ニューヨークの恋人(二回目)

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 運命の相手や自分が心から求めていた人は人が人生を歩む中で訪れるものなのだろうか。よく恋愛ドラマでそういった言葉は出てくるけれどそこで理想とされる運命の人との素敵な出会いというのはごくまれなことなのかもしれない。 だけど恋愛にしろ,友情にしろそれぞれの運命の糸がどこか交わるからこそ出会いがあるわけで人生を共に生きるのにも同じことが言えると思う。 運命の人、それはいつどこで出会い,お互いはどんな時を生きるのか。 そういう出会いができたとき、奇跡,信じられないような不思議なことにめぐり合えることもあるだろう。 その出会い自体が奇跡なのだから。
 1876年、ニューヨーク。 レオポルド公爵はブルックリン・ブリッジの式典の場にいた。 親戚に結婚相手を決めるようせまられていた。 レオポルドの屋敷でのパーティーが行われる中,怪しい男を見かけ,レオポルドはその男を追いかけた末,未来へタイプスリップしてしまう。 怪しいのその男の名はスチュワート。 スチュワートは現代社会の人間。 未来と過去をつなぐもの,時間の裂け目を探し求めていたのだ。 レオポルドは自分がいた世界とは全く姿・形の違うニューヨークを目の当たりにし、ケイトと出会う。 ケイトはスチュワートの隣人。 そして仕事に生きる仕事人間。 彼女には心の落ち着ける場所、心をゆだねられる人はいなかった。 レオポルドとケイトの共通点はそこだった。 まわりに人がいても“独り”だったのである。 恋愛をすることもほとんどあきらめ仕事に没頭するケイト、紳士に重んじるレオポルド、相反しているように見える二人はしだいに恋に落ちていく。
 違う時を生きる者どうしの恋愛。 異なる時代を生きている二人、価値観が違うこともあれば共通なことだってある。 様々な時代に生きた作家たちが彼らの思う価値観を書き連ね,物語を描く。 全く異なるようで現代につながる,あるいは現代と共通の筆者たちの考えがあったりする。例えば「高慢と偏見」で描かれる恋愛感は現代とそう変わるものではないだろう。違う時を生きるものどうしであっても出会えたことには何か意味がある。 それは「運命」と言っても良い。 ケイトとレオポルド、お互いがそれぞれの時代には決してなかったものをお互いに見出し,心・気持ちのどこかで共鳴することができたのだ。 一度つながった運命の糸は離れることはない。
 レオポルドは自分が生きていた時代の数百年後のちょうど同じニューヨークにやってくる。 時代がどんなに変わり,また姿を変えようとも変わらず,そこにあるものを目にする。 ブルックリン・ブリッジ。 過去から未来、変わらないその橋が,その下を流れる川が,未来と過去をつないでいるだなんて素敵なことだろう。 ブルックリン・ブリッジがケイトとレオポルドを引き合わせ,二人の運命の糸を重ねた,恋のキューピッドといっても過言ではないだろう。
 時代が変わってもそこにありつづけるというのはとても素晴らしいことである。 もしマリー・アントワネットが現在にやってきてベルサイユ宮殿を見ても,あるいは豊臣秀吉が現在にやってきて大阪城を見ても(戦国の武将たちが今ある城を見ても),改装などがあったとしてもきっと感動することだろう、と私は思う。 もしタイムスリップができたとして自分が未来の世界に行って,自分が生きる時代で慣れ親しんできたものがそこに変わらずあったとしたらやっぱり感動するだろう。 未来に生きる人々にとってはそれが当たり前にそこにあるものあって何も思わないかも分からないが。 しかし歴史を振り返り,そのものがどうやってできたのか、その作り手たちのどのような努力があったかを知るべきである。 そうすることでそのものの素晴らしさを理解することもまた素晴らしきことなのだ。

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by jd69sparrow | 2007-06-20 16:42 | 映画タイトル な行