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フェイクシティ ある男のルール

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<イントロダクション>
 私達が平和に,また自由に暮らしていくために手を汚している人たちがいるという話に驚きを感じはするが、恐ろしくもあり,納得も出来るような気がする。 こういった人たちは正義と悪の原理のように辛い状況下にある。 ロス市警の内部とギャングたちの集うロスの闇の部分が描かれているのが本作である。 『トレーニングデイ』で見れるような陽の当たらない雰囲気を連想させれるという感想を持った。 それもそのはず、『トレーニングデイ』と『フェイクシティ~』は作り手という点でつながっているのだ。 例えるなら、デンゼル・ワシントン演じる先輩刑事アロンゾが トム・ラドロー刑事を取り巻く刑事仲間達、もしくはトムの上司・ジャックで、イーサン・フォーク演じるジェイクがトム(仕事の取り組み方としてアロンゾに近いかもしれないが)。
 主人公は自分の良心にという名のルールに従い、捜査をする。 そのために手荒くもなるし、彼には法はあまり重要ではないようである。 しかし、刑事として助けを必要としている人を救うという警察の責任を強く心に持っている。 彼の思いを裏切るかのように市民を守るべき警察という職場には腐敗した部分があった、主人公がそんな暗黒面と戦う物語である。

<あらすじ> 
 トム・ラドローはロス市警に勤める私服警官(刑事)。 捜査は誰の力を借りるわけでもなく一人で現場に突入し,常に自分の身を投げ出すかのごとく銃を放つ。 さらに情報を聞き出すことも,容疑者達を法の下に罰することなくひたすら撃つという彼のやり方に仲間達は良くは思っていなかった。 ラドローが荒いやり方でチームで取り組むべき捜査を乱そうとジャック・ワンダー警部だけはそんな彼に手を差し伸べ、その上尻拭いをすることを惜しまない。 なぜならワンダーにとってラドローは大事な部下であり,警察の戦力だからだ。
 ラドローは昔、ワシントンという相棒がいた。 今ではワシントンとは犬猿の仲だが,彼が命を落とした時 ラドローは彼の死を悼んだ。 かつての仲間を思う気持ちは今も直,ラドローの心の片隅で行き続けていたからである。
 ラドローはワシントンの死をきっかけにその事件の真相をつかみ,ワシントンの無念を晴らそうと捜査をすることに。 そこには信じられない、彼が信じてきたものが崩れ去れかねない衝撃的な事実が隠されていた。



<感想>
 主人公の中に正義が存在はするものの,この物語には正義と悪との境界線がつけがたいし、そもそも正義も悪もないように思える。 現実にしてもそれは難しいかもしれない。 しかし、あえて二極化するのなら主人公を除いて考えた時、善悪は逆転している。 リドローは信頼する上司や仲間の情報をもとに動き、働く。 先にも触れたが彼は裏切られるのだ。 本当に信じるべきもモノを失ったときに気づかされるのがなんとも皮肉で、真実を知ったリドローの苦悩がひしひしと伝わってくる。 容疑者たちを容赦なく銃で撃つという欠点があっても任務を越えたことや,悪には手を染めないし、仲間を思う気持ちは持っていた。 だからこそ真実が彼を苦しめたのだろう。 本当に良き人間が警官という職務を忘れた汚職警官によって命を奪われるのはリドローにとって屈辱であり,この上なく許しがたいことでその気持ちが伝わってくるところがとても印象深い。
 仕事中はウォッカを手放さず、また銃をためらないもなく撃つ…という堕ちた刑事という印象のリドロー(良い意味で言えば、ウォッカがリドローを仕事へと動かす動力なようなもので、自分への慰めだといえるだろう)。  地位が高くなれば、また,人々の前に出るような立ち場になれば,なるべく自分の手を汚したくはない,また汚い仕事はするわけにはいかない。 ゆえにそれを実行するための人材が必要となってくる。 それがリドローなのである。 現実にリドローのような立場の存在はあるのではないかと思う。 捜査を解決するための必要悪ののかもしれない。 けれど駒のように使われたリドローは報われない。 そして尻拭いをしてもらっていたはずのリドローだったが、結論的にはその逆だというのが苦い。
 この主人公の暗闇をうつす話なのだというのが『フェイクシティ~』の第一印象だが、そうではなかった。 確かに彼には常に影がさす。 物語が進むにつれ、だんだん じわじわと面白みが出てくる。 真実に次第に近づく主人公、その終着地点かと思いきや,その先があって覆される。 この逆転の展開さることながら,リドローの人物像とあまり語られこそしないが,今に至るまでの彼の背後にある過程がこの作品の魅力と言えよう。

by jd69sparrow | 2009-02-18 17:50 | 映画タイトル は行