カテゴリ:映画タイトル さ行( 74 )

SEX AND THE CITY

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<イントロダクション>
 アメリカで作られているドラマシリーズは、とにかかう長い! 古くは『フルハウス』、人気かつロングセラー番組としては(もちろん『フルハウス』のも言えるが)、『24』、また,『プリズンブレイク』など数多くある。 日本のドラマで長きにわたるドラマシリーズと言えば『相棒』が一つあげられるだろう。
 『セックス アンド ザ シティ』も長編シリーズにあげられる。 シリーズは全部で六つ、ドラマシリーズの最後から続く物語ゆえに映画が語り始められるまでにいたる,四人の主人公たちのエピソードはドラマシリーズを振り返らないとわからないところも,もちろんあるが、映画から見ても ほとんど疑問を感じさせない。 四人がどうやって出会ったのか、それはドラマを見ていない者としては100%想像はしがたいが、冒頭でそのヒントが語られていて、少し今までが汲み取れると思う。
 テーマは“女の友情”。 人生で様々な経験を積み上げてきた,四人の女性たちが,いろんな失敗をし、壁に何度ぶちあたっても,その度に互いを助け合い,それぞれの夢を胸に抱き,前向きに己を信じる道を歩んでいくというもの。

<あらすじ>
 キャリー、サマンサ、シャーロット、ミランダはそれぞれ全く違う生き方をしているが、人間関係への価値観には共に通じるものがある。 それは四人のみならず、多くの人々が願うであろう理想と幸せをつかみとるということ。 そして、一人一人自身にとって本当の幸せとはなんなのか、その答えを追い求めている。 時には悩み,苦い経験をし,傷つくこともあるけれど、友という宝が心の穴を埋めてくれる。
 四人は誰かが悩んだ時、真っ先に手を差し伸べ,ともに悩み怒ったりもする。 友の絆に助けられながら、キャリー、サマンサ、シャーロット、ミランダは真実の愛を得るための旅をする。

<感想>
 人は誰しも欠点を持っているという。 だけどそれは、自分では中々見えなくて、自分の身に起こる不幸を何かのせいにしたくなる相手の短所や失敗・過ちだけは見える。
 キャリーにはミスター・ビックこと,ジョン、サマンサにはスミス、シャーロットにはハリー、ミランダにはスティーブというパートナーがいる。 だけど、不安や不満を抱えている。 もちろん、相手にも落ち度があるにはある。 相手の過ちが先に見えてしまうと、自分の事が見えなくなる。 四人のほとんどは己のことに盲目。 自分と相手、両者の立場に立っても悩みを抱えている。 そして四人それぞれの悩みや生き方、そして個性が隠されることなく、はっきりと描かれている。
 四人の身に起こることや行動について、いろいろいな見方ができる。 共感したり自分だったらこうするだろうと考えたりもするところがある。 だけど、四人の魅力は色あせることはない。
 幸せをつかみかけたとき、どん底に落とされても支えてくれ、また,理解してくれる友がいるというのはなんて素晴らしいことだろう。 自分のためにわざわざ遠くから時間を惜しむことなく駆けつけてくれたりと、自分の事を考えてくれる…
 四人が強く美しくあれるのは、そういった固く結ばれた絆や結束力があるからだと思う。 キャリーとミスター・ビックとの結婚を中心に友情という大きなテーマが描かれている。 とは言え、四人それぞれの物語が集約されており、この作品の作り手たちの言葉にもあったと思うが、一つの物語の中に四つのエピソードが入っている。 四人は様々な困難を乗り越え,それぞれの答えや幸せに辿り着く。 それはどれも素敵ですっきりしていうr。 笑ったり、考えさせられたり、心が温かくなる物語だ。

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by jd69sparrow | 2008-09-27 01:25 | 映画タイトル さ行

ショーシャンクの空に

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<イントロダクション>
 刑務所を舞台とする映画に穏やかさを感じるものは、そうそうないはずだ。 とは言え、厳しい現実もある。 物語はそこから始まる。 主人公は忍耐強く,冷静,そしてショーシャンク刑務所の誰よりも頭がよく,いろいろな才能に長けている。 そんな彼の刑務所での日々と“希望”がここでは描かれている。

<あらすじ>
 アンディは殺人の疑いで裁判にかけられる。 アンディは無実を訴えるが、彼にとってあまりにも好都合な状況が逆に彼うぃ不利に追いやった。 終身刑を言い渡される。 アンディはショーシャンク刑務所に入れられる。 はじめて牢獄へやって来た者には悪夢が待っている。 しかし、そんな中でもアンディは物静かで,落ち着いていた。 アンディは他の囚人にはない,特別なものがあった。 周りから見れば変わり者。 アンディは暗闇に包まれた牢獄を少しずつ変えようとしていたのだろうか。 その一方でアンディは希望も正気も失うことなく,前を見ていた。 
 
<感想>
 主人公は外から閉ざされた空間,全ての自由が看守たちの手中にある刑務所へその足を踏み入れる…他の囚人からの“洗礼”を受け,さらに苦痛を浴びせられても自分を見失ったり,屈することなく,心の芯が強い。
 終身刑となり、無限にある時間、頭がおかしくなりそうな自らの将来を救ったのは、彼の一つの才能だ。 アンディには元・銀行マンとしての経理の力がある。 また、知に長けている。 マジメで控えめ、しかし彼がショーシャンクに与える影響は大きかった。 昼間は労働、夜は狭く,暗い檻の張られた空間となれば、刺激も少なく,途方もない。 退屈で安らぎなど存在しない牢獄の環境のもとにいる人々に温かな風や希望を贈る…それはアンディ自身のためでもあるのだろう。 
 一度悪とみなされたことを覆すのは難しい。 また、真実が明らかにされることも,ときに時間を要する。 これはとても現実的である。 そう考えると、数十年たった後に真実が置き去りにされ(忘れられ),数十年たった後に濡れ衣だと知らされたとなると、なんて酷い運命だったのだろう。 十年以上にもわたる年月が無にされ,捨てられたことになる。 何故,こんなにも時間がかかったのか、どうして無実の人間がこのような仕打ち受けなければならなかったのだろうか。
 アンディは刑務所に入る前から、ずっと無実であると主張し続けてきた。 何があっても主張を曲げなかった。 ショーシャンクの囚人のほとんどが「無実の罪で捕まった」と口をそろえるが、アンディが言うのとは違うのは、確かで アンディの主張だけは真実味が感じられる。 観る側としては、彼の人間性などを見て,アンディは嘘を言ってないと信じたいし、そうだろうと考える。 だけど、それはカタチなきものだった。 そのうちにアンディが疑われた事件の真相が浮上する頃,水の泡となり、確信へと変わる。 でも、物語の焦点はそこではなかった。 もちろん、アンディが真実を知ったとき,自らが今まで受けてきたことに憤りを感じなかったわけではなかったが、アンディの中にあったのは希望を叶えることだった。
 だから、この話では事件の真相がどうだったかというのは、物語の空気で読み取るものなのだ。
 アンディが目指した希望への道は長く,彼は険しい道などいろいろな場所を潜り抜けていくが、真の髄では人を思う、善良的な人間である。 それは、彼の行動一つ一つが物語っている。どうして、見返りなど考えずに、そんな行動に出たのだろうか。 それは(劇中に語られるが)ある意味でアンディの妻を死なせた事への罪滅ぼしなのか…それとも彼の人間性なるものなのか。 それは、アンディの言葉にあるように、後者と言ってもいいかもしれない。
 アンディが希望へのプランに時間をかけたのは希望をつかむには、焦らず,地道に努力することが大切というメッセージが受け取れる。 もう一ついえるなら、レッドやブルックスといった獄中での友のように、獄中に自分の居場所を見つけたのかもしれない…。 いずれにせよ、ろうごくで日々を過ごしていく中で、目指す道が見えたのは確かだろう。
 そして、アンディに待ち受けているものは、広き青い海のごとしだ。

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by jd69sparrow | 2008-08-07 03:06 | 映画タイトル さ行

ザ・マジックアワー

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<イントロダクション>
 映画の冒頭で語られるように“マジックアワー”とは、日が沈み,わずかの間しか見ることのできない一日のうちで最も美しいと言われる空が現れる時間を指す。 青や紫、ピンクといった色がまるで水彩画のように柔らかくて、空という無限に広がるキャンパスに色を重ねたようだ。 “自然”の芸術…。 幻想的で綺麗なその空は毎日見えるものではだろう。 日中が青空でなくてはならないのが大前提だが,それにしてもタイミングよく見れるというのは頻繁なわけではなく,ふとした瞬間 空を見上げたらそこにあるという感じ。 だから、“マジックアワー”を味わえたときというのは心癒されるというか運がいいと思う。
 なぜ、この映画の題名がついたのかと考えてみた。 それは主人公が人生初めて身を持って“マジックアワー”を味わったということなのだろう。 役者として大きな志を持ち,いつか自分の功績を自身で目にすることを夢みる無名な役者がいる。 そんな主人公が今まで歩んできた役者人生になかった夢のような“時(世界)”の中に自分がいて、それが確信へと変わる…。 こう分析してみると作品全体の雰囲気からは見えにくいかもしれないが深い。

<あらすじ> 
 守加護の街はどこか映画の世界を感じさせる不思議な場所。 街のギャングのボスの“相手”・マリに手を出してしまったクラブのオーナーである備後は助かるために,とっさにデラ富樫という殺し屋をボスに会わせるという約束をする。
 しかし 備後はデラ富樫を知らない。 そこで無名で殺し屋っぽく見える役者にデラを演じさせることで、逃げ道を確保しようと考える。 備後が呼んだのは熱血的精神を持つ役者・村田大樹。 ギャング(殺し屋)役で映画に主演できると聞き,心躍る村田はパワー全開で,嬉々としてデラを演じる。 それは、備後の思惑とは違う方向へと進んでいった。

<コメント>
 個人的に二人の人間がそれぞれ全く違う内容の話をしているのに二人の話がかみあっている状況を“アンジャッシュ”と考えている。 それはお笑いコンビ・アンジャッシュのやるコントにそういうネタがあるからだ。 現実にもあることだし、『ザ・マジックアワー』の中にもある。 そこが魅力の一つ。
 やる気満々でデラになりきる村田、それをきょとんと見つめるギャングたち。 映画の撮影にのめりこむ村田…村田自身もギャングたちも互いのことを気づかないし,村田のはりきりが意外な方向へと転がっていく。オーバーにも見える村田の行動一つ一つがギャング側と備後側とでは見え方が違う。 役者とギャングという全く世界の違う部類の者どうしの会話が“アンジャッシュ”なのが、コメディ度を上げているようにも思う。 そして、すっかり映画の撮影だと思い込んでいて、こだわりを持った熱い演技を見せ付ける村田のペースにギャングたちが乗せられているのがおもしろい。
 さらに、自分と愛するマリのために、村田を映画の撮影だと騙していて,ボスの目さえも欺こうという備後だったが,やはり限界はある。 ボスには“ビジネス”、村田には映画の撮影…その二つが少々ごっちゃになってしまい,それがまた笑いを誘う。
 とっても贅沢だと思うのが,メインキャストからカメオ出演的に作品に顔を出す人たちに至るまで,そうそうたるメンバーばかりで、中にはかかさず三谷作品へ出演をしている常連もいる。 一瞬とかほんの数分程度の出演時間なのによくぞ ここまで揃ったなというくらいすごい。 そして、さりげなく(三谷作品の)過去の作品を思い返させてくれたりもするのが嬉しい。
 この作品に限ったことではないけど、カメラには映らない場所へも決して手を抜かないとか,とにかく監督のこだわりがぎっしりという感じ。 いろんな人たちが出ていてカメラの内外に映る問わず,そこにあるものに細かな施しがなされていて,一度では隅々まで見るのは難しいだろう。 これだけの人たちが集まるのは監督が成し遂げてきた成果があるからなのだろう。 しかも、三谷監督のもとに今回集められた人たちは新境地を踏み出すこととなる(※パンフレット参照)。 だからこそ,おもしろい。
 今までの(それぞれの)役者さんのイメージを見ても驚きがあって良いし、まっさらな気持ちで見てもまたおもしろい。 映画の中で映画をとる…ライブ感あふれるノリの良いストーリーとキャラクターたち。 でも、コメディー一食ではなく,伝えることは伝えているのがいい。
 笑いに笑って、豪華に彩られた作品をじっくり味わう、そんな中に心温まるものがあるエンターテインメントである。

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by jd69sparrow | 2008-07-08 23:53 | 映画タイトル さ行

Sweet Rain 死神の精度

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<イントロダクション>
 人はこの世に生を受けたら、いつかはその命が朽ちる日がやってくる。 その普遍的で人類永遠のテーマをこの瑛おがは優しく語りかける。 死はいつ訪れるかわからない、人は死と隣り合わせの毎日を何気なく,過ごしている。 そんな日常で、突然自分の下に死神が訪れたら? ましてや、思わぬ死がやってきたら?ということを考えながら、物語は進んでいく。 映画の中で“死はいつきたって、その人にとっては突然なもの”ということが語られるところがあるが、まぎれもない事実である。 でも、ただ生死について考えるのではなくて、三つの時代のいろいろな人々の不思議なつながりを楽しむものでもある。

<あらすじ>
 黒い犬を連れた死神,千葉。 彼の仕事は不慮の死に,近い人々を七日間 彼らの周辺で観察したり、接触をして、対象者が生きるべきか死ぬべきかを判定することである。
 今度千葉が受け持つのは、藤木一恵という,しこし影のあるOLである。 千葉が下す審判はいつも決まって“実行”、つまり対象者に対して “死”と判断を下すということである。 しかし、一恵とふれあい、そして彼女の仲の才能や可能性を見たとき、心を動かされる。
 千葉は 1985年、2007年、2028年という三つの時代を駆け巡り,OL、ヤクザ、70歳の美容師の七日間を見ていく。

<コメント・感想>
 “生と死”というシリアスなテーマに、優しい雨がふりそそぎ、とても穏やかな色調で演出がされている。 死神が人間界にやってくるのは、人の死が近いときだけ。 彼らが人について知っているのは、対象者たちの最期の七日間だけ。 彼らは死について いろいろ知っているけれど人にとって死がどういうものななおかも,生も知らない。
 だから、大きく感情が表れるということは中々考えられるものではないけれど、彼らの感情が少しでも見えたときというのは、おもしろい。
 三つの時代にそれぞれ違う雰囲気で登場する千葉は、どれもほんやわかした人柄や犬のような,ちょっと好奇心に満ちた目が変わらないのもおもしろいところであり、魅力的だ。 時々、ちょっとずれていて,死神ゆえの心無い言葉を口にする、でも明るくて穏やか。
 死神が他にも登場するのがいい。 一人一人個性が違くて、仕事のスタイルも様々。さらに、意外なところに出てきたり。 この映画はロマンティックでもあり,(ほとんど雨のシーンだけど)春風のような温かさのある物語であり、おもしろくもある。 その絶妙なバランスが良い。 あと、死神みんながミュージック(音楽)が好きであること、千葉があるミュージックを聞く,あるいはとある特別なミュージック聞こうとするときも楽しい(何かしら邪魔が入るけど)。 死神どうしが鉢合わせるときは、いくつかパターンがあって、良い意味でゆるい。
 いろんな対象者がいるけど、みんな死を受け入れていて穏やか、だけど どこか寂しさが伺える。
 人の生死という,シリアスなテーマだけど、優しい雨が映画を穏やかにし、その雨が晴れるとき 清々しくなる。 劇中の雨とは逆に、(春の)澄み切った青空のような物語である。 心が洗われる、また,温まるものであり、そういう気持ちになりたいときに(この作品を見るのが)最適と言えるだろう。

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by jd69sparrow | 2008-03-28 21:04 | 映画タイトル さ行

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

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<あらすじ>
 19世紀頃のロンドン。 ここに復讐に染められた悲劇ありけり。 かつて平凡で幸せな人生を歩んでいた一人の理髪師がいた。 彼の幸せは、その街の判事によって奪われた。 ベンジャミン・パーカーは妻子と引き離され、無実の罪を着せられれ、牢獄へ。 それから15年後。 彼は脱出した。 そして、スウィーニー・トッドと名を変えてロンドンに戻ってきたのだ。 そこで出会ったパイ屋を営む女主人,ラベット夫人である。 スウィーニーは、彼女の提案で猟奇的な殺人鬼となった。 “悪魔の理髪師”の誕生だ。 スウィーニーは自分と愛する妻子を不幸に追いやった,ターピン判事への復讐のときを待っていた。

<コメント・感想>
 ほとんど色がないモノクロに近いロンドンはまるで感情がなく,冷たい街のようだ。当時の貧富の差の激しく,厳しい社会を反映されているからか、一切の温かみはない。 怪談話や残酷な殺人事件が珍しくないといおったような雰囲気だ。 あまり色のない世界だからこそ、おびただしい血は、鮮やかに映し出されている。 そんな世界で悪行をする二人(スウィーニーとラベット夫人)、作品全体の色合いは『コープスブライド』を連想させた。 スウィーニーは恐ろしく,復讐にとりつかれている。、街の人々もどこか冷ややかである。 唯一、温かさがあるのがアンソニーとジョアナ(アンソニーはスウィーニーの牢獄脱出時の命の恩人、ジョアナはスウィーニーの実の娘)。 物語の案内人と言ってもいいだろう。
 “ホラー映画であっても、完全にその色に統一するのではなく、どこかユーモラスな部分がある”という評があるように、コメディチックなところがある。 それは予告編の時からあり、本編では直接のつながりのない場面を絶妙な組み合わせで、予告編としてまとめられているのだ。 スウィーニーは恐ろしい殺人鬼なのに、どこかおもしろい。 また,憎めないという印象である。 
 ラベット夫人が一人歌うとき、スウィーニーは無表情にそこにいる。夫人の夢想シーンもやはりおもしろい。 次々とスウィーニーの狂気は続く。 彼のお客は血しぶきをあげ、息絶えていくのに、恐怖が残像として留まらない。 
 ここでの恐ろしさというのは、ビジュアル的ななものではない、かと言って.精神的なものと一言でおさめられるものでもない。 どちらかと聞かれたら、後者の方にあてはめられるかもしれない。 それとも、あとからじわじわとくる,恐ろしさと言うべきだろうか。
 映画を見ている際は、物語の流れを追っていくから,場面場面を振り返ったりというのは、見終わってから考えることが多いだろう。あとで考えてみると、恐ろしいと思うことがある。 もし仮に人物に対し、“恐ろしさ”を考えるとしたら、スウィーニーより、むしろラベット夫人だろう。 彼女の提案がスウィーニーをより,恐ろしい殺人鬼にさせるからだ。
 最後に思ったことは、スウィーニーにどうして、ここまでの不幸が重ならなければならなかったのかということ。 これは、この上なく悲劇的で、運命のいたずらというか、残酷さを物語っている。

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by jd69sparrow | 2008-03-26 22:29 | 映画タイトル さ行

ジャンパー

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 ジャンパー。 それは思い描ける場所,あらゆるところに自由に瞬間移動のできる能力を持った人々である。 これは長きに渡り,受け継がれし力。 生を受けてから五年でその力が開花し始めるという。 大人になるにつれ,その力のコントロールは正確となっていく。 自由気ままにジャンプ(瞬間移動)するジャンバー、しかしこれをよく思わない人々がいた。 パラディンという組織だ。 ジャンプの力はないが、ジャンパーを追跡する力はジャンパーを恐れさせるほど。 しかも、彼らもまた、はるか昔より受け継がれている存在。 追うものと追われるものとの壮絶な戦いを描いた,SFアクションアドベンチャー、それが『ジャンパー』である。

<あらすじ>
 ディヴィットは少年時代から目立つ存在ではなく、人付き合いに関して奥手だった。 そんな彼が思いをよせる,ミリーへ贈り物を渡そうとしたとき、その贈り物をいじめっ子の手により,凍った湖へと捨てられてしまう。 それを取り戻そうとしたディヴィットは足元から氷が崩れ,湖へ落ちてしまい、息が苦しくなった次の瞬間、彼は全く別の場所に倒れこんでいた。
 それからジャンパーとしての自分の能力を知ったディヴィットは、“力”を使い 贅沢な人生を歩み始める。
 大人になったディヴィットはミリーへの思いは変わらない。 相変わらず能力を好き放題使い続ける,彼の背後にはパラディンの影が忍び寄り,ディヴィットと彼のまわりの人たちに危険が迫っていた。

<コメント・感想>
 アメリカから始まり、イギリス(ロンドン)、ローマ、エジプト、東京と、ジャンパーの行き先は世界中,無限に広がっている。 よく映画ではロケをするために,実際の設定の場所とは違う場所を代用することが多いようだが、この映画の中に出てくる場所のほとんどが、CGでも,代用の国でもなく、本物だという点は物語にリアリティを与えるという面で,とても大きい。 コロッセオもスクリーンを通してだが、見れたことに少し感動をしたくらいだ。
 東京など日本が外国映画の中で使われていることもあるが、外国から見た日本を見ることもできるし、その場面が短くてもスリリングなアクションが楽しめる。
 瞬間移動もただ,画面からふわっと消え、別の場所からふわっと現れるのでは、うそっぽくて、迫力にかけるけど ここでは違う。 瞬間移動そのものが斬新。 ジャンプは一瞬だけど、その一瞬が細かくて力強い。 作り手の言葉にもあるけれど、ジャンプするとき、(瞬間)移動されるのはジャンパーだけではないのだが、その斬新さを裏付けている。 ワンパターンに留まらず、ジャンパーはその力を様々な方法で駆使しているところがかっこいい。
 これも引用するようだが、ジャンパーを追うパラディンは、敵であって悪ではにことが、アクションとしてはあまり見かけない、むしろ新境地ではないだろうか。 ジャンパーにとっては厄介な相手、だけど彼らは彼らの正義を貫いているし,彼らの言うことには説得力もあり正論と言えることも多いと私は思う。 だから、勧善懲悪ではないだろう。
 さらに、ジャンプすることがジャンパー自身の過去や現在(・未来)であり、彼らのジャンプする意味やその人間性にもつながる。
 ジャンパーとパラディンの関係など、まだ多くを知らない主人公ディヴィット。 これから,もし話が続いていくのならば、(愛のために)ただの能力者としてだけでなく、大切な存在のために戦う者としてのディヴィットに期待したい。

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by jd69sparrow | 2008-03-24 16:43 | 映画タイトル さ行

ゾディアック

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<あらすじ>
 四十年近くの月日が経っても真相があばかれることなく、謎に包まれた事件“ゾディアック”。サンフランシスコ、クロニクル社。 一通の手紙が届いた。 そこには謎の暗号が書き記されていた。 二人の子どもがたちが銃で撃たれ、一人が命を落とした事件から間もないときだった。送り主は“ゾディアック”と名乗り、要求を彼らに、また,警察に重ねていった。 そしてゾディアックに関わる殺人事件が次々と起こり、それは次第にエスカレートしていく。 クロニクル社に風刺漫画化として勤めるロバート・グレイスミス、彼の同僚のポール、そして刑事トリンスキーの興味をひきつけた。 謎が深まるほど、彼らもそれにのめりこんでいく。 なんとしてでも犯人をつきとめるために。 

<コメント・感想>
 ゾディアックが最初に世間を騒がした事件は夏だけれど、この作品は冬の海を連想させた。 日は出ておらず、雲行きはよくない。 すぐにでも雨が降り始めても、不思議ではないくらいだ。日がある時は明るく透き通った色で輝く海も暗く藍色にそまり、波が立っている。 そんな状況下を小さな船で、あてもなく漂う。 人がいる島を、あるいは通りすがる船をじっと待っていて、島も一向に見つからず、船が通り過ぎても助けを求める声が届かないという虚しさと静けさ。 事件はまさに“それ”で、、“求めるモノ”をあとわずかなところで手が届かない。 そういうイメージである。
 ロバートたちは事件の犯人の容疑者を見つけても物的証拠という壁にぶつかる。 推理、その推理が字際に叶であるかの照合の繰り返しが続き、時間が過ぎていく。
 捜査は難航し、事件を解き明かそうという欲も人々から失われていく。 残酷な事件でも毎日起こる出来事(事件)の中に埋もれ、記憶からも消えていく。 それでも、“答え”を求める人がいる。 そういう人たちがこれにこだわり続けたのはどこにあったのだろうか。 暗号、関連性が見えてきそうで見えてこない,連続殺人事件ということ、あるいは“答えを出す執念”かもしれない。様々な形で、印象付けられた(犯人と)事件であったにも関わらず、それにこだわった人々は、どんどん取り残されていく。
 最後に、映画演出の手法。 (暗転し、)静かに,場面が変わる手法は字幕が出ては消え,次に切り替わっていく様子に似ていて、モノクロ時代の映画や舞台のようである。
 主要人物たちが事件についてのそれぞれの結論を出す(または、そこへ近づく)。 どんな形であれ、この話の結論は自然な流れであり、個人的には納得のいくものだった。

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by jd69sparrow | 2008-01-31 00:27 | 映画タイトル さ行

スマイル 聖夜の奇跡

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 <あらすじ> 
 1987年、弱小少年アイスホッケー・チーム、スマイラーズ(Smilers)。 まだ,勝利の経験のない彼らの監督に新しく就任したのが佐野修平だった。 彼はアイスホッケーを知らない全くの素人。 修平はタップで生きる夢を立たれ、その現実から逃げるように東京から北海道へ渡り、しかも,修平が監督を引き受けたのは、恋人・山口静華との結婚をスマイラーズのオーナーである静華の父親に認めさせるためだった。 スマイラーズの勝利がその条件なのだ。
 それは前の見えない道のりに思えた。 しかし、試合中,修平のタップのリズムが刻まれると奇跡がおき始める。 そして、スマイラーズのメンバーたちは彼ら自身がアイスホッケーの試合で戦うことの意味、また,相手を恐れずに立ち向かう勇気を持つことの大切さを学び,成長していく。
 
<感想>
 この映画に対するコメントの中にもあったが、この作品は“作り”(構成)のバランスがとれていると思う。 映画は笑い一本で物語を作るなどジャンルを絞るのもおもしろい。 バランスよく様々なトッピングを盛り込むとさらに見ごたえのあるものになる。料理がいろいろな具材をバランスよく入れて美味しくなるように。 ここ(『スマイル』)では 笑い、感動、画面から伝わるリアルな臨場感が含まれている。 バランスよくこれらの要素が含まれれば現実に近くなる。“監督のねらい”にもあったように思うが、ドキュメンタリーを見ているかのよう。 日々の生活は感動や笑い、悲しみといったいろんなものからできているからだ。 実話を基にしてるというのもあるが、目の前の現実で起こっている出来事をすぐ近くで見ているという感じにとらえられる。
 心に響く言葉はいくつもある。 その中には、一人の人物がもう一人に言ってる言葉なのに、観ている側に訴えかけているように聞こえるものもある。
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by jd69sparrow | 2008-01-06 00:06 | 映画タイトル さ行

Gガール

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 スーパーウーマン,ジェニー。 人々からは“Gガール”という名で親しまれている。 空を自由に飛びまわり、破壊的なパワーを持つ彼女は人々からの期待を背負い、人々を危機から救う。
しかし、普段は地味で人をあまりよせつけない(スーパーヒーローの宿命である)、まさに女性版“スーパーマン”である。

<あらすじ>
 マットは設計会社で働いている。 ある日電車の中で綺麗な女性,ジェニーに出会った。 控えめで清楚という第一印象。 やがてマットはジェニーと付き合うようになる…しかしジェニーには秘密があった、なんと彼女の正体は“Gガール”!! 行動、内面、全てがスーパー級(G級)なのである。 彼女を怒らせようものなら死ぬ気の覚悟が必要だ。 “破壊的な彼女”に限界を感じたマットはジェニーと別れる決意をする。 しかしその後に襲いかかる彼の災難の引き金となってしまう…。 ある意味マットとGガールとの戦いである。 

<感想> 
 スーパーヒーローの物語をラブコメディのテイストにしている、というよりもその逆であろう。 作品がかもし出す色は恋愛モノそのものでシックである。 そこにスーパーヒロインという要素が盛り込まれている(あるいはのっかっている)という感じ。 
 アクションとラブコメディとの組み合わせは異色といえばそうであるが、最近では特にアメコミ映画でよく見受けられるが,ヒーローものには恋愛がつきものであり、それは物語の中で重要な要である。 ようするに、この作品が他と違うのは二種類のジャンル(厳密に言えば三種類),それぞれが作品をしめる割合なのだ。 細かく分けるならばアクション、恋愛、そしてコメディ。 恋愛とコメディとでは物語に影響するのは前者。 アクションと恋愛という組み合わせで考えたら、この二つの組み合わせに当てはまる本作はありえないとは言えない。
 
 原題は「My Super EX-Girlfriend」。“Ex-girlfriend”とあるように別れた恋人の復讐劇と言えるだろう。 それをコメディ風味に仕上げているといったところだろうか。 マットがジェニーと距離を置く、あるいは他の人に目を向けようものなら彼に“平安”という二文字は消えてなくなる。
 ジェニーにとって彼女を傷つける者は“悪”であり、本物の悪同然のように相手は雷を落とされる、その復讐の数々はすごい。 これでもかといわんばかりで度肝をつかれる。恐ろしい悪夢としか言いようがない。 しかしそれは、恋愛(相手)への一途さ・純粋さの裏返しなのである。 好きな人への愛に献身的であるとも言えるし、女性としての魅力がそこにあり、ただ人よりパワフルなのだ。
  
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by jd69sparrow | 2007-11-25 00:09 | 映画タイトル さ行

シャーロットのおくりもの

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 農場の広がる平凡な村。 そこには動物たちの世話をし、人々の生活に役立てられている動物たちがいる。 少女,ファーンの家で生まれた子豚たち。 その中でも最も小さいブタがいた。 ブタのたどる運命は他の家畜たちから見るととても耐えうるものではない。 子豚たちの歩む道は二通り。 体が小さければ人の手によって命をたたなければならない、そしてもう一つは大人になり,体も十分に大きくなった頃,食用としてさばかれることとなる。 家畜の中でも特に悲惨な運命なのである。
 これは奇跡の物語。 ウィルバー、シャーロット、ファーンの,一人と二匹が起こした奇跡なのだ。
 ある日、ファーンの家でたくさんの子ブタが生まれた。 その中にただ一匹だけ体の小さい子ブタがいた。 小さな子ブタは命を絶たなければならないことを知ったファーンは子ブタの命を思い,知り合いの農場に預ける。 ファーンはその子ブタを“ウィルバー”と名づけた。 
 農場の小屋でのクモのシャーロットとの出会いでウィルバーの運命が変わる。 ブタとクモという不釣合いと思われた二匹。 ウィルバーの優しさをうけたシャーロットは独自の方法でウィルバーの魅力を人間たちに伝え,自分を受け入れてくれたウィルバーへの恩返しをする。
 人間の世界は人間の世界、動物の世界は動物の世界で別れていた。 その別々の二つの世界につながりができる。 人が人間以外の生き物,動物の思いを知るという(人と動物との)接点ができるのだ。 シャーロットが人に訴える言葉の数々。 それは特別な能力ではなく、動物など他の生き物が自らの持てる力でもって人間に語り,コミュニケーションをとるのである。 動物たちの世界オでも一匹では目的を達成すること、夢を実現させることはできない。 動物たちの力をあわせて、一つを成し遂げるのだ。
 “贈り物”、それは二つあると思う。 一つはクモの巣の言葉の数々、そしてもう一つは“愛”。 どちらかと行ったら後者であると私は考えている。 ブタがtどうる運命のレールを歩んでいたら決してえることのできないものである。 シャーロット、そして人と人以外の生き物たちとの間につながりができたきっかけをつくったのがファーン。 ウィルバーは自らの運命だけでなく、 人々を同じ小屋のもとで暮らす動物(仲間(たちをも替えた。 ウィルバーには人や動物の心を動かす力がある。 “特別であって、特別ではない”。
 何かとび抜けてできる得意技を持っていたり,血統書がついているわけでもなく、ただ純粋なのだ。 まさに(物語の冒頭にあるように)平凡なものどうしが出会うことで、素晴らしい奇跡が起きる。

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by jd69sparrow | 2007-09-06 23:51 | 映画タイトル さ行