カテゴリ:映画タイトル た行( 82 )

地球が静止する日

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<イントロダクション>
 絶望の予兆から始まり、希望への可能性で終わる、実に見ごたえのある,ドラマティックな物語である。 派手さがないのが逆にリアリティが増すひつの要因といえよう。 
 SF映画というのは“サイエンス・フィクション”とあるように現実的なものとしてはとらえがたいのだが、その中には必ずと言ってもいいほど、現実にとても近い何かが盛り込まれている。
 今は、宇宙へ行けるのはほんの一握りの人たちであり、多くの人間は宇宙を知らないし,その限られた人たちももまた、広い宇宙全てを知りつくしているわけではないと思う。 知らないからこそ、信じられないのだと思う。 それにこれまでに地球外生物からの攻撃により、人類が危機にさらされる話はいくつも作られている事を考えても,また、ここで語られていることを見ても いつかなんらかのカタチで世界が滅びてしまうという現実的に感じるのだ。
 いろいろな意味でリアリティが高く,また、考えさせられる。

<あらすじ>
 ある日、地球へ未知なる何かが迫っていた。 それはマンハッタンに進路を向けていた。 アメリカ国家はこの状況を世界を脅かす,緊急時代とし、その危険を防ぐべく あらゆる分野の専門家たちを招集した。 その一人がヘレン・ベンソンだった。 彼女は地球外生物の研究者(学者)なのだ。 
 そして、“何か”が地球に舞い降り その中から生命体が現れるが、“何か”を警戒すべく敷かれた軍の兵が誤って生命体に発砲してしまう。 すぐさま生命体は医療施設に運び込まれ、そこで驚くべきことが起きる。 宇宙から生命体の外皮が剥がれ、その下には人と変わらぬ姿があったのである。 彼の名はクラトゥ。 宇宙から(地球へ送り込まれた)の使者。 クラトゥの目的は“地球を救う”ことだ。

<感想>
 “人類が滅びれば、地球が生き残れる”というクラトゥの言葉はとても衝撃的だが、理屈は通っているしと考えられるため,とても印象に残っている。 恐ろしいし、それ,すなわち、人類全体に対する“死の宣告”と言える。
 クラトゥは地球の外の世界を代表して地球へ降り立つ。 “彼が地球を守るため”とやって来たのは 世界各国のトップたちが人々の平和を守るのと変わらないのかもしれない。
 クラトゥは“地球が死に掛けている”というふうなことを言う。 今、現実で抱えている環境問題などを考えると、予言めいた言葉に思えてならない。 実際、どこかの国の山々の間にあった湖の水は時が経つにつれ,干上がってきているという(それに私たちの祖先が残してきた財産でさえ、失われたり,危機にあっているという話も聞いたように思う)。
 しかし、この映画は人類の否を描いた作品ではない。 もちろん、“人類の否”が掲示されているところがあるが、それは今後の人々の課題とも言えるのではないだろうか。
 結論を先に考えると、人類の良い面を知ったクラトゥは人類滅亡とは別に、地球を生き残る(=守る)方法、つまり,“人は変われる可能性を持っている”ということを信じる。 と、いうことになるだろう。
 心に残った言葉がある。 それは“人類は危機に直面した時、変われる”という感じのもの。 本当に危機にあった時こそ,本気で問題解決に全力をかけなくてはと人を奮い立たせるのだ。 
 今はまだ先のことと言っても、いつかは何かしらの危機にみまわれると思う(私たちが)。 人がみな,危機感を持たなければ、環境問題が完全に解決されることはないだろう。
 だけど、一人一人気持ちの持ち方できっと危機を乗り越えられる、そう前向きな気持ちにさせる明るい,プラスなメッセージもここにはある。 これは、クラトゥとヘレンを始めとした,人々がよき方向へと変わっていく物語でもある。
 クラトゥがだんだんと人間味が増し、変わっていくところは物語としての魅力の一つだが,ヘレンの息子ジェイコブを巡るヒューマンドラマと、ジェイコブが最後に放った一言から伺える,彼の心の変化も然り(←それにぐっとくるものがある)。
 クラトゥの計画はあることに類似していて、そこが物語を深いものにしている。 それに加えて、あとで明らかにされるクラトゥのの真の目的とその意図も。
 キアヌが語るように、ヒューマンドラマ的な部分もあり、また,社会的な部分もあったりと、とても一つのジャンルの枠組みにははまらない。 考えさせられる映画だ。
 球体が初めてマンハッタンを降り立った時の緊迫感、地球が静止する瞬間、球体が光を放ち,(地球をバックに映して)地球から去っていく光景など色彩的に綺麗な場面がところどころにある。 また、目には見えない美しさもある作品だ。

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by jd69sparrow | 2009-01-16 13:36 | 映画タイトル た行

THE DARK KNIGHT‏

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<イントロダクション>
 少年時代から長きに渡り、恐れてきたものと向き合う,恐怖を乗り越え,自らがその“恐怖”となり、悪にもそれを植え付け 戦うという,バットマン誕生のきっかけがまず深い。バットマンは超人ではない。もちろん、協力者はいるが 特殊なパワーなくして、己の拳で相手に立ち向かう,さらにこの『ダークナイト』は『ビギンズ』よりも内容が現実的だ。
 『バットマン』は、ヒーローものでない…と言うよりも一言にこうだとは言えない。ただ、一つそれらと共通するのは、“誕生”から始まり、街の平和と人々の安全を守るものとして、直面する,自分がどうあるべきか、ヒーローとは何かという問題である。 “平和”をもたらすたもに,様々な犠牲や苦悩の日々が強いられるのだ。
 “The Dark Knight(ダークナイト)”というタイトルにも深い意味がこめられている。それは、物語の中で問われることへの答えと結論と言えよう。
 人々の苦しみや混乱、そして彼らが破滅していくのを楽しみとし、他人の命を軽々となんのためらいもなく,葬る…さらには何に対しても恐怖を感じず,そもそも彼の中に“恐怖”というものが存在するかどうかもわからない。その顔からは、人を恐怖や悪に陥れる時の興奮や、何かと自分にとっておもしろい事を思いついた時などに見せる不気味な笑顔以外は表情や感情を読み取れない。狂気の塊でズル賢い…それは、裏を返せば、物凄い頭脳を持っていると言える。単なる愉快犯ではなく、知能犯でもある…それが史上最狂(強)の敵・“JOKER(ジョーカー)”だ。

<あらすじ>
 大企業のトップ,ブルース・ウェインはバットマンとして,影となり,悪にまみれ 暗い霧に覆われた街、ゴッサムを希望たる平和な世界にしようと心に誓った。しかし容易ではなかった。警察の中でさえも,悪の組織とつながる者がいたりと,“正義”に生き,犯罪者と戦う 信頼のおける人物は少ない。ブルースは、自分を育ててくれた執事・アルフレッド、かつての恋人で勇気ある検事補・レイチェル、ブルースの持つ会社の社長となり,バットマンを支援し,戦うためのものを提供してくれるフォックス、警察の中でも数少ない,善なる刑事・ゴードン、そして新しくゴッサムへ検事としてやってきた正義感あるハービー・デントと共にジョーカーを始めとする,悪と戦った。悪を裁き,街の平和を取り戻すために。

<感想>
 物語はダークな雰囲気を漂わせながら、激しく展開し 動く。ジョーカーという強敵を目の前に苦戦するバットマン。 ジョーカーは,悪党の中でもズバ抜けた頭脳の持ち主かつ残忍だ。孤高とも言えるが、ゴッサム・シティのマフィアのボスや裏世界のトップクラスにも屈することなく,むしろ彼等を簡単に動かし,さらに先の先、裏の裏をかいてくる。誰一人として彼の素性を知る者はおらず,過去の痕跡ん残さない完璧さ…
 ジョーカーを動かしているのは、混乱を起こすことの喜びだ。他の犯罪者たちとは、見ている先が違うのだ。だからこそ、弱点など一切ない。もしあるとしたら、不死身ではないということのみ。
 ルールをもたないジョーカーに法による罰は無意味。そして、簡単に捕まえることはできない。ジョーカーは、、犯罪を犯していくことをゲームとして楽しむ。神出鬼没。冒頭の言葉が甦ってくる…“こちらが何か行動を起こせば、倍にして返される”というような。
 バットマンやゴードンたちが彼を追いかけ、どんなに敵への攻撃や罠を仕掛けても,敵はその先をいっており、苦労の末導いた策も読まれている。むしろ、こちらの行動もジョーカーの計画内にあったりもする。ジョーカーは、バットマンを見抜いている…人を見抜き,それを利用するのだ。だから、ことの成り行きの真相が明かされたとき、驚かされる。バットマンが人の命を奪えないことも,正義でもって,世の中の悪に立ち向かっていることも知っている。ジョーカーはその正反対。死こそ恐れていないが、バットマンの手で自分が死ぬことはないこともわかっている。悪は悪でしか倒すことはできないのか。
 ジョーカーに先を読まれ、手玉にとるように動かされる。そして、ブルースは追い込まれるところまで追い込まれ、衝撃的すぎる現実を目の当たりにするはめとなる。もう一人の主人公こそジョーカーである。
 ジョーカーはまるで蛇のよう。パワーはない、だが頭脳はある。言葉においても,事の運びにも。狂気に満ちあふれていて、不気味でもあるが,それが彼の魅力と言えるだろう。ジョーカーは、自分に向けられた矛先ん違う方向へ変えることができる。
 先に述べたが、ここには現実的な面がいくつもある。ゴッサム程ではないかもしれないが、現実にも同じようなことが起こっているだろうし、人はどんなに善人であっても,憎しみにより,悪党になりさがってしまうし、復讐鬼と化してしまう,そして 人々に平和をもたらすには辛い現実に向き合わなければならないということなど。
  超人的ヒーローとは違い、バットマンには戦いの跡が目に見える。そんな姿を見て,これこそ英雄なのではと思う。バットマンは、あくまで平和をもたらすのが目的で、人々に愛されることが目的ではない。人から恨まれても,それで平和が街に戻るなら構わないと考える。ブルースとして,レイチェルへの思いがあっても、彼女の幸せのためならその気持ちをも封印する。
 そうして、自らを犠牲にしていくことも,人々にを守るために戦っても人々からはジョーカーの犯行をバットマンが引き金だと言われ、恨まれるというのはどんなに辛い事だろう。バットマンには過酷な仕打ちが多すぎる。これも守護者としての責任なのだろうか。バットマン…悲しく切ない運命を背負った騎士である。
 ジョーカーの強烈な印象が残される一方で、バージョンアップして、進化したバットマンスーツ、新たに活躍するバットマンの武器やマシーン、前回とは違う戦闘スタイルなど、“ダーク”な中にもエキサイティングな要素がたくさんある。本当のコウモリのごとく,空を駆け抜けるのだ。
 ジョーカーに対抗するための対抗策もクールで信頼関係あっての作戦もかっこいい。予想外の大胆な行動とそれがもたらした事を見ても,そうだが、ブルース・ウェインとしても とてもかっこいい主人公(スーツを身にまとい,長い銃を手に行動へ出るところなど)。普段は、お金や時間を持て余す,プレイボーイぶりだけど、そんなときでも目は優しさと悲しさがあって、その目でレイチェルを見ている(実際、そうかもしれない)。お互いが思いあっているのに、永遠につながりそうにない二人の運命が悲しい。
 この作品のタイトルの意味が語られるくだりは とても斬新。ジョーカーが次々と仕掛けてくるトラップとバットマンたちの反撃が見事に入り組んだ中身の濃さ、深さ、ダークさ、クールさなど色々な味が味わえる最高にドラマティックなエンターテインメントである。

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by jd69sparrow | 2008-08-16 00:00 | 映画タイトル た行

ドミノ

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<イントロダクション>
 ドミノ・ヘーウ゛ァー 、実在した賞金稼ぎである。人とは違う人生の刺激を生涯求め続けた。 平凡に おとなしく生きることや女性らしく生きることを嫌った。 お金持ちの家庭で育った彼女が選んだ危険な道。 そんなドミノの生涯の一部がここにある。

<あらすじ>
ドミノは両親共に有名で裕福な生活ん送っていたが、決して着飾ることなく幼い頃から反発的だった。 学校生活を送っても彼女に合う場所は中々なかった。
そんなある日、新聞の広告に目がとまる。それは賞金稼ぎの求人だった。その広告を見た瞬間、ドミノは動きだしていた、 広告主のセミナー会場へと。
そこでドミノはエドとチョコに出会う。彼らは二人で組んでる賞金稼ぎ。ドミノは二人の仲間に入る。ドミノが加わり、クールな賞金稼ぎとなった三人。その世界とは無縁だったドミノだが、天性の才能のごとく、仕事を(覚え)こなしていく。

<感想>
 ドミノはどこまでもタフで弱味など見せなかった。自分の弱さを出せば、それが命とりになると彼女は確信していたに違いない。 そして子供時代から賞金稼ぎとしての素質があったのかもしれない。何不自由なく暮らしてきたこと、自分が女であること、まだ子供であることを捨て そのレッテルをはらせまいとしている。現に彼女はそこを越えていたと思う。死への恐怖など感じさせない、立ちはだかる敵に挑むような目がクーリだ。賞金稼ぎ…犯罪者を逮捕するための協力をし、その報酬を得る人たち。ドミノのボスであるエドは、父親的存在で、チョコもまるで兄弟(兄)のよう。2人は彼女よりこの世界を長く歩んできた、しかしドミノはそんな2人に溶けけみ、彼らに劣らぬ実力をつけてゆき、足を引っ張ることなどなかった。
 2人は彼女よりこの世界を長く歩んできた、しかしドミノはそんな2人に溶けけみ、彼らに劣らぬ実力をつけてゆき、足を引っ張ることなどなかった。賞金稼ぎである彼らには雇い主がいる。確かな才能を発揮するドミノたちに次々に仕事が舞い込む。三人は雇い主からの情報をもとに動く。一見、単純にも見える構図だが複雑な状況がからみ合い、雇い主が仕事ん依頼するのにも裏(狙い)があると言っていいだろう。ドミノはそこに敏感で鋭かった。 エドやチョコもそういう事情を決して知らなかったわけではないだろうが、もしかしたら、ドミノはそれ以上かもしれない。映画の中でドミノはコインをトスして“表なら生、裏なら死”という運命だと信じており、それがポリシーだと語られている。それはドミノから見た世界が描かれる,この作品のテーマだと思う。 彼女はずっとそれを自分に問いかけ結論を出す。
 彼女はずっとそれを自分に問いかけ結論を出す。生死を分けるコイントスは、彼女の人生の中で、幾度となく投げられたコインは宙に毎続け、3(4)人で戦った日々が終わる頃、ドミノの手に戻り、落ちてきたのかもしれない。 しつこいようだが、こうも言える。生を受けた瞬間からコイントスは始まっていると。でも、結論的にコインがどちらを見せるかは、決まっていて(最終的に),コインが答えを出してくれるまでの時間が人それぞれ違うということなのだろう。 ドミノの生涯は、(そう簡単に)真似できるものではない、例えどんな形であれ、人生に強い刺激を求め,自分らしく生きた,その生きざまはかっこいい。窮地に立たされても一瞬も隙を見せず、自分を貫きとおす、また 自分の生き方や今までに悔いたりせずに、むしろ満足感を得ているというのがすごい。自分の生き方に自信を持つのは敬うべきことだろう。だから、普通に生きることはドミノにとって窮屈。自ら積極的に刺激も求めることの魅力がここにある。

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by jd69sparrow | 2008-08-13 14:11 | 映画タイトル た行

トレーニングデイ

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<イントロダクション>
 表面的に見るとバディ・ムービーだけど、実はそうではない。 一言で言うならば、“理想と現実とのギャップ”がここにある。 先輩でベテランの刑事アロンゾと新しく刑事となったジェイク。二人は正反対な人物。ここで語られているが、アロンゾはかつてはジェイクと同じ“時”があったが、今では名残りすらない。 ジェイクは真っ白なキャンバス、彼の持ち味は正義である。 ジェイクはアロンゾから多くを吸収し,キャンバスに(ジェイクとは)違う色でそれを染めようとしている。 ジェイクは善悪の中でもがき,悩む。 
 
<あらすじ>
 一日が始まる、それはジェイクにとって“最初の日”だった。 刑事となり,一歩を踏み出す… 早速現場を見つつ,刑事の仕事を学ぶことになる、その訓練のための共感で先輩がアロンゾである。 アロンゾはこの道13年のベテランで、ジェイクにはかっこよく,自分が目指す姿をアロンゾの中に見た。
 しかし、いろいろな事を教えられる中、ジェイクは疑問を抱くようになった。 アロンゾの仕事ぶりに。 それでも立派な刑事にになりたいジェイくはアロンゾから学ぼうと、そしてついて行こうと考えた。 すると、疑問は確信となり,アロンゾのやり方のおかしさが見え,それは時間を追うごとにエスカレートし,ジェイクは自らが目指していたものとの相違に悩み,葛藤する。

<感想>
 この映画を見ようと思ったきっかけはデンゼル・ワシントンである。 ここでの彼は見事な悪役で、過去の作品などを意識させることなく,この作品の一つの役柄として見ることが出来る。 アロンゾは悪党だけど、かっこよく,セクシーな魅力をはなっているのもワシントンの実力なのだろう。 すぐに動じることはない、そして底抜けな自信を持ち,強い。 顔も広く,守備範囲も広い。 仕事のやり方はどうあれ,実力は確か…というのがアロンゾである。 映画の後半で(迷いをふりきった)ジェイクとの対決の始まりを告げるとき、個人的には最高だと思った。
 一方、ジェイクに扮するイーサン・ホーク。 弱くもろいようで、強い人物を演じている。 アロンゾは自分と同じ色にジェイクを染めようともくろむ。 刑事としての明るい未来を約束することを口実に悪で汚れたところへとジェイクを導こうとする。 “相手(敵)を欺くにはまず味方から”よいう言葉があるが、ここでは(アロンゾのするところでは)、“相手を信用させるためには、うまく欺く”であって、それは全てに適用される(ジェイクにさえもこの理論が適用される)。
 共に仕事をする仲間でさえも簡単に見捨てるアロンゾ。 彼は警察であることを,また刑事(悪徳)として培ってきた経験・知識を大いに利用する。 この作品が良いのは皮肉にも他人へ向けて考えた最悪なシナリオが自らにふりかかるところである。 かつてはジェイクと同じ志を持って,刑事となったアロンゾ…ジェイクとアロンゾの違うところは違法なことを目の前にして,それに屈するかどうか、また,それを一つの手段と考えるか 間違っていることだと見るかである。  道を少しでも踏み外せば、それはどんどんエスカレートし、後戻りができなくなる。 後戻りということ,後悔の意識すら消えることだってある。
 ジェイクの正義への思いは強い。 ヘタすれば屈してしまいそうな瞬間は幾度となくあった。 それでも彼は崩れやしない。 最初はアロンゾのやり方も,ひとつの方法なのだと考えたが,違うと思うようになる。 彼がアロンゾの自分にした,“最悪こと”に気付いた時,彼は一人の刑事の顔となり,強くなる。 ジェイクのかっこ良さは“形勢逆転”である。 一見、アロンゾのの方が何枚も上手に見えるが,劣らずなのである。 刑事としての思いの強さだ。 アロンゾの数々の誘惑が自分の身にふりそそでも,彼(ジェイク)を黒に染めることはできないし、ジェイクの中の正義感がそれをさせなかった。
 一度犯し過ちはいつか自分(の身を滅ぼす)に跳ね返ってくる。 そいて、心に誓ったこと,志は強く持つことが大切だ(善も悪もかっこ良く見える)。

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by jd69sparrow | 2008-07-18 00:00 | 映画タイトル た行

茶々 天涯の貴妃

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 戦国時代の魔王・織田信長。 その妹・お市の方と義弟の間の長女が茶々である。 人からは淀殿とも呼ばれていた。 彼女は何度もの屈辱を味わいながらも戦国の世を生き抜き,己の運命に翻弄されつつも,その意志を貫いた強い女性である。 武士(もののふ)のような心を持っている。そんな茶々の生き様を描いたのがこの物語。両親を死に追いやった男の側室となり、徳川家康と真っ向から戦いを挑んだ茶々の人生はどんなに屈辱と悲しみにあふれたものだったのだろうか。 仇として見ていた豊臣秀吉の人間性に惹かれ、生涯を秀吉とともにし、彼の遺志をも大事にすることと相成った,茶々はどんな思いで、生きたのだろうか。
 いかなる権力を目の前にしても茶々の,するどい目の奥にある炎(パワー)はうゆらぐことなく燃え続ける。 この時代を含め,武士が生き,戦があった時代の女性に自由は許されず、男たちの政の中で、ただそれに従うことの他、選択肢はない。 誰かが天下をとれば、その存続のために女性が世継ぎを産むことに努めるのみであった女性の運命を覆すような生き様である。戦は武将たちだけのものではなく、それを支える女性たちも関わるものである、つまり戦に命を注いだのは女性も同じであることを強く感じさせられたのだ。    
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by jd69sparrow | 2007-12-27 23:55 | 映画タイトル た行

TRICK 劇場版2

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 売れないマジシャン、しかしその推理力は抜群である山田奈緒子と「ベストをつくせ」をモットーしてかかげる科学研究者の上田のデコボコ・コンビの,ミステリー。 “ミステリー・コメディ”と言ってもいいかもしれない。 堤幸彦が描くどこか不思議な世界観が魅力的な作品である。 主人公の山田と上田は,と言うよりも出てくる人物がみな,真面目なようでどこか抜けている,ツッコミどころ満載、そこがおもしろいところなのだ。 毎回、自らを特別な存在と称する人物が現れたり、怪事件が起こる。 人々はそのまやかしに欺かれ従う、山田と上田はその謎を解いていく。これが「TRICK」である。 山田と上田との関係性など設定はそのままに,物語は一つ一つ独立した作品になっている。 上田は「どんと来い」の本シリーズを書き記し、それを聞きつけたのか,事件の解決などの以来が舞い込んでくる。 その話を上田が山田に持ちかけることで話が始まる。 
 ドラマのシリーズ二作に続き、劇場版もまた帰ってきた。 シリーズ系映画のおもしろさの一つとも言えるのが“お約束”。 例えば、刑事矢部とその相方のやりとりである。 必ずと言ってもいいくらい触れられる矢部の髪のネタである。 その相方も毎回のように代わり、その個性も様々。ヤンキーのように見えてその口から発せられる方言が印象的な人、秀才でわが道行くキャラ、そしてオタクキャラ・・・。 お笑いコンビのようである。 この二人の場面というのは一息のつける(安心感をあたえる)場所である。

<あらすじ>
 山田はいつものようにマジシャンとしての仕事をし、アパートの大家の家賃請求に追われていた。 そこに音もなく上田が登場。 事件の依頼である。 依頼主は“富毛村”の青年、依頼内容は“十年前に富毛村より離れた島へ連れて行かれた少女を連れ戻して欲しいということだった。

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by jd69sparrow | 2007-11-22 01:11 | 映画タイトル た行

TAXi4

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 フランス・マルセイユの刑事とスピード狂のタクシー運転手のコンビが毎度まいこんでくる事件解決に挑む,タッグ(バディ)・ムービー。 タッグ・ムービーの場合、刑事どうし,たとえば警官として順風満帆にキャリアを積んできたエリート刑事と勢いがよく,無鉄砲なはみ出し者の経緯というふうに、静と動という正反対の者どうしがコンビを組むというのが一般的だと思う。
 「TAXi」シリーズの場合。 その静と動というコンビの組み合わせは刑事どうしの映画(物語)と共通であるが,努力がいつも失敗につながってしまう刑事,エミリアインとそんな彼の頼もしい相棒でタクシー運転手のダニエルというそれぞれ環境下の違う二人が手を組むという点ではあまり例をみない。 突っ走るエミリアンをサポートするダニエル。 エミリアンが動で,ダニエルが静ともとれるし、時と場合によっては変わる。 タクシーを飛ばすときのダニエルは動、恋愛や私生活の面のエミリアンはどちらかというと静である。
 努力が成功につながらず、ドジばかりふむ,だけど警官としての意欲は上々なエミリアンをやれやれと手助けするダニエル。 ある意味で兄と弟のようである。 そんな二人を見、この物語の主人公で毎回 パワー全開で疾走する,ダニエルの愛車,プジョー、そしてエミリアンの上司,ジベール署長のおりなす,コメディセンス抜群の映画だ。
 ストーリー。舞台はフランス・マルセイユからモナコへ。 大物サッカー選手,ジブリル・シセをスタジアムへ“タクシー”で全速力で送り届けるところが映画の幕開けとなる。 ある日、エミリアンたちのもとに重大な仕事が飛び込んでくる。 それは,稀に見る犯罪暦を持つ凶悪犯,“ベルギーの怪物”と呼ばれる男を護送するというものだった。 しかし、毎回おなじみなエミリアンの失態で凶悪犯を逃がしてしまう。 窮地に追いやられたエミリアン,なんとかして挽回をはかるため,事件解決を試みることに。 ダニエルの力を借りて。
 “プジョー407”。 これが今回の“タクシー”である。 時速300キロ以上を越える,プジョー。走り出すその時 レースカー並の“最速タクシー”へと変わる(まるで“トランスフォーム”するかのように)。 そんな最高な“タクシー”にダニエルのドライバー・テクが加わり、どんな急ぎの依頼もなんなくこなす。 このスピード感あふれる要素(場面)が物語の華であろう。
 プジョーが駆け抜けるバックを飾り、演出する「TAXi」シリーズのテーマ曲はエキセントリック。これなくしては物語りは始まらない。
 「TAXi」の名物と言えば、やっぱり迷署長・ジベール。 「出動!」とい勢いのよいセリフが印象的である。 このセリフの場面はもちろんだが、彼のリアクションや行動は刑事である以前にコメディアン。 迷捜査ぶり、あらゆる言動がおもしろく,笑いを誘う。 四六時中コメディアンなのだ。 いわゆる憎めない愛されキャラである。 捜査にはりきる署長、今回はイカれ具合が最高。 エミリアンならドジについて、ジベールの場合は笑いというネタで辞書がつくれるだろう(本編・パンフレット参照)。 
 シリーズ四作目ではダニエルとエミリアン,それぞれの息子たちが登場。 ダニエルの息子は父親の遺伝をしっかりと受け継いでいるし、エミリアンの息子は父親とは似つかず(?),しっかり者。 この二人少年の場面にも注目である。
 観る者を笑いの渦の巻き込むだけでなく,刑事モノならではの緊迫感を味あわせるわけでもない,シリーズ四作目でのダニエルとエミリアンの変化,子供ができ,成長したとい彼ら自身の問題,ドラマ的要素も盛り込まれている充実した内容である。
 
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by jd69sparrow | 2007-09-04 00:57 | 映画タイトル た行

ダイ・ハード4.0

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 世界で最も運から見放された男・ジョン・マクレーン。 ニューヨークが脅威に陥れた事件から約10年、マクレーンは警部補となって帰ってきた。 彼のキャッチフレーズという表す言葉の一つとして“最もついていない男”というものがあるが逆に最も運(あるいは悪運)があるというふうにも考えられる。 なぜなら何度もついてない状況、また命の危機に直面しても彼らは危険をくぐりぬけ生き抜いたからだ。 強運と言うべきか。 またシリーズになることで"DIE HARD"から"DIE HARDER"に変わった。 ある本で知ったことだが,そもそも"DIE HARD"の意味は“中々死なない男”でこの続編で“HARDER”と比較級に変わるのはとてもアメリカではウケがよかったらしい。 確かにもっと“中々死なない男”とも取れるし、続編でこの少しの変化をつけるのはおもしろいと思う。 今回の第四作目もそうだがマジメなアクションようで実はところどころにジョークの聞いたユーモアを含んだ映画なのだ。 全体としてはシリアスそのものなのだが登場人物のセリフを聞いているとその登場人物はマジメに話しているのだがおもしろいネタがそこにある。 こういうシリアスな雰囲気でコメディではないもの中ではセリフの中におもしろさがあってよく聞いて見ていないと見逃してしまう。 それに過去の映画作品からネタを持ってきたり,セリフの中に引用入れられたりと映画を芯から楽しむためには気を緩めない。
 しかしそういう場合は一回目は普通に物語の世界観にまったりひたり,二回目はセリフやそれぞれの場面での登場人物の行動などを見て、さらに三回目では二回目で発見したことを頭に入れた上で楽しむ(もちろん、三回目以降に発見があればまた次のときにより楽しめるというものである)。 だから温泉のマークにある三本の湯気にこめられた意味,温泉は三度でつかる(だったかな?)とあるように映画も三度見て楽しむものなのかもしれない。
 レン・ワイズマン監督(「アンダーワールド」)によって「3」に続く続編であるけれど新しい切り口により生まれ変わった「4.0」。 アクションはさらに磨きがかかり数十年という月日がたってもマクレーン刑事の暴れっぷりは健在。 キャラクターも過去三作から変わることないアナログ人間、そして無謀に見えるが刑事としての勘や力量は確実に進歩している。 今度の敵は全米を標的として狙う。 サイバーテロリスト対アナログ人間。 マクレーンと言えば孤高に戦うヒーローとしてイメージが強い。 今回はアメリカ全土に矛先を向けた最強な敵に立ち向かうのにアナログ人間に相反する味方で相棒となるハッカーの青年マットがいる。 強力な助っ人である。 現代もののアクションには同じ体を張って戦う仲間やそれをサポートする人物が登場し、チームやグループで戦うというケースが多い中,「ダイ・ハード」のシリーズにはそれがなく、 今回が初めて共に支えあい,時に戦いながら敵に立ち向かう仲間らしい仲間の登場なのではないだろうか(とは言え、シリーズ第三作目にはサミュエル・L・ジャクソンがマクレーンの味方として登場しているけれど)。 現代の技術ならではアクションが満載である。
 ニューヨーク市警の刑事マクレーンは娘に会うのもつかの間、上司を通しFBIからまたもやお達しが来た。 それはブラックリストにものるハッカーの青年マットを保護しFBIへ連れて行くことだった。 ただそれだけのことだったはずなのだが・・・。 またもや事件に巻き込まれてしまう。 それは始めは小さいように見えたがやがて全米を揺るがすサイバーテロだったのだ。 マットはそのサイバーテロの犯人たちには厄介な存在、つまり彼は犯人たちの標的なのだ。 サイバーテロの主犯格はかつて国防庁の人間だったガブリエル。 コンピューターシステムを使いアメリカを標的にする知能犯である。 そんなガブリエルの一味を相手に戦うマクレーンは息をつく暇もなく攻撃をしかけてくる相手にマットとともに反撃をする。 そんな最中,マクレーンの娘ルーシーの背後にも影が忍びよっていた・・・。
 生活するために必要なものは何かと機械,つまりコンピューターにより管理され,それは尚も進行し続けている。 映画の中でマクレーンは何度も命を落としかねない状況に陥り,そのたびにまるで死から甦るように粘り強く立ち上がりその場その場で機転をきかし敵に対抗する、現実にはこれほどの男は存在するのかとか、マクレーンが味わうようなことが実際にありえるだろうかと思えるかもしれない。 けれどシステム化した社会の弱点をつきテロを起こすという内容は現代社会の問題をついているだけにとても恐ろしく,リアル。 もちろん映画をよりよく見せるための工夫はこらされているのだろうけど実に現実的なのである。 コンピューターは世界中で使える便利なものであるが便利すぎるものは危険であり脅威になりうる。 これはコンピューターに限ったことではないだろう。
 デジタル化した社会を利用した事件だからこそマクレーンのような刑事の存在は大きい。 コンピューターに依存した者ではないからこそ,サイバーテロ犯たちにとっては手ごわい相手であり、こういう世の中だからこそマクレーン刑事は際立ち,ある意味新鮮なのだと思う。 刑事として優れた目と頭脳を持ち,長年培ってきた労力により(少々無茶であるが)機転をきかした(マクレーンの)敵への攻撃や無茶苦茶さはこの物語を楽しむ醍醐味だ。 仕事に生きる仕事人間というくくりではなく、陽気な一面もあり,ユーモアを持つ。 そして刑事として,また父親としての貫禄もでてきたマクレーン。 そんな彼の危険を共にくぐりぬける相棒マットとのコミュニケーションを見ると父と息子に見えるところもあるし、マクレーンの言葉には説得力や深みがある。 スーパーマンというわけではなしにそれまでに様々なテロリストたちと戦うなどして,そこからえた経験から不利な状況下を逆転させてしまう、そして敵の度肝をぬかすような機転をきかした反撃をする。 テロリストたちとマクレーン刑事、両者は互いに最も厄介な敵どうし。 それだけに両者を一歩もひけをとらない攻撃を互いにしかける。 どっちにどう転ぶのか。 そんな期待を胸に楽しむことができることと思う。

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by jd69sparrow | 2007-07-02 04:18 | 映画タイトル た行

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

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 その人にしかないものではなく、日本人,いや 人々全体と言っていいかもしれない。 子どもを愛する母親の姿、息子、そして時々顔を見せる父親。 二人の親子としての絆の物語。 でも、これは主人公だけの世界ではない。 人の誰もが母親から生まれ、生をえる。 普段、当たり前のように側にいるお母さん。 いつも子を思い美味しい食事と、心地のよい「家」という空間の中で誰よりも子どもを思う。 そんな温かい母親の姿がここにある。 誰もが帰れる場所(=“家”)、母親の子どもへの愛情や思いが伝わる映画である。 幼い子どもの頃から大人になるまで育ててくれた親を振り返り,感謝の気持ちがわいてくる。
 話は主人公である“ボク”が少年時代から始まる。 ボクは少年時代、いつもオカンと一緒だった。 どんなときも。 やんちゃだったボク、そんなボクをいつも温かく見守ってくれた鬼になることなく優しく,時には人を楽しませオカンでいてくれた。 どんなに状況が変わり、時をへだててもオカンはオカンだったのだ。 常に酒びたりなオトンはふらっと外へ出ては彼らのもとへやってくる。 やがてオトンとは離れ、オカンと二人で暮らしていたボクはアートへの道を目指す。 
 オカンはボクが将来の道へさまよい宙ぶらりんになろうともボクに注いでくれる愛情は変わらなかった。 時がたっても若き日の心を持ち、その笑顔はまるで少女ようだった。 子どもの喜びは自分の宝物のように胸に閉まっている、嬉しいことには心の奥底からくる嬉しさが表れていた。 人を楽しませ、喜ばせることが好きなオカンは皆から愛され、ボクだけでなく“皆のオカン”といっても過言ではないように思う。
 離れた場所にいても共に暮らしていてもオカンはボクへ愛情というパワーを送ってくれたからこそボクの未来へつづく道は絶たれることなく,例え途中で立ち止まりさまよえども ずっとずっとその先へと広がっていたのだろう。
 オトンはオカンとボクのもとを離れても,どこへ行ってもオカンのところへ戻ってきたのはオカンのいるその空間がオトンにとっても落ち着ける場所、“家”だったのだと思う。 自由気ままに生きてきたオトンもオカンに元気をもらいにきていたかようだった。 そしてオカンを大事に思う気持ちも変わることは無かった。
 わがままも言わずに常に自分の子どもや自分のもとへやってくる人たちを自分自身よりも大事に思った。 息子をしたってその仲間たちが集まってくることがとても嬉しくオカンにとって幸せなことだったのかもしれない。 やはり自分の子どもが誰かに認められ、また信頼されるというのは親にとっての喜びということなのだろう。
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by jd69sparrow | 2007-05-02 23:57 | 映画タイトル た行

トロイ

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 一つの愛のために富と名声をかけた戦いがおきたのは紀元前にまでさかのぼる。 トロイ、スパルタ、ギリシャの三つの国。 国境をこえた許されざる愛の物語である。 純粋で一途な思いどうしが交わった愛はいくつもの犠牲を出し,悲劇をもたらす。 誇り高き英雄たちは剣を持ち,盾をかまえ、そして弓をひいた。 そして国どうしの争いが巻き起こり、男たちは神々のため、主君のため、そしてそれぞれの名誉と誇りをかけて全身全霊で戦う彼らは猛獣のごとし。
 トロイの王子パリスは他国,スパルタの王妃ヘレンへ恋に落ちる。 パリスのヘレンへの愛の強さは彼にスパルタの王妃を奪わせる。 しかしパリスとヘレンとの間にあるものは他ならぬお互いを思う“愛”だった。 そのことはスパルタ、そしてギリシャへも知れ渡ることとなる。 そして一人の戦いに生きる戦士をも立ち上がらせるのだった。 戦士の名はアキレス。 ギリシャ側に立つ男である。 彼は恐れを知らない鉄壁の戦士であり,迫りくる死への危機をものともしない。ただ目の前にたちはだかる敵を倒すのみ。 しかし人の心を持っている。
 愛は温かさや希望といった幸せを人に与えるものであって時に争いを導く二面性をもったものである。 それが人々にもたらす力はあまりに大きい。 良きも悪きも動きやすいものなのだと思う。 愛が悲劇を生み出し、憎しみからも未来は望めない。 憎しみが生み出すもの、それは新たなる憎しみ。 その思いが完全にはれ、むくわれるというのは難しい、怒りに燃え,それを行動にうつしてもその先にあるのはさらなる危険であろう。 愛の力というのは恐ろしくもある、それは悲劇を呼び寄せてしまうと言うことある。 けれど、国を動かし、大勢の兵士たちを立ち上がらせ、その激しき戦いの火蓋を斬って落とさせるという力強さを持つ。
 銃なく一撃を入れるのは弓と剣、己の持つ腕力や精神力などといったパワーのみ。 力と力がぶつかる,まさに誇りやプライドをかけた戦いにふさわしいのはもちろん戦士ひとりひとりの戦いにも言えることのなのだが、(個人的には)トロイの戦士へクトルとギリシャ側にいるアキレスとの一騎打ちである。あっけなくもあるように思えるけれど人々の心・記憶に深く刻まれる迫力ある作品におけるまさに熱き戦いと言っても過言ではないだろう。 悲しさ残る映画だ。 戦士たち・英雄たちのたどる末路は悲しいばかりであるが戦士に恥じないものであったとそう思うのである。 
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by jd69sparrow | 2007-04-30 03:11 | 映画タイトル た行