たそがれ清兵衛

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 主人公・清兵衛を演ずるは真田広之さん、指揮をとるのは山田洋次監督。武士の世の末期の話と見る。
 1人の平の武士のまっとうした半生を描いたドラマである。 “静”という1文字の漢字が当てはまる、そんな日本映画だ。 人々からは“たそがれ清兵衛”だとか“たそがれ”と呼ばれていた。 清兵衛は年老いた母親と娘たちのため(少し前には病気の奥さんのためにも)毎日,一日の務めが終わる“黄昏”時になると帰って,家族につくすという彼の日課から付いた呼び名である。
 山田洋次監督が作り上げたこの時代劇は 最近のようにどこか現代チックな時代劇ではなく、時代劇らしい時代劇だ。 フィクションであっても、武士の時代があった事実がリアルに演出されている。 まるで それは観る者をその時代に導いているというか、その時代に自分自身がいるような感覚を味わせてくれる。
 清兵衛という男の暮らしぶりに人はみな不幸だのなんだのと言う。 しかし、清兵衛は貧しく,家族3(4)人を養う忙しい日々に幸せを感じているよう。 
 ただ刀の腕があるだけが武士ではないとこの映画は伝えようとしているのだと思う。 清兵衛のような器を持った者こそが真の武士と言えよう。 武士の時代と言えば、切腹がふつうにあった時代。 自ら、自分恥じたり、自分にけじめをつけるために切腹という道を選ぶのは武士としての立派な最期なのかもしれない。 しかしこの時代は身分が高いものが自分の部下に切腹を言い渡したり命じたりすることも常だったようだ。 それに対し、清兵衛は疑問を感じていた。「だからこそ」と言ってよいものかはわからないが人を切るということを嫌ったのだと思う。
 彼(清兵衛)は信念が強く、優しすぎる武士。 そんな真面目な人が、想い人である,ともえ(宮沢りえ)という女性との再会の時の反応はおもしろいものだった。
 もちろん、時代物なので 刀を振り回し、戦うシーンがある。 真田さんんは刀の使い方、立居振る舞いはおてのもの。 静かな動き・演技は武士そのものではないだろうか。 真田さん自身が武士なのではと思った。
 時代劇らしい時代劇はほとんど見たことがなかった。 時代劇らしい時代劇であるからこそ,おもしろさが一味違うのだ。 そして1つの国の時代物映画・ドラマなどはその国にしか リアルに表現できないように、日本の時代劇は日本人にしか、忠実に再現・表現することはできない。
とても素晴らしい映画だ。
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by jd69sparrow | 2006-01-29 17:27 | 映画タイトル た行