カテゴリ:映画タイトル た行( 82 )

タイヨウのうた

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 太陽の光を浴びることができない少女がいた。 カオリという少女は太陽の光を浴びることなどあろうものなら命の危険にさらされてしまうという長きに渡りかかえてきた,また戦い続けてきた。 そうして病と闘ってきたカオリは日が沈み,夜明け前までの時間しか外に出ることができない、ゆえに何の問題もなく生きている人々とは昼夜逆転した生活を送りざるをえない。 しかしそんな彼女にも一つ夢中になるものがあった。 それは“音楽”。 ギターを一本持ち毎晩のようにいつもの時間にいつもの場所でストリートライブするのがカオリの楽しみであった。 光のない世界で生きてきたカオリにも恋の相手がいた。 しかしその相手とはちゃんと会ったこともなく名前さえも知らなかった。 丘の上にある家の窓からいつも同じ場所にやってくるその相手をただ遠くから見つめるだけということしかできない。
 まわりとの接点を持つことができずに生きてきたカオリにとっての光がカオリが恋をする相手,コウジだった。 彼のバカみたいに仲間と騒いだり明るい笑顔がカオリを支える力そのものと言ってもよかった。 やがて二人は出会い、カオリはギターを弾き,歌を歌い、コウジは希望をあたえるために,また力となれるために精一杯のことをしようと考え行動にうつした。 そして二人は途中壁にぶつかりながらも恋に落ちていく。
 カオリの歌う歌はまるで太陽のように輝いている。 夜の暗さを彼女の歌が明るく照らす。 一曲一曲カオリの作る曲には“思い”がこめられている。 太陽の光のない世界でしか生きられずとも自分はここにいて,ここで生きているということを証明し,歌で呼びかけることで主張しているかのようにカオリは歌い続けた。 そこにカオリの生きる力の強さがある、そう思えた。 彼女の歌う曲が夜の闇を照らし,人々にも光を与えるようにカオリ自身もまたまわりで彼女を支える人々の太陽と言ってもよいだろう。 そんな彼女は病と戦い,命がけずられようとも“生”への思いを捨てたりあきらめたりせずに彼女の時間を一生懸命生き,その証を残していった。 形として、人々の心の中に生き続けるものとして。 人の強さにはいろいろとあるけれどカオリの強さとは歌であると思う。
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by jd69sparrow | 2007-04-09 01:12 | 映画タイトル た行

デジャヴ

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 初めて経験したはずなのにそんな感じにさせない、不思議な現象こそが“デジャヴ”。 それは脳内に起こる異常なのかそれとも過去の記憶の断片が過去に起こったことと似た,あるいは同じことが目の前で起こることによってその記憶がその人の無意識の中で甦えさせられたということなのだろうか。 謎につつまれている。自分の頭の中と自分の目の前とでその現象は起こるのだ。 知るはずのないことを自分は何故か知っている,知っていると感じている。 デジャヴという現象そのものよりも自分自身に不思議を感じ,恐怖さえ覚えるかもしれない。  
 “デジャヴ”が取り上げられているものはいくつかあるらしい。 デジャヴじたいが主題でないけれどそれがうかがえるものがある、その例として「ハムナプトラ2/黄金のピラミッド」があげられると思う。 ヒロインは主人公と共に遺跡を探るためにその場所へと赴き,その場所 エジプトの遺跡の場所の構造を何故か知っていた。 その秘密はエジプトにまつわる歴史、遠い過去に隠されている。 人は生まれ、そして死ぬ。 人は死を迎えるとき、その記憶をどこかにとどめたまま魂は次に生まれる者へと受け継がれる。  しかしその記憶を開ける鍵は簡単に開くことは何かのきっかけなしにはありえないことと思う。 意識的に思い出すということはないのだから。
 この物語では限りなく近い過去と現在とが取り上げられている。 時間の軸、過去から現在、そして未来へとつながる時間のサイクルが鍵。 過去と現在との不変の関係とその二つにおける事実、主人公はその変えることのできない時間の壁の越えていく。 そしてこの映画では“デジャヴ”があちらこちらに散りばめれている。 
 2006年アメリカ・ニューオリンズ、500人もの乗船客を乗せた船が出港した。 人々は皆、これから始まろうとしている船旅に期待をふくらませ,そこは笑顔で満ち溢れていた。 しかしその楽しいはずの船旅は一瞬にして天国から地獄へと化した。 船からは爆音が響き渡り、その爆発とともに船に火がたちこめ,炎につつまれ,大勢の人々の命が失われる。 事件性の高さは明らかであった。 事件直後、現場にかけつけた捜査員ダグ。 彼は仕事に生きる男、彼の捜査から導き出されたのは爆発の事件とは別のもう一つの事件であった。 爆発事件とは別に何物かによって命を奪われ,変わり果てた姿となった見ず知らずのクレアという女性であった。 その後、事件の謎の解明のためのチームに加わったダグはモニターを通し,事件前の映像を目にし、やがて驚くべき真実を知る。 そしてクレアを救いたいという思いに駆られる。
 まず言えることは映画を見終わった後もおもしろいということである。 それは物語で語られたことについて考えをめぐらせることである。 つまり、どうしてそういう話の流れとなっていったのかと推測をたてたり、(映画の)さらに詳しい情報をえることである。 そこで導き出せる答えや初めて気付くことがあるからだ。 謎が一つ解けるたびにおもしろさも増してくるのだろう。
 物理的に過去を変えるというのは不可能。 それは物語を追っていく中で身にしみてくる。 けれどそれは不可解なできごとの謎を明らかにするもの。 そうした仕組み、また主人公たちが行き着く場所、たどる運命というのも(作り手により)とても考えられていると思った。
 
 
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by jd69sparrow | 2007-03-30 02:16 | 映画タイトル た行

どろろ

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 漫画が実写化されるというのは珍しくはない、今回手塚治虫原作の「どろろ」が実写の映画となったように「鉄人28号」など過去から現在へとやってきてものも増えつつある。 良きものは時代が変わろうともそれ自体は変わらずにいる。 ここ数年一気にこのブームが到来した。 けれどそれ以前に既にあった。 ハリウッドでは主にアクション系が多い。 「スーパーマン」から「X-MEN」まで様々である。 日本と言えばジャンルが分かれていてコメディだったりシリアスなもの、恋愛ものなど幅が広い。 ここがアメリカと日本との大きな違いであろう。 日本で見られるこの現象はやがては日本映画の強みになることだろう、あるいはもうそうなっているかもしれない。 
 「どろろ」はアクションであり深いテーマを持っている作品。 しかもその物語を築き上げたのが手塚治虫となると実写化はとても期待で胸がふくらむことだろう。 実際,その期待は裏切られることはなかった。 単に親子の話というわけではなく,「生きる」ということがテーマとなっている。 命はあるもののどう生きていけばいいのかということがわからない主人公は旅を続け,仲間と出会うことで生きる目的が見えてくる。 失われた人間らしい心も少しずつ取り戻されていくのだ。 
 未来か過去か、どこかの時代で戦乱の世がこの話の舞台で特定はない。 醍醐景光という名の男がいた。 彼は誰にも負けない力を欲した。 どんな戦にも負けない強大な力を得るため魔物たちと契りを交わす。 もうすぐ生まれてくるわが子の48箇所の体の組織と引き換えに。 体の48箇所を失った景光の息子・百鬼丸は寿海という呪医師のもとに渡り,その男に失われた体の部分を与えられた。 二十年の月日がたち, 百鬼丸は魔物たちに奪われた自らの本当の体を取り戻すために戦いの旅に出る。 旅の途中、ある盗人と出会う、どろろである。 百鬼丸は彼女と出会うことで生きる力を得、笑顔と心を取り戻していく。 彼らの目指す先には百鬼丸の父親、景光がいる。 
 両腕の内側に刀を持ち,魔物たちを倒していく百鬼丸はとてもクールである。 腕の先には刀があって,それを自在にあやつり戦う、そして斬った後には鞘ではなく刀に腕をおさめる。 とても斬新である。 魔物を倒すたびに体が取り戻されていく,その瞬間一つ一つがとても印象的である、またそれ以上に百鬼丸が人間らしい心と生きていく力も取り戻し、感情がだんだんとでてくるという課程もまた心に残るところである。 「生きる」というテーマがまさにそこにあると思うからだ。 様々な力を持った魔物たちと戦う、そして体と心とを取り戻してくというこの二つの要素があるからこそその魅力を実感できるのだと思う。 また、それらが行き着く先、主人公(百鬼丸)が最後にえるものが強く胸に刻まれる。
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by jd69sparrow | 2007-02-24 02:50 | 映画タイトル た行

ドリームガールズ

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 1981年、ブロードウェイで初演された「ドリームガールズ」はその時から20年以上の月日を経て映画というエンタテインメントの世界で新たなステージライトを浴びる。 60年代70年代を舞台に同じ夢を見る三人組の夢を実現するまでのプロセスを描いている。 パワフルな歌声とソフトな歌声とが競い合っているかのよう。 だけど相反する二つの音の領域が最高にこのエンタテインメントを華やかなものに彩っている。 ステージで“ドリームガールズ”たちが歌を奏で,また皆が,感情のこめられた歌を熱唱する。 歌で気持ちの強さがありのまま表現されているようだ。 美しい歌声とパフォーマンスでドリームガールズはステージライトのまぶしい場所へと確実にステップを進めていく。
 ディーナ、エフィー、ローレルの三人はドリーメッツというトリオである。 三人はいつか華やかなステージに立ち,歌を歌うこと、プロになること夢見ていた。 アマチュアの大会で夢に挑戦するドリーメッツ、だがそこでは始めから自分たちにはチャンスというものがないことを思い知らされる。 勝利をおさめることもなく、彼女たちの夢は閉ざされたかのように思われた。 しかしその大会を見ていたある男がいた。 中古車会社を持つカーティス・テイラーJr.である。 ドリーメッツは彼女たちのその後に大きく変える運命的な出会いをする。 運命的な相手こそがカーティスその人だったのである。 彼は三人に夢の実現を約束する。そしてバックコーラスから始まり,独立し「ドリーメッツ」から「ドリームズ」と名を改め,デビューへと道を歩んでいく。 しかし夢のようなことばかりではなかった。 彼女たちを待っていたのはショウビジネス界の厳しい現実だった。 やがてかつてはリードボーカルであったソフィーと他のメンバーとの間でわだかまりができてしまう。
 夢を実現させるためには何かを犠牲にしなくてはならない、また成功するためには実力よりもルックスが優先されてしまう現実。 そのたびに失われるものがある。 主人公たちが生きていく世界には「まさか」と思うようなことがたくさんある。 しかしこの風景は紛れもなく真実のなのであろう。 
 ドリームズから去ることを余儀なくされたソフィーは一度はどん底に落ちてしまう。けれどそこで終わることなくまた自分の道を歩み始めるというドラマ的な部分がある。ソフィーは自らの力に自信があった、けれどそれを十分に発揮することができなくなってしまった。 最初,わがままで自分しか見えてなかったかもしれない、けれどとても共感できるところも少なくない。 意欲があるのにそれを認めてもらうことができない、そして自信を持って取り組み,これからという時,突然夢の実現が阻まれてしまうというところである。 
 「夢を実現させるということとはなんなのか」ということが問われ,また60年代70年代のアメリカの姿と音楽業界の姿がここで映し出されている、そう私は思う。
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by jd69sparrow | 2007-02-22 19:45 | 映画タイトル た行

トランスポーター2

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 自らのルールを決め,それに従い生きるプロフェッショナル。 依頼人からさ授かったものは何であろうとも黙って送り届ける、またその中にあるものを見ることもない。 依頼を確実に遂行することこそが主人公フランクのルールである。 つまりは“運び屋”、漆黒の車で動くフランクはドライブ・テクニックもさることながら肉体的な能力にもたけている。 今回は運び屋ではなく戦うクールなヒーロー的な部分が大きいかもしれない。 前回に引き続きタルコー二警部が見方として登場し、また主人公の無言のアクションも光る。 黒いスーツで身をつつみ寡黙に依頼を全うする。
 依頼品はものではなく6歳の少年。 依頼じたいも少年(以下、ジャック)を無事学校から家まで送り届けるという運転手としての仕事であった。 しかしそれは自分はおろか多くの人々を危険に陥れてしまう危険なものへ変わってしまう。 フランクは“ジャックを守る”という依頼を,また危険が広まることを阻止することを心に固く誓い戦う。 危険とは人を死に追いやるウィルスが次々と感染してしまう恐れがあるという脅威。 その脅威をふりまく敵もまたプロ、中々手ごわい相手である。 フランクは休暇でフランスからマイアミに来ているタルコーニ警部の力を借りつつ一人,敵の一味の中へ乗り込む。 
 1でフランクにとってあなどれない相手であったタルコーニ警部とは友とも敵ともいえない不思議なつながりが続いていた。 そして今度は主人公のサポート役として活躍する。 とはいえ彼の登場する場面はわりと少ないのだが、キャラクターの印象はとても滑稽のようでおもしろい。フランクの手のうちをわかっているのかどうかというきわどい線でフランクに接触し,真の髄をどこかで知りつつも彼に刃を向けることもない。 前回そういったポジションにあり敵とも言えそうな立場であるのだけれど、敵らしい部分はない。 古畑任三郎の性格を連想させるものがある。 
そのタルコーニの味はそのまま2でも感じさせられる。
 

続きは後ほど・・・
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by jd69sparrow | 2007-02-02 12:20 | 映画タイトル た行

ディパーテッド

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 香港発の二人の男たちの二面性を描いた「インファナル・アフェア」の公開から五年の月日がたち,シリーズ三部作の最終章から四年がたった。 「ディパーテッド」という名で新しく息がふきかけられた。 主人公は二人、歩む道は違うけれど彼らはとてもよく似た部分を持っている。 ギャングの世界から内部の情報を得るため警察へ入り込み,エリートな刑事として今を生きる者と警察から潜入捜査のためギャングの世界を探るため送り込まれた刑事の物語。 レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソンをはじめとする俳優陣,さらにはマーティン・スコセッシ監督というこのジャンルにおいて本格派な作り手という話題はもちろんのことだが制作にはブラット・ピットがいたりと注目すべきは配役とい表面だけでなく役者たちを,作品そのものを支える作り手たちである。 しかもリメイクとその言葉にくくりつけられるのではなくハリウッドの一つの映画として独立している。 とはいえ、基盤はオリジナルが尊重されていると思う。 土台にオリジナルの構成から新たに積み上げられ,これは探れば探るほど“一つの新しい映画”なのだという実感がわいてくる。 一つの同じ地域にあるけれど別々のコミュニティー(街)のようにそこに立っている二つの世界が同時に存在する。  自らに偽りを持つ二人の主人公の偽りの生き方を描いてる。
 ボストンの同じ地,同じ環境で育った主人公コリンとビリーはそれぞれが違う目的を持って警察官になる道を選んだ。二人ともが優秀な成績で持って州警察へとたどり着く。 コリンはエリートとしての地位を着実にあげてゆく、けれどビリーは刑事として同じ州警察に配属されるやいなや重要な任務を任される。 それはボストンの町を支配するギャング,コステロを逮捕するためにそこへ潜入捜査することだった。 しかしそれを知るのは二人の上司だけだった。 ビリーはまもなくその極秘の任務という危険な道を歩むこととなり,警官としての顔ともう一つの顔を持つことを余儀なくされる。 優秀な刑事であるコリンもまた2つの顔を持ち,さらに危険な橋を渡ることになる。 ビリーは警官という身分を預け,ギャングの世界へ潜入捜査を始め,コリンはそのギャング,つまり二人に共通してつながるコステロへ警察内部の情報を提供し,忠義をつくすためにスパイとして警察の中へと潜り込むのである。
 先にも述べたようにこの映画は「インファナル・アフェア」という原作のもと作られたものである。 第一印象としてはオリジナルをハリウッド風にただアレンジした感じであったが、じっくり見ていくと奥が深いことがわかる。 実在の人物をモデルにされていたりとか、実際に起こったこととが物語の構成の一部として組み込まれていたりとか人物関係など目立った部分以外のところ、細部で異なるところがあり,作り手の意志が多く取り入れられているようだ。 人物関係でオリジナルとは違うところもあるのだが、非現実じみたところはない。 主人公二人ともがおかれている状況というのは実際にとても考えれるであろうことであるし、今回は舞台がボストンと設定されていて、アイリッシュ系アメリカ人に着目されている。 ここで語られる彼らについての事実や主人公たちが育ってきた環境というのはリアルなことであるだそう。 そうして実在の人物やボストンという地域の実態がストーリーの中に盛り込まれることでいることがこの映画の奥深さに深く密接していると思う。 相手をどれだけ欺くかがコリンとビリーに共通することであり、それによって孤独など精神的に追いやられるところもまた二人に共通するところである。 クールで刺激的なビジョンとおもしろさがとても印象的だ。
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by jd69sparrow | 2007-01-31 23:50 | 映画タイトル た行

旅するジーンズと16歳の夏/トラベリング・パンツ

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 高校へ通っていた頃、どんな時を過ごしていただろうか。 また、もし友達」と何か一つのものでつながっていたとしたらどう思っただろうか。 四人の個性がそれぞれ全く違う女の子が一同にそろったとき、友情はどんなカタチで形作られ、成長していくか,あるいは絆がどう深まっていくのか。 これは全く性格の違う女の子の友情の物語。 彼女たちの場合、一つの“ジーンズ”で固く友情が結ばれているのだ。 その力といのは目で見ることはできないが、力が効力として現れるとき,それは内面から外面へと力が働き それはその人の顔、そして形で出てくるものだってきっとあるはずであろう。  主人公たちの友情の形、しるしは“ジーンズ”によって導き出される。 つまり、主人公たちの友情とその友情をつなぎとめていた“ジーンズ”は文字通り“旅”をすることとなる。
 主人公は四人いる。それは気が強くてクール、それでいて面倒見がよく仲間たちの間での相談役的存在なティビィ、いつも明るく元気でサッカーと恋とに熱意を燃やし,いつも自信にみちているブリジット、ちょっと自分に自信が持てないけれど愛嬌があって文才なカルメン、そして内気だけど綺麗なリーナである。 四人は母親たちの中にいるときから一緒でこの世に誕生するときも流れるように同じ時期であり、誕生したその時以来からいつも行動を共にしたみながみな大の仲良しの親友である、四人の関係は友であると同時にまるで姉妹そのものである。 そんな彼女たちは16歳となり、特別な夏を迎える。
 はじまりは“ジーンズ”だった。 そのジーンズを順々に四人ではいてみると不思議と四人全員にぴったりだったのである。 “ありえない、だけど不思議で魔法のよう”、四人はジーンズに魔力を感じた。 そしてジーンズを“つなぎ”にそれぞれの夏休みをおくることにしたのである。 ジーンズを順番にまわして一週間ジーンズを手元に置いたのち次の人へとまわすのだ。 そしてそこにルールをいくつかつける。 例えば“裾折りをしない”ということである。 
 四人はそれぞれ別々の場所で休みを過ごす。ブリジットはサッカーキャンプへ、リーナは親戚の家へ、カルメンは離れて暮らす父親のもとへ、そしてティビーはバイトとドキュメンタリー製作に専念することに。 
 ティビー、リーナ、カルメン、ブリジットの四人の絆は強く深いものであると思う。 誰かが困ったときには仲間たちがすぐにかけつけ一生懸命助けてくれる。 どこへ出かけるのも一緒でいつも笑いが絶えない。 みんながみんな全然違うタイプだけれどすごく仲がいい。 全く違うからこそ仲も深まる。違う個性があるからこそ一緒にいて楽しいのだろう。 理想的な友人関係。 姉妹のような彼らの関係にはとても魅力があるし、きっと誰もがこんなステキな友達が欲しいと思うことだろう。 そんな彼らはジーンズが全員はけるという奇跡を起こし、その魔法の力を知ることになる。 そのおかげで四人は友情も深めてゆき、悩みを持つ自分自身を変えていくことを実現させていく。 それぞれがそれぞれの毎日に対して思うところ、いだく気持ちは異なるけれど四人ともが無駄のない時を過ごす。 “今日と同じ日など二度と来ることはなく、毎日が違う”。それを感じさせた。
 “ジーンズ”は彼らの絆そのものであるように思う、タイトルにあるようにジーンズはあちらこちらへと四人の間を旅を続け彼らにその魔法の力を起こし、そしてジーンズを通してお互いがコミュニケーションをとっていくように思えるからだ。 ジーンズを引っ張ったときの耐久性が強いように四人の絆も強いし、より強くなっていく。
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by jd69sparrow | 2006-12-13 00:26 | 映画タイトル た行

手紙

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 現実的な映画を初めて見た。 しかもこの作品はノンフィクションではなくフィクションである、社会派作品多けれど心に訴えてくるようなフィクションを見たことがなかったのだ。 「手紙」という話は東野圭吾さんが描いた一つの物語であるわけだが、その物語がとても現実的で非現実的な面が何一つなかったのはこれが作者が私たちに訴えた紛れもない現実の姿だからなのかもしれない。 報道では事件が起こると必要以上に騒ぎ立て、被害者たちに質問やら被害にあったという心情を聞き出そうとする。 報道で取り上げられるのは一つとして被害者たちの心の訴えをより多くの人々に伝えるためであろう。 しかし、加害者の家族に対してはほぼ皆無である。 そこに目をつけたのがこの物語の筆者なのだ。 たいてい人はみな、加害者に対しては怒りの感情をいだいたりとか、軽蔑なまなざししか向けることはなく どちらかというと被害者,あるいは被害者の家族の方へと関心を向ける。 彼らに関心を向けるのは当然のことだし、悪いことではないが(全ての人たちがとは言わないまでも)加害者や加害者の家族に対しては関心を引くことがない。実際、この作品を観ることで気付かされたのだ。 事件を起こし、刑務所に入れられた兄、そしてその弟の物語なのだ、そこでは世間の冷たさがありありと表れていた。
 剛志と直貴の二人兄弟はお互いが唯一の肉親であった、そんな二人は両親もなく二人だけで生きてきた。しかし強い絆で結ばれた仲であった、直貴は高校に通い大学入学も控えていた。 剛志はそんな弟のため、学費を稼ぐべく腰をいためるほど懸命に働くがやがて会社を去らなければならなくなった、しかしそれでも直貴を大学に行かせるための学費欲しさに取り返しのつかない事件を起こしてしまう。 剛志は刑務所へ入れられてしまう。 そこは孤独で辛いものだったが、塀の向こう側にる直貴との手紙が彼にとっての唯一の支えであり、力だった。 彼は弟へ手紙をかかさず書き続けた、残された直貴の背負わせられるレッテルの重さ、自分のしてしまったことがどれほどのことを引き起こしてしまうかを知らずに。
 どこへ行っても直貴はそのレッテルから逃れることはできなかった、彼の目の前から次々と幸せが消えていく。 事件を起こすということがどういうことなのか、何をまねいてしまうのかがここでは描かれている。 手紙を書き、その心を温めてくれる弟からの返事の手紙をいつも心待ちしている兄、そして手紙を書きながらも自分にのしかかる辛い現実に苦悩する弟の複雑さ。 どんなに順調に進んでいってもレッテルをかかえている限りいつかは消えてなくなってしまうのでないかという気持ちで常に胸がいっぱいの直貴の人と関わることへの恐れがじわっと伝わってくる。 明るい光が射し込んだかと思うとふと消えてしまう。そんな繰り返しの続く日々、直貴の中の炎は決して安定することなく、彼の目は希望で輝かずにいる。 常に苦悩をかかえこんでいるようである。 そんな直貴はいつか「差別」ということを覚えた、その結果現実からなんとかして逃れようと必死にもがきつづける。
 塀の内側で肉体労働をしつつ、弟からの手紙に励まされ毎日を送る剛志。 孤独だからこそ外からくる手紙がそんな孤独を忘れさせてくれる。 手紙というのは心を温めてくれる。 だからこそありがたみというものが感じられる。 メールでやりとりする現代、手紙を書くことというのは機会がだんだん減ってきているように思う。 しかし手で書かれたものこそ、励ましとなり力となり心を温めてくれるのだ。 手紙が届くということ、送り主が自分に向けてメッセージを送ってくれる、それはとても幸せなこと。 話すことで伝わることもある、だが手紙だからこそ素直になれるということもまた事実。 誰か大切な人に手紙を送りたくなる、そんな物語。 剛志が手紙を送るということもきっとそうであるように,手紙を書くこと楽しさと相手の“声”を聞けるという二つの幸せがあるに違いない。 
 世間は確かに冷たく、差別もしたりする。 加害者のしてしまったことはその家族までもを被害者にしてしまう、つまり自らがしたことが自分が思うよりも広く被害者にしてしまうのだ。  だけど、そんな世間の冷たさは簡単に消えることもなく,その道を裂けては通れないということがよくわかる。 どんなことがあったにせよ,生きている限り可能性はあるということだと思う。 決してあきらめてはならない。 天から見放されたというわけでもないのだから。なぜなら人々が全て冷たい目を持っているわけではないからである。 「生きていれさえすれば、自分を理解してくれる人だって現れる」、そう作品が,作者が教えてくれたのではないだるか。 どんなことがあろうとも兄弟は兄弟、そして絆も強く結ばれ続ける。 直貴はいろいろな人々と出会い、行き詰った時に支えてもらい,彼の中で変化がおきていく。 その変化が現実として,カタチとして現れた瞬間といのがとても感動で、必死で祈りながら弟を見つめる兄の姿が心に強く焼きついた。
 「逃げるのではなく、そこで生きるのだ」という作品中、直貴にかけられる言葉、そして作り手たちが伝えたかった「人も捨てたもんじゃない」という言葉が物語の中に深く浸透している。 作り手が伝えようとするものはもちろんであるが、物語に登場する人たちの言葉はそのまま観る側に訴えていることでもあると思う。 そして登場人物たちの言葉は筆者の言葉でもあるでがばうだろうか。 筆者たちは登場人物の口を借りて人々にメッセージを送るものとも言っていい。 金八先生の言葉にあることだけれど「人」という字のように人は支えあって生きているというのもメッセージと言えるだろう。
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by jd69sparrow | 2006-11-13 23:49 | 映画タイトル た行

ダイ・ハード2

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 ブルース・ウィリス作品の傑作「ダイ・ハード」シリーズ、第二弾。 「ダイ・ハード」といえばアラン・リックマン(「ハリー・ポッター」シリーズ)と共演の第一作目から三作目までのアクション映画だが、続編が予定されているという。 ジョン・マクレーン警部補が唯一人犯罪者グループに真っ向勝負をしかける刑事もの。 警官とは思えないはちゃめちゃぶり全快の痛快アクションである。
 クリスマスのシーズンを迎え,凍えるような寒さの冬、ジョン・マクレーンは空港へと向かう。 彼の妻ホリーを迎えに来たのだ。 当然空港もクリスマスで人であふれかえっていた。 ホリーの到着を待つジョンだったが、ジョンのいるまさにその場所で事件が発生した! その事件のもと、つまり事件の中心にい,まさに悪事を企む元特殊部隊の大佐スチュワートを率いる集団が空港周辺に息をひそめていたのだ。 彼らは空港警察に対し、むちゃな要求を次々とたたきつけるが空港の警察の力は頼りなく四苦八苦する。 たまたま事件の現場に居合わせたジョンはその空港警察の頼りなさを見、一人立ち上がった。 もちろん、犯人たちと立ち向かうためである。 そこの責任者に邪魔扱いされなかなか事件の手助けを思うようにすることができないジョンであったが、なんとか自力にして空港警察がてこずっている傍らで事件解決の糸口を突き止めていくのだ。 スチュワート大佐たちは空に浮かぶ飛行機をどんどんと墜落させていくことをもくろみ、計画を実行し、人々を混乱に陥れるのだった。
 生きるか死ぬかのギリギリを乗り越えていくジョン、そしてタフに危険をたった一人で切り抜けていく。 ホリーの乗っている飛行機にも危険が迫っておりなんとしてでもホリーをふくめより多くの乗客たちを救うためジョンは体を張り,命がけで敵へとぶつかっていくのだ。 「飛行機には妻も乗っているんだ!」、ただただその思いが彼の中にあり、それが彼をより強く動かしたのではないかと思う。 いつも危険に遭遇し、死に近い男,ジョン・マクレーンは粘り強くタフでもあるがしぶとくもあった。 一人で立ち向かうこと、ど根性がとてもたくましいわけだがそれが同時に死により近づいてしまうということへとも繋がっている気がするのだが、それでも負けずに敵とわたりあうのだからすごい、それこそがジョンの魅力とも言えよう。 人一倍肝が据わり、ど根性もずば抜けているところとか。 情に厚く、正義感も強く、そしてファンキーなようにも見受けられる。
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by jd69sparrow | 2006-11-12 23:43 | 映画タイトル た行

DEATH NOTE the Last name

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デスノートを手にしたものにはある能力をデスノートの持ち主である死神と契約を結ぶことで手に入れることができる。 それは“死神の目”。 死神の目を持ったものは寿命を半分ささげることで死神が持つ人の顔を見るだけでその人の名前を見ることができるという能力。 第二のキラが参上、そしてそのキラこそ“死神の目”を持つものである。 キラとは、デスノートを手にし、他人の死を自由に操ることのできるものを指す。 すなわち生ける死神、言い換えれば人間界の死神とでも言えようか。 デスノートの力、ただ人の名前を書くだけならそれはその標的とされた人物は心臓麻痺により命を落とすこととなり、また詳細を付け加えたりするとその通りに標的は命を落とすのだ。 
 今回は「DEATH NOTE」の前編・後編のうちの後編「the Last name」。ここで前回の話を振り返ってみようと思う。
 夜神月は優秀な警察官の父を持つ大学生。 ある日“DEATH NOTE”と表紙に書かれた黒いノートを手にする。 手にしたことによりそのノートの持ち主である死神が見えるようになり、所有者になることを心に決めることでそのノートを使うことで人の生死を操ることができるようになる。 現代の犯罪が絶えない世界、法では対処しきれない現状に強く疑念をいだく彼はそんな世の中を一掃すべくDEATH NOTEで次々と犯罪者、また彼が犯罪者たちを一掃しようという計画を邪魔する者の命を次々と奪っていく。 しかし頭脳明晰の彼に匹敵する敵がいた。それはLという謎につつまれた探偵。 この二人の推理による駆け引きが物語を動かす柱でもある。  デスノートの所有者が二人になり、デスノートじたいも二冊となる。 L(竜崎)を始めとする警察の捜査本部は事件の解明に急ぐがこの二人のキラの存在がやっかいな問題となり苦戦する。 第一のキラ,夜神月(やがみライト)と月にとって最大の敵であるLの推理戦は果てしなく続く。 月はいまや、“死神以上に死神”と化し、ある意味で人の生死をわける征服者,あるいは支配者とでもいうようである。 彼の綿密な計画と頭脳は予想だにしないものであるが、それ以上にストーリー展開,さらに結末への流れは想像しえぬものとなっている。 第一のキラの後、第二のキラが登場と事件は急速に展開していくとキラを支持する者もますます増え、日本の世の中がキラ現象にみまわれている。 キラの標的の対象はキラとされる者の数だけ多く広がり、犯罪者という枠はとっくに超えてしまった。 それはキラの前に立ちはだかるもの全てである。 
 事件は月による練りに練った計画とトラップ、キラが他人の命を奪う方法の手段と広がりによりLたちは苦難をよせられ、L自身も窮地に追い込まれてしまうがそれは月にとっても同じで,綱渡りのような大きく危険なリスクを受けることとなるのである。 そしてキラ(=月)とLの推理バトルは最後の最後まで続き、見逃せない。 
 Lの意外な一面?も見ることができ、行動にも面白い点が多々あり。 彼はいつでもどこに行くにも甘いものを手放さないといった細々とした笑いどころもあった。 あのどこから出てきたのか、またどこで手に入れたのかという,ひょっとこの面も忘れがたいところ。 Lは間の抜けた印象を全体像から与えるけれど鋭い感性を持ち、推理力を持ちかっこいい部分も多いのも確か。
 月は悪に等しいけれど完全にその悪が否定できないのは月が気付こうとする新しい世界への考えの中に共感できる部分があるからであると思う。 主人公が悪、主人公の敵となるのが善というのも中々ないであろう。 彼が見る法の世界には確かな現実感が映し出されていると考えられるのだ。 しかし結局は善ではないと言えると思う。
 二人の死神リュークとレム。 全く違うタイプの死神である、その最大の違いがデスノートの所有者への見方というのは以前の記事で述べたと思う。 レムが第二のキラ,弥海砂(あまねミサ)にこだわる,その真実が今回明らかになる。
 月とLの心理戦もヒートアップしていく。 月もあらゆる方法で難をするりするりと逃れていくけれど、Lも針でつつくかのように鋭く月の思わぬところをついてくるととてもスリリング。 
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by jd69sparrow | 2006-11-10 16:21 | 映画タイトル た行