カテゴリ:映画タイトル さ行( 74 )

シンデレラマン

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 実在した人物の本当に起こった奇跡、それは感動の気持ちであふれるものだった。 1930年代頃ボクサーとして名をあげた人物、ジェームズ・J・ブラドッグ。 彼はまさに“奇跡の人”と言えよう。 時代の苦境に生き,それでも家族を思い彼はあきらめたり,へこたれたりはしなかった。むしろそんな言葉などジムの頭の中には存在しない、あるいは“絶対にあってはならない、そうなってはいけない”という彼の固い決心であったのだろう。 彼は仕事にばかり専念し、家庭をおろそかにすることもご法度であったに違いない。 ボクサーという仕事は栄光をつかむための手段であったかもしれないけれど、家族を守るための手段に過ぎないという印象の方が強かった。 仕事ばかりの人間ではないのだ。 仕事が成功し忙しくなると子供の様子すらわからないかもしれない、だけどそれはほぼないに等しかった。 ジェームズ・J・ブラドッグという人物をこの映画で初めて知った、タフな人間であり常に向上心と家族への愛情が彼の中にはあった。 つまりこの物語は大恐慌という厳しい時代の苦しさを乗り越え、奇跡をよんだ一人の父親,ボクサーの真実の物語である。
 主人公ジムはプロのボクサー、彼にはメイという妻がいて三人の子供がいた。 そして彼は家族をとても愛していた。時代に暗雲が訪れる頃 それまでボクサーとして栄光の道を歩んでいた彼はやがて時代の暗雲にのみこまれ,ボクサーのライセンスすら剥奪されてしまう。 その時子供を養い生きていくことはとても難しいことだったようだ。 それでもジムはなんとかしようという熱い思いを捨てることはなく、低賃金でもなんとか職について働き、また大切なものを売るなどして苦しい時代をひたすら生き抜いた。 しかし彼のボクサーとしての人生は短くはなかった。彼は精神的にも体力的にもタフで時代に負けない強い人、。 おそらくは家族に幸せをあたえていきたいというジムの願いであった。 子供たちに余裕をあたえ、メイに再び幸せな笑顔を取り戻させようという一心で、しかも貧しさをいいわけにすらすることもない。
 アメリカが大恐慌の渦中にあったこの時代は戦争が巻き起こった時代でもあった。それから来る苦難もあっただろう。 人々がみなこの大きな試練を課され、自分や自分の家族を守るのに必死であった。 選ぶ選択肢も少なくて、それが迫られる。 職にありつくのもかなりの困難で自分が持つものを維持するのもまた然り。 「こうするしかないんだ」という言葉にはその人の苦しさが込められていてとても悲しくもあった。 ブラドックのまわりの人々も時代の波にのまれる。
 ジムは家族のことを思うあまりまるで自らの魂を本心からささげる覚悟があったように思う。 体がボロボロになりかけてもいとわない。 ボクサーである以前に人間的に温かみのある人である。 苦しいときも投げ出したりせず家族を養うことに真剣に向き合える。 どんなに貧しくてもなんとかして恐慌の時代を生き抜いていこうという姿勢が心に焼きつく。 輝かしい人生はいつ時代の恐慌にのまれるかわからないということが一つ思えることである。 だけどあきらめさえしなければ再びチャンスがやってきて、奇跡を起こせるのだと、そういう可能性を実感できた。
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by jd69sparrow | 2006-12-20 02:04 | 映画タイトル さ行

最後の恋のはじめ方

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 男性から見た恋愛論、決して間違ってはいない。 主人公ヒッチによる恋愛論であるが,また 彼の分析、彼の目にうつる女性像は100%正解かは見る人の見方によるかもしれない。 だけど共感できるところ、その論理に納得させられるところがある。 人間、どちらにしたとしても誰かに恋をしたときそれを中々正直に言うのには個人差があるにしろ勇気がいる。 その一歩が踏みしめられずいる人は少なくないはず。 これはいまひとつ勇気を出すことのできない恋に不器用な男たちをサポートするヒッチとう男の物語である、しかしこのラブコメディはそういう視点で描かれているけれど男性から見ても女性から見てもおもしろいものだと思う。
 ヒッチの持つ職はちょっと変わっていて,けれど人に勇気をあたえる仕事である。 彼には人を見抜く力がある。 派手に宣伝することなくクチコミにより自分のビジネスを広める、裏方的なものといってもいいかもしれない。 好きな相手と恋をはじめたい,けれどどうしたらいいのかわからない恋に内向的、だけどその奥底にその人にしかない魅力がある。 それを引き出し依頼人の恋をサポートするのがヒッチの腕の見せ所。 実際にもしこういう仕事があったらとても素敵なことと思う。 これは一種のボランティアで何より人に勇気をあたえ,それは夢を実現させるという運びでもあるよう。 ヒッチ自身の恋の経験から恋のはじめ方のわからない男たちへとアドバイスをする。 高嶺の花である人に恋をし、それを半ば無理と思いつつも成就させることを切に願う依頼人アルバート、彼の持つ良さを見たヒッチはアルバートを手助けし,また彼自身も恋に落ちる。 ヒッチの仕事模様とヒッチ自身の物語を描いている。
 “場面場面、テンポが違う”というこの作品への見方がある。 ラブコメディとジャンルが分けられているが、その中身は様々な要素の上構成されている。 主人公が自身の恋愛論をとくところから始まり、真に迫ったところや恋愛モノそのものなところもある。 つまり多様な物語と言えよう。 笑って感動してその楽しさなどその時その時で少しずつ違う気持ちで見れる映画だ。 ところどころでヒッチによる恋愛論が語られ、冒頭で小説でいう序章や前書き,これから展開する物語に軽く触れる、さらに締めくくりもちゃんと結論づけられている。 本を書いたり論文など研究をしたりなどする際に最初に何を言いたいかをとなえ,その結果を示すと同じように。 主人公の理論 恋愛をテーマにしたものだから主人公をはじめとする登場人物たちの恋模様を見れると同時にヒッチとアルバートの友情に近い信頼関係を見ることができる。 アルバートはとても不器用で素の自分と格闘しているところや、不器用ながらも努力をおこたらない場面には笑みを誘うものがある。 例え自分が思う人が高いところにいたとしてもその人に対して働きかけるかによって不可能は可能となるのだろう。 物語の中の人物たちだけではなくこれは見る人へも語りかけ,また勇気をあたえるものだと思う。
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by jd69sparrow | 2006-12-17 17:58 | 映画タイトル さ行

シン・シティ

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 映画のいろんな面に驚かされた。 それは内容はもちろんのことだがキャスティング,製作陣にである。 出てくるキャストたちはブルース・ウィリスやベネチオ・タルトロからニック・スタールとバラエティに富んでいるが、監督が三人というところもまた異例であり、すごいところである。 三人も監督がいたら意見も食い違いそうなものであるけれど、そうではなかった。 原題(「Frank Miller's SIN CITY」とあるように)原作者フランク・ミラー、ロバート・ロドゲリス、そしてスペシャルゲスト監督としてクエンティン・タランティーノと良い意味で驚きの組み合わせである、キャスト陣も登場人物が多いだけに各方面のキャストが揃っている。 だからキャストが多いということは普段では中々お目にかかれない組み合わせをそこで見れるということである。 そのすごさを伝えるためにキャスト陣を述べていきたいと思う。 ブルース・ウィリス、ベネチオ・タルトロ、ジェシカ・アルバ、ミッキー・ローク、クライブ・オーウェン、ニック・スタール、イライジャ・ウッド、ジョシュ・ハートネットなどなど。 この豪華な顔ぶれは登場人物の多い映画の見所である。 
 この映画には複数の主人公が存在する。 作品中では一人一人のエピソードがあって、それぞれが数人ずつが登場している主な登場人物はたくさんいるけれどその中でも特に主要といえるキャラクターと準主要キャラクターと分けられると思う。 だから主要キャラクターと準主要キャラクターが小グループとなってそれぞれのエピソードが連ねられていく。 一見、それぞれが“シン・シティ(罪の街)”が舞台となってそこでストーリーが展開されていくこと以外関わりのないように見えるが、そうではない。 物語が進むにつれて複数の主要人物たちのエピソードが一つにつながっていてそれがサークルになっているということが明らかにされていく。 つまりパズルのピースをはめていくように物語が進むにつれてピースが揃って組み合わせれていくわけで、そのピースが全てはまったとき、おもしろさと一つの輪で物語がつながっているということがわかる。 最初と最後はかなり鮮明に残るもので、はじめで謎を問いかけ、最後で答えがあらわとなるというわけだ。 「なるほど」と納得させられる。 
 ストーリーとしては登場人物一人一人が目的を持ち,生きていてシン・シティに潜む異常な何かに動かされている。 黒幕ももちろんいる。 彼らは彼らが信じる道を進み、全うする。誰もが迷いなどなく、思いを遂げていき そのさまはまるで詩を語るかのようでもあり、潔さがあって実にすっきりとしていて曖昧さを残すことがない。
 登場人物たちは誰も彼もがただものではなく、ブラックヒーローのようである。 しかしどのキャラクターにも惹かれる箇所があって、決して現実離れしすぎずていないのでよくできていると思った。 体内から炎をだすわけでもなく、体が変形したりするわけでもない。  また、映像的にもおもしろい部分がある。 アニメーションを折り重ねられているところはタランティーノ監督の「キル・ビル」を連想させる。 しかし、この斬新な映画をよりいっそう斬新なものにしているのはまさにこの演出、そして映画で使われている色のトーンにある。 主にモノクロであるけれど、赤やはっきりした色がところどころでカラーが使われている。 その色彩の度合い、使われ方がおもしろく、そして綺麗である。
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by jd69sparrow | 2006-11-24 19:33 | 映画タイトル さ行

シャイニング

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 ホラーにはいろいろなジャンルがある。 それは恐怖の出てくる源がジャンルを分ける決め手となることだろう。 見た目の恐ろしさとその状況などといった表面的で恐怖がカタチとなってでてくるもの、そして見えないものからくる恐怖、そして狂気と化した人から追われるというものなどなど。 大きく分けてしまえばカタチある恐怖と精神からくる恐怖の二つである。 「シャイニング」は精神からくる恐怖,その中でも狂気と化した人間が標的をとことん追うというもの。 ハリウッド界でこだわりぬいた役作り、個性派の大御所ジャック・ニコルソンが狂気じみ,恐怖そのものと化してしまう男を演じる。 じわじわとゆっくりゆっくり時が経過し、次第に訪れる恐怖を描いた作品だ。
 ジャック・トランスは息子ダニーとその母親ウェンディと,家族で閉鎖されたホテルの管理のためそこへ住み込むことになった。 彼らの他には誰もおらず、音のない静かなホテル。 滞在客もいなければ従業員が行きかうこともないただただ広いホテル、ジャックたちは豪邸のような我が家で暮らし始める。 仲の良かったはずの家族、ジャックっもウェンディも息子を大事にしていた。 しかしそんな彼らがホテルでの日々が始まり、少しずつ時間が経過する中でその影で恐怖が芽生え始めていたことに気づくよしもなかった。 ダニーには不思議な力があり、それは見えるはずのない人々を見ることである。 その力はまだ幼い少年の心には負担が大きいものであり、そして彼とウェンディに襲い掛かる恐怖はさらにダニーを苦しめることになる。 ホテルで過ごす中で彼の父親は何かに取りつかれて日を増すごとに狂気になっていく。 その過程は実にじれったさがあるがそれこそが恐怖をゆっくりと確実につのらせる要素なのだと思う。
 先に述べたように父親ジャックがだんだんと恐怖に変わるという恐怖と、さらにダニーとウェンディが斧を手にしたジャックから追いかけられるという恐怖とがある。 一人が何かに取りつかれ武器を持って家族である二人を恐怖に陥れるというのは恐るべきこと他ならない。 ついこの間まで仲良かった家族がそのように変わり果ててしまうとういうのは恐いというより悲しさがあろう。 しかし、母子は必死で恐怖から逃れるほか道はないのだ。 ジャックが自分の狂気を感じ始めるのもとてもリアルに描かれている。 “広すぎる我が家”、これは彼ら家族を苦しめるものとなってしまうものになってしまう。 暮らすには申し分なく広いけれど逆に恐ろしきことが起こるときは厄介なものにすらなる。 
 最後にちょっとした謎もうかぶようであるが、恐怖の原因が明かされるというのは後に“その恐怖”を印象付けるものであるように思う。 恐怖が過ぎ去ってしまったと思いきや 最後にもう一押し残る。 そういうものがより恐いものであったりする。
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by jd69sparrow | 2006-11-20 23:43 | 映画タイトル さ行

ジャスティス

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 1945年、第二次大戦下のドイツ。 そこには多くの捕虜が収容されており、そこに捕虜として収容されているアメリカ人兵士も少なくなかった。 邦題は“Justice”、原題は“HART’S WAR”である。 この物語は主人公ハートが無情すぎるドイツ軍のたちの取り仕切る収容所の中で本当の意味での“正義(Justice)”を問い、そこで起こる事件の数々に立ち向かっていくという内面的、また,そこでの内情的な戦いなのだ。 舞台となる時代背景としては戦時中であるが、武器を使った戦争ものではなく、ドイツ軍につかまったアメリカ人捕虜の,収容所という場所で始まり場所で終わる物語。 戦いに行くことができず,その行く手を阻まれた兵士たちを描いている。
 ハート中尉は父親の心遣いのもとその地位を手にした兵士、任務中,その行き先で行く手を阻まれドイツ軍の捕虜として捕まってしまう。 捕虜としての彼の日々が始まる、ハートが入れられたのは自分の部下にあたる兵士たちが寝泊りする場所だった。 厳しい規則にしばられる捕虜の兵士たちの中にいきなり立たされたハートには温かい視線が向けられることはなく,むしろまわりの目は冷めていた。 もちろん戦時中でしかも捕まっているという状況で温かさなどあるとは思えないけれど。 しかし、彼が歓迎されていないことだけは確かであった。 息苦しい環境下でハートは次々と起こる事件や敵の冷酷さの実態彼より先につかまっていたマクナマラ大佐をはじめとする見方の兵士たちを“見る”。
 厳しすぎる規律により簡単にそこにいる捕虜たちは敵軍により命をうばわれてしまう、そんな中 事件は起こり,後を絶えない。主人公はそんな場所にいる、ハートの目には味方であるはずの上官や部下たちの中にでさえ正義を見出せない、疑問の色が浮かぶのである。 兵士たちからなる軍は国を守るために戦う戦士で、“正義”や“誇り”のたまに命をささげるであると思う、しかしハートが来た場所にはあるはずの“正義”の言葉はない。 というよりも戦いを続けていく中でそれらの真意は失われたのかもしれない。 そして何が真実で何が偽りなのかもわからない、これは全てではないかもしれないが、今の世情からしても言えることではないかと思うのだ。 この映画でわかったことの一つは、人にはそれぞれ異なる正義があるということである。 多くの人々が信じたものであっても、残りの人々にとっては信じるにあたいしないことだってきっとある。 それは否定できるものではないし、人がお互いに全く同じ個性を持たないように,その人が思う何かもそれぞれなのであろう(しつこいようだが、この映画では“正義”がそれにあてはまる)。
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by jd69sparrow | 2006-10-20 19:42 | 映画タイトル さ行

千と千尋の神隠し

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 “トンネルの向こうは不思議な世界でした”。 日本の古きよき時代の要素がふんだんに使われた和製「不思議の国のアリス」、しかし100%ではなくて、多少違う方向を指している。 主人公は10歳の女の子,千尋。 千尋はごく普通の女の子で特別であるわけではない,千尋が“不思議の国”、つまりここでは神々たちが疲れをとりに足を運ぶ湯屋がそれであり、彼女がこの絵界に入って働くことで物語全体を通して見る人じゃあらゆる可能性を自分の中に見出すことができるのだと思う。 泣き虫で甘えん坊という女の子はとても身近である。美しく落ち着いていてなんて方が珍しい。
 自分のとなりにちょこんと座っている女の子といった感じなのが千尋であって、この歳の女の子の代表というカンジもある。 だから「特別な力を持っているから…」ということがないので親しみやすいのだと思う。
 主人公・千尋は田舎町に引っ越してくる途中、不思議なトンネルを見つける、地と親と母親についてそこから抜けると,なんとも変わった光景が。 千尋はそこになる見たことのな建物が並ぶ場所に恐れを抱き,一人さまよっていると、神々がやってくる町であることに気づかされる。 魔法で豚にされてしまった両親たちを救うためにそこで出会った美少年で謎に満ちたハクの助言を受け、町のはずれに聳え立つ湯屋・油屋で働くことに。
 見る者は千尋と共に油屋を訪れるかのようになる。 そこには温泉や広い客間があって外観からしたらお城のようだ。 湯屋にやってくる神々たちはいろいろで、ヒヨコの神様や、トトロのように大きくて愛らしいキャラクター,大根の神様なおdバラエティに富んでいておもしろい。 個人的にだがおもしろいキャラクターといえば釜ジィや青蛙。 釜ジィは蜘蛛のような足を持ち,湯をわかしたりする頑固オヤジのようで意外とお茶目で優しいおじぃちゃんといったカンジである。
 千尋が働く湯屋を取り仕切る意地悪な魔女,湯婆婆は強欲で意地汚くも映るけれど、そんあn彼女も母親。 彼女の子供である坊の前では過保護で子供に出来合い,それに頭が上がらないというギャップのおもしろさがある。 そんな湯婆婆を夏木マリさんが演じる。 湯婆婆の双子の姉・銭婆も演じている。 対立していて性格も異なる二人に声で命を吹き込んでいるのだ。 湯婆婆は口うるさく人間に対してよくは思っていない。 銭婆は湯屋から離れた場所で静かな生活を送り、無欲のようだ。
 千尋ははじめ、礼儀も知らず,甘えん坊。 突然 放り込まれた絵s回におびえていた。 しかし、湯屋で働くうちに自分の中にある可能性を見つけ,気づくといつの間にやら可能性から引き出された力を発揮している。 それらに気づくことで目の前イにある未来への扉の前にある霧が晴れ、先にある光が見えてくるのだ・ そして、そこに喜び、“生きる喜び”を感じる、と私は思う。自分はこの先何をしたらいいのかと不安を持つとき、自分に自信が持てないとき、自分の中の可能性とそれがわかる喜びを感じる。 誰もがみな、自身の中に未来の道が開ける“それ”があるという“メッセージ”なのだろう。
 小さな生き物たちにも注目して欲しい、これもあでのジブリ映画に出てきた可愛らしいキャラクターの登場もある。
 千尋が自分の中にある“力”を知る物語(そこに感動が得られる)。 そきが焦点ともなり,千尋とハクのつながりの真実を追っていく様子も、物語を動かす大切なギア。 銭婆の言う「記憶を忘れることはなく、たさ思い出せないだけ」というふうなせリフが頭の中に残るのだ(そんな銭婆に人間味を感じる、湯婆婆にも全くないとはいえない)。
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by jd69sparrow | 2006-09-01 00:52 | 映画タイトル さ行

下妻物語

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 ひらひらな服を愛する女の子がいた、彼女はフランスのロココ朝時代のファッションと生き方を好んでいた。 いわゆるロリータファッションである。 彼女は龍ヶ崎桃子、父親はヤンキーで,人としては ダメダメな父親だった、母親も生き方としてダメダメな父親と遠からず。 そんな両親のもとこの世に生をうけた桃子はロリータファッションに目覚めたが、家は貧しかった。そんな中イチゴと出会う。 桃子は自由な生き方を選び、ファッションに熱をそそぎ一人だった。 でも自由な生き方を好んだ彼女は例え一人でも楽しく生きられれば良いとしていた。 イチゴもまた一人だった。 しかし桃子とイチゴは全く正反対な女の子で、イチゴは一言で言えばヤンキーで、金髪に黒い目元と口元のメイクで決めていて桃子と同じ高校生の彼女はスケバンスタイルといういでたち。 少女漫画から飛び出したかのような桃子と不良のイチゴ、一見つりあわない二人は離れられない存在となっていく。 これは桃子とイチゴの友情物語なのである。
 この映画を表すなら劇画タッチで描かれるレトロな風味の少女漫画のようだ。 ヤンキーがいて、安さに目がない人々がいて。 シーン一つ一つの見せ方はとても独創的で歩きながらでもついつい夢中になって読んでしまう漫画を手にして読んでいるという感覚で楽しめる。 桃子が語る下妻の人々と彼女の生い立ちなど、つまり桃子の語りで物語が語られる部分があってときにはまとめられるところもある。 そこで描かれる世界のノリのよさがとてもおもしろく、彼女がイチゴにするツッコミも鋭く的を射ていておもしろい。 おもしろさを求めたりとか自由な暮らしを満喫する彼女であるが彼女の言うことには筋が通っていたりして とても賢い人物のようでもある。
 イチゴはツッパっているけれど心優しく情に厚い女の子。また、恋に不器用でもあった。 彼女は一人で生きようとし、かたくなに一人になろうとする桃子に歩みよる。 彼女には人としての大きな器があって人生のたてまえを心得ていた。 イチゴが友情や絆にかける気持ちは熱い、そんな彼女の人間味の深さというのが彼女の魅力である。
 桃子はイチゴに出会い,イチゴにだんだんと心を開いていき,またイチゴも本当の友情を見つけ 二人はまぶたちのように絆を深め、気づくとお互いがお互いのために体を張っている。そして二人ともが自分の道を新たに見出していくのである。 笑いと友情の物語なのだ。
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by jd69sparrow | 2006-08-27 00:07 | 映画タイトル さ行

スーパーマン リターンズ

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 ヒーローの代名詞的でもある「スーパーマン」は最初の公開から約30年たった今、復活をとげた。 誰も知っているキャラクターの五本の指に入るようだ。 テレビドラマシリーズになったりアニメになったり,映画は過去に4作という快挙! そして今、クリストファー・リーブの後を次ぐスーパーマンとしてブランドン・ラウスという人がこの「リターンズ」という壇上に上がった。 監督から俳優まで新しくなったわけだが期待を裏切らぬ“スーパーマン復活”であると思う。 「スーパーマン」を最初に演じたクリストファー・リーブのスーパーマン像のイメージとほとんど変わらずその良さが出ていたことだろう。 素顔を出しているヒーローが実は少ないという事実はとても意外だ。 (「スーパーマン」の記事でも触れたが)考えてみると今人気を集めている映画は根元にスーパーマンの要素が根付いていてそれはヒーローとしての素質だったりヒーローの“仮面”の下にある彼らの素顔や人間性だったりする。 
 スーパーマンが復活したのはヒーローの始祖たる彼の光がこの時代に照らすことを必要とされたからなのかもしれない。 話は前作とつながっているようで強敵レックス・ルーサー、スーパーマンの永遠の恋人ロイス、スーパーマンことカル=エルが地球でクラーク・ケントとして暮らす,そこでの母親マーサなどといったキャラクターは今回でも登場し、重要な役割を果たしているのだ。 現代によみがえったスーパーマンは技術の発達により,ますますスピード感あふれる空の旅が素晴らしい。 びゅんびゅんと瞬く間に空を駆け抜けていくし、人の声を聞き分け即座にかけつけたり、ヒーローらしいヒーローである。
 スーパーマンが地球を離れて五年がたった。彼は旅から戻ると環境は変わっていた、その中で大きいのはロイスの現在。 家族がいて,さらに新聞記者としてキャリアは確実に上がり,クラークとは当然の差,距離が離れていた。 “変わらないと思っていたことが変わってしまう”というのはこのこと。 なんだかわいそうでたまらない。 どんな理由にあったんいせよ。 そしてレっクス・ルーサーの脱獄と復活とげられスーパーマンに,そして人々を襲う。 彼は自らの野望の実現と自分を刑務所へ送ったスーパーマンへの復讐を誓っていた。 彼が強敵な訳は頭脳明晰さとスーパーマンの弱点を知る数少ない存在だからであり、スーパーマンを弱点からじわじわと責めてくる恐るべき敵。 しかし、スーパーマンの優しさやパワーに劣らぬ悪役としての魅力が彼にはあり、シリーズの最初から登場する。それはポール・ニューマンからケビン・スペイシーへと受け継がれ、悪い奴だけどユーモアというかお茶目さがあり、そんな彼の頭はすっきりとしているという点が彼のおもしろい点でもある。レックスにスーパーマンに匹敵する超能力がないにしても彼には頭脳があり、スーパーマンと彼との戦いは長きにわたる。 そして今回は無敵に思えたスーパーマンも危機にさらされることになる。そしてロイスとの恋愛模様も見逃せないところである。
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by jd69sparrow | 2006-08-25 01:34 | 映画タイトル さ行

ジキル博士はミス・ハイド

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 「ジキル博士とハイド氏」という作品がある、この話は主人公であるジキル博士が自らの研究によりもう一つの人格,ハイド氏を作り出してしまう。ハイド氏はジキル博士と違い善のない小男である。 近年、「リーグ・オブ・レジェンド」でも“ジキル博士とハイド氏”は登場し、最初の印象としてはこちらもジキル博士は善でハイド氏は悪というふうである。 この映画は「ジキル博士とハイド氏」をベースに つまり、ジキル博士とハイド氏の人としての特徴と仕組みを活かしたコメディである。ジキル博士は主人公のリチャード,ハイド氏は彼の主人公のもう一つの人格“ヘレン・ハイド”にあたる。 ヘレンというリチャードの中にできたもう一つの人格はとても美しい女であり悪女なのだ。
 リチャードは香水会社で香水を開発する研究者である。彼はある日,大叔父の遺産をその家族に分配する会合に出て彼が譲り受けたのはなんと古びた研究ノートだった、それは科学者だった彼の祖父が残したものだったのだ。 リチャードは早速そこに記された研究を自らが実験台ととなることを決めた。その研究の正体は“ヘレン・ハイド”という女の人格を彼の中に作ってしまうものだったのだ! リチャードはヘレン・ハイドに変身したり戻ったりの二重生活を送ることに。
 へレンは色気を使いリチャードが働く香水会社をのっとる計画をもくろんでいたのである。 彼をのっとり支配していくヘレンにリチャードはあらゆる手段を使って対抗し、戦っていくわけで一つの体をめぐるリチャードと悪の人格へレンとの戦いの話でもあるのだ。 ヘレンへの変身はリチャードを突然襲いもどるのも同じであった。 リチャードの髪はいつのまにやら伸び,グラマラスな女へと変わり,リチャードは記憶もろとも消えてしまう。
 そんな二重生活にしてやられてしまうリチャード,それを見て勝利してほくそ笑むヘレン,終盤にかけての彼らの戦いはおもしろい。 (リチャードの)恋人セーラ,そしてリチャードの会社の上司までもがその騒動に巻き込まれてしまうのである。 リチャードがヘレンをこらしめるためにすることとセーラが彼女に挑むダブルパンチが見所である。 セーラの奮闘ぶりもすごい。リチャードがヘレンをこれどもかと言わんばかりの仕掛けをし、こらしめるのもすごい。 リチャードとヘレンとが行ったり来たりするところ、特にリチャードとヘレンの顔とがぐるぐるとめまぐるしく変わるところがとても印象深かった。
 全編を通してコメディであるが、その結末というのは人々をあっと驚かせ それまでに主人公にふりかかった最悪な出来事が主人公にとっての吉へとつながるという後味よいものにし、そしてそれは説得力のあるものだと思う。 最悪なことが続いたあとには良いこと、最高なことが起きるといういうように最悪な経験から最高が生まれ、幸運へと誘ってくれるのだろう。 いわば幸せへの道しるべというべきか。
 最後の結末のあと,その後のエピソードが語られるお楽しみが用意されている。 リチャードとセーラの愛の行方、“ミス・ハイド”ことへレン・ハイド、そして脇役たちのその後などなど。
 絶妙なタイミングで現れたり、どこかへ行ってしまうセーラ、中々報われず災難に災難が重なり,頑張りが報われないリチャードの助手ピートがおもしろい。 何度パンチをくらってぼろぼろになり、それでも立ち上がる根性、しぶとさがイイものであってもなくても悪くもとれるが、よくもとれ,おもしろいと思えるのだ。
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by jd69sparrow | 2006-08-24 21:43 | 映画タイトル さ行

スーパーマン

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 誰かが助けを求めるとき、彼はどこからともなく現れ人々を救う。まるで頭の中に助けを求める人々に反応するレーダーがあるかのように。 それはヒーローもののお約束であるが人々の命を次々と救い,時には悪をこらしめて彼はまさに人に優しいヒーローである。 「あなた何者?」と問われ、彼は「友人さ」と一言。 そう、彼はあらゆる人々の“友人”なのだ。 彼の名は“スーパーマン”、しかしスーパーヒーローの普段は目立たぬマジメな会社員クラーク・ケントなのだ。 
 彼のオンオフはとてもわかりやすく分かれている。メガネ外すとヒーローの顔が覗く。 変身前、電話ボックスを探す彼の姿は「Dr.スランプ」が思い出される。ちなみにそこでは“スッパマン”、鳥山明氏によるアニメである。 電話ボックスで変身をしようとする姿,ビシッとキメたスーツに綿密にセットされた髪,そしてメガネ、少し滑稽に見えるけれど普段から目だっているとかえっておもしろくない。目立たないマジメで大人しい青年が、誰もが憧れるかっこいいヒーローになることに意味があり、それと彼のパワーが加わりその驚きが人の心に「驚き」という衝撃と興奮の炎をあたえるのだ。“元祖ヒーロー”と言っても過言ではないだろう。
 ヒーローがいてヒロインがいてそして悪者がいて、アクションとロマンスのこそがヒーローものアクションの必需品。スーパーマンが地球にやってくるときから後半のめまぐるしい展開がおもしろく、特に後半は彼の感情がよく出ていておもしろいような驚きのような行動が描かれていて頭に焼きついた。
 「スーパーマン」の物語は宇宙にあるスーパーマンの生まれた星の滅亡の危機からまだ赤ん坊のスーパーマンが地球に送られることことから始まる。 彼は子ども時代からすでに人並み外れたパワーとスピードを持ち合わせていた。 彼の悩みが自分のパワーを見せることが見せびらかすということになるのかということ。 そんな悩みを持つ彼は純粋で心に穢れがなくきれいであるというふうにカンジさせられた。 スーパーマンは彼に課せられた使命を悟り人々の味方,スーパーヒーローになる。 彼が飛ぶのは一説に彼が生まれた星と地球とでは重力が違い、そのため空が飛べるというふうなものがあり、しかし後に彼が見せる特殊能力を見ると彼の正体は人に近いものがあるが人とは性質に違う生き物というふうにとらえられるので彼がなんであるか深くは見えない。 とはいえ何もかもわかってしまうのはおもしろくないのかもしれない。 ちょっとした謎の一つや二つはあるほうがおもしろいのだろう。 映画は全てを説明するのではなく映画に隠された謎を考えせるもの、つまり物語を把握しつつも観る人たちに考えさせるというものなのかもしれない。
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by jd69sparrow | 2006-08-22 23:57 | 映画タイトル さ行