カテゴリ:映画タイトル た行( 82 )

トワイライト・サーガ『ブレイキング・ドーン』 -par1-

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by jd69sparrow | 2012-02-26 23:30 | 映画タイトル た行

タイム in time

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by jd69sparrow | 2012-02-24 18:18 | 映画タイトル た行

トランスフォーマー:ダークサイド・ムーン

2011年7月29日(金) 公開初日!


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<前回までのあらすじ>
 惑星サイバトロンは、金属生命体が数多く生存する,かつては平和的な惑星。 その歴史は人類のを遥かに超える。 しかし、メガトロン率いるディセプティコンという組織の反乱により,戦争が勃発。 自由と平和を愛するオートボッドたちとディセプティコンとでサイバトロンは二分される。
 メガトロンは地球へとたどり着き、そして永い眠りにつく。 オートボッドたちもまた、戦争により壊滅的となる。時を経て、メガトロンの脅威は復活し、彼の野望を阻止するべく,オプティマスプライム率いる,オートボッド軍は,地球を目指し,地球の車のスタイルを体に取り込み,新たにトランスフォームする。
 地球という舞台において、人類を巻き込み,オートボッドとディセプティコンの戦いが繰り広げられる。 オートボッドは人類と共存し,共に闘い、ディセプティコンは 復活を繰り返し,あらゆる手段で地球侵略をもくろむ。 彼らの戦いの行く末の鍵となるのが 地球人である サムだった。

<今回のあらすじ>
 人類が初めて月に降り立った,その偉大なる一歩を成し遂げられたその日、密かにある任務が遂行されていた。 ことの始まりは,50年も遡る。 宇宙飛行士が見たものは かつてサイバトロンで起こった戦争で墜落したオートボッド側の戦闘機とオートボッド軍の元司令官で,眠りについているセンチネルプライムであった。
 メガトロンの二度目の復活による戦いから二年。 サムは人類を二度も救った偉業で大学を卒業するも 就職先が未だに見つからない日々を送っていた。 彼の生活をつなぐは,新しい恋人カーリーだった。 しかし、悩む日々が続くも平和な日々は長くは続かなかった。 またしても、人類は存続の危機の渦中に立たされ,サムはその戦いに巻き込まれる。
 ディセプティコンは地球にいるオートボッドたちを遥かに超える,数で地球侵略を試み、その鍵となるのがセンチネルプライムの復活だった。


<感想>
(※ネタバレにご注意ください!!

 シリーズ最終章。 一つのテーマは“裏切り”である。 それはオプティマスプライムが最後にしめくくった一言が指している。  その一つは、ごく一握りの人類がディセプティコン側につくという,なんとも意外な展開だった。 それは今回のストーリーを動かす機動力の一つでもある。 しかし、最も恐ろしい“裏切り”は他にあり,それは 遠い昔から既に起きていて,人類はおろか、オートボッドたちをも追いやることとなる。  そこが『ダークサイド・ムーン』のポイントだ。
 シリーズ初の3D。 これにより、更なる映像テクノロジーが駆使され,臨場感もスケールもアップしている。 3D技術はこの映画のためにあると言っても過言ではないだろう。 オートボッドたちが 実際に存在するかのようにリアルなのは この立体技術が大きく影響されているのだと思う。
 新たなるオートボッドの出現にも注目であるが、ディセプティコン側にもある。 なぜなら、彼らにもオートボッド同様の車へのコピー能力はもちろん、様々な形態を持つからである。 ここで面白いのは  ショックウェーブである。 個人的に 『ガンダム』に登場する,あるモビルスーツに見えて仕方が無い。 少なからず影響を受けているのではないかと思うのはせいか。
 シリーズを通していえることかもしれないが、この作品の見所の一つが“スピード感”である。 物語の展開はジェットコースターのように進んでいく。 ストーリーとしても映像としても。 展開が速く、この作品ばかりは吹き替え版で観る方が着いていくにはいいかもしれないし、吹き替え版であるとかないとか 気にならないくらいの面白さである。 
 スピード感をより明確に表したモノと言えば やはり戦闘シーン。 ほとんどが走っている状態でのもの。 追いかけられていることが多い。 車の形態でオートボッド、ディセプティコン共に走っており、その状態からトランスフォームする場面は迫力満点。 具体的に例を挙げると、バンブルビーである。 バンブルビーはサムを車として乗せた状態からトランスフォームし、戦闘する場面が多いようで、バンブルビーこと,ビーがトランスフォームで車から戦闘モードに入るとサムは宙に放り出され、戦闘が終了するとビーがキャッチして,車にトランスフォームして、サムを運転席に戻す。 この一連の流れがとても印象的であり、個人的にはこの,サムがビーに放り出され、宙に浮かんでいる,スローモーションの場面こそ3Dが体感できると思う。
 実写版『トランスフォーマー』において、見所はたくさんある。 様々な形態の改造車?で登場するオートボッドとディセプテコンはもちろんであるが、忘れてはならないのが サムとビーの友情の絆。 ビーは言葉を話す機能を失い、自分の本来の声とは違う様々な“声”(おそらく、地球に着てから声をデータとして取り込んだ)で話す,過去の影があるキャラクターであるものの,しかし そんなこととは裏腹に底抜けに明るいキャラクターであり、熱いキャラクターでもある。 まるでそれは、志村園長とパンくんの関係の陽でもあり、名犬とその飼い主(パートナー)という関係性に見える。  ビーは暗い過去があっても それを引きずらない、人間ではないけれど、人が尊敬すべき性格の持ち主なのだ。 どんな危険な状況下でも サムを思いやる言葉は忘れない、明るく熱い言葉をかける。 字幕で観てもそれは伝わると思うが、吹き替えはより私たちの言葉に近いだけにより伝わると思うし、心に響いてくる。 ビーとサムとの絆はメガトロン最初の復活の前から既にサムが意図せず結ばれていた。
 ビーはオートボッドの中でもとても頼れる存在ゆえに、メガトロンとの最初の戦い以降,設立された特殊部隊・NESTと共に戦いに出ることが多い。 そんな状況に やきもちのような感情を抱くサム。 さらには新しく買った車は限りなく,ビーのモデルに近いデザインであり、車のミラーには蜂(ビー)のマスコットまであることを観るとビーへの思いが強く,友情や愛情?の強さを象徴している。
 サムじたいに特殊能力は無いけれど、『スパイダーマン』でのヒーローとヒロインの関係性を思い出す。 というよりも、ヒーローもの全体に言えるかもしれない。 主人公はヒーローになると,ヒロインとの間に溝が出来てしまう傾向がある。 サムも例外ではない。 三作目にして,新しいヒロインが登場するが、この傾向を今回 打ち破っている。 大切な存在を守るべく、戦争が本格的に始まってから終始,カーリーを守ることを怠ることは無い。 そのたくましさが、主人公の成長の証と言えるだろう。 
 もう一つ見所としては、人間とオートボッドたちが協力し合う様々な場面。 オートボッドたちは人間の生活の中に溶け込んでいるものもおり、戦闘における良きパートナーである。 今回も彼らは互いに知恵を出し合い、戦い連携しているのだが、やはり人間対ディセプティコンという場面も多くある。 勝ち目がないと思われる人間たちが 敵の隙をついたり,弱点をロックオンして攻撃する様子を観ると 戦いの結果というのは 必ずしも勝ち目の有無とは関係があるわけではないのだと思う。 つまり、人間が一丸となれば 強敵にも立ち向かっていけるのだと観ている側が、勇気付けられるのである。
 「いつの間にか…」という場面が多い。 それはスピード感に追いつけなかった場合なのだが、ちょっとツッコミたくもなる。 決して悪い意味でなく。 大きな敵への一撃、オプティマスたちの登場やオプティマスの復活などなど。
 いろんなオートボッドたちの強さに魅了される。 だが、やはりオプティマスのかっこ良さったらない! というか、強すぎだろってツッコミたい。 物語のクライマックスは メガトロンとの闘いが用意されているわけだが,そしてもう一人の手ごわい相手とも。 ここでは三回の闘いが用意されているが いずれも決着がつくまでがととてもスピーディ。 作品の雰囲気だけでなく、決着場面までも?! と驚いてしまう。
 それはカーリーの的を射た一言に、意外にも耳をかし,単純にもそれを実行する。 何故、言われる前にメガトロンはそれを行動を移さなかったのか。 もう一ついえるのが、カーリーがただ守られるだけのヒロインではない,今までないヒロインだということ。 残念ながら その場面はごくわずかな時間。 もっと観れたらと思ったけれど、今回がシリーズ完結。 
 メガトロンはかなり強いはずなのに あっさりとオプティマスに倒され、歯が立たなかったはずの,また闘いを避けたかったはずの相手も,メガトロンに痛めつけられた後とは言え,オプティマスの剣に倒れる。 オプティマスの潔さったらない! 総司令官という称号がふさわしい。 裏切りがあったとは言え、つらい決断をこの短時間で迫られ,くだす。 オプティマス…たとえ、負傷し片腕を失っても その強さは変わらない。 というか、負傷した後,さらにパワーが増したように思える。 あまりの強さに驚くと同時に、凄い!…と思う☆ ツッコミどころとか、むしろ関係ない。 理屈ぬきにこの決着の瞬間は爽快。 決着の瞬間、いかにつらい決断をしたのかをオプティマスが体現している。
 故郷を守ることは大切だけど、もっと大切なのは自由と平和の下に愛するものを守ることだ。 しかし、オートボッドたちが“故郷”を守ることには変わりは無い。


※満足度
★★★★★(満点)
3D映画の最高峰と言っても過言ではない,オススメな映画です。
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by jd69sparrow | 2012-01-03 03:14 | 映画タイトル た行

地球が静止する日 the day the earth stood still(2008)

2011年5月27日(金)

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<あらすじ>
 地球外生物,微生物の科学者であるヘレンは 国家が危機にさらされたとき,国から保護される。 何も知らされぬまま,彼女を始めとする様々な分野の科学者やエンジニアたちが連れてこられた場所には宇宙から来た大きな球体があった。 球体から出てきたのは人の形に似たエイリアンだったが 一人の兵士により誤って銃撃されてしまう。
 エイリアンは やがて人間の姿へとカタチを変えるのだった。 不思議な能力を除き、何一つ人間と変わらない,そのエイリアンは、クラトゥと名乗る。 彼の目的はただ一つ。"地球を救うこと”。 政府は力で事態をおさめようとするが、へレンがクラトゥを救うのだった。
 「人は変わることが出来る」とヘレンは信じるが、クラトゥの答えは「人がどう動こうとも,何も変わらなく,人類は滅亡する」と揺るがない。  地球という星と人のあり方を考えさせられる,サイエンス・フィクション。

<感想>
 今回、2回目の鑑賞。 映画を観て忘れられない印象深い場面が二つある。 まず一つ目が前半の場面だ。 クラトゥが人の姿へと変化する場面だ。 カプセルの中に入れられたクラトゥの第一声はヘレンに向けられたもので、「君たちこそ怖がるな」。 シンプルで心を読んだ一言だ。 人間は、見慣れぬものや未知のものと遭遇したとき、恐怖を感じずにはいられない。 この一言で物語に光が照らされ、物語の印象や方向性が見えてくる。 
 次に、クラトゥとジャクソン国防長官との最初の対話もまたインパクトが大きい。 ジャクソン国防長官は「何故、あなたは私たちの星にやって来たの?」と問う場面だ。 クラトゥは地球が人間の「所有物」ではないと言う。 また、地球を脅かしているのは人類であり、その人類から地球を救いにきたのだという、衝撃的な真実へとつながる。
 
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by jd69sparrow | 2011-12-12 23:05 | 映画タイトル た行

塔の上のラプンツェル Tangled

2011/3.17/Thu.

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<あらすじ>
 その昔、とある王国が出来た。 その王と妃の間に子供が出来るが,子供が生まれる前に妃が病にかかる。王国のどこかに咲くという「金の花」が唯一助かる手段だった。 衛兵の働きあって、その花を口にした妃の病はたちまち回復し、一人娘も無事誕生する。 プリンセスはラプンツェルと言い、両親とは違う金色の毛をしていた。 「金の花」の不思議な力は、ラプンツェルの中に宿り、その髪の毛は不思議な力を宿している。 ラプンツェルの髪を狙った魔女ゴーテルは,生まれたばかりのラプンツェルを誘拐し、己の若さを保つために城から遙か離れたところに立つ高い塔に彼女を閉じ込めるのだった。
 月日が流れ、ラプンツェルは18歳の誕生日を迎えようとしていた。 彼女の願いは毎年、誕生日の日だけに見える,光を間近で見ることだった。 誕生日祝いとして,母と名乗るゴーテルに頼むも冷たくあしらわれる。 しかし、泥棒フリン・ライダーの登場により、ラプンツェルにチャンスが訪れる。 ラプンツェルはフリンに彼が盗んできたティアラと引き換えに自分を誕生日に見れる“光”がよく見える場所へ連れて行くことを取引し、そこから彼女は人生初の冒険へと旅立つのである。

<感想>※ネタバレ注意!!※
 ディズニー作品50作記念作品。 つまりは、『塔の上のラプンツェル』は『白雪姫』から50作品目ということになる。 一つの節目を迎えたことあってか、ここで様々な進化を遂げ,新たな路線が開拓された。
その一つとして、大きいのはキャラクター設定である。 プリンセス&プリンスのお決まりから脱していると言うことだ。 ただ上品な美男美女だとか、か弱く夢みがちなプリンセス、白馬の王子という遠い昔のお話ではなく、『ラプンツェル』では180度違う。 美男美女という点だけは受け継がれているが。 ラプンツェルはプリンセスだけど、とても活発でポジティブで親近感のわくティーンエージャー。 マシンガンのように話したり、心の葛藤を隠せない面白可愛い一面がある。 相手役となる,プリンスからかけ離れた お尋ね者。これまでのディズニーアニメで言うと、悪役の中のバラエティ班のようで表情の豊かさと緩さが面白いキャラクター。 ディズニー初であろう相手役における「揺るキャラ」。 過去のディズニー作品にもどちらかがプリンセスではないものもあったが、最終的に「お決まり」におさまっていたり,どこかプリンセス・プリンスの香りがした。しかし、そんな香りが残りつつも 近年の作品では 少しずつ変化が起こり、その変化が顕著に現れたのが本作だと言えるだろう。 『プリンセスと魔法のキス』が変化の兆しがあった作品の一例と言えるだろう(緩るキャラだけど、気さくで人脈のある明るい王子の登場)。 しかし、その変化の境界線は90年代に入る頃だと思われる。 『美女と野獣』では、ヒロインに自律心という現代に通じる女性像が描き始められ、『アラジン』の主人公も盗人のような生活を送りつつも,明るく自由なキャラクターに描かれていた。
 ディズニー作品の多くは原作のある作品だ。 だけど、オリジナル風味に原作を発展させるのがディズニーの特徴であり長所である。 ディズニーと言えば、コミカルな描き方やハッピーエンドが必須。 『ラプンツェル』では、それが最後の最後までわからない展開になっている。 きっと何かミラクルが起きるだろうと思っていてもだ。 少々強引に思えなくもないが、結末は期待を裏切らない,幸せなものとなっている。
 ディズニー・アニメーションに登場する脇役の中で欠かせないのが、実のところである。 描かれる時代の多くが、馬を交通手段としていた時代だからと言えるだろう。 現代で言うところの犬くらい身近な動物として描かれているのだ。 現実的に考えても、人間以外の動物たちにも人に近い感情があると言われている。 表情豊かな馬たちが記憶する中で、既に『眠れる森の美女』の時には既に登場している。 その馬がついに登場キャラクターとして、出てくるのは個人的には嬉しい。 あまり多くは知らないけれど、『美女と野獣』のフィリップも数あるディズニー作品の中で好きだ。 今回、3DCGとあってか マックス(馬)の表情は実に豊かで、言葉は話さないけれど “登場人物”と言ってもいいくらいの存在感とキャラクターとなっている。 フリンとは デコボコ・コンビであり、名(迷?)コンビだ。 賢く忠実で、犬に匹敵するだろう嗅覚…そして個性的。 剣まで操ってしまうという,人間顔負けのキャラクターである,マキシマムことマックスも面白くて私は好きだ。
 「手書き感」を活かした,新たな3Dアニメの構築。 作り手のこだわりがここにあり、3Dでありながら手書きのアニメを観ているような感覚で楽しめるという不思議な魅力がある。 そして、この50作記念作品で,キャラクターたちも,作品像も よりコミカルに進化している(※関係ないけど、酔っ払いでキューピッドのお爺さんに注目)
 見所は、アニメーションだけではない。 アジアの伝統が西洋の世界にマッチさせた,スカイランタンの場面は一番の見所と言えるだろう。 この場面は 『ラプンツェル』の世界とヴィジュアルの美しさを象徴し、彩った場面と言える。
 インドアな話からアクティブな話へ。 原作では前者。 しかし、ディズニーの映画としては原作そのままだと物足りないかもしれない。 というより、今の時代 映画にするにあたり,原作が存在する話は、そのまま なぞるように描くだけでは面白くはない。 アドベンチャーなくしては、物語は語れないのだ。 冒険があって、初めて主人公は成長するのだから。 ディズニー版『ラプンツェル』は、フリンという新しいキャラクターが登場し、ラプンツェル、フリン共に二人の冒険を通して、自分の大切なものや居場所、生きる道を見つけるということにテーマがある。
 よく、時代物を描きながら 近未来的にデザインされたキャラクターが登場する日本アニメがある。 『ラプンツェル』でも主人公たちが現代的なキャラクターになっているけれど、それらとは全く違う。 性格とルックスと二つの面で、モダンなラプンツェルとフリン。 ラプンツェルにいたっては、クライマックス以降だが。 一つの作品の中で主人公に対して、二つの絵が描かれるのは珍しいが、魅力的。 髪を切った,ラプンツェルはどこにでもいるようなアクティブでモダンな女の子になっていた。 
 笑ったり、ロマンティックな気分に浸ったり、ちょっとハラハラしたり…。 色々な面白さが『塔の上のラプンツェル』にはある。 これほどまでに面白く,美しい世界がアニメーション化することが可能ならば、過去の作品をCGで復刻したらどんなに面白いことだろう。 
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by jd69sparrow | 2011-10-28 01:00 | 映画タイトル た行

ツーリスト

2011.3.5 Sat

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<あらすじ>
 イタリア。 一人の美女がカフェで,一息ついていた。 事件を追う刑事たちの監視下、その美女,エリーズのもとに一通の手紙が届けられる。 その手紙の差出人は 警察が追う指名手配犯アレクサンダー・ピアースだった。 その指示に従い、列車に乗ったエリーズは,手紙に書かれたとおりの人物像の男に接触する。 彼の名はフランク。 数学の教師でごく平凡な人物である。 一度は別れる二人だが、ヴェネチアで再会し,行動を共にするが、フランクは見に覚えのない追っ手から追われる羽目となり、エリーズに関われば関わるほど危険がつきまとう。 それでもフランクはエリーズへの気持ちが冷めることなかった。 エリーズもまた,かつての恋人ピアースとフランクとの間で気持ちが揺らいでいた。 手紙で指示をしてくるばかりのピアースは果たして現れるのか。 ロマンティック、コメディ、スリル、アクションがブレンドされたエンタテインメントである。

<感想>※ネタバレにご注意!※
 ミステリアスな男女のロマンティック・アクション。 エリーズのミステリアスさは冒頭から既に漂っていたけれど、フランクは ほぼ平凡な雰囲気を劇中出しているけれど、ジョニーの「平凡に見られる人ほど、奇妙な人間であることが多い」というように、実は謎めいた人物なのだ。 作品へのコメントにもあるように 個性派で有名な俳優が“ただ”平凡な役を演じるのには“何か”あるというのは 大いに納得である。 
 ミステリアスとは相反するようだが、コメディというスパイスは欠かせない。 メインがアクションやロマンティックであっても,コミカルな場面というのは印象に残りやすいものである。 その一例を5ヶ所あげてみたいと思う。
 まず、禁煙中であろうフランクが目の前でタバコ吸う刑事に誘惑される場面だ。 そもそも この禁煙はピアースである証拠を隠すためと考えられるのだが、電子タバコを吸うというところが まだ未練があるのか可愛い。俳優が映画の中でタバコを吸うというのは男らしくカッコよく映る演出のように思うのだが、そうかと思ってみたら「実は電子タバコでした」ということ…というか、電子タバコが登場するところが面白かった。 これはピアースからして わざとなのか、素なのか。 この刑事との場面でのフランクの目は 目の前で餌をお預けされている,犬のようで可愛らしく、「誘惑されちゃってます」感がなんともユーモラス。  ここで負けてしまったのか、それとも必要性が無くなったのか、後半の場面でいつの間にか 本物のタバコを吸っていた気がする。 個人的には前者に思えたので この場面を見て「あぁ、誘惑に負けちゃったんだな」と思った。 
 次に、フランクのパジャマ姿の逃走劇だ。 ここでポイントなのがジャック・スパロウ時から引き継がれる乙女走りである。 「乙女走り」+「パジャマ姿」という可愛らしさ倍増が最高。 その前に、旅行で律儀にキッチリ折りたたまれたパジャマを用意しているところが面白く、かしこまりながら パジャマを取り出すという短いカットも面白い。
 最後に、舞台はイタリア…イタリアの人に向けてフランクは、何故かスペイン語を話したり、「ボンジョルノ」を「ボン・ジョビ!」といい間違える場面がいくつかある。 話の設定上、これは考えられた言葉なのか、ただのいい間違えなのか とても謎である。 いい間違え関してと、もう一つどこかで聞こえたのが「アメリカ人め!」というイタリアの男たちの捨て台詞もまた面白いところ。 イタリアの人から見たら、言動ですぐアメリカの人だとすぐわかってしまうものなのだろうか。 彼らの捨て台詞から読み取れたのは、アメリカ人に対してのイメージが「適当」で「騒ぎを立てるのが好き」だということだ(個人的な見解だが)。 コメディドラマでも見ているかのような場面である。
 考えてみると、この作品ではコメディと可愛らしさというのがイコールではないだろうか。 コメディとして面白いと感じた場面にいるフランクはいつも可愛い。 どの作品にもあるかもしれないけれど、役者の方々のアイディアがところどころにあるそうで、驚いたのがパジャマの逃走劇の「パジャマ」である設定がそうして生まれたアイディアであるということだ。 作品を盛り上げるのは、演出家だけでなく、役者をふくめて その作品に携わる人たち全員なのだということを改めて実感した。
 種明かしとなるその瞬間。 フランクに対しての愛だけでなく、ピアースへの愛も捨てきれないと言う,エリーズにフランクが「それを解決することができる」というふうな言葉をかけるときがかっこいい。 なんとなく、答えが途中からわかっていた気がするのだが 最後のその言葉を聞くときまでは ピアースの謎はわからなかった。 悪の親玉の問いかけに対する,フランクの答えがあまりに無理があり,とっさの嘘にしか思えなかっただけに衝撃である。 しかし、答えをいざ目の前して,謎が解明されてから思い返し見ると ヒントがあちらこちらにあったんだなぁと振り返ることが出来る。 
 舞踏会の日がその一つと言えるだろう。 パジャマ姿の逃走劇の場面からは想像できないくらいのセクシーなタキシード姿で登場する姿は 既にピアースに戻っていたと言える。 顔は違くてもその時のオーラや雰囲気、たたずまいがピアースの人物像なのだと思う。 
 さらにヒントと思われるところをもう一つあげるのならば、最初にエリーズが手にする手紙にある。 ピアースが自分の身代わりをする人物を「自分と似た体格」と指定してきた。 それは その人物を自分に見せるためでもあったが、エリーズにフランクに化けた自分を選ばせ、彼女を守るためだと思うのは私だけであろうか。 こうして考えてみるとやはりフランクとして現れたピアースの視点を想像したくなるのも納得である。
 エリーズが身につけている指輪はローマの神 Janusをかたどったものらしい。 母親から この指輪に関して「愛する人の二つの面,良いところと悪いところ、過去と現在(未来)を受け入れなさい」というような教えを受けている。 これは そっくりそのまま ピアースに当てはまる。 終盤、クライマックスで偶然か否か,ピアースのアパートメントにも同じJanusがある。 ここで出てくるのは壁画のようなもので、それが物語の鍵であり、それを決定付けていると言えるだろう。 ピアースとエリーズは同じ神を信じていたということになり、愛の絆の強さなのだと思う。 そしてJanusはエリーズにとって守り神でもあると言っても過言ではない。 だからこそ、彼女はギャングのボスに追い詰められた時、盗まれたお金のありかをその壁画?だととっさに示したのだろうか。
 「The perfect trip,the perfect Trap(The Tourist) 華麗な旅人には 危険な謎がある」。この言葉が指し示すのは、エリーズのことのようで 実はフランクのことなのだろうか。つまり、エリーズはフェイクで、フランクという存在もまたフェイク。 エリーズという「謎の美女」のインパクトが大きくてフランクから注意がそらされる第一印象。 それは最後の最後まで続き、覆されるのである。 結末を見た後、事件の鍵となるのが実はフランクであるという事実に納得できる。
 さらに「君とキスしたことを僕は後悔していない」という言葉には裏があり、フランクが遠まわしに自分がピアースであること告白しているようにも取れると思うのは気のせいだろうか。
 そして、見事に愛する人も欺いたピアース。 エリーズがフランクに惹かれたのは、(彼女が気が付かずとも)彼がピアースだったからかもしれない。  
 ひとクセあるストーリーに、ロマンティックな二人とそんな二人にふさわしいヴェネチアという最高の舞台… 最後にそれまで見ていたものが180度変わり、観る側も欺かれるのという,なんとも見ごたえのある作品なのだろう。
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by jd69sparrow | 2011-10-15 00:17 | 映画タイトル た行

トロン:レガシー

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2010年12月17日(金) 晴れ。

<あらすじ>
 ケヴィン・フリンはコンピューターシステムと現実世界とを行き来する事のできる,世紀の大発明を成し遂げた。 彼はその世界を“トロン”というプログラムと共に築き上げ、さらに自分の築き上げた世界の中で完璧な世界を創るために“クルー”というプログラムを作りあげた。 ケヴィンそっくりの姿をしているクルー。 やがて、クルーは自我に目覚め、ケヴィンに対して反旗を翻す。 あらゆるプログラムを仲間に取り込み、軍をつくった。 クルーは、ケヴィンのつくった世界で生まれたミュータント“アイソー”を快く思わず、これを不服とした。そして彼らへの虐殺を企てるのである。 ケヴィンとトロンは必死に彼らを守ろうとするが、その最中トロンが犠牲となり… ケヴィンもコンピューターシステムの中に閉じ込められてしまう。
 20年の月日が経ち、ケヴィンの息子サムは父の会社を継がず、ふらついていた。 しかし、彼の持った才能は父親ゆずりだった。 エンコム社の重役の一人で、ケヴィンの友,またサムの良き理解者であるアランにこの20年連絡の途絶えていたケヴィンからポケベルを通じて連絡が入った。 これをきっかけにその発信源であるゲームセンターにサムは入り、そこで見つけた地下のオフィスに行きシステムを稼動し、気付くと別世界にいた。 そう…ケヴィンが創り上げた世界だ。 サムは閉じ込められた父ともに現実世界へ帰るためにアイソーの,たった一人の生き残り、クオラと,また 父と共に クルーに立ち向かう。

<感想>
 今日。 数ある映画によく見られるのが、過去の名作をいくつかに集約した「二番煎じ」映画である。 全くの新しい魅力を放つ映画は珍しいと言っていいかもしれない、このジャンルにおいては。 考えてみれば、この『トロン:レガシー』は、80年代に既に公開されたものに続いての公開である(※続編と言えるのかは定かでははないが、限りなく近い)。 しかし、この作品は作品で新しいと言えるだろう。 コンピューターの世界での戦い,つまりはプログラム同士の戦いは、『マトリックス』が記憶に新しい。 だが、『トロン:レガシー』(以下、「この作品」と表記)はジャンルこそ同じだが、切り口やテイストが全く異なるものである。 20年以上の月日を経て、改装された『トロン』。 改装されたと言っても、ストーリーではない。 ヴィジュアルや世界観。 新しくなったトロンの世界は、製作側のコメントにもあるように、今のためにある題材と言えるだろう。 そう、3D映画がブームになり始めた、今だからこそだ。 
 その立体感はどこにあるか。 それは字幕版を見ればわかる。 字幕のテロップが画面の奥にあり、それを視界に入れつつ、映像を見るとその立体感がよくわかる。 映像が飛び出しているということを。 もちろん、ヴィジョンに奥行が出されている。 それは私たちが現実世界を見るのと同じで意識せずとも自然に視界の中に入ってくる。 例えるなら、山の頂上に上ったときに見える景色のようだ。 
 ディスクバトルにライトサイクルでのバトル。 これは過去の『トロン』を含めての象徴的な場面である。 まずはディスクバトル。 憧れたキャラクターとのバトルはどんな気分なのだろう。 サムは トロンシティに来てまもなくして、「迷いプログラム」とみなされたゆえにバトルへと強制参加させられる。 しかし、超人並みの相手に四苦八苦しつつも、対向しているのが凄い。 時に二刀流で、時にアクロバティックで向かってくる相手とほぼ互角に立ち向かうサム。 ユーザーとプログラムとのバトルだ。 こう考えると、この世界に住む誰もが持っているディスクは、脳であり,剣であるということが見えてくる、 小さなこの円盤を刀のようにして戦うサムを見ると、とてもハラハラするのだが、それがこの映画の見所の一つ言っていいかもしれない。  
 ライトサイクルについては、意表をつかれた。 後に登場する小型戦闘機にしかりなのだが、ライトサイクルのシステムが面白いのだ。 何の変哲もない“棒”を渡されるサム。 「ヒントは、棍棒ではない」とからわれるのだが、その正体こそがライトサイクルなのだ。 ライトサイクルは勢いをつけて“開く”ことで形成されるデジタル界の「バイク」なのだ。 チームで戦うバトルなのだが、とても白熱している。 初めて参加するサムにもちゃんと仲間がいて、個人戦だったのが終盤でタッグで相手を倒すところが短い場面ながら面白い。 
 ライトサイクルの登場からもう既に、魅力ある場面のスタートだ。 そしてもう一つ。 ライトサイクルが面白いのは「座る」のではなく、腹ばいになるがごとく,カラダを地面にくっつけるようにすることだ。 つまり、自分がバイクのエンジンのような役割を果たすことだ。 カタチとしてはうつぶせにして、バイクを動かす感じ。
 ライトサイクルから放たれる光の光線みたいな…残像のようなものが絹のようになめらかに,はたまた絵を描くかのように美しく画面を彩るのがとても印象的だ。 それは時に武器となる。 赤と青の光の帯…。 広いステージには『マリオカート』を立体的にした感じで白熱している。 地下に地上に自由自在にライトサイクルが動くのである。 
 トロンの名前がタイトルにありながら、トロンの登場はきわめて少ない。 が、しかし それは正解であり、不正解でもある。 彼はまるで服部半蔵のごとく、敵の懐のどこかに潜んでいる。 思い返してみれば、ディスクバトルの最後の方…。 しかし、彼はある一言でちゃんと存在感をしめしている。 「トロンは、いつもユーザーの味方です」っていう感じのセリフだ。 『キングダムハーツ2』での『トロン』しか、個人的に知らないのだが、少なくともこのゲームのプレイ経験がある人ならば、ほっとする場面であろう。 彼のラストシーンは何か余韻が残る。 それはまるで『FFX』での主人公の最後の最後の場面を思い出せるものであり、そう考えると「続き」があるのかなぁと思ってしまう。 そう、トロンが主人公の。 まだ彼には先があるのではないかと。
 確かに評論にあるとおり、本作は一つ新しい作品と言うよりも、続編の風に思える。 何故なら、先に触れたようにトロンの活躍があまりに少ないからだ。 そして、ケヴィンとトロンとのエピソードに謎が残るし 気になる。 トロンが生まれた形跡をもっと詳しく説明して欲しいのだ。 だから、「エピソード0」として、再び映画が公開されるということを切に願うのである。
 登場人物一人一人、映像、内容…99%満足である。 つまり、1%はこの「エピソード0」が作られるかどうかにかかっているのだ(私の中では)。
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by jd69sparrow | 2010-12-31 23:40 | 映画タイトル た行

てぃだかんかん

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<あらすじ>


<感想>
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by jd69sparrow | 2010-12-21 17:00 | 映画タイトル た行

南極料理人。

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<あらすじ>
 日本から遙か遠くにある、南極にあるドーム基地。 そこに男たちが派遣された。 西村もその一人。 西村は隊員たちのために料理を振舞う,料理担当だ。 その他にも担任たちにはそれぞれ、役割や肩書きがある。寄せ集めのような集団だ。 “タイチョー”と呼ばれる人はいるが、明確なリーダーはいない。
 西村は毎日、8人の料理をひたすら作る。  その日々の料理の中で新たな発見をすること、料理を食べるものたちの表情を見ることに喜びを感じ、遠く離れた場所にいる家族三人を思う心を支えに、笑いあり,苦難ありの南極生活に挑む。

<感想>
 映画というのは冒頭と結末は見逃すべきではないのだが、この作品に関しては例外といえるだろう。 物語に大きな展開と言うものは存在せず、坦々と時間が経過していく。 私たちは何の変哲もない,大人の男8人の無邪気さを眺めている感覚だ。 しかし、そのなんでもないよう「時の流れ」に面白さを感じたりもする。 退屈に思う人もいるかもしれないが、こういう ゆっくりとした時の流れをただ見つめているような作品も中々面白かったりする。
 私は最初、この雰囲気を見て、映画『ウォーターボーイズ』を思い浮かべた。 静けさの中に笑いあり…という空気に共通する何かを感じたからだ。 実際は、ただ雰囲気が似ている…というだけの話に過ぎないのだが。 でもなんで、こう釘付けになって観れるのだろうか。
 ばい菌のないこの地では 手を洗う必要がない。 っていうのはどんな感覚なのだろう。 そして、動物すらいない。 だから彼らがインタビューで「そこ(南極)には何がいるんですか?」という中継でつながれた子供の質問に「僕たちがいます」というのは ごく普通のコメントなのだが、結構面白い。 質問する男の子はどこか拍子抜けした気分を味わっているようで 明らかにやる気がなく、ただ選ばれたから聞いているに過ぎないという感じなのだが面白い。
 父親は娘の抜けた1本の歯をお守り袋に入れるほど大事にするくらい、いとおしく思っているのに肝心の娘は父親にたいして しらけている部分があるので,面白い。 ちょうどそういう,素直になりにくい年頃と言えばそれまでなのだが。 しかし、娘・ゆか が父親にバレないように 南極から遠く遠く離れた場所にある,博物館的な場所で父親に電話回線で質問する場面はとても温かい。  そこに娘が父親を好きだという気持ちがとてもよく伝わるものがあるのだ。
 記憶がさだかではないのだが、ベーキングパウダーを使って、ラーメンを作るところも忘れ難い。 実際にそれは可能なのか? と、思いながらも ラーメン好きのタイチョーが感動するくらい、それは本当に“ラーメン”なのだろう。 
 このタイチョーは素朴なキャラで愛すべきキャラクター。 なんだか『ぼのぼの』の主人公の如く、なんだかほのぼのとしていて面白いのだが、不思議と貫禄がある。 隊員のケンカをなだめる一こまにそれを実感した。 そして、ラーメンをこよなく愛する彼は、おあずげがしばらく続いた後、ラーメンをやっと食べれた時 とても感動しており、それが愛らしいのである。 オーロラほうっておいて、ラーメンかよ!!って笑いをふくませながら、ツッコミたくなる。
 中々面白い作品だと思う。
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by jd69sparrow | 2010-12-13 00:28 | 映画タイトル た行

特攻野郎Aチーム

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<あらすじ>
 荒野のど真ん中での脱出・救出劇で全ては始まった。 米軍の大佐ハンニバル・スミスは 一人無謀にも敵地へ乗り込んだ仲間を救うため,自らも捕まり脱出を遂げる。 ハンニバルはドライバーとパイロットを新たに仲間に迎え,特攻部隊を結成する。 その名も“Aチーム”。 リーダー・ハンニバル、口が達者で腕利きの戦士フェイス、メカに強く,パワータイプのB.A.、クレイジーだけどパイロットとしてはプロフェッショナルなマードックの四人である。 彼らは米軍の中でも階級が高い実力者である。 
 奇抜で大胆な手段で任務を遂行する彼ら。 米ドル紙幣の原版を巡る事件への解決を目指し、周囲の反対を聞かず作戦に出る。 作戦は成功かと思いきや、そこには罠がはられており,不当な裁きを受け,階級を剥奪されバラバラに刑務所へ。 事件の犯人とのグルを疑われたためだった。 しかし、そこで黙っている四人ではない。 名誉の奪還と無実の証明のため、彼らは再結集し、追われながらも真相をあばいていく。

<感想>
 やはり、四人共にキャラクターとしての魅力があるというのには納得である。 誰か一人というのは選びがたいものがある。 誰かが目立ちすぎたり、他のキャラクターを押しのけて前に出ることもない。 ストーリーの流れも,もちろん面白いし、アクション的にも痛快で楽しい場面はたくさんあるが、やはり ここは人物そのものや、彼らの行動に注目したい。 仲間同士のやりとりであったり、各場面で彼らがどんな行動に出るか、次に彼らは何をするのか、ということをどんどん期待したくなる。 常に一歩先を行くAチームだからこそ、絶体絶命の場面でも何かあるとわくわくしてくる。 スーパープレイの数々の、誰も思いつかないような作戦…。 
 チームの一員の誰もが魅力的なのだが、もし誰か?となったとき、個人的にはマードックを選ぶかもしれない。 チームのみんなには受け入れられるものの,多くの人には理解を中々得られない,クレイジーな男だが、かなりの天才肌。 自分が整備していた車にはさまれる場面が漫画的でかなりツボな一こまである。 チームのイケメンはフェイスだが、マードックも話が進むにつれてクレイジーさが和らいでゆき、ハンサムになっていくという…なんとも不思議な展開があるという… 引き出しの多いキャラでもある。 謎めいた部分も多く、思わぬところで意外な実力を発揮するという…見ていて決して飽きさせない愛すべき、キャラクターだ。
 ストーリー展開は、ちょっと目を離そうものなら置いてかれてしまうのではないかというスピード展開もあり、見逃さないようじっくり見るか、二回以上見るといいかもしれない。 それだけメリハリもあるし、この展開こそが,テンポがいいのも魅力と言える。  単純明快のようで実は良い意味で先が見えない。 
 誰も弱音をはかなければ、リーダーへの信頼も揺らぐことのない強い絆がポイントである。 果たしてその絆の強さの秘密とはなんぞや。 特にフェイスがハンニバルによせる信頼は絶大なるものだ。 ハンニバルはその名から連想されるように、レクター博士と同じくかなりの頭のキレる人物。 作戦はピカイチであるからして、かなりの策士と見受けられる。 三人の部下たちをいつも信頼し、バランスよく彼らの実力を発揮させる…そしていつも彼の立てる作戦は的を射ているし、強い。 葉巻がトレードマークのようであり、ハードボイルドさを演出している。 この映画を思い浮かべる時、真っ先に出るのが葉巻をくわえてカッコよく決めるハンニバルの姿である。
 仲間が集まってくる楽しみと、再結集する楽しみを同時に味わえるところも良い。 その瞬間,例えば仲間になる瞬間が,四人とも全く異なり、一風変わった登場だ。 マードックが精神病棟のような場所で、3Dメガネ?をかけて映画を見ている画面の裏側から、まるで画面に映っているものが,画面の中の世界から飛び出したかのごとく,ちょうど映っていたものと同じもの,車が偶然にも飛び出してくる場面は印象的。
 とにかく最後の最後まで目が離せない愉快痛快な作品である。
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by jd69sparrow | 2010-09-01 01:05 | 映画タイトル た行