クローズ ZERO2

d0058606_2312528.jpg
<イントロダクション>
 鈴蘭高校に鳳仙学園の二つの不良たちのが集う高校。  この二つの学校の争い・戦争が主軸である。 けれを戦国時代からしばらくの歴史に例えられなくはないだろうか。 “高校”は背景に過ぎない、というよりもそこへ通う学生の“城”という方がなんとなくスッキリするような気がする。 始めは国の中での争い、そして 敵国(外の国)との対決へ。
 2009年の大河ドラマ『天地人』。 二分した上杉家の家督争いに始まり,やがて北条などの諸外国との戦いへと発展していく。 上杉家内の争いがあって、二人の大名は和睦する。 この流れが『クローズ zero』のだ一作目の芹沢と滝谷との鈴蘭の頂上をかけた戦いを連想させる。 そして、家督を手にした上杉景勝は、敵国との戦へと目を向ける。 これが『クローズ zeroⅡ』をなんとなく思わせる。
 あくまでも素手での“ケンカ”にこだわり、本気で相手へぶつかっていく,カラス達。 今の世の中には中々見受けられない,熱い戦いは武士達が 己が信念を貫き,戦ったのと変わらないだろう。

<あらすじ>
 滝谷源治は、鈴蘭を束ねる芹沢多摩雄をくだし、頂上(てっぺん)の座を手にした。 とは言え、鈴蘭を一つにするにいはまだ遠い現実。 数年前、鈴蘭のトップにいた川西が鳳仙学園のトップに対して起こした事件があり,それから月日が経ち、少年院から出た川西を復讐を誓う鳳仙が待ち伏せ、追われた川西が行き着いたのは、多摩雄たち,芹沢軍団の溜まり場。 そこにふと現れた源治の鳳仙への一発で、長く守られてきた,沈黙の協定が破られ,再び鈴蘭と鳳仙との戦いが始まる。

<感想>
 人を殴り、蹴るなど 傷つけるという重みがまず伝わってくる。 武器を使ったのではわかることのないものである。 武器に頼るのは相手に対する恐れの表れで、“逃げの一手”。 ベース音のような鈍い音の響きが重みの存在感を示す。 それは実際、本当に殴る・蹴るをするという作り手のリアルな演出。 だからこそ、重みが伝わる。 銃やナイフじゃ、自分の体には何も伝わってこない。 だからこそ、“人の命の重さ”に対する考えが麻痺し、簡単に人の命を奪ってしまう。 “彼ら”は死を自分にも相手にも決して望んでいやしない。 人為的に人の死を奪わないのは当然だが、あるドラマにあったように、彼らは人を殴れば自分にも痛みが伝わることを知っている。 そこがやっぱり この物語に説得力をつけているのだ。 みんながみんな、それぞれ誇りや信念を持っている。
 戦いの発端はかつての鳳仙と鈴蘭のトップの間にあったもの。 それさえなければ、ここまでの戦いはない。互いが信念を持っていて,状況しだいでは仲間にもなりうる感じ。 仲良くすればいいにとも思うが、そういうわけにはいかない。
 現実を考えてみると、本音と拳でぶつかり合うなどあまりない時になり、そんな時代だからこそ、人は『クローズ zero』のような青春物語の中に,今ないものを見て ただ単純に楽しんだり、懐かしく思ったりするのだということには納得ができる。
 人の上に立つ事、人々をまとめるとはどういうことなのか。 それが主人公に与えられた課題であり,物語のテーマである。 勝負の時、源治の中の何かが大きく変わっていて、それはまさしく 鈴蘭のトップの器を現している。 だからこそ、多摩雄たちが立ち上がったのだと思う。
 アクションとしては、足技がすごい。 拳ならその重みがスクリーンにとどろくが、足はその人物が綺麗に映える。 高度にも思えるし、足技が一つ決まるとその人の強さがわかり、全体的にかっこいいと思うのだ。 
 人は大切な人を失い、その人の大切さに気づく。 そして、その人に教えられたことの深さも理解し、強くたくましく変われるのだと思う。
 ここに出てくる,みんなが強さと仲間や下で支える人たちを思う気持ちを持っている。 相手のことを思うこと、言いたいことを言ってぶつかり合うのはとても大切なことだけれど、中々できないのが今のご時世。 しかし、一人一人の気持ちしだいで世の中は変わる。 今、私達に足りないものがここにはある。 

d0058606_0172936.gif
←クリックをお願いします。
[PR]

by jd69sparrow | 2009-05-01 00:00 | 映画タイトル か行