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それでもボクはやってない

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 考えさせられ、また“知る”ということで非常に学ぶことのできる映画である。 ただ映画を見て単純に楽しむものではなく、現実を一つ知ることが重要。 「裁判」の姿をリアルにこだわり,追求されていて、とても身近なことが取り上げられている。 やってもいないことで疑われ、無罪なのに有罪へと導かれてしまう。 罪に問われ罰せられる可能性は非常に高く、その反対である確率はほぼ無といっても過言ではないだろう。 しかしゼロではない。 日本の裁判のシステムの姿がここにある。 映画では冤罪,無実の罪をきせられることが大きく描かれている。
 金子徹平は会社の面接を受けに行く途中だった、その最中電車を利用していたが女子中学生に袖をつかまれる。 彼は中学生を精神的に苦痛をあたえるに値することをしたとしてその中学生自身に現行犯逮捕される。 徹平は何がなんだかわからず事態がはっきりとつかめない。けれど見に覚えのないことで訴えられた。 自分が何もしてないというのは紛れもない事実、だから案ずることはないと信じていた徹平だがそれは全く違う方向へと進んでいった。 自分の意志が伝わりにくい明らかに不利な状況下にあって真実を主張してもそれは偽りとして受け取られてしまうという徹平自身にとってもとても辛い局面に陥ることとなってしまう。 「一体、なぜ?」という言葉が絶えない、けれどこれが本当の一つの裁判の実体なのだと思い知らされる。 不利な状態でどう戦っていくかも見ておきたいところだと思う。 「裁判とはなんなのか」ということが取り上げられている。
 何かがおかしい、けれどそれが実際なのだと思うとやっぱり恐ろしい。 裁判では様々な質問が浴びさせられる、その質問の種類は様々であるがそこでは発言がモノを言う、下手に動くとますます自分を不利に追いやってしまうという緊迫が続く重い空気は晴れない。 もちろんそれは罪の疑いがかけられたその瞬間から始まるものである。 被害を訴える側も精神的ダメージを与えられるけれど、冤罪であることは自分でも感じていて,現実では有罪であると主人公を追及してくる人々に疑われ続ける側にも苦労と苦痛があるのだということがよくわかる。 どうしたらそういうことを導かせてしまうのだろうかと観ている側も考えさせられる。 このおかしな日本の裁判のシステムを作品の中だけでなく,観る側もふくめて共に考えようというのが特徴である。
 信じていることへの期待がだんだんと崩れていく、罪があると言われ続けるが真実を知っているのは自分しかいない。 その強い精神が主人公自身を支え続ける。 結果はどうあっても,ずっと信じ,不利でも屈指さえしなければ可能性は消えたりはしない。 すべてを完結させることではなく、厳しさを知る知識を広めることや現実を見るというのが大切なことである。 人を裁く代表的な機関である裁判所、人が人を裁く場所なわけだがこの物語では観ている側にもそのことについて今一度考えることが大切だと言っているのではと思う。

by jd69sparrow | 2007-02-06 01:02 | 映画タイトル さ行