スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

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<あらすじ>
 19世紀頃のロンドン。 ここに復讐に染められた悲劇ありけり。 かつて平凡で幸せな人生を歩んでいた一人の理髪師がいた。 彼の幸せは、その街の判事によって奪われた。 ベンジャミン・パーカーは妻子と引き離され、無実の罪を着せられれ、牢獄へ。 それから15年後。 彼は脱出した。 そして、スウィーニー・トッドと名を変えてロンドンに戻ってきたのだ。 そこで出会ったパイ屋を営む女主人,ラベット夫人である。 スウィーニーは、彼女の提案で猟奇的な殺人鬼となった。 “悪魔の理髪師”の誕生だ。 スウィーニーは自分と愛する妻子を不幸に追いやった,ターピン判事への復讐のときを待っていた。

<コメント・感想>
 ほとんど色がないモノクロに近いロンドンはまるで感情がなく,冷たい街のようだ。当時の貧富の差の激しく,厳しい社会を反映されているからか、一切の温かみはない。 怪談話や残酷な殺人事件が珍しくないといおったような雰囲気だ。 あまり色のない世界だからこそ、おびただしい血は、鮮やかに映し出されている。 そんな世界で悪行をする二人(スウィーニーとラベット夫人)、作品全体の色合いは『コープスブライド』を連想させた。 スウィーニーは恐ろしく,復讐にとりつかれている。、街の人々もどこか冷ややかである。 唯一、温かさがあるのがアンソニーとジョアナ(アンソニーはスウィーニーの牢獄脱出時の命の恩人、ジョアナはスウィーニーの実の娘)。 物語の案内人と言ってもいいだろう。
 “ホラー映画であっても、完全にその色に統一するのではなく、どこかユーモラスな部分がある”という評があるように、コメディチックなところがある。 それは予告編の時からあり、本編では直接のつながりのない場面を絶妙な組み合わせで、予告編としてまとめられているのだ。 スウィーニーは恐ろしい殺人鬼なのに、どこかおもしろい。 また,憎めないという印象である。 
 ラベット夫人が一人歌うとき、スウィーニーは無表情にそこにいる。夫人の夢想シーンもやはりおもしろい。 次々とスウィーニーの狂気は続く。 彼のお客は血しぶきをあげ、息絶えていくのに、恐怖が残像として留まらない。 
 ここでの恐ろしさというのは、ビジュアル的ななものではない、かと言って.精神的なものと一言でおさめられるものでもない。 どちらかと聞かれたら、後者の方にあてはめられるかもしれない。 それとも、あとからじわじわとくる,恐ろしさと言うべきだろうか。
 映画を見ている際は、物語の流れを追っていくから,場面場面を振り返ったりというのは、見終わってから考えることが多いだろう。あとで考えてみると、恐ろしいと思うことがある。 もし仮に人物に対し、“恐ろしさ”を考えるとしたら、スウィーニーより、むしろラベット夫人だろう。 彼女の提案がスウィーニーをより,恐ろしい殺人鬼にさせるからだ。
 最後に思ったことは、スウィーニーにどうして、ここまでの不幸が重ならなければならなかったのかということ。 これは、この上なく悲劇的で、運命のいたずらというか、残酷さを物語っている。

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by jd69sparrow | 2008-03-26 22:29 | 映画タイトル さ行