いま、会いにゆきます

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 澪と巧と佑司の三人の温かい家族があった。無邪気でワガママ一つもらすことない利口、そして父親をパパとかお父さんとか呼ぶのではなくまるで友達のように下の名前で呼ぶ幼い佑司、どこか頼りなさがあり,控えめで不器用な巧、そんな二人を優しく包み込むような,そして春風のような澪は絵に描いたような家族愛であふれ 幸せだった。 しかしその温かい空間は長くは続かず、澪は二人をおいてほつりと天国へと旅立っていった。 澪がいなくなった家の中は寂しげで静かで巧と佑司はひっそりとした毎日を送っていた、そんな梅雨の始まりの季節 この世を去っていったはずの澪が二人のもとにまるでこの世を去ったことがなかったことのように帰ってきた。 愛する人が帰ってくるというのはどういう気持ちになるのだろう。 驚きと喜びが入り交ざったような、あるいは現実ではなく夢でも見ている気持ちになるのだろうか。 例えわずかな間でも自分の目の前に愛する人,大事な人が天国から会いに戻ってきてくれたとしたらとても幸せなことだろう、そしてこの上なく素敵なことだ。
 小説から映画へ、映画からドラマへとつながっていった「いま、会いにゆきます」。 映画では中村獅童、竹内結子、武井証の三人が巧、澪、佑司を演じている(佑司を演じた証くんはドラマでも引き続き同じ役で出演)。 キャスティングは最高な組み合わせ。 演技の面から見てもとてもナチュラルだし、この映画あと役の中と同様、結ばれた中村獅童と竹内結子だが そのことを知った後,この映画を見るとよりリアルに感じる。 巧の高校生時代を演じるのは浅利陽介であるがここまで少年時代と現在とが別々の役者なのに素直に受け止められる、というかそっくりというのも珍しい,むしろないだろう。 まさにベストなキャスティング。 ちなみに(私の記憶が正しければ)彼は「新選組!」の近藤勇の養子(・周助?)を演じ,それ以前には「キッズ・ウォー」シリーズか何かで顔を知られていたと思う。
 記憶を失くした澪と二人(巧と佑司)が以前のような温かさを取り戻しながら幸せに過ごしていく毎日は澪が残した絵本の物語の上ある、私はそう思った。 その物語になぞられるかのように(この映画の)物語は始まり そして幕を閉じていく。その絵本の雰囲気が背景や映画の雰囲気とも調和しているよう。 主に出てくる登場人物一人一人が優しいオーラが出ていて、その心の奥には悪意という言葉は存在しないと見える。 巧と佑司が二人きりの頃、巧を思いやる佑司にもぐっとくるし、その後再び三人になったときの澪に対する想いあらわにするところもまた泣けるところである。 
 巧から見た、高校時代の巧と澪の思い出とそこに行き着くまでのいきさつ,それに澪がプレイバックする二人の思い出がリンクするところが素敵だなと思った、というのはそこから浮かび上がってくる新たな事実があるからだ。 つまり澪の中にあるその思い出が巧が語る過去ではわからなかった裏側や真実を見出しているのだ。 それが指すことがわかった瞬間,この作品の素晴らしさ、そして惹かれる理由がより明確なったのだった。
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by jd69sparrow | 2006-06-01 17:33 | 映画タイトル あ行