2006年 12月 16日 ( 1 )

ビフォア・サンライズ

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 二人の登場人物たちが語り合い,会話をひたすら気の赴くままに続ける。 「ビフォア~」シリーズ前編,「ビフォア・サンライズ」。 それに続くのが「ビフォア・サンセット」で前編・後編とで対照的なものを指している。 前編となる「サンライズ」では。まだ主人公の二人がお互いを知らないところから始まる。 主要な人物は二人の男女なので見る場所が分散したり、大勢いる登場人物たちの間を行ったり来たりして見るわけでもなく、「この人がこうで…」と考えることもなく,その二人だけに焦点を定めることができる。
 ヨーロッパの地を走る列車の中,静かな車内。 その中で声をあげようものならこのうえなく響く。 静寂を乱す音から遠ざかるかのようにセリーヌは席を移す。 彼女の席から通路をはさんだ向こう側には静かに一人,本を読む男が座っていた。 ふと二人は会話を始める。
 ジェシーとセリーヌはアメリカとフランスと,二人の住む国と国との間には距離があった、そして行き先も目的もそれぞれ違う。 偶然同じ列車の同じ車両に乗り合わせたという接点しかないのであった。 しかし見ず知らずの二人は物事への価値観があうということに気づく。 そうして二人は意気投合し、共に冒険を始め,語り始めた。
 今まで接点がなく,偶然に偶然が重なることで出会ったふたり、初対面でここまで物を見る目が同じであるということはあるだろうか。 実際あるかもしれない。 人と人は会うべくして出会う、現在や過去では想像できなかったことがどんどんと現象として起こりゆく今の社会のように、線と線とがこうして交差することがあるに違いない。 決してかかわりを持つことがないと思われたとしても会うときは会うのだ、それが彼らに定められたものならば。 価値観がシンまでマッチして楽しい事も悲しい事も分かち合えるとしたらこの上なく素敵なこと。
 知らないものどうしが知り合いとなりその距離を狭めるのには時間は関係ないと思う。 限られた“時”の中でどう過ごすかが大切だ。 そんな二人はお互いにもっと知り合いたいという気持ちをよせるものを相手の中にみる。 二人が話す事柄は自分のこと、経験から思うことなど幅広いものである。 会話がはずむことで自分と相手とで意見や価値観などを共有し、今までに得たことからのあれこれを交換し合ったりと素直に楽しむことができたら最高なことといえるだろう。
 ジェシーとセリーヌの会話は背後にある光景が次々と移り行く中で進んでいく。 二人は旅の途中その土地で暮らす様々な人とたちと出会い、様々な場所を見、お互いの話をふくらまsんがら、見て触れるものにつても話題を開花させていく。 この映画は主人公の二人が見る世界観を見つつ旅路,旅路の中で彼らが訪れる場所,今回はウィーンという地を見て楽しむことができる。 ジェシーとセリーヌの後ろに広がる世界は流れるように移り変わる。 主人公たちが会話をし、背景を見るだけでも楽しいし、加えて旅路、むしろ彼らから見れば冒険は楽しいものであり、コストはかかってもそのぶんだけの価値のあるものが形となって表れる。 とても充実している。 彼らが冒険で経験する一つ一つが素敵に思えるのだ。 ゆえにこんなに冒険が会話を交えつつできたとしたらどんなに素晴らしいことだろう。 例えそれが限られたわずかな時間でのことであったとしても価値の高さは変わらない、いや,むしろ限られているだけに彼らの経験は彼らにとって貴重で宝といってもいいかもしれない。 旅での思い出は宝である。 短かったとしてもその中にはその時間以上の長さのものがつまっている。 人生の中でのわずかな一点だったとしてもその人の心に刻まれ,保ちつづけるのだと思う。 人にとって心を変える手がかりにさえなることだろう。
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by jd69sparrow | 2006-12-16 22:22 | 映画タイトル は行