カテゴリ:映画タイトル は行( 136 )

フェイクシティ ある男のルール

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<イントロダクション>
 私達が平和に,また自由に暮らしていくために手を汚している人たちがいるという話に驚きを感じはするが、恐ろしくもあり,納得も出来るような気がする。 こういった人たちは正義と悪の原理のように辛い状況下にある。 ロス市警の内部とギャングたちの集うロスの闇の部分が描かれているのが本作である。 『トレーニングデイ』で見れるような陽の当たらない雰囲気を連想させれるという感想を持った。 それもそのはず、『トレーニングデイ』と『フェイクシティ~』は作り手という点でつながっているのだ。 例えるなら、デンゼル・ワシントン演じる先輩刑事アロンゾが トム・ラドロー刑事を取り巻く刑事仲間達、もしくはトムの上司・ジャックで、イーサン・フォーク演じるジェイクがトム(仕事の取り組み方としてアロンゾに近いかもしれないが)。
 主人公は自分の良心にという名のルールに従い、捜査をする。 そのために手荒くもなるし、彼には法はあまり重要ではないようである。 しかし、刑事として助けを必要としている人を救うという警察の責任を強く心に持っている。 彼の思いを裏切るかのように市民を守るべき警察という職場には腐敗した部分があった、主人公がそんな暗黒面と戦う物語である。

<あらすじ> 
 トム・ラドローはロス市警に勤める私服警官(刑事)。 捜査は誰の力を借りるわけでもなく一人で現場に突入し,常に自分の身を投げ出すかのごとく銃を放つ。 さらに情報を聞き出すことも,容疑者達を法の下に罰することなくひたすら撃つという彼のやり方に仲間達は良くは思っていなかった。 ラドローが荒いやり方でチームで取り組むべき捜査を乱そうとジャック・ワンダー警部だけはそんな彼に手を差し伸べ、その上尻拭いをすることを惜しまない。 なぜならワンダーにとってラドローは大事な部下であり,警察の戦力だからだ。
 ラドローは昔、ワシントンという相棒がいた。 今ではワシントンとは犬猿の仲だが,彼が命を落とした時 ラドローは彼の死を悼んだ。 かつての仲間を思う気持ちは今も直,ラドローの心の片隅で行き続けていたからである。
 ラドローはワシントンの死をきっかけにその事件の真相をつかみ,ワシントンの無念を晴らそうと捜査をすることに。 そこには信じられない、彼が信じてきたものが崩れ去れかねない衝撃的な事実が隠されていた。

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by jd69sparrow | 2009-02-18 17:50 | 映画タイトル は行

Bee Movie

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<イントロダクション>
 蜂といえば、一つの巣の中で育ち,大人になれば蜜を取りに行き、ハチミツ作りをして女王蜂のために尽くした後、生涯を終える。 言い換えれば、女王・王族に生涯を捧げ、死を迎えるその日まで仕えるということになる。
 主人公はもちろん蜂。 一匹の蜂が自分のいる世界と人間世界を行き来するという冒険と、大きなことにチャレンジし、そこから多くを学ぶことで主人公は成長していくという映画である。

<あらすじ>
 バリーは学生生活を終えた。 その先に待っているのは就職。 蜂の仕事は限られており,たくさんある仕事を一つ選べば、一生その同じ仕事を続けなくてはならず,作業自体も単純なもの。 そんな単調な人生を歩むことに疑問を持っていたバリーは人間の世界へ飛び出し,人と口を聞き,蜂の掟を破ってしまう。
 命の聞きから救ってくれた人間のヴァネッサに恋をする。 そうして人間の世界へ通うようになったバリーは自分たちが毎日作っているハチミツが人間に悪用されていることを知り、ハチミツ業者の人間達とぶつかり合う。

<感想>
 バリーは自分と同じ,蜂の仲間たちを守ろうと努力をする。 そのために障害を乗り越えていくけれど、良かれと思ってとった行動が必ずしも吉と出るとも限らないことを知る。 バリーは先が見えているようで見えていなかったのかもしれない。 やがて、蜂と人間との関係性、その重要さが目の前に見えてくる。 これは私達人間に、そのまま当てはまることだと思う。 アニメーションを媒体にすることで、優しく大人にも子供にもメッセージが伝わる。
 人の役に立とうと努力する、失敗する、その失敗をバネにさらなる努力を重ねて成功へとつながるというサークルは人が、生き物が生きていく中で一番大切なこと。 バリーは何度も失敗を重ねて成長していく。 失敗を味わったゆえに自分が思い描いていた以上のかけがえのないものを得る。
 同じ生き物、人なら人,蜂なら蜂tの間でしか言葉は通じ得ないのが現実で、映画などの物語でも、動物の主人公やキャラクターが仲間同士では言葉になっているのに、人間と話そうとすると鳴き声にしか聞こえないというパターンがほとんどを占めていようだけど、ここでは違う生き物であっても同じ言葉で通じ合っているのが、とてもおもしろい。
 蜂たちが人と同等に渡りあい、戦うという不思議だけど自然にも見える様子が描かれているのだ。 だから、蜂が人を訴えている事柄を大勢の人々が聞き、話に引き込まれている図は架空の世界だと見るからにわかっていても、やっぱり楽しい。

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by jd69sparrow | 2009-02-17 16:24 | 映画タイトル は行

ベンジャミン・バトン~数奇な人生~

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<イントロダクション>
 人はいつまでも若くいることを欲する。 もちろん、そう考える人ばかりではないけれど。 多くの人と違い、人生が逆再生のように進んでいった一人の男の物語という一風変わった話だが、テーマは普遍的なもの。 それは愛と老いについて。 これは人が生涯を通して味わうものである。 後者については全ての生き物に当てはまる。 歳を重ねることへの意識は常に働くもので、歳と感じた時は強い衝撃を受けたりもする。 老いること、死へ向かうことは恐ろしいことではないとここでは言っている。 若さを保とうとする人もいれば、歳をとることを楽しみとしている人もいる。 皺というものは嫌がれる傾向があるけれど、自分が生きた証なのである。 世界に視野を広げた時、幼くして命を落とす人もいれば大人になる前にこの世を去っていく子供たちだっている。 貧しく厳しい環境に生きる人々は寿命が短い。 大げさかもしれないが、そう考えると歳をとって皺が増えると言うことはその分長く生きてこられたと言うことをカタチとして表されているという証で喜ぶべきものと言えるだろう。 が、しかし個人的に言わせてもらえば、そういう考えにはまだ達していない。 
 映画では同じように老いに対して前向きには考えられないという思いも主人公と比較するように描かれている。 老人から若者へと若返る主人公、一見良さそうでもあるが 実はそうではなくて 時の流れは違くても辛いことはたくさんあって 多くの人となんら変わらないということを教えてくれる話。

<あらすじ>
 あるボタン工場を営む男に子供ができる。 母親が命がけで生んだ子供はとても赤ん坊とは思えない,80歳代老人ようだった。 父親は実のわが子をある家の前に捨ててしまう。 赤ん坊は老人施設を切り盛りするクイニーのもとに引き取られる。 医者から衰弱の激しい赤ん坊の命はそう長くはないと告げられるが,その不安とは裏腹に赤ん坊はすくすくと成長していく。 赤ん坊は“ベンジャミン”と名づけられた。 見た目は老人なベンジャミン。 不思議なことに歳を重ねるごとにその体はみるみる若返っていった。
 ベンジャミンは幼くして運命の人と出会う。 デイジーである。 すぐに彼らは打ち解けるが、ベンジャミンが17歳の時、別れがやって来る。 ベンジャミンにとっては壮大な人生のたびの始まりだった。 彼は自身の人生を変える人たちに遭遇しながら,成長していく。 時が経ち、デイジーと再会し,幸せな時を過ごしていたが,避けられない辛い現実にぶつかる…

<感想>
 “人は赤ん坊で生まれ、赤ん坊で死ぬ”。 とても強く心に残る言葉である。 確かな真実である。 だけど、ここで初めて気づかされた事実だ。 現実にそう感じられる光景を見て、それを実感した。 こういう現実があって、デイジーに遺した,ベンジャミンの言葉がよりいっそう強いものとして蘇ってくる。 “僕は子供の遊び相手にしかなれない、君は子供二人も面倒をみるのは無理だろう”という感じのセリフである。 これはベンジャミンがデイジーとの間に子供が出来てから,デイジーに言った言葉。 この言葉にはベンジャミンの色々な思いが詰まっている。 自分が父親らしく,家族とともに歳をとっていけないことの悔やみと幸せを望みながら,それが叶わないこと知った上での悲しみである。 ここに切なさや悲しさを感じずにはいられない。 家族が増えるといのはとても幸せなことなのに,それを素直に喜ぼうにも喜べないなんて。 
 最初に記した言葉がガトー氏が作った逆回りの時計が裏付けていると同時に,時計の運命はベンジャミンの人生にも合わされているのがとても上手くできていると思った。 
 人生は必然より偶然の方が多いかもしれない。 ここでも語られるように「もしも、あの時こうだたら」というのは日常茶飯事あることで、実際私達は「もしもあの時こうしていればなぁ…」とか「こうなってたらなぁ…」なんてことを考える。 それが自分のことでもそうでなくても。 「運命(・現実に起こること)はあらかじめ,決まってる」という言葉も説得力がある。  “たまたまこうしたら、あぁなって,こういう結果が出た”ということも多いはず。 
 ベンジャミンとデイジーの愛や老いという話題だけでなく、日常の普遍的な事実というのもここでは語られているのだ。
 ベンジャミンは子供時代が老人だったために中身は子供と言っても,どこか落ち着いていた。彼が日記に最後の言葉を書いたとき,また デイジーとの別れを決意してしばらくまでが大人で,ベンジャミンがベンジャミンであれた期間だったと思う。 『ジョー・ブラックをよろしく』を思い出させるような容姿になって,再びデイジーの前に姿を現すときはデイジーの記憶を持っていた最後であるが、子供へと戻る始まりにあった状態に見えた。 そして大人から精神的に時計が逆回りしはじめた瞬間だったかもしれない。 これほどまでに美しいベンジャミンには、もう悲しみはないようだった。
 愛する人が変わり果ててゆくのを見るのは辛く,悲しいものだけれど 最終的にベンジャミンとデイジーの場合は違ったと思う。 むしろ二人とも本当に心から幸せを感じながら、最期のときを過ごし,終焉を迎えたのだから。 二人は思いがすれ違うこともあっても互いが運命の人であるのは変わる事のない真実。 “運命は前もってさだめられている”という言葉をが本当だと考えるとすると,二人が幼い頃,初めて会ったその瞬間がそれを物語ってると言える。 デイジーはベンジャミンの中身をそのとき見抜いていた,つまり人を見た目ではなく,内なるもので見るという人だということがベンジャミンを変え,幸せにしたのだろう。
 三時間弱という長編ではあるが、長さなど感じさせぬ,深く、また素敵な感動作だと思う。

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by jd69sparrow | 2009-02-15 00:00 | 映画タイトル は行

ハイスクール・ミュージカル3

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<イントロダクション>
 個人的な話、『ハイスクールミュージカル』は偶然が重なり、見た映画である。 友人から進められていなかったら出会っていたかどうかはわからない。 だけど、こうしてこんな素敵なミュージカル・ムービーに出会えたのは本当に幸せだと思う。 一つの作品とどんなカタチであれ、こうしてシリーズ三作まで見るまでに至ったのだから、それだけ素晴らしい作品なのだ。作品のほうからこちらにやって来たように思える。 どういう描かれていることは誰もが経験するようなごくごく普通のことなのに、とても楽しい。 それは、逆にそういうコンセプトだからこそ親近感が湧き,魅力を感じたのだと思う。
 出会い、別れ、将来への決断などがある。 そういう必然的なことがここにはあって、まるで家族やお世話になった人からの言葉のようにメッセージが伝わってくる映画である。 主人公たちの高校生活からの分かれ目にのせて、いろいろなことを教えてくれる。 高校から大学へ進むという時期は、将来を左右する大切な期間。 主人公たちと同じ世代から見たら強く共感も得られるし、大事なアドバイスや励ましになる。 大人から見れば、思い出を振り返るような感覚になれるだろう。

<あらすじ>
 トロイやチャドたち高校三年生たちにとって,高校生活最後の年。 それはワイルドキャッツの決勝戦のクライマックスから始まる。 バスケの試合を終えた彼らに待ち受けていたのは最後のミュージカルの舞台。 卒業生みんなでの共同作業にしようと提案したのはガブリエラだった。 彼女のこの提案に一気にみんなやる気モード全開、そして卒業製作とも言えるこのプロジェクトが始動する。 舞台、プロム、そして卒業式とトロイたちの最高の思い出作りが続く。
 思い出への準備が進む中、彼らには将来を決める重要な課題が与えられ、いよいよ決断が迫られていた。 学校を卒業するということは新たな道が切り開かれることであり、別れでもある。 彼らは悩み、悩んだ末に答えを探し出す。

<感想>
 物語の始まりから既にクライマックスのような見せ場の場面が出てくるという、なんとも力強い映画だろう。 最初から盛り上がりをどんと載せることで前作からのブランクなど感じさせず、一気に『ハイスクールミュージカル』の世界に私達を呼び戻すのだ。 初めて見る人へもいかにポジティブで明るい映画なのかというアピールにもなると思う。
 劇場でみる本場のミュージカルをそのままスクリーンに映したような場面がところどころに登場する。 それがミュージカル映画というものなのかもしれない、実際に生で見ているかのような演出、つまり舞台装置が動いたり,役者が様々なシチュエーションにぽんぽんと飛び込んだりするものである。 ミュージカルの醍醐味である。 そもそもミュージカル映画の中でミュージカルをやるというアイディアがおもしろい。
 シリーズ三作目となる劇場版。 一作目は高校、二作目は高校を飛び出し,夏休みのカントリークラブときて 三作目で再び原点に戻る。 このサークルが注目を浴びるシリーズ作品のおもしろさの秘訣の一つなのかもしれない。
 主人公たちは成長している部分もあり、変わらないところがありと2つの局面があるが,シャーペイだけはほとんど変わらない。 自分が目立つためにあの手この手と,ガブリエラたちに対して意地悪してくるけれど憎めないキャラクターでもある。 意地悪もするけれど、弱い部分も描かれているからである。 野心が大きいというのもあるが、そもそもそういう行為は自分にないものを持つ,ガブリエラというライバルに対するやきもちからくるものだと思えるのだ。 だから、シャーペイには共感部分があって,キャラクターとしての魅力を感じる。
 主人公も,もちろんシリーズを通して成長していくが、誰よりも変化が見てとれたのはライアンである。 シャーペイの双子の弟であるライアンは始め、シャーペイの子分みたいな感じで,ただただ姉の言うがままに動いていた。 けれどガブリエラの登場、また,一人一人の個性があって完成するミュージカルで皆と協力して一つのものを築き上げる楽しさを知ったライアンは大きく変わる。 姉をサポートするだけだった過去、自分の個性を知った現在、そして未来へ。
 第三作では実のところ,シャーペイから独立して完全に自分を持っている。 姉にしたがっているようでちゃんと自分の意志を貫いている。 振り付けという才能に気づいたライアンはその道を極め,着実に力をつけ,将来へ向かっている。 だからこそ、魅力を感じたのだ。
 自分の未来はまわりからなんと言われようとも、最後に決めるのは自分自身。 人の期待に応えるというのも大切なことだ。 また、自分の道は自分で決めて己が望んだ未来へ進むのはもっと意味あること。 そのために悩むことはとても重要なことである。 大切な仲間達とずっと一緒にいるというのは,とても難しい。 進む道が少しでも違えば、別れはやってくる。 でもそれが、永遠になるかは本人しだい。 こういったメッセージがたくさんここにはある。

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by jd69sparrow | 2009-02-14 00:00 | 映画タイトル は行

パコと魔法の絵本

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<イントロダクション>
 おとぎ話と一言で言い表すこともできるが、思うに よく知られているおとぎ話でも、現実的でもない不思議な物語である。 それは夢の世界のようである。 ストーリー展開のノリの良さが特徴的である。 そして、もう一つインパクトがあるのが出演者たちに施されているメイクである。 素顔がわかりにくいほど。 みためだけだんく、濃いキャラクターたちばかりである。


<あらすじ>
 とある青年のもとに一人の老人がやって来た。 彼の名は堀米。 堀米は青年の部屋に飾られている写真に映っている強面の老人について語り始める。 写真の人物は大貫といった。 大貫は大きな会社のトップであったが,発作のため病院へ。 仕事一筋できた彼にとって入院ほど嫌なことはなかった。 大貫はワガママし放題で自己中心的。 そんな彼に他の入院患者たちは近づこうとしなかった。 怒鳴り散らす毎日。 すると、ある日大貫の目の前に一人の女の子が現れた。 彼女はパコといった。 パコは母親から誕生日にもらったという『ガマ王子とザリガニ魔人』という絵本を毎日読んでいる。 天使のようなパコに出会い、心動かされた大貫。 さらにパコが事故で一日しか記憶がもたないという事実を知った大貫はパコのために何かしてあげたいと考える…。

<感想>
 大貫は一代で会社をたちあげ、大きくした人物。 プライドも高く、ただベッドに横になって過ごすなんて退屈極まりないと考えている。 まわりとはコミュニケーションをとろうとは,ほとんど考えない。 大貫は一人で今ある成功を掴んだのだと言い張る。 一人で今までやって来たと。 決してそれは偽りではないだろう。 一人だったからこそ孤独で己のみを信じてきたから,他人を信用し、人々の記憶にも残りたいとも考えない。 気難しい人間になってしまったのだろう。
 パコの笑顔が大貫を変えた。 それまで他人に自分が知られているのを忌み嫌っていたが、パコの綺麗な心が見えたとたん、温もりのなかった彼の人生に癒しと光を照らしたのだ。 何かに縛り付けられた状態から解放されたに違いない。

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by jd69sparrow | 2009-02-07 22:16 | 映画タイトル は行

プロヴァンスの贈りもの

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<イントロダクション>
 フランス・プロヴァンスの田舎にあるぶどう園。 そこは太陽の穏やかな光が隅々まで届く美しい場所である。 この物語を一言で言い表すならば、“人生の休暇”。 休暇をとるというのは自分を見つめなおす機会と言えよう。 証券マンとして働く主人公マックスが本当に必要な人生に出会う物語。


<あらすじ>
 マックスは幼い頃、プロヴァンスにある彼の叔父のぶどう園でひと夏を過ごしていた。 そこには思い出がたくさん残っていて、マックスにとって大切な場所のはずだった。 しかし、大人になったマックスは叔父さんが亡くなり、遺されたぶどう園を売却することを考えた。
 マックスはぶどう園を売却する前にそのための準備として少年時代以来、久々に叔父さんとの思い出の場所を訪れる。 仕事の休暇をとって。 その休暇が彼の人生を変える。 

<感想>
 マックスはトレーダーとしてチームを引っ張り、多少手荒な手段をとり また,稼ぎのことしか考えれない人。 ゆえに懐をよくするために思い出の詰まった場所さえも簡単に手放すことを考えるけれど、叔父さんとの日々は忘れられない大切な宝物であることには変わりはない。 プロヴァンスの畑の空気に触れると心動かされるのがよくわかる。
 証券マン、トレーダーとしてのマックスはその世界ではクセモノ的な存在で、また 少年時代のマックスもひねくれた節があった。  その道(証券マン)で成功はしていたけれど、彼の居場所は違った。 プロヴァンスはプライドの高いマックスを変えた。 そのプライドを捨てさせ,大切なものに向き合わせたのだ。 始まりはファニーとの出会いと再会。 ファニーは街で働くウェイトレス。 自転車を走らせる彼女の横を猛スピードで車を飛ばすマックス。 それにより、ファニーは自転車から転落し、腿に大きなあざを負わされるはめになる。
 ファニーにとってはマックスとの出会いは最悪この上ない。  ヘンリー叔父さんの家の深いオプール,しかも水のない,の底に落ちたマックス上から見下ろすファニー。 その姿はマックスをあるべき場所へと導く神のよう。 現にその再会のときからマックスは,また彼の辿るべき道は変わり始めていたのだ。
 インパクトの大きいこの二人の最悪な出会いは、二人にとって運命的な出会い。 欲深さが抜けたマックスは優しく,大切な人に対して献身的。 それがファニーの心をつかんだのかもしれない。 イギリスの都会からやって来たビジネスマンはプロヴァンスの色に染まり、ヘンリー叔父さんと同じプロヴァンスの住人となっていった。
 マックスに贈られた“プロヴァンスの贈りもの”は彼にとって本当に幸せな人生の始まりとファニーだったと思う。 英語タイトルの“A Good Year”はマックスを変えた“良い年”、あるいはプロヴァンスからの贈りものをマックスが授かった“良い年”ということなのかもしれない。

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by jd69sparrow | 2009-02-06 12:07 | 映画タイトル は行

墨攻

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<イントロダクション>
 昔、中国の中で国が分かれていた時代。 墨家という集団がいて、彼らは刃を交えることなく民の平和を守るという意志の持ち主であった。 その墨家から梁の国へやってきた,一人の男がいた。 名はカクリ。 カクリは全身全霊でもって自らに与えられた使命を果たすべく,己の命をかける。 十万という敵兵を目の前に…。 これは戦うことの意味、命の尊さを問うアクションドラマである。


<あらすじ>
 趙と梁の二つの国は互いに敵同士。 趙が優勢の中、梁の危機を救い、趙と戦うための切り札として墨家カクリがやって来た。 その実力は本物であり、趙の猛攻をおさえる。 カクリはなるべく犠牲者を出さずに敵の心理をついて、梁の国を敵から守ることを第一に考えた。 そんな彼を慕う者は少なくなかった。 しかし、傲慢な梁の王はそんなカクリを認めようとはせず、権力にモノをいわせていた。 そのため、多くの尊い命が失われ、カクリは梁の戦い方に疑問を抱くが、梁を守ることをあきらめることはなかった。

<感想>
 “戦わずして民を守る”という墨家の信念が語れている。 これは戦国時代の武将・武田信玄に通じるものがある。 戦乱の世は世界各地にあっただろう。 だから墨家・カクリのような思想を持った戦人は少なくなかったのではないだろうか。 たくさんの犠牲者を招くことに疑念を抱く人々が。
 そんな時代、カクリは敵側の死さえ悲しむ心を持っている。 ゆえに平和を誰よりも望み、自分の生きる時代よりも進んだ現代的な考えの持ち主だと言える。 心の広い人物である。  梁の側にはついているものの,カクリのこの信念は現代人がとても共感できるものだろう。
 戦の多い時代。 たくさんの命が奪われることに堂々と反対の意を唱えることのできる勇気ある者は少なく、また,そういう人々が大いなる力の前には中々たちうちできない。 しかしそんな、勇者の一人と言えよう,カクリはとても活き活きと見える。
 “十万の兵にたった一人で挑む”とある。 趙が優勢であり、その趙にとって未知の存在はカクリただひとり。 カクリが現れたことで敵である,梁へ攻め入るのに苦戦するわけだから、カクリ一人を恐れるべき存在とするというのも当然かもしれない。
 カクリは誰かが助けを必要とすれば、そこへ赴く。 敵と味方が逆転しようとも。 けれど、墨家,己の信念だけは曲げない。 つまり、人の命を思う心。 偏見かもしれないが、その地位でないものに民を思い、国を守る心、また人の上に立つ器”というものがあったりする。
 人を信じることのできない君主に明るい未来はない。 カクリははじめに梁の王に“王がどれだけ自分(カクリ)を信じるかで趙との戦を左右する”」ということを告げる場面があるが、その答えはまさに梁の王が辿り着く最後だ。
 カクリの言う,“何故人が人を殺さなくてはいけないのか”という言葉はこの物語の中でとても大きな意味を持つものであり 物語のテーマと言えるだろう。 これは現代にも言える問いかけだ。 メッセージ性の高い作品である。

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by jd69sparrow | 2009-02-05 01:10 | 映画タイトル は行

ハウルの動く城(2回目)

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<イントロダクション>
 ヨーロッパのどこかの国のような色とりどりの切れない町並や大自然を舞台にした魔法使いの物語。 これだけでも美しい作品と言える。 魔法使いの名はハウル。 容姿端麗。 そんなハウルが帽子屋の娘,ソフィと出会うことで心を取り戻す話でもある。

<あらすじ>
 ソフィは帽子屋だった父親から店を継ぎ,恋もすることなく毎日働いている。 父親の大切な財産(店)を守っていかねばという想いから。 そんなある日、黒い影に追われ、見ず知らずの美しい魔法使いに救われる。 その時からソフィの運命は変わり始めていた。 ソフィを救ったのは魔法使いハウル。 それを知った,評判の悪い荒地の魔女はソフィに呪いをかける。 それはソフィから若さを奪い、90歳の老婆に変えてしまうというもの。 当然それは、人には言えない。 街にはもういられないと思ったソフィは街のずっと先にある山へ向かう。 そこで出会ったのが“ハウルの動く城”だった。 そしてソフィはハウルと再会する。 ハウルの運命もその瞬間から大きく動きはじめていた。

<感想>
 まず始めに、ソフィの人間像に魅力を感じる。 18歳という若さ以上に落ち着いている。 呪いをかけられたとき、自分の目を疑い 慌てはするけれど、すぐに90歳の自分を受け入れ、気持ちを切り替える。 マイナスな自分の現状をプラスに考えられる前向きさがすごい。 18歳から90歳となり、負担はとても大きいはずなのに、それを感じさせない。 見た目は老人でもハウルの城の掃除婦となったソフィは呪いをかけられる前よりパワフルで若い。
 弱虫で子供のようなハウルの、母親のようなソフィ。 ハウルとソフィの関係は親子と恋人同士の二つをあわせ持っていて最高の絆だと思う。 ハウルの城の住人はハウル、その弟子でまだ幼い,マルクル。 そして、城を動かす悪魔・カルシファー。 女でのないこの場所でソフィの中野今まで表にことのなかった一面のスイッチが入ったようだ。
 若いソフィと、おばあちゃんのソフィとでは全くとは言わないが、違う。 中身は一緒でも自分の負われている状況や姿によって性格は変わるものなのだろう。 だけど、先も述べたように,ソフィの奥に秘めた個性というのも少なからずあるのではないだろうか。 普段はおとなしく,控えめだけどパワフルな一面もあるというふうに。 逆に女性誰しもが持つ“母親”という面が少年のような青年と少年だけの環境により引き出されたのかもしれない。 でも、ソフィの女性らしさや優しさは変わらない。
 90歳のソフィには理想のおばぁちゃん像が見れる。 ポジティブなところはもちろんだが、ハウルたちの身の回りの世話を元気にバリバリとこなすソフィに憧れる。 歳をとってもはつらつとしている,おばぁちゃんに。
 “歳をとると、驚かなくなる。 知恵が付く”というセリフが印象的だ。 歳をとるということは、嫌なことばかりではないというのを教えてくれている。 90歳のソフィのちょっとした意地悪も可愛い。 “ソフィおばぁちゃん”は元気で可愛いおばぁちゃんなのだ。
 ソフィは腰の曲がった皺だらけの老婆から、物語が進むにつれて若返っていく、そこがおもしろいところだ。 呪いをかけた張本人である荒地の魔女は,呪いをかけられても解けない魔女。 しかし、その呪いは時間が経つにつれ、こうして弱まっていく。 その呪いを解くのは“恋”と“愛”だと思う。 掃除婦と言って、城にやって来たソフィは、母親から,恋をする“18歳”と変わっていくからだ。 ソフィがハウルに恋をすることで呪いの効果は弱まり始め、ハウルが心を取り戻した時、互いが大切な存在となり、そこに愛が生まれたことで、完全に呪いは解けたのだと考えられる。  マルクルにとってソフィは母親同然というのは変わらず。
 ソフィはハウルやマルクルだけでなく、悪魔カルシファーや荒地の魔女の心さえ動かしたのである。 ソフィ自身は自分を綺麗だとは考えていないけれど、人の心を良い方向へ動かし、優しさもあって,その姿も綺麗。 本当の意味で美しい人になのだ。
 『ハウルの動く城』は壮大なファンタジーの世界と宮崎ワールドとの融合を楽しむものであり、ハウルの数々の魔法の魅力に惹かれるものであり、そしてソフィという素晴らしい人物を描いている作品なのだ。

前回の記事

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by jd69sparrow | 2009-02-03 01:39 | 映画タイトル は行

バッドマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲

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<イントロダクション>
 タッグによるヒーローアクションはそうそうない、ましてや三人のヒーロー・ヒロインに対して三人の敵というものは。 ヒーローとしてはバットマン、ロビン、バットガール。 悪役としてはMr.フリーズに関しては元は人間らしい優しさのある人だった。
 クリスチャン・ベール主演で新しく生まれ変わった『バットマン』シリーズがシリアスなのに対し、対照的ともいえる『バットマン』だけど、映画全体が醸し出す色は、通じるものがある。 とは言え、少なくともオープニングのバットマンたちの登場シーンは一段と濃い。 一人ではない,チームの一員としてのバットマンは旧シリーズだけど新鮮だ。

<あらすじ>
 師と弟子のような,あるいは親と子のようにも見える“バットマン&ロビン”。 彼らの今度の敵はまわりのものを凍らせてしまう,氷の男・Mr.フリーズと植物人間のポイズン・アイビー、そしてベイン。 Mr.フリーズは重い病の妻の命を救うための研究中の事故で超低温の中でしか生きられない体質となり、愛妻を助けるためには手段を選ばない。 彼の狙いはその動力となるダイヤを集めること。 ポイズン・アイビーは植物を愛する研究者だったが、同じ研究所内の研究仲間の野望にのまれ、植物人間と化す。 アイビーの力は体内から唇を通して、猛毒を出すことや、バットマンたちを苦しめるフェロモンである。 同じく研究所内で被害にあい,怪力男となったベインはアイビーの下につく。  アイビーはMr.フリーズを利用して世界を我が物とする計画を企て、Mr.フリーズは自分の悲しみを世に知らしめるべく,無限に広がる大地を凍らせようとする。 バットマンたちはこの野望を阻止するべく,苦しめられながらも,敵に立ち向かう。

<感想>
 Mr.フリーズもかなりの強敵であるが、バットマンたちにとって厄介な敵なのが、ポイズン・アイビーだ。 アイビーはバットマンとロビンとの絆を揺るがすほどの力を持っているからだ。 バットガールの力なくしては、太刀打ちできないと言っても過言ではないくらい。
 ここではバットマンとロビンとの信頼関係が大きく描かれている。 バットマンはロビンをまだ子供のように扱うところがあり、ロビンはそんな扱いを受けることにうんざりし始める。 自分の力を認めてもらうべく、無鉄砲になりがち。 互いに信じ切れていない部分があるのだ。 でも、やがて互いが互いを助け、彼らは二人とも必要であると再認識するという話なのだと思う。
 毎回、カタチを変えていく、バッドモービルをはじめとするマシンも注目である。 バットモービルとは違うロビンのマシン、それに敵であるMr.フリーズのモービルもまた かっこいい。 バットモービルに関してはレース用のマシンのようだ。
 バットマン、ロビン、バットガール…それぞれのタイプの異なるスーツんも注目。 バットスーツもモービルも同様,回を重ねるごとに進化していく。 ロビンとバットガールはバットマンとは違い,頭部を覆うマスクではなく ワンポイント隠すマスク。 マントを除いて考えてみた時、『Mr.インクレディブル』のヒーローたちを連想した。 
 後半シーン、三人のチームプレーが光る。 クライマックス、初めてバットマンとロビンとが本当の意味で互いを信頼した印象深いところだ。
 ブルースは少年時代からずっと自分を支え続けてきてくれた,アルフレッドを病から救い、ロビンとバットガール(バーバラ?)を信じ、守るため,全力で戦い、同時に世界を,またMr.フリーズを救うことをあきらめなかった。 バットマンとロビンが真に絆が結ばれた瞬間、そして追い込まれてから一気に挽回するくだりはとてもおもしろく、またホットである。 

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by jd69sparrow | 2009-02-01 12:09 | 映画タイトル は行

ハッピー フライト

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<イントロダクション>
 私たちが安全な空の旅をするために,様々な職種のプロたちのそれぞれ違った努力や苦労がある。 飛行機一機が空を飛ぶのにも大勢の人たち(空港で働く人たち)が動くことになる。 客室乗務員やパイロットというのはよく知られた職種だが、この作品を観て初めて知るような職種もある。 つまり、裏方の存在である。 どの交通機関にも言えるかもしれないが、天候や」ちょっとのミス、自然界の生き物との接触は大きな影響を及ぼす。 そういった事が積み重なっていった結果、緊急事態になりうる。
 機体トラブルにみまわれた旅客機がどう無事帰還するかをコメディを交えつつ,描いたのが『ハッピーフライト』である。

<あらすじ>
 副操縦士の鈴木は機長への昇進のための研修の真っ只中。 訓練を終え、次に実際の飛行機を無事飛ばせるかにかかっていた。 一方、国内線から国際線へと移った悦子はその初日から遅刻。 鬼と呼ばれるCAのリーダー,チーフ・パーサーに一括をくらう。 グランド・スタッフの菜採は後輩の美樹とオーバーセールや荷物の入れ違いなどでバタバタしていた。 そんな彼らを結ぶのが“1980便 ホノルル行き”である。 離陸前からトラブルがあったものの,無事羽田を発ったが…

<感想>
 どのように飛行機が飛ぶのかを見るだけでもおもしろいが、空に飛び立ち,危機に直面した時、また 機内・キャビンでのトラブルがあったとき、どう対応し,乗り越えていくかが、とても見ごたえがある。
 飛行機が飛ぶまで、また,離陸後に様々なトラブルがある。 例えば、座席数より多くの搭乗券が売れてしまった時の処理。 私たちは知らないけれど、知らないところでそういった事がよくあるのだろう。 また、機転を利かせたことが日常茶飯事行われているのだなと思うとすごいと思う。
 もっと…と言うよりもl一番印象に残ったのが、CAの責任者でチーフパーサーの場面である。お客様と部下たちに常に目を配らせなければならない重要なポジションだ。 緊急時には、コックピットにいる機長(操縦士)やキャプテンとのチームワークとコミュニケーションも上手くこなしていかなければならない。
 国際線デビューをしたばかりの悦子を始めとする,部下たちがミスをしたとき、真っ先に手を差し伸べるのがチーフパーサー。 緊急事態には指揮官にもなるというカッコいい人である。 だから 1980便が危ない時、サービスを提供するという役目から、安全第一を重視した,レスキューに切り替わるところはとてもクールで記憶に残る。
 おもてなしをするという立場のほかに(人命の)安全確保をする顔を持つという事を考えると、華やかさとたくましさが要求されるのだなと思う。 CAはサービス業である以上、様々なお客様のニーズに応えたり、クレームに対応しなければならない。 次々とくる要求に臨機応変に,応えてゆき,いつ呼ばれてもいいようにと,各々の自由な時間・食事の時間は限られているという厳しい条件のもと,動いている。 そして呼び出された時には落ち着いた笑顔…
 CA全般のワークスタイルを見ただけでもすごいと思うが、チーフパーサーは他のCAたちの失敗を挽回させる,まさにプロフェッショナルだ。 全ての乗客と乗組員たちの命を握るのは操縦士だが、彼ら以上にたくましく見える瞬間すらある。 チーフ・パーサー,山崎の一番印象深いのがクレーム対応の場面である。 インパクトがあり、サービス業をする,理想の姿であると言えるだろう。
 緊急事態に陥った1980便、キャビン、コックピット、地上といろいろな角度から、その緊迫感が映し出され それぞれ,(地上と上空)違う場所にいる人たちの必死なやりとりが続き、観る側にもハラハラドキドキする感情が込み上げてくるようだ。 コメディ要素も盛り込まれているが、「知る」という点が大きい作品だと思う。

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by jd69sparrow | 2009-01-16 18:02 | 映画タイトル は行