千と千尋の神隠し

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 “トンネルの向こうは不思議な世界でした”。 日本の古きよき時代の要素がふんだんに使われた和製「不思議の国のアリス」、しかし100%ではなくて、多少違う方向を指している。 主人公は10歳の女の子,千尋。 千尋はごく普通の女の子で特別であるわけではない,千尋が“不思議の国”、つまりここでは神々たちが疲れをとりに足を運ぶ湯屋がそれであり、彼女がこの絵界に入って働くことで物語全体を通して見る人じゃあらゆる可能性を自分の中に見出すことができるのだと思う。 泣き虫で甘えん坊という女の子はとても身近である。美しく落ち着いていてなんて方が珍しい。
 自分のとなりにちょこんと座っている女の子といった感じなのが千尋であって、この歳の女の子の代表というカンジもある。 だから「特別な力を持っているから…」ということがないので親しみやすいのだと思う。
 主人公・千尋は田舎町に引っ越してくる途中、不思議なトンネルを見つける、地と親と母親についてそこから抜けると,なんとも変わった光景が。 千尋はそこになる見たことのな建物が並ぶ場所に恐れを抱き,一人さまよっていると、神々がやってくる町であることに気づかされる。 魔法で豚にされてしまった両親たちを救うためにそこで出会った美少年で謎に満ちたハクの助言を受け、町のはずれに聳え立つ湯屋・油屋で働くことに。
 見る者は千尋と共に油屋を訪れるかのようになる。 そこには温泉や広い客間があって外観からしたらお城のようだ。 湯屋にやってくる神々たちはいろいろで、ヒヨコの神様や、トトロのように大きくて愛らしいキャラクター,大根の神様なおdバラエティに富んでいておもしろい。 個人的にだがおもしろいキャラクターといえば釜ジィや青蛙。 釜ジィは蜘蛛のような足を持ち,湯をわかしたりする頑固オヤジのようで意外とお茶目で優しいおじぃちゃんといったカンジである。
 千尋が働く湯屋を取り仕切る意地悪な魔女,湯婆婆は強欲で意地汚くも映るけれど、そんあn彼女も母親。 彼女の子供である坊の前では過保護で子供に出来合い,それに頭が上がらないというギャップのおもしろさがある。 そんな湯婆婆を夏木マリさんが演じる。 湯婆婆の双子の姉・銭婆も演じている。 対立していて性格も異なる二人に声で命を吹き込んでいるのだ。 湯婆婆は口うるさく人間に対してよくは思っていない。 銭婆は湯屋から離れた場所で静かな生活を送り、無欲のようだ。
 千尋ははじめ、礼儀も知らず,甘えん坊。 突然 放り込まれた絵s回におびえていた。 しかし、湯屋で働くうちに自分の中にある可能性を見つけ,気づくといつの間にやら可能性から引き出された力を発揮している。 それらに気づくことで目の前イにある未来への扉の前にある霧が晴れ、先にある光が見えてくるのだ・ そして、そこに喜び、“生きる喜び”を感じる、と私は思う。自分はこの先何をしたらいいのかと不安を持つとき、自分に自信が持てないとき、自分の中の可能性とそれがわかる喜びを感じる。 誰もがみな、自身の中に未来の道が開ける“それ”があるという“メッセージ”なのだろう。
 小さな生き物たちにも注目して欲しい、これもあでのジブリ映画に出てきた可愛らしいキャラクターの登場もある。
 千尋が自分の中にある“力”を知る物語(そこに感動が得られる)。 そきが焦点ともなり,千尋とハクのつながりの真実を追っていく様子も、物語を動かす大切なギア。 銭婆の言う「記憶を忘れることはなく、たさ思い出せないだけ」というふうなせリフが頭の中に残るのだ(そんな銭婆に人間味を感じる、湯婆婆にも全くないとはいえない)。
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by jd69sparrow | 2006-09-01 00:52 | 映画タイトル さ行