レッドドラゴン

d0058606_042396.jpg
 「人間の中にはモンスターがいる」、以前このような言葉をどこかで耳にしたことがあるように思う。 それが目覚めるかどうかはその人の生き方・環境化しだい、ゆえにいつなんどき表れるかなんてその人自身だってわからない。 しかしそれは決して目覚めさしてはならないということだけは事実だろう。 悲痛といった悲しみの連続、それは時に人をそれと化すことを可能とするのではと思う。 人はそれに屈服してもならない。
 レクター博士シリーズ「ハンニバル」に続くのは「レッドドラゴン」。 レクター博士を捕らえた男,ウィル・グラハム、レクター博士、そして“レッドドラゴン”と自らを称す男。 彼ら三人の中で死をかけた駆け引きが繰り広げられる。 ウィル・グラハム、彼は元・FBI捜査官、彼の捜査の力はその優秀さゆえにレクター博士を独房に閉じ込めてしまうほど、彼は現場から犯人の意図や行動を突き止めるという能力を持っている、つまり想像力に長けているのだ。 レクター博士は頭脳は計り知れず、ちょっとやそっとでは彼の心理を理解すること、見ることすらできない。 そんな彼はウィルにとって敵であるが事件解決のための助っ人でもある。 レクターがウィルに口にすること、ましてや他の警察官に口にすることなど容易なことではない。 “物事を表面でしか見ない”、“彼(レクター博士)はなんでもないところも見る”といったことが頭に残る。 彼は一般的に見たら気違いだとか思われるかもかもしれないが的を射たことも確かに彼の言葉の中にあるのだ。 思うに、ヒーローと悪役がいるのがことの原理であるが、悪が言うことにも説得力が必要なのかもしれない。 説得力や筋の通った事実などがあるからこそ“その”悪というものにただむごいだとか、ひどいだとか言った概念をいだくのではなく、悪役として魅力があって、そしてそれが作品を盛り上げる一つの要素で引き立たせさえするのだと思う。
 知能犯、それはためらいはなく,ゲームや儀式として自分のその仕事をなしとげていくわけで善がその高い高い壁を乗り越えていくかがおもしろさへの鍵。 悪役は悪役の魅力を失うころもおおかたない。 悪であるものが善に手を貸すという点でもおもしろい。 “変貌”、“進化”そこからくる“脅威”とがある。
[PR]

by jd69sparrow | 2006-10-13 01:09 | 映画タイトル ら行