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ゼブラーマン2 ゼブラシティの逆襲

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<あらすじ>
 西暦2025年、東京はゼブラシティと名を変えて,相川という独裁者のもと機能していた。 一日に二回、五分間だけ,権力者は、どんな卑劣な犯罪を犯しても許されるという暗黒のルールが敷かれている。 罪の無い人々がこのルールの犠牲になってしまう…東京は15年の月日ですっかり変わり果てていた。
 15年前、かつてゼブラーマンとして人々に愛されていた,ヒーローはいつの間にか,その姿を消した。 空白の15年間。気が付くと、朝市は路上に寝ていた。 目が覚めるとそこにはゼブラカラーに染まった男達がいて,追われる身となった。
 ゼブラシティでは、ゼブラクイーンという名のアーティストが人々を魅了していた。 彼女は相川の娘。父親以上に欲深く、非情である。 彼女はある野望を抱き、それを叶えるチャンスを窺っている。
 記憶喪失に陥っていた,朝市は昔勤めていた小学校の教え子だった,浅野やゼブラーマンに憧れる,市場という仲間をえ、謎の少女すみれの力を借りて,自らの暗黒面‐もう一人の自分であるゼブラクイーン‐と決着をつけるため,真っ白なゼブラーマンに姿を変えて、立ち向かう。

<感想>
 「白黒つけるぜ」という言葉のとおり、いくつかの二面性が軸となってストーリーが展開。 善と悪、表と裏、男と女。 善と悪、それに表と裏に関してはとても密接な関係。 善が表、裏が悪という。 しかし、必ずしも全てがその因果関係にあるわけではないが。 
 「ゼブラシティの逆襲」の始まりは、ゼブラーマンこと,市川朝市が相川の手により,善と悪とを分離させられたところだ。 一人の人間を2つの命に分けるという設定もさることながら,それが男と女という性別の違うものになるのが,さらに面白いと思う。 いかなる人間も“男と女”で出来ているのだから、納得は出来るけれど 作り手の言葉にもあるように、朝市の姿をした二人が出てくると思うところ,この意外な展開があるのだから良い意味で驚きである。
 あくまで個人的な意見だが…物語も中々面白いけれど、一番の見所はゼブラクイーンだ。“女が最強”という言葉がとても似合うヒーローアクションものには,滅多にお目にかかれない,女性の敵ボスだというのが,魅力だと思った。しかも、男性に負けない強さとカリスマ性を持ち合わせており,まさにダークヒロインと言えよう。 
 このように悪役にも主人公と変わらぬ,魅力を出すのが監督の力量というものだろう。出てくる“戦士たち”がみんな格好よくて、善悪関係なく,どちらかに偏ることなくキャラクターの魅力を全面に出す、また,決して安っぽくもなく,作っている感なども感じさせない…、一種のアートのように世界観からキャラクターまでが作りこまれている。他の作り手が作ったら,転びかねないであろう題材も、ちゃんと笑いを含ませながら,見事に築き上げられるのが三池ワールドというものだと私は考える。 ストーリーの良し悪しも もちろん大切なのだが 何より世界観もとても大切で毎回痛快のストーリー展開もエンタテインメント性抜群で、「この題材をどんな世界で作り上げられるのだろう?」と期待が膨らむのが監督の作品の魅力の一つだ。
 ゼブラーマンに変身することが出来なくなった朝市。それは、自分の力により失われた命への罪悪感からだと思われる。地球の平和を守れてもそれだけが重くのしかかるのである。それは、多くの人が持っている裏の側面で闇。しかし、この罪悪感は善をよく知る者にこそ,わかるものでありゼブラーマンの人間らしさだ。白と黒、二つの側面を持っていたゼブラーマンは、黒い部分だけがなくなり,真っ白に。分離して目覚めた彼は抜け殻のようであったが、新たなスタイルのゼブラーマン…つまり 生まれ変わった姿と言える。 罪悪感の渦にはまり、抜け出せなくなると“闇”が出来て それが分離されることで邪悪な命として,黒ゼブラことゼブラクイーン誕生へとつながる。人が闇に屈した時に陥りかねない姿こそが、ゼブラクイーンに例えられる…そう考えると人に隠されたものに対し恐ろしさを感じる。 非現実的な物語に現実を感じた瞬間である。 朝市は自分のしたことへの後悔から,自分に対する恐れを感じた。 受け入れがたいものだった。 だからゼブラクイーンが生まれた。 しかし、ここで大事なのは自分の裏までひっくるめて,自身を受け止める,受け入れることであった。 人が闇を持ち,悩む時は心がもろくなる、そこをつけねらったのが相川だった。その闇を利用すれば、最強の戦士が生まれると考えたのだろう。 そこから、ただ考えると邪悪なる企み利用された訳ではないことがわかってくる。 もともとは、全滅したと思われたエイリアンの脅威のかけらが残っていたから脱するためだとも考えられる。 しかし、それは思わぬ方向へと動く羽目となる。 ここで思うことは、相川の行動は誤った選択をしてしまっただけなのだということ。しかし、白黒をわける相川の行動には裏があり,その事実は驚くべきことだ。その真実を考えてみると この物語がとても練りこまれていることに気付かされる。 だけど、そこには朝市の切なる思いがあると考えられなくもない。
 エイリアンに可愛らしさがあるところ、ゼブラーマンが最後考えた秘策の実行手段など 笑いもあって,作り手のセンスの面白さがうかがえる。 それがシリアスに偏りすぎず,私たちを楽しませる隠し味的なものだと思う。 それは監督の過去の作品にも見れるポイントである。 これからクライマックスに入り、本番ってところで そんな件が?! と驚かされるし,作品にこめられた狙いどおりの反応をしてしまう。それは、一言に,監督の遊び心である。
 ゼブラーマンの決め台詞が覆される。 それも自らの手で。 しかし、それは大切なメッセージだった。 物事に白黒つけることが必要なこともあるけれど、そうでないこともある。それは、最後ゼブラーマンが体を張って教えてくれる。最後の最後まで愉快である。
 第二作目でゼブラーマンの新たなる姿が二つ登場(三つと言うべきかも知れない)。個人的に思ったことなのだが、完全に変身を終える前の白ゼブラが一番格好よく見えた。もちろんヒーローとしてのパワーはこの状態でも持っている。その後の完全なる変身でその力も完全となるだが、その変身が完了していない,半分だけのゼブラーマンの姿は、異色な感じが逆に格好いいし、型にはまらない感じのスタイルが何より良いのだ。 ゼブラクイーンは完全体もエキセントリックかつファッショナブルだが。 アーティストとしての姿も悪の化身と化した姿も女性目線から考えても美しいし、野性的なところに魅力を感じる。 きっと一度はチャレンジしてみたいメイク(ファッション)だろう。 グロテスクかと思いきや、面白い場面に変えてしまうところ、全体が芸術作品に見えるところ、ただ派手なだけでなく、ちゃんと大切なものが入った届け物となっている点がやはりこの作品の魅力であり、作り手の力なのだと思う。
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by jd69sparrow | 2010-05-08 17:35 | 映画タイトル さ行

シャーロック・ホームズ

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<イントロダクション>
 名探偵の代名詞と言っても過言ではないのが、コナン・ドイルの生み出した,シャーロック・ホームズその人である。 『名探偵コナン』世代にとっては、きっと『コナン』の漫画を通じてその名をきっと聞いたことだろう。 探偵モノは数多くあるが、確かにここが原点だろうとミステリーファンの多くは口を揃えて言うと思う。 しかし、このロバート・ダウニーJr.版は過去の探偵のイメージをガラッと払拭したキャラクターである。 制作者曰く、原作で描かれた,当初のイメージに近づけたという。  武術をこなす探偵など聞いたことが無い。 しかし、名探偵には敵はつきもので,必要不可欠なのかもしれない。  頭のキレも良く,戦えるとなるとこれに勝るものは無い。 どんな状況下でもブレない推理力がホームズの魅力だ。

<あらすじ>
 19世紀イギリス。 この世にはびこる謎を愛する一人の男がいた、シャーロック・ホームズ。 彼は相棒で医師のワトソンと共に,いかなる難事件に挑み 解決させる名探偵だ。 ホームズに立ちはだかるは、魔力を持つとされるブラックウッド卿。 謎に包まれたその男は素性が見えない。 ブラックウッド卿は連続殺人犯として逮捕され,処刑される身となるが その顔には恐怖の色はなく,むしろ何かを待っているようだった。 予定通り刑は実行されるが…
 その後も奇怪な事件は絶えない。 地獄より蘇りし、悪魔との戦いが始まる。 次々と人の命が奪われていくが、その裏には大きな野望に満ちている。 ホームズは謎を解き明かすため,大切なものを守るために事件の先の先まで追っていく。

<感想>
 一番インパクトがあるのはやはりアクション場面。もちろん、推理場面も然りだ。 まずはアクション。 ミステリーとは思えないほどのエンターテインメント性の高いアクションが満載。 それは冒頭から始まる。 物語の始まりというのは動と静とがあるけれど、この場合,静とフェイントをかけた上での動な気がする。 いきなり動で始まり,動き出した物語は意外性を盛り込むとさらなる,期待感が増す。 まさにそうだった。 第一印象と実際とが違うという驚きが最高。  もちろん元を辿れば、最初の印象は事実としてある。 不注意だったかもしれないけれど、見えてなかったものが見えてくるのだ。 ホームズの最初の登場シーンはとてもクールである。 たとえ、その後どんなものが待っていても、だ。 
 頭脳明晰な人間は自分の起こすアクションについて分析をする、さらに相手の弱点から背景まで全てを99%見抜いてしまう。 だから、どんなことも物理的に解決しようと考える。 だから、相手と戦う際には必ず分析をかせない。 それを一瞬で行うその回転の速さは天下一品だ。 それがわかるのが巨漢とのファイトシーンだ。 まず、相手の弱点を解析し、そこをどう突いて攻めるのかを説明し,それを100%実行に移すのが見所であり、痛快である。 その構成じたいもさることながら,映像の速さの強弱もメリハリがついていて視覚的にも感覚的にも楽しめる。 ホームズという人間が頭脳だけ優れた,頭でっかちではなく、柔軟な人間なのだと窺える。 己の頭脳によって、物理的応用を利かせるという,現実には極めて困難なことを 説得力を持たせてそれを、見事に証明するのだ。 勉強は現実に活用できると。 
 頭も良くて、体力的にも強い。 こんな前代未聞な闘う名探偵は 実は原作で本来描かれるホームズ像にかなり近づけられているというのだから 驚きだ。 
 ワトソンとのコンビネーションは凄い。ドラマ『相棒』のようにタイプの違うホームズとワトソン。一人は名探偵で分析力と観察力に長けた天才、一人は医師という仕事柄的にも,また推理力もあり,二人はまさに名コンビである。 しかし、人間的には全く異なる彼らは生き方も違う。 事件やその謎にしか興味を持たず、私生活には関心がない自由奔放なホームズに対し、ワトソンはキャリアを積みつつ、温かで幸せな生活を送ろうとする真面目な人柄だ。 ワトソンはホームズの私生活のだらしなさに呆れ、時に手を焼いてしまう。 だけど、ホームズを見捨てることはできず、彼と共に事件を追う…まさに“腐れ縁”。 二人のコントみたいな場面もあり、印象的なのが馬車でワトソンがホームズに一発くらわすシーンだ。おどけた表情のホームズの顔を見て、一瞬笑顔を見せるワトソン。この場面を見て、ワトソンのホームズへ抱いている思いがわかるような気がする。 なんだかんだ言いつつも、互いが互いを大事に思っているという証拠。
 ワトソンは意外と直感的な人間だ。 ホームズが鍵を開けようと七つ道具を手に、時間をかけている横で、大胆にもドアに蹴りを入れて一発で開かずの扉を開けてしまうのだから。 常に冷静でホームズと同様思考型思いきや、だ。 とても驚きだが,このキャラクターに愛着がわく。
 推理ミステリーの醍醐味、“種明かし”の場面。 ホームズが追いやられていたはずが、一気に形勢逆転となる。「完璧な犯罪などない」と言わしめんばかりに犯人を追い詰めていくところがホームズの一番の見せ所で,最もかっこいい場面である。 しかもそのクライマックスが、生死を分けるようなまさに、背景的にも窮地に追いやられるからこそ、この緊迫感と爽快感がよりいっそう高まるのだ。
 “モリアーティ”。今回の話の影にいる謎の人物。 何度もこの名前が出てくるあたり、続編ができそうな感じである。 シャーロック・ホームズの数々の事件の中で、最も手ごわい相手。最大の敵であるのがモリアーティ教授,その人なのだ。 だからこそ、これはモリアーティとの直接対決を映像で描くべきなのである。
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by jd69sparrow | 2010-03-12 23:44 | 映画タイトル さ行

猿ロック the movie

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<イントロダクション>
 ドラマから映画化するものには、ドラマでの人気を経て,実現されるものもあれば 映画化を前提にドラマがスタートする場合もある。『猿ロック』はこの後者である。 しかし、ドラマから映画化というのは大きな賭けだと思う。 ドラマが良くても映画でうまくいくかどうかは未知。しかも、ドラマ化の時点で映画化が決まっているのだから、尚更賭けは大きい。映像化される以前に原作が人気だったとは言え,ドラマから見る人も多いし、そんな視聴者を含め ドラマを見る人たちの反応を見ぬうちに、映画へ進路向けるのは凄い。原作の有無に問わず、数ある映画の中には映画の規模に満たないものも稀にあるけれど、『猿ロック』は成功と言える。 映画から見る人間にも楽しい作品だ。
 現代ポップでありながら人情的な部分も滲み出るところ、鍵師が主人公という設定が珍しい。さらにアクションものだけど、主人公は強くはない。 だけど、大切なもののために全力を尽くすというまっすぐさが、主人公の魅力で,作品全体にも光を当てている。

<あらすじ>
 鶴亀商店街に鍵屋を構える,天才鍵師・猿丸耶太郎こと,サル。 彼は依頼された鍵を見事に開けるプロだ。 その実力は警察も認めるほど。 
 ある日、サルは事件現場にいた。 現場はまさに緊迫した空気が漂い,銀行強盗と警察とが対峙している。 現場突入を急ぐ,警察部隊の中心でサルは鍵を開けていた。 現場に居合わせた,水樹署長が人質となっていた。 無事鍵は開けられ、人質も解放され,犯人グループを確保された…しかし、警察はその中の一人を取り逃がしてしまう。 
 事件の報道を店で見ていた,サルたちのもとに 事件の人質の一人だった,マユミと名乗る 謎の女性が現れる。マユミは、勤め先で金庫を任されているが,記憶に障害があるため暗証番号が思い出せない。 そのため、金庫にある大切なものを取り出すために,鍵を開けて欲しいというのだ。美女の頼みに弱いサルはすぐ引き受ける。 とんでもない事件に巻き込まれることを知らずに…

<感想>
 物語が面白く伝わるかどうかのポイントはもちろん,ストーリーや演出もさることながら,主人公を始めとした,人物のキャラクターも大きい。 個人的に印象に残ったのは主人公サルのキャラクター性と、サルの妄想から現実への場面の数々である。 特にサルの人物像は重要だ。 サルがマユミに対して語る熱い思いは,直接語りかけているよう。 “お天道様はちゃんと見ている”や“本当に大切なものは心で見る…”、“人はみんな温かい気持ちを持っている。胸の奥にしまいこんでいて,忘れているだけ”といったふうな中々,最近の若者には中々言えない事をわざとらしくなく,言える熱い男なのだ。 最初の言葉はマユミと水樹に言う言葉で、二番目はサルないしは水樹が語る言葉,最後はマユミに対しての言葉。 二人に熱い言葉をかけるのは、二人の心の奥に温かさがあると信じているから,またそうだと知っているからだと思う。
 また、サルは決して暗い顔は見せない。これがサルという人物の見せるもう一つの魅力だ。笑顔が絶えないというのは,見ていて悪い気はしない。 むしろ周りかすれば気持ちがいいもの。サルの純粋な子供のような笑顔は、作品の魅力だ。これだけでも、見る価値があるだろう。
 サルは決して強くはない。 だから悪党が着ても,対等に戦うことはできないけれど,大切な人を守るという固い決心が糧となり,自身が持つ技術力を武器に立ち向かう姿は男らしい。鍵を開ける場面はやはりカッコいい。 特にカラクリ仕掛けの金庫との勝負の場面は見所。最初の場面もそうだったけど、危機迫る中,最後まで手を緩めることなく鍵穴を探る…そして極めてギリギリのところでやり遂げる。このハラハラドキドキな感じはスリルがある。 この他にも瀬戸際で危機を切り抜けるところが凄い。
 いくら鍵を開ける腕がいいとは言っても、心の鍵までを開けるのは難しいだろうと思った。プログラムのどこかにも書いてあったけど 信じることで心の鍵を開けられるのかもしれない。 サルはマユミに裏切られたと知らされても それでもマユミを見捨てることはなく,彼女の言う夢を信じ続けた。 その気持ちは行動にも表れて,固く閉ざされたマユミの心を徐々に開けていった。 事実が明らかにされていく中で,冷たい顔を見せてきたマユミがクライマックスでは、その表情に嘘がなく,サルを真っ直ぐ見るようになっていた。 この表情の変化は見逃せない。
 彼女は最後に“たくさん嘘をついてきたけれど、その中の一つを本当にしてもいいかなと思った”と言うけれど、サルが信じるようにマユミの夢だけは本当だったのではないかと思う。どんなに嘘を重ねたとしても,ずっと嘘を言うのも難しいし 人と関わる中で必ず気持ちがゆるむ瞬間はあるはず。 そんな時に本音が出てくるのだろう。 自分を信じてくれる人が側にいれば,なおさら。
“本当に大切なものは目では見えないもの”という言葉がある。 どうしても人は目で見えないものよりも,形あるものを求めてしまう。 お金は生きるために必要なものだけど、本当に大切なものは別にある。わかっていても,そうやって目に見えるものへ行ってしまうのはなんでだろう。 (時間に余裕がなく)先行きが不安な人々はみな,温かい心を胸にしまいこんでしまう。 特に世の中が不安定な現代は、人を思いやることが中々難しくて 助けを求める人にとって冷たく感じてしまう。 だけど、サルが言うように“人は皆、温かい心を持っている”というのは本当だと思う。だから、それを知っているだけで世界は違って見えてくることだろう。
 これもこの作品で語られることだが、“何もしなければ、何も起こらない。自分が何をやっても変わらないというこはない”というのは事実であり,そう信じて生きていけば きっと報われる日が来るはず。 政治資金問題や、税金が上に立つ人たちにより私用に使われるなど 信じることが困難な社会だけれど、“信じる者は救われる”という言葉があるように“信じることをあきらめてはいけない”。もちろん、物事を見分けることも必要だ。 でもどうか、疑うばかりの世の中にはならないあで欲しい。 不安は疑いに変わり、やがて惨事へとつながりかねないのだから。
 下町の人情。 これは日本人の宝物の一つだ。 下町に立ち並ぶ商店街の人々のようにお互いが助けあう温かさを取り戻し,協力し合う世の中にするために私も何かしたい。
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by jd69sparrow | 2010-03-02 22:59 | 映画タイトル さ行

ジェイン・オースティン 秘められた恋

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<イントロダクション>
 イギリスの女流作家 ジェイン・オースティン。 個人的にオースティンの作品で真っ先に思い浮かべられるのは「高慢と偏見」である。 これはテレビドラマで映像化された後、「プライドと偏見」という題で映画化までされた名作だ。 さらに、「イルマーレ」では内容にはほとんど触れていないものの,物語上のキーアイテムとして映画の中で取り上げられている。 
 本格的に作家としての道を歩み始まるまでの,若き日のジェインを描いた青春とロマンスの物語。

<あらすじ>
 ジェイン・オースティンは貧しい家柄の末娘。 とは言え、彼女は田舎育ちであまり世間を知らない箱入り娘だ。 そんなジェインには一つ人より秀でた才能があった。 それはモノを書くこと。 家族から認められ、詩を書いては朗読を披露していた。 少しおてんばなジェイン、そんな彼女を見て 両親の心にあるのは娘を良家に嫁がせることだけだった。
 両親はウィスリー氏とジェインを結婚させたいと望むが間抜けなウィスリー氏にジェインは惹かれるわけはなく,拒んだ。 そんなある日、ジェインの兄のヘンリーがロンドンからトム・ルフロイをハンプシャーへと連れて来た。 トムはジェインの詩を退屈とこぼし、さらに放蕩ぶりがジェインの怒りに火をつけた。 しかし、互いが互いにそれぞれ自分にないものを見て,それは二人にとって大きな刺激となったことから、彼らはだんだんと惹かれ合っていく。

<感想>
 18世紀のイギリス社会は、愛よりもお金が勝る時代。 女性の役目、生きる道は財産のある良家に嫁ぎ,両親に安泰な生活を約束することだったようだ。 男性にとってもそれは ほとんど同じで両親の望む道を歩むほか、選択の余地はない。“高学歴・高収入”という言葉はこの時代から既にあったようだ。 狭い世界に縛られて,心の中では自由を望む人たちは多かったはず。 だけど、子供が出来,やがては子に彼らレールを歩かせる大人になってしまう…なんて。 オースティン夫人が言うように、「愛はあったほうがいいけど…」と本心では愛のある幸せを望んでいるが、生きるために諦めているというのが よく伝わってくる。 当時の人々にとって何不自由なく 安定した生活を送ることが人生のすべて。 これは現代に生きる私達も同じだが、違うのは 自分の気持ちを犠牲にするかどうかだと思う。
 トムとジェインとの出会いは必然だ。 都会も異性も知らないジェインにとってトムという存在自体が目新しい。 
 ジェインに初めて現実を見せ,作家への道に導いたのがトム,その人なのだ。 それは“視野を広げられる”という言葉を現実にしたのである。
 ジェインにとってトムと恋に落ち、駆け落ちするまでの道のりは冒険であり,最も自由だったに違いない。 個人での自分の夢を叶えるのが困難だった時代には稀で貴重でさえあっただろう。
 「ミス・ポター」がそうであったように、作家が主人公の場合,有名作品が世に出るまでの過程が描かれるのが楽しい。 「高慢と偏見」のエリザベスはジェインの分身のようであり、その作品での主人公の姿はジェインを鏡で映したかのようだった。
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by jd69sparrow | 2009-11-02 16:00 | 映画タイトル さ行

G.I. ジョー

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<イントロダクション>
 映画を作るためのもとは、もはや小説や漫画だけではない。 映像化されるものの媒体が広がった、もしくは広がりつつあるのかもしれない。 『トランスフォーマー』も『G.I. ジョー』もアニメ化されたものの,原点は玩具にある。 元になるものはあるけれども,元になるストーリーはない。 フィギュアとして様々なキャラクターが作られ,彼らの個性を生かした上でストーリーは練り上げられて、一つの作品となる…となるのだと思う。 オリジナルの作品よりも原作があるものが多くなりつつある近年の映像作品だが、これはオリジナルに近いかもしれない、というよりも新ジャンルと言うべきか。 日本でも海外でも今の映画の作り手達の夢を具現化・実現化したものが多いような気がする。 その作品のもとが作られた世代もさることながら、知らない世代とっても十分楽しめるのは、元の要素に現代ならではの味を利かせているからだろう。
 『G.I. ジョー』はアメリカの文化の一つだとさえ言われる,特殊部隊のフィギィアである。 自分の手で動かせなかったものが映像の世界で自由に動き出すのを見る感動とはいかなるものなのだろうか。 国境を越えたヒーローたちの活躍がとても新鮮で,とてもスタイリッシュかつ大胆な新たなるエンタテインメントだ。

<あらすじ>
 NATO(北大西洋条約機構)の部隊に所属するデュークとリップコード。 彼らは任務でナノマイト弾頭を運ばなくてはならなかった。 ナノマイト弾頭…それは金属をも食い尽くす威力を持った強力で危険な兵器である。 無事任務遂行かと思われたその時、デュークたちは事件に巻き込まれる。 ナノマイトを守りきったものの,彼の部隊はほぼ壊滅状態にまで追いやられ、生き残ったのはデュークとリップコードただ二人。 そんな彼らを救ったのは“G.I. ジョー”という名の特殊部隊だった。 
 デュークの熱意で彼とリップコードはG.I. ジョーの一員となる。 彼らの敵はテロ組織コブラ。 コブラの狙いはナノマイト弾頭を利用して世界征服をし、絶対的な力を手に入れることだった。 G.I. ジョーの精鋭に決して劣らぬ戦力を持つコブラ。 ナノマイトによって多くの犠牲者を出さぬために,コブラを追跡し止める事がG.I. ジョーの任務。 G.I. ジョーとコブラの壮絶な戦いの火蓋は今、切って落とされた。

<感想>
 G.I. ジョーの戦士達も,また コブラも個性豊かな人物で固められている。 彼らの個性を演出するのが彼が見にまとうパワースーツであったり、武器なのだ。 G.I. ジョーの戦闘スタイルの特徴は最先端のメカ,パワースーツ、そして己の持つ力という印象で、それに対してコブラの最大の武器はナノマイトマシン。 科学的な印象が強く、人間兵器集団という感じ…とそれぞれ特徴の異なっている。 
 実写版『G.I. ジョー』の魅力はキャラクター一人一人の個性、アクション、世界をまたに駆けた舞台、ロマンス…など多くの見所がある。 キャラクターとして個人的に印象的なのはスネークアイズとストームシャドーである。 特にスネークアイズは沈黙を守っているために一言も話さないし、素顔も見せない謎めいたG.I. ジョーの戦士である。 謎めいているという点では、ストームシャドーにも言える。 彼の場合は素顔を隠したりはしないものの,醸し出す雰囲気がミステリアスだ。 互いにほとんど感情を乱すことがない。 スネークアイズの場合は“それ”とわかりにくいかもしれないが。 軍人スタイルの多いキャラクターの中で彼らは異色の人物。 忍という点で彼らは和を重んじているけれど、その中にアメリカンスタイルも含ませている。 西洋とアジアの対決がここにある。 韓国きってのアクション俳優と『SW』のダース・モールを見事に体現したスタントマンというマーシャル・アーツを体得した者どうしのぶつかり合いが最高だ。 近未来型ではない、生身の人間同士の戦いが熱くもあり,クールでもある。 
 デュークとリップコードのコンビはまさに時代の先端をいったアクションでもって人々を惹きつける。 ロボットと人間との融合にも見えるアクションが炸裂する場面に興奮することだろう。 パワースーツを身にまとう彼らは車で目的地へ向かうバロネスとスネークアイズと同等の戦いを繰り広げる。 見た目は車で実際は戦闘機のような車とパワースーツのどちらに軍配が上がるのか。 かなり見所である。 ドハデなアクションと言えばアメリカが舞台という印象が強いのだが、パリの街のど真ん中でこの激しく熾烈な戦いが行われるというのがこれまでにない味を出しているようですごい。 制御の難しいであろうパワー・スーツ…だが、しかしその魅力に惹かれてしまう。 もちろん、未来的なものばかりでなく現代にあるものでのアクション,軍の部隊ならではのアクションもあり,そこはバランスがとられているのだと思う。
 この激しいSFアクションの中に二つのロマンスがある。 敵同士になってしまった,かつて恋仲にあったデュークとバロネスこと,アナ、それからスカーレットとリップコードという全く対照的な二人。 この二組のおかれた状況は違うけれどそれぞれに物語があってこれもまたこの作品の魅力の一つといえよう。
 他にもリック・オコーネルとイムホテップ(※)の再共演という嬉しい特典もある。 しかも、イムホテップの方は美味しいところを持っていっている点がおもしろい。 これは続編の製作が予測される。 そこでどんな役割を果たすのか気になるところだ。 戦いはまだ終わらない。 “ナノマイト”の一件は氷山の一角に過ぎないのだ。そしてコブラの真の狙いがG.I. ジョーの知らぬところで動いているからだ。 続編の可能性はこのようなストーリー展開からも、また 原題「the rise of cobra」からもなんとなく読み取れると思う。

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by jd69sparrow | 2009-08-11 18:43 | 映画タイトル さ行

サーフズ・アップ

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<イントロダクション>
 ペンギンといえば、氷上で生活しているイメージがある。 実際,彼らは南極で暮らすわけで、暑いところにいるというのは、これまで想像できなかった。 そんなペンギンたちが南国の島で暮らしていて,サーフィンを楽しんでいる。 常夏の島にペンギンは意外な組み合わせだが、自然に見える。
 主人公はサーファーとして大きな波に乗ること、また,憧れのサーファーに合うことを夢見ている。 そこから物語が始まる。

<あらすじ>
 コーディは幼い頃から、伝説のサーファー,ビックZに憧れていた。 コーディの故郷にビックZがやって来たその日から、コーディはサーファーを目指すようになる。 やがて、コーディは“ビックZメモリアル”というサーフィンの大会の出場者としてスカウトされ、南の島へとやって来る。 大会には長年,優勝し続け 大会を独占しているタンクのほかに、コーディと同じようにスカウトされてやって来たチキン・ジョーがいた。 大会を目指すものの,コーディのサーフィンの実力はいまひとつ。 そして、事故がきっかけで憧れのサーファーと出会い、彼は成長し、サーファーとしての実力もつけていく。

<感想>
 ペンギンたちの他にもいくつかの動物達が登場する。 ペンギンたちも何種かに分かれる。 ペンギンたちのサーフィンの大会の出場者の中に何故かニワトリがいるのが、まずおもしろい。 チキン・ジョーだ。 ジョーは主人公の傍らでなんとなく のほほんとした感じでいるだけなのに彼に関するエピソードにはおもしろいことばかりだ。 ジョーの良いところはマイペースで底抜けに前向きであるところ。 食べられてしまいそうな危機が迫っていても,気づかないし、むしろ(食べようとしている連中が)友達として自分を歓迎していると思っている…そもそも同じ鳥類に食べられそうになるというのは、ある意味でブラックコメディだ。 いわゆる,ゆるキャラだがサーフィンの腕前は確かという意外性がジョーというキャラクターの魅力である。 
 かつては脚光を浴びていたビックZがすっかり愉快なおっちゃんになっているのも面白い。 ビックZがサーファーとして輝いていた頃のように自らも,同じように憧れのそのサーファーのように,波に乗り、大会で一番を勝ち取ることがコーディの夢だった。 しかし 実際,ビックZと再会し、サーフィンを教わるうちに勝つことにこだわり続けていた気持ちが変わり始めた。  そして、勝利以上に大切なものを得る。 
 コーディーは自分が追いかけていた夢は、ビックZと波に乗ることだったのだと気づいたのだと思う。 コーディが得たもの…それは、仲間とビックZとの絆、それと波にただ身をまかせ,サーフィンをする楽しさである。 ドキュメンタリー風に彩られた青春コメディだ。

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by jd69sparrow | 2009-03-03 17:55 | 映画タイトル さ行

スターダスト

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<あらすじ>
 主人公トリスタンはちょっと頼りなく、どこにでもいるような青年である。 特にとりえはなく、恋愛もしえいる。トリスタンは愛する恋人の誕生日が控える少し前、彼女にある約束をする。 それは村から少し離れた場所に落ちた流れ星のかけらをプレゼントすること、そしてその後に結婚をしようということである。 そこでトリスタンは村の外れにある壁を越え、その向こう側の世界へ出ようと考えた。 父親の力を借りて、なんとか村の外に出ると、なんとそこには星が堕ちた形跡があり、そこには光り輝く女性の姿があった。 その人こそが流れ星であり、トリスタンは流れ星ごと村へつれて帰ることを考え、村へ進路を向けるが、その道中には様々な障害や道を阻むものが潜んでいた。
 魔法の国の国王の息子たちや流れ星の力を知りつくす,欲深く邪悪な魔女三人組、そして意中の人という関係を深めたい青年。 流れ星をめぐり、彼ら一人一人の思惑がありぶつかり合う。 ある者たちは王座を狙い、ある者たちは永遠の若さと美をえるために、そしてまたある者は恋人と愛をはぐくむために。

<感想>
 トリスタンと流れ星イヴェインは共に旅を続け、幾度となく魔女達の魔の手による危険にさらされる。 そしていろいろな人々と出会う。 魔の手から逃れていくというスリルと、彼らを助け,力となってくれる人に出会う冒険が見所。
 そんな中で、頼りなくてイヴェインに対して、恋人へのお土産としか見ていなかったトリスタンが旅を重ね、本当に守るべき人を知り、たくましく騎士として成長していくさまも、この映画の魅力といえるだろう。 ただの平凡な村人の青年が魔法の世界の色にそまり、新しい自分に生まれ変わるのだ。
 本当に自分にとって大切な人を守りたいと強く願い、自らの力を神事さえすれば、どんなに敵が強く見えても、強き思いと意志という力の刃で敵を貫くことが出来る。
 冒険ファンタジーならではのおもしろさもある。 でも、それだけがこの作品の魅力ではない。 ロマンティックな要素があちこちにちりばめられているのだ。
 恋人ヴィクトリアのためにスターダストを持ち帰ろうというトリスタンの思いもさることながら、個人的にはイヴェインの告白のシーンもロマンティックに思えた。 普段は中々素直になれない,彼女が思うことを本心で語るということはもちろんだが、魔女の魔法で動物の姿に変えられていたトリスタンが実は、その彼女の告白の言葉を理解していたことを、魔法に溶けた後,彼女に告げる瞬間である。 イヴェインは動物の姿にトリスタンが変えられていて、そのトリスタンは言葉がわからかったと思い込んでいたから、正直な気持ちを話したわけで、実際はトリスタンとしては,とても美味しいひと時だったのでないかと思う。 村で待つヴィクトリアのことばかり考えていた彼にこのとき既に変化が起きていて、目の前にいる人(イヴェイン)が運命の人なのだということが確信となった瞬間だったかもしれない。 だから、死へ向かおうとしていた,イヴェインを必死で,また命がけで守ろうと努めている様子から、トリスタンの本気さや真実性が伝わってくる。
 冒険ファンタジーであり、どこまでもロマンティックな物語である。

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by jd69sparrow | 2009-02-21 21:13 | 映画タイトル さ行

少年メリケンサック

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<イントロダクション>
 パンクミュージックとは、衝動と魂。 音楽に衝動と魂を載せて…というか、自分の中にこみ上げる思いを,力の限りぶつける。 気持ちをそのまま歌で表現する。 言葉よりも“歌う”ことで、“叫ぶ”ことで。 この思いを理解して欲しいと観客に訴えるかのように。 そんな、パンクへの印象を受ける映画である。 
 パンクという言葉を知っていても実際、どんな音楽かを知っているかどうか。 ロックは長く愛され,世代に関係なく知られていて,知らぬ者はいないのではないかと思う。 パンクの復活と“少年メリケンサック”の復活の物語。 主人公ににとっては嫌いで、避けたいはずなのに何故か引き込まれるところがあり、はまっていく話。

<あらすじ>
 かんなは音楽会社に勤める契約社員。 仕事の成果が中々あげられぬまま,契約期間も切れようとしていた。 そんながけっぷちのかんなは最後の賭け,頼み綱となろうパンクバンドを発見する。 “少年メリケンサック”である。 彼らの専門はパンクだが、かんなはパンクを知らずに動画サイトで見つけた“少年メリケンサック”を社長の時田に今度こそと言わんばかりに売り込む。 歌もバンドも決してうまいとは言えないが、ベースのアキオはかなりのイケメンであることに,かんなは惹かれた。 そして、社長から返って来たのはなんとゴーサイン。 “少年メリケンサック”のメンバーに声をかけ,全国ツアーとアルバム一枚を作ることが、かんなの仕事であり、使命となった。 が、しかし。 かんなは大きな勘違いをしていたことを思い知らされる。 それはアキオを訪れたときである。 若いイケメンではなく、かんながあったその人は中年オッサンだったのだ。 目を疑うかんなだったが、かんなが見た動画をその人に見せると、25年前の自分だと言う。 しかも、他のメンバーたちを集めるも当時の面影を残さない,飲んだくれのベーシストもいれば,言葉もろくに話せないボーカル…紛れもない現実であり,事実であった。
 とんでもないミスをし、焦るかんなの思いとは裏腹に動画の中の少年メリケンサックは今、どんどん注目を集め,10万にも及ぶ人々の目に映っている。 そして全国ツアーまで決まっていてあとに引けない、状況に立たされたかんなは“25年前を越える”というアキオの言葉を信じ、全国ツアーを敢行する。

以下、ネタばれ注意です。

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by jd69sparrow | 2009-02-20 18:02 | 映画タイトル さ行

幸せのレシピ

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<イントロダクション>
 どんなに仕事に励み、一人で生きていくことに,また自分に自信を持っていても やっぱり人は一人で生きていけない。 今は大丈夫に思えても誰かが必要になる時が必ずやってくる。
 話の舞台・はじまりは料理店の厨房。  そこで一匹狼のごとく、日々コックとして働く一人の女性の物語が『幸せのレシピ』である。

<あらすじ>
 ケイトはレストランの厨房を取り仕切る料理長。 プライベートよりも毎日料理を作り,実績をあげて立派に生きていくことの方が彼女にとっては大切なことだった。 ケイトには一人の妹がいる。 仕事一筋で生きる姉とは正反対な妹には娘がいてとても家庭的な人柄だった。 しかし、ある日 交通事故にあった親子は子供が生き残り、母親であるケイトの妹は命を落としてしまう。 娘ゾーイを預かることになったケイト。 職場には新しいコックがやってくる。 ニックは仕事もできれば,ケイトとは逆に自らをルールがためにせず、気さくな人柄だった。 これまで他人とは一線をおき,プライドの高いケイトの自ら作った目の前の壁は、ニックとの出会いにより,少しずつ崩れ、その壁は低くなり始めていった。

<感想>
 ケイトは自分の料理場を守り、おいしい料理をつくる。 文句をつけた客にはぶっきらぼうで挑戦的な態度をくずさない。 自立しているけれど、ガンコでもあり,あまり広く交友関係を作ろうとは考えていない。 それゆえに悪く言えば、自分のこと以外は、目に入らない人間である。 でも、心の奥底では、まわりの目のことを気にしてていてそこへやって来た,ニックが彼女のもとで働くコックたちと楽しくコミュニケーションをとっている光景が気にかかる。 しかし、自分に対してさえも好意を持ってくる,ニックにやきもちをし、(ケイト自身の)テンポが変わっていくことに戸惑う。
 生活面においても、共に暮らす妹の娘ゾーイとのコミュニケーションがうまくいかない。 職場とプライベートで中々思うようにいかないケイト。 やがてゾーイがニックと友達になり、二人の存在意義や二人が自分にとって大切な人たちであるということがわかってくること、固かったケイトが自然と,だんだんとその固さがほぐれていく。 その様子・過程が見所かもしれない。 今まで人と深く関わることを拒んできたせいか、プライドが高くて、いざ人と付き合い始めるとそのプライドが邪魔して中々うまくいかない。 それまでケイトが生きていた過程はどうあれ、共感できるところと言えるかもしれない。

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by jd69sparrow | 2009-02-19 20:31 | 映画タイトル さ行

幸せの1ページ

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<イントロダクション>
 自分を変えたい大人と自由にたくましく生きる少女との偶然の出会い。 そんな二人それぞれの冒険、いや,幸せに辿り着くための旅路がここにつづられている。 二人をつなぐのは、“アレックス・ローバー”。 冒険小説に登場する英雄(ヒーロー)だ。

<あらすじ>
 アレクサンドラ・ローバーは、“アレックス・ローバー”の活躍する冒険小説の生みの親で、ベストセラー作家だ。 そんなアレクサンドラには大きな欠点があった。 それは極度の対人恐怖症で、潔癖症の引きこもりであることだった。 家の前の郵便受けに行くのにもひと苦労。  一方、アレクサンドラのいる,サンフランシスコから遥か遠くの,地図にもない南の島に一組の親子が暮らしていた。 二ムという少女とその父親ジャック・ルソーだ。 ジャックは海洋生物学者。 彼は数日で戻ると二ムに言い残し、研究のため 海へ出た。
 しかし、約束の日を過ぎても、父親は戻らず 一人取り残された二ム。 自分たちや動物達意外誰もいなかった島に、危機が迫っている。 だけど、一人ではどうすることもできない。 そんな時、父親のパソコンに大好きな小説の主人公・アレックスが差出人のメールが届いていた!しかし,それはアレクサンドラがジャックへ、小説の協力を得るためのメールだった。 二ムはそれを“アレックス”だと信じた。 そのアレクサンドラと二ムの偶然の出会いが“幸せの1ページ”綴るきっかけだった。 アレクサンドラは自分を変えるための,二ムは島を守るための冒険と挑戦である。

<感想>
 二ムは11歳。 ものごころつく頃から既に彼女の冒険は始まっていて、南の島での父親と二人の生活も長い。 新しいことに積極的でたくましい。 父親が海から中々戻ってこないことへの孤独を感じ,ジャックと二人だけの島を観光地にされてしまいそうな危機に強く恐れたに違いない。 そんな追い詰められた状況を“アレックス”からのメールで励まされ、あんなにも二ムに、勇気と強さを与えられるのはすごい。 憧れの存在からの言葉jは大きい。
 ジャックと守り続けた美しい大自然を守るという責任感や使命感、父親との絆と信頼、そして,憧れの英雄が助けに来るという三つが二ムを支えた。 二ムは賢く、時におもしろいトラップを敵に仕掛けところ、自分の作ったキャラクターを愛してくれている少女からのSOS、自分が必要とされていることを実感した,アレクサンドラが必死に自分と戦っている姿がとてもコミカルで見所である。
 小説のキャラクターが本から飛び出すという物語の設定とアイデアがおもしろい。 それだけでなく,アレックスという小説のキャラクターがアレクサンドラをからかいながらも、励ますのだから!
 現実的に言えば、自分が作り出した幻想に励まされているということになるが、こうも言える。自分自身が自分を支えている。 無意識の中で自分の理想の人物像という形で、もう一人の自分を生み出し、自分を前に進ませるために後押しているわけである。 とは言え、アレックスは本当にそこに存在しているかのよう。
 アレクサンドラも、二ムも実は本人達の意識の外で互いを必要としている。 それは二人とも不自由なく生きているようで、そうではないからだと思う。
 二ムとアレクサンドラは偶然の出来事から磁石のように引き寄せられ、互いに必要な存在となり、何か足りないもの、つまり家族(二ムは母親、アレクサンドラは夫と子供)を得て、本当に幸せな人生の1ページを開いたのである。
 アレクサンドラは“アレックス”の後押しと二ムの力で変わる。 はじめは人なりしておらず、潔癖症の神経質…という欠点だらけ。 そして、初めての経験による刺激で彼女の本心が浮きでてくる。 また,引きこもりだったことなど考えられないほど本物の母親同然の顔になり、人となる。 そこに至るまでにはドラマティックな展開やユーモアがたくさんある。 動物達が自発的に自分を助けてくれたら、とても素敵なことだろう。 人が教え込むこと、言い換えれば人工的なものではなく,普段から築き上げてきた“信頼関係”からくるものだからなおさら。
 ジャックはそんな動物達のうちの一匹に救われるだ。 そして、何がなんでも二ムとの約束果たすべく、必死に帰還を試みる姿は父親の鏡であり、二ムとの絆の強さを感じる。
 二ムとアレクサンドラ、ジャックと二ム、ルソー親子と動物達という三つの絆でこの物語はできている。 とても素敵な作品である。

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by jd69sparrow | 2009-01-03 17:16 | 映画タイトル さ行