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 歴史をテーマにした物語は中心となる人物がいて主としてその人物の生き様や生涯を描く。 だからその人物が輝いてたその時からその生涯を閉じるものまでを見ることになる。 そこでは主役となる人物がどう生きたかというのかが問題であって最後生きるか死ぬかではない。 その歴史上のできごとを事前に知っているかどうかできっと見方は変わってくるかもしれないが、この映画はビジュアル面だけではない,戦士たちの生き様は誇り高く勇敢そのもの。 勝利のおさめ方というのは一つじゃない。 つまり目で見えるものが全てなのではないのだ。 こうして後世にまで語り継がれ,文学や映画化となって伝えられたりと歴史に刻まれるのには意味がある。 偉大な何かを成し遂げたからこそ彼らの名は残り,こうして様々な国々の人々の目に触れ,私たちはそこで知ることができるのだ。 その時代に受け入れられなかったとしても後にいつか必ず理解する人たちが現れ,受け入れられる時代がやってくる。 当時生きる人々に非難されたとしてもそれが全てだと言う訳ではないし、それを偉大と思う人々がいる,あるいは偉大であるからこそ歴史に刻まれるのだ。 そしてそれらは決して歴史の中にのみこめられることはあってはならないと思う。 なぜならそこから学べることや今につながることを見出せるからだ。
 自らの命の犠牲もいとわない男たちは危機を目の前にしても笑みをこぼす。 圧倒的に多い敵の軍勢に立ち向かい,大勢の敵を震え上がらせ,またひるませた。 まさに無敵な戦士と言えるくらいの戦力を持つ。 レオニダス王の率いるスパルタ軍とクセルクサスが率いるペルシア軍、相反したライバルどうし。 遥かに多い軍勢にたった300人で戦いを挑んだ勇猛なる戦士たちの自由と名誉、誇りをかけた戦いの物語である。
 時は紀元前480年、舞台はギリシアに始まる。 スパルタに生まれた子供は強いものだけが生かされる。 幼い頃から戦いの,戦士の心得を教え込まれ,スパルタの戦士として鍛えられ,成人となるときには命がけの儀式を受け,そこから生還したものこそ誠のスパルタの戦士となれるのだ。 スパルタの王レオニダスもそんな厳しい鍛錬を生き抜いた者の一人である。 スパルタの民は男女の間に境はない。 誰もが皆,強い闘志を持っている。 スパルタの戦士の強さは厳しい鍛錬と身を案じ,見守る者たちの力あってのもの。 そして死を恐れず,“戦いで死をとげることは名誉なこと”と心に叩き込まれ,決して敵に背を向けることはない。 背を向け,逃げるくらいなら死を選ぶ,それがまさに彼ら,スパルタ軍なのだ。 敵はペルシア軍。 ペルシア軍には到底及ばない戦士の数であった。 戦に有利なのは軍勢、数が多ければ多いほど戦力は高まるのだ。 スパルタ軍、自らの国の自由を守るために国に命をささげる。 強くあるには敵に情けはかけず決して退くことも服従することもしない。 戦士一人一人の胸にその心得がある。だからこ戦士たちは強く,仲間意識も強い。 この映画の見所はどう戦士たちが名誉を手にするかだ。 名誉、つまり死だ。
 圧倒的な数の兵を持ち,自らを神とし強気で攻めてくる王の名はクセルクセス。 彼は自らが持つ権力とその力でスパルタをなんとしてでも侵略しようと何度もアプローチをかけ戦いへと発展していく。 戦いにおいて軍の数は勝負に大きく響き,力といってもいいだろう。 幾千,幾万敵の数に対して数百人に,味方が加わってもかなうはずもない敵の数。 ごく少数で戦い抜いた戦士たち、小規模の軍勢で無謀とも言える戦いに挑む。 それでも誰一人として逃げ出さない、自由のための戦いをのぞむ。 敵がどんな戦法で戦いを仕掛けてきても屈したりはしない。 そしてあきらめない。 数こそ少ないが一人一人の戦力で見ればあきらかにスパルタに勝る者はない、そう思えた。もしもペルシアとの立場が逆だとしたら文字通り無敵の軍団。 だからもし敵の軍勢にひけをとらぬ軍勢を持っていたらきっと早くのうちに強敵ペルシアを滅ぼしていたかもしれない。 そう考えるといかに敵が臆病か,また警戒が強すぎるかは明らかだ。  
 スパルタの戦士の出で立ち。 それ自体が鎧であるような強靭な肉体(※パンフ参照)、情熱の赤に彩られたケープは彼らの持つ力を強調しているかのようである。 槍を,剣を,また盾を自在に操り,肉体的なパワーで敵に立ち向かう。 その白熱で力強く戦うさまは痛快である。 盾を持ち,槍を敵に向け,戦闘の態勢を作るとき数以上パワーがそこにみなぎる。 戦士たちは槍を敵に向け,敵は次々と血しぶきをあげ倒れていく。 王の敵に向けた叫び,敵に力を示す戦士たちのおたけび、まさに彼らは獅子のごとく戦いを仕掛ける。 彼らに恐れるものはない、あるとすれば仲間,スパルタの民の自由が奪われることだろう。 欲らしき欲はない、彼らが望むのは(何度も言うようだが)“自由”なのだ。 そして戦い、生きた証が人々の記憶に刻まれること。
 確かに戦士の動きの見せ方、セピアを中心とした色使いなどビジュアルとして優れている。 現実から離れているようでリアルな戦士たちの闘志と誇り、世界観。 戦いで死を遂げることを名誉に思い,それを強く望んだ男たち,死を恐れず,戦いにおいて死を覚悟するからこそ彼らは強い、そんなスパルタの戦士たちの人物像は西洋の武士。 その生き様がなんとも勇ましい。彼らの行く末はやはり名誉そのもので彼らの戦いのしめくくり、そしてそれに続く新たな歴史のはじまりは個人的に言わせてもらえば納得のいく気持ちの良いものである。

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by jd69sparrow | 2007-06-25 03:37 | 映画タイトル さ行