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ライアーゲーム~再生~

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by jd69sparrow | 2012-03-15 22:01 | 映画タイトル ら行

ランゴ Johnny Depp is Rango

2011/10/22.Sat

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【あらすじ】
 一人、芝居の稽古をするカメレオンがいた。 憧れのヒーローに憧れてもう特訓中なのだ。 彼はペットのカメレオン。 飼い主がドライブ中に運転を誤り,その拍子に彼は水槽もろとも,まわりに砂漠が広がる道路へ投げ出された。 そこで出会ったアルマジロに諭され,“土の町”へと向かうのだった。
 町の名は、ダートタウン。 開拓時代を思わせる田舎町である。 渇きに耐えられず、バーに入る彼だったが町の抱える問題と直面することになる。 それは水不足。 町人たちは日々渇きに悩まされていたのだ。 よそ者な彼はバーのお酒のビンにかかれた名前をとり、“ランゴ”と名乗った。
 口達者なランゴは、ありもしない自分の武勇伝を語り、さらに タカとの一戦で偶然にも弾一発で勝利をおさめたことから 彼は町人たちからヒーローとしてあがめられるようになる。 保安官という地位も手に入れたランゴに立ちはだかるのは,銀行に残されたわずかな水を盗人たちから取り戻すこと。 自警団を結成するランゴだったが、その先には思わぬ真実が待ち受けていた。

【感想】
 良い意味で予想を裏切る作品というのは、まさにこの『ランゴ』のことを言うのだろう。 声の出演している俳優、監督、作曲家・・・と三点において 過去にヒット作を飛ばした彼らの共演はもちろん魅力的なのだが、それだけではないのだ。 映画としても 丁寧に作られていて,ストーリーもパフォーマンスもしっかりしていて面白い。 作品じたいにも かなりの魅力があると断言できる。
 2Dアニメという今では、CGアニメーション作品では珍しい。 だが、3Dに劣るわけではない。 やたらと3Dにこだわる昨今だが、『ランゴ』のビジュアル感は とてもリアルである。 実写とCGアニメのちょうど中間くらいだ。 広大な荒野は 実写に限りなく近い。 モーション・キャプチャー・・・いや、エモーション・キャプチャーという新たな技術を取り入れながらも,2Dで勝負するのは やはり作り手たちの力量の凄さとしか言いようがない。 新しきを取り入れつつも、古き伝統を守る。 これこそ、斬新なアイディアである。
 解説を読むと、「過去の名作のパロディが散りばめられている」と書かれている。 思い返してみると、いくつか思い当たるのだが,解説で指摘されているものと 個人的に見つけたものとは 違かった。  唯一見つけられたのは二箇所(正しければ、だが)。 それは『インディ・ジョーンズ』と『パイレーツ・オブ・カリビアン~ワールド・エンド~』である。 前者においては,洞窟的な場所を通り,ランゴら自警団一行が盗まれた水を探しに行くワンシーンにあり、後者は 物語後半にランゴが行き着く,異空間。 クラーケンに飲み込まれた,ジャックが行き着いた“ワールド・エンド”とランゴが西部の精霊と,ロードキル(アルマジロ)に会うと場所は とても似ているし、ランゴの傍らには 沈没船、そして一度倒れたランゴをつれてきたダンゴムシ・・・ これはどう考えても…。 本当ところ、この場面がそれを『ワールド・エンド』を意識したものかは,定かではないが 個人的にはテンションが上がった。 パロディからは外れるが、ランゴとガラガラヘビのジェイクの関係性は,ジャック船長とディヴィ・ジョーンズとのものを連想せずにはいられない。 簡単に言えば、正義と悪。 キャラクター性からしても二組は瓜二つ。 お茶目で口が巧いがやる時はやる,ジャックに 悪の親玉から 雇われているジェイク。 雇い主の最期さえも『ランゴ』と『ワールドエンド』では なんとなく似ている気がする。 少し話はそれるが、ジョニーは『コープスブライド』で声優をつとめた経歴もあり,その実力は確かなことは周知であるが、ビル・ナイの実力もかなりのものである(ディヴィ・ジョーンズの作りも似ている)。 それからもう一つ。 ランゴとマメータ(トカゲでランゴの相手役)を観ていると,『コープスブライド』の主人公と死の花嫁に見えてしまう。 特にマメータはトカゲという設定もあってか,目が特に『コープスブライド』を連想させられる。
 そして、パロディなのかは定かではないが ランゴがダートタウンでタカと再会した後に トイレに駆け込む件は 『ジュラシック・パーク』のワンシーンを思い浮かべられる。 他にも目を凝らすとパロディが多くあるとのこと。
 個性豊かなキャラクターたちは 魅力的なキャラばかり。 ランゴはもちろんだが、マメータや悪役のジェイクでさえ、魅力がある。 マメータは 役割的にヒロイン。 サバサバしているけれど、トカゲの本能で 話している最中に静止するという個性を持っている。 欠点でもあり,時に長所ともなる。 ネーミングもまた面白い。英語ではビーンズ、和名がそのまま表すように「豆」。 豆好きの父親がそのまんま名づけたという…。 
 ジェイク。 ディヴィ・ジョーンズのようでもあり,『ライオンキング』で言う,ハイエナたちの位置にも似た,ガラガラヘビ(ハイエナを束ねていた,悪のライオン・スカーは,ジェイクが最後,雇い主に下した決断と同じことをする)。 ジェイクの魅力は悪役でありながら,憎たらしさがないところである。 恐ろしさはあっても,邪悪ではない。 「彼なりに筋が通っている」と解説されていたと思う。 そして 何気にちょっとオシャレだと思うのは私だけだろうか。 他の登場キャラクターたちは人間と同じように,服を着ているが大蛇だるために服はなく、シンプルなオシャレ帽子のみ。 それがオシャレであり、可愛くも見えるのだ。 さらに 尻尾の先に銃がある・・・正確には尻尾代わり…のが とても斬新と言える。 キャラクター性から,そのいでたち まで カッコいい。
 ウソップ(『ワンピース』)ばりに嘘が多く、お調子者。 そして ありもしない武勇伝を語るランゴだが、その発想が面白い。 嘘をつく一方で,素直で純粋でもある。 
  
 
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by jd69sparrow | 2012-01-18 17:37 | 映画タイトル ら行

ラマになった王様 The Emperor's New Groove

2011年4月23日(土)

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<あらすじ>
 とある王国の若き王・クスコは、自由気ままで典型的な我侭な王様。 何もかもやりたい放題。 クスコにはイズマという相談役がおり,そのイズマの下にはクランクという腰ぎんちゃくがいた。 王の仕事をイズマが裏で横取りしていたことで クスコは二人をクビに。 その腹いせにイズマは王を抹殺し、そして自分が王国をのっとることをたくらむが、クスコに飲ませたのは毒薬ではなく,ラマエキスだった。 ラマになった王様は、クランクの良心で命を奪われることなく,しかし 王に会いに来ていたパチャの荷車に紛れ込んでしまう。 
 パチャの家で目覚めたクスコは、話せるラマだった。 彼は即座に王国へ戻るべく、旅立つ。 パチャは我が家を潰し、リゾートを建設するという身勝手な話を持ちかけてきた王を許せなかったが、放っておく事が出来ず、クスコの旅の共になる。 その一方で、イズマとクランクが彼らの行く手を阻み,一度は失敗した計画を実行すべく,クスコたちを追う。

<感想>
 まず、最初から王様として登場する主人公は珍しい。 それに 悪役っぽいというか、敵を多く作りそうな主人公というのもそうそういない気がする。 物語に登場する我がままで贅沢し放題な王様は、一度痛い目にあう。 その法則はあたる。 しかし、100%な嫌われ者キャラというわけではなく、愛嬌があり ほっとけない,下手すれば恨まれて終わりそうだけど、憎めない…それがクスコというキャラの魅力。 とはいえ、クスコの冒険は 優しすぎるパチャの人柄で成り立っている。 そんなパチャの魅力も主人公に劣らない。 
 ギャグ漫画のノリのよう。 ここまでコメディらしいコメディは、個人的に今まで観て来たディズニー作品ではなかったような気がする。 ギャグ漫画のようなノリの作品というのは、悪役にもユーモアがある。 どちらかというと、クランクがそうだけど イズマも“憎ったらしい”という言葉が似合わない。 意地悪で欲深いけど、それだけ…という感じ。 やっぱり なんと言っても、ギャグ漫画なノリを象徴するのが 続編の主人公になるほど面白いクランクだ。 作り手が言う,「たまたま悪役というポジションに立たされただけ」というのは まさにその通りである。 間抜けなようだけれど、リスと話が出来たり,手料理がうまかったり…どちらかというと良心の方が強く,常にその場を(というか、作品を)盛り上げるという愛すべき悪役なのである。 天使と悪魔とのやり取りする場面が私は好きだ。
 
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by jd69sparrow | 2011-11-18 17:49 | 映画タイトル ら行

ラブ・ダイアリーズ definitely,maybe

2011年4月22日(金)

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<あらすじ>
 ウィルは一人娘・マーヤを持つ,バツイチの父親。 マーヤの通う学校のある授業をきっかけに ウィルはマーヤに母親との馴れ初めを脚色した上で話を聞かせることで自分の過去を振り返る。
 その物語は90年代初頭から話は始まる。 クリントン大統領の時代、まだクリントン氏が当選する前,ウィルは彼に憧れてマディンソンからニューヨークへとやって来る。 選挙支援をする事務所で働くことになった。 ウィルにはエミリーという恋人がいたが、ニューヨークへ来て さらに二人の女性と出会う。 サマーとエイプリルだ。 サマーはジャーナリスト、エイプリルはアルバイトでウィルと同じ職場で働く,コピー係である。
 仕事が軌道に乗り始める一方で、私生活では三人の女性の間で“愛”がゆらぎ,時に振り回される。 マーヤの母親が一体誰なのか…ちょっとミステリアスなラブコメディ。

<感想>
 『ラブ・ダイアリーズ』というタイトルの意味を考えてみた。 確かに「日記」が登場するけれど、それが映画全体をしめるものではない。 主人公は三人の女性と出会い、そのうちの一人と一時ながらも 愛をはぐくむ,きっかけになったのが 「日記」だが、そう単純に邦題がつけられたのではないのかもしれないし…。 映画に登場する日記ではなく、ウィルの人生の一部を,時間をかけてつづっているということと、本当に心から愛する人は誰なのか(マーヤを除いて)を探す、愛の旅路という二つの意味をこめて“ラブ・ダイアリーズ”なのかもしれない。 日記帳じたいは存在しないけれど、ウィルがニューヨークに進出して 今に至るまでを書いたカタチなき日記があって,それを読み返し,(マーヤに)読み聞かせるのが『ラブ・ダイアリーズ』なのだろう。
 原題は『definitely,maybe』。 ウィルの愛と幸せの答えはどこにあるのかということを、娘に問われ,それに対するウィルの答えだと私は思う。 結末を迎える直前まで、またマーヤに過去の話を聞かせるまで その答えは はっきりしているようで 実は明確ではなかったということを意味しているのだろう。 マーヤがウィルに幸せを運んできたのである。
 作り手が言うように ラブコメディとしては珍しい,先の読めない作品である。 離婚間近でハッピーエンドはないと“はっきりしていた、はず”だったが…。 はっきり言って、この結末は予測不能というか 少し意外だった。 意外だったけれど、納得のいく,しめくくり。 愛をはぐくんでは、愛が冷め…と繰り返す中で、ただ一人“裏切り”がなかったのは ただ一人なのである。 しかし、ウィル自身 自分に合う愛がどこにあったのか、目の前を通るも気づかずに 聞き手のマーヤによって気づかされるというのが 面白い。 マーヤも凄い。 出てくる人たちの中で無意識に何も脚色せずに登場させた人物こそが、本当に愛している人なのだとウィルはマーヤに教えられたのである。 10年以上かけて、やっと気がついた,見つけることのできた愛。 誰よりも自分を愛してくれたのは“友情”という強い絆で結ばれていた,ただ一人の人だった。 気づいてはいなかったけれど、どこかでその彼女への思いを消すことは出来なかった。 その証拠に彼女からの愛を一度は裏切ってしまったはものの,絆だけは残しておきたかったウィルの気持ちを表す一冊の本をすぐ彼女に返さずに持っていたのだ。 それが彼女への愛と気づくのに 時間を要することになる。 このように考えていると、まるでミステリー小説で全ての謎が解き明かされるのを見ているかのようだ。
 一対一のラブストーリーではないし、挫折の多い 愛だけれど、こうして時間をかけて、見つけるハッピーエンドはとても素敵だなぁと思う。
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by jd69sparrow | 2011-11-17 09:44 | 映画タイトル ら行

リロ アンド スティッチ

2011年4月17日(日)

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<あらすじ>
 ジュキーバ博士はある生命体を生み出した。「試作品626」と名づけられた生命体は 手のつけられないモンスターとされ,銀河系から追放され,博士は地球を知る,プリークリーと共に 地球に向かった「試作品626」の捕獲を命じられる。
 一方、地球・ハワイ諸島。 リロは姉のナニと福祉局の監視下の元、二人暮している。 リロは変わり者な女の子で、中々友達を作れず、ナニとの間でも,ぎくしゃくしていた。 ある日、二人の暮らす家の近くに未確認飛行物体が墜落。 リロは流れ星だと信じ,“友達ができる事”を願うのだった。 しかし、流れ星の正体は「試作品626」だった。 
 犬を飼うことになったリロが選んだのが「試作品626」で,“スティッチ”と名づけた。リロの初めての友達。 これは、リロとナニの姉妹,そしてリロとスティッチのオハナの絆の物語である。

<感想>
 スティッチは破壊の本能しか持ち合わせない,実は孤独なエイリアンだったということを初めて知った。 だから、リロの“あの”確信をついた一言にグッときたのである。 「(一人ぼっちで)寂しいから、物を壊すんでしょ?」という感じの言葉だったと思う。これはとても共感できるし、人間社会にもつながることだと思うと 子供向けのアニメとされているけれど,実は世代を問わない作品とも言えるのではないだろうか。 いくら破壊の目的で作られたエイリアンであっても,自分の意思で動く以上、心があるのだと思う。 
 壊すものがない現実を知った,スティッチは その壁にぶつかることで 初めて自分の中にあった孤独に気づくのである。 生きる目的を失った先に待つのは孤独なのだ。しかし、同じような孤独を持った相手が現れたとき、“科学反応”が起きるのである。 リロとスティッチは同じ思いを持っていたからこそ、“オハナ”で結ばれたのだろう。 
 スティッチが『みにくいアヒルの子』の絵本に目をとめる場面はとても印象深い。 アヒルの孤独と最後のハッピーエンドの二展開が見開きでそのページをじっと眺めるスティッチの姿は忘れがたい。 スティッチは自分の置かれた状況と,求める答えをそこで見つけるのである。宝物のように肌身離さず持ち歩くスティッチの姿が可愛かった。
 映画を見て初めて知ったのが、スティッチのエイリアンらしい,六本足に触覚の本来の姿。犬のポスターを見て,さらには犬を欲しがるリロのことを知って,犬に近づこうと日本の足(手?)と触覚を体の中に引っ込める場面は衝撃的だった。 しかし可愛らしくもあった。 悪役キャラのような冒頭の印象が払拭された,リロとの出会いの後のスティッチは好奇心旺盛な犬そのものに思えた。 不器用だけど リロと“オハナ”になろうとしている姿が可愛い。
 わずかな場面だが、面白いと思ったのは スティッチが蓄音機になるところ。レコードに爪をあて口を開くとプレスリーの音楽が流れるという場面である。 じっとして,リロに口の開閉など されるがままにされているのが 面白い。 他にも、フラやギター片手にプレスリーをする姿も可愛らしくもあり、面白くもあった。 個人的に好きなのは、サーフィンを楽しむスティッチである。 言葉だけで考えたら、不釣合いな組み合わせも なじませてしまうのが、スティッチの魅力かもしれない。  いたずら好きだけど、可愛いくて 憎めない,リトル・ギャング・・・それが、スティッチなのである。
 そして…名づけるならば ハワイアン・ハートウォーミング・ムービーだろう。
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by jd69sparrow | 2011-11-13 11:10 | 映画タイトル ら行

ライアンを探せ!

2011年3月13日(日)

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<あらすじ>
 ニューヨークの大都会のど真ん中にある動物園。 そこで人気者なのがライオンだ。 サムソンはニューヨーク動物園の大スターだ。 その息子ライアンはそんな父親の子供であることにプレッシャーを感じていた。 ライアンが憧れるのは、サムソンが言い聞かせてくれる,「野生の世界」だ。 ライアンは同じ動物園の仲間から、野性の世界へ行ける方法を聞かされていた。 ある夜のこと、そのチャンスが訪れた。 父親と言い争った後、何気なく野生世界への入り口と聞かされたコンテナの中に入ってしまったライアン。 意図せず、父と息子は離れ離れになってしまう。
 それを知ったサムソンは仲間を連れて、大都会へと飛び出し、ライアンを追う。 ライアンを追う手がかりは「自由の女神像」。 そこへたどり着き、さらにライアンを追いかけてたどり着いたのは,本物の野生の世界だった。

<感想>※ネタバレ注意!
 一言でまず言うと、『マダガスカル』に似ているが、つまらなくはない。 ニューヨークの動物園の動物たちが初めて外の世界に出て、野性の世界まで行く…その中心にいるのがライオンでその親友は草食動物、旅の仲間にはキリンもいて、雌が一匹、道化役というか盛り上げ役が一匹。 彼らの目的以外のほとんどは、『マダガスカル』のコピーのように思えなくもない。 
 息子に自分が野生の出身であるという嘘をついていたサムソンは野生の世界は当然初めてで、戦えない,草食動物を食べたり、威嚇のために吠える事も難しいというまさに都会の動物園暮らしを体現するというライオンのイメージとのギャップを観た上で、それでも愛する息子のために野性の本能を呼び起こし、戦うところは 見ごたえはある。 守りたいものを守るとき、勇ましい本物のライオンの姿となる…。 
 ディズニーがライオンを主人公を描くと言うことで、ところどころで『ライオンキング』を見ることが出来ると言うのが一つの見所と言えるだろう。 ピクサーアニメーションが新しい作品に対して、過去の作品のキャラクターを意外な方法で紛れ込ませるという方法をとるように、そういうところも,もちろんあった。 『ライアンを探せ!』では なんとブロードウェイ版でハッキリと『ライオンキング』の文字が書かれており、しょっぱなから,なんとも大胆だ。
 しかし、「紛れ込ませる」だけではない。 『ライオンキング』の名場面を思わせる場面がいくつか登場する。 サムソンがヌーの反乱により,崖へ突き落とされる場面でライアンを父親を呼ぶまでの件、ヌーのボスとサムソンとの戦い、その戦いで崖から今まさに奈落の底へと落とされようという場面などが言えるだろう。 ムファサとサムソンではキャラクター性が全く違うけれど、父と息子の話という時点では通じるものがある。 サムソンはムファサというよりも、大人になってからのシンバより。 ライアンはシンバの子供時代に限りなく近い。ヌーの預言者でありリーダーはスカー。 そのアジトでの場面は、スカーがハイエナたちとムファサを倒す計画を立てる場面を思わせる。 決して模倣ではなく、むしろオマージュであるこれらの場面を観て 『ライオンキング』の魅力を再確認する人も少なくないはず。 
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by jd69sparrow | 2011-10-23 00:00 | 映画タイトル ら行

ロビン・フッド(2010)

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<あらすじ>


<感想>
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by jd69sparrow | 2010-12-21 17:08 | 映画タイトル ら行

リアル鬼ごっこ2

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<あらすじ>
 全国の“佐藤さん”が標的となる,命がけの鬼ごっこを生き抜いた佐藤翼。 しかし、まだ鬼ごっこは終わってはいなかった。 パラレルワールドと現実の世界を行き来できる唯一の存在である翼は、鬼とのサバイバル戦の最中、再び元の世界まで戻ってきた。 ほっとするのも束の間、恐るべき事態が… 現実の世界にやって来たのは自分だけではなかった。 パワーアップした,鬼たちもが一緒に連れてきてしまったのだった。 
 パラレルワールドと現実世界。 この二つの世界にはそれぞれ同じ人物が一人ずつ存在する。 その命は連動しており,どちらかの世界で片方が死ねば,もう一つの世界にいる自分も死ぬことになる(ただし、翼だけはパラレルワールドで生まれたため,二つの世界で一人の存在だ)。 しかし、その関係性までは同じではない。 が、しかし 翼はパラレルワールドで共に生き抜いてきた仲間であり,同じ姓を持つ現実の世界の彼らを放って置けるはずがなかった。 
 二つの世界でのサバイバル,鬼たちに捕まったら最後の“リアル鬼ごっこ”が始まる。 翼とその妹の愛、そして同じ“佐藤”で幼馴染の洋と,さらに美沙が加わり 鬼たちから逃れるため、また 罪のない“佐藤さん”たちの命を救うため,四人はひたすら走り、戦う。

<感想>
 原作を読んだのは数年前になる。 その時に思い浮かべた『リアル鬼ごっこ』の世界は、限りなく私たちが生きる現実世界に近いパラレルワールドである。 マトリックスで生活をしていたネオが、今まで現実と思っていた世界が仮想現実世界だと気付かされるという感覚が頭の中にあった。 しかし、映画版はなんと現実とパラレルワールドの二つの世界が一度に存在するSF映画さながらの内容構成だった。 趣旨は同じだが世界観は全く新しいものである。 続編である本作の鬼は、前作がパラレルワールドそのものを具現化したような印象で、少し不気味な道化師のようだったのに対し、プレデター、ダースベイダー、ターミネーターの三つを掛け合わせたような殺人兵器。 機能的に言えば、ターミネーターに影響されているのだろう。 大量のクローン人間が同じ容姿で統一され,軍隊のように襲い掛かるという点では『スターウォーズ』を思い浮かべられる。 しかし、命令どおりに動き,感情を持ち合わせないがその代わり超人的な戦闘力を持つ…ところからすると、やはりターミネーター。 『ターミネーター2』の悪側のターミネーターのごとく、標的を狙う,ほぼ不死身な強さがあり,追いかけられる緊迫感は共通している。 さらに一つ付け加えるのなら、人と獣を掛け合わせたという鬼は映画版『バイオハザード』に出てくるモンスターたちを連想させられる。 …と意図して多の映画の要素があるのかはわからないけれど、多くがハリウッドのSF映画からくるものであり、これだけの映画の要素を掛け合わせて起きる化学反応は実に面白い。
 しかし、鬼の標的は特定のものを持ち合わせる人のみ…しかし、多くの人々が狙われるという設定はこの映画だけの持ち味。 だから、佐藤さん以外の人には全くの素通りでなので、面白い。 だれかれ構わず狙われるというサバイバル・アクションとは違う。 一部の人間が絡んでいるにせよ,また,全国の佐藤さんと鬼たちの戦いという設定だが、人類対人ではない生命体…という感じがする。
 やはり。 とにかく主人公たちが走って走って走りまくるというところが一番の見所。 どんなに走っても一度ロックオンされれば 地の果てまで追いかけてくる。 主人公たちの鼓動が聞こえてきそうなくらいだ。 銃社会ではない、この国では丸腰で逃げるほかない。 頼りになるのは己の頭(知恵)のみ。…とは言え、武器があってもそう簡単には倒れない。 倒すための弱点・手段は限りなく少ない。さらに恐怖が増す。 
 あらゆる交通手段が封じられたパラレルワールドと同様、現実世界でも足で走るしかないのは 乗り物など確保する余裕がないくらい,常に至近距離で追いかけられるからだろう。 思うに交通手段を使わないからこそ、盛り上がるし,はらはらドキドキ感がよく伝わる。
 ほとんど9割がた緊迫感が続き,ぶっ通し。 だが、鬼に無反応なお婆さん、好奇心旺盛に飛びついてくる少年たち、さらに“ラーメン大好き小池さん”によく似たオジサンの茶の間まで主人公と鬼とが走ってくるのはやはり,今思えば愉快。 
 世界が違うと同一人物でも、違う性格をしているというのも面白い。 もちろん共通するところはあるが。 やはりギャップがあったほうがいい。 同じ人物だということだけで、性格も身分も違うとは…全く同じではつまらないから、と言ってしまえばそこまでだけど。 世界が違えば、個人の状況も違う。 だけど、運命によって結ばれた絆は変わらないというのは、ぐっとくる。 さらに、そういう関係にある者どうしは 世界が違くても たいていがどちらの世界でも近くにいる…という愛の言う言葉もなんだか心温まる。 翼だけが二つの世界で一人しかいないのは二つの世界を結ぶパイプであるから。 それは佐藤さんたちが救われるための,また 独裁者と鬼たちに対抗するための たった一つ残された希望であり武器なのだという証拠。 
 パラレルワールドでの世界観は『ターミネーター4』並みの仕上がりで、“ダブル鬼ごっこ”(※パンフ参照)のもう片方である現実世界だけ見ても ハリウッドクラスのダイナミックなアクション満載で 日本映画のクオリティがかなり上がって来ていることに驚き。  2からでも十分楽しめる上に、想像以上に楽しい。 そして、続編の予感? とりあえず、待ってみることにしよう。
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by jd69sparrow | 2010-06-08 22:03 | 映画タイトル ら行

ROOKIES 卒業

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<イントロダクション>
 熱血教師と言えば「金八先生」を始め、様々なドラマに登場する。 そして熱血教師 対 問題児集団といのも最近では珍しくない。  しかし、『ROOKIES』が違うのは 生徒対指導者が暮らすという媒体ではない…けれども、クラスと部活の青春の二つがあることである。
 熱血教師にようる生徒への言葉は心に響くのだけれど、現実的に考えるとそういう先生は中々いないし、中々受け入れがたいのではと個人的に思っていた。 でも、そんな考えは偏見であり、こういう人を今、必要とされていると信じたくなる。 それに多くの人が川藤とい男から教わりたいと思うことだろう。 指導者と生徒…人と人とを結びつけるのは「信頼関係」、「信じること」なのだということを教えてくれる,またポジティブに相手を支え 相手に気持ちになれること。 ニコガク野球部が甲子園を目指すというバックグラウンドがあって、対人間の物語があるのだ。

<あらすじ>
 甲子園を目指す最後のチャンスの年を迎えたニコガク野球部。 一度は学校を去った川藤がけじめをつけて、ニコガクへ帰って来た。 その日から野球部員たちは夢を叶えるため,本格的に動き始める。 そして春が来、新たなメンバー濱中と赤星が加わり、彼らが築き上げてきたものが試される。 越えるべき壁やアクシデントがニコガク野球部を襲う。 涙し、悔しさを噛み締める時もある。 それでも彼らの中には喝を入れる者がいる。 部員全員が野球と仲間を愛しているからこそ,すぐ立ち直り、ポジティブになれる。 そして、闘志の炎が強くなるのである。 

<感想>
 川藤という男は野球部唯一の補欠・平塚と同じくらいスーパーポジティブだ。 どんな状況にあっても部員達に決して「無理」と言わないのが心うたれる。 大きさに関係なく、夢を持つことじたいが大切なのだと教えてくれる。 どんなに難しくても、あきらめずに強く思い、信じ続ければ夢は叶うと。 「無理」だと言ってしまったら、そこで終わってしまうのだ。 夢は人それぞれだけど、「大きく持つことは決して恥ではない。 まわりはそれを信じて,温かく見守るべき」なのだと思う。 自分であきらめてしまうのも,もったいないし、他人が人の夢の可能性を決める権利はないのだ。 
 どうしても、人を疑ってしまったり、信じてあげられないことも多いけれど 「信じることは」は信頼関係につながり,誰かを支える力になる。 
 この物語には熱いメッセージがいっぱい詰まっている。 川藤はいつも前向きで、人を悪く言ったりしないし ポジティブなこと、チームのメンバーを思うことしか言わない。 先生であり、監督である以上にニコガクナインの兄貴的存在、川藤。  監督は知識よりも“ハート”なのだ。 いるだけでニコガクナインは気合が入り、監督の笑顔でチームの士気が上がる。
 川藤の力はニコガクナインたちの間にある絆を復活させ,さらに深める“きっかけ”を作った。 それがよくわかるのは新庄から若菜へ言葉をかける場面だ。 「お前一人が痛いんじゃない。 みんながイテェんだよ」というセリフはとても感動的。 チームの誰よりも先にチームメイトの異変に気づく新庄という人物の魅力で長所である。 静かなる闘志…新庄。
 平塚のポジティブさは気持ち良いくらい。 また、不利な状況で逆に闘志が燃え、一致団結してピンチを前向きに捉えられるニコガクナインは尊敬できる…というか尊敬すべきだ。 個人的には川藤に気合を入れられ、エンジンのかかる瞬間(チームにスイッチが入るとき)が気持ちが高まる。 まるで自分がチームの一員になったかのように。
 赤星が大事な戦力となった瞬間は心強い。誰かが怪我をしたとき、すぐ前に出て代わりを引き受ける。 また、全力になってくれる仲間がいるというのはなんとも羨ましく凄い。 “結束こそ力なり”。
 最も感動的だったのは、キャストたちが作り上げたラストのニコガクメンバーから川藤への感謝の言葉の場面。 本当の卒業式さながらで、役というよりキャスト地震音言葉と言ってもよいのではないかというくらい、心に響く。 卒業後、ニコガクメンバーがどんな道をを歩むのかも気になる。
 “ワン・フォー・オール”。 「一人は皆のために、皆は一人のために」。 これはこの物語のいキーワードであり、人生の教訓と言えるだろう。 彼らの甲子園の行方はわからないままだが、それがかえっていいのかもしれない。 想像はいくとおりかできるけど、おそらくはどんな結果だとしてもラストは変わらないだろう。

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by jd69sparrow | 2009-07-30 14:57 | 映画タイトル ら行

レッドクリフ Part2 未来への最終決戦

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<イントロダクション>
 歴史をただ語るだけでも,アクションなどビジュアルメンだけの映画ではない。 戦いがもたらしたものや、共に戦ったもの達が彼らの間で築き上げたものを人に伝えるものだということに重点が置かれているのだと思う。 
 Part1が“決戦前後”でPart2の本番に至るまでの背景と三国志の世界を紹介している。 今回もまた,連合軍と曹操軍との,知を活かした 駆け引きが繰り広げられ、最期までどちらに軍配があがるかはわからない。 孫権軍・周喩と劉備軍・孔明。 知に長けた二人が勝負を仕掛ける,驚くべき方法で。

<あらすじ>
 自軍よりも軍勢が少ない連合軍との戦いに勝利を確信していた曹操だったが、孔明の作戦の前に屈する。それでも曹操軍の優勢は変わらない。  しかし、連合軍の強さは侮れないと見た曹操は、この戦の行方を左右する“赤壁”への進撃を決意する。 周喩と孔明はさらなる結束を深めるべく,それぞれ 命がけの一手に投じる。 武将たちを支える女達も大人しく見ているわけではなく、一役買うのである。 戦いに男女は関係ない、なぜなら国と国との戦いだからだ。 こうして、「赤壁の戦い」が始まる。

<感想>
 孫健軍は打倒・曹操軍に燃え,作を練る。 それを考えてみると,たとえ八十万もの兵が敵にいようとも、連合軍の知略は曹操軍を超えていると言っても過言ではない。 だからと言って、簡単に崩れる敵軍ではない。 いくら精巧な作だからと言っても、力で踏み潰されかねない。 それが物語を盛り上げるポイントだ。 敵どうしが相手の動向を探りあい、戦の行方を読んでいる。 武器なき戦いがここで行われているのである。 直接顔を交わさずとも互いが互いを読もうとしている時点で戦いなのである。
 曹操は力を手にして暴君的になったのかもしれない。 現に皇帝をも取り込む力を持っているし、欲しいものをほとんど我が物としているのだから。 冷酷極まりないはずなのに、それと相反するかのように、疫病で弱った兵たちを含めた自分の部下達に熱く語りかけ、士気をあげる。
 統治者らしい一面を持っている。 だからこそ、兵たちは彼についていくのだろうし、孫 叔材のような純粋な人たちが集まるのかもしれない。
 曹操側も孫権側も、ある程度 敵を理解している。 だからこそ互いが一歩も譲らないような戦いが出来たのだろう。 相手を読み、作戦を打ちたてる場面がとても見ごたえがある。 視覚的には“赤壁の戦い”での火の海に飲まれた船、互角に戦い,敵陣へじわじわと確実に攻める孫権軍の見せ場、そして孔明が敵を利用し,見事に(敵に)対抗する手段を得たところである。
 劉備軍は一度戦場から離れたため,孔明を除く劉備軍の武将達の活躍はあまり見られなかったが、趙雲においては、しっかり印象に残る場面がある。 一番の見せ場は周喩にあるが、趙雲は美味しいところ持っていっている。 最も柔軟かつ俊敏に動く戦であり、押さえるところで押さえているからだ。
 迷いのあった孫権も今度の戦いでは、総大将としてのオーラと覚悟があり、その実力を試されるクライマックス… 真の戦人(いくさびと)となるわけだ。 先代の役目を担うにふさわしい器になった瞬間なのである。
 自然の力には人は勝てない。 まさに天候・雲の動きをより早く,気づき,読んだ方にこそ 戦いの女神は微笑む。 天気一つで勝負の行方が左右する。 孔明はすごい。 それをいち早く読み、戦略へ持ってゆく様子はなんの迷いもなく、自信に満ち溢れている。
 気象予報士のようだ。 本当に空を見上げただけで、天気がどうなるのか,読めるのかと疑問に思ったけど結果を見ると疑問には思えなかった。
 “赤壁の戦い”は、男達だけでなく、女達の戦いでもある。 小喬と尚香の二人の活躍はこの戦いに大きな影響を及ぼしているからだ。 二人の動きがあってこそ、結果が得られたのだと思える部分があるのだ。 小喬は言う、「自分だけが平和なのは嫌」と。 周喩の妻、つまりは武将や大名の側室という立場にある。 戦乱の世の日本を見ても、側室は直接動いたりはしない。 そう考えると、危険を顧みず、敵地へ向かうことで自軍のために動いた二人のはすごいし、戦う者の心を持っていると言える。 
 たとえ、原作と違っても映像化した作り手の解釈で作られたとしても、人々を歴史に注目させたのだから、良いと思う。 全てを忠実にするのも,それはそれで良いかもしれない。 しかし、いろんな視点で見るのも面白い。 『レッドクリフ』は人間的な物語。  “赤壁の戦い”ということで、曹操と連合軍の心理戦の部分もある。でも、最も注目したいのが、周喩と孔明の友情の絆である。 二人はまわりから難しいと思われたことを見事にやってのける。 宣言したこと、約束したことは必ず成し遂げるのがすごい。 互いが互いを疑ってはおらず、信頼があったからこそ,それぞれの考えや戦法にゆだね,戦ったのだろう。 二人の約束はある意味で勝負である。 結果は引き分けであり、二人とも勝者。 相棒のような関係の二人はそれぞれの作戦を理解している。 それは“友情”と言える。
 いずれ、敵同士になったとしても彼らの別れときは、熱い友情そのもので、良きライバル・良き友にしか見えない。 とても、美しい締めくくりは静かで穏やかだ。
 周喩は趙雲とも信頼関係にある。 直接、戦いには参加しない孔明に対し、趙雲は周喩同様に戦場に立つ。 つまりは、戦場での友情の信頼関係。 周喩は孔明を信じたからこそ、趙雲にもその信頼を寄せたのだとも考えられる。 だからこそ、最後のあの見せ場が成り立つ。一発逆転。
 趙雲はアクション的に見せ場がある。 だから、美味しいところを持っていったりするけれど、戦略も実戦も両方に長けた周喩はもっとすごい。
 大迫力なアクションもすごいけど、間違いなくこれは“人間的な物語”だ。

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by jd69sparrow | 2009-05-14 17:53 | 映画タイトル ら行