べオウルフ

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<あらすじ>
  6世紀のデンマーク。呪われた王国があった。長い年月、魔物に脅かされているのだ。呪いから解放されるには魔物に対抗できる英雄が必要だった。そんな時、異国からやって来たのがベオウルフ率いる部隊だった。ベオウルフは海の魔物を倒した武勇伝の持ち主で王の期待も大きかった。 敵は巨体で人間をいとも簡単に吹き飛ばしてしまうパワーの持ち主。その戦いの後、前王から王位を受け継ぐが、そこにいたるまでには裏があった。その鍵を握るのが、魔物の母親である。彼女は男を惑わす程の美貌に輝き、その魔力も絶大。ベオウルフは国を守ることができるだろうか…

<感想>
 実写に限りなく近いフルCG映像。CGだからこそ,なしえるキャラクターの柔軟性は、実写に近い映像だからこその迫力もある。魔物は数種類登場し、きめ細かい。
 魔物と言うと、人ではない 強力なパワーを持つ存在でもあるけれど、“魔物”は呼び名で一つのくくり。だから、人であっても“魔物”になりうる。 それは内面的なもの。 ある人物がベオウルフを“魔物”と呼ぶが、不自然ではなかった(前後の状況から考えて)。 魔力はどこにでもあるように思う。人が人を惑わせば、それも魔力。宝石など人を魅了する力もまたしかり。金色の魔物は確かに様々な方法で男を誘惑する。 その間にできた子供により、無責任な父親に災厄がもたらされる。人々の命を奪う魔物が悪とされがちだけど、実は100%そう言い切れるものではない。人々の死は、罪を犯した者によってもたらされても同じである。 そうして、王は自分のした罪の重さにようやく気付く。
 王国に呪いとして、魔物が襲ってくるのにも背景がある。それは、他の映画作品などでも語られる,人により滅ぼされた,人ではない生き物たちについて。自分たちと違うものを差別し、災いをもたらすと決め付ける,そして“その存在を”消滅させる。目の前の恐怖をぬぐいさる…。 人の偏ったものの見方が,後で困難として帰ってくる。英雄というものは簡単になれるものではない。前(『100BC』)にも触れたが、(全部に言えることではないが)主人公として登場する戦士は、始めは真の英雄ではない。数々の試練や失敗を経てこそだ。人は栄誉のために話を大きくしたり、事実を多少都合のいい形にしてしまうことがある。 人々から早く認められるために。『ベオウルフ』では、確かに前半での戦いで(主人公に)勇ましさがあるけれど、それ以上に最後の戦いに挑むさまが遥かにかっこよく、英雄の名にふさわしいものがある。
 過ちも犯すけれど、ベオウルフはもとより英雄の器を持っていたと思う。ただ、それが揺らぐことなく光り続けているが問題だったのだ。後半、ベオウルは過去の間違いを正し、罪を償うために命を捨てる覚悟で“過ち”と向き合い、戦う姿は英雄の器が真に輝いていたと言える。時には人と人との争い・戦いの意味を考え、人間らしい優しさを持っている。さらに印象的なのは前半での魔物との戦い。“相手とフェアに戦う”ということ。鎧や武器を持たない相手とフェアになるのにベオウルフは自分の身を守る道具を捨て、己の力だけで戦うという覚悟が心につよく残ったのである(ベオウルフの最期は、戦士としての名誉ある死と言える。)ラストは意味の深い、ちょっと謎の残る 濃い締めくくり。

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by jd69sparrow | 2008-08-15 22:03 | 映画タイトル は行