カテゴリ:映画タイトル ま行( 52 )

森のリトルギャング

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 森の動物たちが冬眠から目覚めると彼らの住んでいる森の半分がなくなっていた! 森の半分は人間たちの住宅地と化していた。 動物たちの住む場所が人の手によって削られていき,野生の動物たちはどんどんと狭い空間へと追いやられてしまう。この映画は愉快な動物たちによる冒険アドベンチャーであると同時に現実を映し出している。 動物たちの住処がこうして追いやられてしまうのは実際に起こっていること。
 “一人家族”と自らを称し、一人ぼっちのアライグマのRJは空腹に耐えかねクマのヴィンセントの食べ物をこっそりと奪おうとする、その結果一週間以内に食べ物をヴィンセントのために集めなくてはならなくなったRJは森へやってきた。そこで彼が出会ったのは森の様々な動物たちが集まってできた温かな家族だった。 食べ物集めに人間の住む住宅地へRJを先頭に“森のリトルギャング”たちはあらゆる作戦を実行する。 RJは仲間たちをヴィンセントの食べ物のために利用していくが温かい仲間たち-森の家族のリーダー,カメのヴァーン、間抜けだけど愛らしいムードメーカーでリスのハミー、スカンクであることをコンプレックスに思う けれどその内には美しさがを持ったステラ、ヤマアラシの仲良し家族,ペニーとルーと三つ子の兄弟、死んだフリが得意なオポッサムの親子オジーとヘザーとどのキャラクターもそれぞれ愛らしさがある-といることで“本当に大切なもの”に気づかされるのだ。
 “森のリトルギャング”支店で作品を見ることができて、森と人間が住む世界の境目である垣根,スティーブは彼らから見ると高すぎる塀で彼らの最大の敵,住民組合会長で短期で神経質なグラディスと害獣駆除員でどこか“日本のオジサン”を思わせ,そしてあらゆるメカで“森のリトルギャング”たちをつかまえようともくろむヴァーミネーターは巨大で、その巨大さが(“森のリトルギャング”)たちの恐るべき敵であることを強調している。
 動物たちだって負けていはいない、RJは機転が利き,その人間世界のものや事情の情報通な彼の頭脳、ヴァーンの冷静さと優しさ、ハミーやステラたち,それぞれの特技を活かした連携プレイがかなわぬはずの人間,とりわけグラディスとヴァーミネーターを一泡ふかせる。 人間に考える頭脳や言葉という他の生き物にはないものがあるように、動物たちにもそれぞれの得意技がある。 様々な得意技を持った動物たちが一丸となって動いたらこんなにも人間に立ち向かっていけるのかと思った。 実際もし異なる動物どうしが家族のように生きていくのは中々見れるものではないけれど、本当に野生の生き物(動物)たちが団結してきたらすごいことだろう。
 今回のドリームワークス・アニメーションは大人しめというか控えめ、小さな“森のギャング”たちが登場するアットホーム敵なドラマであり思わずうるっときてしまうところもある。 RJが本当に大切なものを心から実感する場面がとても感動だ。 子供に向けられた物語であっても,こんな素晴らしい友情や家族愛を描いた(動物たちの)物語はとても落ち着きと安らぎを与えてくれる。
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by jd69sparrow | 2006-08-17 01:27 | 映画タイトル ま行

マイ・フェア・レディ

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 オードリー・ヘップバーン主演のこの作品は言語学的観点から見ても,アメリカ音楽の歴史的観点から見ても優れた作品である。 内容は田舎から都会へと出てきてなまりもはげしい,イライザ・ドゥーリトルという娘がある言語学者の手により見違えるほど美しく気品あふれる女性へと変わっていくというもの。 町で花売りをするイライザは言葉が汚く声のトーンも人より大きく,そんな彼女が目に留まり深く関心を持った言語学者は身分の高い人々の集まりに堂々と出ることのできるレディにイライザを育て上げることを決意。
 さっき、言語学的にも音楽的にも優れているといった。言語語学的にいえば、この映画の舞台となる時代、言葉遣いとはどうあるべきかなのかや、イライザと言語学者との格闘からもよくわかるように,発音のいろはが見ることができる。 言葉遣いにおいては一つとしてシェイクスピア作品が大きかったことや、言葉遣いにより出身が区別されたり,綺麗な言葉,話し方が好まれたということが見てとれるのだ。
 音楽について、これはバッググランドで流れるものももちろんであるが、登場人物たちによる,例えばイライザなら言語学者への不満と復讐してやろうという気持ち,言葉を綺麗に発音できたことへの喜び、言語学者の苦労を詩にした歌などはとても明るく楽しい。イライザの父親が歌う陽気もまた素敵。
 イライザにとっても言語学者にとってもこれは大きな試練であった。 中々前に進めないイライザ、そんな彼女に手を焼かされる言語学者、二人の抱えるその試練の困難の大きさは同じ。 けれど後半のラストスパートにかけての大きな変化は素晴らしいものである。 田舎娘がレディに変わる瞬間だ。
 イライザがはじめ使っていた言葉遣いは綺麗ではなかったけれど決して聞き苦しいということはなく,良い意味で興味深いのは確か、言語学者の目にとまるのも十分理解できる。
 印象に残ったセリフはイライザの言った言語学者に向けての一言。 それは「女が変わるのはその(相手の)男による」といった感じのセリフにある。 つまり相手の気持ちの表現や態度によって、あるいは人間性により 自身は何通りでも変われるし、目の前には選択肢があり、何を選ぶかは自由であると私は解釈する。
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by jd69sparrow | 2006-08-05 00:03 | 映画タイトル ま行

マトリックス レボリューションズ

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 「マトリックス」最終章。 シリーズ完結の「レボリューションズ」のテーマは“死”,作品中で預言者の言葉に「始まりのあるものには終わりがある」とあるように「マトリックス」は「誕生」に始まり,「死」に終わるのである。 SF映画の革命である。 SF映画の名作「スター・ウォーズ」が第一次革命とするなら「マトリックス」は第二次革命と言ったところだろうか。 映像という「」が丹念に具現化し、追求されている。 主人公ネオの進化と共に映画そのものも進化を遂げた。 白ウサギを追って“不思議の国”に迷い込んだトーマス・アンダーソン(=ネオ)は「マトリックス」を知り,進化を遂げ、ついにはスーパーマンないしはスーパーサイヤ人よろしくな救世主となるわけである。 
 アニメーションを実体化したような美しさがあちらこちらに散りばめられている、それはカンフーアクションやアクロバットなアクションから人物の表情の動きにまで施されている。 映像で観る者を楽しませる一方で物語や作品のコンセプトに秘められたものなど,奥深い部分までたくさんの意味が込められているのだ。 ストーリーと人物じたいに意味や目的がある。 マトリックスの登場人物たちの名前が神話などから引用された言葉で、その言葉が持つ意味こそが人物の役割を果たわけで、あるべき理由のようだ。 そしてそれは存在するもの全てと映画を支えているものや作っているものもまた然りである。
 第一章でネオがモーフィアスに出会い、彼らの世界に入るまでを「不思議の国のアリス」になぞられていて、シリーズ全体から見てネオが“キリスト”に例えられているということを知ったとき,「マトリックス」の深さを知った、そして今まで考えてきたこの作品のおもしろさとこのこと知った後でのおもしろさははるかに超えていたのである。 それはネオの着る衣装にも関係しているらしい。
 ネオとエージェント・スミス(以下は「スミス」と記す),人類と機械との最後の戦いが幕を開ける。 これは人類最後の都市ザイオンを守り、地球に覆われた黒き霧が晴れ、荒廃し,死にかけた地に再び光が照らされることを願い、さらに機械に支配された世界に平和を取り戻すためのための戦争と分析する。
 ネオやモーフィアス、トリニティーたちだけでなくザイオンの戦士たちが総力をかけ,敵に立ち向かうというなんとも壮絶なる大規模な戦い、ロボットと一体となった戦士たちの戦いぶりは熱かった。 しりょくを尽くし息の根がとあまるその瞬間まで,彼らは救世主を信じ,武器を持つ手を離すことはないのである。 戦士たちに境はない、皆が皆たくさましく、“あきらめ”の文字は存在しえない。
 三部からなる「マトリックス」伝説は衝撃の連続、それは第一章で一つあげるなら,主人公が現実だと思っていた世界は仮想世界(マトリックス)で、本当の現実世界は機械に支配され,荒れ果てていて、人間は機械に利用され培養されているということ。 今回はネオとスミスの関係にある。 それは陰と陽の関係と言えようか。 互角のパワーを持ったネオとスミスの因縁の闘いは果てしなく続く...。 スミスのパワーはネオに劣らず凄まじく、“マトリックス”と“現実世界”とを侵食していゆき、二人の戦いの時、ネオがふと回りを見ると計り知れない数のスミスがそこに立っている。 恐ろしいと言うべきなのか、笑うべきなのか。 二つの世界を乗っ取ろうと企むスミスだけれど、なぜか憎めない そして実におもしろい敵である。
 最終的に謎が残り、それについての解釈はいくつにも考えられる。 そうやって物語の先をあれこれと考えるとういのもおもしろいのだ。 衝撃という刺激を与えてくれる作品だ。
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by jd69sparrow | 2006-07-27 01:51 | 映画タイトル ま行

ミッションインポッシブル

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 「M:i」シリーズの原点、第一作目「ミッションインポッシブル」始動! イーサン・ハントのまさに“インポッシブル”な挑戦が始まるのだ。 トム・クルーズが主演、そして共演にはシリーズではお馴染みのキャラクターであるルーサー役のヴィング・レイムスやジョン・ボイド、ジャン・レノがいる。 はらはらドキドキなアクションが観る者をひきつける。
 イーサンがリーダーのもとIMF(インポッシブル・ミッション・フォース)により構成されたチームが任された任務というのが裏切り者がIMFのメンバーについてが記された重要なデータ,ノックリストを奪う瞬間を,その裏切り者が来るパーティー会場に忍び込み,おさめることだった。 潜入する者、モニターするもの、潜入する者をサポートするためにターゲットがいる建物のシステムを動かすものとスパイものにはかかせないパートに分かれ,それぞれのパートを順々に楽しむことが出来る。 潜入するパートもさらに分けられ、その場に適応して動く者、ターゲットを見張る者、他人に変装する者と別れる。 変装するというのもお約束であるがこの一作目ではかなり現実に近いというかありえるものという点でおもしろかった。 思わぬ展開が待ち受けているのもまたおもしろいところ、観る側の予想に反する展開あってこそおもしろいのだと思うのだ。 その展開というのは最後まで続いていく。
 アクションは新たに編成されたイーサン率いるチームによる次のミッション、マックスという人物に接触し、ミッションをこなすという流れの中で、厳重の防備がされた場所に侵入し,ロープにつながれたイーサンが建物の個室の天井から侵入し、つるされた状態で床すれすれで止まるとい場面が印象的であり、その後の「M:i」シリーズを位置づけ イメージづけるものとなるものであると思う。
 敵に追い詰められ、しかしそれに立ち向かっていき,その緊張の場面にしてクライマックスでは最後の瞬間までその緊張感がたたみかけるように続き、痛快である。
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by jd69sparrow | 2006-07-24 18:36 | 映画タイトル ま行

M:i:Ⅲ

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 現在、俳優としてだけでなくプロダクションを設立し プロデューサーを務めるなどして幅広い活躍とキャリアを積み続けているトム・クルーズが最高にはまり役なイーサン・ハントとして再び帰ってきた! もちろん「3」でも主演・製作をしている。 彼のフィルモグラフィーを見てみると数多くのヒット作に出演や主演をしているほか,プロデューサーとしては「M:i」シリーズはもちろん,最近では「エリザベスタウン」も手がけたのだ。
 監督が毎回異なり今回はJ.J.エイブラムスである。 前二作はアクションのすごさ,スパイ・アクションならではのスリリングな展開を楽しむものであったが、「3」はそれらはもちろんのこと,世界各国をめぐるミッションを遂行、そして何よりキャラクターに重点が置かれたことが「3」が見せる特徴だ。 今まで見えなかったイーサンの内面が明らかにされていくというシリアスというかサスペンスな部分も見られた。 見終わったときにアクションのみが残されるということはないしストーリーがアクションに負けるこということもない。 スタントはクルーズ自身がスタントを全てこなしているということもとても有名なエピソードである。 ハリウッドのジャッキー・チェンといったところだろうか。 やは実際大変なことなのだろうが役者自身がスタントをこなすと,こなさないとは違うのだ。 クルーズは監督を起用するために自分のスケージュールだけでなく,スティーブン・スピルバーグに頼んで「宇宙戦争」撮影のスケジュールを帰るなどまでするほどに監督にこだわるほどのこだわりようで音楽もこれだという人に頼んだようだ。
 「3」ではイーサンの私生活の面などがよく見えてくる、そして自分に課せられた仕事と家庭との両立という人間的な部分が出てくる。 だから全くテイストが違うわけでイーサンがスパイである事実は念頭においとくにして、新しい一つの独立した作品として見れると思う。 
 イーサンたちはベルリン、イタリア、バチカン、上海へと巡る。 ありえないスタントがあるけれどモダンであり,それでいて考えさせられる部分もある。 それは何重にも重ねられた罠と黒幕の存在。 いろいろな方向や方法に考えられるというのは中々おもしろい。 今回イーサンは自分で自分に“不可能な任務”を課すという点もあり,絶体絶命の危機にさらされ、その目の前にはシリーズでこれまた最悪な,最高に恐ろしい敵が立ちはだかるというのもその一つ。
 クルーズがこなす大胆なアクションも見所の一つであるが,イーサン自身のことと,さらに何度も言うがディヴィアンというブラックマーケットの商人と,この二人に重視して見ることが楽しく見るポイントであり,要素である。 何度も言うが、ディヴィアンという敵はかつてなく恐ろしいのだ。 
 内容はイーサンの私生活から始まり、長い付き合いで親しいパートナーである
ルーサー(演じるのは第一作目から唯一出演しているヴィング・レイムス)と,新たにデクラン、ゼーンというイーサンの所属するIMF(インポッシブル・ミッション・フォース)という組織によって選ばれたメンバーたちとチームを組み,ディヴィアンを追う。 そんな最中,イーサンの妻ジュリアがディヴィアンに誘拐され,“ラビットフット” なるものを手に入れ、彼女を救出するという新たなミッションが課せられるというもの。
 敵・ディヴィアンにフィリップ・シーモア・ホフマン,IMFの局長、つまりイーサンにミッションの封筒を送るイーサンの上司を「マトリックス」シリーズでその名を広めたローレンス・フィッシュバーンと大物が主人公のまわりをかためる人物そてして出演している。 「マトリックス」のモーフィアスを見ると今回のブラッセル局長というのも中々いい役どころと言えよう。
 毎回、オープニングなどで流れるメインテーマは映画数多くあれど,好きなメインテーマの一つである。 新しい人の手によりアレンジされたメインテーマはこれから始まろうという本編を見ることにわくわく感(期待感)を大いに持たせてくれるのだ。 過去二作品あるけれど今回一番素晴らしいと(個人的な意見ではあるが)思った。 映画全体のバランスもまた素晴らしい。
 今回で三作目となるわけだがなんとなく、クルーズの勢いが止まらぬ限り,また続編があってもおかしくないように思う。
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by jd69sparrow | 2006-07-19 19:42 | 映画タイトル ま行

名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌(レクイエム)

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 ついに大人気シリーズ・アニメ「名探偵コナン」も10周年となり、今回でなんと10作目! これは実写でも今まで中々見受けられなかったが,アニメーション映画でこれほど続くのは人気も衰えずことなくむしろ年々上がっているはすごい。 子供だけではなく大人の間でも人気が及んでいるようである。 10年ということは小学生のコナンが新一の年齢と同じ達する年齢に達することなると知って驚いた。 そして新一の年齢を現実に置き換えたときも。10周年記念とありメインキャラクターが大勢出てくる上,キャスティングもベテランぞろいとストーリーも手が込んでいて目白押し。 中には劇場版初登場のキャラクターもいるのだ。
 腕利きの探偵たちがミラクルランドというテーマパークにそれぞれが各々の時に招かれ謎多き依頼主から事件の依頼を受け、彼らの大切な人たちが人質にとられる一方で謎を解く。
 舞台だけでなくストーリーのスケールの大きさを感じることだろう、そしてCGで迫力の増す映像の数々は「コナン」を新しい味に築き上げた。 あんな人もこんな人もと次々に登場し、その全てがつながっている。 めったに揃うことのないメンバーが揃い 今までとは一味違う犯人,どう次に進んでいくのかに期待感がつのる、クライマックスもあってユーモラスな部分もあってオチも用意されいていてコナンたちと一緒に推理していくおもしろさもあって次回作への期待もまた深まる。
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by jd69sparrow | 2006-05-04 14:28 | 映画タイトル ま行

マトリックス リローデッド

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 「マトリックス」が初めて映画化よなり日本では1999年に公開したSF映画に革命を起こしたのである。 このシリーズ第一作目が作られる頃,最終章「レボリューションズ」までのプランが存在していたらしい。まさか!この事実はというかクリエーターたちはこの大ヒットを予期していたのか? 続編ができるというのは当時は全然予想だにしなかった、だからこそ続編があると知ったとき驚きと嬉しさはとても大きかった。
 監督や脚本などのスタッフ陣はもちろん,役者陣も再び顔合わせだ。 キアヌ・リーヴス(ネオ),ローレンス・フィッシュバーン(モーフィアス),キャリー・アン=モス(トリニティー),ヒューゴ・ウィービング(エージェント・スミス),そしてモニカ・ベルリッチなど新たな面々も加わる。 前作とは一味も二味も違ったマトリックスの世界があった。 技術も当然倍にパワーアップ。 進化を遂げたと言ってもいい。
 第一章では(ネオは)真実の世界を知り,己の未来に待ち受ける運命を信じ 受け入れ始めたに過ぎない。 (以前の記事に記したとおり)誕生というわけだ。
 「リローデッド」。 ネオはもちろん,トリニティーやモーフィアスたちの皆が成長を遂げ,さらにまた進化し続けている。 ネオのパワーアップはずば抜けていた、新たな力が(彼に)授けられる。 まるでスーパーマンだ。 戦闘シーンも人間離れした力が全快。 
 ヒーローが進化すると同じに敵もそのぶん強くなっていかなきゃおもしろくない。 そう、スミスである。毎回 注目すべきはネオとスミスで、この二人があってこそである。 蜘蛛の子をちらすように大量に増えた(増え続ける)スミスがうじゃうじゃと出てくる。
 前作と「リローデッド」の違いの決定的なものとは,前作では名前でしか出てこなかった,破滅しつつある現実世界でわずかに生き残った人類の暮らす最後の都市ザイオン登場が一つあげられる。 機械だらけの中で人々は生活を送っている。 機械と人類は戦争を起こし戦っている、けれどじんるはは機械に頼り生き抜くしかないといのは本当に皮肉だと思う。 そんな部分を見て非現実感を感じないのは気のせいではないだろう。
 ネオは今回 大きな選択をせまられることとなり 彼の正体も徐々に明らかになり始める、それはまさにこの「リローデッド」からだ。 「リローデッド」と「レボリューションズ」は元々一つの話、そんな中 中間で初めと終わりを結ぶつなぎの役割を話すのがこの「マトリックス」第二章である。
 一番おもしろかったのは屋敷内のホールでのネオと何人もの敵とのバトル。 アクションのキレの良さだけでなく絵に描いたような光景がそこにはあった。
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by jd69sparrow | 2006-05-02 23:57 | 映画タイトル ま行

ムーラン

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 ディズニーが贈る中国を舞台にしたアニメーション、一人の女の英雄伝と言うべきか。例えるならディズニー・アニメーション映画・チャイナ味あるいは風味という感じ。人物や背景のタッチが絹のような柔らかさで全体の雰囲気は羽衣のよう。
 おそらくは中国が中国とい名を持つ前の,秦などの漢字一字であった皇帝が大いに権力を揮っていた時代。そういった政がとても栄えていた頃だったのだろう。
 悪党シャンの来襲で危機に迫られた国,王を守るべく男が駆り出される中、ムーランの父親に徴集がかかる、がしかし戦場に立てる状態ではなく そんな父親を想い軍へ父親に代わって国と王のために向かうことになる。
 民族楽器などその国特有の楽器に頼らない,バックサウンドはそれまでのアジア音楽とは違うディズニー音楽ならではの良さを残しながら新しいアジアン・サウンドを作り出した、それは多くのシチュエーションで使われるほどの素晴らしい調である。
  ムーランは男に変装して兵へもぐりこみ、ピンと名乗る。女であるムーランは男のように強く成長を遂げていく。 ヒロインが男に化けてヒーローとして功績をあげていくというストーリー設定はあまりあるものではなく,興味を抱けられるのだ。
 デカ、チビ、やせっぽちの3パートが揃う、その中には“デカ”にあたる坊主の男、ムーランの仲間となんといってもムーシューが好きなトカゲっぽいマスコット・キャラクターのようなルックスな赤いドラゴンは元々は守り神でけどみんなのペット的なポジションでおもしろい。
 ムーランの美しく響き渡る歌声と大将に負けない人をまとめる血kらが開花していくさまを見て欲しい。
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by jd69sparrow | 2006-04-24 17:23 | 映画タイトル ま行

マトリックス

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 この映画が公開された当時も7年たった今もこれを越えるSFアクションはない。ジャパン・アニメーションが参考として取り上げられ、カンフー・アクションとハリウッドのCG技術があわさった空前の未来アクション。アニメーション的な実写
映画だ。ほぼ90度に体を曲げ弾丸をよけるネオ、追い詰められたと思ったその瞬間,宙に舞い敵をまっすぐ見るトリニティはマトリックス・アクションでは印所に残るもの。
「不思議の国のアリス」のように白ウサギを追いかけ入った穴をくぐるとそこには不思議な世界。“穴”はネオにつきつけられた選択、“ウサギの穴”つまり不思議な世界への入り口なのだ。その世界は仮想世界と現実世界とを行き来できる場所だった。天地をひっくり返したような衝撃的な世界の姿を目にすることになる。
 ネオは“真実の世界”を見る、それはあまりにも今,私たちが生きる地球とかけ離れているけれど決してリアリティーがないわけではない。
 三部作で構成されれう「マトリックス」シリーズ第一弾、これは「目覚め」,そして「誕生」。救世主ネオが己を知り,ゼロからその素質が目覚めていくストーリーなのだ。
 ネオ、トリニティ、モーフィアスが揃い,モーフィアス率いるチームが「マトリックス」に降り立ったあのシーン、何かこの映画のカリスマ性を感じた。そして息を呑むようなアクションにご注目!普通に流したら目ではその一つ一つをはっきりとはとらえられないような激しい動きである。
 格闘シーン、これはアジア映画のアクションのプロの腕の見せ所。ワイヤー・アクション、大量のカメラによっておりなす360度回転の映像。ゆっくりとじっくりと見せるこのシーンは人やそのまわりの動きまでをむらなくキレイに表現している。
 “心を解き放て”。この言葉でネオがマトリックスでトーマス・アンダーソンという大手会社のプログラマーでありながら,もう一方でハッカーという裏の顔を持ち,暗く窮屈な日々を送っていた過去から解き放たれるのがわかる。
 前半で作品の楽しさを知り,締めくくりでは期待が残る。そしてネオの可能性というものを悟る。
 一番の見所はネオとエージェント・スミスの闘い。ほとんど互角の力を持つ者どうしの闘いはどちらが勝っても,どちらに転んでもおかしくはない、だからこそおもしろいのだ。この作品にはいろいろなものがつまっており奥深く,視覚効果だけでなく登場人物たちの名前の由来や聖書が材料の一つとして組み込まれている他、多くを持っている。人物たちの選ばれた理由、彼ら自身が持つ存在することの意味、それぞれが欠けてはならないものなのだ。第一作目は見る者から考えれば“マトリックス”の世界に驚き、知り始めるとい段階である。
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by jd69sparrow | 2006-04-20 09:16 | 映画タイトル ま行

メダリオン

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 香港とアメリカとの合作で作られたジャッキー,50歳記念作となるのがジャッキー・チェン・プロダクションによるアクション映画「メダリオン」。
 今度のジャッキーが演じるのはなんと不死身で超人的パワーとスピードの手にすることになる刑事である。千年に一人現れる特別な力を持った少年はメダリオンという二つでひとつの不思議な物を持ち,彼の手を通してメダリオンに触れた者はその不死身で超人の力を得ることができる。生命を与える力を持つメダリオンにはもう一つ,逆に生命を奪う力をも備わっている。
 不死身の体を手に入れるためスネイクヘッドは手下たちを率いてメダリオンの所有者であるジ少年とエディ(ジャッキー・チェン)とを付け狙い、エディと相棒のワトソンと,ニコルの三人がスネイクヘッドの悪の集団に対抗すべく戦いを挑む。香港警察の刑事&インターポール対悪の集団とのメダリオンをかけての英国・アイルランドを舞台にしての対決だ。
 50を過ぎてもはつらつとしてアクションをこなすジャッキーもすごいけど、「ジョー・ブラックをよろしく」でおしとやかな女性を演じたクレア・フォーラニが力強く頼もしい刑事を熱演しているのがさらにすごい。
 力を手に入れたエディ。スーパー・マリオのようにすばやく走り(ダッシュして),高~くジャンプして、スーパーマンのように宙を飛びぬけていく(正確にはアクション・スタントのうちの一つ)。
 エディの相棒ワトソンは気が小さく腰が低めなボケと臆病キャラだけれどかっこいいアクションがあって、彼の登場シーンはいつもギャグマンガっぽくておもしろい。
 ジャッキーはと言えばやっぱりボケているのか,慌てているのかというシーンがかかせなくおもしろい。
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by jd69sparrow | 2006-04-07 00:19 | 映画タイトル ま行