カテゴリ:映画タイトル さ行( 74 )

ジョン・カーター

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by jd69sparrow | 2012-04-14 19:56 | 映画タイトル さ行

シャーロック・ホームズ: シャドー・ゲーム

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【あらすじ】
 ワトソン医師が挙式を明日にひかえた頃、既にホームズはジェームズ・モリアーティ教授を追っていた。 独身最後のワトソンのパーティさえも そのための手がかりに過ぎなかった。 世界各地で起こる謎多き連続殺人事件は証拠が残らずとも その黒幕がモリアーティであることを掴んでいたホームズ。 花婿介添人という大役を任されても頭の中は 事件のことでいっぱい。 結婚式を無事終えたワトソン夫妻をまたしても 事件に巻き込んでしまうのだった。 一度は解消した名コンビの復活。 実の兄、マイクロフトの手をかりながら,途中事件の鍵を握るジプシー,シムも仲間に加え,最大のライバルとも言うべき,モリアーティと闘う。

【感想】
 ※ネタバレ部分があるので ご注意を!

 花嫁を列車から川へ突き落とされても,その当人・ホームズを ほっとけないワトソンの相棒への愛情深さが印象づけられるところから物語は本格的に始動していく。 ホームズの奇抜な行動にはいつも意味があり,強い絆で結ばれた天才に信頼があるのがよくわかる。 頭脳明晰で格闘術にも長けたホームズを元・軍人として援護する姿は 実にかっこいい。 それが見せ付けられる場面の一つと言えるのが ホームズが一度モリアーティに捕まる場面。 モリアーティにも 同じく軍出身の銃の名手が手下がおり,ワトソンと一騎打ちとなるのである。 医師というイメージとはギャップのある元・兵士としてのワトソンに魅せられる人も少なくないはず。 銃一つとっても時代の変化が見え、ワトソンの持つモノも時代遅れと言われ、果たして勝ち目があるのか…と思いきやの 敵さえも 「反則だ・・・」と肩を落とす,ワトソンの反撃は コメディにも見えるが カッコいい。
 推理コメディアクションというべきだろうか。 その中に隠れ要素としてラブコメ的なものがある。 推理モノとしての 驚きの展開があって ホームズがコメディを体現しているところもあるからである。 ラブコメ…これは解説を読んで 「そう言われてみれば」と感じたことなのだが、ホームズとワトソンとの関係だ。 男同士のコンビとしての兄弟愛、その奥にはそれ以上のものが見えるのだ。 コメディの体現としてあげられるのが ホームズお得意の変装なのだが その一つ,ワトソンの新婚旅行中の際に乱入してきたホームズの女装…これに関しては ロバートのアイディアであり,その理由が 二人の 新密度を裏付けている。 これも解説者の指摘にあるのだが 挙式場面の ホームズの寂しげの表情は 可愛いものがある。 推理モノとして 結論が出てから それを踏まえて 改めて観るのも楽しいし、そういう名コンビ愛という面で もう一度・・・というのも 楽しいかもしれない。 ワトソンが列車に最初乗り込む時点で ホームズがちゃんと影をちらつかせているのが 面白いので注目。 
 物語の奥には一度見ただけではわからない、事件の謎の鍵やホームズがモリアーティの意表をつく一手を打っている場面があると思われるのだが その中には 物語の裏側にあり 観てもわからないであろうところもあるように思う。 それが 結論で初めて語られるにしても 二度目に観る時のは 見る視点が変わり,やっぱり面白いのではないかと思う。
 天才がいつも奇人であるかどうかわからないが、ホームズの奇人っぷりは とても魅力的である。 そうであるがゆえに ワトソンもホームズを ほっとけないし、ついていくのだろう。 奇人だけど、天才的推理力に格闘技にも強い。 きわめつけに 一見、滑稽に思えることにも必ず狙いや意味があり,結果につながるのだから。
 話は戻るがコメディとして 外せないのが ホームズが考案したという,迷彩服。 現在の軍の兵士が切るようなものではなく、忍者が身を隠すのに使うアレと同じ(現在の迷彩服もそういう意味はあるかもしれないが それ以上である)まわりの風景と一体化,溶け込むためのものだ。  それは 海底に泳ぐ 魚が砂の中からいきなり ぱっと現れてみせると同じくらい 突然である。 これは 一番オイシイところで 再度使われているので最後までお見逃しなく! 1世紀以上前のホームズが開発した迷彩服は 面白い。 何故なら 上下がつながったパジャマに見えるからであり,それが 似合うこと!! そんな道化的にも振舞うホームズだけど 事件を追う時,社交の場に出ると 立派な英国紳士となるのだから そのギャップにハマるファンも多いはず。 “落ちぶれた”と指摘される場面もあるけれど そう見せかけているだけかもしれない。 一種の趣味なのかも? その場面とは 冒頭にあたるのだが ホームズはセンスがあるのかないのか…どちらにしても奇抜で面白い。
 物語はモリアーティとの直接対決で終止符を打つわけだが シリーズとしては まだまだ期待できそうである。 最後の最後でホームズがとる行動は ワクワクさせるものがある。 最後に ひと笑い、だ。 ワトソンもそれにすぐに感づくのだから 流石である。
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by jd69sparrow | 2012-03-11 21:27 | 映画タイトル さ行

三銃士(2011)

2011.10.28.Fri.

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【あらすじ】 
 17世紀のフランス。 若きルイ13世がフランス王位を受け継いだ。 幼く無知な彼の背後では 玉座を狙うもの、大切なものを奪おうとする者など 影が忍び寄っていた。 
 アトス、アラミス、ポトスの三人はかつて“三銃士”としてフランスという国に忠誠を誓い,極秘任務を遂行していた。 ミッションにはアトスの恋人・ミレディも加わっていたが,目的にたどり着いた瞬間,三人を裏切り,イギリスのバッキンガム公爵に願えるのだった。 以来、三人はすっかり落ちこぼれてしまう。
 それから数年の月日が過ぎ、ガスコーニュから都会へと足を運んだ一人の青年が現れた。 彼の名はダルタニアン。 銃士になる夢をかかえ,田舎からやってきた彼だったが,その道中でいきなり,フランスの宰相・リシュリューの腹心,ロシュフォールを敵に回し,街に着くなり,偶然にも三銃士たち一人一人に出会い、決闘を申し込むのだった。
 ミレディはイギリスとフランスの二重スパイで,リシュリューともつながっている彼女は、フランス国王を欺くために アンヌ王妃の首飾りを盗み出す。 その一大事に気づいた,アンヌと彼女の侍女・コンスタンスはダルタニアンに盗まれ,バッキンガム公爵のもとへ渡った,首飾りの奪還を依頼する。 ダルタニアンは三銃士の協力を得て,敵地へと旅立つのだった。


【感想】
 『三銃士』はもともと,ダルタニアンを主軸にした物語の一部。 これまで何度も映像化された本作だが,この原作の設定どおりの18歳のダルタニアンと同じ年齢の役者が演じるまでに、実に百年を要したというのだから驚きである。 と、同時に原作を知る人でなければ,ダルタニアンの設定はおろか,『三銃士』が“ダルタニアン物語”のごく一部だということを初めて知るという人も少なくないのではないだろうか。 少なくとも私はそうである。 なぜ、長い成長物語の中でも,三銃士が登場する今回のエピソードがとりわけ注目されるのか。 あくまで個人的な推測だが,すべては「All for one,one for all(皆は一人のために,一人は皆のために)」という有名な名台詞にあるスピリットだと思う。 今の時代、ベストなタイミングで新しい『三銃士』が登場したと言えるだろう。
 『三銃士』の登場は,『仮面の男』でも観られる。 この作品でスポットがあたるのは,ルイ14世。 アトス、洗ミス、ポトスは三銃士を引退して,しばらくの年月を経ている。 ダルタニアンも青年から素敵な叔父様となり,ルイ14世に仕える身となって登場。 しかし、話の設定はおおもとの話と類似している点もいくつかある。 例えば、一度は国に仕える職務から離れた,三銃士が再結成し,王のために戦うところなど。 形を変えても,三銃士の影響力というのは大きいのだ。

 美しき二重スパイ・ミレディやイギリスの策士・バッキンガム公爵に注目されがちだが、やはり三銃士の叔父様たちにも注目していただきたい。 一度は愛に裏切られるも,愛を大切にするリーダー・アトス、身軽さが武器のアラミス、パワータイプのポトス。 印象的な場面は多々あるけれど、その中でも特に印象的なのは 冒頭の初登場シーンと飛行船での不意打ちの場面。 その登場シーンはそれぞれ全く違う味が出ており,三人ともが意外な登場な仕方をする。 それは上・中・下…言いかえれば、空・陸・海に分かれる。 地球をつかさどる三つの自然を現すのは偶然なのか。 しかし、彼ら三人が人が生きていくうえで大切な三つの象徴となることは間違いはなさそうだ。 アトスは、欧米版・“必殺仕事人”というべきか,それとも”忍び”というべきか。 敵に息をつく間を与えない。 アラミスは三人の中では最もミステリアスな登場。 まるで『GOEMON』に登場する石川五右衛門を思わせる。 神への言葉を唱えた後の任務遂行の速さは天下一品。 フードというアイテムの凄さを実感した。 最後にポトス。 原作では三人の中で最も頭脳が劣っているとあるようだが、2011年版の本作だと 敵にわざと捕まり、彼らを欺く頭脳派な一面を持ち合わせており,パワータイプと言って,多くの人が考えるであろうイメージを覆すギャップが魅力的である。
 もうひとつ。 飛行船での不意打ち場面。 ダルタニアンが見事,バッキンガムを欺く名場面だ。 バッキンガムだけでなく、観ている側もが彼ら四人に欺かれることだろう。 ダ・ヴィンチの飛行船に乗った,三銃士たちは公爵に総攻撃する。 その際、アラミスがいくつにも連なった飛行船の銃の背後で素早く動き,連続的に銃を撃ち込み,そしてとどめをさすように,アトスが船に備え付けられたバズーカ的なものの,取っ手をクルクル回すと同時に炎を噴射させるところがたまらなく,カッコいい(アラミス、アトス両者が)! このシーンにおいては、公爵にも注目していただきたい。 敵だとはいえ、憎めない…と言うより可愛い。 爆風にのまれた公爵は敵であって敵ではないように見えるのだ。
 
 監督の「SFのような未来物も一種の時代劇である」という言葉にはとても奥深いものがある。 『バイオハザード』という、未来モノから,その遥か昔の時代を描くという難しさを問われた時の発言なのだが、映画・ドラマの概念を覆す言葉でもあり,大いに説得力があると言える。 そして『バイオ』で発揮されたようなスタイリッシュ且つダイナミックなアクション+3Dが過去を遡る時代劇には持ってこいだという指摘には驚かされると同時に共感をえる。
 
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by jd69sparrow | 2012-01-19 23:27 | 映画タイトル さ行

スパイキッズ 4D ワールドタイム・ミッション

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<あらすじ>
 マリッサ・コルテスはスパイ組織OSSに所属する有能なスパイで同じくOSSのスパイ,グレゴリオ・コルテスの妹。そして、かつてスパイキッズとして活躍した,カルメンとジュニの叔母でもあった。 しかし、ウィルバーと出会い,子供を授かり,スパイを引退した。 彼女が最後に捕まえたのはチック・タックという名の犯罪者だった。 それから一年。 マリッサとその家族に危機が訪れる。 彼女の義理の子供・セシルとレベッカは双子の姉弟。 その二人を含め,タイム・キーパーという時間を奪う,テロリストに狙われることに。 その部下で右腕なのが,一年前に逮捕したはずのチック・タックだった。 タイム・キーパーの狙いは自分たち以外の時間を早め,過去へタイムスリップすること。 タイムスリップするための鍵がアルマゲドンという装置だが,それを止められるのは クロノスサファイアという宝石唯一つであり,これを持つのがレベッカであり,タイムキーパーが彼らを狙う理由だ。
 レベッカとセシルは義理の母親がスパイであることを知り,OSSにくることで新世代のスパイキッズとなる。 そして、タイムキーパーと立ち向かう。

<感想>
 今回は3Dにもう一つ1Dがプラスされた4D映画という新たな境地にたった。 この新たに加わった1Dはアロマ・スコープ、つまり “匂い”である。 先着ということで制限は設けられているが,劇場で手に入るカードにこめられた,全は8種類の匂いを特定のシーンで楽しみ,映画の世界に入る疑似体験が出来る,画期的なシステムだ。 画面に表示される番号の箇所をこすって,香りを楽しむのである。 まるで映画の中に入ったかのような感覚だ。 映画は着実に体感型という新世界に近づきつつある。
 子供から大人まで楽しめる映画だが、その主なターゲットは子供。 名前からストーリー展開まで とてもわかりやすくまとめられている。 そして何より。 シリーズを通して言える魅力は やんちゃ盛りの子供たちがヒーローとなってクールに,時に面白く悪と立ち向かっていくところだ。 子供たちが身近に感じられ,憧れるヒーローだ。
 かつてのスパイキッズが大人になって登場することで表現されているように、今回のテーマは“時間”であるという。 今回の敵であるタイムキーパーは 共感できる悪である(過去のシリーズにも言えることかもしれないが)。 誰もが 抱くであろう,過去の修正。 つまり、過去を取り戻し,不幸を幸せへと変えたいという思いである。 しかし、タイムスリップもので言えることは どんなに歴史を変えようともがいても 人に時を変えることは出来ないということ。 過去を公開しないためにも,今を大事にするのが大切だ。 それを教えるのが スパイキッズというところにも注目。 彼らの口で語らせるということは、不思議と説得力がある。
 “子供と一緒にいられる,遊べる時間はあまりに短い”。 その事実は大人にとてもグッとくる言葉だ。 子供はあっという間に大人となり,親の元から巣立っていく。 タイミングを逃してしまうと、逃してしまう,子供とのひととき。 時間を作るべく,仕事に取り組むのではなく、少しでも多く時間を作らなければならない。 とても難しいけれど、子供との時間というのもは、きっとそういうものなのだろう。 限られた時間の中で いかに時間を作るか。 出来る時にしなければ、手遅れになるのだ。
 
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by jd69sparrow | 2012-01-12 21:39 | 映画タイトル さ行

ソルト

2011.3.8.Tue.

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<あらすじ>
 イブリン・ソルト。  CIAとして活躍する彼女は海外での任務中に悪夢を体験するが、マイクによって救われ幸せな生活を手にする。 しかし、それも束の間に過ぎず、ソルトの勤める会社に突如として現れたロシアからの亡命者により、彼女の運命は大きく変わり,愛する人にも危険が迫るのだった。
 亡命者の名はオルグ。 彼はソルトが二重スパイであることを証言した、そこで危機感を覚えたソルトは マイクを救うために CIAの包囲網を強行突破し、逃亡をはかる。 ソルトはオルグと彼から殺人部隊として育てられた弟子たちによる恐ろしい計画を追うのである。 謎多きソルトを探り、何者なのかを紐解く,スパイアクション映画である。

<感想>
 女性版ジェイソン・ボーンというのがこの映画に対する第一印象である。 言い換えるなら、『ボーン』シリーズのアンジー版だ。 個人的見解だが、アンジーはアクションヒロインの開拓者だ。 『トゥームレイダー』でアクション女優としての地位をものにした,アンジーは同じアクションではあるが、新たなテイストのアクションをこの映画で切り開いた。 スパイアクション。 アクション映画界では、珍しくないジャンルだけれど 女性が主人公でというのは、少なくとも自分が見た作品の中にはない。 実際、中々ないと思う。 『ソルト』、『ツーリスト』とミステリアスなキャラクターが続いた。 しかし、何故 ミステリアスな人物像に人は惹かれるのだろう。 「見えない部分(ミステリアス)がある人というのは、魅力的」と『ツーリスト』の際も誰かが言っていた。 まさにその通りで 隠し事ではなく,“謎”があると 人を美しく見せるなどの魅力的にするのだ。 
 主人公ソルトは常に追われる立場にあり、彼女は終始切羽詰った空気の中にいる。 クールということよりも生身の人間らしさを感じるキャラクターだと言える。 
 物語を追う最中、中々 ソルトの狙いと素が見えてこない。 そして物語はとても入り組んでおり、ひとクセもふたクセもある予想不可能な展開である。 ゆえにそのラストはとても想像しえないものになっている。 ラストで思うのは、話にまだ続きがあるのかどうかということだ。 目的,ソルトが自らに課した任務を遂行するプロセスの途中でのエンディングは あまりに斬新的すぎる。 もしこのままで幕が閉じるのだとしたらだが。 目的が遂げられるエンディングでないことが逆に色々と想像できるため,良いのかもしれないしl、続きがあれば 期待が出来る。 
 印象に残る場面は数多くあるけれど オルグからの指令を受けたソルトのかつての同士が残した言葉が考えさせるものがあり印象深かった。  ソルトが彼に「あなたが何をするかを聞いてない」と問いかけると、返ってきた言葉は「帰る」と言う言葉だった。 それは当然その言葉の通りの意味ではなく、意味深いものだ。  彼はオルグの意を最後まで純粋に全うする,オルグの育てた部隊の中で(ソルトを除いて)、唯一人間らしい感情持った人間に私の目には映った。 
 イーサン・ハントのような巧みな技(変装など)を駆使しながら、ジェイソン・ボーンのように戦う。 ボーンについては、孤独であること、ある機関により鍛え上げられたスペシャリストという点でも共通している。 そして、その姿は 『ウルトラ・ヴァイオレット』のようにも見えた。 これまでのスパイアクションのヒーローたちの“いいとこどり”をしたのがイブリン・ソルトというキャラクターなのだと言っても過言ではない。 ダークな部分が多いソルトだけれど、時折人間味が垣間見える。 そんな新たなダークヒロインの活躍する,この物語は面白い。
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by jd69sparrow | 2011-10-16 00:00 | 映画タイトル さ行

シュレック フォーエバー

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<あらすじ>


<感想>
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by jd69sparrow | 2010-12-21 17:09 | 映画タイトル さ行

SPACE BATTLE SHIP ヤマト。

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<あらすじ>
 近未来。 地球は滅びようとしていた。 かつての美しい“青い地球”の姿はそこにはなかった。 すっかり青と緑が失われ、見渡す限り乾燥しきっている。 宇宙からの侵略者・ガミラスの放った放射能の影響により、人類の多くは命を失い、ごくわずかな人々が地球の地下へと移り住み,その日を凌いでいる状態だ。 地球防衛軍はこの危機に瀕した事態から脱するため、ある一つの希望にかけた。 それは遠くはなれた銀河系,イスカンダルからの申し出にあった。 彼らは地球へ「放射能除去装置」を提供するというメッセージを送ってきた。 そして地球防衛軍は、その装置を手に入れるために「戦艦ヤマト」の発進を決意し、乗組員を募集。 そこにやってきた一人にかつて防衛軍にいた,古代進である。 戦闘班・班長を任された古代は,ヤマトを通じてかつての仲間達,部下たちに再会。 ガミラスの脅威を,気配を感じつつも 沖田艦長が舵をとるヤマトが銀河へ向けて発進した。

<感想>
 個人的に30年以上の月日を経て,新しく生まれ変わった実写版『宇宙戦艦ヤマト』の魅力を三つ挙げると、「波動砲」、「ヤマト発進」、「戦闘シーン」である。 特別と感じるのは前者二つ。 ハリウッドの名だたるSF映画の後に観ると戦闘シーン、つまりは小型戦闘機による宇宙バトルは そう真新しいものではない。 しかし、『スターウォーズ』を絵や音により思い出させられることあって、懐かしい気分にはなった。 ちなみにワープ場面に関してもクオリティが高いのは確かなのだが“ライトスピード”だったかな? このワープも既に過去の映画で実現されているので、ここではあえて触れないことにする。
 「波動砲」。 これは戦艦ヤマトの切り札だ。 この威力の素晴らしさを観ると、「日本映画もここまできたか!」と実感する。 話は前後するけど、ヤマトが地上から初めて発進する場面もかなりの迫力。 CGやVFXがハリウッドに追いついたんだなぁと思う。 要塞と思いきや、地上から出てきたのは戦艦だったのか!…と、インパクト大。
 戦艦ヤマトが一つの会社で、乗組員がその組織だとしたら最高の職場だと私は思う。 古代はまるで新参者のように戦艦ヤマトの乗組員としてやって来て、最初のうちは みんなよそよそしい。 斉藤でさえも。 しかし、ただ一人,最初から古代を受け入れたのが 島だった。 彼は古代の幼馴染で戦友。 大げさかもしれないが島から語られる,二人の武勇伝はまるで『ALWAYS 三丁目の夕日』で子供達が漫画雑誌の冒険物語を思い描くシーンのように温かいものがあり、ほっこり感がある。 彼らの絆の秘密がちらっとだけど垣間見れる事が出来る。古代の知られざる過去を語る重要な役割を担うのも島だということに,凄く意味深いものを感じる。
 島とは逆にあったのが、真田である。 彼はいわばテクニシャン。 科学に長ける,古代の兄貴分。 真田は古代に最初冷たいのだけれど、気づけば頼れる兄貴になっている。 今までツンケンしてた相手から、いきなりの温かい言葉。 家族のいない古代にかける,さり気ない言葉は この映画の名言と言ってもいいだろう。 「俺はお前の事を弟のように思っていたぞ」という言葉だ。 こんなこと言われたら,ほろほろと泣けてしまう。 あくまで推測だが、ここが古代が「自分は一人ではない、(血がつながっていないけど)家族がこんなにもいたのだ」と実感する場面なのではないかと思う。 ヤマトの乗組員全員が、古代進にとっての家族なのだと。
 身内の不幸で辞めて現役から退き、また復活。 しかし、その過去語らず…という話の成り立ちは そう珍しくはないのだが、この古代という人物の熱さを目にすると、なんだか特別なものに感じるのは何故だろう。 彼がヤマトに乗った理由。 それが熱かった。 一つは、地球を救いたい気持ち。 そして、「ゆきかぜ」の艦長でたった一人の兄・守を見殺しにした,沖田艦長がいかなる人物かを確かめるのが最初の目的なのだ。 ここがまさに違うと思った。 そして、ちょっと「くさいな」と思いつつも、いいと思ったのが 古代がヤマトに尽くす、新たな目的が追加された事。 森雪にかつての美しい地球を見せるため、だそう。 ここに古代の成長の跡が見られる。 こうして、目的さえも進化・成長するところも見所と言ってもいいかもしれない。
 この古代が防衛軍に復帰した最初の理由が語られる場面。 沖田艦長の印象もこのわずかの合間で変化する。 主人公に感情移入した観る者としては、古代が言うように「何故、古代守を見殺しにして、沖田はノコノコと帰ってきたのか」とこの段階では凄く共感している。 しかし、沖田艦長の「生きて帰るという仕事もある」という言葉に一気にひっくり返される。 この艦長、ただものでないと。 偉大なる艦長なのだと。 口数が少ないけれど、いつも的確で人には見せないけれど内面には熱いものがある。 そう思える人物だ。 嘘までついて乗組員をはじめとする生き残った人たちに希望を持たせようという優しさが語られるくだりが とても印象に残った。
 そう珍しくはない。 だが、印象深い場面がある。 それは終盤の斉藤と真田の勇敢なる戦いだ。 真田がガミラスの中枢へ爆弾をセットし、その間をもたせるために斉藤が盾となるところである。 まず最初にその中枢を手前にしてのやりとりに注目した。 古代、森雪、真田、斉藤の四人がブラックタイガー隊に後を任せて中枢へと続く道まで到達。 そこはまるで 『ロード・オブ・ザ・リング』の一場面に登場する要塞(だっただろうか…ホビット二人に二重人格のゴブリンが登場する一こまで、主人公が召使・サムとゴブリンとの間で“信頼”を委ねるのを迷う場面だ)の一つを想像する。 そんな場所で斉藤が「よっしゃ!」って言って突っ込んでいくところがまずカッコいい。 無鉄砲であり、勇猛。 真田が作業完了後に顔をあげると一人盾になってくれていた斉藤がその完了の言葉をかけた瞬間、倒れるあの場面が今でも目に焼きついている。
 ガミラス。 “固体であり、全体”というなんとも倫理的な言葉を放つ、人間かそれ以上の頭脳を持つ謎の集団。 彼らのアジトへの突入場面。 見渡す限り、その兵隊だらけ。 大量のプレデターがいるようでもクローン兵(『スターウォーズ』)…あるいは、エージェントスミスがいるかのようでもある。 ずらーっと彼らが映し出されるのは一つの絵のようだ。 『無双』を見ているようでなんだか、ぞっとすると同時にワクワクする場面だ。 あるいは、『キングダムハーツ2』のセフィロスとの対決を目前にした大量のハートレスとの荒野の戦いの如しだ。
 そこでのアナライザーは凄く頼もしくカッコいい。 コスモゼロ機に搭載されているあたりは、R2D2そのものなのだが、自立モードでは頼れる兵士に(例えるなら、『トランスフォーマー』のバンブルビート?。 アイフォーンのようだったところから、R2D2になり,さらに戦闘ロボット(『SW』のロボット兵のごとく)になるのが)凄い。 ただ、もう少し活躍の場を広げて欲しかった。
 登場場面こそ少ないけれど、存在感を残したのは,古代守とデスラーの二人。 『SP野篇』での悪っぽい印象の後のこの役はとてもギャップのある堤さん。 既にガミラスからの攻撃で大ダメージを負った「ゆきかぜ」を盾にして欲しいという申し出の場面。 沖田を全面的に信頼し、そのために死ぬならば本能…とも言わんばかりに笑顔で幕を閉じるところが「最初っから、泣かせるじゃないか!」っていう感じだった。
 もう一人はデスラー。 オリジナルを知らない世代としては意外な事実だったのだが、声を担当する伊武さんはオリジナル放送時の“オリジナルキャスト”なのだ。 こんなにも早い段階で声優としての活躍をされていたことに驚いた。 声を聞いた途端、顔が出てくる。 それも徳川家康を演じたときの顔が。 なんて低くて渋い声なのだろう。 声だけで存在感抜群。 デスラーと言えば、最後の登場場面ではシルバーサーファーや『インビジブル』(特に焼け焦げてしまう後半場面での透明人間)を思わせる感じ。 その不気味さを考えると後者の方が近いかもしれない。
 忘れてはいけないのが、古代と森雪とのロマンスだ。 第一印象としては兄と妹という感じで、そのイメージは後半あたりまで崩れない。 森雪はクールで中々感情を表に出さない人物。 しかし。物語は彼女のアップからスタートする。 戦闘機に乗る森雪の映像は絵のようだ。 アップにしてから一気にひくという絵の見せ方をそこで物語への興味も加速する。 そんな彼女の印象に残る場面は 古代が乗り込むコスモゼロへのキス・シーン。 古代を見送る彼女は 最初では考えられないほど少女そのもの。 それはルフィやナミが見せる笑顔に似ている。 ルフィが「シシシッ」って笑うかのよう。
 それから、先に触れた『SW』を思い出される森雪たちの最初の戦闘シーンも懐かしさも感じるけれど、もう一つ、懐かしさを感じるところがある。 それは…。 ヤマトにしかり、その前に沖田艦長が乗ってた戦艦にも言えるのだが、戦隊モノの巨大な敵と戦うためのロボットのコックピットを思わせる,内外から見た第一艦橋にもテンションあがる。
 沖田艦長。 一番オリジナルのイメージに近いと言えるであろう。 その貫禄はオビワン=ケノービと位置づけられるのも納得。 『SW』のエピソード4以降のイメージと言っていいだろう。 しかし、彼の隣に古代が並ぶとクワイ・ガンジンと若き日のオビワンを見ているかのようにも思える。
 忘れ難い衝撃。 それはイスカンダル星の姿とその真実にある。 まるで『猿の惑星』でのラスト場面くらいの衝撃。 ガミラスの星と表裏一体。 その姿は地球の過去と現在を表したかのようである。このイスカンダルとガミラスに隠された真実もしかりだ。
 話はそれるが、ちょっと惜しいと思った。 一話簡潔にしてしまうのはあまりにも惜しい。 日本の映画界において 中々足を踏み入れられることのなかったSF分野。 ここまでの映像と作品の,ハリウッドに匹敵する,クオリティがあるのならば せめて 二部作以上にして欲しかった。 理想としては三部作。 だから、もう少し伸ばせば内容もより,濃くなるというもの。 予算などの問題ありきで今に至るかもわからないが。  しかし、映像技術は特筆すべきレベルだ。 山崎監督は日本のスピルバーグ(もしくは、G・ルーカス)のようだ。 テレビゲームにしたら面白そう…。
 この超大作は監督と主演をはじめとするクルー全員が築き上げたのだと言う監督の言葉を考えると凄いなぁと思う。というのも、キャストと監督とで追加した,築き上げた場面があるからだ(※パンフ参照)。
 全体としてのイメージは『アルマゲドン』+『スターウォーズ』で、主人公の行く末は『アルマゲドン』でのベン・アフレックのポジションといったところだろうか。 だけど、完全なる二番煎じではない。 映画によってはたまにあることなのだが、作品の裏話をパンフレットなどを通し、知っていくうちにその作品の魅力に気付き、映画を観た直後には感じなかった面白さが後からわかるパターンにあてはまるだろう。  困難へのチャレンジ精神で『SBヤマト』は出来ている…という作り手の言葉を聞くといかに熱意がこもった作品なんだなぁと言うのがよくわかるし、実際そう見えてくる。
 この映画が私たちに語ることは多い。 その中に記憶に色濃く残っているのが、人々が求める「保証」。 これは、古代が沖田へ「放射能所装置」について追及する場面や藤堂がマスコミの質問に応じる場面にもある。確かに、人は自分たちを守るため、保護するため、さらに恐怖・最悪な事態をさけるために「保証」を求めたがる。 だけど、この世に「保証」されたものなど存在しないのだ(藤堂もそう言っていたかもしれない)。 そしてクルーたちのモチベーションを保つため,また希望のために「保証」をウソをついてまで掲示したという事実が語られるのが頭に残っている。 
 しつこいようだが、続編が欲しかった。 そして、もうちょっと掘り下げて欲しいと思った。 ヤマトの乗組員たちの絆を濃厚に描くためにも。  しかし、中々の面白さ。

※満足度:★★★★(4/5点)
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by jd69sparrow | 2010-12-15 17:25 | 映画タイトル さ行

ザ・ウォーカー The Book of Eli

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<あらすじ・内容>
 荒廃した世界。 それは、核戦争後の地球の姿だ。見渡す限り、生き物の息遣いの感じられない,いわば砂漠のような世界。 そんな絶望の後の世界を歩く,一人の男。 “ウォーカー”という呼び名が付けられたイーライという謎の人物だ。 彼はリュックを背負い,自分の足で課せられた使命を果たすべく旅を続ける。 ただ一つ残された一つの本を運び,彼は西へと向かう。 その道中訪れた街には,わずかな人々が暮らしている。 街にはカーネギーという名の支配者がいた。 彼は武器になる,ある本を探していた。 それがイーライが守る本だった。 カーネギーは誰にも従わずに,恐怖心も抱かない鉄のような男・イーライから本を奪おうと,あの手この手を使い,イーライに勝負を挑む。 
 
<感想>
 何の力が地球から美を奪ったのか。 それは驚くべき真実であった。 今も問題視される,“核”による影響なのだ。 世界で何カ国も所持しており,しかもそれが,だんだんと増えてきているという現実を考えると いつ核戦争が勃発したって不思議ではない。 この戦争により,とうとう地球から“色”が失われてしまう。 地球に穴が空き,そこから強い“光”が放たれ,人々は自ら犯した過ちにより,人類の危機にさらされるのである。 国が“核”を持つようにしているだけであって 核を望まない人々は大勢いるのだという証である。 まだ持っているという段階であって、その威力は計り知れない。 大気圏に穴だなんて、考えるのにたやすい事だろうに、何故か,いくつかの国たちはそれでも作るのをやめない。 こんな恐ろしい現実があるのだから この映画がとても現実的であり、いつか起きるかもしれないと強調されるのも当然のこと。 
 “モノが溢れすぎて、本当に大切なものを見失っていた”、さらに“かつては捨てていたものを、今では奪い合うようになっている”。 過去と現在,過去と未来のあまりにも大きいギャップはとても印象深い。 お金も役割を果たさず,欲しいものは物々交換によって手に入れる。 しかも、そのお金の代わりとなる代価は、他人から奪ったもの。 つまり、世界が貧しくなれば,ものの奪い合いが起きる。 それは現実も物語っている。 夢というものは過去の産物、あるいは化石や絶滅危惧種なのだと思った。 宇宙から見たこの地球の姿は、青いのだろうか? 美しいのだろうか? 海があるのだから青いのだろう…と言いたい所だけれど 映像のようにモノクロになってしまっているのではないかと気がしてならない。
 何が正義で悪なのか、絶望の後の世界では尚更、区別がつかなくなっている。 映画の雰囲気としてカーネギーが悪となっている。 が、しかし、具体的にどちらか何であるかは“人の見方による”というオールドマンの言葉は説得力がある。 何故なら、ヒーローの位置にいるイーライとて自分の目的と信念・信仰のために見て見ぬふりをするからだ。 だから単純にどちらが何であるかなんて簡単には言えないのである。 しかし、そうは言っても見ていると やっぱりカーネギーが悪と言いざるをえない。 『バットマン』シリーズでゴードンに扮したオールドマンとは似ても似つかない…むしろ180度違う怪演ぶりが,なんとも凄いところ。  
 この映画には衝撃的な部分が多い。 当たり前にあったものが、存在しなかったり、簡単には手に入らないために、持っている人間の命を奪ってまで手に入れるしかないのだ。 例えば、“おてふき”なんて,付属されていても捨ててしまうことがあった現在に対して、ここでは貴重なアイテムになっている。 発展途上国と同じように安全な水を探すのも難しいなんて。 蛇口をひねれば,いつでも飲料としても利用の出来た水が… シャンプーもレアなアイテムになっている。 生きるための“糧”がほとんど使い尽くされ、ごく僅か残されたものを巡って、人々は争い,なんとかその日をしのいでいる。
 人類最後の本とされている、イーライの本。 ほとんどのものが焼き尽くされ,当然書物がないに等しい世の中では,字の読めぬものが多く,字の読めるのは,戦争とその影響による地獄を生き抜いた,ほんの一握り。だから。カーネギーのようなその数少ない人の中の一人は,存在を大きく持てる。 文字が読めなくなったどころか、今 誰もが知っている文明器具も、習慣・文化ですら知らずに育ったものが多い。 どんなに光が地を焼き尽くそうとも,祈りを知らないだなんて… 戦争が焼き尽くしたのは、カタチあるものばかりでなく、文化でさえものもそうだということに驚かざるをえない。
 老夫婦の家もそう。 生き残った綺麗な家。 取り残されたかのようだが、生き抜いた家なのだ。彼らの生きる術と真実。それはもう、ブラックである。 心落ち着かせる給水地点ではなかった。 凄い。
 特に衝撃的だったのは、主人公が抱える真実だ。 イーライの手元から、カーネギーに手中へと移る本。 だが、そこに書かれていたのは 読める人間しか読めない“文字”だったという。 絶対的な力を持っていたはずのカーネギーが無力と化した忘れがたい結末。 そこから読み取れるのが、イーライが盲目であるということだった。 振り返ってみれば、大切な本はページに手を置いていたり,何より“匂い”に敏感…つまり視力がないかわりに物事を知るために必要なほかの部分が人より長けるのは当然といえば、当然。 嗅覚や聴覚…そして異変を察知する力、心の声…などなど。 
 イーライの使命は最後の最後まで中々はっきりとは見えてこない。 彼の使命は人々に生きる“希望”という力を与えるために西にあるどこかへ伝えることだ。 本がなくても、彼の頭の中に本があって それがカタチになるというのが凄いとしか言いようがない。 イーライの使命は本を守ることが大切なのではなく、そこに書かれていた教えが大切だったのだ。 大量の紙に綴られた“本の中身”が映ったあの場面は、希望と可能性があった。 街という街がなく、文明の宝が残されている場所なんて,もう残っていないかと思われた,後半の後半までの話。 色を失った世界に色が生まれ始めたのがまさにその場面だ。
 西の世界、カリフォルニアのサンフランシスコあたり。 建物がほとんど消えたかと思いきや,海の向こうには建物がたくさん残っているあの光景に私はとても安堵感を覚えた。 たとえ、その姿がかつての姿に比べて美が薄れていても,まだ希望の可能性は残されていると感じる…それだけ、映画の世界観にのめりこんでいた問いことになる。 しかも、そこでは支配者にすがるしかない惨めな人々はおらず,世界を再建しようと前向きな人たちが行きかっている。 歴史上、一気に文化を進化させ,世界を発展させた“印刷技術”が残されている点、聖書が教える大切なこと、まだ“望み”が残されていて、きっとまた平和は訪れ,かつての世界より良き世界がやってくるだろうという前向きな締めくくりが最高。 そして、世界にそのきっかけを与えるという使命はソラーラという新たなウォーカーによって引き継がれる…というヒロインの誕生も。 その姿はイーライの面影を残したたくましい姿。 
 この映画で大切なことは、本を守ることや所持することにあらず,“人のために尽くせ”ということ。 孤独だったイーライは,ごろつきではない心の綺麗なソラーラとの出会いでそんな忘れていたことを思い出し,戦うという成長を見せている。 そこが物語の主軸というのは後で解説を読んで知ったことだが,掘り下げられるところの多い深みのある話なのだと思った。
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by jd69sparrow | 2010-06-21 22:26 | 映画タイトル さ行

SEX AND THE CITY 2

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<あらすじ>
 キャリーの波乱の結婚から二年が経った。 つまり、ビッグとの結婚生活二年目に突入。 理想の相手との結婚という夢が叶ったものの,近頃家での会話が減り テレビを見るのに夢中で外食などの夜の外出をしたがらないビッグを見て、キャリーは結婚生活に不安を持ち始める。 一方、親友たちも幸せな生活のはずだったが、三人もそれぞれ悩みを抱えていた。 この悩みから解放されるべく、四人は共に海外へバカンスをすることに。 サマンサの知り合いのコネで、新しい中東での贅沢な旅行が実現するのである。 楽園のような生活を送り、互いに悩みを打ち明けたり、はしゃいだり…そして思わぬ相手に再会したり。 色々な刺激を受けながら四人はそれぞれの悩みと向き合い、その答えを追い求めていく。 自分にとっての幸せとは? 時にトラブルに巻き込まれ、アクシデントが起こったり… けれど、それはさらなる四人の結束へとつながっていく…

<解説>
 ドラマシリーズを経ての映画化第二弾。 ドラマは98年より六年間に渡り放送され、一年でワンシーズンの計算。 好みや性格も違う四人が体験する恋愛エピソードとセックスにまつわる価値観を綴ったコメディである。 キャリーは雑誌のコラムをフィールドとした売れっ子ライター、シャーロットは元アートディーラーで現在は主婦、サマンサはPR会社の社長、ミランダは母親と弁護士をこなすキャリアウーマンである。 それぞれが、生き方にこだわりを持ったカリスマである。
 劇場版第一作目は、主としてキャリーとMr.ビックとの結婚を巡る物語。 波乱が続いた末に、キャリーは見事ビックとゴールインし,不妊に悩んでいたシャーロットは自ら娘を出産、サマンサは自分の生きる道の発見、そしてミランダはスティーブとの騒動の後,彼と再婚。 それぞれ幸せをつかんだ…というハッピーエンド。 …という内容となっている。

<感想>
 「ファッションは年相応のものを」という概念があるけれど、この四人にはそれは無用なこと。 一人一人の若々しさあってということだろうか。 世界中の女性を魅了する美しいファッションは彼女たちのためにある…と言っても過言ではないくらい。 ファッショナブルと言えど、上品で大人なものばかりゆえに体の一部のように映る。着こなしの良さもあり、四人を若さを演出し,また第二の主人公という位置づけにある(と思う)。 一体何通りの服をそれぞれ着こなしているのか。 四人が着用したファッション集なるものがあればいいのにって、女性だったらきっと誰もが思うことだろう。 彼女たちが映画などで着た服がかなりの売上を上げ,世の女性の手元に行く,いわば社会現象まで起こすというのは凄い。 四人の服に対する好みが違うから 色んなタイプの服を見て楽しめるのが最高。 特に今回は、中東へ旅行するという設定上,前作の都会ファッションから一変して,エキゾチックなファッション・ショーだ。 ニューヨークでの生活で着る服と、旅行で着る服とは同じ私服でも違う味を出していて、中には意外な上下の組み合わせもある。 
 個人的に注目したいのが、キャリーとシャーロット。 特にキャリー。 キャリーは前編通して,どの場面の服をとっても繊細で美しい服ばかり。 “ひらひら”という印象のある花のよう,というのが彼女の服の特徴。 花といっても,シンプルなものもあれば,細かな花びらをイメージさせるものもある。 また、咲いている花だったり、開花の少し手前のツボミというのものも。  最初に来ていた服は花のようでもあり、シルバーアクセのようにも見える。 映画の冒頭,キャリーが一番初めに出てきた場面である。 この瞬間、ゴージャスなストーリーのまさに幕開け…という感じで期待に胸が膨らむ。  靴が大好き…ということだけあって、靴までもが美しい完璧なファッションだ。 
 悩んだら、旅へ出る。 一つの教訓だ。 人は人生において出来るなら定期的に、旅へ出て リフレッシュするべけだ。 と、言っても簡単なことではないけれど 違う環境に行けば良い方に変わることが多い。 四人が送るのはこの上なく贅沢なリゾート・ライフ! 人生に一度は体験したい憧れの旅を体現している。 知っている世界から離れた場所で解き放たれる四人。 リラックス・癒しを追い求める旅こそ、“答え”への近道。 
 見所は、なんと言っても四人の絆。 辛い時に打ち明けられる頼もしい仲間達…この友情には憧れる。 四人を皆、それぞれ悩みを打ち解けあうのだが、主に分けるとしたら…相談者がキャリーとシャーロットで、それに対するアドバイザーがサマンサとミランダ。 キャリーはサマンサ、シャーロットは主にミランダに。 近い状況にあるものこそ分かり合える。 個人的にはそう捉えられる。 しかし、寂しいときや辛い時にこの四人がいてくれたら とても頼もしいと思う。 母親が娘を思うくらいの思いやりが、四人の間にもそれぞれある。 
 この映画が面白いのは、四人に対しての共感、彼女たちのカリスマ性に、それぞれがファッション・リーダーであること。 トラブルに巻き込まれたり、失敗をしてもいつも支えてくれる仲間がいる… だから,何があっても四人ともめげずに また立ち上がれる。 悩むこともあるけれど、前向きな人ばかりだから 観ている側も明るくなり、結果面白い映画…ということになる。
 四人全員が主人公。 ゆえに、あのオープニングがあるのだと思う。 キャリーから始まり、人ごみが幕となり 一人,また一人と登場する場面は個人的に一番好きな場面だ。 このシステムが進化して、一昔前の彼女たちをプレイバックするというのも映画から見た者としても面白いところだ。 服はその人を表すと言う様に、それぞれのヒストリーがここで垣間見れるのだ。 過去,こういう人だったんだ、と知ることが出来るのは とっても嬉しい場面。 
 ある人に地球の裏側で偶然の,また、奇跡的な再会をしたり 素敵な人が目の前に颯爽と現れたとき。 さらに、答えへとたどり着いたとき,皆が皆キラキラしていて、こんなにキラキラ出来る人生を送れるという幸せを噛みしめたいと、きっと多くの人が思うはず。 最後のビッグがキャリーを宝石以上にキラキラさせるラストシーンがやっぱり印象深い。 ビッグが彼女を喜ばせる作戦がなんとも素敵。 とっても温かい場面。 隠してしまいたいと思いがちなことでも、キャリーはとっても正直。 だから多少ワガママでも許してしまうのかも? キャリーの告白の後のビッグの心も気になるところ。 想像するとやっぱり心がポカポカになる。 色々あっても運命の人としか言いようがない。
 世界観にひたるだけでも、温泉につかるような心地よさがある,とても魅力的な作品だ。    
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by jd69sparrow | 2010-06-10 23:31 | 映画タイトル さ行

ゼブラーマン

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<あらすじ>
 市川新市は、小学校の冴えない教師である。 家族からもほとんど相手にされないような寂しい日々を過ごしている。 そんな新市の唯一の楽しみはアクションヒーローもの「ゼブラーマン」だった。 新市の少年時代に放送され,すぐ打ち切りになってしまった番組である。 知る人の少ないこのヒーローに憧れていた新市は大人になった今、ゼブラーマンの衣装をひっそりと作っていた。 もちろん自分が着るため。 
 ある日、新市が学年主任を勤める場所に転校生がやってくる。浅野さんだ。これは運命的なものがあった。浅野さんは自分が生まれるずっと前にやっていた,「ゼブラーマン」を知る数少ないファン。 大人でさえ知らないヒーローで通じ合った事で 新市と浅野さんとの間に絆が結ばれる。 やっと出会えた気の合う友人(浅野さん)…新市は教え子を「さん付け」で呼ぶようになっていた。
 浅野さんの期待もあって,新市がゼブラーマンに仮装する頻度は徐々に多くなっていった。 悪人たちを倒していくうちに,“ホンモノ”のヒーローになっていくのだった… しかし ゼブラーマンが活躍する一方で、恐ろしい事態が近づきつつあった。

<感想>
 特撮モノらしい雰囲気で彩られた『ゼブラーマン』。 最初は主人公が少年時代に憧れたヒーローへの憧れが二人の子どもに恵まれた今でも抜けない,よく言えば?少年の心を持ち続けている大人。 でも、一方 現実の生活では 家の中でも居場所がなく,教師としても形ばかりの学年主任を任されている冴えない。 そんな毎日を送っていれば,やはりその憧れのヒーローがオアシスとなるのも,わかる気がするが、なんとなく寂しい。 ヒーローものと言えば、不思議な力がある変身道具によってヒーローになるというパターンが基本。 だが、生身のヒーローとしてのスタート…しかも特殊な力を持ってない状態のヒーローはちょっと珍しい。 特殊能力の有無という違いはあれど、スパイダーマンの最初のようにコスプレから始まっている。 最初は憧れのヒーローの姿に少しでも近づき,その気分を味わいたいだけだったはずが、いつの間にやらホンモノになっているというところが他には無いところで面白い。 下手したら ただのコスプレ好きとして見られるところの、まさかのヒーローへの転身。
 しかし、どこからスーパーパワーが舞い降りてきたのか。 そこがとても疑問なところだった。 悪モンをやっつけている間に「なんか、倒しちゃった…」というノリで次から次へとエイリアンに感染されて悪事を働く人たちを倒していく。 ツッコミが追いつかないくらいの展開…というのは一切気にしないで見たほうがきっと楽しいに違いない。 蜘蛛に噛まれたわけでもなく、発明家から七つ道具を渡されたわけでもなく,本当に「(パワーが)舞い降りてきた」という感じ。 何がどうしてそうさせたのか…
 単純明快かと思いきや、意外と深いところをついていたりする。 作品の中で紹介されるヒーロー番組『ゼブラーマン』に込められたメッセージ、それがそのまま予言書となったこと、そして新市がゼブラーマンとして活躍するがゆえに大きくなる新市の中の影…などなど。 個人的に三つ目が印象的だ。 エイリアンに感染されたとは言え、見るも無残な,またグロテスクな変わり果てた姿で ゼブラーマンの活躍のたびに本来なら罪の無い人々が命を落としていく。 悪を倒したつもりでも、新市の顔はいつも後味の悪い表情を浮かべている。 それが、続編の物語のきっかけとなる。 感謝されるというよりも ヒーローとして飛び回る姿で彼は有名となり人々から愛される…だけど、冴えない人生を送ってきた主人公にとっては人から認められることは嬉しい。そんな人間らしい主人公がここにある。 
 個人的に好きな場面が一つある。 それは息子が父親にかけた励ましの一言の場面だ。 新市の息子は、新市のダメっぷりが原因でいじめられ、しかし それに対し父親へ文句を言うわけでもなく,ただひたすら無言。 ただ忍耐あるのみ、といった感じ。 新市をどう思っているかも一切言葉にしなかった彼はゼブラーマンである父親に失いそうになっていた命を救われ、新市のいちかばちかの大勝負の目前にそっと背中を押すように新市へ「頑張って」の一言をかけるのだ。 感情すら見せなかった息子が心からの笑顔で父親を見送る姿は感動ものである。
 ゼブラカラーのユニコーンと化すゼブラーマンに対し、驚きつつも なんだかメチャメチャな感じが逆に面白いと思ったり… しかし。 ゼブラ・ユニコーンは面白いというか、意外にも美しく,思ったほど受け入れられるのは何故だろう。
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by jd69sparrow | 2010-05-31 00:18 | 映画タイトル さ行