フライトナイト~恐怖の夜~(2012)

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<あらすじ>
 ラスベガス付近にある閑静な住宅街。 チャーリーは母親のジェーンと二人で暮らしている高校生である。 彼にはエドという親友がいたが,学園のアイドル的存在エイミーに好かれるために親友を捨て,新しい友人たちとオタクを脱出した。 チャーリーの隣に一人暮らしのジェリーが引っ越してきた頃、彼の身の回りで異変が起こり始めていた。 エドはジェリーがヴァンパイアであることを突き止め,チャーリーに忠告するが チャーリーは聞く耳を持たなかった。 しかし、エドに過去のコスプレ映像をネットに脅され,嫌々ながらも 行方をくらませたままのコスプレ仲間のアダムの家に調査するが,空振りに終わる。 二人が分かれ,その帰り道 “影”がエドの前に立ちふさがる。 ついには エドまでも 失踪。 翌日エドの家に訪ねると エドの部屋で 身が凍るほどの真実を発見するのだった。 それはエドの忠告を裏付けるもの。 ジェリーもまた,チャーリーが事実を知ったことを知り,チャーリーとその周りで殺戮を始め、そしてチャーリーは愛する人たちを守るべく,ヴァンパイアと闘うことを決意する。



<感想>
 鑑賞前後の印象で変わらなかったことは B級感である。 しかし、『トワイライト』など 人間とほとんど変わりないヴァンパイアものが 注目される中での 本作の登場は とても新鮮に思える。 甘いマスクの裏に獣としての本能が隠れている。
 モンスター・ジャンルとしてのヴァンパイア映画のお約束どおり,狩りの瞬間は 肉食獣そのもの。 ハイエナのようにも狼のようにも見える。 吸血鬼としての本性は 狩りの瞬間ではない…と私は思う。 人間に置き換えても言えることだが、本性という言葉に結びつくのは“怒り”。 “怒り”が頂点に達したとき,表に出るのだ。 それは長期的に蓄積されたり,瞬間的に爆発したりものする。 本作では 吸血鬼的な急所をついたときに現れるようだ(人間的にも言えると言えるかもしれないが)。 命に危機感を覚えた時、防衛本能が働き,それが あの醜い姿となる。 そう考えると モンスター・ジャンルの吸血鬼はとても動物的だと思う。 人間的に考えれば、怒りや憎しみに支配されてしまった時ほど、醜くなってしまう。 ここでのヴァンパイアは 本性の出る前後での差が大きく表現されているけれど、それは人間の恐ろしさの具現化ともいえるかもしれない。
 二十年以上前に一度後悔された,『フライトナイト』が最新技術を駆使しての,リメイクとあって とても現代的に表現はされているけれど そこにある空気は古きよき時代のものと言えるだろう。 殺戮者として,ホラーアクションの“恐怖”として描かれた時代,恐怖とパニックを感じさせるヴァンパイア映画がここにあるのだ。 個人的な見方としては 『シザーハンズ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で用いられた色彩で『ドラキュリア』というキャンバスに伝統的なヴァンパイア映画を描いているイメージ。
 “恐怖”から追われるという ハラハラ・ドキドキ感が終始続く本作。 次々と魔物の犠牲者となり、自分だけが取り残される…逃げ切れたと息をつく間もなく,魔の手に…というホラーの定番的な場面や いくら抵抗しようと何度も立ち上がり,次第に過激に追い詰めていく場面など色々ある中で、一番スリルがあり,刺激的だと思ったのは ダンサーのドリスとチャーリーの脱出場面である。 恐ろしい敵のアジトに忍び込むと,その敵が主人公の脱出前に戻ってくる“鬼ごっこ”なシーンは 特に珍しくはないけれど 主人公たちにとって恐怖で押しつぶされそうな場面というのは 緊張感がはしるけれど 同時に見所でもある。 ドキっとする瞬間を随所に散りばめながらも,中々 その頂点に達することはなく…と、思いきやの最後にサプライズ。 人の心を読み、五感が長けているであろう,ヴァンパイアの特性をわかってはいるけれど 観る側としては 主人公たちに感情移入し、彼らの観る景色・世界が
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by jd69sparrow | 2012-01-22 17:14 | 映画タイトル は行