カテゴリ:映画タイトル ま行( 52 )

名犬ラッシー

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 にわかに恐慌の風の吹くイギリス。 ヨークにある街。 そこには狩りをたしなむ富豪もいれば毎日を地道に働き,暮らしをたてて生きる貧しい人々も多くいた。 少年ジョーは両親と,家族同然の利口な犬・ラッシー。 ジョーにはいつも自分の帰りを待ってくれている友がいて、それが“ラッシー”である。 ジョーたち家族はラッシーを貧しくても愛し,また家族の一員だと言う。
 これはジョーたちが大好きな飼い犬でジョーの何よりの友であるラッシーの奇跡の物語である。
 戦争がまだある世の中、ジョーの父親は毎日山に出かけ,家族のためにお金を稼ぐがその生活も長くは続かなかった。三人と一匹が暮らしていくための生活費は底をつきかけつつあった。 そんなギリギリの生活でも,ジョーにはラッシーがいた。 父親を含め,炭鉱掘りたちは山野炭鉱がつきたことで職を失った。すると,ラッシーを求める富豪が出てきた。 家族同然のラッシーを手放し、富豪に売る他,三人の家族の生活していくのにつなげる手立ては残されていなかった。 少年がラッシーを恋しく思うように、ラッシーもまた,彼女の主人で家族であるジョーたちへの思いが強かった。ラッシーはその我が家にただ帰りたかったのである。
 ジョーはラッシーを手鼻避ければならなく,愛する父親ですら戦争のために訓練を受けに遠く離れてしまうという,まだ小さく幼い彼にとってはつらい思いを強いられる。 
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by jd69sparrow | 2007-09-07 13:22 | 映画タイトル ま行

マイアミ・ホット・リゾート

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 夏、どこかのリゾートホテルへ休暇を過ごしにやってきたジャックとベン。 そこには様々な目的でリゾートで楽しむ人々であふれている。 ジャックたちが各々の相手を探すにはもってこい場所である。 二人は目的を達成しようと試みるがそこには次から次へとハプニングが発生。 舞台となるホテルは広いようで狭い空間。 そこがポイントだと思う。 二人が何か行動に出るたびに何かが起きる。 そこに警備主任、そして思わぬ偶然と手違いによりジャックとベンを怒りの矛先を向ける男が加わり、彼らはジャックたちを共に敵対視し ジャックたちを見かけては追いかけまわす。
 ジャックとベンは理想の人を見つけては声をかけようと試みるが中々うまくはいかない。 一歩進むとその先にはハプニングが待ち構えている。 ホテルという場所ゆえにか人と人がどこでどうつながっているかわからない。 あるいはどう偶然にはちあわすかもわからない、そんなその空間の(世間?)の狭さがおもしろいところで話の盛り上がるところ。 ジャンルで言えばコメディ。 お堅い感じの警備主任と資産家のダイヤを狙う男、彼らとジャックとベンが鉢合わせになるたびに鬼ごっこが始まる。 ホテルの中での大規模な鬼ごっこである。 ちょっとハラハラドキドキなところもあれば笑いどころも満載。 
 ジャックたちはあらゆる手立てを使い二人の追っ手から逃げ回ったり、美人に声をかけたりという状況下にある。 ジャックはプレイボーイで恋に手段を選ばない美人に弱いタイプという感じであり、ベンもその後に続くけど純粋な思いをつらぬくというタイプというようにとらえられる。 二人の目的は一つだけれど次々と何かの騒動にまきこまれていくのだ。 
 警備主任とダイヤを狙う男はジャックたちを追いかけるたびにその身に災難がふりかかる。 とりわけ警備主任は仕事に精を出し,仕事を生真面目に成し遂げようとするあまりか、ジャックたちをつかまえようとするたびにかわいそうなくらいに不運にみまわれる。 見ていてかわいそうだけどおもしろい。 
 追いかけ,追いかけられ、恋の相手をえようと頭をフル回転させ手をつくす。中々おもしろい作品である(※1985年)。 
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by jd69sparrow | 2007-06-02 11:26 | 映画タイトル ま行

MOON CHILD

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 固く結ばれていた友情はずっとカタチを変えず続くものだと思っていた、時代と環境の変化と共に輝きが失われていく。 四人の男女をつないだ友情という絆。 ますます厳しくなる環境下、それでも彼らは笑って楽しいひと時を過ごしていた。 しかし、生きていくのにも必死になった頃彼らの人生も大きく変わっていった。 
 2014年、多くの日本人は日本を離れていった。 それは日本の経済の崩壊を意味していた。日本人はアジアのどこかの国にあるマレッパという移民地区へと移り住んでいったのであった。しかし決して誰もが裕福な生活ができたわけではなく、むしろ貧しい生活を強いられている。 人々は生きるの必死だった。 それは大人と限らず子どもにもあたえられた現実である。 子どもは知恵をふりしぼり生きる手段をえていた。 ショウもその一人だった。 少年だったショウはある日、まるで死んでいるかのようにじっとその場に座り込んでいる男に出会う。 ケイである。ショウはほうっておくことができず、ケイを仲間達のもとへ連れ出す。 それがショウとケイの友情のはじまりだったのだ。 ショウはケイの正体が“永遠を生きる者”だと知ってもつながりを絶つこともなく,月日が流れ、ショウがケイの年頃に追いつく。 ショウと長い付き合いを持つ、トシ、ショウとケイが戦いに挑む中,仲間となった孫、そして孫の妹イーチェの五人の友情の輪がつながる。 時としてショウやケイたちは命の危機に関わるのところへも行き、次第に友情のカタチも変わっていくのだった。
 物語はショウの少年時代の一場面に始まり、主人公たちが生きた時代と五人の間で、あるいは彼らを取り巻く環境下での変化、互いに友として笑い、仲間のために命を張った彼らの軌跡を時代を追い,描いている。 時代が彼らを変えていったのだ。
 生き抜くため、人は様々な手段を探す。 愛する者のため、避けつづけていた道も選ばざるをえない。 全ては愛する者のため、自分のため。 ただそれだけなのだ。 その道を選ぶの仕方のないことなのかもしれない、それに命に代えられるものはない。 しかしその道を選んでいいものなのかと思う。 自分たちの平和を守るためと言って人の命を犠牲にしてもいいものなのだろうか。 これは誰もが思うことであろう。 とは言え、いつか(それが近い未来であれ、遠い未来であれ)そういう現実が身の回りで起こってもおかしくはないのかもしれない。 日本人が移民となるというストーリー設定も100%ないとも言い切れないのではないだろうか。 「映画は未来を予言する」という話をどこかで耳にしたことがある。 
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by jd69sparrow | 2007-05-12 14:07 | 映画タイトル ま行

名探偵コナン 紺碧の棺

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 毎年恒例のアニメーション映画。 2006年、10周年という節目の年を迎えてから第一作目となる「紺碧の棺」。 “棺”と書いて“ジョリー・ロジャー”と読む。 作品のタイトルには物語のテーマに密接に関係している。 主人公の名前がそのまま使われているもの、「マトリックス」のように物語の世界を指すような作品全体を表すものもある。 シリーズものであればサブタイトル。主として言えるのが物語を解く鍵となることが主題であれ,副題であれ使われるのだ。 「コナン」のような推理ものというのは特にそうであろう。 作品のタイトルはそれぞれの作品を認識するための文字であり記号、だからそこに込めれている意味を考えるというのは見落とがちかもしれない。 推理ものの場合はどこにその物語で起こる事件の謎を解く鍵はどこに隠されているかわからない。 もちろんその他のジャンルの作品であっても物語をより理解するためのヒントはちりばめられていてわかりやすいところ、目に付きにくいところにあると思う。
 今回,11作目はいつもの「コナン」と違う。 それは事件よりも謎解き冒険ロマンという色が強かったというところ。 事件の謎をあばくことだけが推理物語なのではない、トレジャーハントにも謎解きはつきものであるということを改めて実感した。 海を舞台に繰り広げられ,次々に謎がまいこんでくる。
 およそ300年前に実在したアン・ボリーとメアリ・リードは同じ女海賊であり,パートナー。 二人がそれぞれが愛用していたとされる刀とピストルが海の底の宮殿から発見された。 それらが発見されたのは神海島という島から少し離れた場所にある頼親島の海底。 たまたま神海島へ訪れてきていたコナンたち一行。 コナンや少年探偵団(コナンになった主人公・新一の同級生たち)は島の観光課が行っている謎解きクイズラリーに参加。 全ての謎を解きあかしたときに手の中にいれることのできるお宝を目指して。 しかしまた事件に遭遇し、二人の女海賊にまつわる宝の場所を突き止めていく。
 互いが自分の後ろを任すことのできる信頼の絆で結ばれるアンとメアリのように蘭(新一の幼馴染)と園子(蘭の親友)の友情は強く結ばれていて互いが互いの力となり敵たちに勇敢に立ち向かっていく。 まるで伝説に残された女海賊さながらに蘭とそ園子は敵たちに戦いを挑む。
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by jd69sparrow | 2007-04-23 03:13 | 映画タイトル ま行

蟲師

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 かつて日本の中で自然に恵まれた静かでのどかな場所では人と蟲とが同じ場所に住んでいたという。 蟲とはあるべきところにあるようにあるというもの。 人が暮らす民家などといった場所に蟲はいる。 時として人のからだにつくこともあり、人に何らかの影響をあたえる。 それによりもたらされた身体への障害を取り除き,癒す、また蟲をあるべきところにかえす者たちがいた。 そのような力を持つ者のことを人は「蟲師」と呼んだ。
 この物語は蟲を退治するというものではない。 だから激しい戦いというものも望まれることもない。 不思議な世界観が広がり,それこそがこの物語の魅力である。 ふわっとした空気と不思議な空間と言ってもいいだろう。 そういった雰囲気を味わうことができるのが特徴のように思う。
 時代は今から百年ほど前に遡る。 蟲と関わった人々を癒すため,旅をするギンコという蟲師がいた。 彼は若くしてその髪は白髪。 その謎もある日を境にした自身の過去もギンコにさえわからない。 ギンコの蟲師としての旅路と彼の過去に隠されたものが明らかにされていく。
蟲と一言に言っても様々なタイプを持ち,その分だけ人々にもたらす影響のカタチも様々なのである。 それがどんなものなのか、蟲とはなんなのか、そもそも「蟲師」という物語の世界とはいかなるものなのかを観る者に語りかけているというものと私は思う。 
 たいていの物語には場面場面、描写ごとに強弱がある。 それはクライマックスであったりストリーをどんどんと新たな方向へと展開していくというものであったりする。 言い換えれば盛り上がりと平坦な部分との二つが相互に出てくるという構成。 「蟲師」というのは物語やそのコンセプトを見るといったおもしろさもあるけれど,どちらかというと世界観を堪能するというもの。 まるで不思議で,それでいて貴重な経験をしてきたかのような感覚である。 この映画の作り手の言葉にあったと思うけれど本当にここで描かれるような世界がどこかに存在したのではないかと思える。 それが史実であれ言い伝えや“物語”であったとしても。 
 監督のこだわりはすごい。 そのこだわりがあるからこそ映画「蟲師」の壮大な世界を見ることができるのだから。 日本の風景のよさは日本の風景でこそ表現できるのであり,伝わるのだなと思った。 これからもここで見ることのできるような景色が残されていて欲しいものである。 それは歴史を肌で感じることのできる日本の財産であると思うからである。
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by jd69sparrow | 2007-04-10 01:03 | 映画タイトル ま行

MIB-Men In Black-

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 “ゴースト・バスターズ”ならぬ“エイリアン・バスターズ”と言えるのではないかと考えられるのが「MIB」であろう。 宇宙からやってきた生き物たちを取り締まる機関で宇宙と地球とが通じる場所というべきだろうか。 “宇宙の玄関口”とも言えそうだ。 “Men In Black”、人々にほとんど知られていない組織である。 彼らは一般人たちの目に触れることがあってもほどなくして人々の記憶から消える偶像の産物なのだ。 彼らは“MIB”に勤めることで自分の存在を証明するものを消され、影となる。 そして黒いスーツでその後一生身を固めることとなる。
 地球には人の姿をかり,人間のように生きている宇宙人たちが大勢いる。 それを常に監視するのがMIBの仕事の一つ。 ある日宇宙人たちがこぞって恐れをなして逃げ出すという事態が起きる。 それは地球を巻き込み,恐ろしい戦争が起きる兆しであった。 “銀河”という未知なる力が秘められているものが地球にあり,それを狙う恐ろしきエイリアン、“銀河”をめぐっての戦いと追跡が始まる。 MIBに導かれその一員となったJと、ベテランの“MIB”のKとがその前線に立つ。
 人々にエイリアンのからんだ事態を目撃されるのは避けられない、そのたびにそれを処理し、なかったことにする。 Kがその一連の作業をするのがなんだかおもしろい。 ウソっぽく聞こえることを淡々と話すのがユーモアに見える。
 さらにエイリアンたちにまるで部下に叱るかのように忠告するなど、この作品では“MIB”とエイリアンとのコミュニケーションがコメディチックに描かれている。 友好的に見えるところもあっておもしろい。
 JとKとのやりとりもおもしろい。 とてもコミカルだからである。 Kを演じるトミーリー・ジョーンズはここでの印象が強く残ったのか、日本ではこの映画を思い起こさせるようなコマーシャルがあり,これまたおもしろい。 また、J役のウィル・スミスもこの作品でより,コミカルな演技がおもしろいコメディアクション俳優としての地位を確立したと思える。
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by jd69sparrow | 2007-02-05 18:15 | 映画タイトル ま行

マリー・アントワネット

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18世紀後半、ティーンエージャーにしてフランスの王妃になた人物がいる。マリー・アントワネットである。 彼女にまつわる話と言えば国民たちの飢えからくる苦しみをよそに何不自由なくあらゆるものを我が物とした挙句死刑に処されてしまう まだ若き彼女の髪は一夜にして真っ白に色あせたという,過度な贅沢があだとなり自らに早すぎる死を導く最期を遂げたということ世に知られるマリー・アントワネットの生き様である。 思うにその事実はあくまで客観的な味方であって彼女を見てきた人々の視点だろう。 この映画はマリー・アントワネットの視点にたって彼女の生きる時代と道とが表れている。 史劇というよりもアントワネットの内面を映し出された物語、青春ものと表されるのはまさにそこにあるのかもしれない。
 わずか14歳にして未来の王のもとへと嫁ぐことになったマリー・アントワネットはオーストリアを離れフランスへと渡る。 フランス国王ルイ15世の孫,ルイ・オーギュストと式を迎える。 今まで大事にしていたものと別れを告げ、民から,またベルサイユの宮殿で彼女を迎える人々からの視線を常に浴びなくてならない孤独で精神的な自由がはばかれる孤独な世界でのアントワネットの毎日が始まる。 宮殿内と遠くにいる母親から“世継ぎ”というプレッシャーを与えられ,急かされ,また中々オーギュストから愛をもらえないことで子どもができず,そのことで人々の間でささやかれ、また陰口が飛び交う中で彼女は窮地に追い込まれる。 孤独で哀しい今に耐えられぬあまり彼女は贅沢すぎる生活に惹かれ、おぼれていく。 後に娘と待望の世継ぎをもうけ、ルイ16世となったオーギュストからの愛をえ、彼女の生き方は一変する。
 歴史劇の枠を超え、現代へつながるものをより引き出すために、まさに現代的と呼ばれる要素がふんだんに使われているようだ。 一つあげるとするならば“クラシック・ロック”である。 描かれる時代にあったメロディーもほどよく使われているが、物語の色が“ポップ”とされるように
近代の音楽,“クラシック・ロック”で色づけされ、音楽だけ聴いていると現代としか思えない。 だけど違和感が感じられないのは物語が主人公の目線だから。 ロックはこの時代にないけれどアントワネットが感じたファッションや食、芸術など申し分ない華やかな生活と自身の生き様はこの映画の雰囲気をつくる一つである音楽そのものだったかもしれない。 歴史を今あるもので表現できることがわかる。
 本物のベルサイユ宮殿で撮影されたこと、様々な色に分けられた王家や宮殿にいる人々の豪華な服、またスウィーツにおいてもまたカラフル、全体色とりどりに染められている。 人の内なるものを表すといわれる一例が服。 アントワネットの気持ちや感情がその色鮮やかな服や彼女を取り巻く世界に表れている。
 アントワネットの暮らしぶりはそれをまかなうべく生き,働く国民たちから大いに反感をかってしまうが“悪意”が存在しないこと、それまできつくしばられた状況下により寂しさが募っていってしまうとかがあり、彼女の人間らしさと愛らしさが怒りをかわれるだけの人物にくくりつけられなかったことに位置づいていると思う。 マリー・アントワネットはファッションなどにおいて女性としての当時の最前線にいた。 贅沢の大きさは計り知れないけれど、女性としてファッションや食などといった楽しみに純粋に喜びを感じ自らに投資していたという面での彼女の生き方は女性の生き方としては悪いものではなく,むしろ理想的といえるかもしれない。
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by jd69sparrow | 2007-02-01 23:53 | 映画タイトル ま行

待ちこがれて

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 ジェーン・オースティン原作の映画化作品である。 オースティンの映画化作品と言えば他にキーラ・ナイトレイ主演映画「プライドと偏見」(原題「高慢と偏見」)があり、この作品はドラマ化にもされている。 「待ちこがれて」という作品は「説得」(または「説きふせられて」)を映画化したものである。 「プライドと偏見」でもわかるように女性を主人公とし、オースティンの知る時代を貴族という視点で登場人物を置き,描いたもの。 その当時の女性の恋愛観など心の描写を描くものであるのだが、書かれた時代が遠い過去であっても書き手たちは現代につながるものを後世に残す。 時代の風景こそ違うものの登場人物の心の描写などは現代とそう変わるものではないだろう。 また、現代につながるテーマや真理があるからこそこうして文学史に名を刻まれた文豪たちの描く人間模様を受け止められることが出来るのだと思う。 この物語もまた一人の女性を描いたもので思うに恋を待ちこがれた人を描いた作品ということなのだろう。
 主人公アンは二人の妹を持つオールドミスなのだけれど、妹たちとは全く別である。 一度は恋をしたもののそれも叶うことなくもなく、しかしその気持ちを胸に残しつつ日々を送っていた。 そんな彼女と彼女の家族たちは家を手放さなければならなくなった。 そしてそんな最中アンは昔,恋みのらず離れ離れになった相手と再会することになる。 だが肝心の相手はアンではなく別の人を見ていた。 昔恋をしていた相手との再会にアンの心は揺らいだ。 そんな彼女の心の描写・目だって表れることなく動く恋愛模様と彼女とは異なる考えを持つ家族たちとの物語。
 貴族たちどうしの付き合いが多く取り扱われており、アンやアンの家族たちがそういったことに対しどんな価値観を持っているのかが表れている。 現在と過去とでは異なる点も多くあるけれど(この物語の)その時代の恋愛観、そしてここで見られる身分の高い,目上の人々とどう付き合っていくかなど完璧とはいかなくともどこかでつながっているような気がする。
 アンは常に一歩引いている、それは自分を犠牲にしているようでもある。 昔恋してた相手との突然の再会が彼女が心の奥に閉まっていた思いや感情をあふれ出させる。 それは心に波を起こすことであるようでもあるけれど心の中に再び火が灯り,光が差し込みもやが晴れ希望へと導いていくというふうである。
 
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by jd69sparrow | 2006-12-02 23:52 | 映画タイトル ま行

マイアミ・バイス

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 セクシーでワイルドな魅力たっぷりの刑事コンビが犯罪組織へ飛び込み,潜入捜査。 アクション刑事ものというのは数多くあるけれど実に現実味のあるリアルな映画というのは中々お目にかかれない。 もととなるドラマは80年代,放送されたようだ。 ドラマ版に携わっていたとされるマイケル・マン監督が初のメガホンをふるい,迫力と臨場感あふれる映像と“男の美学”というものがそこにプラスされた。 危険すぎる任務につく二人の刑事の生き様とも言うべきだろうか。とにかく男として最高にかっこいい二人が画面いっぱいに映し出され、煌々と光る。 彼らが仕事をするときは主としてスーツでびしっときめ,車は高級車。 ぱっと見た感じ、ワルにも見えるがそうではない。 彼らがそう見えるのは彼らが潜入捜査という任務遂行の証。 彼らは“役”になりきらなければならない、これは犯人への静かなる挑戦であろう。 少しでも間違えれば死への秒読みが始まる、というかないと言っていいだろう。 彼らのこなす仕事が現実にも存在すると考えるとすごいし、彼ら以上に人為的な死に近い仕事を持つ者はそうそういないのではないだろうか。 緊迫した空気が流れる中、あってはならない恋があったりとドラマ性もしかれている。
 ソニー(コリン・ファレル)とリコ(ジェイミー・フォックス)の二人は任務遂行中、そんな最中に突如舞い込んできた一つの知らせ。 それは二人が関わっていた情報屋の死へと導いたのだった。 そこから全ては始まった。 そして彼らは驚異的な犯罪組織を法の下の制裁を下すべく潜入捜査という危険な賭けに出た。 ソニーとリコには次々と魔の手が襲い、命が幾度となく危機にさられるのだ。 しかし、そこでひるんではいけない。 いつでもクールでいなければならないのだ。 いつでもクールでいること、犯罪組織に接近するために“なりきる”ことが彼らの鉄則。やり直しが聞かないのが危険さを物語っている。
 二人は正反対な性格の持ち主どうし。 そうでなくてはおもしろくないし、だからこそ互いおぎない絆も結束するのではと思う。 この映画ではソニーは“そのときそのときの情熱に生きる”とあり、時にエンジンがきかなくなりかける。 けれど仕事にかける精神は上司をも上回るもの。 リコはいつ何時も冷静で、冷静で相棒を信じるその目でソニーを見、自分の目の前にあるものを見る。 熱くなりすぎることもなく、ソニーを唯一人とめることのできる存在であろう。 それこそがパートナーとしての結束の力、絆の力そのもの。
 豪快すぎるアクションがあるわけでもなく、二人の人間性も器も決して遠いものではない。アクションものと言えば爆風の起きる間際で切り抜けたりとか大きく目立たせるものはなく、あくまでその任務につく男たちの精神をついたものなのだ。 そこが実にリアル。
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by jd69sparrow | 2006-09-30 04:18 | 映画タイトル ま行

マスク2

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 マスク伝説に新たな1ページ! あのマスクはさまよい続けある男のもとへやってきた。 いたずらの神様のマスクをめぐる騒動が起こる。 マスクをつけた者はその者の願望がマスクにより叶えられるがその方法は大胆かつ大きく出てくる。 そしてマスクはつけた者によってよくも悪くも働くのだ。 ぐるぐると竜巻のように現れ、トゥーン・ワールドにでも訪れたかのような感覚で、マスクは楽しませてくれる。 つまり、善良な者がつければマスクはつけた者の願望を強く引き出してくれるわけでかぶった者をハイテンションでおもしろキャラに大変身させるのである。 今度は原題「Son of the MASK」とあるように“マスクの子供”が主人公と言っていいだろう。 “マスクの子供”というのはマスクをかぶった者(かぶったままの状態の者)とその妻トーニャの間に生まれた“マスク”の遺伝子を持って生まれた子供アルビーのことである。 今回はマスクをつけずして“マスク”のパワーを使うことのできるスーパー・ベイビー、また アルビーに嫉妬したアルビーの父親ティムと母親のトーニャの愛犬オーティスとの決闘も見所。 そしてマスクの持ち主で災い(いたずら)の神ロキと“マスクの子供”と“マスク”を追い求めて来る。 彼もまたマスクなしで“マスク・パワー”が操れるのである。
 アニメ会社で働くティムは下っ端の仕事しかやらしてもらえないお人よしな男であった、そんな毎日に嫌気がさしていたティムの元に不思議なマスクが舞い込んだ。 それを手にした彼は“マスク”をつけたハイテンションな緑男(みどりおとこ)に大変身、そのおかげで彼に幸せが次々と訪れる。 会社では昇進、トーニャとの間には息子が。 しかしその息子には“マスク・パワー”が備わっていたのだ! 息子アルビーに振り回せられ、その影ではマスクをつけた愛犬オーティスがアルビーを嫉妬の目で見て悪巧みをしていた。 一方で父親に見放され、マスクを取り返すことを言い渡された神,ロキがなんとかして名誉挽回をはかるべくマスクを追っていた。
 前回とは全く新しいキャストに新しい設定で再び登場した「マスク」だが、「1」とのつながりは不思議なパワーを持つ“マスク”と別の犬としての登場だが同じ種類の犬である。 こちらは「1」では“マヨ”という名前だっただろうか。 メインとなるのはあくまでアルビーとオーティスなので男がマスクをつけ暴れまわるというのは少なめでパフォーマンスも控えめ。 「2」ではロキ、アルビー、オーティスを見るもの(作品)なのだ。 彼らの暴れん坊ぶりがバラエティ豊かとなっている。 個人的にはマスクをつけたティムが少なめなのがちょっと心残りだが、短いその時間の中にエンターテイメントがあったり、ちょうどいい具合に登場したりというのは嬉しいところ。 コメディ満載の作品であるが、父と子の家族の絆が芽生えるというちょっぴり感動も含まれている。
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by jd69sparrow | 2006-08-28 00:17 | 映画タイトル ま行