきにあっと驚かされたりもする。
 彼のトレードマークとも言うべき帽子。 それは、インディ・ジョーンズやジャック・スパロウが持つ帽子と同じように持ち主にとって欠かせないものであり,特別な力を持つものだ。他のキャラクターもそうかもしれないが マッドハッターにとって帽子は、体の一部のような存在で,自分らしくいるために必要なもの。そして格好よく見せるアイテム、そして時には意外なところで活躍もする。
 幼いアリスが父親から教えられた“ありえないこと”はアンダーランドを表すもので,ずっと信じてきた大切なこと。 “原点に帰る”というふうな説明があるのはまさにそこから来るものだ。そして、物語の始まり,本当のアリスの冒険が始まるときは,小さい頃に学んだ“ありえないこと”へと戻る瞬間。 その冒険の始まりは、13年前の時と同じ。そこで、原作の第一作目が瞬時に頭の中でプレイバックされるのだ。
 父親の精神は娘へと受け継がれる。父親がアリスに残した言葉,「才能がある人はみんな頭がへんなんだよ」という言葉もその精神から来るものだろう。 アンダーランドを見て,それが夢か現実かわからず,混乱するアリスへ父親が書ける言葉である。 だから、「人から変だと言われても,また自分がおかしいと思っても気にすることなかれ。人より優れた力あるということだ」ということなのだと思う。
 人は必ず選択を目の前にするときが来る。 そんな困難にぶつかったときは 自分を信じた道へ“冒険”することだと,(この物語は)教えてくれているかもしれない。
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by jd69sparrow | 2010-04-18 18:06 | 映画タイトル あ行