2009年 03月 12日 ( 1 )

ヤッターマン

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<イントロダクション>
 パラレルワールドと現実との中間くらいの感じ。 でも、ちゃんど映画の中の世界は生きている。 漫画を実写化し、その背景は漫画のように繊細だがとてもリアルで、その中に人がいても全く違和感がない。 生々しい感じが監督のカラーなのだと思った。 この世界観が好きで、子供から大人までに愛されるアニメがどうなるのかが気になり,映画を見るに至った。 子供だましではなく、世代関係なく楽しめる映画。
 三悪対ヒーローの,ヒーローものアニメの王道をゆく作品でありながらも,エンタテインメントとして見られるのはアニメそのままのイメージにあった配役と作り手が細部までこだわりぬいたからだと思う。

<あらすじ>
 玩具店の息子・ガンちゃんと電器屋の娘・アイちゃんは,泥棒をし悪事を働くドロンボー一味といつも戦っていた。 ドロンジョ、ボヤッキー、トンズラーの三人組からなるドロンボー一味は泥棒の神と名乗る,ドクロベエの出す指令に毎回従い,どくろストーンを追っている。 それを阻むヤッターマンに対抗すべく、インチキ商売をやって稼いだお金でロボを作り,ヤッターマンとそのロボ・ヤッターワンと対決するのだ。 ドクロベエからお仕置きをくらわないために。
 ガンちゃんとアイちゃんは海江田博士の娘・翔子に頼まれ,どくろストーンを探しに行ったきり戻ってこない,父親を探して欲しいという依頼を受ける。 
 どくろストーンを巡り,その行く先々でヤッターマンとドロンボーとの闘いが繰り広げられる。

<感想>
 ヤッターマンの変身場面や戦闘場面のかっこ良さや、勝利のダンスも楽しいのだが どちらかというとドロンボー一味に注目をしてしまう。 ボヤッキーとトンズラーというキャラクターの濃い二人に,この人をおいて他はいないのではないかと思えるほどイメージのあう配役されているからだろう。 作り手の言葉にもあるように見た目だけではなく,中身あっての面白さが魅力的だ。 ドロンジョを含め,彼らの行動はパターン化されているのに飽きさせない。 メカを作る前に何かしら商売を始める。 それに関連付けられたメカが次に作られる。 だから毎回,彼らがどんな商売をし、どんなメカを作るのかという楽しみができる。 
 印象深いのはヤッターマンに敗れて,荒野を三輪車で走るところと、三人が歌う“天才ドロンボー”の場面だ。元となるアニメは知らないのに前者の場面が「ヤッターマンと言えば」で思い出されるというか、『ヤッターマン』らしい場面に思えるのだ。 “天才ドロンボー”の歌も『ヤッターマン』における名物場面という感じがする。 そんなドロンボーという三悪に愛着がわくのもこの作品の魅力の一つ。 ドロンジョはドクロベエに忠実で、ボヤッキーはドロンジョに一途(?)で、トンズラーは情に厚い。 三人ともドクロベエからの指令がなければ、マジメに生きていたかもしれない。 というか、(プログラムにもあるが)彼らはドクロベエに逆らわず,せっせと仕事をこなしている時点でマジメなのである。
 一方、ヤッターマンの印象に残るところとしては一号が最後のほうで二号に語るところである。 「正義とは守るだけじゃない」という。 これは翔子一人の戦いの場面でのもの。 つまり、親の子供への愛情のように 手助けすることばかりではなく、子供が頑張る様子を見守ることも愛情だというのと同じことだ。 超えるべき試練のために“勇気”を出す。 結果、翔子は“勇気”を一つ,学ぶわけである。
 ピクサー作品のような楽しみ(過去の関連作品を思い起こさせるもの)があったり、何故か現実にあるモノの名前をもじってあったりと,物語だけでなく 映像に映ってるもの隅々まで見逃せない。 
 現実にないものがリアルに見える、また,これも言葉を借りるが“毒っぽさ”があるのも作品の面白いところだと思う。 

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by jd69sparrow | 2009-03-12 11:28 | 映画タイトル や行