GOEMON

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<イントロダクション>
 歴史という題材を作り手の解釈や理想で自由に作品化できる時代になった。 歴史は書物に語られる。 だけど、時代が経つと新たな事実が発見され、新説が生まれる。 だから、教科書で学ぶことが完全に正しいとは言えない。 だからこそ、もしかしらたこうだったんじゃないか,こんなふうだったらいいのにとか想像して物語を築き上げるのも良いのではないだろうか。 私達が今生きるこの場所を作った偉人達、彼らが生きた時代は現代にはないものがある。 それは魅力的なものがある。 もちろん、史実も知りたいけれど その時代の魅力を見たいというのも,現代人が求めることなのだろう。
 時代劇らしくするのもいい、だけど限られた“くくり”の中では限られたことしかできない。 だからその枠を破るのが斬新で面白いのかもしれない。 フィクションも交えつつ,エンタテインメントとしての安土桃山時代がここにある。

<あらすじ>
 安土桃山時代。 天下統一を果たした信長は、まもなくして家臣・明智光秀の謀反により、本能寺にてその生涯に幕を閉じる。 次に力を得た豊臣秀吉は新政権を始めるが貧富の差が極端になるばかりだった。
 天下の大泥棒と称する,石川五右衛門は富豪から金銀財宝を奪い取り、貧しい者達へ分け与える民衆のヒーローだった。 そんな五右衛門が盗んだものの中には南蛮風の箱があった。 それは五右衛門の運命を大きく変える“パンドラの箱”だった。 やがて、彼は戦の渦へ巻き込まれ、“災い”と向き合う。

<感想>
 石川五右衛門は自由を愛する義賊。 財宝をいとも簡単に奪い取ったかと思うと民衆のためにその多くを使ってしまう。 贅沢三昧な暮らしより、時に自分への褒美も与えつつ、一日一日を生きるという前向きな人間である。 明るいキャラクターなだけに、また泥棒ということで富豪や悪い輩から次々と財宝を奪う「ルパン三世」のような、コメディ色のの濃い話かと思いきや、実は石川五右衛門の運命を,その人間味あふれるキャラクターの魅力で語るシリアスな部分が多い作品なのだ。
 石川五右衛門が大泥棒というのはよく知られているけれど、“忍”という説はここで始めて知った。 映画『GOEMON』では少年時代から本能寺の変まで忍として信長のもとで鍛えられたとある。 信長亡き後、五右衛門は賊の道を選ぶのだ。 確かに財宝を盗るという稼業に忍術は活かされていることだろう。 その力あってこそ、簡単に“仕事”をやってのけるのだと思うし、うなずける。 忍であったという記述も存在する。 だから始め、この設定に驚いたけど納得が出来るのである。
 五右衛門が一度手にした箱を“パンドラの箱”としたのは、それがこの物語を起動させるスイッチであり、鍵であり、そして物語全体を表しているからであろう。 不思議な箱を開けた五右衛門には彼の運命を変える災いが襲うことになり、いわば『GOEMON』とは、五右衛門が意図せず,自らの手で呼び寄せてしまった災いと戦う話なのである。
 一見、空の南蛮風のその箱は、後に確固たる事実を示す、証拠となるわけだけど “パンドラの箱”のように本当に見えない災いが入っていたのかもしれない。 
 一人一人、人間性とそれぞれが抱える思いがあって、人物描写が鮮明に見えてくる。 信長と秀吉とは違うけれど、秀吉の方がメインとして出てくるせいか、秀吉の方が暴君に見える。 さりげなく、あの浅井長政のものと思われるしゃれこうべの杯が出てきはするものの,それを越えるものが出てくるからだ。
 「天下統一の欲に取りつかれた者たちが、戦を止め、平和な世を作るというが未だ果たされていない…犠牲になるのは 我々国民だ」という感じの言葉がある。 これはそのまま現代社会の日本を思わせるような気がするのは、私だけだろうか。 代わる代わると国のトップが交代するが何か一つを成し遂げた人はここ数年,誰一人いない。
 前半、大泥棒としての五右衛門が描かれ、大半が戦士のようで最終的には忍という感じ。 泥棒の顔と忍の顔。二つの顔は正反対。 自由人から復讐鬼、そして真の忍へと変化していったとも言える。
 冒頭のシーン、霧隠才蔵との一騎打ち、そして信長の影を残し,一騎で戦場へ突っ込んだクライマックス…どれをとってもスピード感にあふれ、クールでワイルドな魅力がある。 本当にジェットコースターのようだ。 楽しい時間があっという間に過ぎていく。
 絵になる場面ばかりだ。 忍どうしの一騎打ちで勝敗が分かれるであろう,最後の瞬間が最高に目をひきつける。
 五右衛門と才蔵は旧知の仲でありながらも、別の道を選んだがために敵どうしだけれど、どこかでちゃんと理解している部分があって、また,絆は決して絶たれてはいなかったことに感動。 才蔵は常にクールだけれど、感情的になる部分にその人間性と魅力を感じた。 
 大事な人を失ったとき、自分に欠けていた大切なことに気づかされる。 五右衛門は「パンドラの箱を開けたとき,イブが一つだけ取り出さなかったものがある、それが自分に欠けていたものだ」と言う。 それがなんだったのか、いろいろと想像できるが、これだとは断言はできない。 というかむしろ、言葉に表すおりもそれは感じているもおのなだろう。
 その“何か”が五右衛門を最終的に復讐の思いから彼を救い、一つの使命,つまり大切なことを伝え、託すために動かしたのだ。
 かつて、信長の下についていた者たちが信長の鎧と兜を身にまとった五右衛門を信長と思ったのは、その鎧だけのせいではないと思う。 暴君とは違う,人間としての魅力のあった信長の遺志を背負い、受け継いだ真の家臣の姿。 まるで、信長の魂がそこにあるかのよう。 友の死、大切な人の存在があって,彼は学び そこに至ったのだろう。
 フィクションだけど、もし 五右衛門が信長の忍だとしたら すごいなぁとか、ここでは語られるこおtが事実だたらしいのにと思うことが多々ある。逆なこともあるけれど。
 復讐は何も生まないし、自分が望むものなど手に入れはしない。 大切なのは己の意志を伝えること。 悲しいようで幸せな最期といえよう。 多くの人物が使命を果たし、後悔の色を見せない。

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by jd69sparrow | 2009-05-14 11:42 | 映画タイトル か行