カテゴリ:映画タイトル は行( 136 )

ヒューゴ

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by jd69sparrow | 2012-03-03 20:08 | 映画タイトル は行

BEASTLY

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<あらすじ>
 主人公カイルは高校生。 キャスターの父を持ち,裕福な美青年だ。 カイルには欠点があった。見た目の美しさにばかりに こだわり、美しいものだけが世の中における勝ち組だと豪語する我儘な性格である。 皆にもてはやされるが、唯一人 敵視される人物がいた。それがケンドラだった。 彼女はいつもゴスロリ・ファッションを身にまとい、影で魔女とささやかれている。 カイルは そんなケンドラに傲慢な態度を崩さない。 彼女の怒りをかったカイルは ケンドラの呪いの魔法で 心の醜さを体現した”ビースト”の姿に変えられてしまう。
 呪いを解くカギは ”愛”。 一年以内に醜い姿のまま、愛することを知り,愛されれば呪いは解け、それが叶わず,腕に刻まれた呪いを示す花が全て開花すれば 永遠に呪いは解けない。 
 カイルに与えられたのは 己の心の醜さを知り、愛を学ぶことである。 呪いを掛けられ、カイルの脳裏に映ったのは 見た目より心の美しさを愛する,リンディの姿だった。 

<感想>
 『ビーストーリー』を一言で表すのならば、運命的な作品。 偶然が重なることで出会うことのできた作品である。 ディズニー映画で広く知られる,『美女と野獣』の現代版である。 もちろん、ディズニー版は個人的に もっとも好きなディズニー映画と言える。 だから この作品の存在を知った時、観ないわけにはいかなかった。本屋…本を通じて知ることが出来たあたり,不思議な縁を感じる。 
 作品のおおまかな設定は 新しい作り手たちによって考えられているオリジナルな面もあるが、基本は『美女と野獣』になぞられている。 それは “美女”と”野獣”の関係性から 意外なところまで行きとどいている。 ディズニー版との大きな違いと言えるのがビーストの力。 これも 解説にあるのだが 本作のビーストには 特別なパワーはなく ただ見かけだけが 醜い姿に変えられてしまったという点があげられるだろう。 個人的な第一印象としては フランケンシュタインや人造人間という あまりイイ印象ではなかった、しかし考えてみると現実にありそうなファッションのように思える。
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by jd69sparrow | 2012-02-06 19:19 | 映画タイトル は行

フライトナイト~恐怖の夜~(2012)

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<あらすじ>
 ラスベガス付近にある閑静な住宅街。 チャーリーは母親のジェーンと二人で暮らしている高校生である。 彼にはエドという親友がいたが,学園のアイドル的存在エイミーに好かれるために親友を捨て,新しい友人たちとオタクを脱出した。 チャーリーの隣に一人暮らしのジェリーが引っ越してきた頃、彼の身の回りで異変が起こり始めていた。 エドはジェリーがヴァンパイアであることを突き止め,チャーリーに忠告するが チャーリーは聞く耳を持たなかった。 しかし、エドに過去のコスプレ映像をネットに脅され,嫌々ながらも 行方をくらませたままのコスプレ仲間のアダムの家に調査するが,空振りに終わる。 二人が分かれ,その帰り道 “影”がエドの前に立ちふさがる。 ついには エドまでも 失踪。 翌日エドの家に訪ねると エドの部屋で 身が凍るほどの真実を発見するのだった。 それはエドの忠告を裏付けるもの。 ジェリーもまた,チャーリーが事実を知ったことを知り,チャーリーとその周りで殺戮を始め、そしてチャーリーは愛する人たちを守るべく,ヴァンパイアと闘うことを決意する。



<感想>
 鑑賞前後の印象で変わらなかったことは B級感である。 しかし、『トワイライト』など 人間とほとんど変わりないヴァンパイアものが 注目される中での 本作の登場は とても新鮮に思える。 甘いマスクの裏に獣としての本能が隠れている。
 モンスター・ジャンルとしてのヴァンパイア映画のお約束どおり,狩りの瞬間は 肉食獣そのもの。 ハイエナのようにも狼のようにも見える。 吸血鬼としての本性は 狩りの瞬間ではない…と私は思う。 人間に置き換えても言えることだが、本性という言葉に結びつくのは“怒り”。 “怒り”が頂点に達したとき,表に出るのだ。 それは長期的に蓄積されたり,瞬間的に爆発したりものする。 本作では 吸血鬼的な急所をついたときに現れるようだ(人間的にも言えると言えるかもしれないが)。 命に危機感を覚えた時、防衛本能が働き,それが あの醜い姿となる。 そう考えると モンスター・ジャンルの吸血鬼はとても動物的だと思う。 人間的に考えれば、怒りや憎しみに支配されてしまった時ほど、醜くなってしまう。 ここでのヴァンパイアは 本性の出る前後での差が大きく表現されているけれど、それは人間の恐ろしさの具現化ともいえるかもしれない。
 二十年以上前に一度後悔された,『フライトナイト』が最新技術を駆使しての,リメイクとあって とても現代的に表現はされているけれど そこにある空気は古きよき時代のものと言えるだろう。 殺戮者として,ホラーアクションの“恐怖”として描かれた時代,恐怖とパニックを感じさせるヴァンパイア映画がここにあるのだ。 個人的な見方としては 『シザーハンズ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で用いられた色彩で『ドラキュリア』というキャンバスに伝統的なヴァンパイア映画を描いているイメージ。
 “恐怖”から追われるという ハラハラ・ドキドキ感が終始続く本作。 次々と魔物の犠牲者となり、自分だけが取り残される…逃げ切れたと息をつく間もなく,魔の手に…というホラーの定番的な場面や いくら抵抗しようと何度も立ち上がり,次第に過激に追い詰めていく場面など色々ある中で、一番スリルがあり,刺激的だと思ったのは ダンサーのドリスとチャーリーの脱出場面である。 恐ろしい敵のアジトに忍び込むと,その敵が主人公の脱出前に戻ってくる“鬼ごっこ”なシーンは 特に珍しくはないけれど 主人公たちにとって恐怖で押しつぶされそうな場面というのは 緊張感がはしるけれど 同時に見所でもある。 ドキっとする瞬間を随所に散りばめながらも,中々 その頂点に達することはなく…と、思いきやの最後にサプライズ。 人の心を読み、五感が長けているであろう,ヴァンパイアの特性をわかってはいるけれど 観る側としては 主人公たちに感情移入し、彼らの観る景色・世界が
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by jd69sparrow | 2012-01-22 17:14 | 映画タイトル は行

ボビーZ

2011.10.4.Tue.

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【あらすじ】
自らが起こす問題により、刑務所を転々とするティム。
そんな彼は今日もまた暴力沙汰を起こし呼び出される。
しかし、彼を待っていたのは意外なものだった。 それは仕事の依頼だった。
麻薬に精通している,その世界では顔の立つ男,ボビー・Zに成りすまして欲しいということだった。
ボビーの顔はティムに非常に良く似ていたのだ。 
彼はボビー・Zに成りすますことで一人の少年と出会う。キッド。
キッドと出会うことでティムは逆転の人生へと突き進む。 陰謀の中で命を狙われながらも…。




【感想】
※途中見逃した場面もあるため、簡潔な感想ですが・・・

注目すべきまず一つは滅多に見れない?ポールのロン毛。 『ワイルド・スピード』シリーズの印象が強く、個人的には意外だったが,『指輪物語』のような時代ファンタジー系に登場しそうなイメージだ。 細かいけれど、本編では3パターンの主人公が。 ロン毛、ショート+ヒゲ、ショートの三つ。 どれもかっこよく見えてしまうあたり凄いなぁと思いながら鑑賞。
気のせいか、いや確実に各パターンで主人公の心境に変化があらわれているのが、とてもわかりやすくていいなぁと思いました。


刑務所では やたらと強面相手に喧嘩をふっかけてボコボコにされていたティム。
捜査官への態度に顕著に表れているように、一匹狼的キャラクターだ。
やられっぱなしのその件を観てからの,キッドとの逃避行中,銃を持った大男とのタイマンはギャップがあり,カッコいい(途中、観る場所を飛ばしてしまったから余計にかもしれないが)。
やられてばかりでは、やはり魅力にかけるし,必然的な場面と言えるだろう。


人は守るべき存在が出来た時、変われる。 強くなれる。
守る存在が出来てからの,ティムの責任感は明らかに強くなっていて,大きく変化している。 刑務所に入る以前からティムは孤独の中で生きていたということが読み取れる。
彼に一番必要だったのは、“家族”なのだ。
守るべき大切な人が出来ることで 人は大きく変われることが出来るんだなぁと感動。


最後のクライマックスは とても印象的である。 
絶対絶命のピンチに立たされたティムを救ったのはキッド。
「父さん!」の一言にグッときてしまった。
血のつながりのないティムを「父さん」と呼ぶのは凄い。
それだけ彼らの絆が強く結ばれたというわけだ。


主人公の変化は周りの心を動かすまでのものだったようだ。
そしてそれは 自分と彼らをも救う。 それが見所の一つだと言っていいだろう。
ティムは,心のない笑顔から、感情のこもった笑顔を取り戻す。
一言で言えば 心を取り戻したのだ。


次回は最初から最後まで観たい。
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by jd69sparrow | 2012-01-15 21:19 | 映画タイトル は行

ハリー・ポッターと死の秘宝 part2

2011年7月15日(金) 初日☆

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<概要>
 魔法界で最も恐れられる魔法使い・ヴォルデモート卿。 彼の死の魔法から唯一生き残った少年、ハリー・ポッターの物語。 ハリーはマグルと呼ばれる,非魔法族の家庭で育てれた。 ティーンになった頃、彼の元に魔法学校からの知らせが来た。 ハリーは魔法使いになる道を選び、彼の長い旅路が始まった。 ホグワーツへ入学したハリーを待ち受けていたのはかつて両親の命を奪った,ヴォルデモートとの戦い。 ヴォルデモートはあらゆる手段を使い、ハリーの命を狙うのである。 様々な出会いやヴォルデモートとの戦いを経て、ハリーと魔法学校で出来た親友・ロンとハーマイオニーはたくましく成長していく。 全てはヴォルデモートとの直接対決へと向かっていた。



<パート1までのあらすじ>
 ヴォルデモートが復活し、魔法界には暗雲が広がっていた。 ハリーたちはヴォルデモートを倒す手段として、いくつにも分散されたヴォルデモートの魂こと,“分霊箱”を追うことに。 そしてもう一つ、ヴォルデモートに対抗するためのものとして、ハリーの持つ“透明マント”を含む,死の秘宝が必要だった。 ヴォルデモートが死の秘宝の一つで最強の杖・ニワトコの杖を手にする前に阻止することと分霊箱を破壊することがハリーの使命であった。 ロンとハーマイオニーの二人と三人の冒険を描く。

<パート2のあらすじ>
 ニワトコの杖がヴォルデモートの手中におさめられ、頼りのダンブルドア校長もこの世にはいない。 そんな最悪な状況の中でもハリーたちは分霊箱・破壊の旅を着々と進めている。 ヴォルデモート率いる闇の魔法使いの勢力と、ハリーを中心とした,ホグワーツの生徒・教師、さらに“不死鳥の騎士団”(ハリーの護衛軍団と言うべきか)たちとの壮絶なる戦いの火蓋がきって落とされる。 全ての鍵を握るのがハリーとヴォルデモートとの闘いにある。 どちらかが滅び、どちらか一人が生き残る。 そして…ハリー誕生、ホグワーツ入学にヴォルデモートとの戦いの日まで,明らかになることのなかった真実が今、明かされる。


◆感想◆
 あっという間…。 シリーズ第一作目『賢者の石』の映画化から10年という月日が経った。 ハリーの魔法の力は10年を一瞬のように感じさせるほどのものである。 ハリーと共に子供から大人になるまでを生きたという人も少なくないはず。 つまりは、主演のダニエルと同世代の人たちは 特別に思えたことだろう。 全く同じ時間を生きたわけではないが私もその一人だ。  毎回、ハリー、ロン、ハーマイオニーは互いの長所で互いに助け合い,知恵を出し合いながら ヴォルデモート(ハリーの天敵)と,あるいは その使いたちと戦い,三人は大人の魔法使いに劣らぬ力をつけていくというのが特筆すべき,見所である。
 『ハリー・ポッター』の魅力はそれだけではない。 映画を観るたびにシリーズ一作目から原作を読みたい意欲をそそられるということがまず一つ。 子供たちを楽しませる話から、次第に大人向けの作品へと進化していくのも他に中々観れるものではないだろう。
 今回の『パート2』。 一言で言うなら 最高に面白く,完成度が高い。 ただ、注意すべきは前作までを観ずにいきなり観ないこと。 出来ることなら、原作か映画シリーズを先に読んで,観ることを薦めます。 前作までを劇場で観ていても、おさらいするべきかもしれない。  
 シリーズものというのは あとに行くにつれて質が落ちてしまう事もあるが、一切落ちることなく,むしろ後半戦になるとより楽しくなる。 決して明るい話ではないけれど 盛り上がるところは凄く盛り上がる。 原作が面白いから 映画もシリーズ通して 良いのだというのも事実だけど、『スター・ウォーズ』シリーズと肩を並べるくらい,映像・内容それぞれレベルが高い。 二つに共通するのはそれだけではない。 前作までの感想の中に書いてかもしれないが(原作の感想などで) 今回の『死の秘宝』のクライマックスは SWのを観ていると同じくらい観るのが辛い。 両作品の主人公ともにダークサイドの力におされるところも。 ただ、ハリーの場合は堕ちることはない。 
 『パート2』で注目すべき点は多々あるのだが、まず一つはハリー以外のキャラクターたちの活躍。 もちろん、ハリーも凄い。 主人公を支えるキャラクターの中で何人か例をあげると、ウィーズリー婦人、ネビル、マクゴナガル先生、アバーフォースがそうだ。 
 ウィーズリー婦人が魔法を使う場面と言えば、ハリーたちがロンの家を訪れた頃,家の食器をひとりでに動くようにしていたのが個人的には記憶に残っており,戦いのための魔法を使っているのを観るのはギャップがあるし、驚いた。 べラトリックス(ハリーの良き理解者の一人・シリウス・ブラックの家系の一人だが、ヴォルデモートを崇拝)との女のバトルは劣勢に思われたが…実は強いのである。 それが凄いと思った。 魔法バトルじたいもどの場面も 凄いけど、敵の最期の描き方が美しい。 それはこの女のバトルもハリーとヴォルデモートとの闘いにも言える。
 ネビル。 ホグワーツ入学から、一番成長が際立つのがネビルと言っても過言ではない。 人より失敗が多くて、スリザリンから馬鹿にされていた彼が,薬草学の才能が発掘された時も 良かったけれど 今回の活躍は主役級。 ネビルのたくましさに かつもくせよ!! という感じ。 ネビルが終盤で手にするモノに驚いたけれど、それは 彼にふさわしきもの。 それを手にして,使いこなすところが爽快。 ハリーの寮友には頼もしい存在が多いのだと思った。
 マクゴナガル先生の魔法は彼女が登場する全ての作品において凄いなぁと思うのだが、“最後の戦い”が今、始まる…というとき、陣頭に立って防御の魔法を使うところはカッコいい! ホグワーツの城にはこんな兵力があったのか!と思うし、その登場場面にも興奮。 特に描かれてはいないけど、彼女が次期・ホグワーツ校長となるであろうことが見えるシーンと言えるだろう。 「この魔法、使ってみたかったのよね♪」というチャーミングさが面白い。 このように、映画全体が暗めの中にもユーモラスの場面は少なくないのだ(ハリーとジニー(ロンの妹)の再会後、ジニーの言動に対する,ロンの一言がツッこまれる場面もその一つ)。
 アバーフォース。 アルバス・ダンブルドアの弟。 アルバスとは対照的な性格の持ち主で ぶっきらぼうのようだが、実は慕われる存在。 それは、グリフィンドール寮の仲間たちとハリーたちとの再会の直前に彼らがネビルにつげる一言からわかるだろう。 彼の活躍は、ハリーの良き理解者亡き後から既にあったのだ。 さらにクライマックスで敵勢力を一括するかのごとく,魔法をドカンと使うところは兄以上にかっこ良い…かもしれない。
 ハリーの仲間のみならず、ダークサイド側のキャラクターにも注目したい。 べラトリックスは邪悪さを体現した一人だが,その強さに魅了される人も少なくないはず。 ヴォルデモートすら魅力的…というか、敵が魅力的でなければ、面白くないのだ。 ニワトコの杖の威力を体現するヴォルデモートの魔法場面は見所の一つだし、カッコいいとも思う。 余談だが、ある程度の特殊メイクはされているだろうが、あのスキンヘッドが本物なところが凄い。 さらに。関係ないが、オフトークも動画サイトなどで是非ご覧いただきたい。 ハリー、ヴォルデモート、ドラコ・マルフォイを特に。
 シリーズを通しての変化に注目すべきキャラクターはネビルたちだけではない。 ドラコ・マルフォイもその一人。 ハリーのいるグリフィンドール寮と敵対するスリザリン寮でマグル嫌いのマルフォイは、シリーズ前半は意地悪な存在だったけれど、ヴォルデモート復活後は それまでと大きく変化している。 心の葛藤、苦悩が窺えるになり、その様子は まるで これはもう一人の主人公かのよう。 実際、そうと言えるかは観る人しだいだが。 決意を試される,終盤の“あの”瞬間も心から望んでいないのがよくわかる。 ハリーへの最後の意地悪もあるけれど、そのやりとりの行く末、絶体絶命の時,ハリーへ手を伸ばすとき,敵対心は一切ないように思えた。 マルフォイにあったのは純粋に救いを求める心だったと思う(ハリーがマルフォイを助ける優しさがヴォルデモートとの大きな違いな一つなんだなぁと思う)。卑怯に見えるかも知れないけれど、彼ら一家だけは ヴォルデモートに完全に屈服しておらず、家族が再びそろうところも,母が子を案ずる場面も温かみがあるし、マルフォイ母がハリーにとった行動は とてもダークサイドには見えなかった。
 防御の魔法をかける瞬間(ここらへんもSWの一場面を彷彿させる気がする)、ジョージとフレッド(ロンの兄で双子)やルーピン(ハリーの恩師で不死鳥の騎士団員、人狼)たちが戦いの覚悟や決意を見せるところから、この大掛かりな魔法バトルの興奮は始まっている。 それは期待を裏切らないと思う。
 ダークさ、ユーモア、スリルなどがある中で、もう一つ大事な今回の要素としては感動。 感動は意外な人物から発生される。 既に原作を読んで感動していたのだが、やはり映画でもその感動は変わらない。 スネイプがダンブルドア校長に誓った,忠誠と役目…それに 衝撃的でハリーの恨みをかう,シリーズ終盤の“あの”場面の真実も感動ポイントに入るであろう。 そして奇しくも,ここでスネイプのイメージはがらっと良きものに変わり,それは シリウスがハリーの名付け親でジェームズ(ハリーの父)の親友だとわかったときほど,ハリーにとって大きいことだった、それが本当に感動したのである。 涙が出なかったのが悔しい。 そしてそれがカタチとなったのが ハリーの子供の名前が明らかにされる場面。 二人の恩人の名前がそこにあり、彼らがその息子の中で生きていることがわかる。
 そして。 一番の魅力はやはり、ハリーとヴォルデモートの最終対決場面。 (それはハリーに隠された衝撃的な真実から始まる)。 ハリーがヴォルデモートの魔力に匹敵するというのが まず凄い。 長いようであっという間に決着がつく…という感じ。 その激しいバトルの中で休息場面を入れるところを含め、完成度の高さがこの一場面で表現されている。 一筋縄ではいかない二人の闘い。 決着がつく瞬間は実に鮮やか(そこにネビルが一躍かっているのも凄い)。 そしてその直後の のどかさ は最初で最後の特別な瞬間。 
 『パート2』はハリーたちの成長の集大成。 ここまで強くなったんだよというのもあうし、もう一つ重要なのが、ヴォルデモートとの“違い”を表す物語であるということ。 言い換えれば、ヴォルデモートと同じ力を,一部を持ちながらも“ここが違う!”ということを証明した話。 シリーズが完結してしまうのは とても寂しい。 今回の話は特に 二度観ても楽しいと思う。 繰り返すようだが、ここまで観終わってから、もう一度 映画もしくは原作をシリーズで復習するのもいいかもしれない。


◎満足度◎
★★★★★(満点)…100%以上
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by jd69sparrow | 2011-12-29 21:29 | 映画タイトル は行

パイレーツ・オブ・カリビアン At World's End

2011.6.5 Sun.


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<『デッドマンズ・チェストのあらすじ>
 キャプテン ジャック・スパロウは、ブラック・パール号の船長。 しかし、パール号には中々長く乗ることが出来ない。 ジャックはバルボッサとの戦いの後、パール号に戻るが かつて パール号の船長になるために交わした,“デッドマンズ・チェスト”のツケを返す時が迫っていた。 フライング・ダッチマン号の舵を取る,デイヴィ・ジョーンズとの契り。 ツケの清算することを拒むジャック。 彼の野望は鍛冶職人ウィルと総督の娘エリザベスを巻き込み、ジャックは、ディヴィ・ジョーンズに捕らわれ,死の世界へ。 ウィルやジャックの相棒・ギプスらは、ジャックを救うべく立ち上がり、そのための切り札として現れたのは 死んだはずのバルボッサだった…。

<『ワールド・エンド』のあらすじ>
 東インド貿易会社は、海賊たちの気ままな生活を脅かす天敵。 そして海のモンスターと化したディヴィ・ジョーンズ…バルボッサたちの目の前には強力な敵が立ちはだかっている。 東インド貿易会社を牛耳るのが ベケット卿。 ベケット卿は,権力を駆使し,ディヴィ。ジョーンズの心臓をにぎる。  それは、海のモンスターと権力者が手を組んだことを意味していた。 彼らに対抗するのは、世界の悪名高い選ばれし海賊長の召集と海の女神カリプソを“解放”することである。 
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by jd69sparrow | 2011-12-16 22:56 | 映画タイトル は行

パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉 -On Stranger Tides-

2011年5月21日(土)


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<あらすじ>
 “生命の泉”。それは、永遠の若さを手にする力が宿る場所である。 この存在を知った,スペイン、イギリス、そして海賊・黒ひげは,生命の泉へ行き着くべく,航海に出る。 しかし、生命の泉を知るはキャプテン・ジャック・スパロウただ一人。 ジャックはかつて愛した女海賊・アンジェリカの罠にはまり,黒ひげの船“アン女王の復讐号”に乗せられる。 予言者から、ある義足の男により,その身を滅ぼされる運命から逃れるため,黒ひげがジャックに生命の泉へ案内させるためだった。  イギリスの船には、英国へ寝返ったバルボッサと,ジャックの友・ギプスの姿が。 しかし、二人の目的は“生命の泉”ではなかった…。
 ジャック、バルボッサ、黒ひげのそれぞれの野望が交差し,死闘が繰り広げられ、さらに黒ひげに捕らわれた宣教師・フィリップと人魚シレーナの禁断の恋がある。 “幻影の航海”を経た彼らが行き着く先とは…?


<感想>※以下、ネタばれに注意!!
 『パイレーツ・オブ・カリビアン』の魅力は様々あるけれど、シリーズを通して揺るがないもの,変わらずにあり続けるものがあることが一つあげられるのではないかと思う。 ジャックは主人公であり,目立つ存在でありながらも 前へ前へと出るわけではない。 「彼を取り巻く人々に影響を与える存在」だと言われるように,常に物語へ「アクションを与えるのがキャプテン・ジャック・スパロウなのである。 物語を面白くする“刺激”とも言えるだろうか。 ジャックが成長するのではなく、ジャックの周りにいる人たちを彼が意図せず成長させるのだ。 ウィル、エリザベス、アンジェリカ、フィリップ…彼らは皆,仮面を脱ぎ捨て ワイルドに成長し,180度違う未知の世界へと旅立つのだ。
 さらにあげれば、ジャックの目的は常にブラック・パール号であり、愛よりも自由を好む。 さらにジャックとギプスとの絆の強さ。 永遠の命より、ブラック・パール号…永遠を求めるならば、自分の名が生き続けるということの方が大切。 ゆるキャラのようで実は、誇り高き海賊なのである。 最終的に船を選ぶことにやっぱりジャックはジャックなのだという安心感を覚える。
 シリーズを通して、ジャックたちに立ちはだかる驚異的な存在がいる。 第一作目は、生きる屍,第二・三作目では“深海の悪霊”…そして今回は「人魚」。ゾンビよりも,人魚だ。 ここで登場する人魚は獰猛で、まるで海の吸血鬼。 正確には、血を吸うのではなく 人を食らうのだから,美しい人食い鮫とも言えそうだけど 前者の方がしっくりくる。 美しく魅惑的だけど、実は死よりも恐ろしい存在、動くスピードも人の倍はあるだろう。 そして太陽の光が弱点ということなどの共通点がある。 しかし、不思議なのは 陸では魚の尾ひれが消えて,人間の脚に変わるということ。 さらに不思議なのは脚を使いこなせないことである。 考えてみたら、太陽の光に弱いという設定は、本作オリジナルなのだろうか。 空気がないと生きられないという点においても、半分人間であることから理屈としてはわかるけれど、想像したことがないだけに驚いた。 そう言われてみれば当然か、と。  
 四作目からでも、十分に楽しめる本作。 前三作を観ていると,さらに面白いはず。 ジャック、バルボッサ、ギプスの三人以外が全て新しいキャラクターとなり,ストーリーが一新された。 全く新しいジャックの航海が始まる。 黒ひげ、アンジェリカ、フィリップ、シレーナの四人が新たに登場。 今回の話で誰に焦点をおくかについては観る人の自由だ。 むしろ、観る人が選択できるのだと思う。 この誰もがスポットあたるに値するのだから。 
 過去のシリーズと違う点。 全く新しいストーリーというのは前述したとおり。 しかし、もう少しあげるのならば、ジャックの剣さばきに人を欺くことに秀でた…いわば、“女性版・ジャック”ことアンジェリカの存在や,ジャックの活躍が広がったこと(個人的に裁判長のコスプレをしての冒頭での登場、馬車でのアクション、両腕つかまれて、引きずられながら英国に出頭する場面のあたりが面白いと思う)。  とはいえ、コミカルな展開など、これまでの精神と持ち味が活かされているのがイイ。
 新しい冒険に出ても、原点に戻るところもこの映画の面白いところだ。 先も述べたようにジャックはやっぱりパール号を取り戻したいという目的のみで動いているということが まず一つ。 あともう一つはバルボッサだ。ジャックに影響されたのか、はたまた ジャックとは似たものどうしなのか…彼もまたジャックに負けぬ策略家ぶりを発揮している。 バルボッサの帽子がその頭に戻ってきた瞬間、『呪われた海賊』の結末で鼻歌まじりで舵をとるキャプテン・ジャック・スパロウの復活の瞬間を思わせるワクワク感を覚えた。 良い意味でバルボッサもやはりバルボッサだったわけで、期待を裏切らない。 将校として船に経っていても、その独特の話し方は海賊にしか思えない。 そんな姿を観て、バルボッサも『パイレーツ』の独特な世界観を作り出しているのだと実感する。 ジャックがストーリーのユーモアならば、バルボッサは海賊の恐ろしさや魅力などをかもし出している。 この悪友は『パイレーツ』シリーズには欠かせない。 
 片足が義足となったバルボッサ。 その姿を観ると『ワンピース』の“赤足”を連想してしまうのは私だけだろうか。 とはいっても、バルボッサのような腹黒いイメージは、“赤足”にはないが。 第一作目で一度は倒れた彼が、シリーズを通して登場するのは、腹黒い以上にユーモアや不思議と愛着のわくキャラクターだからかもしれない。 しつこいようだが、ジャックとの「からみ」が面白く,『パイレーツ』には必要不可欠なのだ。 やっぱり、海賊としてのバルボッサをファンとしては観たい。 だから、最後の場面は嬉しい。 主人公ではなく、彼が一番おいしい所,とどめを指すのもストーリー設定上前もって触れていても 意外というか面白い。 まさかまさか、(個人的に)ジャックが足を失うことになるのか?なんて とんでもない想像をしてしまっただけに。
 今回の話を観て、気になることは フィリップとシレーナがどうなったかということ。 いくつか憶測は出来るのだが 観る側の想像に任せる…というような感じ。 結局そうなったか…となるのか、それともハッピーエンドなのか。 そして、もう一つが ジャックとアンジェリカが再び顔を合わせる日が来るのかということ。 つまり、シリーズが続くのかだ。 もし可能なら、希望を持ちたい。
 最後に。 トルトゥーガ、バルボッサの“帰還”、アンジェリカが置き去りにされる,“あの”孤島(ここでのジャックの決断が彼らしく、面白い)などの場面を観て ちょっとテンションあがった。 前半に触れたように 『パイレーツ』シリーズの原点に戻ったからである。 
 ディズニーランドの『カリブの海賊』に、黒ひげやアンジェリカ、シレーナが登場したらいいのになぁ。 全然関係ないけど、ディズニーランドと言えば…今回の映画の“アン女王の復讐号”の帆に、気のせいか隠れミッキーがあったような…? 穴のカタチが。 DVDになったら確かめてみようと思う。 間違ってたらすみません…。
 

◆満足度◆

★★★★★ 星5つ

→何も考えずに楽しめます(^_^ ♪
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by jd69sparrow | 2011-12-10 17:40 | 映画タイトル は行

ヘラクレス

2011年4月21日(木)

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<あらすじ>
 ギリシャ神話の時代。 全能の神ゼウスに待望の子・ヘラクレスが誕生する。 しかし、神の子の誕生とゼウスが王である世界を快く思わないハデスはゼウスの統一する世界を支配するべく、ヘラクレスの命を奪うことを試みる。 子分のペインとパニックにその役を命じるが、失敗。 しかし、一命をとりとめたものの,ヘラクレスは不死身ではなくなり,人並みはずれたパワーだけが彼に残ったのだった。 そして、人間の世界で暮らすこととなる。 
 人の手で育てられたヘラクレスは少年へと成長し、自分が何者かであることを知る。 自分が神の子であるということを…。 人間の世界では孤独な彼は,自分の生まれたオリンポスに帰るためにゼウスから,「地上で本当のヒーローになる」という課題を与えられるのだった。 
 18年間。 それは、ハデスにとって待ちに待った時間だった。 しかし、ヘラクレスがまだ生きていることを知り、人間のメグを利用したり,ヒドラなどの悪の化身を使い、ヘラクレスの命を狙い,ヘラクレスは“本当の”ヒーローとなるべく,フィルやペガサスの力を借りて、ギリシャの民を救うべく,ハデスが繰り出すモンスターと戦うのだった。

<感想>※ネタバレ注意!※
 ディズニー・アニメーションは、作品のイメージによって絵のタッチ・テイストが変わる。 『リトル・マーメイド』、『アラジン』、『美女と野獣』などの作品が個人的にディズニーのイメージと思っていた。 おそらくは基本はそこにあるのかもしれない。 けれど、『ムーラン』や『ポカホンタス』など違ったテイストのものも少なくない。あるいは、ひとつの作品の中に基本ベースと違うテイストとが同時に存在することもある。 『ヘラクレス』は、ディズニー・アニメーションの作風は感じさせるものの,他の作品とはまた違う。 新たに誕生したディズニーアニメーションという感じ。 公開されたのは10年以上前の97年だけれど、こうして過去の作品を振り返ってみると、ディズニー作品には多種多様なタッチの映画が存在するのだということに気づかされる。 壁画に描かれるような絵にディズニーの風味を加えたという感じなのが『ヘラクレス』である。
 ピクサー作品でよく、過去の作品のキャラクターが隠されているというオマージュがあるけれど、通常のアニメーション作品にも“それ”があるのは知らなかった。 わずか数秒の場面だけど、忘れられない。 『ライオンキング』の悪役スカーの毛皮を頭にかぶったヘラクレスを観た時は驚いた。 しかも、ファッションとして意外とヘラクレスに しっくり合っているのが面白かった。 床に落ちた毛皮は スカーが本当に横たわっているかのようだった。 
 『ライオンキング』はディズニー映画の中でも名作中の名作だと私は思う。 そして名作の要素や魅力は後の作品にいろんな形で引き継がれるのだと思う。 “似通ってしまう”というだけかもしれないが。 人物的に言えば、ゼウスがムファサ、ヘラクレスがシンバ、ハデスがスカー。 主人公、その父親、悪役と考えれば 考えずとも それは当てはめられるのだが、ゼウスと兄弟関係にあるとなると より近く感じる。 内容的に『ライオンキング』を思わせるとするならば、おおまかで見たときの物語の構成がまず言える。 物語は王の子の誕生から始まり、王とその子供をねたむ王の兄弟は、王の治める国をのっとるべく,その子供を罠にはめる。 子分たちは王の子の始末を命じられるもギリギリな所で失敗する。 そして、主人公の大人になるまでの肉体的と精神的の成長が描かれている点だ。  ここまで考えるとスカーの毛皮の登場にも納得できる。
 意外だと思ったのは『ヘラクレス』がコメディであることだ。 それと、ストーリーのノリがモダンであること、ヘラクレスのキャラクターもそうだ。
 『キングダム・ハーツ』(様々なディズニー・キャラクターが勢ぞろいのゲーム)の登場人物とし出てくるヘラクレスと比べると かなりかけ離れたキャラクターなのである。 オリジナルとなる映画版のヘラクレスは 凄く純粋で頭が良いとは言いがたい。 ちなみに『キングダム・ハーツ』では、主人公を助ける立場にあり、幼さなどない オリジナルとは正反対なキャラクターである。
 ギリシャ神話の世界を描いたアニメーションということで、もう少し硬い内容かと思いきや、そんなイメージを払拭した,ノリが良すぎるくらいで現代のヒーローものという感じの作風である。
 ディズニー映画『ヘラクレス』は、『ライオンキング』同様,主人公の誕生から大人になるまでの成長を描いた作品。 個人的にそういうストーリー展開の話が好きだ。 体だけでなく、心もたくましく成長していく過程は見所だ。 “真のヒーローになること”というのが『ヘラクレス』の最大のテーマで、それがイコール,(ヘラクレスが)神となるということ設定は魅力的なのである。
 個人的に、『Go Distance』という少年時代のヘラクレスが歌う歌も過去のディズニー作品の中で最もパワフルであり,主人公自身だけでなく観る側も元気付けられる素晴らしい楽曲だと思う。
 単純明快で明るく盛り上がる内容の『ヘラクレス』。 作中のギリシャの人々が巨大なモンスターたちに立ち向かうヘラクレスへ“奇跡”という“期待”を持ったように,観る側もそのギリシャの人々と同じ気持ちで観ることができるだろう。 半神半人である元々のヘラクレスに見合うような結末である。 ヘラクレスが神より人を選ぶことに感動した。
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by jd69sparrow | 2011-11-16 01:31 | 映画タイトル は行

ブラザーベア2

2011年4月21日(木)

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<1のあらすじ>
 昔、はるか昔。 狩猟民族イヌイットの青年キナイは,成人を迎えてまもなく、熊によって兄を失う。 怒りに身をまかせて、熊に復讐しようと試みたキナイは グレイト・スピリッツの力…兄・シトゥカのパワーで 熊の姿に変えられてしまう。 熊になったキナイは 母親とはぐれた小熊・コーダと出会い,冒険を通して彼らの間には“兄弟”という絆が生まれ,一度は人間に戻ることを望んだキナイだったが 熊として生きることを決意する。

<2のあらすじ>
 キナイが子供だったころ,幼馴染のニータへ友情の証として,お守りをプレゼントした。 そこで大きな“絆”が結ばれるのだった。 月日がたち、季節は春を迎えようとしていた。 恋の季節に…。
 熊としてコーダとともに森で暮らしていたキナイ、一方 ニータには婚約者アトゥカがいて,結婚を誓う日を迎えていた。 しかし、ニータが相手と誓いの証を結ぼうとしたその瞬間、スピリットの意志がくだり、ニータはシャーマンから キナイからのお守りを思い出の場所でキナイと共に燃やさない限り、結婚はできないと教えられ、熊と放せる力を授かり,森へと旅立つ。 


<感想>
ネタバレ注意!※
 ディズニーの描く動物たちの世界はとても魅力的である。 『ライオンキング』に続き、動物たちが野生で暮らす自然界を舞台にした映画『ブラザーベア』もとても魅力的な世界が描かれている。 サバンナから山の大地へ…と、くると今度は海の世界という期待がふくらむのは私だけだろうか。 『ライオンキング』とはまったく違うテイストではあるけれど、『ライオンキング』では“サークル・オブ・ライフ”で,『ブラザーベア』では“グレイト・スピリット”と何か通じるものを感じる。 話はそれるが、グレイトスピリットと,空に雲のような形で登場するムファサは似ている気がする。
 ニータはシャーマンから、過去にお守りを通じてキナイと絆が結ばれているため, 絆の証を燃やさない限りアトゥカとの結婚はできないと告げる。 摩訶不思議な力が存在しても,人と人を結ぶつながりはその力は及ばないのだということが作品全体から伝わってくる。 キナイとニータを再び引き合わせたのは、果たしてグレイト・スピリットの力なのか…。 しかし、幼いころに結んだ,友情の絆が愛の絆となって,キナイとニータを結ぶだなんて、素敵だなぁと思う。
 人と熊との…犬以外の動物との冒険というのはとても珍しいけれど、それ以上に(元は人間とはいえ,)熊と人との恋愛を描いたラブコメ(?)は珍しいだけに新鮮に映った。 しかし、動物と人の恋愛とはいえ、そこに描かれるは 普通の人間の男女の光景に見えた。 再会後のキナイとニータとの距離が次第に狭まってくのが,今回の続編の最大の魅力と言えるかもしれない。
 どういう結末を迎えるかというのを 作品を観ながら 何通りか想像していたけれど、最高なハッピーエンドである。 今回の結末の他に このまま現状維持…つまり、ニータはアトゥカと結ばれるが、イヌイットとキナイとはじめとする熊たちと楽しく暮らすという展開や,キナイだけでなくコーダも人間となる展開などの想像したけれど、三つ目に想像したニータが熊に…という展開という形におさまった。 三つの中で最高な結末と言える。 キナイはニータとの愛も、コーダとの兄弟愛も得るのだから。 ニータが熊になるのは想像はしたものの,意外だった。 幼いシンバ、大人のシンバにナラを同時に見ている気がした。
 『美女と野獣』では野獣から人へと変わる場面が美しく描かれ、個人的には魅力的に感じたのだが、『ブラザーベア』ではその逆である。 グレイト・スピリッツの力で人から熊に変わる場面は実に神秘的で美しい。 しかし両作品ともに共通するのが 動物であるときの表情豊かさである。 表情が動き、それにあわせて毛並みも動くところが繊細に描かれている。
 『ブラザーベア』は ファンタジーな世界であり、非現実的に見えるけれど イヌイットがグレイト・スピリットを信じるように、不思議な力により導かれた運命を信じたくなるときが現実にもあるのは事実と言えるであろう。
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by jd69sparrow | 2011-11-15 18:21 | 映画タイトル は行

ファンタジア

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<内容>
 クラシックの名曲の数々をディズニーの解釈による,映像(アニメーション)化されたのが本作である。 自然、オリンポス、動物、死の世界に,魔法の世界…などなど様々な媒体を使って、音楽から感じ取る事の出来るイメージが具現化されている。

<感想>
 『魔法使いの弟子』と聞くと、2010年に公開された,ディズニーの同名映画を想像する方も少なくないだろう。 しかし、それは数多くあるクラシックの一つに過ぎない。 それに驚いた。 さらに驚いたのは 『ファンタジア』では、『魔法使いの弟子』の部分…というか、個人的にイメージしていた部分がごくわずかな時間だったということである。 想像していたのは、ミッキーが崖っぷちで楽しそうに魔法を使うとか、箒たちが歩き出したり、デビルみたいなの(ナイトメア?)が登場する話というイメージであり、それは一つのストーリーでつながっているという勝手な思い込みがあった。
 一昔前に、東京ディズニーランドのアトラクションにあったアトラクションにこの『ファンタジア』で登場するようなサウンドトラック君や、デビルを見ることができた事をふと思い出した。 それほど、『ファンタジア』はディズニー・アニメーションの中では名作なのである。 70年をたった今も、その魅力は朽ちる事は無い。 色使いが芸術的であり、音楽からこれ程までの想像力が生まれるということに感動する。 クラシックと問わず、音楽を音だけで聴くとき,よくその曲からそのイメージを頭に思い浮かべる人は少なくないはず。 私もその一人だ。 どういう曲かどうかは、作った本人が知りえるものだが、色々な解釈により,その世界は幾重にも広がるもの。 音楽の世界を心で描くイマジネーション。 その楽しさを教えてくれるのがこの作品の魅力と言えるだろう。 音楽を具現化するとき、その人により多種多様の表現が出来るのだ。
 個人的に好きな場面と言ったら、最初にイメージとして浮かんでいた通り、ミッキーの登場場面とナイトメア?の登場場面だ。 ミッキーの登場する,「魔法使いの弟子」を観ていると,2011年に登場したばかりの東京ディズニーランドのアトラクション『ミッキーのフィルハーマジック』を思い浮かべれる。 ドナルドがアトラクション・ムービー内でそうしたように、こっそりと魔法の帽子をこっそり拝借するミッキー。 まるでドナルドのようである。
 ナイトメア?の登場の場面は終盤。 西洋の閻魔大王とでも言うべきなのだろうか。 夜の墓場は地獄の世界。 ナイトメアのもとに死者たちが集まる,この絵図は地獄の世界としてイメージづけられるものに違いない。 しかし、ナイトメア?が何をしようとしているのかは、よくわからない。 ここで描かれる世界は、ナイトメア?一色になっているのかと思いきや、“ナイトメア”の言葉の通り,リミットがあるというのは とても意外だった。
 しかし全体としては、ディズニーのイマジネーションの具現化にただただ,感動し、その(ディズニーの)世界観を楽しむ…あるいは「知る」内容になっている。 言葉なくしても、イマジネーション一つでこの作品は楽しむことが出来る。
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by jd69sparrow | 2011-10-22 00:02 | 映画タイトル は行