マトリックス レボリューションズ

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 「マトリックス」最終章。 シリーズ完結の「レボリューションズ」のテーマは“死”,作品中で預言者の言葉に「始まりのあるものには終わりがある」とあるように「マトリックス」は「誕生」に始まり,「死」に終わるのである。 SF映画の革命である。 SF映画の名作「スター・ウォーズ」が第一次革命とするなら「マトリックス」は第二次革命と言ったところだろうか。 映像という「」が丹念に具現化し、追求されている。 主人公ネオの進化と共に映画そのものも進化を遂げた。 白ウサギを追って“不思議の国”に迷い込んだトーマス・アンダーソン(=ネオ)は「マトリックス」を知り,進化を遂げ、ついにはスーパーマンないしはスーパーサイヤ人よろしくな救世主となるわけである。 
 アニメーションを実体化したような美しさがあちらこちらに散りばめられている、それはカンフーアクションやアクロバットなアクションから人物の表情の動きにまで施されている。 映像で観る者を楽しませる一方で物語や作品のコンセプトに秘められたものなど,奥深い部分までたくさんの意味が込められているのだ。 ストーリーと人物じたいに意味や目的がある。 マトリックスの登場人物たちの名前が神話などから引用された言葉で、その言葉が持つ意味こそが人物の役割を果たわけで、あるべき理由のようだ。 そしてそれは存在するもの全てと映画を支えているものや作っているものもまた然りである。
 第一章でネオがモーフィアスに出会い、彼らの世界に入るまでを「不思議の国のアリス」になぞられていて、シリーズ全体から見てネオが“キリスト”に例えられているということを知ったとき,「マトリックス」の深さを知った、そして今まで考えてきたこの作品のおもしろさとこのこと知った後でのおもしろさははるかに超えていたのである。 それはネオの着る衣装にも関係しているらしい。
 ネオとエージェント・スミス(以下は「スミス」と記す),人類と機械との最後の戦いが幕を開ける。 これは人類最後の都市ザイオンを守り、地球に覆われた黒き霧が晴れ、荒廃し,死にかけた地に再び光が照らされることを願い、さらに機械に支配された世界に平和を取り戻すためのための戦争と分析する。
 ネオやモーフィアス、トリニティーたちだけでなくザイオンの戦士たちが総力をかけ,敵に立ち向かうというなんとも壮絶なる大規模な戦い、ロボットと一体となった戦士たちの戦いぶりは熱かった。 しりょくを尽くし息の根がとあまるその瞬間まで,彼らは救世主を信じ,武器を持つ手を離すことはないのである。 戦士たちに境はない、皆が皆たくさましく、“あきらめ”の文字は存在しえない。
 三部からなる「マトリックス」伝説は衝撃の連続、それは第一章で一つあげるなら,主人公が現実だと思っていた世界は仮想世界(マトリックス)で、本当の現実世界は機械に支配され,荒れ果てていて、人間は機械に利用され培養されているということ。 今回はネオとスミスの関係にある。 それは陰と陽の関係と言えようか。 互角のパワーを持ったネオとスミスの因縁の闘いは果てしなく続く...。 スミスのパワーはネオに劣らず凄まじく、“マトリックス”と“現実世界”とを侵食していゆき、二人の戦いの時、ネオがふと回りを見ると計り知れない数のスミスがそこに立っている。 恐ろしいと言うべきなのか、笑うべきなのか。 二つの世界を乗っ取ろうと企むスミスだけれど、なぜか憎めない そして実におもしろい敵である。
 最終的に謎が残り、それについての解釈はいくつにも考えられる。 そうやって物語の先をあれこれと考えるとういのもおもしろいのだ。 衝撃という刺激を与えてくれる作品だ。
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by jd69sparrow | 2006-07-27 01:51 | 映画タイトル ま行