信長の棺(ドラマ版)

 日本史というは一生の中で一つの勉強の科目として勉強するものであり、教科書で知ることのできるのはその時代で起こったという事柄を知ることである。 しかしそれ以上,そこから先のことや深みを知ることもできる。それは本を読むことであったり、時代劇を見ることなどである。 あるいは歴史上深く関わりのある場所へ訪れることである。 多く知られている歴史の中でもあまり知られていない事実がある。 「信長の棺」では今まで多く知られてきたことをくつがえす事実が描かれている。それは主人公太田牛一により語られる推理時代劇である。 歴史を後世にそのまま,ありのままを伝えようとする者がいて、さらにそれを妨げようとする者がいる。 その二つの存在により歴史の表裏ができるのだろう。 歴史の裏側を知ることはとても興味深いことである。 個人的には一般に多く知られている歴史には裏というものがつきものであり、今もどこかで人知れず眠っているのではないかと思う。
 話は安土城が完成した直後、そして織田信長が本能寺にて明智光秀により命が奪われる前より始まる。 主人公太田牛一は織田信長に仕える者の一人であり、あるとき信長の口よりあることを耳にする。 しかし本能寺へと入った信長は明智光秀の手で命を奪われてしまう。 その事実を知らされた牛一には疑問が残った。 “信長は本当に本能寺で死んだのか?” 実際、牛一の耳に入った信長の死には謎があったのである、それは本能寺から信長の遺骸が出てこなかったということ。 牛一は信長を敬愛し、忠実であった。 牛一はその信長の死の謎を解き明かすべく旅路へと出るのであった。
 信長のイメージというのは悪者というのが強いけれど、それだけではないと思う。 信長に忠実に仕えた太田牛一、彼により書かれたのが「信長公記」である。 信長がただ悪者だけに留まらなかったのは本能寺により信長が死んだということに疑問を持ち,さらに信長をこの上なくしたった牛一の存在あってのことなのだろう。 ここでは信長が牛一にしか見せることのなかった素顔があるという。 信長には大きな野心があり、それは他の者たちを敵にまわすこととなった。 そして光秀の謀反により命が狙われるという手立てとなってしまったのだ。 真実がどうであるにせよ、信長が死にいたるまでの過程には一筋縄ではいかないものがあって、それには策略と陰謀とがあったのは事実あろう。
 つくづく思うのがもし歴史がこの時こう動いていたらいったい歴史はどう変わっていったかのかということ、時代劇を見るたびに思うことである。 特に、信長がもし本能寺の変、あるいはこの物語で語られるように命をたつことにならずにそれ以後も生き続けたとしたら日本は今どうなっていたのかということ、それはこの物語の時代が描かれるものを見るたびに感じる。 もし信長が生き続けていたら天下はどう変わっていたのか。 新しい世の中を、日本を自らの手で築き上げようと試みていた信長、そんな信長の夢ははかなく消え去ってしまうわけだけど もし実現していたとしたらきっと今ある日本とは一味も二味も違うものになっていたことであろう。
 この物語は信長と牛一の物語である。 彼らの他には豊臣秀吉、徳川家康、石田光成、森蘭丸、明智光秀などが登場し、秀吉は牛一にとって仕えるべき主である、つまり味方であって敵なのだ。 物語の大半としては牛一が楓という連れともに信長の死を謎とくことにあって、また 牛一と秀吉の間にある見えない、そして冷ややかな壁とうことにもあったように見受けられる。今回ここで知られざる事実を知るわけだが、そういった歴史の影にある事実というのはどれだけあるのだろうか(また、どうして事実を伝えることを妨げるものがあったのだるか)? 歴史の深さを改めて感じさせた。 「和製 ダ・ヴィンチコード」(とか「ナインスゲート」)と言われる「信長の棺」はミステリーであり、物語の中では主人公たちが命がけで手がかりを少しずつ見つけ、隠された真実をあばいていくものでその先々には驚くべき真実が待ち受けており、ミステリーならではのスリルもある。 時代劇は歴史の探索である、そう思うのである。
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by jd69sparrow | 2006-11-06 01:40 | ドラマ・その他