HERO

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 事件の犯人を追い,捕まえるのが警察、裁判の際に依頼人の弁護をするのが弁護士、そして被疑者が逮捕された後、その真実にせまるのが“検事”である。 よくある事件ものの多くは刑事ものドラマや探偵が出てくるような推理モノ、そして弁護士の話。中でも多いのが刑事モノであろう。 警察、弁護士、検事。 この三者がそれぞれ軸になるとき、例えば弁護士を描いたものなら法廷で戦う相手,検事が悪役という言い方は大げさかもしれないが、厄介な相手となる。逆に検事が主役になれば弁護士が争うべきライバルなのだ。 警察というのはたいていの場合悪役とか嫌な役回りは見られないが、時々悪役的なポジションにたたされる、あるいは悪役ではないにしろ厄介な相手だったり、非協力的な立場になることもある。 誰が主役になるか主軸になるか、つまり誰の側で物語が描かれるかによって相手の見え方というのが変わるのである。
 「HERO」の主役は検事、舞台は主として法廷。 事件を追うことから始まり、その行き先・目的地、ゴール地点が法廷なのだ。 事件の犯人が捕まり、裁判にかけられる。 被害者や被疑者の関係者が見守る中で事件の白黒が決まる。 有罪か無罪か。 ここで語られる検事、それは被害者が求める真実を追求すること(実際も同じかもしれないが)。 
 ドラマから発進し、実に六年の歳月を経てスクリーンに登場。 型破りの男がやってきて様々な偉業をなしとげる。 その男には今ある自身とはまるで異なる過去を持つというもので、“型破りな人物がすごいことをやりとげ、まわりを,その人物がいる世界を替えるというストーリーの大まかな設定ではあまり珍しくはないけれど、それでも人を楽しませる力がある、それが「HERO」だ。 娯楽映画さながらの豪華な役者陣、物語、主人公が被害者の思いを晴らすため,真実を知るために全力で決してあきらめることなく事件を追い,被害者の声となって法廷で強く主張する、そして主人公や検事仲間たちによるチームワーク、それらが物語を盛り上げている。
 ほんの小さな事件のはずだった、ゆえに簡単なやまだと思われた一つの事件はやはて大きな事件へと発展していく。 というよりも、簡単のように見えてかなりの難題なやまであったという方が正しいかもしれない。 いや、そもそも事件の規模などないのだ。 言い換えて,「事件に大きいも小さいもない」というセリフがある。 
 結婚をまじかに控えたカップルがいた、しかし彼らの幸せは花開く前に散ってしまったのだった。 被害者は花婿になるはずだった男性、そしてその花嫁になるはずだった女性。 その男性は些細なことから命を奪われてしまう。 彼は命を落とさなくてもよい命を失ったのだ。 なぜなら犯人の男とは面識もなく,殺されるにあたいすることは何一つしていなからだ。 犯人は罪を認め、そこで一件落着だと思われたその事件は思わぬ方向へと動き出す。 一度罪を認めたはずの犯人の男は法廷に立ったとき罪を否認したのだ! その陰には代議士の影があり、男の弁護をするのは検事の経歴も持つ腕利きの弁護士,蒲生であった。 誰もが彼との勝負はさける、しかし久利生はその目の前に立ちはだかる壁を乗り越えることを楽しんだ。 “すぐに勝負をつけてしまうのではおもしろくない”と。 それは被害者が受けた仕打ちを簡単に済ませてはならない、その真実を知りたいと強く願う人のためにとことん真実を追究し,答えを求める人により確かな真実を伝えたいという久利生の強い信念を表している。 日本各地を転々とし,東京へと戻ってきた久利生はさらなる難関に立ち向かう。 彼の辞書に“あきらめ”はない。
 もっとも心打たれたのは裁判での“里山さんという命の重さを知る裁判なんだ”という言葉、その言葉を裏付けるのが久利生の信念にある。 それは“犯人は、自分の犯した罪の重さや遺族の悲しみを知るべき”というもの。 その言葉が強く胸に突き刺さったのは今ある現実が思い浮かべられたからである。 日々、事件は起こり,その事件の犯人たちは罪を認識する人もいれば、罪悪感など微塵も感じさせない人もいるように思えるのだ。 テレビからは伝わりにくいこともたくさんあるはずだ。 そうは言っても自分の罪を認識していると少しでも感じさせるという犯人の姿を見ないのは気のせいだろうか。 こういう実際の問題をついていることがその言葉に深みを持たせている。
 
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by jd69sparrow | 2007-09-12 15:45 | 映画タイトル は行