マイ・フェア・レディ

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 オードリー・ヘップバーン主演のこの作品は言語学的観点から見ても,アメリカ音楽の歴史的観点から見ても優れた作品である。 内容は田舎から都会へと出てきてなまりもはげしい,イライザ・ドゥーリトルという娘がある言語学者の手により見違えるほど美しく気品あふれる女性へと変わっていくというもの。 町で花売りをするイライザは言葉が汚く声のトーンも人より大きく,そんな彼女が目に留まり深く関心を持った言語学者は身分の高い人々の集まりに堂々と出ることのできるレディにイライザを育て上げることを決意。
 さっき、言語学的にも音楽的にも優れているといった。言語語学的にいえば、この映画の舞台となる時代、言葉遣いとはどうあるべきかなのかや、イライザと言語学者との格闘からもよくわかるように,発音のいろはが見ることができる。 言葉遣いにおいては一つとしてシェイクスピア作品が大きかったことや、言葉遣いにより出身が区別されたり,綺麗な言葉,話し方が好まれたということが見てとれるのだ。
 音楽について、これはバッググランドで流れるものももちろんであるが、登場人物たちによる,例えばイライザなら言語学者への不満と復讐してやろうという気持ち,言葉を綺麗に発音できたことへの喜び、言語学者の苦労を詩にした歌などはとても明るく楽しい。イライザの父親が歌う陽気もまた素敵。
 イライザにとっても言語学者にとってもこれは大きな試練であった。 中々前に進めないイライザ、そんな彼女に手を焼かされる言語学者、二人の抱えるその試練の困難の大きさは同じ。 けれど後半のラストスパートにかけての大きな変化は素晴らしいものである。 田舎娘がレディに変わる瞬間だ。
 イライザがはじめ使っていた言葉遣いは綺麗ではなかったけれど決して聞き苦しいということはなく,良い意味で興味深いのは確か、言語学者の目にとまるのも十分理解できる。
 印象に残ったセリフはイライザの言った言語学者に向けての一言。 それは「女が変わるのはその(相手の)男による」といった感じのセリフにある。 つまり相手の気持ちの表現や態度によって、あるいは人間性により 自身は何通りでも変われるし、目の前には選択肢があり、何を選ぶかは自由であると私は解釈する。
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by jd69sparrow | 2006-08-05 00:03 | 映画タイトル ま行