東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

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 その人にしかないものではなく、日本人,いや 人々全体と言っていいかもしれない。 子どもを愛する母親の姿、息子、そして時々顔を見せる父親。 二人の親子としての絆の物語。 でも、これは主人公だけの世界ではない。 人の誰もが母親から生まれ、生をえる。 普段、当たり前のように側にいるお母さん。 いつも子を思い美味しい食事と、心地のよい「家」という空間の中で誰よりも子どもを思う。 そんな温かい母親の姿がここにある。 誰もが帰れる場所(=“家”)、母親の子どもへの愛情や思いが伝わる映画である。 幼い子どもの頃から大人になるまで育ててくれた親を振り返り,感謝の気持ちがわいてくる。
 話は主人公である“ボク”が少年時代から始まる。 ボクは少年時代、いつもオカンと一緒だった。 どんなときも。 やんちゃだったボク、そんなボクをいつも温かく見守ってくれた鬼になることなく優しく,時には人を楽しませオカンでいてくれた。 どんなに状況が変わり、時をへだててもオカンはオカンだったのだ。 常に酒びたりなオトンはふらっと外へ出ては彼らのもとへやってくる。 やがてオトンとは離れ、オカンと二人で暮らしていたボクはアートへの道を目指す。 
 オカンはボクが将来の道へさまよい宙ぶらりんになろうともボクに注いでくれる愛情は変わらなかった。 時がたっても若き日の心を持ち、その笑顔はまるで少女ようだった。 子どもの喜びは自分の宝物のように胸に閉まっている、嬉しいことには心の奥底からくる嬉しさが表れていた。 人を楽しませ、喜ばせることが好きなオカンは皆から愛され、ボクだけでなく“皆のオカン”といっても過言ではないように思う。
 離れた場所にいても共に暮らしていてもオカンはボクへ愛情というパワーを送ってくれたからこそボクの未来へつづく道は絶たれることなく,例え途中で立ち止まりさまよえども ずっとずっとその先へと広がっていたのだろう。
 オトンはオカンとボクのもとを離れても,どこへ行ってもオカンのところへ戻ってきたのはオカンのいるその空間がオトンにとっても落ち着ける場所、“家”だったのだと思う。 自由気ままに生きてきたオトンもオカンに元気をもらいにきていたかようだった。 そしてオカンを大事に思う気持ちも変わることは無かった。
 わがままも言わずに常に自分の子どもや自分のもとへやってくる人たちを自分自身よりも大事に思った。 息子をしたってその仲間たちが集まってくることがとても嬉しくオカンにとって幸せなことだったのかもしれない。 やはり自分の子どもが誰かに認められ、また信頼されるというのは親にとっての喜びということなのだろう。
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by jd69sparrow | 2007-05-02 23:57 | 映画タイトル た行