カテゴリ:映画タイトル は行( 136 )

ヒックとドラゴン How to train your Dragon

2011.3.6 Sun.
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<あらすじ>
 主人公ヒックはバイキングの一人息子。 ヒックの暮らす島では皆、バイキングで日々、ドラゴンと戦っている。 ドラゴンを倒すこと、それがこの島のバイキングの全てだった。 ヒックは外に出れば、トラブルを起こしてしまうため、バイキングと認められていなかった。 しかし、ある日。 ドラゴンの中でも最強と言われる,“ナイト・フューリング”に自らが作った武器を命中させたことでヒックの運命は切り開かれることになるのである。ナイト・フューリングは 何も奪わないけれど 狙いは百発百中で その姿を見たものは ほとんどいない。 存在こそ知られていても、その正体を知るものをいない,謎めいたドラゴンだ。
 ヒックにもバイキングの戦士としての訓練を受けるが来たが、初めて目にするドラゴンに腰がひけてしまう。一匹のドラゴンをしとめたことを皆に認めてもらうことをあきらめきれないヒックは、打ち落としたドラゴンを探しに森へ出かける。 そこでついにナイト・フューリングを目撃するが、傷ついて弱っているうえに,攻撃の意思もないドラゴンを殺すことなど出来なかった。 その日からドラゴンを“トゥース”と名づけ,一人と一匹は友となる。 トゥースと付き合っていく上で、ヒックは次第にドラゴンを知るようになる。

<感想>
 「ドラゴンはたくさんの人間の命を奪った」「だけど自分達もその分、ドラゴンの命を奪った」というヒックと父親の会話場面が印象に残っている。 この言葉の背景に現実的なものを感じたからだ。 どうしても私達人間は自分達の観点で考えがちであり、敵対するものや自分達と違うもののことを理解できない傾向がある。 攻撃すれば、相手も攻撃する…それは、どちらにとっても守るべき者があるということが一つ言える。 守るために戦うのだ。 もっと、身近に考えれば、犬や猫もこちらが恐怖心を抱いたりしたとき、警戒するのと同じ事だろう。 自分達と異なる存在に対して理解を示す事が「大切なのだ」と言ってる気がする。  恐ろしく見えたどろごんが、まるで草食動物のように穏やかになる瞬間は目の前に遊びたい盛りの犬がいるかのような感覚を覚える。 人間もドラゴンも臆病ゆえに 人間は武器を持ち,ドラゴンは牙をむく。 その恐怖心を捨てる事さえできれば、違う生き物どうしでも理解できるのだと言える。 映画を観ているときは、ただ楽しんでいたけれど 見終わった後に、振り返ってみると その作品の深さに気づくのである。
 個人的にはドラゴンのイメージというのは、『眠れる森の美女』で登場するような漆黒のドラゴンを想像したりするのだが、ここでは個性豊かで,色鮮やかなドラゴンがいる。 中にはとても愛くるしいものもいる。 カッコいいばかりがドラゴンではないのである。 コメディタッチに描かれたりもするし、子どものように可愛いものもいる。 トゥースがその後者にあたる。 子どものような可愛らしさと、ペットのような愛らしさがある。 だけど、イザと言う時は「最強」の名にふさわしい活躍を見せるというギャップがとても魅力的だ。 ヒックともう一人の主人公,それはトゥースなのだ。 猫や狼をモデルにした顔はとても表情豊か。 目を細く警戒していたトゥースが、目を丸くした瞬間の可愛らしさったらない。 ヒックが初めてトゥースに触れた瞬間から、ドラゴンと言うよりもいつも尻尾をふっている犬にしか見えなくなったのは私だけだろうか。
 尾の翼を失ったトゥースをなんとか再び飛べるようにしようと、試行錯誤を重ねるヒック。 その歩みの過程が見所だと思う。 トゥースを空に飛ばすには、トゥースを理解しなければならない。 友と友情を築き上げるのがそうであるように トゥースへの理解につとめるヒックは、それによって頼もしく成長していくのである。 トゥースの背中につけた鞍を自在に使い,空を駆け抜ける場面は爽快である。 
 『ヒックとドラゴン』の原題は『How to train your Dragon』。 そのまま訳せば、「あなたのドラゴンを訓練する方法」となるが、これはあまりにも不自然すぎる。 トゥースとヒックの間に友情が生まれるように「ドラゴンと仲良くなるには」とか、「ドラゴンをわかちあう方法」などの方が自然な気がする。 ドラゴンを鍛える場面は一切ないからだ。 話はそれるが、映画ではドラゴンを「ペット」と表現されているが、あくまで共存というべきだろう。 
 ヒックとトゥースの友情だけでなく、背景には父と息子の絆の物語もある。 バイキングのリーダーであるヒックの父・ストイックとヒックの絆はドラゴンを通じて、ようやく強く結ばれるのは とても素敵だなぁと思う。 何事も、偏見で観てはいけない。 一歩引いて、相手のことをよく見つめ,理解するべきなのだとストイックは、息子とその友であるドラゴンから学ぶことから、ある意味で父親の話でもあると思う。
 絆の物語があって、そして…ドラゴンライダーとして, バイキングの未来のリーダーの顔となったヒックの物語でもある。 ドラゴンとの壮絶な戦い、ドラゴンの魅力…などなど 色々な角度から見ることの出来る作品と言えるだろう。 
 この作品の原作はシリーズ八作まであるといい、今後 これらが映画化されることがあるのだろうか。 個人的には期待しいてるのだが。
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by jd69sparrow | 2011-10-14 11:28 | 映画タイトル は行

ハリー・ポッターと死の秘宝 Part 1

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<あらすじ>


<感想>
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by jd69sparrow | 2010-12-21 17:06 | 映画タイトル は行

美女と野獣(?回目)

記念すべき、1,200回目はこの話題で♪

漢検を受けた当日,

終わったら観ようと決めていた。

ご褒美ってことで。


今回は前から観たかった“字幕版”での鑑賞。


やっぱり英語だと雰囲気が少し変わるけど、

でも,魅力は変わらない。


『メルティーキッス』とか

チョコレートのように口に入れた瞬間とけるが如くです。

美味しいお肉を食べた時も同じ。


吹替え版日本語訳の方が

私たちからすれば

わかりやすいかと思う。

どちらかというと、

字幕スーパーは,ちょっと馴染みない表現である。

それに吹替え版の方が

情報が多くわかるとも聞いた。


だが!


今回字幕で観て

わかったこともあったし、

何回観たかはわからないけれど

新たな発見もあった。


後者はとても小さなところだけど

嬉しかった。

前者は,ビーストになった王子にまつわる

新事実。

確か吹替え版では、こんな訳じゃなかったよな?

っと、重いながら観てた。



だいたいだが、

王子の年頃がプロローグでわかるのだ。

ベルもひょっとすると…?

思ったより若いなぁと。

ってか、欧米の人ってそもそも

歳より大人に見えるからな。


やっぱり王子とビーストをシンクロさせる楽しみはかかせない。


そして今回注目したのは声。

今まで山ちゃんの声で

慣れていたから

すごく今回わくわくした。

決して山ちゃん

悪いわけではない…というか、

当時,彼以外ビーストを演じられた人もいなかったかもしれない。

七色の声の人(山ちゃん)しか、ありえなかったかもしれない。


英語版のビーストの声は

三人くらいが演じてるのかな?

ビースト、歌、王子と。

ビーストの声は

よく聞くモンスター声だった。

山ちゃんは全て

自分でこなしていたんじゃないかと思うのだが。


でも英語版はきっと違うんだろうなぁ…

ってか、海外に山ちゃんレベルの声優さんはいるんだろうか。



やっぱりさ…

最後のクライマックス最高だよね。

英語版はイケメン声が

そこで初めて聞けるわけだけど

ほんの二言、三言程度。

だけど、おぉvって

思って聞いていた。


呪いが解けたのに、

王子に戻った後が“魔法”のようです。


…あ。


どうせならクリスマスに見れば良かったかな…

…やってもうた。
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by jd69sparrow | 2010-10-31 22:30 | 映画タイトル は行

美女と野獣(3回目)

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<あらすじ>
 ある国の王子様。 甘やかされて育った王子様は,一晩の宿を求めて城へ訪れた老婆のいう“見た目で判断してはいけない、人の心の美しさを見逃してはならない”という言葉の真意を理解することが出来なかった。老婆の醜さを見た王子様は老婆を城へ通そうとはしなかった。 しかし、その瞬間老婆は美しい魔女へと姿を変えたのである。 本来の姿に。 後悔するも,時すでに遅し。 呪いで王子様は野獣の姿に,召使たちはモノへ,さらにお城も見るも恐ろしい姿に変えられてしまったのである。 魔法の薔薇の最期の一枚の花びらが散るまでに 愛を知り,愛されることが叶わなければ永久に醜い姿となってしまう…呪いが解ける日が来るのか…己の醜さを恥じた王子様はすっかり心を閉ざしてしまうのだった。 月日が過ぎ、ベルという名の希望の光が現れる。 果たして王子様は愛を学ぶことが,愛されることが出来るのか。

<感想>
 もう何度見たことだろう。 何年か前にテレビで放送された以来ずっと見ている。 あくまで個人的感想だが、長い時間,その余韻に浸れる作品はそう多くない。 見終わってからしばらく経っても,頭の中で何度も映画を思い出して,想像を重ねる。 そのたびになんだかワクワクする。 まるでお酒でも飲んだかのようにしばらく余韻に浸る。 たとえ酔いが覚めても,再び味わえば,またその楽しい気分と余韻をかみしめることができるのだ。 
 3D映画。 と、言っても『バイオハザードⅣ』のように3Dで最初から作られたものではなく,2Dかあ3Dものだと思う。 「だと思う」と言ったのは2Dと3Dとの違いを見た目上でしかわかっていないためである。 しかし、今まで何度か3D映画は見てきたが,今回の『美女と野獣』ほど3Dを肌で実感して感動したものはない。 確かに過去に見たどれも立体感はあるのだが。 つい前回見たのが数ヶ月前だと言うのにプロローグの部分で既に感動したし、こんな描写あったかな? もしかして未公開だった場面を今回のために追加したのかな?などと想像したりもした。 文字通り,この場面でスクリーンの中に引き寄せられる気分である。 お城がバックに森が映し出され,ナレーターが入るとどんどん城がアップされていく,ちょっとスピード感のあるこの,プロローグは奥行き・立体感が鮮明に出ている。 全体を通して巧に3Dの長所が活かされている感じ。 たとえ広い劇場の後ろの席に座っていても,手を伸ばせば届きそうな距離にスクリーンがあるかのよう。 物語の中に入ったみたい…とはこのこと。 だから、もしまだ本作をご覧になっていない方がいるならば、是非、3Dを劇場で観て頂きたい。
 ベルのオープニングを飾る歌にまずグッと来る。 映画館で見れた喜びをここで実感し始めるのである。 しかし、前に触れたが この場面で忘れているだけなのか,それとも追加されたのかはわからないが見覚えのない場面があった。 けれど、そこもまた3Dの良さがフルに活用されていると言える。 ベルが街の中心の通りを歩いていく,ちょっと遠目で映し出される場面である。 その他にもプロローグのお城の場面にもあった。
 前回見たときはここまで感動したかなと思う場面がいくつかあった。 それをいくつか例であげると,ベルがビーストに狼から救われる場面。 たくましくも集団で動く狼たちを蹴散らし,ベルを救うビースト。 力果て,ベルを見つめたかと思うと地面にぐったり倒れるところ…目頭が熱くなった。 さらにもう一つ。 それは一番のクライマックスと言える最後の方のくだり。 ガストンと戦った後,そこでの深い傷で瀕死にあったビースト、命が尽きたように見えたとき,ベルの愛で全ての“呪い”が解けるところがやはり感動である。
 何度も観てくると、起こることなのか。 それともあまりにビーストが王子様に戻った後のくだりの長さが魔法の如く短いせいなのかはわからないけれど、ビーストの初登場シーンからずっと,ビーストを見て、想像力で王子様の姿に置き替えて観ていた。 王子様の姿だったら、このような表情ではないか?と想像するのである。 鑑賞後も、同じように想像して余韻に浸った。 それだけビーストの表情はとても豊か。 中には王子の顔に置き換えたくない,ビーストならでは愛らしさというか、特徴の出る場面もあるが。 だからこれから初めて観る方、“3D版”を初めて見る方も,はたまた 3D版をリピートする方も是非…この楽しみ方を試していただけたらと思う。 ちなみにだが、エンディングロールも是非観て欲しい。 というのも、エンディングに流れる原画?の数々が実によりどりみどりで、ベルのいろんな表情も観れるし、さらにさらに数少ない王子様の表情も白黒ではあるが観れるからである。
 きっと二回以上観てもよいし,たとえ、3D料金で高いにしてもそれだけの価値がある。 もちろん、DVDなどで観ても感動は味わえるが,最低1回は3D観ることをオススメする。 是非、ご鑑賞あれ!


☆以前の記事と関連記事☆
美女と野獣
美女と野獣(2回目)
劇団四季『美女と野獣』
ブルーレイとDVD


◆第1035回 歴史では何の日?◆

1035年 平安時代 『園城寺・延暦寺の僧徒争う』


※資料参照、また『第』とあるの記事投稿が『第〇回』であり、

このコーナーが続いてるわけではありません。
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by jd69sparrow | 2010-10-31 21:27 | 映画タイトル は行

バイオハザードⅣ アフターライフ

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<あらすじ>
 世界中に広まった“T-ウィルス”。 今度の感染の始まりは、東京・渋谷。 アンブレラ社は東京にも本部を置いていたのだ。 アンブレラ社のウェスカー議長が今回の黒幕。 瞬く間に日本列島は死のウィルスに感染してしまう… アリスとそのクローンたちは既に新たな感染の地で動き始めていた…月日が流れ、ロサンゼルスに向かう途中に立ち寄った場所でクレアと再会。 そしてロスへと向かうと荒廃した町の上空に人影が見えた。 彼らは数少ない生き残り。 彼らのもとに留まることになった。 頑丈で安全かと思われたその建物も段々とアンデッドの脅威が忍び寄ってくる。 脱出するしかない。 そして感染もなく,食料のある“約束の地”を目指すため、生き残った人たちに捕らえられていたクリスに望みを託すことに。 ウェスカーとの戦いで特殊な力を失い、さらにそのウェスカーはアリスが持っていた力よりさらに強いパワーを持つ,アンデッド寸前の手ごわい敵。 アリス、クレア、クリスの三人はアルカディアで眠る生き残った人々を救うため,そして自身たちも生き残るためアンデッドたちと戦うのだった。

<感想>
 3Dによって映像化された,最高な体験型ムービー。 より緊張感が増す。 3Dになることで今までと違う新しい局面が見えてくる。 スローモーションで動く美しさがなんとも印象的だ。 クローンのアリスが銃を放ちながら、遙かな楽の底へと落ちていく場面、敵との直接のバトルシークエンス、そして 数え切れないアンデッドがなだれ込み、アリスがターザンのごとく、切り抜けていくアクションがなんとも印象的で、そこが3Dならではじゃないかと思う。 まるで観客がその場に居合わせるかのような距離感で描かれているのがまさに、その場面なのだ。
 『バイオハザード』では、人間だったとは思えない…ウィルスに感染することによって宇宙人のように化したアンデッドが所々の場面で登場し静寂から一変する場面がわかっていても かなり心臓に来る。二、三回は絶対心の準備は必要だ。 かなり驚かされる。 毎度のことだが。
 それにしても、アリスたち,生きた人間がアンデッドを臆することなく倒していく様はかっこいい。 主人公だけが強いわけではなく,サバイバルを共に行く仲間達もかなり強い。 クレアの大ボスアンデッドとの一対一のバトルは凄まじくクールでかっこいい。 クレアの強さに酔いしれてしまう人もいるかもしれないってくらい。 やっぱり主人公だけが強いんじゃつまらない。 シリーズを追うごとにそうした強き戦士が原作より徐々に登場していくのも最高。
 つくづく、シリーズの進化は凄いと思う。 今まで四作品あるけれど、設定以外のところはそれぞれ味ガ違う。 さん3まででどんどん 女戦士になってゆき,4に来て女性らしく,人間らしくなったアリス。 T-ウィルスの力がなくなろうともアリスは強い、そこが凄い。 そして、敵も日々進化しており、今回の大ボスはまるでヴァンパイアを思わせるものがある。 敵でありながら,その強さに圧倒され,さらに格好いい。 あるとき、『M:I2』?っというふうに見えるところもあり,かなりクールな黒幕。  まるでダンスの振り付けのように サングラスを使ってのアクションをするその場面はまさに絵になるだろう。 
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by jd69sparrow | 2010-09-12 21:08 | 映画タイトル は行

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

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<あらすじ>
 オリンポスの神々は地上へ降りるとき、人との間に子どもをもうける。 その子どもをデミゴッドと呼ぶ。 出ミゴッドは半分が神、半分が人間のハーフだ。 神の世界には“ビックスリー”と呼ばれる神々がいる。 全能の神ゼウス、海をつかさどる神ポセイドン、地獄の神ハデス。 三兄弟の一人、ポセイドンにはデミゴッドの子どもがいた。 それがパーシー・ジャクソンである。 
 ある日神々との戦争が始まろうとしていた。 その原因は“稲妻”が何者かにより盗まれたということだった。犯人探しに稲妻をめぐる争いが起きようとしている。 稲妻を盗んだと噂が流れたパーシーは、あらゆる悪の化身たちに命を狙われた時、自分が何者であるかを知るのだった。 親友や恩師と思っていたものたちは実は人ではなく、神々が住む世界の住人だったのだ。 親友のグローバーは半分ヤギで、ブラナー先生はケンタウルスだった。 彼らはパーシーを守る守護者だった。  パーシーの身を案じ、母親のサリーとグローバーはデミゴッドの訓練所へとパーシーを連れて行くが、目前にしてサリーは冥界へとさらわれる。 パーシーはサリーを救うべく,グローバーと,訓練所で出会った知恵の神・アテナの娘アナベスと共にハデスの待ち受ける冥界へと向かう。

<感想>
 パーシーが、全能の神ゼウスの子どもではなく、ポセイドンの子どもであることが、まずポイントだと思った。あくまでこの映画での印象に過ぎないが、一番正義感が強い“ビックスリー”の神がポセイドンな気がした。 全能の神の子であっては、おそらくこれ程面白くはならなかったかもしれない。  ハデスの子…の場合であると趣旨が異なると思うが、それはそれで何か新しい面白さがありそうな気がする。
 海の神の子どもであるゆえに、その力の美しさが目に見えるのかもしれない。 水がまるで生きているかのように動き、守り神のようでもある。 自由自在に動く水は,やはりアートであり映像を演出する。 “十戒”のあの名場面を思わせるような美しいカットに圧倒されるものがある。 生命のある場所にある水はありとあらゆる場所に存在する…だから、ポセイドン、ポセイドンの子の力は強い。 個人的に好きなのは、ポセイドン(…個人的には『リトルマーメイド』のトリトン王)の武器である,槍(?)である。 それは水の中から生まれ、水で出来ているけれど、とてつもないパワーが備わっている。 クライマックスでの決闘場面でのこの武器の登場がとても印象的である。
 『X-MEN』シリーズでミュータントの子が集った学園のように、デミゴッドにも訓練所が存在する。 そこでは 様々な神々の子供達が住んでいて、いろんな神の子が紹介されるというのが とてもわくわくする場面の一つと言えよう。 恋の神の子、知恵の神の子、伝言の神の子、戦いの神の子…様々である。 それぞれ違う能力を持つデミゴッドたちを一人でも多く、じっくり見てみたくなる。 
 ハデスのいる冥界への道のりには数々の試練が待ち受けている。 冥界から戻るための真珠はそう簡単にはつかむことはできない。 三人を命と稲妻を狙う悪の化身たちが所々に潜んでいる。 一つ一つ全く違う生涯があり、パーシーたちに襲い掛かり,その形も一つではない。 メデューサやヒドラのような明らかなる悪もいれば、中々それと見分ける事の出来ない悪もいる。 石にされたり、炎で焼き尽くしたりとどれも恐ろしい魔法ばかりだが、不思議の国に訪れたアリスのように出口のない世界に閉じ込められる三つ目の試練が個人的にはぞっとした。 その巣に入ったものは、正気を失い,時をさ迷い,数時間が現実世界では5日間であったりと、出口のない迷路に閉じ込められてしまう。 正気を取り戻さない限りは一生閉じ込められる地獄へとのめりこんでしまう。
 コマーシャルで流れたあの場面が予想だにしない場面で登場する事にも驚いた。 それによって全く映画を見る前と後とで作品の印象派ガラッと変わった。 『ハリー・ポッター』の魔法魔術学校で繰り広げられる事件の数々のようなことが起きたり、そこでの世界観と似た世界が、ここでも(『パーシー~』)描かれるのかと思い込んでいた。 
 ギリシャ神話を用いたこの作品。 他にもこれをモチーフとした作品は多くあり、最近だと『タイタンの戦い』などがあり、それをふまえた上だが 神の性格が見えてきたり、また バックグラウンドが見えてくる。 そして
さらに様々いる神々じたいや、彼らの関係性などを知りたいという意欲に駆られる。 
 今回の話は『盗まれた雷撃』という邦題がある。 その他にもパーシーの冒険は続き、そして様々な仲間や敵が登場する。 色々な神々のデミゴッドを見るのがとても楽しみ。 二度見ても、あるいは二度繰り返し見ても楽しいのではないかと私は思う。
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by jd69sparrow | 2010-08-25 17:03 | 映画タイトル は行

劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール 幻影の覇者 ゾロアーク

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<あらすじ>
 主人公サトシ、ヒカリ、タケシの三人は今日もポケモンと共に旅を続けていた。 彼らはポケモンの新競技『ポケモン バッカー』という話題のスポーツイベントを観に、その試合が開催されるというクラウンシティへと向かっていた。
 クラウンシティ。 それは文明と緑とが共存した街である。そんなのどかな街に突如現れた三体の伝説ポケモン,エンテイ、ライコウ、スイクン。 彼らは街の守り神として祭られていた。 しかし、そんな彼らが街を恐怖の渦に陥れる…。 実業家コーダイは、悪のポケモン・ゾロアークが三体のポケモンを操っていると説明。
 街から人々を避難させるコーダイ、しかしそこに裏があると踏んだのがクルトである。 クラウンシティ出身で新聞記者である彼と、サトシたちは真相をつきとめコーダイの野望を阻止するべく立ち上がる。20年ぶりに街に現れたセレビィと共に現れるという“時の波紋”。 緑を豊かにするセレビィのエネルギーの源と言うべき、時の波紋をセレビィ以外のモノが触ると街の緑は枯れ、そしてそれに触れた人間は未来を見通す力を得ることができる。 20年前に手にしてから、力を失いかけていたコーダイは再びその力を得ようともくろんでいたのだ。 
 その野望に利用されていたのがゾロアとゾロアークだった。ゾロアはコーダイのもとから脱出し、サトシたちと巡り会うがゾロアークは和が子のように慕うゾロアの幻影を見せられ、苦しめられる。 ゾロアはサトシたちと共に戦いに参戦するのだった…。

<感想>
 ポケモンの世界では当たり前にある、人とポケモンとの共存。 ポケモンはペットのようでもあり、生活のパートナーでもある。 人と生活を切り盛りしている感じ。 茂みを覗くと可愛いポケモンたちが暮らしていて、空を見上げると鳥のように自由に生きるポケモンがいて… そして、そんな街には緑が多くある。 どこかヨーロッパの国の街のように趣のある建物が並ぶ中には木々が生い茂り、バランスよく生きている。 まさに住んでみたい街だと思った。 都会は建物ばかりで緑が少ないと思うと尚更。

 ポケモンの映画は毎年見ているわけではなく、時々しか見れないが、毎年パワーアップをして、子供たちを魅了している。 考えてみれば 歴史は長い。 ゲームじたいは私が小学生時代からあった。 それからまもなくして、テレビアニメ化が始まったとなると、主人公たちと本来ならば同世代ということになる。 その時から変わりなく登場してきた、サトシとピカチュウの物語も,もうそろそろ見納め。 映画としてはこの作品が最後である(思われると言うべきか)。 なんだか寂しい気がする。  
 ポケモンは歴史が長いだけに、見る子供たちもだんだん変わる。 だけど、個人的には大人になった未だに惹かれている。 中々、歳を追うごとに映画館に行って見ることが難しくなってくる。 たまに勇気をふりしぼって劇場を向かうといつも,小さい子供たちで溢れている。 だけど、思う。 大人になってからもハマってはいかないものだろうか? キャラクターものという観点で考えるなら、大人もハマるものがあるというのに。  子供に向けられたものでも、最近では大人も楽しめるものはたくさんあるし、シリーズを通してのファンもいるはずだ。

 さておき。 今回に限ったことなのか オープニングの毎回のお楽しみというか、オープニングならではのものなのかは、わからないけれど、映画の始まりはサトシとトレーナーとのポケモンバトルが始まり、映画ならではの表現力の豊かさとダイナミックな映像に期待がふくらむ。 何故ここに注目したかというと対戦相手が、どうもゲームのシリーズに出てきた主人公と思われたからだ。 ゲームからのアニメ化を思い出させてくれるというか、素になったゲームへのオマージュなのかなぁと思った。 主人公たち,メインキャラクターの多くは、ゲームとアニメの両方に存在するのが嬉しいところ。 
 さらに嬉しいのが伝説のポケモンたちが再登場する点。 セレビィにせよ、クラウンシティの三体の伝説のポケモンにせよ,たくさんあるシリーズで、毎回新しい伝説のポケモンが出てくる中、再び見ることが出来るのはなんだか嬉しいものである。

 テレビアニメシリーズにしても、サトシと旅の友をするパートナーではタケシが一時期離れたことはあったものの,頼れる仲間として長く登場しているのもイイ。 もう一人が毎回個性の違う女の子が登場し、タケシのようにかかせない仲間がいるという構図がなんだか安定感がある。  面白いことにサトシと同様に「ダイヤモンド・パール」まで登場するのがロケット団の三人組。 やはり変わらぬ盛り上げ役というものが必要だ。 だからこそ、この三人がいたのだと思う。
 サトシとピカチュウの冒険が魅力的だった今までのシリーズが幕を閉じ、新しい主人公たちのもと,新しい作品となって世に出ることは一体どうなるのだろうか。 繰り返すようだが、やっぱり寂しい。 だけど、「ポケモン」の魅力はあくまでポケモンなのだからとは思うのだが… 

 映画に話題を戻そう。 珍しいポケモンたちが今回は最多と思われる六体もの登場。 ライコウ、スイクン、エンテイ、セレビィ、ゾロアにゾロアーク! 新しいポケモンとしては二体が親子のような絆で登場するという新しい設定。 彼らのパワーにまず圧倒される。 今回新たに登場したゾロアとゾロアークはポケモン的には進化前と進化後の関係。 イタズラ好きでもあるが,可愛らしいゾロアに対して クールでカッコいい,゛漆黒の騎士”のようなゾロアーク。 彼らの得意とそるのは゛幻影”で、それが物語の鍵となる。 ゾロアークの生み出す幻影に対し、コーダイの人工的な幻影がぶつかる。 今回,作り手が゛化かしあい”をテーマにしたように、まさに狐と狸の化かしあいのようだ。 自然の力は計り知れず、人工的なものは人工的でしかなく…という感じ。 最後はゾロアークの幻影に観客も゛魅せられる”。 そんな不思議体験もさることながら、化かすという意味では一緒だが、もう一つのゾロアとゾロアークの力,他のモノに化ける゛変化”も魅力的。 特にゾロア。 ゾロアはゾロアークよりまだ、力は劣るものの その未完成なところが面白かったりもする。 ポケモンには完璧に化けられても、人に変身すると表情から、尻尾までゾロアらしさが残ってしまう。  
 そして。 最後の最後で再び、化かされる。 っというか、全部あわせると三回くらい? クライマックスで二回と最後にもう一度。 クライマックスの二回のうち二回目の方は、あまりに衝撃的でまさか「ポケモン」でそんな展開が!!って一瞬驚く。 ラストもまたビックリだった。クライマックス後,まさかあるとは思わない。 「なんで?」と思い、「もしかしてサトシ、ピカチュウの物語のシリーズが最後だから?」とか考えていたら…やっぱり安心させてくれる,笑顔で終わらせてくれた。
 スクリーンからポケモンがDSに届くという不思議な展開。 ポケモン映画では御馴染みの劇場限定企画の不思議さと演出に嬉しさかみ締めながら、お土産を持って帰る…テーマパークに来たかのようだ。
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by jd69sparrow | 2010-08-19 14:59 | 映画タイトル は行

美女と野獣(2回目)

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<あらすじ>
 遠い昔の物語。 ワガママに育った王子様。 彼の元に老婆が訪れた。 老婆は一晩城に泊めて欲しいと頼んだが、王子様は老婆の顔を見るなり断った。 老婆の言葉に一切耳を傾けようとしない王子様は、老婆の正体を目の当たりにしたとき後悔をする。 けれど、時既に遅し…美しい魔女は王子様、その召使い…城もろとも呪いにかける。 自らが人を愛し、愛されることがなければ元の姿に戻ることは出来ない。しかも魔女から与えられたバラの花びらが全て散るまでの期限付きだった。  そして、何年もの月日が経った…
 城のふもとの村では、発明家の父親を持ち,本を読むのが大好きなベルが街を歩いていた。 ベルは父親を尊敬し、愛している。 ある日、発明品を完成させた父親は、発明品を馬車に積み、コンテストへと向かう。 その道中,道に迷いたどり着いたのが不気味な城。 その後…ベルが捕らわれた父親の身代わりとなり、城の主人のビーストとの生活が始まる… 欠点だらけの王子様ことビーストは、とても不器用でベルとぶつかることもあった。 しかし、ベルはビーストの優しさに、ビーストはベルの強さや愛情深さに惹かれて行く…

<感想>
 ディズニーのアトラクションを乗ったかのように、楽しい時間はアッという間に過ぎていく。 それくらいの魔法をこの映画は持っている。 名もなき王子様(※以下、ビーストと表記)はビースト…つまり、野獣という呼び名でエンドロールに紹介されるけれど、作品中に紹介されることはなく、名前じたいは、呼ばれることない。 とても珍しい設定だ。 不器用だけど、優しさを持っていて…見た目の恐ろしさとは違う魅力がある。 野獣の顔に隠された優しい目がその全てを物語っている。 だから、憎めない。  ベルは母親のような優しさを持っている…つまり、母性本能。 そして心がとても真っ直ぐで強い。 だから、最初はビーストの醜い顔に驚きと恐怖を隠せないけれど、父親を守るために自分が犠牲になったのであろう。 ベル自身にも魅力はあるけれど、ベルの力でビーストの素顔…優しさが,魅力が引き出されていく。  そんなベルの魅力の一つが人の長所を引き出せるということだろう。
 ビーストは礼儀作法が苦手。 ベルとの朝食の場面は、なんだか子供と母親みたいな図がとても微笑ましかった。 スプーンすら使わずに野獣そのもの…という食べ方でスープを味わうビースト。 元の人間のときはどんなだったんだろう?ってツッコミたくなる。 王子様であるときは、その姿は綺麗だ…だから、あの朝食の場面の図が想像しがたいのだが,その食べ方は野獣に姿を変えられてからのもなのか、どうなのか。 …など色々と想像してしまう。 ビーストと王子様。同一だけど、なんかもし,あの雪の積もった庭での場面が元からのキャラクターなのだとしたら、お茶目すぎる。 まさに少年の心を持った大人の王子様。 見た目だけでなく、キャラクターまでもがビーストは人間と動物の中間な気がする。 
 個人的に、声のトーンが話が進むにつれて、だんだんと穏やかに変化していく様子も毎回楽しみにしているポイントである。 かなり低いトーンから、徐々にトーンが落ち着き、また少し高くなる。 というより、優しくなっていく…性格の変化だけでなく、声までもが変わっていくのが良い。 そして、ビーストから王子様へ戻り,第一声を聞いた時のギャップときたら! 一気に明るい青年へと変わる。 いつの間にやら、ベルにかける言葉も紳士というか、大人の言葉へと変わっていて,ベルに「(父親のところへ)行きなさい」と優しく言うところは、ビーストではなく、真の王子の姿と言っても過言ではない。 姿こそ、野獣だが ベルを愛するうちに王子としての自分を取り戻したのである。 その時既に、中身は“王子様”に戻っていたのだ。
 
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by jd69sparrow | 2010-07-11 23:00 | 映画タイトル は行

抱擁のかけら

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<あらすじ>
 1994年と2008年。この14年の月日が空いた二つの年。 レナとマテオという歳も離れ,全く違う世界で生きていた二人。 過去にレナ、現在にマテオ…この違う時を生きる二人がどこでつながるのか。 そこをついたのが、マテオのビジネス・パートナー,ジュディットの息子ディエゴだった。 ライ・Xという映画監督を名乗る男の訪問に恐れるマテオとジュディット…そこにある謎を紐解くのがストーリーの要である。
 レナは実業家の愛人だが、大人しくする日々に飽きていた。 そんな彼女に光が差すときがきた。 それはレナが夢見ていた女優としての仕事のチャンス。 そこで映画監督をしていたのがマテオである。 二人はここで運命的な出会いを果たし、お互いに愛を求め合う仲に。  しかし、この愛は危険と隣り合わせ。 実業家エルネストの影がいつもついて周ったのである。 心が解放された愛と自由を求め、レナとマテオは片時も目をそらさずに歩んでいくが…

<感想>
 エルネストのもとに常にいたレナ。 意思ではなく,義務に等しいと見える。 離れたくとも離れられない鎖が足を固くつないでいる。 なんでも欲しいものは手に入るという環境…何より レナが苦しい時に手を差し伸べたのがエルネストだった。 だからこそ、簡単にたてをつくことが出来ないという心境がひしひしと伝わってくる。 しかし、マテオとは違った。 
 彼の描く作品の中でのレナは活き活きとしていた、まるで水をえた魚のように。 本当の彼女の姿がここにあったのだと思う。 むしろ、マテオの演出が本当のレナを引き出したと言ってもいいだろう。 だから、彼女はマテオに激しく惹かれたのだと思う。 そして、束縛のないマテオとの抱擁がレナを自由にした。 マテオにとっても何か運命的なものがおとぞれたに違いない。 彼にとってレナは女優以上に光っていたのだ。 二人が追い求めるは自由。
 エルネストの異常なほどの愛は拭い去れないものがある。 執拗なほどエルネストはレナへの愛を独占しようとし,息子を駒にし,あの手この手と手段を選ばない。 そのエスカレートぶりは とても強烈である。 Jr.は操り人形の如くで,時に彼の父親の魂が宿ったというくらいの異常を発揮することもある。 
 『謎の鞄と女たち』。 レナとマテオをつなぐものであり、過去と現在を結ぶもの。 マテオたちにとって最初で最後のもの。 レトロな時代と現代とが融合した“映画内映画”だ。 多くの作品ではこのような映画の中に映画があるという作品は、その映画内にさえ,普通の映画にもある期待がつまっている。 先が気になるような細部までぬかりのない製作がとても素晴らしい,この上ない。 これは二人の支えのようなもの。 彼らをつなぐ糸だ。 名前を変えた14年後の今、当時駄作にされたレナとのこの映画を編集しなおしたのがその証。 
 私が驚いたのは…というか、話をちゃんと聞いていなかったのか…マテオとジュディットは離婚した,あるいは別居をしている“夫婦”ではなく,過去に一度恋人どうしだったという,つながりでしかなかったということだ。その事実を知っていたのはジュディットただ一人で、息子も父親もそれを知らないという事実。 なんの説明もなく流れていたら、どう考えたって親子にしか見えない。 無機質に,だけど自由に生きているマテオの真実がよくわかった。
 愛する人を失ったとき、マテオは、マテオという名を封印し芸名で生きる。 レナを失ったとき,マテオも死んだのだというくだり。 ある瞬間、二つの顔を持つ人間が片方の自分が死んだのだという話はある。 この作品がそれとは違うのが人格の問題ではなく,一つの区切りとして、自分の意志でそれを主張しているということ。レナとは、ハリー・ケインという監督としてではなく,マテオとして愛し合っていたからだ。 なんだか深い。 偶然の出会いが彼らをこんなにも固く結ぶとは。
 月日が経った今も、マテオの中でレナの余韻は残っている。 逃避行の挙げ句、不幸に陥った彼だがここでようやく幸せを手に入れたように思える。 映画の完成は、自分のためでもあり,レナのためでもあった。 ジュディットの告白によって,ようやく落ち着く場所にたどり着いた,レナとマテオの“絆”。 なんだか、安心させられるラストシーンである。  切ないけれど、幸せなしめくくり。
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by jd69sparrow | 2010-07-01 00:25 | 映画タイトル は行

パリより愛をこめて

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<あらすじ>
 パリにあるアメリカ大使館に勤めるジェームズ・リーズ。 彼のもう一つの顔はCIA捜査官の見習いである。大使館員として働く傍ら,一人前のCIA捜査官になるため,任務に勤しんでいた。 一日でも早く認められたいリースはもっと大きな任務を熱望していた。 そんなある日、アメリカからCIAの先輩で凄腕の諜報部員・ワックスがアメリカより送り込まれてきた。 ワックスは一筋縄ではいかない,はみ出しモノ的な人物だが結果を必ず出す男だった。 リースの任務はワックスの運転手を務めることで、この任務次第でプロとして約束されるというものである。 やっと、CIAを肌で感じられる道に足を踏み入れたリースだったが、想像以上にハードで厳しい現実が彼を待ち受けていた。 ワックスが来た目的は、麻薬捜査ではなく,国際サミットを狙うテロリストを追跡し,彼らを阻止するものだった。 瞬く間に時計の針は進み,真実へ迫っていく…

<感想>
 この作品の特徴は“理屈ぬきのスピーディさ”。 約90分の間にユーモアもふくませつつ,無駄がほとんどなく,必要な部分だけ取り入れたバディ・ムービー。 これだけの短い時間に深みがあってこれだけ充実したストーリーをつめるのは,やはり リュック・ベッソンの腕の凄さだろうと私は思う。 彼の作品に共通するのが アメリカ的なのだが、でもよくあるハリウッド映画とはどこか違う要素がある,中世的な映画だということ。 “ヨーロッパのスピルバーグ”という声にも頷ける。
 さて。 この映画でまず気になったのが、登場人物の設定である。 エリートと変わり者のタッグという正反対な二人が組むというも,二つの顔を持つ主人公もそう珍しくはない。 だが、その裏表のある主人公の裏の顔がCIAの“見習い”というところだ。 何故、プロではなく,アマチュアなのか。 それはリースの役割が観客の目線というのが一つあげられるだろう。 それに始めからボンドのように何事も器用にこなすより、見習いであるがゆえに多少の不器用さがなんとなく感情移入しやすい。 リースがワックスと組まされたのも彼に与えられた最終試練である,しかしながらゴールまであと一歩まで迫っているものの、そこまでの距離は長く険しい関門なのである。 今までのリハーサルにはなかった命がけの危険なミッションが待ち受けており,リースにしてみれば,何がなんだかわからないうちに時間は進んでいく。 そしてこの設定の最大の理由は、これが リースがCIAとして(ワックスに)鍛え上げられていく物語だからだ。
 映画が必要なことしか語らないように、ワックスも必要なことしか(リースに)語らない。 ワックスがリース自身の成長のためにその意思を持ってパリへ来たのかはわからないが その役割を果たしている。 きっとそういう指示がワックスに出されていたとしても、彼は理屈を並べた長い説明をすることも聞くことも,面倒くさがるタイプだというのが なんとなく伝わってくる。 「黙って自分についてこい」という感じ。 また。「自分の言うことだけ聞いて、実行すればいい」というふうとも取れるけれど、決してそんな押し付けがましい印象は与えない。リースが追いつく間もなく,ワックスはどんどん行動に出て行くため,文句など言っている暇はない。 そしてワックスの撃つ弾は荒いようでいつも正確だから認めざるをえなく,ただ彼についていく。 “頭で考えるより体で覚えろ”というのが、ワックス流。
 作品を物語るのに、説明が必要な時もあるけれど ない方がかえって 面白い。 とりわけアクションがメインだったりする場合はそう。 説明がなくてもちゃんと内容はつかめていくし,そこが省かれることによって話が次から次へとテンポよく進み,そして様々展開を盛り込める利点がある。ワックスがリースに与える指示やアドバイスはその場では真意を理解するのは容易ではないが、意外な結果として明らかにされる。 そんな驚きの数々がこの作品の見所の一つ。 よって前述したリースが観客目線であることを決定付けるのが “リースが驚くところで観る側も驚くというところ”(プログラム参照)なのだ。
 その驚きと言えば、リースとワックスの初対面のシーン。 これが役者としても初顔合わせであり、リースの驚きのリアクションはマイヤーズ自身のものでもあると言う。 日本のあるコマーシャルでもリアルな反応をそのままカメラに映したという手法があるが、演技ではない素顔が見れるというのはとても新鮮で この二人の主人公のファーストカットをもう一度見たくなる。 演技では出せないリアルな反応が物語にもリアルさを与えるのだ。 あの場面がトラボルタとマイヤーズの初対面だということは、あの場面はワンテイクということになるだろう。 そう思うとさすがプロだなぁと思う。 素人の感覚としては、一見ハードボイルド過ぎるチョイ悪オヤジ…しかもヤバそうな空気さえ漂う格好をしたその姿を見たらセリフがふっとんでしまったり、リアルなリアクションによる言葉が出てしまいそうな気がする。 リスクを恐れないという役者の生き方というのは凄い。
 アクション場面について。 メインで動くキャラクター皆がハードである。 最近では、アクションを自分でこなすことが当たり前といった傾向がある。 やはり、本人が演じていると思って見るのとそうでないのとでは全く見方が異なってくるし、何より面白さが違う。 ワックスは戦闘能力にも優れ、圧倒されるくらいカッコイいのだが 私には何故だか“ファイティング・クマさん”というふうに見えた。 見た目と実力とのギャップが激しいワックス。 無鉄砲で出たとこ勝負、そして体当たり受けたのだが ユーモアのセンスも抜群で、高速に動く計画と戦法で相手を容赦なく撃つなんて…。 トラボルタ自身が過去・現在に負ったリスクなどこの迫力一つで払拭される。 
 ワックスは危険すぎる男。だが、結果は残すというCIAのお墨付き。 実践で覚える方が体にしみこむから,かえって説明を聞くよりも覚えが早い。 CIAの仕事をありのまま知るのには,最も適している上にかなりの刺激になる、さらに学ぶことが多い…などなどワックスがリースのもとへ送り込まれるのが、ストーリーを見ていくとよくわかる。
 リースは銃で人を撃つことが出来ない。 車から身を乗り出してバズーカ?を撃つ程,撃つことが大好きな?ワックスに比べると目立ったアクションはないのだが 作品上,最初で最後のガンアクション場面はかなり印象深く,カッコいい。 また、爆弾で吹っ飛ばされるところも絵として凄く綺麗。 綺麗と言えば、不覚にも自らの手で握った銃によって血しぶきをあびる場面。 その直後に恐怖の色を隠せないリースだが、彼の中の何かが変わったところでもある。 その恐怖は同じ立場で考えると,とてもリアルに思う。 意表をつくところがイイのがワックスだとしたら、リアルな感覚で共感を観る人に与えるのがリースだ。
 アクションとは別に個人的に注目したいのが、言語である。 わからないようで実はちょっとフランス語がわかるワックス…というのはよくあるパターン。 リースは数カ国語を話すことの出来るバイリンガルだ。 その一つになんとアジアの言葉もあったのは意外だった。 ストーリー上必要とされるのはわかってても。東洋人が英語を話すとか、英語圏の人がヨーロッパ言語を話すのは観るけれど 欧米人が中国の言葉を話すというのは(私は)初めて見たので、それがとても新鮮だった。 顔は日本人の要素がまるでないのに、日本語しか話せない少年がテレビで紹介されたのを見たときと同じような驚きだ。
 ワックスは物語前半で、リースに降りかかる危険とその正体を見抜いていたから凄い。 だからこそ、クライマックスに入る頃,明らかにされた真実の場面が一番驚いた、その驚きこそが映画の面白さを代表する要素の一つである。 
 映画のタイトルの意味は何か。 (個人的には)はじめ受ける印象は、そのまま冒頭のシーンに流れる雰囲気そのもの。 しかし、その本当の意味というのは リースが愛する人にかけた最後の一言につきる。 彼の愛は何があろうと変わることなく、愛のために下した決断は思いもよらぬものであったが それはやはり愛のこめられたものだった。 それを経た結末こそが,他にないアクション,バディムービーの常識やお決まりを破った独特な終わりかただと思う。 一部わかりずらいところもあったけれど、シンプルだからこそいいのかもしれない。
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by jd69sparrow | 2010-06-06 22:05 | 映画タイトル は行