ALWAYS 続・三丁目の夕日

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 時代は昭和34年。当時、青春時代を過ごした人にとって懐かしく思える作品、この時代を知らない世代でも懐かしく思えるのはなぜだろう。町並みが変わっても、変わらないものがあるからだと思う。「三丁目の人々」は人情味にあふれ、他の人のことでも興味を持ち,大変な時は助け合う。誰かが助けを必要とするなら惜しまず手を差し伸べる、それぞれの家族が各々の力だけで生きていくのではなく、町の人々がみんなが家族であって,互いにないものを補いながら助け合ってと共に生きている。 そして、家族は皆,一緒に食卓を囲むのが当たり前、子供は愛情たっぷりに育てられ、母親は子供のためにいろいろと工夫をこらし、それをこしらえたりと形にする(そんな母親の思いやりに照れながらも,密かに感謝の念を抱く)。 父親は自分の仕事に誇りを持ち,一家を支えるために日々,汗をかいて働く。
 まるで理想郷のようだけど、子供から大人になるまでの経験や思い出にリンクすることは決して少なくない。だから今にいたるまでに感じてきた温もりをと重ね、懐かしく覆うのかもしれない。
 前回までの話。夕日三丁目、そこは町の人々が皆,温かく人情味あふれていた。 その住人である,売れない小説家で駄菓子屋を営む茶川のもとに身寄りのない少年,淳之介が、また,茶川の向いで暮らす鈴木家(鈴木オート)へ集団就職で青森から東京へ出てきた六子がやってきた。 六子は鈴木家が営む鈴木オートでで車の修理の手伝いの仕事を始める。淳之介は茶川の小説が連載されている「冒険少年」の,茶川の小説の愛読者である。
 二人は三丁目の人々の温かさに触れながら新しい環境で,新しい家族と本当の家族に等しい関係を築きあげ、“夕日町三丁目”の家族の一員となっていく。
 今回の話。 淳之介と六子が夕日町三丁目にやってきて それぞれその場所の家族となってから四ヶ月がたった。 三丁目は変わらず活気があった。 鈴木家には新しい家族がやって来た。一家の主,則文の親戚の娘・美加である。その親戚の都合で鈴木家に預けられたのだ。 一方、茶川家。茶川は淳之介との生活を続けている。 そんな茶川は淳之介を養う者として、淳之介への思いが試されることになり、そして失いかけていた夢を呼び覚まし、再びペンをとる。芥川賞に向けて。
 家族の絆があって、夢を実現させるための挑戦があって、今度はさらに三つの恋模様がある。不器用な大人たちの恋、目に見えにくくても温かな恋、そして小さな恋。三つがそれぞれ違う色・形をしている、だけどどれも応援したくなる素敵なものである。
 町の人々の関係性、特にそれぞれが,それぞれを思う気持ちが描かれている場面は心に光が照らされるかのよう。 そういう思いがあるからこそ互いの絆はお金よりも大切なもので強く結ばれているのだ。
 子供たちがみんな、「えーっ」と言いながらも真面目に,習慣的に家事を手伝う姿やトモエ(則文やその子供・一平、鈴木オートで働く六子を陰で支えている)のような母親の姿、現代では中々見受けれないような気がする。 子供の頃、当時は恥ずかしかったり,照れくさいと思ってた母親の親切(心遣い)は愛情の大きさなのだと改めて確信した。
 この物語も、変化しつつある日本が丁寧に描かれているけど、時代が変わっても昔からのこういったもの(人情や愛)は受け継ぎ、この昭和の温もりを時代に甦らせて欲しいし、できることなら甦らせたい。
 時代はどんどん便利になっていく。この映画の作り手たちの言葉にもあるけど、テレビや携帯電話などの便利な道具があって当たり前と考えてはいけない。そこに至るまでの人々の苦労は次世代へと伝え、また,便利になっていくもの・ことに依存してはいけないと思う。 便利さに頼りすぎるのではなく,世の中を暮らしをよくするために努力した人たちへ感謝の気持ちを持つべきであろう。 そういう気持ちが大切なのだと実感した。

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by jd69sparrow | 2007-11-07 18:00 | 映画タイトル あ行