アマデウス

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 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは神童と呼ばれた音楽の天才である。 父親レオポルドに彼は厳しく音楽の教育を受け育った、才能にあふれた彼であったがその命ははかなくして短かいものである。 彼の性格や習慣とは裏腹に彼の音楽は上品で、その時代では他にない新しい音楽だったようだった。 モーツァルトの活躍の場を広げていく,時を同じして宮廷作曲家として名を広めていた人物がいた。 彼の名はアントニオ・サリエリ。これはサリエリによる語られるモーツァルトの人生の物語、しかしこれはもう一つのとらえ方としてサリエリの物語と言えることだろう。 神からの恵みが自らには授けられることがないと思い続けていたサリエリは突如自分の目の前に現れた下品な男に神から授かったかのような才能がモーツァルトにあるということを認めざるをえなかったが、モーツァルトへの嫉妬、妬みでサリエリは心を支配され、その様子を描いているからである。 物語を一言で言うとしたらそういったサリエリの気持ちや思惑の中で生きるモーツァルトといったところだろうか。
 サリエリは音楽家として宮廷作曲家という高い地位につき、申し分ない日々を過ごしていた。彼はモーツァルトという自分より若い作曲家の名前を知っていた。 サリエリはある日そのモーツァルトという音楽家にお目にかかれる機会をえた、サリエリはモーツァルトをその優れた才能を持つ実績に比例した人物を想像をふくらまし期待していたにちがいない。 しかしそんな彼の目の前に現れたその人を見て彼は言葉を失い,そして幻滅してしまう。 “あまりにも下品、なぜ神は自分ではなくこの男を愛し、才能をあたえたのか?” 終いには神に祈り続け,努力をし名声を手にしてきた自分を見下すかのようにふるまうモーツァルトに彼は激しい憤りという怒りを覚えた。 サリエリはモーツァルトの才能の高さを痛感しながらもどうしても許すことはできない、なんとしてでもモーツァルトを陥れようと固く心に誓うのである。
 サリエリを主点におき、彼の視点から描かれるモーツァルトの物語。 サリエリは自分がしたことに後悔の念を隠しきれず、それを背負いモーツァルトの死後人生を送る。 彼は苦しめられ続ける、それは自分を守るためにモーツァルトを追い詰めることをし続け、しかしその心のどこかではモーツァルトの曲を愛していたからであろう。 いつの時代も人は保守的なり、自分を守ることで必死であると思う。 自己防衛は時として、それが強いあまり自分を苦しめる結果を導いてしまう。 自分がしてしまった過ちはいくら手を洗い流し清めようと消えることはないのだ。 そしてサリエリはますます力をのばし、才能を開花させていくモーツァルトを見、精神を狂気でみたしていく。
 モーツァルトはサリエリの思惑を知ってか知らずか音楽家として派手な生活を営んできた全盛期が過ぎると次第に彼の何かが崩れ、衰えていくようであり 生活と自分に苦を感じ始めていくというふうに変わっていく。 その背景には父親の影が(父親の死後も)ずっとモーツァルト自身の中にとどまり続けていたということもあるだろう。 モーツァルト社交界を知らなかったのかもしれない。 彼は才能には恵まれていたが、人脈には恵まれなかったのではないだろうか。サリエリの思惑により悲惨な人生を送っていた部分も少なからずあっただろうし、モーツァルト自身の人間性がそれを自らに招きいれていたと考えられる。 そんな厳しい状況下で生きながらも才能は衰えることはなく、名作を生み続けるという素晴らしさに感嘆の声がなりやむことはないということが彼が成し遂げた音楽家としての偉業を決定づけられていると思う。
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by jd69sparrow | 2006-12-15 18:29 | 映画タイトル あ行