カテゴリ:映画タイトル た行( 82 )

ティンカーベルと月の石

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<イントロダクション>
 ティンカーベルの性格は,とても頑張りやで気が強いけれど 頑固で怒りっぽくもある。 怒れば顔を真っ赤にしてかんかんに怒る,その姿はピーター・パンをウェンディにとられたと思い,やきもちを焼く様子を思い浮かべられる。 これは変わることはないのだなと思った。 また、負けん気の強いところもフック船長を目の前にした時に現れている。 そんなティンクの見て比べるのも面白い。 
 人が過ちを犯すように、妖精だって,ティンクだって多くの失敗を重ねていく上で成長を遂げていく。 ピクシーホロウに生を受けたティンクが初めて知るのは“自分らしさ”、今回彼女が学ぶのが“友情”だ。 どんなに才能ある人間だって一人では生きていけないということだ。 当たり前の事だけど、忘れてしまいがちな大切な事を教えてくれるのがディズニーの物語であり、映画の魔法なのだと思う。

<あらすじ>
 ピクシーホロウの秋の祭典が開催される事になった。 それは代々受け継がれてきた伝統で、ピクシーホロウに住む妖精たちの未来を守るための大切な祭典なのだ。 “月の石”。それは滅多に手に入る事のない魔法の石。 月の石と、月の力を借りて 妖精たちは聖なる杖を通し,青い妖精の粉を得る。 “聖なる杖”作りは毎回異なる分野の妖精が任される。 今回は“もの作り”の妖精の出番。 そして、その重大任務に選ばれたのがティンクだった! 妖精の番人で親友のテレンスの知識を助けに杖を作り始めるティンクだったが、祭典の日が迫ったある日、ちょっとしたことでテレンスと喧嘩になり 杖を壊し. 即座にティンクはテレンスのせいと決め付けて,彼を追い払ってしまう。 すると追い討ちをかけるようにまたと手に入らない貴重な“月の石”までも粉々にしてしまう。 しかし。まだティクには道が残されていた。 ネバーランドに沈む,海賊の難破船に眠る,叶えられる願い事を一つだけ残した鏡がどこかに眠っているという事だ。 故郷から遠く離れたネバーランドへのティンクの冒険が始まる。

<感想>
 映画はバイブルである。 親が子に物事の善悪を教えてくれるように,いろんなことを教えてくれる。前回の話ではティンクが自分の才能を自覚して、自分らしさを知るというものだった。今回は身近で支えてくれる人の有難さや人は一人では生きていけないということ,また許しあうことの大切さをティンクの冒険を通して語られる。 これは子供から大人へと成長する課程におけるキーワードである。しかし、大人が見ても改めて学ぶべきところがあると思う。 最も心に響いたのがフェアリー・メアリーが秋の大臣に語る一言だ。
 それは、聖なる杖作りに任命されたティンクに不安をもらす大臣に,ティンクをホロウする言葉である。「モノ作りの妖精は失敗から学ぶ」というセリフ。これは、人間にそのまま置き換えられることだからこそ、一番印象に残るだろう。 失敗を恐れがちだけど、「失敗は成功のもと」と言うように失敗は恐れるべきものではないのだ。そうとわかっていても 中々難しいことも確かだが。 ティンクは怒りっぽくて,ちょっぴり我慢が足りない。 その結果、様々なトラブルを起こしてしまうのだが、そうして失敗するたびに大切なことに気付かされ,前に進む。私たちの人生を表すかのように。
 ディズニーの魔法の素晴らしさはいくつもある。 常に,永続的にあるのは“冒険することの楽しさ”だと思う。 数々の作品にはいつも,様々なカタチに変えた“冒険”が描かれている。ティンカーベルは自分の羽では遠すぎるネバーランドへと旅立つ。過酷さな試練を潜り抜け,大切なことを学ぶために。 妖精の粉ばかりに頼らず,自分の体とアイディアを頼りに,妖精というよりも人間的に旅をするのが面白い。
 もう一つの魔法、それはキャラクター一人一人に愛着がわくというところ。個人的に虫が苦手だがディズニーに登場する虫たちはとても愛らしい。それを証明するのがブライズである。ブライズはティンクが旅の途中で出会った蛍。最初の登場場面はまるでプライドランドに誕生したばかりのシンバのように見えた。つまり、赤ん坊のような愛らしさだ。仲間達とはぐれてしまった、ブライズが一生懸命,ティンクと友達になるべく,いろんなことをしてティンクの力になろうとしている姿がとても微笑ましく,温かい。 ブライズはお腹を空かせた,ティンクのために他の昆虫たちを呼び寄せて,ティンクを救う。言葉は使わずに行動で優しく癒そうとするブライズに心打たれる。 ブライズが呼び寄せた昆虫たちもまた,可愛らしい。 実際はダメでも,ディズニーの世界は違う。人間を癒す犬や猫のようだ。 
 たった一人で旅を始めたティンクにとって,ブライズは心強い旅の友。蛍のブライズはティンクの成長に光を当てる。テレンスと杖作りをしているときがそうであったように,支えられていてもその有難さというものは中々気付くことができない。だから、うまくいかないときにツイツイ当たってしまうのだ。ブライズとのやり取りの中で、テレンスとの間に起こった出来事を見た,ティンクはようやく“許す心”と“支えてくれる存在の有難さ”を知るのである。なんとも人間的なのだろう。
 そして窮地に追いやられた時ほど本当に大切な人のことを思い浮かべる。 もしこの人がいてくれたらならば、と。 そんな時にその人が目の前に現れて自分を救ってくれたとしたら、一気に闇を光に包むのだ。
 次回、ティンクがどんな成長を遂げるのかが楽しみだ。そこでは、ピーター・パンとの出会いは描かれるのか…気になるところである。
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by jd69sparrow | 2009-12-24 23:13 | 映画タイトル た行

Disney's クリスマス・キャロル

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<イントロダクション>
 最近文学史に載る,不朽の名作に命が吹き込まれ、映画化されることが多い。 その作品のどれもが私達に普遍的メッセージを送っている。 “時代がどんなに変わろうとも変わらぬことがある”ってよく言うけれど まさに頷ける。 この作品もその一つである。 新しいものを築き上げ,新しいアイディアが生まれ,考えの方向性が変化していったりなど時代と共に変わるものも,もちろんある。 だけど、“人間”という大きなくくりで割合にすると変化する部分というのは思っているより少ないのではないだろうか? 時代の影響は受けても,ずっと変わらずに引き継がれるものは少なくないはずだ。
 「クリスマス・キャロル」はディケンズ作の二世紀も前に作られた話。 だけど、小説・作品というのは時代を映す鏡。 ここで描かれるのは恐らくは当時のイギリスそのままであり,時代を描くという点ではドキュメンタリーと言えるだろう。 プログラムの解説にもあったかもしれないけれど、当時のイギリス社会は貧富の差が激しかったからこそ、貧しい人々にこの作品は希望を与えた。 そして読者に希望や勇気を与えてくれるものは長く愛される名作となる。 作家たちは、私達にいつも大切な何かを教えてくれる。 ディケンズは数百年経ってもここまで愛されると思っていただろうか。 というか、文学史に名を残す人々はこれ程の未来を想像しただろうか。 この「クリスマス・キャロル」は間違いなく,私達に希望を与えてくれる温かい作品である。

<あらすじ>
 意地悪で冷淡、お金こそ全てだと考えるスクルージは,とても孤独な老人だ。 年の一度のクリスマスを嫌い.祝うこともなく仕事に没頭する男。 それゆえに人はあまり近寄りがらない。 そんなことを気にも留めないスクルージはクリスマス・イブの日、いつものように仕事をして,一人で住むには広すぎる家へと帰った。
 ドアに手をかけようとしたその時、彼の人生を変えるチャンスは訪れていた。 暖炉の前に一人くつろぐ,老人の下に不気味な音が届く。 その招待はかつての(スクルージの営む店の)共同経営者であり,共の透き通った死後の姿だった。 マーレイはスクルージに「人生をやり直すチャンスがまだ残っており,それは三人の精霊に会う事により実行される」と彼に告げて空へと姿を消した。
 過去、現在、未来…目を背けてきた現実と向き合うことがスクルージの試練と言っても良かった。 時間旅行をしながらスクルージは自分を見つめなおしていく。 そして問う,今のままでいいのか…と。
奇跡と感動の物語にリアルなメッセージをスパイスした名作…。

<感想>
 スクルージのキャラクターはこの物語が作られた時代背景が影響している。元は心の優しい人。だけど、貧富の差が激しい時代で貧しさより脱し,稼ぐようになった頃 次第にその人格は変わってしまった。 一人の人物の物語を描くとき,そうであるように この物語も主人公が変わる物語。厳密に言えば、本来の自分へ戻り,本当の幸せを見つけることだ。忘れ去られてしまった,また 自分でさえも忘れてしまった,温かい部分。それがまだ主人公の中に眠っているからこそ、面白い。 そしてこれは他人事ではないという事実がある。だから、ファンタジーなのに現実的な説得力があるのだ。この作品の予告で印象的な私たちへの問い、“今の自分は子供の頃、なりたかった自分ですか?”というふうなもの。“時代に,他人に流されてはいませんか”ということも言いたいのだと思う。
 考えてみれば、幼い頃描いた夢は、そのまま大人になるまで持ち続けることも可能だが,様々なものに出会い,影響されながら変わりゆくのも世の常だ。昔見ていた将来の夢と実際の現実の違いを実感している人も多いはず。それをスクルージによって表現し、また私たちに問いかけている。でも、昔と今とで違いがあってもあまりそれを意識することはないだろうし、人間的な面で考えると尚更自分では気付きにくいと思う。 
 この物語がおもしろいのは、そういう大事なことを気付かせてくれるのが自分の分身的な存在なところだ。実際には、現在・過去・未来の三種類の妖精たちとなっている。三人とも全く持つ力も主人公に教えてくれることも違う。ただ、共通して言えるのがどれもスクルージの“現実”を見せているという点。現実というのは楽しいことや良いことばかりではない。 目を背けたくなるようなことだってたくさんある。 だけど、人はそれを受け入れなくてならない。 この時点で既に作者のメッセージが読み取れる。生きていればそういう場面にぶつかることもあるのだと。辛くても現実から目をそむけずに見ることができれば、変えること・変わる事だってできるのだ。 そして、自分を変えるチャンスは平等に一人一人に与えられているのだと見る人に希望をくれる。
 過去、現在、未来と主人公はタイムトラベルをする。その案内人になるのが、妖精たちで その妖精たちは主人公の分身的存在と述べたように 彼らの個性は大きく異なるように見えるけれど どれもスクルージが持つ個性なのだということが深い。もちろん、スクルージ自身は中々気付かない。まるで“ワンダーランド”にでも迷いこんだようだ。スクルージにやり直すきっかけを作ってくれたのはマーレイだけど、導いたのは自分自身ということになるだろう。 それは、スクルージ自身も意識が届いていない彼の心の奥底で願っていた変わりたいという願望が,マーレイを呼び出し,さらにチャンスが得られたのかもしれない。
 
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by jd69sparrow | 2009-11-17 00:12 | 映画タイトル た行

トランスポーター3 アンリミテッド

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<イントロダクション>
 依頼品は必ず、送り届けるプロの運び屋フランク・マーティ。 高額な依頼料をもらう変わりにそれに見合った仕事をし,どんな依頼でも依頼どおりにこなす…『ブラック・ジャック』を連想するのは私だけだろうか。 少なからず、フランクが持つものとブラック・ジャックの持つ美学はどこか通じるものがある。 自分に課した自らのルールに感情をきたしてまうのはタブー。 そして裏の世界の仕事依頼も受ける孤高な人間だ。 シリーズが始まる以前のフランクは常に自分のルールの下、そつなくただ仕事を完璧にこなすだけの日々が続き,依頼品がものから人へと変わるという例外的な事件が起こることによってルールにも例外が起こり始める。 もとは己の身を守るためのルール…だけど、守るべき者が現れたとき,そのルールは破られる。 感情らしい感情を持たなかったはずの主人公は、依頼品・依頼内容が変わることで感情が生まれてくる。 機械のような人間が人間らしい人間へと変わっていくのだ。 
 スーツを身をかためてアクションをすること、また,高級車を使いカーチェイスや高度で危険な道をも切り抜けるという意外性が第一印象で強く残っている。 また、戦いを要求されるとは想像しにくい人物が武器を持った相手に体当たりで立ち向かっていくだなんて… 裏の世界の仕事の依頼を受ける人間は警察とは距離を置くと思いきや、一人の刑事(警部)とは助けあう仲でもあり,釣りを楽しむという私生活でも付き合いがあるという…なんとも面白い構成であり設定だ。 フランクはいろんなところにこだわりを持つ人であり、謎を秘めた部分もある。 そこが『トランスポーター』の魅力と言っても良いだろう。

<あらすじ>
 一人自宅でくつろいでいたフランク。 すると家に車が飛び込んできた。 それは一度は断った仕事を変わりに受けることになった運び屋仲間マルコムだった。 瀕死の彼を急ぎ,救おうとしたフランクだったが マルコムを乗せた救急車はフランクの家から数十メートル離れたところで爆発! マルコムが乗り込んでいた車の後部座席には赤毛の女が横たわっていた。 女には太い謎の腕輪がはめられている。 これと同じものがマルコムにも付けられていて、車から離れすぎると爆発する仕組みであると女から知らされたフランク…気付くと背後から来た何者かに殴られ気絶させられる。 ふと目が覚めたフランクは密室にいた。彼の腕にはマルコムと同じ腕輪が。 それは以前断った仕事の依頼主により付けられたもの、その依頼主はジョンソンと言い,改めてフランクに仕事の依頼を要求してきた。 フランクは愛車を使うことを条件にその仕事を請けることに。その依頼とは国家を揺るがす,赤の代物を指定された場所へ送り届けることだった。 そして何故かマルコムの車にいた女,ヴァレンティーナも同行する。 依頼人は言う、「これは配達ではなく、ミッションだ」。 謎を頂きつつ,またヴァレンティーナに少し惑わされ,振り回されつつもフランクは仕事にとりかかるのだった。

<感想>
 フランクがヴァレンティーナの本心を引き出すように、ヴァレンティーナもまた,フランクの中に眠っていた一面を引き出す。 長い付き合いになるタルコニ警部でも知りえなかった一面だ。 クールで多くを語らないフランクに隠された情熱的な部分…武道に優れ,華麗なドライブテクというアクション面でなく,人間的なフランクな魅力がここにあり。 どんな仕事も必ず単独でこなし、依頼の遂行に同行者を望ましく思っていなかったフランクに変化の兆しが訪れるという主人公のメンタル面でも物語に見所を咲かす。 
 真剣なアクションの随所にちらほら見れるフランクのこだわり。 服を乱さないこと。 第二作目にもあり,冒頭にプレイバックされる場面で見受けられる1コマ…複数の敵に囲まれたとき,スーツのジャケットをその場にあった帽子掛け?にさっと乗せ,敵へと立ち向かう。 そして決着をつけた際に(これまたうまく)スーツを再び羽織る…という場面。 これはインディ・ジョーンズがハットにこだわると同じような気がして面白い。 インディは天井からしまりかけた扉の向こうに手を伸ばし、ちゃんと自分のハットを手元に戻すというハットへの愛着心を持っている。 フランクは黒いスーツが印象的なゆえに、スーツにこだわりを持ち,スーツのジャケットのこだわりはインディにの持つそれに等しいと言えるだろう。
 さらに。 拳銃やナイフなど持っていなくても工夫次第でどんなものでも武器になりうるのかも!と思った。 まさかワイシャツなど着ているものを使って敵をこらしめるなど思いも寄らぬこと。 どんな状況下にあっても敵と対峙するフランクの精神は常に冷静沈着、だから様々な機転が利くのだと思う。毎回どう危機を乗り越えていくのかも見所の一つだ。 
 カッコいいばかりではなくて、人間らしいところもあるし,ユニークな部分もある。 クールな場面が続いたかと思いきや、滑稽だけど面白いところもある。 依頼品の謎が解けたときのすっきり感となるほど感もイイ。 二作目にしてもジョンソンという強敵が隠れていたように,今回もジョンソンの影にもさらなる組織の陰謀がある。ということは、さらなる強大な敵とフランクは戦うことになるのか?と思いたくなる。
 本作でフランクに立ちはだかる敵、ジョンソン。 渋くてカッコいいクセの強い人物だ。 ジェイソンにひけをとらない程のしゃべりの渋さは最高である。 フランクを窮地に追いやるほどの頭脳を持ち,二人は互角の戦いを繰り広げる。 自らが作り出した(悪意の満ちた)兵器は自らの身を滅ぼす… マンツーマンで戦いを挑んだフランクとジョンソン、結果はあっさりとついてしまうのだけれど 敵の最後の瞬間も忘れがたく、あまりにも潔くて良い意味で印象深い。

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by jd69sparrow | 2009-08-21 22:19 | 映画タイトル た行

天使と悪魔

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<イントロダクション>
 歴史の裏にある真実を描く歴史ミステリーではない。 確かに史実はあるが、それは材料でしかない。 これは“エンターテインメント”というふうに表されるとおりなのである。 「陰謀」は結論としては,過去にあるものかもしれないが、ここでは現在のものとして存在する。 …というか、この物語の中で起こっていることなのだ。
 美術史に名を残す芸術家の作品の数々が全てを示し、事件の謎へと導いている。 そこにはメインである,科学と宗教とが関わり,つながっているのだ。 ラングドン教授はまたしても様々な,信仰者たちの思惑漂う 渦中へ足を踏み入れる。
 
<あらすじ>
 ヴァチカンからのSOS。 それはローマ教皇がこの世を去って間もない頃のことだった。 秘密結社イルミナティの復活に恐れをなした,カトリック教会はラングドン教授に助けを求めてきた。 といのも、次期教皇候補たちが誘拐されたことが,イルミナティの脅威を示しているからだ。 ガリレオ、イルミナティ、五つの焼印、そして現代・未来の科学の一つ,“反物質”という名の爆弾…これらが語る真実とは? これらがローマの行く末を示していて、この難題にラングドンがメスを入れる。

<感想>
 この話、ここで語られることのいくつかがフィクションでも、説得力があって 真実でないにしても,似たようなことがあったのではないだろうかと思わせるのは、ディテールの深さにあるのだろう。 犯人はとても頭のキレる人物でいて冷淡。 また、信仰心が強い。
 ラングドンは科学者ヴィットリアと共に暗号から芸術品へと、また,芸術から宗教の歴史を手がかりに真実を追っていく。 犯人も同じ経路を辿ったわけで 両者の学の深さがよくわかる。 頭のキレる者どうしの対決だ。
 つまづき、惑わされつつも着実に真実へ近づいていく二人。 時は刻一刻と流れ、真実を追うも 中々追いつくことが出来ず、“答え”は常に一歩も二歩も先にある。 追いかけっこが続く。 四人の教皇候補たちはそれぞれ時間がずらしてある時限爆弾につながれているに等しい。 ラングドンたちはそれを阻止すべく、追いかけるのだが 犯人が頭脳の優れた人物である以上、そう簡単には追いつかない。 苦戦するラングドンたちだが、追えば追うほど確実に真相へ迫っているのがカタチとなって表れてくる…この盛り上がりが楽しい。
 冒頭に触れたように芸術作品が謎の答えへと導いているのがいい。 神にまつわる天使・聖人、預言者といった存在が芸術で表現されていることじたいが素晴らしく、その上 シンボルやコンパスのような役割を果たしているのがすごい。 芸術作品に込められた作者の思いと作品が表すものが何であるか…このようなミステリーへの興味がわいてくる。
 前回に増し、よりエンターテインメント性が充実したクライマックスから結末への流れ・・・ラスト、さらなる“トリック”が明かされ クライマックスで感じたことが覆されてしまう驚きがある。

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by jd69sparrow | 2009-07-31 14:33 | 映画タイトル た行

ターミネーター4

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<イントロダクション>
 1984年、シリーズが幕開けし、25年。 未来で怒る人間と機械との戦争があり、未来から過去へターミネーターや人が送られる。 戦争による人類滅亡を防ぐために。 敵からすればその目的を達成させないためである。 こうして戦争という背景があるのだが、これまでは人類の未来を左右する人物達と,未来から刺客として送り込まれたターミネーターとの戦いだった。 それに対し、四作目からはサラ・コナーが予言した未来がもう見えていて、あるいは見え始めていて,完全に人類対機械の戦争の話となった。 新シリーズが始まっている。 3までとは違う「ターミネーター」の始まりである。 3までいたアーノルド・シュワルツネッガーの出演はないけれど、意外なカタチで登場する。 もし、シュワちゃんの出演があったら、大きく話が変わっていたことだろう。
 ターミネーターたちは全て敵(スカイネットが作った)。 しかし、そんな機械軍の中に例外的存在がある。 だからこ、シリーズ全体を通して危機から救われるのだろう。 「T1」は別として、「T1」から「T3」は“T-800”と“T-850”で型は違うものの,「T1」に出てくる“T-800”と姿は変わらない。 そして、今回は「T3」までの“T-800”や“T-850”とは全く別物。 世界観は変わらない,“審判の日”のその後の未来の話だ。

<あらすじ>
 2003年、一人の死刑囚はサイバーダイン社、後にターミネーターという脅威を生む,また スカイネットという人類最大の敵を作った会社の実験の犠牲となる。 それから15年後の2018年。 既に機械との戦争は始まった。 世界中は機械の力で衰退し、わずかな人々たちが生き残っている。 その先頭に立っているのが救世主とも言われるジョン・コナーである。 ジョンは人類の危機を救うための重要人物で後に 自分の父親となる少年カイル・リースを探すこと、また スカイネットに捕らわれた人たちを救うために動いていた。 
 その頃、蘇ったのが15年前に死刑囚だった,マーカス・ライトである。 今がいつで、何が起こっているのか、また自分が何者かすら わからない彼が初めに出会ったのがカイル・リースその人だった。
 カイルもジョンと同様、スカイネットから追われる身。 カイルと一緒にいた少女スターと三人、行動を共にするマーカスはジョンを探し、抵抗軍へ協力すると申し出るが 脳と心臓以外が機械であることから、始めは敵とみなされる。 だが、マーカスには人と機械を分ける最大の鍵となるものを持っており、それがジョンの心を動かし,共に戦うことになる。
 
<感想>
 人々が思い描いた未来が現実になりつつある今、映画では機械との戦争が描いたものが目立つ。 描くと言うよりも予言しているのかもしれない。 『ターミネーター』が初めて公開されたのは20年以上前。 そう考えると20年も前から機械が自我に目覚め,人類を滅ぼす計画だという未来が来ると考えられていたと言うことになる。 果たして、そのきっかけなんなのか? 
 とにもかくにも、どんなカタチであれ,起こりうるだろう。 近未来が描かれているけれど、進化していくのは人々のの生活スタイルではなく、機械に多くを滅ぼされた人類は戦うために最低限必要なものしか持っていない。 そういう印象である。
 敵として登場するターミネーターはどこまでも追ってくるというイメージがある。 ある意味ホラー。 ガイコツが機械化したようなターミネーター軍団は、恐怖にしか思えない。 感情を持たない彼らにはたとえ,人の皮をかぶっていようとも、命令に忠実な殺人者なのだ。 ターミネーターは次第に進化していくけれど、決して派手に見せようというわけではない。 人が作り上げた産物が人に戦争をしかけるなど、なんと皮肉だろうか。
 スカイネットは社会のために作られたもの、進化したスカイネット,機会システムは作り手の意志を越える。人は進化せずに機械が進化していく。 私達がいかに機械に頼った生活をしていうかを考えたら、これ程恐ろしいことはない。
 ジョン・コナーは“人類を救う救世主”と呼ばれ、その責任を背負っている。 人の上に立つ存在となり、抵抗軍を動かすほどの指導力と信頼性の高さから審判の日を迎えるまでの日々から、別人のごとく,成長していて,ジョンがスカイネットの持つ工場への一斉攻撃の際、各地の抵抗軍にかける言葉から考えると、それが真実ではないかと考えられる。  母親サラ・コナーの予言とは違う未来の訪れを感じ、疑問を誰よりも感じていたに違いない。
 まだ、ジョンが“救世主”なのか、この戦争に終止符が打たれるまではわからない。 少なくとも言えるのがジョンの勇気と人の心動かす力、さらにはいつも信頼できる強力な味方、つまりここではマーカス・ライトという名の人と機械とのハイブリッドがいて初めて、自分に課せられた運命を切り抜けられるのだろう。 多少の犠牲を厭わない軍の上層部の非常さを訴え、捕虜になっている人々を救うために,攻撃に備える人たちへ訴える言葉はとても心に響く。
 “人類の平和のため”と言い,平気で大勢の人たちの命を犠牲にしようと考える軍の上層部とスカイネット・機械の間には違いはない…それでいいのか? 人は機械と違い“心”がある。 ならば、人々を救い,平和を取り戻す手段を皆で考えるべきだとジョンは人々に呼びかけているのだと思う。
 マーカスはジョンでさえ失いかけていた大切なものを持っている。 もともとは人であり、自分の犯した罪に悔いているからこそ,彼は人を信じ、抵抗軍と志し同じくして戦うのだろう。 無意識にセカンドチャンスへの道を切り開こうとしているという感じ。 半分機械だろうとも、また奇しくも,サイバーダイン社が狙ったとおりの結果を辿ろうとも、誰よりも人間らしい。 というか、人間らしくありたい¥というのがマーカスの願いだったと思う。マーカスの存在はジョンの忘れかけていた大切なことを思い出させ,ジョンの心を動かしたのだ。
 マーカスは人類が辿る最悪な未来を阻止するために、未来の自分が現在の自分へ送ったターミネーター,また キーパーソン。 果たして未来は変えられるのか。
 しかし、運命のサークルの上に人がいて、予め運命が定まっているとしたら、それを変えることができるのか。 未来を変えるべく、うった手段でさえ,そのサークルの中にあったとしたら…? それでも希望は持ちたい…と主人公自身感じているのかもしれない。
 「ターミネーター」には、様々な機械が出てくるけれど そこがメインではない。 あくまで人の辿る道を描いた話。 機械が人間社会を支配しつつあるという現実を目の前にして,どう戦うか。 でも、希望が生き続ける限り,人々が救われる道への可能性はゼロではないと、フィクションであり期待を感じる。
 どう道を切り開いていくか、ジョンが頼れるのはサラが残したメッセージと自分自身への信頼だ。 そして仲間達。 まだ残された希望と可能性、その一つとしてあるのが、自分を支えるケイトや抵抗軍の人々。 ケイトに宿る新たな命が今後、どんな影響を彼らに与えるのかも気になるところ。
 ここでどんなに絶望的い見えても、希望を信じる心を持ち続ければ、明るい未来が待っているに違いない。 わずかであっても可能性が残されている限り、そこへ向かって歩む意味がある。 そこへ向かうべきなのだと教えてくれているような気がする。
 戦いはまだまだ続く。 戦った末に何が待ちうけているのか。 ターミネーター誕生の秘話が明かされた第4作目。 まだ話は続きそうでそれが本当になったとしたら、きっとまた新たな事実がわかるであろう。 いずれにせよ、楽しみだ。

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by jd69sparrow | 2009-07-29 15:59 | 映画タイトル た行

トワイライト

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<イントロダクション>
 長く持たれていたイメージを変えるのはチャレンジである。 吉と凶,どちらか極端に分けられるだろう。 しかし、これは“吉”と出ている。 ヴァンパイア映画はいろいろなものがあるけれど、個人的に『ヴァンパイア・レスタト』(つまりは、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』)以上のものはないと思っていたが、これまでのイメージや例に頼らない,ニューフェイスも中々である。 いや、タイプが違うものだけに,比較するものではなく、新しいジャンルとしてとても楽しく,魅力的なのだ。 ヴァンパイア映画というよりも,恋愛よりな感じで,物静か、そして意外性も見れる作品である。

<あらすじ>
 アリゾナから父親と二人,フォークスという人口わずか、数千人の町へやって来たべラ。 雨嫌いなべラには心地が良いとは言えない。 まわりとも中々馴染めない。 ようやく、打ち解けられる友達に恵まれた頃,エドワードに出会う。 ミステリアスな雰囲気と美しさはべラをひきつけた。 逆にエドワードもべラに魅せられる。 しかし、彼らの間には大きな壁がある。 次第に惹かれあう二人(ヴァンパイアと人との)の恋は許されざるもの。 欲に忠実な吸血鬼の脅威が忍び寄る中、二人は障害を越え,また、おきてを破るも絆を深めていく。

<感想>
 原作者は自らのイマジネーションのもと,この物語を作ったという。 ホラーの苦手な人とあってか、そういう色は少ない。 ここではヴァンパイアは二極化していて、それは例えるなら,草食派と肉食派の二つである。前者がエドワードたちで、後者は彼の敵であり,これまでのヴァンパイアのイメージを映すもの。 “太陽の光が弱点”だとか“棺の中で眠る”などという概念がなく,珍しい。 エドワードや彼の一族が“動物の血”で生を永らえるからとあってか“ヴァンパイア”と感じさせる部分がとても控えめなのがイイ。
 個人的に“吸血鬼は美しく”という,こだわりを持っている。 これはヴァンパイア映画ファンの多くがきっと思っていることだろう。 ホラー色を強くしたり、やたらと吸血鬼の特殊能力を見せびらかすなどがなく、どこをとっても,控えめで美さえ感じる。
 今回,怪物的な吸血鬼がいる一方でカレン家のように人には手を出さず、普通の人の生活に溶け込んでいる,また、インドア派イメージを覆す,吸血鬼がいるというが魅力である。 超人的な能力を己の欲よりも人のために使ったり,力を生かしてスポーツに使うあたりが、怪物である以前に 人間的だ(雨空の下での草野球)。
 敵の中には吸血鬼らしい欲情的な者もいれば、理解のある者もいる。 悪しき者が消えぬ限り、カレン家の戦いは終わらないだろう。 ラストは新たなる戦いの始まりがさり気なく,期待がぐっと高まる運びになっている。エドワードとべラがどんな道を辿っていくのか。 最後を見て,エドワードはは人間的、べラはヴァンパイア的に思えた。 
 ヴァンパイアの物語でロマンティックなのはとても素敵でほろ苦いチョコレートに等しい。 この物語を大きく占めるのは人間的なもので、ヴァンパイアの話というのはスパイスなようなもの。 一部でしかない。 あるいはその二つがうまく化学反応し バランスをい取り合っている。 また、互いが互いに対してよい味を出しているという感じである。

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by jd69sparrow | 2009-04-24 21:32 | 映画タイトル た行

ドロップ

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<イントロダクション>
 ケンカの多い不良少年たちの映画のイメージがくつがえされた。 いや、そもそもそういう物語というのは殴り合いだけでなく,その中に熱いものや大切なことが込められているのだ。 ケンカの場面は迫力があるけれど、それは演出であって 重要なことはその外にある。 もちろん、ここでも“ケンカすること”が意味あるものとして描かれている。 その行為に対して、新しいとらえ方・考え方が生まれ,また 知ることになる。 いっぱい笑って最後には心動かされて、見ごたえある映画だ。

<あらすじ>
 信濃川ヒロシはマンガのような不良に憧れて,中学三年で私立から公立へ転校する。 狛江北中へと。 不良の装いでキメて狛江へやって来た,ヒロシはここの不良の一人に呼び出され、狛江北中,唯一の不良グループ四人に囲まれる。 不良のリーダー,井川達也といきなりタイマン勝負となるが、ヒロシは太刀打ちできず,あっさりKO。 しかし、根性だけは見せた。 そこが気に入られ、彼らの仲間になると同時に,晴れて“ドロップアウト”する。 
 ケンカの絶えない毎日にビビりつつもヒロシは仲間の絆と、ケンカの意味を学ぶ。 そして強くなっていく青春物語。

<感想>
 コントのような場面がたくさんある。 熱い場面や泣ける場面など,バランスよく構成されている。 だからリアルなのだ。 実際リアルストーリーなのだから、それは当たり前と言えばそうなのかもしれないが。 人生は笑ったり,ぶつかりあったり,泣いたりといろいろな刺激を受けていくものなのだ。
 ケンカの場面なのに、いつの間にか笑っている…芸人がコントをするのも,もちろん楽しいけれど、役者さんがやるのもまたおもしろい。
 まずは、達也の父親。 刑事とのからみの場面が一番面白いし、個人的に作品全体を観て、一番笑ったところである。 彼は元ヤクザで、今はタクシー運転手。 だけど、出てくる場面一つ一つがおもしろくて仕方がない。 厳格そうで意外と軽かったり,茶目っ気もある。
 私立中から、転校して来たヒロシは不良仲間たちより知識がある。 だから、口が達者なところもヒロシという人物の魅力なのだ。 また、仲間たちにつっこむところや彼らにある事を解説する方法と、そこで納得する仲間達もおもしろい。 そのやりとりの中に作り手のマニアックな知識が嫌味なく,使われているのも見所。
 ボケ・ツッコミが始めから見せてくれるという好印象は終始変わらない。 始めから流れを良い方向へと導き,ぐいっと観る側を注目させ,つかみの部分でしっかりツカむのだ。 まさにお笑いライブそのもの。 改めてお笑いの世界で輝く人たちのすごさを感じる。
 それにお笑いといのも一つのエンタテインメントであり、映画と共通する部分があるというのも、大いに納得が出来る。
 ヒロシや達也の敵,調布南中の二人組,赤城と加藤。 達也でさえ,苦戦する相手で強面なのに実は…意外と礼儀正しかったり、優しい人間であるといギャップが魅力的。 礼儀がどこまでも正しく、丁寧なのが本当に面白い。
 つかみにくも見える達也を意外とヒロシが理解している,ここも笑いどころ。ヒロシの言うことに「うるせぇ」という,達也…結果 図星なのがイイ!
 ヒロシたちと赤城たちとのバトルは絶えず,そして場所と時を選ばない。 毎日どちらかが,どちからのところへ行くというのが、律儀でその行く末が最高だ。 意外な感じで話は丸くおさまり、血の気の多かった不良たちが静まるなんて、実のところ皆が皆,表面とは違う人たちばかりで、良き親友(とも)たちどうしなのもわかる。 ただ、素直になることに不器用なだけ。
 アクションも見逃せない。 ただ殴るというものではない。 個人的には飛び蹴りがかっこいいと思った。 そして漫画のような,車に乗り込む場面。
 とび蹴りも普通のけりもいいけれど、とび蹴りは勢いと迫力が普通のもとは違う。 (普通の方もそうだが)とび蹴りをまさにキメるという直前の勢いもさることながら、キメてクリーンヒットさせた後の相手の吹っ飛び具合が蹴りのすごさをよく物語っている。 あと一つ付け加えるなら,加藤の披露するプロレス技をふくむ,技の数々。 かっこいいとしか言いようがない。
 ヒロシには実の兄同然の人がいる。 ヒデ君。 兄であり、父親のようでもある,ヒデ君はどこまでも優しく,ヒロシの一番の理解者だ。 ヒロシがバカしても許す。 ヒロシの気持ちがよくわかるからこそ怒らず,許すのだろう。 相手をちゃんと理解(見て)して許すことのできる,こんな人に憧れずにはいられない。
 “ケンカとはコミュニケーションだ”という。 達也が“ケンカするのに理由はいあらない”と口癖のように言うのだが,決して間違っていないと思う。 寂しいから誰かと話すように、ケンカすることにも同じことが言える。 彼らにとってケンカが自身の日々を充実させる。 あるドラマにも“ケンカの意味”が問われるところがあった。 そこで語られているように、大勢で一人をたたくのがケンカではないということも知っていて,最後にはもう一つの“誰かを守るためにする”という部分も描かれている。 五人と二人、誰一人卑怯者はいない。
 ケンカするのは良くないと言われるけれど、悪いことでもないと思う。
 つかみで始めから笑いをとるところが良いと言ったけれど、もう一つ忘れてはならないのがコミックが実写になった時に気になる,漫画との比較。 それは特に実写から先に見た場合である(その逆に,どのキャラクターを誰が演じるのかというのも気になるポイントだ)。
 作品のあちこちに演出されているが、漫画の絵を見せるという事というのはとても気になる。 映画の映像に行く前に“漫画ではこういうイメージですよ”とか“こういう場面が次にありますよ”という掲示というのは、とても嬉しい演出だし,上手い。 まるで、本を読んでイメージを膨らませているような感覚なのだ。
 ケンカも人としてもヒロシは強く成長していき,それがわかる終盤の場面,一番輝いていた。 たくましく男らしい(勝負の結果なんて関係ない)。
 六人のボケに対して一人(ヒロシ)のツッコミという構図が面白い。

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by jd69sparrow | 2009-03-27 11:36 | 映画タイトル た行

DRAGONBALL EVOLUTION

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<イントロダクション>
 漫画『ドラゴンボール』をベースラインにした,全く新しいヒーローアクション…という印象であり、実際にそうだと思う。 登場人物だとかドラゴンボールを集めに行くことなど根っこの部分は一緒。 個人的に元々の『ドラゴンボール』が見えたのは“かめはめ波”と“ドラゴンボール探しの旅”という物語の基盤的な部分である。この二つは『ドラゴンボール』という物語の象徴とも言えよう。
 『ドラゴンボール』は詳しく知らないこともあり,ここで知ることも多かった。 とは言え、人物設定などは原作と違う部分もある。 原作をリスペクトし,新しくハリウッド世界の『ドラゴンボール』という感じ。 原作を一度頭の中でリセットして見るもの…とは言いつつも実写化になって、ハリウッド風味になるとどんなものに仕上がるのかという点を見てしまう。

<あらすじ>
 孫 悟空はアメリカの高校に通う高校生。 学校では変わり者という目で見られ、決して強い立場ではない。悟空は祖父・悟飯と共に暮らし,武道の修行をする毎日を送っていた。 ある日、悟空は誕生日を迎えた。 しかし,悟空は自分の過去を知らない。 その真実を悟飯から悟空の誕生日の夜、教えてもらう約束だったが…。 
 はるか昔に地球を絶滅の危機に追いやったピッコロ大魔王。 彼は弟子の大猿とともに,老師たちの手により,封印される。 しかし、時を経て復活を遂げる。 彼の目的はただ一つ。 地球への復讐。 それにはあるものがどうしても必要だった。 
 悟空は誕生日祝いに悟飯からもらった七つあるとされるドラゴンボールの一つをもらう。 世界に散らばるドラゴンボールを全て集めた時望みが一つ叶うという特別なものだ。 ピッコロ大魔王も己の野望を現実とするために,ドラゴンボールが必要だった。  大魔王の魔の手にかかった,悟飯の意志を継ぐべく,悟空はドラゴンボール探しのたびに出る。

<感想>
 設定においてカルチャーショックに近いものを感じるかもしれない。 洋モノ仕立てであるがゆえにだ。 ピッコロ代魔王においては、『スターウォーズ』の悪役(例えばダース・モール…プラス『マスク』での悪玉の“マスク”)という色合いだ。 だけど主人公の旅の道中で原作に存在する仲間達が次々と登場してくるのを観るという楽しみがある。 
 近未来的とは言え,それもまた実写版『ドラゴンボール』の魅力なのかもしれない。 『スター・ウォーズ』のような世界観がある。 そこに『カンフーハッスル』などで有名なチャウ・シンチーの味がしっかり足されている。“かめはめ波”。これのように日本語のままのものはそのまま残されており、なんとなく親しみやすさがある。
 そして一番の見所であり,印象深い場面はやはりピッコロ大魔王との対決。その中でもキメの“かめはめ波”はとても迫力あり。 また、その前の修行場面も中々おもしろい。 かめはめ波が完成していく過程である。 それは迫力だけでなく、ロマンティックな雰囲気もあるのだ。 そこにはティーンエイジャーらしい悟空がいる。 人間的かつ少年らしい悟空の一面だ。
 悟空、チチ(悟空の憧れの存在)、亀仙人、そしてピッコロ大魔王。 それぞれのアクション,どれもがクールでかっこいい。 特にどんどん成長し,強くなっていく悟空。 原作とまではいかないまでも,悟空がこれからはかりしれない力をてにしていくのだという可能性が実写版にもちゃんと描かれている。 続編ができるかどうかは定かではないけれど。できれば、この先スーパーサイヤ人の力を獲るところまで見てみたいものである。
 ここに込められているメッセージとして記憶に残るのが、“自分を信じる”ということ。 困難を乗り越えるためには自分自身の力を信じることが大切だということだ。 自分を信じれば、想像をはるかに超える力が発揮される… シンプルなメッセージだけど心に強く響く言葉・メッセージである。

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by jd69sparrow | 2009-03-18 23:38 | 映画タイトル た行

デトロイト・メタル・シティ

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<イントロダクション>
 ヘビーメタルという音楽ジャンルの中にデスメタルというものがある。DNCこと“デトロイト・メタル・シティ”はそこに属するバンドである。 その奇抜なスタイルが印象的だがテーマは理想と現実の中でおの葛藤だ。 作り手たちの狙い通りDMCのボーカルの姿で主人公宗一というギャップがおもしろい映画である。 笑いどころ満載で見ごたえもある。

<あらすじ>
 根岸宗一はオシャレなミュージシャンになることを目指し、故郷である大分から東京へとやってくる。 根岸の目に飛び込んで来たのはミュージシャン募集のポスター。 そこには“デスレコーズ”と書かれていた。 この瞬間から根岸が目指している道とはかけ離れた方向へと彼の運命は動き出していた。
 気づくと根岸は“オシャレなミュージシャン”…ではなく、デスメタル系バンド”デトロイト・メタル・シティ”こと“DMC”というバンドの一員になっていた。 口から出てくるのは過激な言葉。 ド派手なメイクと衣装に包まれた格好… 自分がやりたいことと違うことをやらされる日々… 理想と現実とのギャップの物語である。

<感想>
 笑いどころ、ツッコミどころがいっぱいのコメディ映画。 まずはjめに三つの視点からこの作品を見ることができる。 コメディとして、音楽モノとして、そして青春ドラマとして…とこのように分けられる。 ツッコミどころとしては、なぜ主人公はフォークソングとは全然異なるであろう,デスレコーズという名のレコード会社の募集告知に惹かれたかといこうこと。 そしてDMC結成の過程が大変気になるところである。
 作り手たちの言葉にあるとおり、また最初に触れたように夢と現実との違いに思い悩まされる(主人公が)ギャップがここでのコメディを作っている。“クラウザー二世”というDMCでのもう一人の自分を持つ根岸。 二人の自分の境界線が絡み合って、時に根岸は混乱に陥る。 それが、根岸の時だけでなく,クラウザーの姿をしているときにも表れる。 主人公自身は必死に深刻に悩んでいるのに、クラウザーのままそれがカタチにされるので、非常におもしろい。 ライブの時はクラウザーで、私生活は本当の自分と分けているけどだんだん分かれ目がなくなり、クラウザーの格好をした根岸があちらこちらを走り抜ける。 どこへ行っても目立つその姿で、座敷の上でかしこまったり、和やかな歌に合わせてステップを踏むなど…・ もっとおもしろことに、“クラウザー”をいろんな方法で活用しているという。
 優しい音色の温かい歌で、人々に希望を与えたいと願う根岸にとって、デスメタル・バンドは望ましくない。 皮肉にもそちらでの自分は多くのファン達に追いかけられ,力を認められているのに自分が本当に目指している音楽では、お遊戯呼ばわりされてしまう。 それでも心から望んでいる道へ進みたいと所属している会社の鬼社長に話を持ちよるが、跳ね返されるどころか、痛烈なパンチをっくらう。 そのコントのような光景が強く心に刻まれる。
 社長は鬼だけど、その強烈さが逆におもしろい。根岸にしていることがいかに,ひどくてもその行動一つ一つには社長の思いがある。 だから彼女は憎めない。 そんな社長に洗脳されてか、根岸は心までもがクラウザーになる瞬間がある。 まさに覚醒したかのように。 自分を見失っているはずなのに格好よく見えてしまう。 社長の策略家らしさが窺える。
 自分のいるべき場所、必要とされている場所というのは必ずしも自分が思っているところというわけではない。 むしろ、自分の意志の届くところではなく、まわりの人々がその人へ示すものなのだと思う。 デスメタルとコメディという派手めなカラーが目立つけれど、ストーリーやその中に込められているテーマは始めから終わりまで,リアルである。 笑って泣いて楽しめる物語だ。

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by jd69sparrow | 2009-02-25 02:50 | 映画タイトル た行

ティンカーベル

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<イントロダクション>
 ピーター・パンのパートナーと言えば妖精ティンカーベル。 言葉を話さなくてもティンカーベルの感情はストレートに伝わってくる。 正確に言えば言葉を発しなくても人間の目には聞こえないのかもしれない。 まわりからピーター・パンからは“ティンク”という名で親しまれている,彼女はやきもち焼きで勇気ある妖精。 時にウェンディたち,ピーター以外の者に意地悪、だけど愛すべきキャラクターなのである。
 ティンクが持つ妖精の粉があって、ピーターパンとウェンディたちの冒険がある。 しかし、その妖精の粉にも秘密があって、また,妖精たちには大切な仕事があったりと彼らには様々な秘密があるのだ。 その秘密がついに明かされる。

<あらすじ>
 大人になりたくない子供たちが集まるネバーランド。 ネバーランドには妖精たちの集まる場所,ピクシー・ホロウがある。 メインランド(人間)の赤ちゃんが生まれて初めて笑う時、新たな妖精が誕生する。 ティンクもそうしてピクシー・ホロウにやってくる。 新しい生を受けた妖精に一番最初待っているのは、自分の才能を発見すること。 花や木、光など様々なタイプがある中,ティンクはモノ作りの妖精への道が切り開かれた。 もの作りの妖精の仕事は他の妖精たちの仕事をサポートすること、つまり他の妖精たちが仕事のために使う道具を作ることである。 他の妖精たちが華やかであるのに対し、“もの作り”は地味で四季の準備を経て,メインランドに行くことができないと不満に思うティンくはなんとしてでも、メインランドに行きたくてたまらないのであった。

<感想>
 妖精の世界はファンタジーだが物語が伝えているのは、リアルなメッセージ。 ティンクは自分の夢を叶えるのに必死。 自分の本当の才能に気付かず、自分のやりたいこととは違う,自らに与えられた仕事を受け入れられない。 夢に夢中になるあまり、自分を見失い から回り。 そして、それが大きな失敗を招く。 夢を追うことばかりではいけない、自分にあった仕事の中で夢を見つけ、使命を果たすことに意味がある。 そう物語っている。 自分が欲しい服と自分に合う服とが違うように、やりたい事と自分に合っている仕事とは違うものである。 後者でも何か一つ,やりがいのあること,喜ばしいことがあれば、新たな夢や目標が出来る。 自らに与えられた仕事を受け入れ、やりがいを実感できたとき,人は大きく成長し、進むべき未来への扉が開かれるのだ。 一生懸命だけど空回りしてしまう姿が自分自身にも重なり共感できた。
 ティンクが無意識に才能を開花させ,それをみんなのために役立てようというくだりがとても素敵である。 ちょっと我がままだったティンクがたくましくなった瞬間だ。 とても理想的。 
 ピクシー・ホロウの妖精たちは小鳥や昆虫たちが旅立つ,準備をサポートしたり、メインランドこと,私たち人間が暮らす世界の四季を作り出すなど、とても重要な責任ある仕事をこなしている。 大勢の妖精たちがそれぞれ力を出し合い,四季が移り変わるための共同作業をしていることは、とても素敵で美しい。 実際に、もしかしたら季節が移り変わるのは妖精たちが働いているから…と信じたくなる。
 ティンカーベルの“ティンカー”は“モノ作り”という意味だと初めて知った。 『ピーター・パン』の物語では単なる妖精としか思えなかった。 ティンクが季節をつかさどる妖精のような華やかな妖精ではなく、“モノ作り”という縁の下の力持ちな妖精であることに とても好感が持てるし、そこに意味があり,良い点なのだと思った。

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by jd69sparrow | 2009-02-09 16:21 | 映画タイトル た行