カテゴリ:映画タイトル た行( 82 )

ちょんまげぷりん

d0058606_027218.jpg
<あらすじ>
 ひろ子はシングルマザー。 まだ幼い息子・友也との二人暮しである。 ひろ子はOLとして働きながら友也の送り迎いをこなしたり、家事をこなしたりと忙しい毎日を送っていた。 そんないつもの朝、立ち止まる友也の指差した先には…なんとスーパーの前でたたずむ侍の格好をした男だった。 会社が終わり、自宅へ着く頃、友也とカクレンボをしていたその時、ちょんまげ姿の男の頭が見えた。 男は道に迷ったふうだった。不審に思いながらも男をうちをあげるひろ子だった。 男は自分を侍であるといい、木島安兵衛と名乗った。 空腹の安兵衛を救い,別れをつげた。 数日後、ひろ子は勤務中に友也が事故にあったという知らせが届き、幼稚園へと向かうのだった。 するとまた、そこで安兵衛と再会。 友也を救ったのが安兵衛だったのである。 ひろ子がお礼を言ってまもなく倒れる安兵衛は倒れ、行く当てのない安兵衛はしばらく、ひろ子たちの家で居候することに。
 ある日、熱を出し寝込んだ友也。 安兵衛はプリンを作って食べさせると,その味は友也を元気にした。 奥向きの仕事…忙しいひろ子に代わり、家事をこなすようになった安兵衛は菓子作りの腕を磨いていく。 何日か過ぎ、ホームパーティを開いたひろ子達。 そこで用意されたのは安兵衛の菓子の数々でそれをきっかけにパティシエの才能を開花させるのであった…

<感想>
 とにかく友也が可愛い。 まるで漫画のように大粒の涙を浮かべる場面がある。 その一つが前半の場面である。 その理由が子供らしくて可愛かったというのがまず一つだった。 その後場面では、そんな泣いてたのが嘘みたいに歩ケモンカードを安兵衛にスパルタに教える姿も可愛い。 居眠りしてこっくりこっくりする場面もいくつかある。 安兵衛のために絵を描いているとき、ケーキを作るとき。 ケーキのコンテストで失敗をしてしまうあのシーンもかなり。 全体を通して可愛いのである。 泣き虫だけど、しっかり者で母親思いなところもあって、どこをとっても愛らしい。
 安兵衛は寡黙な武士。 なんだかいつも無表情のように見える。 だけど、その魅力は素晴らしい。 常に真顔なイメージが多いけれど、ふとした瞬間笑顔になるのが良かった。 電気をつけたときのようにパッと光輝いている感じ。 いきなり180年ものタイムスリップを経て、江戸から平成へと来た安兵衛の現代の文明との出会いというか、文明を目にしたときの反応一つ一つがリアルだけど、滑稽にも見えて面白い。 決めるときは武士らしくキメるし、侍としてのパワーを思わぬところで発揮したり… ボケではないけど、場面的にそう見えるところが多々あり☆ 真っ直ぐ前を見据えて歩いてたかと思うと、表情一つ変えずに倒れこんだり、河童のような髪型を披露したときもまた、ヌボっとした感じで、なのに服装はパジャマ…というv  
 安兵衛の人柄は、現代人の多くが失ってしまったものがある。 それは映画の随所で見受けられるのだが、印象深いところが二つある。 一つは、ランチでの場面。 オモチャを手にして、母親の言葉を聞かずに遊び,動き回る友也。 ここに現代の教育問題がある。 そこをついているのが凄いと思うし、思わぬことだった。 現代の幼い子を持つ親たちに多いのが、子供を叱れないということ。 ひろ子が言うその理由もまだ、その問題をリアルに物語っている。 何故親が子を叱れないのか…面倒だからということだ。 全ての親たちとまではいかないまでも、小さい子供づれの親たちが、自分たちの話に夢中になって,子供を野放しにしている光景はよく見かける。 中にはまわりに対する迷惑に気付かない親もいる。 安兵衛のその場が一旦時が止まったかのように静まり返るほどの一喝は迫力があった。 迫力出しすぎるだろと思う一方、それは安兵衛が友也に真剣に向き合っている証拠だった。 世の中にはどれだけ、子供に真剣に向き合い叱れる親がいるだろう… 泣き止まない友也に叱る安兵衛の姿は、゛父親”そのものである。 
 ケーキコンテストの場面も忘れられない。 最初は乗り気ではない安兵衛を、ひろ子がうまいことのせてしまうところがまず、面白い。 ゛優勝すれば、江戸が東京に勝つ”。  そこに簡単にのってしまうあたり,負けず嫌いな武士らしいところなのかなと思った。 ケーキの城といえば、個人的にメルヘンチックなものを想像するのだが、ここは江戸に生きる侍らしく…江戸城のケーキを作る安兵衛。 当然といえば当然だけど、驚いた。 ケーキでここまで成功に作れるということが素晴らしかった。 手がかなり凝っており,場内まで作られており、ケーキには物語があったりと 非情に食べるのがもったいない。 友也の失敗を経て、江戸城をめぐる゛冬の陣”の戦に見せたであろう江戸城の姿が生まれ、凄い。 武士だから、あくまで武士でと貫き通すと思いきや、意外にもパティシエの道を選ぶ安兵衛にもまた,驚いた。 シェフのユニフォームにちょんまげというのが、相反しているようで見ていると馴染んでくるのが不思議だった。 友也を“一人の男として見て欲しい”と地震なさそうにうつむく友也へ配慮した,司会者に言った言葉も重みがあって感動した。 そして最後に、二刀流で降らせる“江戸城に降り積もる雪”のホワイトチョコの盛り付け場面も見ごたえあった。 ドラマがぎゅっと凝縮された場面である。
[PR]

by jd69sparrow | 2010-08-31 08:00 | 映画タイトル た行

トイ・ストーリー2(2回目)

d0058606_0171673.jpg
<あらすじ>
 アンディがサマーキャンプに行くことになった。 ウッディは一緒に行く予定だったが、あるハプニングにより置いてかれてしまった。 片腕がちぎれてしまたのだった。 がっかりするも束の間、家の下ではアンディの母親がガレッジセールの準備をしていた。 声が枯れ、忘れさられていたペンギンの人形ウィージーは、がレッジセールに出されてしまう。 そんなウィージーを救おうと、ウッディは救出に向かうが、ウィージーは救えたものの,自分が買い物に来たオモチャ屋アルに持ち去られてしまうのだった。 
 ウッディがたどり着いたのはアルのおもちゃ屋の事務所。 そこで意外な事実を発見する。 迎えてくれた,ジェシーとプロスペクターの二人から、ウッディがいかに貴重なオモチャであるかを聞かされたのだ。 放送途中で打ち切りとなった幻の番組のヒーローがウッディだったのだ。 アルは金儲けのため、ウッディと二人をセットに日本の博物館へ持っていくことを企んでいたのである。 
 かつて、自分を救ってくれたウッディのためにバズは立ち上がる。 数人の仲間を連れて,ウッディ救出作戦が始まる…

<感想>
 今回、ウッディが何者なのかということが明らかにされる。 おもちゃの冒険物語だけではないというのが、少し意外だった。 実はとても貴重なおもちゃだったという。 それを知って(ウッディが)浮かれないはずがない。
アンディのおもちゃたち,つまり昔からの仲間達をとるか,新しい仲間を取るかの選択を迫られるウッディだが,あくまで,その選択には仲間思いというウッディの長所が描かれているところが,いいなぁと思う。 いつだって、仲間のことを考える。 倉庫行きという孤独の生活に送られてしまうかもしれないという理由で,新しい仲間ジェシーを選ぶのだから。
 シリーズに共通するのが冒険、絆、救出劇に…おもちゃの運命ということ。 「1」ではウッディがバズを,「2」ではその恩返しにと,バズがウッディを,「3」ではウッディが同じアンディのおもちゃたちみんなを… これだけでも感動かつドラマティックである。 今回においては、バズの義理の熱さ(厚さ?)がとても心に響いてくる。 この仲間への思いの強さがウッディとバズとの共通点であり,相棒として彼らを結ぶ“絆”なのである。 
 バズはかつては自分がおもちゃであるという現実を受け入れず、スペースレンジャーと思い込んでいた。 今回は、そんな過去の自分を客観的に見ているバズがいるという光景がとても面白かった。 スペースレンジャーと思っているバズはボケである。 そして、アンディのバズはツッコミ。 
 「3」を見た後だと、復習にもなる。 あの三体のエイリアンとミスター・ポテトヘッドとの出会いやバズとジェシーの恋の?始まり、アンディのウッディへの思い…などなど。
 個人的に一番の感動ポイントは最後の最後だ。 偶然にもアンディのキャンプ前のときと同様,腕がもげてしまったウッディをアンディが直したところである。 アンディは言う。 「キャンプに(ウッディを)もって行かなくて良かった。 持って言ってたら腕が取れてた」と。 その言葉からも、また,アンディが修復した後のウッディの腕の太さを見ても、アンディがウッディを大切にしているという思いがよく伝わってくるからだ。
 それと。 ウッディにバズ、そしてジェシーやブルーズアイ(ウッディの愛馬)、その仲間達がアンディの期間を全員そろって出迎える格好で待っていたということも印象深い。 アンディは母親が自分のためにしてくれたと思っているけど、それはオモチャの持ち主への感謝と愛情表現なのである。 それがなんだか心温まる。 いつも偶然遠くに連れて行かれるオモチャたちだけど、必ず持ち主の下に帰ってくるというのも凄いというか、そこにオモチャたちのアンディへの思いが感じられる。
 イーサン・ハントもマクレーン警部補も顔負けの?大冒険である!!
[PR]

by jd69sparrow | 2010-07-26 00:26 | 映画タイトル た行

トイ・ストーリー3

d0058606_19511870.jpg
<あらすじ>
 アンディに愛されていたオモチャたち…いつしか、オモチャの箱のしまわれ,アンディに遊ばれなくなってしまった。 月日が流れ,アンディが大人になったからだ。 ウッディはアンディと共に大学の寮行きに…だが、バズやジェシーたちはゴミ袋の中へ入れられてしまった…。 捨てられたと思った,バズたちは サニーサイド保育園へ寄付される道を選んだ。 ウッディは彼らをとめて、本来彼らが行くべきだったアンディの家の屋根裏部屋へと戻ろうと仲間を説得するも,彼らは飽きられることもないオモチャにとっての天国・保育園に残ることを選ぶのだった。 ウッディは一人その場を去る。 バズたちは保育園のオモチャのリーダー・ロッツォの案内で“いももし組”へ案内され、待ちに待った子供たちと対面するが…そこは地獄だった。 さらに快く迎えてくれたはずのロッツォの実際は支配者で,バズたちは窮地に立たされる…しかし、一度は脱出を試みたウッディが彼らを助けに再び帰ってくる… ウッディ、バズ、ジェシーたちの脱出大作戦が始まる。

<感想>
 愛された作品ほど、続編のハードルは高いはずなのに、最近のシリーズ最新作は前作に負けていない。 そんな素晴らしいこともあるんだなってつくづく思った。 ジャンルは全然違うけれど、『踊る大捜査線』がそうである。 今回の『トイ・ストーリー』も主人公たちにとって新たな局面を迎えている。 持ち主であるウッディのオモチャの卒業である。 オモチャにも命があって主人のいないところで自由に動き回っている…そんな大人さえもわくわくしてしまう話,第一作目から15年経つ。 愛らしいキャラクターたちがCGで柔軟に動き回るアニメーションの先駆けと言っても過言ではない。 いつも心が温かくなるピクサーアニメの始まりがまさにこの『トイ・ストーリー』である。
 シリーズごとに新しいオモチャの出会いと、ウッディを始めとするアンディのオモチャたちの友情の絆と冒険が描かれる。 観る人もウッディたちの仲間の一員になったかのような気分にさせてくれる。 彼らの目線で描かれた,まるでジャングルや山地のような人間たちの生活風景。 とても面白い。
 もっと面白いのがおもちゃ達が人間張りに機転を利かせて,人の目の届かないところで様々な奇跡的な大冒険をしているということ。 彼らは頭がいい。 アンディに遊んでもらいたい一心で彼らは一致団結して,どんな危機に見舞われようとも互いに助け合って,切り抜けていく。 そのアイディアの数々が凄く楽しい。
 そんなウッディやバズたちは、自分たち以外の大勢のオモチャの仲間達と出会う。 新しいキャラクターが一度に大勢登場する。 個性も様々。 サニーサイドのオモチャ達に,そこに通うボニーのおもちゃ達。 ウッディたちとは境遇が違う仲間達との出会いである。 その中に日本の名作アニメのキャラクターが出ているのが日本人としては嬉しい。 トトロ…改めてトトロの愛らしさと可愛らしさを実感した。 宮崎アニメがいかに海外で認められているかという証である。 しかも、アンディと同じようにオモチャを愛しているボニーの部屋で大事にされている。 それが、作り手の宮崎アニメへの見方と思いなんだなぁと思う。 ウッディが偶然にもボニーの家に行くことによって アンディに愛された思い出がウッディと…そして観る側にも甦ってきて,とても懐かしい気持ちに。 変な言い方だが女の子版アンディが、ボニーである。 
 ちなみにボニーはシャイで恥かしがりや。 だけど、オモチャへの愛は人一倍。 ボニーというオモチャではない,キャラクターにもとても魅力がある。 17歳のアンディと,兄と妹のように遊ぶ場面はとても微笑ましい。人見知りだけど、ホントはみんなと凄く遊びたいっていうのが見て取れて愛らしい。
 ウッディは、アンディのオモチャたちのリーダー。 失敗も多く、時にみんなと意見が対立することもあるけれど、とても仲間思い。 オモチャは成長しないわけではない。 バズの登場で最初はやきもちを焼いたけれど、失敗を経て、成長をするという,人と同じものを持っている。 冒険や友情をはぐくみ、みんなを束ねられる立派なリーダーになった。 彼が打ち出す作戦は、中々うまくいかないこともある。 だけど、いつもみんなことを考えて,そして持ち主のアンディを持ち主と同様,愛し,信じている。 アンディの元に自分たちがあることが最高の幸せと考えている。 たとえ以前のように、遊ばれなくても。 
 ゛仲間を決して見捨てないウッディ”。 真のリーダーだ。 アンディの口から出たその言葉…とても強い愛情のこもった言葉に聞こえた。 言葉どおり、ウッディはリスクを省みず,必死で仲間を救おうとする。 アンディがボニーに言ったその言葉がウッディの大活躍を振り替えさせる。 アンディは年齢的にオモチャ卒業だから
ウッディたちを一度はガラクタ呼ばわりしてしまう。 だけど、ウッディだけじゃなく、バズたちへの愛情は持ち続けていた。 ボニーにバズたちを譲る場面が変わることない,バズたちへの思いを全て物語っている。 
 『トイ・ストーリー』は一つの物語を三つに分けたシリーズ作品らしい。 それは『ロード・オブ・ザ・リング』にヒントをえたとのことで、『ロード~』がそういう構成だったことを今さらながら私は知った。 確かにオモチャの辿る人生のラインがこの三つの作品で描かれていることを考えると納得である。 ウッディたちのもとに新しい仲間がやってきて、ウッディとバズたちの友情が深まって、オモチャが辿る運命が今回描かれて… 彼の人生の流れだ。 彼らは様々な冒険を経て、新たな持ち主との新しい生活が始まる。 それも、オモチャを大事にする子供のもとで。 とっても感動的で希望に満ちた物語である。
 バービーとケンとの出会いも昔のベタなラブストーリーのようでなんだか、面白し,バズのメキシカンモードもかなり面白い。 初期の頃、スペースレンジャーと信じていたバズに戻ったり、全く別の人格が表れたりと、バズはとことんオイシイ。 しかも、スペースレンジャー・バージョンにしても、メキシカン・バージョンにしてもボケである。 それぞれ近からず、遠からずのボケだ。 あまりも綺麗で,渋いスペイン語がバズの口から飛び出して、すっかり情熱的な男になってしまったのが,とても面白い。 しかも、『ジキル博士はミス・ハイド』でもそうだったように、別人になってた頃の特徴の名残りが、元に戻った後も残っていたのがとても面白い。 そして、意外にも終盤でバズとジェシーがいい感じになっていたのにも驚いた。 ジェシーにはウッディと勝手に思っていたけど、必ずしも常識には捕らわれない。 ウッディが最初の頃に違うタイプのオモチャの女性を愛したように、スペースレンジャーとカウガールとの恋もありなんだなぁと思った。 これは人間社会にしても同じだから不思議ではないのだ。 
 レックスの仲間…というか、彼女的存在の出現も印象に残ったけれど…ポテトヘッドとミセス・ポテトヘッドの活躍ぶりも面白かった。 取り外しのできる二人の顔パーツ。 いろんな使い道があるんだなぁと思った。 しかも中にはハイテクなところも! 頭部分を他のもので代用し、そこに顔パーツをつけて身動きしたり、違う場所にある片方の目を通して、自分から離れた場所を見るということもさることながら,目を外して 手で持って細い隙間を手と目だけがくぐりぬけて,外を偵察することができたりと 実は凄いポテトヘッド夫妻!! 
 一度は敵どうしとなった,ケンとバービーのサイドストーリー的設定のラブストーリー…見た後に気付いた。しかも完全なるラブコメだ。 ファッション・ショーのくだり、その後のバービーの自分を騙したケンへの反撃も面白い。 ケンは初めて、強気をなくし,一気に尻しかれるという立場逆転になったのが面白い。 
 ウッディたちオモチャは、持ち主に動いてるところを気付かれてはならない。 だから、大学行きと屋根裏部屋へという二つの運命どおりに一度は動くけど、ウッディはアンディが母親のもとから離れる様子を見て、最善の道を見つけ、実行に移す。 凄いイイやつだなぁと思った。 というか、予想外すぎる。 アンディ宛に宛てたメモにウッディがなんと書いたのかとても気になる。 アンディの母親に成りすましてそんな行動に出るなんて…なんてウッディは頭がいいんだろう。 機転の利かせた行動であり、アイディアだ。 最初の場面でのアンディの携帯電話を持ち出す場面で、よっぽどウッディが子機を通して,アンディと会話しないかな…って思ってたが…。 もし、そんなことがありえたらどうなるのだろう。 
 一度はあるはずのものがなくなり,それがまた元の場所へ戻ってくるという不思議なことを目の当たりにしたアンディ。 だけど、「あれ?」と、思う程度で収まってしまうのもまた,不思議。  『トイ・ストーリー』を見るたびに,ホントに自分がいない時に彼らが動いてて 『トイ・ストーリー』の仲間達のように生きているのではないかと思ってしまう。 だとしたら、面白い。 
[PR]

by jd69sparrow | 2010-07-12 19:53 | 映画タイトル た行

ダブル・ミッション

d0058606_22114632.jpg
<あらすじ>
 ボブ・ホウは二つの顔を持つ男。 ペンのセールスマンとしての地味な一面とCIAで働く優秀なエージェントしての一面だ。 彼は裏の顔であるスパイの仕事を軽々とこなしていく。 命がけの仕事だ。 だから、子守なんて…と思っていたが、実際はスパイ以上に大変であることを思い知らされるのである。 
 静かな住宅街で暮らすボブの家の隣には シングルマザーのジリアンと、その子供たち三人が生活している。 ボブとジリアンは結婚まで考えている仲だった。 スパイの仕事を引退を考えているボブは、プロポーズも成功した今、裏の顔をジリアンへ正直に告白しようとしたが、タイミングを逃してしまう。 ボブはジリアンの子供たちに好かれてはおらず、そんな状況下でジリアンなしで子供たちの子守を引き受ける。 
 だが、子供たちは一筋縄ではいかない。 敵対視する長女ファレン、ボブをダサいと言って近寄りたがらない長男のイアン、さらに遊びたい盛りで手間のかかる次女ノーラ。 ジリアンが父親のもとへ向かったその日から、ボブと子供たちのバトルが始まるのである。
 しかし、そんな傍らでテロリストの影が近づいているなど 誰も予想がつかなかった。 そして、ボブに子供たちは危険な奴らと戦うことに!! ボブは子供たちを守り、また,その彼らから信頼を得ることが出来るのか!

<感想>
 ジャッキーのハリウッド進出三十周年記念作品である本作。 これはファンにはとりわけ嬉しいつくりとなっているようだ。 それを発見できなかったのは残念だが、そこがわからないにしても楽しませてくれるのがジャッキー作品の良いところである。 どちらかというと、アクションコメディが主流であるが、シリアス作品をこなす一面も持っている。 だが、やっぱりジャッキーと言えば前者だろう。 だから、その二つがあるのだと思うだけで、引き寄せる力があるのが凄いところなのだ。
 話の内容じたいは、過去のハリウッド作品を観れば、そう珍しくはない映画なのだが、そうとわかっていても楽しめることができるのは何故だろう? やっぱり、優しい笑顔で、あるいは,おどけた憎めない表情と見事なアクションの賜物。 ジャッキーはあくまでジャッキー流で,誰にも真似できない独特なスタイルであり、それはハリウッド進出から三十年,不動のものであったからこそ,人々をずっと魅了し続けているのだと思う。 
 カッコよく決めようとしているのではなくて、本当にその危機的場面に遭遇しているのだと思わせるような表情と,即興でアクションを次々と繰り出すということが,やっぱりアクション映画のマンネリから はるかに離れたものだということも鍵である。
 雰囲気もハリウッド映画であってハリウッド映画でない…洋とアジアの中間くらい。 敵がなんとなく間が抜けていて、敵の部下たちも,いかついながらもコミックのキャラクターのような感じでギャグ漫画ばりのノリなところもちょくちょく見受けられ 楽しませてくれる。 敵が憎めないキャラというのも、なんだか珍しい。 敵ボスが着る,人物とギャップのある…というかセンスの悪いファッションがその理由の一つであり、面白いところでもある。 場面ごとに変わり、次にどんな衣装が?という楽しみさえ出てくる。 敵ボスの秘書のような女性もふくめて、古きよきアメリカンドラマの雰囲気が漂う感じ。
 「キャプテン・ウルフ」や他の映画との掛け合わせのような気もするけれど、やっぱりジャッキー・ワールドはそんこと関係なく面白い。 節目の映画として最初、意外な印象も受けたが 家族愛のような暖かな部分もあるし、大胆なアクションよりも、コメディでグッとくるようなこの作品がふさわしいとも思える。 ボブにキバを向ける子供たちも意外な本音や現実的な悩みを持っていたりして そこが感動ポイントである。 ジリアンは、実はちょっと強いのかも?と思える,アクションコメディに参加しており面白くて印象深い。 裏切ったかと思っていたCIAの仲間が実はそうではなく,逆に頼もしい仲間で最後に敵へとどめを指すようなところが個人的に好きな場面の一つである。 また、ボブが子供たちと距離を近づけるべく,スパイ道具を使うあたりも中々面白いし…思い返してみると楽しいと思えるところがたくさんある作品なのだと実感した。 まさに、新しく,古きよきもありという映画だ。
 また、子守と悪から子供たちを守る,ダブルのミッションを課せられ,笑いあり悪戦苦闘ありの作品である。
[PR]

by jd69sparrow | 2010-06-23 20:00 | 映画タイトル た行

デジャヴ(2回目)

d0058606_2356924.jpg
<あらすじ>
 あるフェリーで,しかも数百人の客を乗せた船で 大勢の命が犠牲となる大爆発があった。 その事件の捜査を当たっていたダグ・カーリンはある女性の変死体を目にする。 不思議な点ところの多いこと、また 死ぬにはもったいないくらい若い女性だとうこともあり,これをきっかけにダグは集中的に事件を洗うことに。 死んだクレアという女性の家を探っていると、自分の声が残った留守電が残っていたり、まるで自分に当てたようなメッセージが残されていたりと何かと不自然なことが多かった。
 やがて、ダグはある特別捜査チームに参加することになる。  彼らの捜査本部には大きなスクリーン。そこに映っていたのは、なんと四日半前の映像…しかもそこにはある秘密が隠されていた。 過去が現在に中継されている。 この衝撃的な事実を目の当たりにした,ダグはフェリーでの惨劇を,クレアを救うため 犯人を過去を映す鏡から,犯人の足跡を追っていく。

<感想>
 一度映像を見たら、目が離せなくなる。 なんとも不思議。 『パイレーツ・オブ・カリビアン』が公開されて間もない頃だっただろうか、その製作者が!という,うたい文句に誘われて行ってみた思い出がある。 しかし、大航海時代から一気に現代に舞台は移り、しかもジャンルがサスペンスということもあり、どんなものかと思って見に行った記憶がある。 しかし、やはり 疑うべきではなかった。 この映像の繊細さと生々しさがやはり,うたい文句にうなづかざるをえない。 テレビに映し出された映像とは言え、やはり映画のスクリーンで見たあの色と同じである。
 過去に起きるできる大きな出来事は、やはりどんな力を持ってしても止められない。 だが、少しそらすことは出来るというSFチックな要素もある。 “起こることは、必ず起こる”なんて言葉がとても印象に残った。 だけど、最悪の事態をどうしても避けたかった,ダグがとてもかっこよかった。  口を濁す特別チームのエンジニアたちの心を動かし、予言書になるメモを送るアイデアを提案したどころか、自分の身の危険を顧みることない。 そこまでして、過去を変えたかったダグ…その執念は凄い。
 やはり、印象的なのは過去と現在を同時に見ているダグのカーチェイス場面。 時を越えて、姿こそ見えないが 犯人の追跡をするという,なんともスリルある展開は最高である。 現在では見えていない敵を追いかけるというのはどんな気分なのだろう。 同じ場所でも違う状況にあるなか,犯人に近づけそうで近づけない,そんな接近戦が中々面白い。
 過去を変えられると信じるダグ。 しかし、やはり時のサイクルには逆らえない。 ダグがこの事件を調査し始めた頃に 見つけた数々の謎が解き明かされていくという状況は衝撃だった。 本人が気付かないうちに運命のとおりに,自身が動いているということが。 しかし、それ以上に謎なのが、同じ時の中に存在した過去と未来の主人公の運命はどう変わるのか… だから、最後の展開は,時の軸にどう影響を及ぼすのかや、 ダグの命はどうなのかとか、すごく気になるミステリアスな締めくくりが、とても良いし,結果的に面白い映画としているみたいだ。
[PR]

by jd69sparrow | 2010-06-18 23:33 | 映画タイトル た行

ダークナイト(2回目)

d0058606_059866.jpg
<ストーリー>
 悪が善より勝るゴッサムシティを救うため,過去の自分が恐怖を抱いたコウモリを素にバットマンを誕生させ,自らがそのマスクを被るブルース・ウェイン。 バットマンの登場で悪たちは追い込まれ,その結果 鋭い牙となり彼の身に襲い掛かってくるようになった。 生身の人間であるバットマン,ブルースも限界に見えるほどそれを示す証拠が傷となって、体にしっかり刻まれている。 あくまでもバットマンは自警。 そんな彼をあざ笑うかのように、解き放たれたのがジョーカーと名乗る謎多き男だった。 ジョーカーは誰にも縛らない,己の本能で生きる獣のような男だ。 道化のようで、バットマンに匹敵する頭脳で人々を混沌へと陥れることを楽しみとし、次々と犯罪を犯す,まるで挑発するかのように。 狂っているようで頭がキレて,予測不能の動きをするジョーカーに惑わされつつも、果敢に立ち向かうバットマン。
 危機的状況に追い詰められてしまうバットマンだったが、救いの手,希望となる存在がいた。 ハービー・デント。 彼は“光の騎士”と人々に崇められる地方検事。 ブルースの志しと同じく、ゴッサムシティを救おうという表の世界のヒーローだ。 バットマンにとって身内以外では警官のゴードンとハービーだけが頼りだった。 しかし、無情にも運命は過酷な道へと彼らを誘い、悲劇をももたらす。 ジョーカーはバットマンにゲームを仕掛ける。 勝つのはどっちか。 命運を分けるコインがトスされ…

<感想>
 ジョーカーは普通の悪ではない。 しかも、滅多にいない目的を持った存在。 身元を示すものは一切持ち合わせず、ナイフと頭脳の二つの武器しか持ち合わせない男。 そのわりには上等なスーツを持っている。 気の狂った紳士…と言ったところだろうか。 悪党にしては上品な格好である。 金に執着心を持たないし、死を恐れない。 人々の恐怖心こそ彼のエネルギーなのだ。 そう考えると、様々な国々が他の国々へ恐れを持ち武器を作るのと似ている。 人の恐怖がさらなる恐怖を生み出すという点では。 いわば、恐怖が具現化したのがジョーカーという感じ。 慌てるそぶりなど一瞬たりとも見せることはなく、常に先をついている頭の回転の良さは悪にするのにはもったいないほどのものだ。 地獄へ落ちても笑い続けることだろう。
 しかし、何故魅力を感じるのだろうか。 うまくは説明できないけれど、ジョーカーというキャラクター自身が放つインパクトもさることながら、キャラクター性や行動一つ一つ,そしてその強さだろう。 ジョーカーは幾度か変装をする。 さらに、言葉でも相手を見事に欺き,また 出し抜いて目的をやり遂げる。 ナースのコスプレをして病院へ忍び込むジョーカー。 メイクでばれそうでは?と思うのだが… しかし、後姿からはわからない、振り向くまでは。 ジョーカーは常に猫背。 ナースの制服を着ているからというのもあるのだが、ガタイの良さと姿勢からその歩く姿が独特なものに見え,なんだか可愛いような面白いような感じ。 特に爆弾のスイッチを押そうとして,中々起動せず,時間差で起動するという場面が可愛かった。  また、静まり返った大都会のど真ん中で立つジョーカーの姿は前から見てもカッコいいが、後姿がなんとも言えないくらいキマッている。 人々を惑わし,それを喜ぶ姿はまさに狂気そのものなのだが 目だけはいつも真っ直ぐで真剣そのものというギャップがイイ。 
 終始、白塗りメイクの道化風のジョーカーだが、素顔が出る瞬間があるというのは噂には聞いていた。 だが、今回それを本編の中で確認することが出来なかったのだが 調べていく中でその画像を見ることが出来た。 やはり、元の顔がわからないくらい、派手のメイクに包まれた顔の本当の姿はどうしても気になるもの。見逃してしまいそうなくらい、きっと一瞬なのかもしれないが 是非探してみたいものだ。 静止画像で見る限り、道化というよりも 深い憎悪を内に秘めた感のある,冷静な表情である。 過去を探る手段がない謎の人物である。
 悪が生まれる瞬間。 正義が悪にいとも簡単にひっくり返ってしまうところは、恐ろしいものがある。 それは現実を物語ってもいる。 どんなに平和主義の人間でも、悪に染まりうるという衝撃的な真実… 真面目な人が罪を犯す…そういうことをする人間ではなかったのに…という人々へ衝撃を与える事件があるという現実だ。 ジョーカーは世の中がどんなに脆いのかを証明した、とでもいう感じ。 人の心理を読むに長けた手ごわすぎる敵。 その気になれば、バットマンの力を持って征することのできる敵だが、ほぼ確実にそれをさせない。 ジョーカーは見透かしている。 しかし、完璧ではない。 それが唯一、他人に委ねたクライマックスでのある一こまである。  彼自身が下す必要性の高いものについては、決して的を外さないのがジョーカーの得意技。 
 人々の判断に委ねた唯一の場面。 一般人と囚人たちを乗せた二隻の船。 それぞれがお互いの船を爆破するためのリモコンを手にしている。 囚人たちが無言を通すのに対し、一般人たちは“囚人は自業自得なのだから…”と口々に言う。 気持ちはわかるにしても 無情である。 そもそも人が人を殺すのは間接的であれ,なんであれ許すべきことではない。 囚人たちは何故囚人であるのかを考えれば彼らが出すべき答えはおのずと答えはわかる。 囚人たちは確かに罪を犯したが やり直す権利を持っている。 心から悔いれば、いずれ報われる日が来る…  皮肉にもあるべき決断を下したのは囚人側の方だった。 一人の囚人の勇気ある決意と行動、それはとても感動的である。「10分前にすべきだったことを,(俺が)してやる」というふうな言葉は今でも心に残っている。 人はまだ希望という可能性を持っているという素晴らしい場面だ。
 人は時として悲しい,あるいは表面上受け止めていても、内では受け入れられない現実を目の当たりにしたとき,気持ちとは裏腹な行動に出る。 思ってもいないことをしてしまうのは何故だろう。 嫉妬からくるものでもあり、気持ちが相手に見えないようにするためのマスクに過ぎない…と私は思う。それは、ブルースのみならず、レイチェルにも言えることだと私は思う。 マスクを外すことの出来る社会…それが二人をつなぐ希望だった。 しかし、悪がはこびり,ますます蔓延し続ける現実問題,その日は到底来ない。 ゴッサムシティの現実が二人の愛を阻む唯一のもの。 町の平和を守る者とその恋人が背負うリスクはあまりにもリスクが高い。ブルースはそれを痛感し,前に進むしかない。 バットマンとて悪に染まりかねない,ギリギリまで追いやられるのである。 
 人々からちやほやされることは決して望まない、むしろ憎まれ役買って出ることで彼らを安心させる…こんな方法しかなかったのかと思うとあまりにも悲しい。 ゴッサムシティの人々が希望を失わないようにと,誰に言われたわけでもなく自ら買って出るバットマンこそが希望なのに… 大切なものを失い,人々を救っても人々からは憎まれるという重い十字架を背負った,バットマン…“沈黙の守護者で、私たちを見守る監視者”…なんて心に響く言葉だろう。 結論は最後に語られるものだが、やはりズシンとくる。 目だったことは一切、せずに沈黙を守り,人々の命を守る…常にアンテナを張り,平和に乱れがないか見守る、それがバットマンであり “沈黙の騎士(ダークナイト)”なのである。  やはり深い。
[PR]

by jd69sparrow | 2010-06-07 01:13 | 映画タイトル た行

劇場版 TRICK 霊能力者バトルロイヤル

d0058606_1842738.jpg
<あらすじ>
 山田奈緒子は、マジシャンとして花やしきの舞台に立つ。 しかし、何度もクビにされてしまう程,中々お客さんが入らない。 日本語を時々間違えたりと,とぼけたようなところもある、しかし推理力は確かである。その力でもって,数々の事件を解決するも お財布は潤うことはなかった。日々、ギリギリの生活を送っている。 彼女の相棒的存在で腐れ縁という,つながりを持つのが上田である。
そんなある日のこと。 奈緒子は仕事をクビに。 退職金代わり?にもらったのが,万練村でカミハエーリを決めるバトルロイヤルの情報だった。財宝を匂わす,その話に乗らないわけにはいかなかった。カミハエーリとは、村を守る霊能力者のことだった。 前のカミハエーリが亡くなったことで,次のカミハエーリを決めるべく,全国から霊能力者が集められるというものだ。 奈緒子も霊能力者を装い,村に行くと そこには奈緒子を温泉ツアーに誘おうとした,上田の姿が。霊能力者と偽る者を見破るための立場として。 上田は村の青年・中森翔平にカミハエーリの風習から村人たちを,目を覚ませるよう依頼を受けていたのだ。 そして、霊能力者として奈緒子を含め,六人の男女が名乗りを上げ,命がけのバトルロイヤルの幕が切って落とされた。

<感想>
 ドラマシリーズをあまり見ていない自分が言うのもなんだけど、『TRICK』とは主に毎回特別な力を持っていると自負する者がいて,その周りでは何故か人が命を落としていくという奇怪な事件が起きる。特殊能力と偽る者たちが仕掛ける,トリックを山田奈緒子が解き明かしてく…という話の展開だ。映画は本作までで三作公開された。 劇場版第一弾となんとなくパターンは一緒で、前述したような展開の要素も毎回ある。 それがこの作品のルールだと思う。形式が似ているのが三作中,一作目と三作目…ある意味『オーシャンズ』シリーズと似ている? というのも、『オーシャンズ』でも『11』でラスベガスが舞台となり,『12』で一度舞台が変わって 再び『13』でラスベガスへ戻ってきているからだ。
 パターンがある程度決まっているとわかっていても,面白いのが『TRICK』の魅力の一つ。やはりその理由は 作風や世界観にあるだろう。 例えば、美味しいラーメンに出会うとまた食べたくなり,時間を空けて再び食べる(中にはハマり始めたら毎日という人もいるだろう)のと同じ原理と言えるのではないか。 もちろん、監督の言葉にあるようにギャグを所々に盛り込まれているというのも面白さであり、また,一風変わったシュールなストーリー展開がポイントである。 主人公である奈緒子も上田もまとものようで,けっこう変わった一面も持っている。奈緒子は周りで起こる可笑しな出来事にツッコミを入れるけれど,実は自分自身もボケであることを上田によって証明されたりする。時に自分でボケツッコミをする。 上田も堅物のようで,変わった一面を持っている上、キャラクターとして個性が強い。
 今回で気付くのは遅すぎるかもしれないが、出演者にまつわるギャグがたくさんある。それを一つ一つ探すのは一度では少し難しいが 見つけると嬉しいのだ。さらに,笑える。個人的にツボだったのが、鈴木玲一郎が白馬に乗って,「さらばだ」と言って平原を駆けぬくという場面。将軍!!って叫びたくなる。 「事前に馬を隠しておいたのだ…」って、そんなバカな!と思いつつも爆笑。真面目に言うからこそ面白い。 堤監督という人は、役者さんそれぞれが,絶対やらないであろうということを見事に裏切って(良い意味で)、それぞれキャラクターを作る天才だ。 霊能力者たちを仕切るように,バトルロイヤルの開幕を宣言する。 そして、いかにも事件の犯人という匂いを出している。 劇場版第一作の“神003”が大ボス?と思った。 しかもこの人、かなり あっさりしていて往生際も悪くない。それでいて、最初に登場する場面ではツッコミどころが少ないようだが,実はツッコミどころのある愉快なキャラクターで驚き。 つまり、出てくる登場人物はどこかしらツッコミどころのある印象深く,個性が強いということが言える。みんなが真顔で,また全力でボケる。そこがこのシリーズのミソなのだ。
 話の流れは知る中ではいつもと違った。 どの推理ドラマでもたいてい共通するものであるのが犯人の追求場面だ。 容疑者たちが集められ,彼らの前で主人公が事件のあらましを説明しつつ,犯人の発表に向かって,その道筋を紐といていくというもの。 推理モノの定番である。 しかし、ここではそういうパターンとちょっと違う。 謎は随所随所で明かされる…つまり、パズルのピースが少しずつ埋まっていく,答えが出る前の推理の途中段階が多く,結論部分がコンパクトになっているのだ(お決まりの展開で考えると)。 犯人は「私がやったっていう証拠はあるのか!」という言い逃れなどは一切せず,あっさり認めて「どうぞ、後はお好きに」という開き直りだ。 しかし、一言にその一人の人物が犯人とも言えない、しかし全ての引き金を引いた黒幕であることは変わりはないだろう。
 奈緒子に上田が事件の依頼を持ってきて,奈緒子が謎を解いて,そしてオイシイところを奈緒子の母・里見に持ってかれる… そしていつ訪れるかわからない奈緒子と上田の関係の行方。 まだまだ話は続きそうで しかし、二人の関係性は中々進展せず,じれったい。いつか何かあればいいのにと思いつつも納得はできる。 今度もし次回作が出来るのだとしたら 奈緒子にある,カミヌーリ(カミハエーリ)の力が大々的に出て欲しい。 その話は抜きに 一万円のトリックは奈緒子の奇術の中ではトリックが明かされぬものであり、不思議だ。 しかし、どうやら一方通行な感じがする。
 あと、一つこの作品の楽しみ方をあげるとするならば,不思議な言葉や文字に注意して見たり耳を済ませたりすることである。まるで、クイズ番組で問題を解いている感覚☆
[PR]

by jd69sparrow | 2010-05-21 18:47 | 映画タイトル た行

タイタンの戦い(2010)

d0058606_23581412.jpg
<あらすじ>
 時は、ギリシャ神話の世界の中を流れている。 ゼウスが神の王だった。 そのゼウスと人間の女性の間に生まれたのが,ペルセウスという半神であった。赤子であったペルセウスと母親は罰せられ,嵐の中、ペルセウスの命は救われた。 漁を営む人間の夫婦に育てられたペルセウスは,人の子として育った。 世は厳しく、神が人間に苦難を強いるばかり… ペルセウスの育ての親・スピロスたちは神の行いに不満を隠せない。 彼だけでなく、それは多くの人間の間に広まりつつあった。そしてその不満がカタチになったとき、神の怒りに触れることとなる。 これによる惨事に巻き込まれたペルセウスたち一家は、ペルセウスを残し命を落とすこととなる。神の手で…
 その時既に青年に成長していたペルセウスは、アルゴス国に救われる。 冥界の神・ハデスによってある事が告げられた。人々の信仰心の薄れによって神々の怒りに触れ,アルゴスは破滅に導かれると。そして、それを免れるために,アルゴスはハデスと契約が結ばれるのだった…
 ペルセウスは、ハデスの放つ,アルゴスの命運を脅かす怪物・クラーケンから人々を守るために,国王に仕える戦士団と命がけの冒険へと旅立つのである。

<感想>
 人類の生みの親、ゼウス。“神は自分と似せて人を作った”というように,恐らくは人と同じ姿をしているのだろう。 例え、人の手によって表現されたものだとしても きっとそうなのではないかと信じられる。 人類はどのように誕生したのかと色々と考えをめぐらす…猿が進化してゆき,人となったにしても何故進化したのか、また,何故言葉を話すようになったのかと思うとそこに神秘的な気がしてならない。 
 ゼウスは人類を創った,創造主。 だからと言うべきなのか、ここで描かれるゼウスはとても人間的だ。自らが生み出した人々へ愛を持っているのだけれど、ゼウスのバックグラウンドは意外なるものだった。ハデスの弟であるゼウスは王になるために,ゼウスの前の王,つまりゼウスの両親を兄に頼んで倒してしまった上に,ハデスを騙して冥界の王にさせて,天界の王座を我が物にするという,ブラックな面を持っていたなどとは驚きである。
 もちろんハデスは、邪悪さを持っていたけれど 本来自分が継ぐべき王の地位を弟の罠により,奪われて天界の遙か下に位置する冥界へと行くこととなったのだから ダークになるのも無理はないとも思える。 まるでムファサとスカー(「ライオンキング」)の関係かのようにも見える。 スカーがムファサにした事と同じような意思がハデスの中にも存在した。 半神であろうと、ゼウスの子であるペルセウスも,ゼウスもハデスにとっては変わらないのだろう。向ける敵意は同じだった。
 また、目の合ったものを石にしてしまう,元は美しい神々の一員だったメデューサもひどい仕打ちを受けた上に救いを求めて,救われるどころか醜い姿に変えられてしまったという暗い過去を持っている。 
 こう考えてみると、悪役たちの方がよく見えてくる気がする。 ちなみに獣人カリボスこと,アクリシウス王もゼウスのした,とある行為が発端となり 奈落の底に突き落とされる運命を辿ってしまう。
 と、ここまで来るとゼウスに中々良いイメージが浮かばないように見えるのだけれど そうではない。人間と同じ脆さがあったり,愛情も持っている。人の心には天使と悪魔がいると言うように、悪魔の言葉に,ハデスの企みに屈ししまう…と思うのだ。 それに 人を創造し、さらに美しい自然も創造したのだし、ゼウスあっての私たちなのだから。
 不思議と悪役達の方が良く見えたりする。 
[PR]

by jd69sparrow | 2010-05-15 00:16 | 映画タイトル た行

ダーリンは外国人

d0058606_21322362.jpg
<イントロダクション>
 偶然の出会いから、付き合うことになった国際カップルの,さおりとトニー。 二人の出会い始めから物語が始まり、結婚するまでの道のりを描いたコメディ&ヒューマンストーリーをラブストーリーで味付けした,ふんわりとした空気と穏やかな風が漂うような映画である。 全ての恋人たちと恋をしたい人たちのためのバイブルもところどころに込められている。 笑って、泣いて、心も温まる贅沢に仕上げられた素敵な物語!


<あらすじ>
 さおりは漫画家を目指す日本のイラストレーター、トニーは日本でジャーナリストとして活躍するアメリカ人。 周りの目など気にせずに仲むつましく,また、異文化の違いもなんのそのな二人は毎日をエンジョイしている。 トニーは語学オタクという一面を持ち、日本人では中々疑問には思わないところをとことん突っ込んでくる。 また、感性の違いから面白い反応を返してくる。 そんなトニーの魅力に惹かれていく さおり。 しかし、さおりの父親だけは二人の交際を認めなかった。 夢も国際恋愛も中途半端なことに気付かされた,さおりは心を入れ替えて 英語の勉強に,漫画の仕事にと努力を惜しまず,没頭するのだが…
 
<感想>
 自分のことは主観的に見がちで,客観的に見ることはあまりないだろう。 でも、客観的に見ることで色々なことが見えてくる。 “自分のことは自分が一番よくわかっている”というけれど、自分では見えないところもあるわけで、人からしか見えない自分というものもある。 この定理のように、国と国との間に関しても同じことが言える。 やはり国が違えば、考えや目の付け所が違うはず。 今回はアメリカからやって来たダーリンの発想の面白さが描かれているけれど、逆に私たちが外国へ行って生活を始めた時も、その国の人には見えないところに気付くかもしれない。 
 日本に長い外国の方は少なくない。 今回登場するトニーもさることながら、日本に在住する外国人には日本人以上に日本に詳しい人が多いと思う。 中々ここまで研究し尽くして,滞在する国に馴染むというのは私たちの周りでは,そう多くないだろう。 語学オタクである,トニーだからこそかもしれないけれど、言葉のあらゆる言い方に疑問を持つ。 言われれば、確かに!と思うことが多いのだが、中々自分の国のこととなると気にならない。 当然と言えば当然かもわからないけど、不思議と言えば,不思議である。 しかも、聞かれた日本人がわからないという…決して他人事ではないのだから責めることはできない。知っている人が知っている。そう考えてみると、何気なく使っている日本語には不思議がたくさんあるし、その語源は深いものなのだと改めて思う。 どういう場面で使うのかや、意味までは知っていたとしても どうしてそういう言い方なのかまでは,そうそう知る機会はない。 
 トニーは使い方を間違えることも多くあるけれど、様々な日本語が出てくるゆえに、ことわざや慣用句、熟語など,言葉への興味が増す。 トニーの出す疑問を調べたくなる。 言葉の使い方も考え直したくなる。 日常的に私たちが使う言葉は、話し言葉としてはごく自然に感じても 間違いが意外に多い。 それを日本語を母国語としない人が気付くと言うのがすごいし、また,日本語の難しさと言うのも改めて実感。
 トニーの名言(珍言)が炸裂するこの作品の中で一番印象的なのが、『抜かれるなら、度肝がいいよね』という言葉。 意外にもこの言葉はキーワードとなり、大事な場面でまたも,面白い使い方によりカタチを少し変えて登場することになる。 
 話は戻るけれど、日本人以上に日本人らしいという事実。 まさか、異国の人の口から“しきたり”や“すじ”という言葉が出てくるとは思わなかった。 日本語や文化を学ぶ人たちの凄さがよくわかる場面だ。 “大丈夫!大丈夫!”と言うさおりに対して、日本のしきたりを思って心配するトニー。まるで さおりがアメリカンでトニーが日本人に見えてしまう。 もちろん、それぞれの国々に各々のマナーはあるだろうけれど。
 異文化の違いからかどうかはわからないが、さおりを通して 私たちの“内に秘める”ところや、気配りがゆえの保守的なところなど物事の考え方がよく見えてくる。相手を傷つけまいとして、心に思ったことを言わずいるこちらと、なんでも思ったことは遠慮なく言って欲しいと願う相手。 どちらも相手を思いやっていることなのだから 大切なことなのだけれど、中々うまくいかないこともあるんだなぁと思う。 トニーとさおりとの間に出来た溝。最初は小さかった溝がしだいに広がっていく様がじわじわと伝わってくるのがなんとも切ない。
 実際、文化の違う者同士が一緒になった時、ぶつかる問題は少なくないだろうし,国際結婚が多くなってきているとは言え そう簡単なものではないだろう。 だけど、さおりの母親の言葉が観る側の胸をつかむのである。 クライマックスで明らかにされる,さおりの父親の本音が語られる,ぐっとくる場面だ。 異文化の違いだからと言ってしまいがちだけど、相手がどんな人だろうと,人と付き合うことには国境など関係なくて、お互いに認め合って,許しあい,わかちあうことなのだという、人と人との問題なのだと語る,さおり母。 さらに言えば、さおり母の語るエピソードがなんとも微笑ましく,温かい。
 この場面は、言葉や態度とは裏腹にこめられた親の愛が伝わるところでもある。トニーとの付き合いを反対したのは 楽しいことばかりではなく、現実的なことにも一対一の人間同士の付き合いにもちゃんと向き合えてなかったことを諭したかった上での、父親の娘への不器用だけど思いやりに満ちた言葉なのかもしれない。 誰かと言うことは“相手と真正面から向き合うこと”。
 さおり自身の問題を指摘したのであって、本心からの反対ではなかったのかもしれないし、トニーの人間性を認められたからこそ,さおり母から語られた父親の本音があったのかもしれない。
 共感できる場面は色々ある。 まず、最初にさおりが仕事に没頭するところ。 ずっと念願だった夢の実現が目前まで迫ってきた時の様子や、やっと夢が現実になったときの喜び。 もっともっと頑張らなきゃってさらに努力する。しかし、没頭するあまり、周りが見えなくなるということ。これがもし自分だったら…と考えてもきっとそうなってしまうかもしれないし、また,自分の好きなこと・趣味に置き換えた場合でも同じことが言えると思う。
 それから、さおりから語られるトニーにとっては、衝撃的な事実の数々。さおりの言うことに対するトニーの反応の面白さ! きっと自分の言った事に対してあんなにも大きなリアクションが返ってくるのなら、同じようにそのリアクション観たさに,色々とそういった事実をぶつけてしまいたくなるだろう。 やはり人間、返って来るリアクションの面白さを何度もかみ締めたくなるものである。
 三つ目に、アメリカでの二人の再会場面。 訪れたことない知らない土地であちらこちらへと,迷う時の不安、そしてそんな中で、やっとのことで頼れる人・会いたい人に会えたときの安堵感…自分のことのように共感できる。 トニーはどこまでも真面目で優しい!!と思う。 最初から相手に向き合っていて,いつも相手のことを考えているところ…。 生活スタイルの違う場所ではやはり家事一つやるのだって,わからないことだらけで苦労する。 けれど、自分から進んで理解に努める所などとても尊敬できる。 自分が教られなかったけれど、実は相手は自らの力で解決の糸口を見つけていた。この時のさおりの罪悪感が心と心がつながっているんじゃないかってくらい伝わった。 
 ごめん、とはハッキリ言わずとも,さおりの その涙が全てを物語っており、だからこそトニーは何も言わずにさおりを許したのだろう。
 最後に、コメディなところに触れておきたい。 実際の国際カップルの声を聞ける場面もさることながら、漫画エッセイが原作と言うことでアニメーションが見れるところが面白かった。 まず前者は、色々な国々のダーリンが登場して、それぞれのこだわりや面白い発想などが聞けるところが良かった。 国際結婚という言葉からイメージされるより多くのダーリンが登場するのがまず面白かったのである。 次に時々垣間見えるアニメーション。 実写からいきなり可愛らしいアニメになり、しかも迫力がある。 “度肝”のときの場面でのとてもナチュラルな日本語かつ渋みのあるトニーのセリフが最高。
 大きな展開がないけれど、学ぶ事や得ることは多い。 何気ない日常が描かれているから、とても親近感がわく。 春の穏やかでのどかな季節に合う素敵な作品だ。
[PR]

by jd69sparrow | 2010-04-11 21:53 | 映画タイトル た行

Dr.パルナサスの鏡

d0058606_23142072.jpg
<あらすじ>
 ロンドンの夜。 街に,少し時代遅れのように思えるキャラバンが止まる。 すると それはたちまち舞台へと早変わり。 幻想的な世界の始まり…だが、街の若者たちは振り向きもしない。 舞台上に登場した,少女が出てくるまでは。 舞台には出演者以上に妖しな鏡が置かれている。酒に酔った男が鏡に入るとなんとそこは童話のような奇妙な世界だった…
 ドクター・パルナサスを中心に旅をする一座。 パルナサスのタロットカードが“吊るされた男”を暗示した時、周りの異変に気付く。 橋の袂に生死のわからない,“吊るされた男”がまさにいたのである。 死の淵にいたかのように思えたが、パルナサスの娘・ヴァレンティナによって救われる。 記憶を失くした男の名は、トニー・シェパードである。 謎に包まれた男だ。悪魔の手下かもしれないその男は、パルナサス一座を救う。 不思議な魅力を持つ,トニーの手で少しずつではあるが、一座に活気が出始める。 
 そんな時に現れた,Mr,ニック。 パルナサスがその出会いを深く後悔した,悪魔である。 悪魔は恐ろしい賭けを持ちかけた。博士に永遠の命を再び吹き込むための代償に娘を差し出せというものだ。 それを防ぐのは新たな賭けに勝つことだった。 先に人を五人獲得することだ。
 欲望が具現化される世界で、人は究極の選択を迫られる。

<感想>
 仲間や大切な人との絆は素晴らしいものを創造する。 製作が途中の段階で、若き名優に奇しくも早すぎる死が訪れる。 ヒースには良き仲間達がいた。 主演が製作途中で、代わり 引き継がれるという,あまりに異例である。 監督には不運が続き,しかし監督も主演俳優も尊敬する実力者たちの手で未完は完成へとたどり着く。 それがすごい。 様々な理由から映画は数多く打ち切られてきたかと思われる。 監督とヒースを慕う人々により引き継がれる。
 鏡の中と外。 二つの世界を行き来するこの物語。鏡の外をヒース、鏡の世界を三人の役者が演じるというのは上手すぎると思う反面、これは“運命”なのだと思う。 もちろん、このまま一人の役者により鏡の世界まで描かれていたにしても、面白い作品が出来上がっていたかと思うけれど、鏡の中に入ると姿が変わるという設定は、物語をより奇想天外かつ不思議な世界感を盛り上げる要素となったと思う。鏡の魔力に誘惑されたトニーは三度に渡り鏡へと入る。現実世界と違う三人のトニーが登場することになるけれど、顔は違えど同一人物という設定のはずなのに、何故かそれぞれ個性が違う。
 三段階に変わるトニー。 だんだんと本性があらわになってくるように見える。 現実的に言えば、それぞれが違う役者が演じているのだから、一人の人物であっても味がそれぞれ異なるのは当然といえば当然。個人的にはランプの精霊が叶えてくれる,“三つの願い”とでも言うようなわくわくした気持ちで見た。次にどんな楽しみが待っているのか、と。 それぞれのショートストーリーの中でその内容に合う役者が選ばれたのだと無知ながら思う。
 一番目は、まだ謎を覆い隠されたままで、ほとんど全ての女性を虜にするであろう、セクシーさに品格のよさ、ミステリアス、そして包容力…などなどの魅力を控えめに表現されている。可愛らしささえある。 仮面をとった瞬間がたまらない。
 二番目は、何かから解放された感がある、明るさが全面的に出ている。まるで道化師のようだけれど いたずらっぽさが魅力。
 三番目は、一番と二番目を足した感じの第一印象。だけど、一番現実的だ。トニー・シェパードという男の本性,全てがこの最後に表れている。 闇を持つ男なのだ。
 三人のトニーは、それぞれ異なる人物の願望によって作られている。 それが面白いところだ。パルナサス博士の一座のショーを見に来た観客のマダム、トニー、パルナサスの娘・ヴァレンチナ。 だから、三人の役者が演じるのは必然のようである。 己の願望により作り出された世界は、望むものを見せてくれる。 だけど、美味しいところには必ず魔物が住んでいる。 心に穢れを持つものには天罰が下される。個人的には一番目のトニーと共に鏡へ入った,マダムが見た世界がとても印象的だ。 巨大なハイヒールが立ち並ぶ,湖のような世界に理想の姿を映す鏡が出てきたり… 観客をこの前半の場面で一気に魅了する。
 最後に人に課せられるのは人間の人生を象徴する“選択”。 人は数々のものを選択して生きている。幻想的な世界で唯一現実的な場面である。 美味しい思いをした後に訪れる,究極の選択。選択しだいでは天国にも地獄にもなる。 良心が試される場所だ。 しかし、地獄の門は楽園に見える。ゆえに意志の弱きものは騙されてしまう。 逆に天国の門は一目でそれとはわかりにくい。誘惑に負けようものなら破滅が訪れる。
 鏡の世界は人が眠るときに見る夢の世界のようで、実体験している世界。 ここで起きていることは自分の身に降りかかることとなる。これがまた不思議である。 皮肉と言うべきだろうか。 トニーの最後は鏡の世界。しかも、本来の顔ではない鏡の世界,ヴァンレチナの願望作られた姿で終わる。過去に過ちを犯した上に それを隠し通そうとした挙げ句、真実が暴かれた瞬間に感情むき出しになりボロが出てしまう。 そして好きな相手へも手を出し、見放されるという,なんとも救いようのない男は、神の使い(実際は違うにしいても)にも本性を見破られ、裏切られるのだ。 悪事や偽りは隠くせば隠すほど、自滅への道は近づいてしまう。
 前述した中にあるようにここには天国と地獄がある。 人生を歩み始めた人間が死に直面した時にきっと天国か地獄かどちらへ導かれるか,裁かれることだろう。 それは選択によって決まるのかもしれない。 最後に一つ選択が課せられるのか、はたまたその人の長い人生において、その人はどんな選択をしてきたのかが,分かれ道に立つ番人によって審査されるのかもわからない。人が辿る末路にあるものを幻想的な世界の中で表現されているのだと思った。
 三度ある,選択の場面はそれぞれ導かれる方法も違う。 最初の場面が他と違うのは唯一、悪魔に選択者が勝つからだ。 それも、第三者の先導によるものである。最初の段階で鏡の世界表れないトニーの本性の,これも唯一の場面がここにある。 口が巧く、甘いマスクを武器にできるという才能。
 悪魔は二つの形態で描かれる。魔物そのものと、見た目は普通の人に見える姿とこの二つだ。この話では後者である。 パルナサスは1000年もの間、生き続けているし、その傍らにはいつも悪魔の影があった。 パルナサスの“運命の時”は二度訪れる。一つは天国だがもう片方は地獄。悪魔との出会いは大きな後悔と苦痛をその後の果てしない,パルナサスの人生に脅かすこととなる。常に付きまとう悪魔,Mr.ニック。 とてもズル賢く,計算高い悪魔により うまくその罠にかかってしまうパルナサス。 無限に続く人生を約束されるも、永遠の命など入り口は良くても幸せは続かない。むしろ地獄だ。 そんな地獄のような運命に立たされるパルナサスのオアシスがヴァレンチナである。悪魔は人の幸せが好物なのか。 その人に与えられた幸せを次々と食い尽くす。ニックはパルナサスを好意的な目で見るけれど、良いことはもたらさない。 悪魔ゆえに。ニックは賭けをすることで暇をもてあそぶ。
 しかし、そんなMr.ニックに魅力を感じてしまうのは何故だろう。悪魔なのに邪悪さよりもユーモアが先立って見えるのだ。最初から最後までその姿は変わらない。けれど、現代にいてもまるで違和感がない。ニックは神出鬼没。 いつどのようにして、現れるのかが謎に包まれており、鏡の世界にも登場するという自由気ままな存在である。 パルナサスの鏡の中に出てくるのが不思議だけれど、物語を見ていると自然に見えてくる。 悪魔なのに何故か憎めない不思議な魅力を持つキャラクターだ。
 あの不思議な鏡はどこからやって来たのか。 Dr.パルナサスというくらいだから、発明品なのかとも考えられるけれど、悪魔から与えられたものなのかとも思う(映画を見直せばわかるだろうか)。 手作り感もある鏡だけれど、それは夢のような世界の入り口… それに、トニーの額に刻まれた刻印… 物語を見終わっても謎が残る。全てを解明するよりも多少の謎を残して,ミステリアス感を出すというのが作り手の狙いなのか。 
 最初はパルナサス一座の若手アントンの幻想的な世界への誘いがなんとも印象的なのは、イギリス訛りが幻想的な雰囲気を演出されているからとも、作り手の持つ世界観とも言えよう。 摩訶不思議な幕開けでありながらも、その最後はなんとも現実的。 さらに最初に出てくる鏡の世界は『不思議の国のアリス』でアリスが落ちる“ウサギの穴”で見えてくる景色に似ているけれど、さらに奥へと進んでいくと『ブラザーズグリム』のような世界…いや、もっと不気味な地獄のような世界が広がる。恐ろしき世界を見ることになるのでは?というちょっとした恐怖感も出るけれど 結末はとても穏やかで温かい。 このギャップが今までにない独特な味わいだ。
 その冒頭の場面でわかるようにここで迫られる“選択”のほとんどは、その人が改心するかどうかの究極の選択と言えるだろう。誘惑に勝つのはとても難しいゆえに 中々超えることのできない壁がそこにはある。 この物語は、悔やむ心(やり直したい気持ち)があれば、険しくても必ず道は切り開けるのだとそう語っているような気がする。
[PR]

by jd69sparrow | 2010-01-30 01:19 | 映画タイトル た行