評決のとき

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 映画を見たきっかけはジョエル・シューマッカー監督作品という点に興味をそそられたからである。
 マシュー・マコノヒー、サミュエル・L・ジャクソン、ドナルド・サザーランド、サンドラ・ブロック、ケビン・スペイシー、そしてキーファー・サザーランド。とても意外な顔合わせだ。それぞれが違ったタイプの映画に出演された役者さんだからである。
 これは1人の黒人の男性と白人の弁護士の葛藤を“法”を背景に描かれている。 主人公ジェイク(マシュー・マコノヒー)は友人のカール・リー(サミュエル・L・ジャクソン)の無罪を勝ちとるため、自分の想いに対する無罪を証明するために 無罪を打ち消そうとする検察官(ケビン・スペイシー)たちのしかける巧妙な罠に立ち向かっていく。
 この映画はとても現実味をおびた、現代社会がかかえる問題や、アメリカ社会に多く見受けられる人種差別の深刻さを観る側になげかけているのだ。 前者の問題は決してアメリカだけの問題ではなくここ日本でも広がっている身近な問題であり、他人事とは言い切れない。
 カール・リーが受ける仕打ちはとても偏見に満ちたものであり、どんどん窮地に追い込まれていく。 そして、彼を弁護するジェイクも同時に窮地に立たされていくのだ。
 最大のポイントはカール・リーのとった行動に対する共感。 100%正しいとは言えないけれど、その行動に至るまでの心境を自分自身におきかえたとき それに共感をえるだろう。
 法廷には弁護士、検察官、裁判長、陪審員などがいる。 “法”が1つのテーマとしてとりあげられるものの多くは弁護側か検察側のどちらかをメインに取り上げられる、特に弁護側。 今回はこちら(弁護側)に軸がおかれる。 法廷では両者(弁護側と検察側)の壮絶な闘いが見れる。 敵となるどちらか片方はとことん悪に見えてくる。 この映画では事細かにその悪が浮き彫りにされている。 こういう言い方よいのかはわからないが、善と悪の立場がはっきりとわかれている。 交互に彼らの主張が続けられ、善とされる立場が悪とされる立場におされ、その後の挽回あるいは反論していくさまはとても総会である。
 思うにシューマッカー監督は心に響く、1人の人間の想いのつまった主張を表現することにおいて達人であり、テクニックをとてもうまく駆使している、すごい! 「フォーン・ブース」でもわかるように。 (「フォーン・ブース」の感想とかぶるかもしれないが)主人公が、自分がしてきたこと 自分の中にある偏見など、できる限りのすべてをリセットすると同時に、人々にそれを告白し,呼びかけている。 その言葉一つ一つは私たちに向けた原作者、また
製作者の方々からのメッセージであり、教えのようで、考えさせられる奥の深いものだと想う。
 だから、主人公の語る言葉に耳を傾け、心を開き そこに刻むべきなのだ。
 「評決のとき」(“Time to Kill”)と題されているように、評決された場面こそ最大の見せ場であり、見所と言える。 “その時”を迎えたとき、主人公や主人公を支えた人々の気持ちが伝わってくるのである、
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by jd69sparrow | 2006-01-27 18:36 | 映画タイトル は行