ゼブラーマン2 ゼブラシティの逆襲

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<あらすじ>
 西暦2025年、東京はゼブラシティと名を変えて,相川という独裁者のもと機能していた。 一日に二回、五分間だけ,権力者は、どんな卑劣な犯罪を犯しても許されるという暗黒のルールが敷かれている。 罪の無い人々がこのルールの犠牲になってしまう…東京は15年の月日ですっかり変わり果てていた。
 15年前、かつてゼブラーマンとして人々に愛されていた,ヒーローはいつの間にか,その姿を消した。 空白の15年間。気が付くと、朝市は路上に寝ていた。 目が覚めるとそこにはゼブラカラーに染まった男達がいて,追われる身となった。
 ゼブラシティでは、ゼブラクイーンという名のアーティストが人々を魅了していた。 彼女は相川の娘。父親以上に欲深く、非情である。 彼女はある野望を抱き、それを叶えるチャンスを窺っている。
 記憶喪失に陥っていた,朝市は昔勤めていた小学校の教え子だった,浅野やゼブラーマンに憧れる,市場という仲間をえ、謎の少女すみれの力を借りて,自らの暗黒面‐もう一人の自分であるゼブラクイーン‐と決着をつけるため,真っ白なゼブラーマンに姿を変えて、立ち向かう。

<感想>
 「白黒つけるぜ」という言葉のとおり、いくつかの二面性が軸となってストーリーが展開。 善と悪、表と裏、男と女。 善と悪、それに表と裏に関してはとても密接な関係。 善が表、裏が悪という。 しかし、必ずしも全てがその因果関係にあるわけではないが。 
 「ゼブラシティの逆襲」の始まりは、ゼブラーマンこと,市川朝市が相川の手により,善と悪とを分離させられたところだ。 一人の人間を2つの命に分けるという設定もさることながら,それが男と女という性別の違うものになるのが,さらに面白いと思う。 いかなる人間も“男と女”で出来ているのだから、納得は出来るけれど 作り手の言葉にもあるように、朝市の姿をした二人が出てくると思うところ,この意外な展開があるのだから良い意味で驚きである。
 あくまで個人的な意見だが…物語も中々面白いけれど、一番の見所はゼブラクイーンだ。“女が最強”という言葉がとても似合うヒーローアクションものには,滅多にお目にかかれない,女性の敵ボスだというのが,魅力だと思った。しかも、男性に負けない強さとカリスマ性を持ち合わせており,まさにダークヒロインと言えよう。 
 このように悪役にも主人公と変わらぬ,魅力を出すのが監督の力量というものだろう。出てくる“戦士たち”がみんな格好よくて、善悪関係なく,どちらかに偏ることなくキャラクターの魅力を全面に出す、また,決して安っぽくもなく,作っている感なども感じさせない…、一種のアートのように世界観からキャラクターまでが作りこまれている。他の作り手が作ったら,転びかねないであろう題材も、ちゃんと笑いを含ませながら,見事に築き上げられるのが三池ワールドというものだと私は考える。 ストーリーの良し悪しも もちろん大切なのだが 何より世界観もとても大切で毎回痛快のストーリー展開もエンタテインメント性抜群で、「この題材をどんな世界で作り上げられるのだろう?」と期待が膨らむのが監督の作品の魅力の一つだ。
 ゼブラーマンに変身することが出来なくなった朝市。それは、自分の力により失われた命への罪悪感からだと思われる。地球の平和を守れてもそれだけが重くのしかかるのである。それは、多くの人が持っている裏の側面で闇。しかし、この罪悪感は善をよく知る者にこそ,わかるものでありゼブラーマンの人間らしさだ。白と黒、二つの側面を持っていたゼブラーマンは、黒い部分だけがなくなり,真っ白に。分離して目覚めた彼は抜け殻のようであったが、新たなスタイルのゼブラーマン…つまり 生まれ変わった姿と言える。 罪悪感の渦にはまり、抜け出せなくなると“闇”が出来て それが分離されることで邪悪な命として,黒ゼブラことゼブラクイーン誕生へとつながる。人が闇に屈した時に陥りかねない姿こそが、ゼブラクイーンに例えられる…そう考えると人に隠されたものに対し恐ろしさを感じる。 非現実的な物語に現実を感じた瞬間である。 朝市は自分のしたことへの後悔から,自分に対する恐れを感じた。 受け入れがたいものだった。 だからゼブラクイーンが生まれた。 しかし、ここで大事なのは自分の裏までひっくるめて,自身を受け止める,受け入れることであった。 人が闇を持ち,悩む時は心がもろくなる、そこをつけねらったのが相川だった。その闇を利用すれば、最強の戦士が生まれると考えたのだろう。 そこから、ただ考えると邪悪なる企み利用された訳ではないことがわかってくる。 もともとは、全滅したと思われたエイリアンの脅威のかけらが残っていたから脱するためだとも考えられる。 しかし、それは思わぬ方向へと動く羽目となる。 ここで思うことは、相川の行動は誤った選択をしてしまっただけなのだということ。しかし、白黒をわける相川の行動には裏があり,その事実は驚くべきことだ。その真実を考えてみると この物語がとても練りこまれていることに気付かされる。 だけど、そこには朝市の切なる思いがあると考えられなくもない。
 エイリアンに可愛らしさがあるところ、ゼブラーマンが最後考えた秘策の実行手段など 笑いもあって,作り手のセンスの面白さがうかがえる。 それがシリアスに偏りすぎず,私たちを楽しませる隠し味的なものだと思う。 それは監督の過去の作品にも見れるポイントである。 これからクライマックスに入り、本番ってところで そんな件が?! と驚かされるし,作品にこめられた狙いどおりの反応をしてしまう。それは、一言に,監督の遊び心である。
 ゼブラーマンの決め台詞が覆される。 それも自らの手で。 しかし、それは大切なメッセージだった。 物事に白黒つけることが必要なこともあるけれど、そうでないこともある。それは、最後ゼブラーマンが体を張って教えてくれる。最後の最後まで愉快である。
 第二作目でゼブラーマンの新たなる姿が二つ登場(三つと言うべきかも知れない)。個人的に思ったことなのだが、完全に変身を終える前の白ゼブラが一番格好よく見えた。もちろんヒーローとしてのパワーはこの状態でも持っている。その後の完全なる変身でその力も完全となるだが、その変身が完了していない,半分だけのゼブラーマンの姿は、異色な感じが逆に格好いいし、型にはまらない感じのスタイルが何より良いのだ。 ゼブラクイーンは完全体もエキセントリックかつファッショナブルだが。 アーティストとしての姿も悪の化身と化した姿も女性目線から考えても美しいし、野性的なところに魅力を感じる。 きっと一度はチャレンジしてみたいメイク(ファッション)だろう。 グロテスクかと思いきや、面白い場面に変えてしまうところ、全体が芸術作品に見えるところ、ただ派手なだけでなく、ちゃんと大切なものが入った届け物となっている点がやはりこの作品の魅力であり、作り手の力なのだと思う。
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by jd69sparrow | 2010-05-08 17:35 | 映画タイトル さ行