カテゴリ:映画タイトル ま行( 52 )

ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル

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<あらすじ>
 IMF。アメリカ政府が認めた不可能ミッションを遂行するスパイ・チームだ。 イーサン・ハントもその一員である。 ある時、ロシアの牢獄にいたイーサン。 そんなイーサンをダッシュさせること、イーサン自身が脱出することがイーサンたちIMFで結ばれた新しいチームの最初のミッションだった。
 イーサンにとって初顔合わせのベンジーとジェーンの二人の三人でミッションは始まった。 今回はロシア・クレムリンに眠る極秘ファイルの入手がミッションである。 それは 核の専門学者で過激派のヘンドリクスがもくろむ,核ミサイル発射コードに関するものだった。
 しかし そのヘンドリクスの妨害により,イーサンはクレムリン爆破の汚名をきせられることとなり、IMFから切り離されてしまう。 それでもイーサンは 屈することなく,むしろ汚名返上と,核ミサイルの発射阻止に立ち向かうのだった。 

<感想>
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by jd69sparrow | 2012-01-21 00:50 | 映画タイトル ま行

マイティ・ソー

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<あらすじ>
 宇宙には9つの惑星がある。 その一つがアスガルド、神々が暮らす王国である。 その国を治めるのがオーディンである。 オーディンはかつて地球人を氷の巨人から助けた英雄。 オーディンは息子にその王位を譲ろうとしていた。 その式典の最中、事件が起き,ソーの王位継承の式はお預けとなった。 天敵である,氷の巨人ラウフェイの魔の手がアスガルドに忍び寄っていたのだ。 それを知った,ソーは弟・ロキと護衛たちを連れて,氷の巨人たちの住処・ヨトゥンヘイムへ乗り込むが,それがアスガルドへの大きな災いとなり,オーディンはソーから雷神としての力を全て奪い、彼を地球へ追放する。 ソーが神から人間へと堕ちる元凶となったのは、ロキだった。 兄への嫉妬心からである。 ロキは無力となった兄を倒し、父親からの愛を得ようともくろみ,ソーは己の傲慢が招いた罰を,父親の思いを人と触れ合うことで知り、学んでいく。

<感想>
 映画語の好き嫌いとその物語が面白いと思うかどうかは別だと考えるのは私だけだろうか。 もうちょっと内容を膨らませたら…とか、考える部分はあるけれど 個人的にこの手の話…つまり、アメコミ・ヒーローの映画は好きだ。 しかし、『マイティ・ソー』はこれまで映画化されたマーベル・ヒーロー作品とは違う印象を受けた。一人の青年の成長を描く人間ドラマというところにおいては、他の作品にもつながるのだが。
 まず、大きな違いはパワーの源にある。 最初から強いのだ。 しかし、その力は一度失われ,ゼロからスタートし、再びヒーローとなって帰ってくるという構成が今までの逆パターンだ。 主人公の性格・特徴も“オレ様ヒーロー”という新たなジャンル。 いくら傲慢とは言え、その中に信じる正義があるから憎めないし、魅力的なのだと思う。 まさしく“若き”ヒーロー。 
 見所はどこか。 それは大きく分けて二つ。 ソーの力を見れる最初の場面と、雷神として復活した後のロキとの兄弟対決だと私は思う。 シェイクスピア作品の影響もあると言うが、エンタテインメントとしての方が濃いような気がする。 アメコミの多くは…と、言えなくもないけれど スパイディのような充実した作品も少なからずある。本作もなんとなく、人間ドラマとしての魅力も垣間見えるが。
 続編の有無はわからないけれど、マーベル・ヒーローが集結する異色作にソーは再登場するらしい。 しかし、『マイティ・ソー』じたいで考えると 『スパイダーマン』シリーズのようにまだ続きそうな余地はあるしめくくり。 だいたい続編の製作は一作目の運命しだいだが,正直なところ その面では微妙かもしれない。 一度力を失ったヒーローが,挫折を味わうことで多くを学び,ヒーロー再生を目指していくの物語は単純だけど、個人的には好きだ。
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by jd69sparrow | 2011-12-26 21:56 | 映画タイトル ま行

名探偵コナン 沈黙の15分(クォーター)

2011年4月16日(土)


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<あらすじ>
コナンは少年探偵団や阿笠博士と車で大宇宙展に行く道中、爆破事件に巻き込まれる。 都営地下鉄が新しく開通する記念式典に参加していた東京都知事を狙った事件である。 コナンたちが車で通るトンネルは,その都営地下鉄と平行に走っているのだ。 トンネル内にいた不振な影と起爆装置を発見したコナンはなんとか、大惨事は免れた。
 この爆破事件につながるのが現・都知事が過去に関わった,新潟県北ノ沢ダムの建設にあった。 コナン一行は、その謎を解き明かすべく、ちょうどスノーフェスティバルが開催される予定となっている北ノ沢村へと向かう。
 コナンたちは武藤や立原冬美など,今はダムとなっている場所にあった,旧・北ノ沢村の小学校出身の五人組と出会い、その一人山尾の起こした過去の事件や、また冬美の息子で事故で八年間眠り続けているという冬馬の存在を知り、都知事を狙った事件との関連性などを探っていく。

<感想>
 アニメーションとCG。 別々で描かれるものかと思っていたのだが、実写の中でCGが使われるように、アニメーションでも見事に融合している。 コナンの映画と言えば、大迫力な事件と、コナンのアクションが印象的でCGは必然かもしれない。 ビジュアルという面では、オープニングでタイトルが出る“あの”場面だ。 個人的にあの場面は いつも楽しみにしている場面である。 その回の話を象徴するものが登場する欠かせないポイントだ。
 まず注目すべきは、コナンのアクションである。 スノーボードとしての機能がプラスされた、事件を追うコナンの必須アイテムのスケボーを使い、ハリウッドのアクション映画,顔負けのアクロバティックなアクションが銀世界をバックに繰り広げられるのである。 「どんだけ、運動神経あるんだよ!」とか毎回ツッコミを入れたくなる。
 今回の事件の鍵を握るのが冬馬という少年。 実際に幼少時から八年間もの長期間眠り続け、その眠りから覚めるということが ありえるのかどうかは わからないけれど、ここにコナンシリーズの新境地が見えたと感じたのは私だけだろうか。 体は15歳で心は事件当時の7歳のまま…灰原の「まるで、私たちとは別ね…」という言葉が印象深い。
 『沈黙の15分』で忘れてはならない台詞がある。 「一度に口から出しちまった言葉は、もう元には戻せねーんだぞ…言葉は刃物なんだ。使い方を間違えると、やっかいな凶器になる…言葉のすれ違いで一生の友達を失うこともあるんだ…」という言葉だ。 とても心に響く名言と言える。 これから大人になる子供たちへの子供たちへのメッセージであり、大人にとっても大切なメッセージと言えるだろう。 もしかしたら 私が気がつかなかっただけかもしれないが、過去14作品の中でここまでメッセージ性のある作品はあっただろうか。新一と蘭のやりとりの場面は“お約束”だが、物語の世界だけでなく、観ている側にも向けた言葉があるのは観たことがない気がする。 そして、スケール感以外に コナン映画が進化した箇所と言えるかもしれない。 アクションや推理場面にプラスして、ストーリー性がより濃密になっている。
 『名探偵コナン』の劇場版も今年で15周年を迎える。 どうしても現実的に考えてしまう。 新一と蘭はもう30歳を超えていて、新一がコナンのままでいても、成人している。 それこそ、『24』のように一話が一日のうちの一時間という設定でいかないと不自然なのだが、それはさておき。 個人的にレギュラー放送や原作ではなく、劇場版は第一弾当初から欠かさず観ている。 しかし、メインの人間関係や主人公の置かれている状況などを知っていれば問題なく、楽しめるというもの。 そうじゃなくても、楽しめるのが『コナン』の魅力のひとつだ。 というか、最近はシリーズ化しているものの多くが 途中からでも十分楽しめるものになっている。
 『コナン』が長寿番組というと、そのくくりが なんだかしっくりこないのだけれど、実際 これほど長く愛され続けているのは、作り手たちが言うように 個性豊かな登場人物たちの魅力がひとつ挙げられるし、何より コナンが難解な謎を解き明かしていくところに、「あぁ、なるほどなぁ」と事件の謎を振り返り,スッキリできるというところだろう。 思ってもみなかった謎の答えに 毎度驚かせながらも、『コナン』の楽しさにはまるのである。 犯人が誰かは一番気になるところだけれど、最も楽しい見所といえるのは、その過程。 謎を少しずつ解き明かしていくところにある。
 『コナン』の勢いはとどまるところを知らない。 15周年どころか、30周年は行くのではないか?と、密かに期待している。
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by jd69sparrow | 2011-11-14 12:14 | 映画タイトル ま行

漫才ギャング

2011年3月19日(土)

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<あらすじ>
 ブラックストーン。 黒澤飛夫が相方・石井保と10年間組んでいたコンビ名。 彼らは若手ながらも実力があるお笑いコンビだが、ある日突然 保から解散を持ちかける。 多額の借金のためだ。 飛夫は自暴自棄になり、自棄酒を飲み,気が付くと留置所にいた。 個室の中には両腕にドハデな刺青を入れたドレッドヘアーの鬼塚龍平がおり,彼とのやり取りの中で飛夫は龍平のツッコミの才能に気付く。 解散したばかりの今、飛夫は龍平にお笑いコンビに誘う。 あっさり承諾をえて、飛夫は新たな漫才をスタートさせるが,龍平と対立する不良グループによる妨害という壁が立ちふさがるのであった。
 そして飛夫と龍平は互いに刺激しあい、夢を持つことの大切さや自分のすすむべき道を見つけ,成長していくのである。

<感想>※ネタバレにご注意!
 映画の8割はコントという,異色作の第二弾。 前回の『ドロップ』に劣らぬ,スピード感と笑いの連続が最大の見所である。 メインとなる,飛夫や龍平だけでなく,借金とりの金井やデブタク(龍平のバイト先の同僚)も含めて、四人によるグループコントと言ってもいいかもしれない。 四人が全員揃っているという場面はあったかなかったかというくらいだけれど、この映画の笑いはこの四人を中心に動いている。 さらに小渕川というマニアックキャラも注目だ。 作り手の言葉にもあるように、脇役にまだこだわりがあるのだ。 脇役であって、脇役ではない…つまり、脇役がそうと感じさせない個性をはなっているのだ。 ボケツッコミが所々で発生する。 お笑いを本業とする人たちもさることながら、メインの二人にもリアルな笑い、漫才が追及されているところが徹底されている。
 個人的には 龍平と金井のコンビが面白いと思う。 犬猿の仲。 この二人の掛け合いも コントを観ているようで笑いがとまらない。 直接的な関係はないのだが、共通の知り合いがいて,それにより顔をあわせることもある…という「つながり」なのだが、とりわけ 飛夫の家で鉢合わせする場面は注目だ。 怒涛のツッコミあいと、小窓という小道具を使ってのアクション。金井の引き際までを含めて、こここそ「スピード感ある笑い」と言えるだろう。
 最後の結末は意外だった。 まるで飛夫は女子かのように二人の相方の間で揺れるという件がある。 どちらを最終的に漫才のパートナーとして選ぶかと。 そして龍平の決意。 その二つは一見別のことようで“つながっている”。 というのも、互いが互いを新たなスタートを切るための相手に選ばないからだ。 特に龍平の変化と決意の行方は驚きだった。 奇しくも小渕川の一言により、自己犠牲になることがもたらす意味を知り、飛夫と同じ道で,しかし気持ち新たに「やり直す」というのも面白く、意表をついた展開である。 意表をつくと言えば、龍平の新たな相方。 顔こそ、映らないけれど 前半の場面と,その新しい相方と共に登場する少し手前のある一コマで推測できる。 その相方は龍平が再びお笑いを始めるよりも意外な人である。 「どんでん返し」という言葉は適切ではないが、予測のつかない,「あぁ、そこでつながっていた(そうだった)のか!」という展開だ。 ピース又吉にあらず(一瞬そう見えたけど)。
 映画館の劇場内が笑い声で響くと言うのはとても珍しい。 だけど、それくらい思いっきり笑う事のできる,現役のお笑い芸人だからこそ作り出せる,クオリティの高い,笑いが追及された,「お笑い」映画なのだ。
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by jd69sparrow | 2011-10-29 00:00 | 映画タイトル ま行

魔法使いの弟子 The Sorcerer's Apprentice

2011.3.9.Wed.

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<あらすじ>
 時は紀元前まで遡る。 その昔、マーリンという名の偉大な魔法使いがいた。 彼には三人の弟子がいて,バルバザール、ヴェロニカ、ホルヴァートといった。 しかし、弟子の一人 ホルヴァートはマーリンを裏切り、悪の魔女モルガナを手引きし、マーリンの命を奪うのだった。 しかし、バルバザールとヴェロニカの手でモルガナ、ホルヴァート共々、封印した。 ヴェロニカはその身を犠牲にし,二人の悪と共に永い眠りにつき、残されたバルバザールは、マーリンからモルガナを倒すためのマーリンの後継者を探すという任を任され、何世紀にも渡り、その後継者を探し続ける。
 そしてついに、その後継者を見つけ出す。 デイヴである。 9歳のデイヴとの出会いを果たし,そしてその10年後に再会を果たす。 デイヴは物理学オタクで気弱なごく平凡な大学生。 魔法使いとは縁の遠い人物だと思われたが…
 10年の間、身を潜めていたのはバルバザールだけではなく、裏切り者ホルヴァートも同時に復活するのである。 封印された1000年以上前に果たす計画であった,死者を甦らせ,人々を支配するためにモルガナ復活のために、その封印の壷を巡り、彼らは争うのだった。 そしてデイヴはバルバザールの“弟子”となり,マーリンから受け継がれし,ドラゴンリングの力を借り、魔法使いとしての修行を始めるのである。

<感想>※ネタバレにご注意ください!
 ディズニーとブラッカイマーのタッグ・プロジェクトが新たに始動した。 『魔法使いの弟子』。 このタイトルが想像できるように、ディズニーの名作『ファンタジア』をリスペクトした,また ある意味でリメイクした映画である。 大都会を舞台にした魔法使いのバトル…そう目新しくもないような気もするが、この舞台一本というのはあまりないと思われる。 驚くべきは、フルCGで全てを描くのではなく、実写部分を多様に施されているところだろう。 
 物語の展開としては、“ぶっとんでいる”と思う。 物語は敷かれて入るものの、ディテールをもっと掘り下げて欲しかったというのが正直なところである。 というのも、主人公デイヴがリングなしで魔法を使えるまでの件があまりに急に思えたからである。 現実的な目で考えれば、予算上の問題があったかもしれないが、個人的には デイヴが最後に急ピッチでパワーをつけたことや修行以外で魔法を使うところが唐突だ。 
 あと、主人公の秘めた魔法の力を呼び起こすドラゴンリング。 生きているかのように動くこのリングであるが、想像していたものと違うものだったと思うのは贅沢だろうか。 終始、魔法を使うためのアイテムであったこのリングであるが、個人的にはドラゴンが呼び出す力とか、リングが本物のドラゴンになるとか,そんな感じのものだと勝手に思い込んでいた。
 それから、ホルヴァートの裏切りの要因。 これについては物足りないとかではないけれど、力へのあるいは邪悪な欲望のため…というわけではなく、“嫉妬”…それも三角関係によるものだったというのが意外だった。とは言え、人が誰か恨んだり,悪に手を染めてしまう発端というのは、案外身近なものであるのかもしれない。
 とは言え、魅力的な部分も多々あることも確かである。 その一つはドラゴンだ。 ファンタジーに欠かせないドラゴンが実に意外な方法で登場する。 その背景にはチャイナタウンがあり、映画に華をそえている。 主人公たちの後ろに広がる風景というのも 物語を盛り上げる重要な役割を果たしているのだ。 もちろん、ニューヨークという大都市もそうだ。 中国のパレードで見受けられる,ドラゴンを模った祭り遊具だけでもスクリーン上に色を添えるのだけれど、それが魔法の力でドラゴンとなるところがインパクトが大きい。 紙で出来たドラゴンが、本物のドラゴンとなる瞬間とその姿を観て,カッコいいと思った。 ファンタジー映画において,ドラゴンは幾度となく、登場してきたけれど 私が見た中ではとても手の凝ったものである。 洋と中(洋が濃いけど)がバランスよくミックスされたドラゴンが主人公を追う場面は ファンタジーの醍醐味と言っても過言ではない場面と言えるであろう。 一つ笑えたのが、このシーンの最後でケイジが往年のスタイルに一瞬姿を変えたことである。
 悪役にも注目していただきたい。 ほんのわずかな場面であるが、登場したモルガナを慕う魔法使い(魔術師?)の一人が登場する。 それはチャイナタウンでの一場面だ。 『スピリット』のジェット・リーのようなスタイルの魔法使い…というよりはドラゴン使いと言うべきだろうか…がお互いを吹っ飛ばしたり,魔法使いの王道の技を使う,バルバザールたち以上にカッコいいと思った。 ドラゴンを操る方法もさることながら、戦闘手段、その存在自体がカッコいい。 物語のクライマックスでも様々な魔法使いの存在が明らかにされており、その姿は観れずとも、正体がとても気になる。 次回がもし作られるのだとしたら、彼らが登場することを期待したい。もちろん、デイヴのマーリンの後継者としての可能性もだ。
 最後に。 『トイ・ストーリー』を始めとした,CGアニメーションシリーズでよく見受けられた過去のディズニーの名作キャラクターなど関連する何かが隠れている,お頼みが実写であるこの作品にも隠れていることに驚いた。 バズ・ライトイヤーとミッキーの“あの”帽子。 『ファンタジア』へのオマージュは 箒たちが動き出す,あの場面だけではない。 ちなみに その場面に映る背景もまた注目すべきところだ。 『ファタジア』を観たくなることだろう。 
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by jd69sparrow | 2011-10-17 00:10 | 映画タイトル ま行

モンスターズ・インク

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<あらすじ>
 この世には人間の世界とモンスターの世界があり,その二つの隣接した世界は゛ドア”でつながっている。 モンスターたちは゛モンスターズインク”の働きにより,生活の動力源を得ている。 その動力源となるのが、゛子供の悲鳴”である。 彼らは様々な子供たちの部屋へつながるドアの向こうへ行き,子供たちを脅かすのが仕事だ。 サリーとマイクもその一員だ。 サリーは脅かし役でマイクはサポート役。 人間の子供に触れることを恐れるモンスターたち。 ある日、サリーは仕事時間外に見つけたドアを開けてしまう。 そこから出てきたのが,まだ言葉をあまり覚えてない,幼い女の子だった。 サリーは彼女を゛ブー”と名づけ、ブーはサリーをニャンニャンと呼んだ。 サリーはブーを救い、元の世界に帰してあげるために マイクの力を借りつつ,障害を乗り越えながらブーのドアを探す。

<感想>
 意外にも『モンスターズインク』を観る機会は極めて少なかった。 片手で数えられる程度だ。 この映画じたい,もう公開された年から10年近く経つ。 だが、公開して間もない頃に何度か観たくらいなので 今回改めて観て,ほぼ初めて見る映画という印象を受けた。 やはり10年のブランクか。 10年経つといっても,この時既にピクサーアニメの力は確かのものといえる。 オモチャの後の公開とあり、硬いものから柔らかい,毛並みの多いモンスターたちが登場する映画へと進化を遂げた。 まだ、公開当時には珍しいと言える進化である。 
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by jd69sparrow | 2010-11-23 23:43 | 映画タイトル ま行

魔法にかけられて(2回目)

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<あらすじ>
 ジゼルはおとぎ話の住人で、夢で見た王子様といつかめぐり合える事を願っていた。 トロールに追われた彼女は、エドワード王子に救われる。 その瞬間二人は恋におち,お互いを運命の相手と疑わなかった。 出会って一日にして、結婚を決意する。 しかし、アンダレシアを支配する女王ナリッサはこれを快く思わなかった。 ナリッサは自分の王位を義理の息子エドワードに奪われると考え、邪魔になるジゼルを言葉巧みにだまし、魔法の井戸へと突き落とす。
 ジゼルが落ちて辿り着いた場所は、現実世界のニューヨーク! 何もかもが勝手の違う世界に迷い込んだジゼルは弁護士をするシングルファーザー,ロバートに出会う。 一方で、エドワード王子も井戸の奥へと飛び込んだため,ナリッサはあの手この手を使い,ジゼルに毒をもろうとする。 “真実の愛のキス”を夢みる,ジゼルと現実主義者のロバートの世界観のギャップを描く。 ファンタジーと現実世界の融合。 真実の愛の物語。

<感想>
 二日間で三度も鑑賞してしまうほどの素敵な“夢物語”(個人的感想)。 何よりポジティブでハッピーエンドという話の流れがこの作品の魅力だろう。 そしてミュージカルの要素、さらにはアニメと実写という新しい切り口があるとなると最高のエンタテインメントと言える。 ジゼル、ロバート、エドワードにナンシーという四角関係という複雑な?男女関係があるのだが、そんなことを深追いする事さえ忘れてしまう物語。 実写をふくめて童話の世界のような作品だ。
 “魔法にかけられて”というタイトルについて考えてみる。 “かけられて”という言葉の意味合いからするとやはり、悪い魔女の策略にはまり 魔法の井戸に突き落とされ、アニメから実写の…というか、現実の人間に変えられたといことではないかと思ったのだが、一通り観た上で考えてみると違ったとらえかたもできる。 それはジゼルと…最終的にはロバートの口から出る「真実の愛のキスは最高の魔法」という感じの言葉に“その”意味は尽きるのではないかと思う。 死の呪いかけられたジゼルをロバートが“最高の魔法”で…というくだりである。 しかし、ここで違うのは魔法と言うものはいつか解けるもの…と言うけれど解けぬ魔法があるということ。 愛の魔法。 正確には簡単には解けない魔法。  
 一方でこんなふうにも見える。 ジゼルが現実世界に来たときがジゼルに魔法がかかった状態で、それが真実の愛へと近づくたびにその魔法が解けるという風に。 愛もある意味で魔法なのだが、しだいに夢見る少女から大人の女性へと変わるジゼルは魔法から解放されていくようにも、ファンタジーの世界とは違う魔法がかかっていくようにも見えなくないはないだろうか。 「魔法にかけられて」というタイトル一つに対して、いろんな捉え方が出来る。
 不思議なのが、エドワードも最後に近づくと まるで正気に戻るかのように 現実世界の人々に馴染んだキャラを見せているような気がする。 エドワードがジゼルにかける“愛の言葉”。 下手すればかなりベタなせリフだけれど、でも女性なら言われてみたい言葉かもしれない。 それに、吹替えの声優さんの力もあってだと思うが、やっぱり音で聞いても,ナンシーが言うように,嫌味が感じられない純粋な言葉だなぁと思う。
 夢みがちなキャラが女性だけでなく、男性もあるという点も面白い。 ジゼルとエドワード、ロバートとナンシー…。 特に注目したいのがジゼルとナンシーとの比較。 というのも、この映画が女子にはとても憧れるものがあるからである。 ジゼルには現実の“大人の恋”、ナンシーにはロマンティックな恋。 それぞれ必要としているものが違う。 第一印象から見ると逆に思えるのだが、この違いが面白い。 現実で仕事に追われた,いかにも現実主義に見える女性ほど,実はロマンティックな恋に憧れているんだなぁと思った。 もちろんみんながみんなそういうわけではないと思うのだが。 
 全体的にファンタジーだけれど やっぱり年齢問わず、全ての女性の憧れがあるのではないかと思った。 忘れてしまったものを蘇らせてくれる…。 もちろん、おとぎ話など…と考える人もいるかもしれないけれど 心のどこかにみんなこういう部分を少なからず、持っているのではないかと思うのである。
 思わず口ずさみたくなるような音楽とニューヨークの街の特徴を現しながらも、実にファンタジックにミュージカルサウンドが流れるという場面があり,そこが個人的にはとても好き。 掃除のお兄さんも,ストリートミュージシャンも、おじいいさんやおばあさんに至るまで様々な人たちが歌って踊るというあの場面が最高だ。
 幕を閉じて「いつまでも平和に・・・」となったかと思いきや、どうやら『魔法にかけられて』には続編があるようで、どんなふうに話が進んでいくのかは とても検討がつかないのだが とても楽しみである。
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by jd69sparrow | 2010-09-20 18:56 | 映画タイトル ま行

マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔

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<内容>
 “キング・オブ・ポップ”として今も尚、世界中に影響を与え続けている偉大なる歌手、マイケル・ジャクソン。 一周忌を迎えた今、その称号の裏にある素顔にクローズアップした映像作品…マイケルから私たちへの贈りものがこの『キング・オブ・ポップの素顔』である、 
 マイケルが生まれ育った街,インディアナ州ゲイリーへ帰ってくるというところから全てが始まる。 7年くらい前のことのようだ。 また、マイケルが常にピンマイクを胸に付け、マイケル自身の言葉を話す,とても貴重なフィルムである。 マイケルの日常がそこにはある。 ファンとどう接してきたのか、その一部がここに納められている。 言い換えれば、マイケルの軌跡。

<感想>
 率直な感想をズバリ言うと『This is it』には届かない。 ファンなら素顔を知りたいはず、それに大変貴重な映像ばかりであるから 外せないフィルムだ。 ところどころ、「踊るのかな?」っていうところがあってその度に期待していた。 常にフォーマル系ファッションで登場したマイケルだが、マイケルの誕生日イベントの場面だっただろうか? その他の場面にはない,もしかしたら!っという一こまもあったり。 でも、ヒロミ・ゴーではないけれど、ジャケットをバッと脱ぐ仕草がなんともかっこ良かった。 『♪ブラック オア ホワイト』でも始まるのではないかと思った。
 晩年のマイケルは常にファンへの“感謝”に費やされたのではないだろうか。 『キング・オブ~』の大半はそんな様子が伺えるものであった。 普通だったら拒んだり、あるいは避けたいであろうことも気軽にする。ファンのために。 それはマイケルにとってファンはサポーターだったということなのだろう。 選ばれたファン…その電話に普通に出て会話するなどマイケル以外には(自ら率先して)中々出来うることではないのではいなかろうか。 ファンが自分を支えてくれたという意識が強くなければ、彼らの願いを少しでも多く叶えようとは思わないかもしれない。 ちょっと図々しいと見えるお願いも眉をぴくりとも動かす,気持ちよく答えてくれる…。 キングと呼ばれるだけの器があるのだと思った。
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by jd69sparrow | 2010-07-04 22:10 | 映画タイトル ま行

名探偵コナン 天空の難破船(ロスト・シップ)

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<あらすじ>
 とある研究所から、危険な細菌が盗まれた。犯人は“赤いシャムネコ”となる犯行集団である。彼らはこの殺人ウィルスを使って行動を起こすと宣言する。 一方、鈴木財閥の鈴木次郎吉は怪盗キッドに挑戦状を叩きつける。それは、「レディ・スカイ」という名のビックジュエリーの一つを盗んでみろというもの。レディ・スカイは、次郎吉が所有する飛行船に厳重なセキュリティのもと,保管され,東京から大阪へと運ばれることとなった。次郎吉は、毛利蘭の親友・園子の叔父で、コナンや蘭、少年探偵団も乗船していた。その背後には“赤いシャムネコ”の影が潜んでいた…まさに、空に浮かぶ飛行船が“ステージ”なのだ。つまり、次郎吉と怪盗キッド、コナン(新一)と怪盗キッド、コナン&キッドと赤いシャムネコの三つの対決の場だ。

<感想>
 ウィルスによるバイオテロというサスペンスがアニメーションの世界まで来たというのが、まず驚きだった。殺人事件などはなく、パニックスリラー的な要素があり、トリックもいつもとは違う。より現実的とも思える。怪盗キッドが出てくるという時点で特別な気がするけれど、何しろ“眠りの小五郎”の活躍の場がないのが雰囲気を変えている。
 今回の見所はなんと言っても,コナンとキッドとがタッグを組むこと、そしてその間に蘭が入り,三角関係?となり,ラブコメディがプラスされるところだ。 常に追う側と追われる側というライバル関係であり,天敵でもある二人が協力して、“赤いシャムネコ”と戦うのが面白い。 二人はデコボコ・コンビのようなところもあり,最強タッグとというところもある。二人がタッグを組むことで見えてくるのがお互いの素顔。 特にキッドはクールでキザという一面しか、中々見ることは出来なかったが、その仕事の顔とは違うところが見れたのが個人的には、何より面白かった。
 偶然にも、新一とキッドは共通点が多い。顔や声、年頃、キザ(クール)なことろなど、多々ある。 そのため、キッドが唯一変装せずに他人に成りきれるのが新一。 だけど、作り手が指摘するように性格が少し違う。キッドはふざけていて,お茶目なところもあるし,クールとは言えないコメディな部分も今回見ることが出来る。 動物で例えるならば、イルカのよう。キッドの行動には遊び心が垣間見れるからだ。
 物語全体で見てわかることもある。 完璧な変装名人のはずのキッドは、蘭に変装が見破られ,逃げの一手まで見透かされてしまう。 その心境が描かれるところからすると、主人公はコナンだけにあらずなのだ。
 一方コナンは…というか、新一はいつもように事件にのめりこんでいくと、一直線なところなど ほとんどはいつもと変わらないのだけれど 周りの反応から見ると,こんな一面もあったんだなぁというのが伺える。 行動として見れる人間性はと言うと、良い意味で利用できるものは、利用するという,ちょっと強引とも取れるところが印象的。考えて見れば、この14作目以前にもあるけれど、子供であることを大いに活用するところがそれと言える。子供を“演じる”という場面は、よくあるコナンの必殺技だ。それは、少年探偵団から見ると二重人格に思えてしまう,ある意味恐ろしい技である。コナンの正体を知る平次などからしてもそうだ。しかし、灰原は別。このちょっとブラックな技は今回、コナンの代わりに灰原が見せる。しかし、演じているのがわかっていても、普段の灰原からギャップがありすぎて、可愛い。 でもそれが、コナンのそれよりもっと、恐ろしいように思えてしまう。
 そして今回は、コナンはキッド(と自分自身)を利用する。 その作戦を迷いもなく、半ば強引にキッドを“使う”。 自分と似た顔を持つ,キッドに 警察から絶大な信頼を持つ,工藤新一を。とにかく、いろんな意味で賢いのだ。キッドも断ったりせずに素直に従うという構図がなんとも面白かった。 実はこの二人、良いコンビであり,とても気が合う 腐れ縁?…なんて風にも思える。 新一として、快斗として出会っていたら,どうなっていたのだろう。また、実現することは難しいだろうけど、新一とキッドのタッグも見てみたいものだ。
 そもそも、新一とキッドは何故似ているのか。『バガボンド』の武蔵と『スラムダンク』の花道が似ているように、この二人も同じ作者が描く,漫画の主人公だからデザイン的に考えればごく普通なこと。 というか、新一とキッドの場合,一卵性の双子なみにそっくりだ。別々の作品の主人公である二人が一つの作品の中で共演するというのがまず、面白いところなのだが、この“そっくり”というのがうまく,『名探偵コナン』という作品の中で活かされているということがより物語を盛り上げる。 蘭を惑わしたり、周りの目を欺いたり… そしてそっくりであるがゆえに、三角関係にみたいになったり,蚊帳の外に立たされた,コナン(新一)の必死な姿が可愛かったり。やっぱり、事件やアクションは背景に過ぎず、メインはここなのだとつくづく実感。
 印象深い場面は色々ある。 まずは、飛行船内に忍び込んだ キッドを蘭が見破ったところ、それに変装した,キッドがコナンを助けに,空へダイブする場面、そしてラスト。 一つ目に関しては前述したとおり。二つ目は、変装したはずのキッドの目だけが,キッド自身の目に切り替わっており,大胆にも空へ飛び込んでいくという動きがなんとも格好いいのだ。実写では中々ない,コードなアクションシーン。天敵がその天敵を救うという場面。キッドしか出来ない救出劇である。
 ラストシーン。 キッドが新一だと信じかけていることを,コナンは知らないというのが面白く、偶然にも(運良く?)“あんなこと”を見逃したところもまた面白い。しかし、その瞬間はとてもロマンティック。 最後は、コメディっぽく締めくくられれているのが良い。
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by jd69sparrow | 2010-04-28 18:51 | 映画タイトル ま行

マイケル・ジャクソン This is it

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<イントロダクション>
 何よりも惜しいのがツアーを前にしてMJがこの世を去ってしまったことだ。 しかし、中々垣間見ることの出来ない,仕事上ではあるものの,素顔のMJを見ることが出来るのはファンにとって,とても嬉しいことだと思う。 テレビの前に出てくる彼でも,プライベートの彼でもない。 これぞ、世界的スーパースターという名誉ある地位にふさわしい理由がここにある。 何よりもファンを大切にするMJだからこそ、彼の曲を待つ人々のために最高のエンターテインメントに,こだわりぬき築き上げられていたラストステージへ向かう様子がカメラにおさめられた,貴重な映像こそが『マイケル・ジャクソン This is it』というマイケルから私達への贈り物なのである。

<内容>
 ロンドンをスタートにマイケル・ジャクソンによるビッグなエンタテインメントが予定された。 ダンサー選考から始まり,MJが今までヒットを飛ばした,“スリラー”や“ビート・イット”を始めとした,名曲の数々が披露される場面をふまえつつ,最高のコンサートが作り上げられていく様子が事細かに描かれている。 彼を支えるスタッフ達と幾度にも渡る,ディスカッションや試行錯誤を重ねながら,プロジェクトが完成へと向かう。

<感想>
 まさにドキュメンタリー。 ドキュメンタリーでリハーサル映像なのだけれど、映像見る者からするとリハーサルの時点でそれはエキサイティングなステージを楽しんでいるも同然。 ディスカッションやダンサーやスタッフの声もあるとは言え,贅沢なくらいMJのダンスや歌を見て,聴くことができるのだから。 ステージの仕掛けもパフォーマンスもとにかくすごい。 ステージに施される演出にはMJ自らが加わり,一言一言に説得力があるのだ。 これがまさしくカリスマなのだとつくづく思う。 歌も音楽も知り尽くしているのだ。 細かいところまで絶対妥協をしない完璧主義者はパフォーマー,アーティストの鏡だと思う。
 このステージのために新たな映像やスタイルで名曲が生まれ変わり,もともと映画用ではないのに一曲一曲が映画みたいだ。 これが実現し、生でもし見ることが出来ていたら どんなふうに見えるのだろう。 おそらくはどこでも味わったことのない,ステージになっていたことだろう。 
 この作品が公開される前のしばらくの間はダンス、ましてや歌など見ることが出来なかっただけに、もう歌うことはないのかと不安になることもあったがl、結果,映像としてMJは私達に送り届けてくれた。 50を迎えても歌唱力やダンス、スタイルさえも衰えることなく パワフルかつソウルフルな歌とダンスが出来るだなんて,なんてカッコいいのだろう? 天性の才能なのかもしれないけれど、MJの歌唱力はファンを思う心が作り上げているのではないだろうか。 歌もダンスもバランスよく,どちらもプロフェッショナルという言葉がまさにふさわしい。 歌を通してメッセージを伝えるアーティストとは、きっとこうあるべきなのだろう。 一番大切なのは魂と心なのであり、ファンや支える人たちへ愛を持てるということだと、MJはここで体現している。 
 意図せずともMJは私達に大切なことを教えてくれている気がするし、彼がスタッフに伝える言葉の中にはこちらに向けられたものもあるように感じる。 そして、ここから感じ取られることも多々ある。 全体をみるとエンタテインメントを築き上げようとするMJは彼の人柄をそのまま表していると思う。 けっして声を荒げることもない、優しさは変わらない。
 本業である歌やダンス以外に、慈善活動にも精力的だったとあると尊敬すべき偉人と言っても過言ではないかもしれない。 環境破壊の続く現代の問題点を訴える曲を作り、環境破壊がいかに罪深いことなのかを改めて考えさせられる。 曲の感じ、ステージに使われた映像を見るとよくわかる。 とても悲しい雰囲気だけど歌の響きじたいはとても綺麗。 “今が(これを改善する)チャンスなんだ、今しかないんだ”、“ここ四年で変えなくてはならない”と熱いメッセージがなんとも心にしみる。 この言葉を受け取った全ての人は少なからず、今できることを少しでも多くするべき。 生きるための綺麗な空気を運んでくれる木々などといった自然を伐採したりしてなくすべきではないのだとMJは言っている。 何故、自ら自分たちの首を絞めるようなことをしてしまうのか。 自分の利益より地球の未来を考える方が大事ではないのか? とこの曲を聴いて思った。 
 この作品を見て一番思うのは、マイケルの生き様の素晴らしさから、自分自身も年表が作れるくらいの刺激的で充実した人生を送りたいと思った。
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by jd69sparrow | 2009-11-13 00:39 | 映画タイトル ま行