トロン:レガシー

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2010年12月17日(金) 晴れ。

<あらすじ>
 ケヴィン・フリンはコンピューターシステムと現実世界とを行き来する事のできる,世紀の大発明を成し遂げた。 彼はその世界を“トロン”というプログラムと共に築き上げ、さらに自分の築き上げた世界の中で完璧な世界を創るために“クルー”というプログラムを作りあげた。 ケヴィンそっくりの姿をしているクルー。 やがて、クルーは自我に目覚め、ケヴィンに対して反旗を翻す。 あらゆるプログラムを仲間に取り込み、軍をつくった。 クルーは、ケヴィンのつくった世界で生まれたミュータント“アイソー”を快く思わず、これを不服とした。そして彼らへの虐殺を企てるのである。 ケヴィンとトロンは必死に彼らを守ろうとするが、その最中トロンが犠牲となり… ケヴィンもコンピューターシステムの中に閉じ込められてしまう。
 20年の月日が経ち、ケヴィンの息子サムは父の会社を継がず、ふらついていた。 しかし、彼の持った才能は父親ゆずりだった。 エンコム社の重役の一人で、ケヴィンの友,またサムの良き理解者であるアランにこの20年連絡の途絶えていたケヴィンからポケベルを通じて連絡が入った。 これをきっかけにその発信源であるゲームセンターにサムは入り、そこで見つけた地下のオフィスに行きシステムを稼動し、気付くと別世界にいた。 そう…ケヴィンが創り上げた世界だ。 サムは閉じ込められた父ともに現実世界へ帰るためにアイソーの,たった一人の生き残り、クオラと,また 父と共に クルーに立ち向かう。

<感想>
 今日。 数ある映画によく見られるのが、過去の名作をいくつかに集約した「二番煎じ」映画である。 全くの新しい魅力を放つ映画は珍しいと言っていいかもしれない、このジャンルにおいては。 考えてみれば、この『トロン:レガシー』は、80年代に既に公開されたものに続いての公開である(※続編と言えるのかは定かでははないが、限りなく近い)。 しかし、この作品は作品で新しいと言えるだろう。 コンピューターの世界での戦い,つまりはプログラム同士の戦いは、『マトリックス』が記憶に新しい。 だが、『トロン:レガシー』(以下、「この作品」と表記)はジャンルこそ同じだが、切り口やテイストが全く異なるものである。 20年以上の月日を経て、改装された『トロン』。 改装されたと言っても、ストーリーではない。 ヴィジュアルや世界観。 新しくなったトロンの世界は、製作側のコメントにもあるように、今のためにある題材と言えるだろう。 そう、3D映画がブームになり始めた、今だからこそだ。 
 その立体感はどこにあるか。 それは字幕版を見ればわかる。 字幕のテロップが画面の奥にあり、それを視界に入れつつ、映像を見るとその立体感がよくわかる。 映像が飛び出しているということを。 もちろん、ヴィジョンに奥行が出されている。 それは私たちが現実世界を見るのと同じで意識せずとも自然に視界の中に入ってくる。 例えるなら、山の頂上に上ったときに見える景色のようだ。 
 ディスクバトルにライトサイクルでのバトル。 これは過去の『トロン』を含めての象徴的な場面である。 まずはディスクバトル。 憧れたキャラクターとのバトルはどんな気分なのだろう。 サムは トロンシティに来てまもなくして、「迷いプログラム」とみなされたゆえにバトルへと強制参加させられる。 しかし、超人並みの相手に四苦八苦しつつも、対向しているのが凄い。 時に二刀流で、時にアクロバティックで向かってくる相手とほぼ互角に立ち向かうサム。 ユーザーとプログラムとのバトルだ。 こう考えると、この世界に住む誰もが持っているディスクは、脳であり,剣であるということが見えてくる、 小さなこの円盤を刀のようにして戦うサムを見ると、とてもハラハラするのだが、それがこの映画の見所の一つ言っていいかもしれない。  
 ライトサイクルについては、意表をつかれた。 後に登場する小型戦闘機にしかりなのだが、ライトサイクルのシステムが面白いのだ。 何の変哲もない“棒”を渡されるサム。 「ヒントは、棍棒ではない」とからわれるのだが、その正体こそがライトサイクルなのだ。 ライトサイクルは勢いをつけて“開く”ことで形成されるデジタル界の「バイク」なのだ。 チームで戦うバトルなのだが、とても白熱している。 初めて参加するサムにもちゃんと仲間がいて、個人戦だったのが終盤でタッグで相手を倒すところが短い場面ながら面白い。 
 ライトサイクルの登場からもう既に、魅力ある場面のスタートだ。 そしてもう一つ。 ライトサイクルが面白いのは「座る」のではなく、腹ばいになるがごとく,カラダを地面にくっつけるようにすることだ。 つまり、自分がバイクのエンジンのような役割を果たすことだ。 カタチとしてはうつぶせにして、バイクを動かす感じ。
 ライトサイクルから放たれる光の光線みたいな…残像のようなものが絹のようになめらかに,はたまた絵を描くかのように美しく画面を彩るのがとても印象的だ。 それは時に武器となる。 赤と青の光の帯…。 広いステージには『マリオカート』を立体的にした感じで白熱している。 地下に地上に自由自在にライトサイクルが動くのである。 
 トロンの名前がタイトルにありながら、トロンの登場はきわめて少ない。 が、しかし それは正解であり、不正解でもある。 彼はまるで服部半蔵のごとく、敵の懐のどこかに潜んでいる。 思い返してみれば、ディスクバトルの最後の方…。 しかし、彼はある一言でちゃんと存在感をしめしている。 「トロンは、いつもユーザーの味方です」っていう感じのセリフだ。 『キングダムハーツ2』での『トロン』しか、個人的に知らないのだが、少なくともこのゲームのプレイ経験がある人ならば、ほっとする場面であろう。 彼のラストシーンは何か余韻が残る。 それはまるで『FFX』での主人公の最後の最後の場面を思い出せるものであり、そう考えると「続き」があるのかなぁと思ってしまう。 そう、トロンが主人公の。 まだ彼には先があるのではないかと。
 確かに評論にあるとおり、本作は一つ新しい作品と言うよりも、続編の風に思える。 何故なら、先に触れたようにトロンの活躍があまりに少ないからだ。 そして、ケヴィンとトロンとのエピソードに謎が残るし 気になる。 トロンが生まれた形跡をもっと詳しく説明して欲しいのだ。 だから、「エピソード0」として、再び映画が公開されるということを切に願うのである。
 登場人物一人一人、映像、内容…99%満足である。 つまり、1%はこの「エピソード0」が作られるかどうかにかかっているのだ(私の中では)。
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by jd69sparrow | 2010-12-31 23:40 | 映画タイトル た行