クラッシュ

d0058606_15471757.jpg
 今日から昨日、昨日から明日へと向かうストーリー。 はじめに一つ,事が起きる。 それは序章であって終章でもある。 これから展開していく話をここで強く印象付けて物語へと引き込んでいく、そういった仕組みでできている映画だと思った。 幕が開け、事件が起きてそこにいたるまでの過程を描くのが特徴と言えるだろう。 物語には様々な始まり方があって、現在から未来へであったり、過去から現在であったりだとか時間の設定さまざまである。 大きく分ければそんなところだと思われる。 話の展開の仕方も大きく分かれる。 エキサイティングな気持ちを重視に追及されるもの、真実を追い続け,次第に明らかにされていくもの、何でもありでノリでつっきるものもある。 多くの登場人物たちが交じり合う,関わりあう内容構成となっているのだ。 登場人物一人一人にはそれぞれのタイムラインがあって、それは一つのラインに混じりあっていている。 主として現在にいたるまでの彼らの物語を一つ一つをまるでお店でいろいろな種類の商品をじっくり眺めるかのようである、あるいは複数のモニターを常に見ているかのようである。モニターの数は登場人物の数だけあってモニターの一つ一つでは彼らの物語が展開され映し出されている。 スイッチを押すと自分の目の前のビジョン、あるいはモニターにはそのうちの一人の物語が映し出されるといった具合に見える。
 社会は不条理の重なりの上に成り立っていてる。 正義を貫こうとしてもそれが無にしかならないこともあり、通用しない。 人はこのような社会の中に生き,衝動にかられたり怒ったりする。だけどその原因がわからないでいる。 それはきっと人と人との心のぶつかり合いがなくなりつつあるから。 “せわしい街中にいけばぶつかるが心と心がぶつかりあうことがない”とこの作品は言っている。 遠慮をする、我慢をする、解決のめどをたたせることなく流してしまう,などなど人は心をぶつけあうことを失っている,あるいは忘れてしまっていると言ってもいいかもしれない。人が感情におしつぶれてしまう、その源がわからないのはそういったぶつかりを求めているからではないだろうかということもこの物語の中で読み取られるし、実際そう物語っている。 そういった現実が登場人物たちの口から語られている。 “人はぶつかりあいたのだ”ということが物語を動かしていると思う。 そういうことが今まさに人には必要でそうすることで相手をまっすぐ見ることもできるのだ。 
 心に残るのは後半の場面。それは“人間というものがおもしろい”という全体からしたら小さな場面である。 何のつながりもないような人どうしがつがっている、共通点がある。 それはすごくおもしろいと思う。 それに気づいたときというのは嬉しいことだろう。 一瞬にして終わってしまう場面なのにすごく惹きつけられるところだった。 さらにもう一つは直接何かをしたのではなくても自分がしてきたことが誰かに刃をくだしてしまうということ。 これも印象深い場面の一つ。 直接刃を突き刺したことももちろんであるが、自分のしてきた行為が(,間接的に)人の命を奪ってしまったということがわかったときほど、罪悪感を感じることはないのではと思う。
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-26 16:10 | 映画タイトル か行