天国の本屋~恋火

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 花火大会と言えば夏の風物詩で、最高のロマンティック・イベントである。 主人公たちの暮らす田舎町では花火大会が開催され、さらに“恋火”(恋する花火)という花火があった。 その“恋火”のもとで出会った二人は深い関係になれるという迷信か事実か,そんな話があった。 不思議な御伽噺のような素敵な物語である。 “花火”、“天国の本屋”、“永遠”(という名の曲)がこの話を見るポイントなのだ。
 主人公健太はピアニスト、しかしある日所属していた会社をクビにされてしまう。 訳もわからずたどり着いたのは居酒屋。 居酒屋のオヤジにグチをこぼす健太、ふと気づくと彼は見知らぬ世界にいた。 そこは“天国の本屋”。その名のとおり天国にある本屋なのだ。 健太はその本屋で働きながら自分がここに来た意味を知る。 現世で居酒屋のオヤジ、天国では“天国の本屋”の店長のヤマキは言う、「人間の寿命は百歳。 しかしその途中で死んでしまう者もいる。そんな人たちが集まるのが“天国”。天国ではそこへやってきた死者たちが(死んだときの姿のまま)百に到達するまでの残りの人生を送り、百を迎えたものは新たな命として(現世に)生を受ける」と。 一方、現世ではもう一人の主人公かなこが彼女の住む町で花火大会を企画し、彼女の叔母が生前好きだった、“恋する花火”をあげることを望んで奮闘していた。 現世と天国の二つの舞台による二部構成である。二つで一つなのだ、現世とあの世の世界は隣り合わせであるように。 現世とあの世の世界、つまり天国は遠いようで近くにあると思うのだ。 現世が表なら天国などあの世の世界はその裏と言えよう。 だからこの物語も二つで一つ、万物もまたそれであろう。 
 現世にいるかなこ、天国にいるしょうこ。 二人は叔母と姪の関係でしょうこと、大人になったかなこは瓜二つと言っていい。 二人は家族の関係はあったにしろ別人、だけど持ち前の優しさと女性としての外面・内面の美しさは二人が共通してもつものだ。
 しょうこもピアニストだった、健太もまたピアニスト。 “天国の本屋”で出会った二人はそんな共通点あってしょうこが完成できずに終わってしまった曲を完成させようとつとめることとなる。 そんな二人の模様と現世でのかなこが彼女の叔母が夢見たことを熱心に自分のためだけでなく、いや むしろ叔母のために懸命に“恋火”あげようと努力に努力を重ねるさまがとても見所である。 「世にも奇妙な物語」のようでもあるが、とっても素敵な話。 大花輪の花火とピアノの鍵盤から奏でられる調べ、なんとも美しい場面、とても素晴らしい不思議な物語なのだろう。
 詩を読むときのように穏やかな気分になれる。 本を朗読してもらい、物語を読むのではなく音として楽しみその物語を心に思い描く。 最近では本はただ黙読して楽しむでけでなく、朗読を聞いて楽しむというカタチもあり,「ハリー・ポッター」がその例としてあげられるだろう。 物語は音として楽しむのとただ黙って黙読し、独自の世界を心の中で築き上げるなどと楽しみ方は一つではない、そう気づかされた映画なのだ。
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by jd69sparrow | 2006-08-31 23:43 | 映画タイトル た行