カテゴリ:映画タイトル ら行( 43 )

ライラの冒険

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<イントロダクション>
 一人と一匹、動物の姿をした,化身(精霊)がいたら、とても素敵だと思う。 『ライラの冒険』の世界では、幼い頃から既に精霊がいて その精霊も一人一人違う。 精霊は主が成長すると精霊自身も進化していくし、主が傷つけばその痛みを感じるという一心同体の設定がイイ。 精霊は主を守り、状況を応じて 姿を変えたりもするのも実にファンタスティック。

<あらすじ>
 ライラは守護霊(ダイモン)・パンタモンと共にオックスフォード大学の寮で暮らす学生。 寮生たちは皆,ダイモンと共に自由に過ごしている。 ある日、寮生たちを含めた子供たちが謎の組織ゴブラーの手により、誘拐されるという事件が起きる。
 ライラは自分に託された黄金の羅針盤を頼りに誘拐され、どこかに集められている子供たちを救いに旅に出る。 その道中に出会った,クマの王子イオレク・バーニソンと共に。

<感想>
 ライラには特殊能力などといった,特別な力はないけれど、真相に迫り 敵に立ち向かっていくことができたのは、ライラの心の強さや勇気があったからだと思う。 そして、人の心を動かす力。 だからこそ、イオレクを仲間とし、また彼を本来あるべき所へと導けたり,気球乗りのリーの協力を得られるのだ。
 ファンタジーの世界観を楽しめる事はさることながら、ライラという少女の魅力が丁寧に描かれていることもこの作品の魅力だ。
 現実世界とパラレルワールドとが半分半分くらいにミックスされた,『ライラの冒険』。 ダイモンという精霊は主以外の目にも映る,普通の生き物たちと変わらぬ存在であり、人と言葉を交わす。 イオレクのような大きなクマが人々が行きかう街中にいるという世界観が素敵だと思う。
 物語の中には魔女が出てくるが、その魔女よりも魔女に見えたのがコールター夫人である。 おとぎ話に出てくるような主人公を甘い言葉で欺こうとする。 また、善人のような表の顔と本性という裏の顔という二面性から言える。
 ところで、ここでの魔女というのは、人とはかけ離れた存在というのはどの話に出てくるのと同じ。 また、ミステリアスで神秘的、そして妖精のようでもある。 何が他と違うか。 それはこちらの出方しだいで頼もしい味方にも,厄介な敵にもなりうるところ。 『白雪姫』など悪役としても描かれている魔女だが、『ライラの冒険』では中立。 結果的にはライラ側に付くけれど。 『ハリー・ポッター』ではこれらとは全く違う,魔女がいる。 人に限りなく近く,善悪がはっきりと分かれ、一極化されている。
 このように“魔女”には様々なイメージがつけられる。 不思議なことに“魔法使い”には魔女のようなイメージの多面性はない。 登場するときは、プラスのイメージが多い気がする。 主人公の協力者など。 歴史の中に“魔女狩り”とあるように、仮に 魔女を悪のイメージと定義づけるなら、魔法が使えるというだけが魔女とはいえない。 つまり、コールター夫人のような,欲が深く、決して少なくはないかもしれない。 
 まるで、一つの集団をまとめる,リーダー(先導者)のように、たくましいライラがこの先どう悪と戦い、どんな道を乗り越えていくのが、成長していくのか…etc また、計り知れない。

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by jd69sparrow | 2009-02-11 22:25 | 映画タイトル ら行

レッドクリフ Part1

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<イントロダクション>
 軍師、猛将、軍略を駆使した戦い…日本史でも馴染みの深い言葉が使われる。 これぞ時代劇という大作が『レッドクリフ』である(“レッドクリフ”という言葉はよくわからなかったが)三国志に刻まれる。 戦、“赤壁の戦い”が主軸。 圧倒的に差のついた兵の差…これをどう乗り越えていくかが見所だ。


<あらすじ>
 時は三国時代。 今から1800年もの月日を遡る。 漢の国は衰退し、国は三分されていた。曹操、劉備、孫権という三人がそれぞれの三つに別れた国、それぞれの指導者である。 その中でも。一番力を持っていたのは曹操。 かつてはもっと多くの国々に分かれていたが、その大半を打ち負かし、皇帝までも操り、実質的に漢の実験を握っているに等しかった。 それを良しとしない劉備たちは呉の孫権と同盟を結び、八十万の敵に総勢わずか五万の兵力で戦いを挑む。 全ては漢を復興させ,太平な社会を切り開くためである。

<感想>
 魏、蜀、呉の三つの国があった三国時代は日本で言えば“戦国時代”にあたるだろう。 帝がいて、それぞれ領地を持つ武将がいて… しかし、戦国時代より遥か昔である。 歴史の長さを感じる。
 過去に西洋ではギリシャ神話の英雄アキレスや、アレキサンダー大王、ジャンヌダルクといった,偉人達の戦いの記録が映像化された。 個人的にはアキレスが日中の歴史で言う,武将ではないかと思う。
 しかし、大河ドラマのように、また,今回の『レッドクリフ』のように何人もの英雄・武将たちが、それぞれの主君のもと、戦い,忠義をつくすという本格時代劇はそうそうあるのものではないだろう。
 劉備には優れた知能派の軍師・諸葛亮 孔明がいる。 敵をうならせるほどの猛将 趙雲がいる。 さらに,常に冷静さを損なわない実力派の関羽、その声は敵を脅かすほどで、肉体的なパワーに富んだ,張飛がいる。 孫権には忠実になる有能な武将で 兄のような存在である周喩、兵士たちを統率し,自身も戦う力に長けた,甘興という頼もしい仲間がいる。 その一人一人に見せ場があって、各々の場面でそれぞれの武将が主役と言える。
 つまり、劉備・孫権の両者には心の底から信頼できる仲間がいて、逆に彼らの下につく孔明たちもまた,本心から主君に忠誠を誓っている。 信頼できる仲間がいるかどうかが同盟軍と、曹操との大きな違いなのである。
 孔明はとても知略に長けた人物である。 戦いに直接関わらずとも、まるで 坂本竜馬が薩摩と長州の間を取り持ち,“薩長同盟”を誕生させたように、力ある者で敵どうしともなりかねない者どうしで同盟を結成させたのを考えるとすごい。 孔明のこの軍略がなければ、漢の国は全く違う-おそらく曹操が国の頂点に立っていた-運命を辿っていたに違いない。
 曹操が数々の国を滅し、大きな力を得たのも,彼の持つ軍略が優れてのことだろう。 しかし、そんな曹操を相手に劣らぬ,軍略で立ち向かう劉備軍と孫権軍。 孔明と周喩の最強タッグ、まず 孔明が呉の国へと協力を求める際,周喩をどう説得するかというのも知的で二人の絆が特別なものになるだろうと感じられる。 また、呉と同盟を組む,一番の要は周喩を説得することだと思う。 二人が協力して敵に仕掛ける罠や攻撃は抱いたんだが、緻密に練られたものばかり。 次々とストーリーが展開し、圧倒される。 先の先まで戦のなりゆきを読んでいるのだ(二人の男たちの力は時代を少しずつ変えていったのかもしれない)。
 ここでの戦い、物語の魅力は武将達の肉体的な戦いだけでなく、彼らが編み出す作戦・罠など心理的な部分もある。 Part2はドラマティックな戦いはさらにヒートアップし、盛り上がるだろうという期待が期待が大いにある。
 熱戦。どちらに形成が傾くかわかないエキサイティングな作品である。

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by jd69sparrow | 2009-01-19 21:59 | 映画タイトル ら行

ラスベガスをぶっつぶせ

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<イントロダクション>
 アメリカ、ネバダ州に位置するギャンブルの都・ラスベガス。 砂漠になるとは とても想像できないネオンの光で宝石のように輝く場所。 エンターテインメントの街だ。 ラスベガスを舞台にした作品として(個人的に)思い浮かべられるのは「オーシャンズ」シリーズである。 ここではカジノから“宝”あらゆる道のプロ達が手を組み,手に入れようというもので ある意味で“ラスベガスをぶっつぶせ”だと思う。 「オーシャンズ」とは趣旨が違うがこの作品はまさにタイトルどおりである。 原題は「21」。ブラックジャックにちなんだ,うまいタイトルだ。 
 「ラスベガスをぶっつぶせ」には挑戦と主人公も観る側も学ぶことのできる展開となっている。前者は主人公が持つ才能の分野の限界と挑戦、後者は人を変えてしまう(恐ろしい)ものとその先に待ち受けているものについてだ。

<あらすじ>
 MITの大学に通うベンは数学においてズバ抜けた頭脳を持っている。 彼の夢はハーバードなどレベルの高い学校で自らの能力にさらに磨きをかけ、親孝行をすることである。 しかし、そのための学費がないことが彼を悩ませた。 そんな時、ミッキー・ローザ教授に目をつけられる。 ミッキーはベンが受講しているクラス(の一つ)を受け持っている。 ベンはミッキーにラスベガスへ行き,(ベンの)頭脳を活かし,ブラックジャックで富を得ようと持ちかけたのだ。 一度は拒んだベンだったが,ミッキー率いるブラックジャックのチームの一人で憧れの存在であるジルからの誘いでその一員となる。

<感想>
 信じられないほど巧に次から次へと物事が進み、チームワークによるテクニックが光る。 話だけ聞いたらこれほど出来すぎた話はないと疑いたくなるかもしれない。 だけどこの話にはもととなった事実があるのだ! そう考えると 人の想像を超えることが世の中には数多くあるのだと改めて思い知らされる。 どこかのカジノでこうした目には見えないもの(テクニック)動いているのだろう。
 (個人的には)雲の上の領域だが、主人公の感情はダイレクトに伝わってくる。 例えば、(主人公の感じる緊迫感はまるで見ているこちらの身に起こっているかのよう。“人は痛い目にあって初めて自らの失敗や過ちに気付く”、また 人は自分自身の変化に対して鈍感である。
 物語は様々なカタチで人を楽しませてくれる。 ストーリーの濃さ,(全体の)内容の充実さ、ビジュアル面…などなどいろいろある魅力の中でもクセ者的なのが,あっと驚かせ,ある意味で観る側を欺くようなラスト(結末)へのくだり。 「ラスベガス~」はそれである。 最初から最後まで隅々まで,目を光らせ 話を把握できて始めてわかるものもあるだろうし、それでもわからないものもあるかもしれない。 いずれにせよ、おもしろいことには変わりはない。 結末を目にした上で,ストーリーをフラッシュバックするとまた,おもしろいし次に見たとき、違うおもしろさが味わえる…かもしれない。 すっきりおさまっていて,めでたしめでたしという感じ。
 映画の始めから終わりに至るまできっと各章ごとに主人公の顔が違う。 少なくとも四段階に分けられると思う(マジメで意志が強いだけに見えたのが、そのことへのふんべつを心得た上で余裕の笑顔へと変わる)。 そして、それが画面いっぱいに大胆かつ目まぐるしく,繰り広げられる“ブラックジャック”(というプレーヤーとディーラーとの駆け引き)に次ぐ,見所の一つと言えるだろう。

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by jd69sparrow | 2008-07-04 12:28 | 映画タイトル ら行

レミーのおいしいレストラン

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 “誰にも美味しい料理がつくれる”という言葉は、“誰にでも夢がかなえられる”という言葉に置き換えられるのではないだろうか。 もちろんその夢の実現は本人次第。 そして何よりも大事であり、必要不可欠なのが夢をかなえるために努力をするということ。 どんなな状況下にあっても決してあきらめてはいけないのだ。 「レミーのおいしいレストラン」、それは観る者に希望をあたえてくれる物語である。
 主人公レミー、レミーの夢は花の都パリでシェフになること。 ただ、一つ問題があった、それは彼がネズミであるということ。 レミーは仲間のネズミの誰よりも鼻がきき、美味しい食材を見分けられる才能を持っていた。 それはいずれ証明されることになる…  嵐の夜、レミーは家族や仲間達と離れ離れになってしまう。 一人暗い道に取り残されたレミー。 しかしそこに一つの希望が舞い降りる。 “グストー”。彼はパリの中でも最高な腕を持つシェフで、彼のレストランは五つ星という名誉をあたえられた高級レストラン。 しかし、この世にはおらず,その魂がレミーの前に現れたのだ! グストーに導かれやってきたのは、彼のレストラン。 レミーにとってそこは夢のような世界で、憧れの場所。 そこでレミーはグストーのレストランと見習いでやってきたが、料理がまるでダメな一人の青年に出会う、リングイニだ。 それに見るに見かねたレミーがこっそり作ったスープ。 それがきっかけにレミーはリングイニの腕となり、料理を作る。
 レミーはシェフとネズミとの間を行き来する、リングイニは上司のシェフにあまりよく思われず、難題をつきつけられるというそれぞれ困難に向き合う、けれどその中でだんだんと心通わせていく。 そこには友情とよきパートナーとしての絆がうまれ、互いに一人では料理ができないことを知る。 生き物としての種類は違えど、支えあっているのだ。 人間の言葉を理解するレミーの力が幸いして,レミーとリングイニにコミュニケーションする手段ができ、格別料理場でのコミュニケーションはおもしろい。 レミーは,いいや レミーとリングイニは奇跡を起こす。 
 ネズミは人からは嫌がられる存在。 その運命は悲しいものでそこからは抜け出すことのできないというもので、実際,運の悪いネズミはその道を辿る。 一つしかないネズミの行き着く先、さだめをレミーの奇跡が変える。 
 そしてレミーとリングイニの友情はシェフやネズミたちに良き影響をあたえる。 そしてリングイニ自身と同じ“グストーのレストラン”で働くコレットにも。 二人は人間とネズミという関係というよりもむしろ同じ生き物としての友達同士という感じ。 なぜなら友情パワーが発揮されるところもあれば人と人がケンカをするようにすれ違うこともある。 人間のやりとりのようなことが一人と一匹の間で起こっている。 レミーは料理を作る夢のこと、リングイニのことが気がかりで仕方がなく、リングイニはレミーの支え・レミーの才能、そしてその心強さを求めている。 そういうドラマもあって、(CGだとは言え、)美味しそうな料理と言うアートを作り出すリトルシェフがいて…ぽかぽかとし,温まる映画だ。

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by jd69sparrow | 2007-11-24 00:29 | 映画タイトル ら行

ラッシュアワー3

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 ジャッキー・チェンという俳優といえばアジアを代表するアクション・スター。 アクション・コメディアンでもある。 “笑い”を取り入れたアクション映画を世に送り出し、築きあげてきたと言っても過言ではない。 コメディ・アクションの名作にはジャッキー映画がまず入るだろう。
 21世紀、このジャンルの王道とも言うべくは,「ラッシュアワー」シリーズではないだろうか。 中国とアメリカ、そしてこの第三作目では日本が加わり 世界三カ国にわたり「ラッシュアワー3」があるのだ。 シリーズ第三作目となるが、(今回も良い意味)で笑いが止まらない。
 リーとカーターのデコボコ・コンビが“ラッシュアワー(大混乱)”に巻き込まれる。 はじめは、互いが文化の全く違い,毎度バディを組むことがなるが(“両者の文化のギャップの違いがこの物語のおもしろさのポイントである”と言われているように)中々つりあわないところから始まるけれど、しだいに舞かに彼らの言動ややりとりがコントのようになってくる,けれどコンビネーションが抜群(?)! 
 刑事から交通課の交通整理に格下げされたカーター,その一方 リーは大使の護衛という重要な任務につき,捜査官として動いていた。 
 事件はハン大使の演説の最中に起きた。 何者かよりハン大使が撃たれたのだ。 急ぎ犯人を追うリー、彼が犯人を追い詰め,その先にあたのはなんと兄弟同然に育ち,弟のような存在である“ケンジ”の姿だった。 リーは衝撃を受けたのだった。 偶然にもそこに乱入したカーター、そして二人は三度(再び)手を組み,この事件の捜査にあたる。 犯人たちのターゲット“シャイシェン”(中国の裏世界の頭のリスト)につながらうフランスのムーランルージュのトップスター,ジャンビエーフ,そして事件に巻き込まれてしまったハン大使の娘スーヤンを守るために。
 コメディアクションでありながらそこに留まらない。 今度の敵がリーと深く関わる人物であることをはじめ,カーターでさえその問題に真正面から向き合い、その深さを実感する。 ストーリー設定からもシリアスな映画でもあるのだ。
 アメリカからパリへと舞台はうつり、話が展開していく。 ここでもリーとカーターは“ラッシュアワー”の渦中に立つ。 そしてあらゆる敵に囲まれる。 武術においてリーとひけをとらないケンジのほかにその部下で刺客のジャスミンという手ごわい敵とも対決することになる。 前回で言うならチャン・ツィーのポジションと言ったところだろうか。 武術、剣を使い、リーに戦いをしかける。 そのリーはその場にあるものを武器や盾に変え,立ち向かう。 中々の見所である。 リーが敵と真っ向勝負をしている最中、基本的にお笑い担当のカーターがその雰囲気をコメディに変える(時として真剣に立ち向かうけれど、コメディ(笑い)センスを発揮するリーがいる。
 リーとカーターがパリで最初に会った,タクシー運転手のジョージ。 アメリカに対する不満を持ち、アメリカ人であるカーターに嫌悪感を持つ,彼もまた“ラッシュアワー”に巻きこまれ,リーとカーターにようるコメディアクションの中に仲間入り。カーターに対し、険悪ムードだったはず(のジョージ)がいつの間にかカーターたちをしたっている。 二人を敬いさえする,実のところバカ亭主。 これもまたおもしろいところである。
 シリアスでしんみりもした場面もある,彼らが行く先々で“笑い”が起こる。 先も述べたように国の文化の違いにより,うまれる“笑いのネタ”がところどころにそうして“笑い”があり、“笑い”が絶えず 常に観る者を楽しませて(飽きさせず)くれる。 カーター節もジャッキー節もシリーズを通して活かされ、まだまだ“その先”がありそうな気がする。 そんな気チアを持たせてくれる今回もエキサイティングである。

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by jd69sparrow | 2007-09-03 23:58 | 映画タイトル ら行

ラブソングができるまで

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 詞は人の心を表すものである、とどこかで聞いたことがある。 曲があって詞があり、詞があって曲があるというふうに曲と詞とのつながりは深い。 二つが一つの歌となるまでにはドラマがある、映画を見てそう思えた。 原題"music and lyrics"がそれを一言に表している。 歌い手は詞にこめられてメッセージを受け取り,それを人々の胸に届ける、だからこそ詞の意味を歌い手は読み取らなくてはならないし、歌の世界観を壊すことなく伝えなくてはならない。 メッセージを声と気持ちによって表現する、それを可能にできる人に作り手たちは歌い手に歌を贈る。 両者のそうしてコミュニケーションがとれたからこそ聞き手である私たちの心に直接呼びかけるように届くのだ。 
 80年代、一世を風靡した“PoP!”。 解散後、二人いたボーカルの一人アレックスはもう一人のボーカル同様,ソロとデビューするが全く売れず、“元人気グループのボーカル”という過去の栄光だけを頼りに当時のファンたちに囲まれた小さなイベントにまわるなどと細々と活動を行っていた。 輝きを失った宝石のように彼はすっかり“過去の人”という色に染まっていた。 彼自身、いまだ過去に生きていたのだ。 そんな落ちぶれた日々を過ごすアレックスだったが、ある日突然嬉しい知らせが舞い込んできた。それは今をときめく歌姫コーラからの新曲の依頼だった! 音楽界に本格的にカムバックするチャンスをつかむため、歌作りをはじめることに。 しかし作詞家とはそりがあわず、詞を作るのが苦手なアレックスは途方にくれようとしていたその時、たまたま彼の家に植物の世話の手伝いとして訪れていたソフィーの何気なく口ずさんだ詞がアレックスの耳に止まったのだ。 ソフィーの口ずさんだ短いフレーズに可能性を感じた彼は彼女に共に曲作りをすることを申し出る。
 過去の自分の栄光にすがっていたアレックス、文才でありながら過去の失恋によりその道へ進む夢をたちきっていたソフィー。 二人は互いに捨てられない過去の記憶がありそこに縛られていた。 しかし 二人の出会いと共にラブソングをつくるという共同作業が二人がお互いがお互いを現在・未来へと導く。
 ところどころにジョークじみたセリフがちりばめられているのもさることながら,アレックスのPoP時代の姿、常に彼がこだわり続けている“腰ふり”もおもしろい。 歌って踊る、さらにはピアノの弾き語りというめったに拝むことのできないヒュー・グラントの姿があった。 冒頭から時代を感じさせる。 当時のアイドル風のファッションに身を包み、別人のように(スクリーンを通して)目の前に現れたグラント。 ださめだけれどセクシーさもあって実在した人物でありグループのように思えるし、また,物語で描かれるアレックスの姿、彼の陥る状況というのはリアルな話なのだとも思う。
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by jd69sparrow | 2007-04-28 17:34 | 映画タイトル ら行

ロッカーズ

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 80年代、ロックに燃えた男たちがいた。 彼らの名は“The Rockers"。 アマチュアからスタートし、熱きロックで最高のステージを沸かせることを夢見た5人のバンドマンたちである。 ロック・バカな5人はメジャー・デビューへの道へまっしぐら。 彼らのロック魂はロックという音楽への愛によりいっそう燃える。この物語は役者・陣内孝則がかつて在籍したロックバンドをもとに作られた映画なのだ。 彼は自らメガホンをとりこの作品を作り上げた。 陣内が青春を過ごしバンドマンとして輝いたその時を描いている。 そして陣内と共にロッカーズとして活躍した谷信雄氏へのオマージュの意がこめらていて,ロッカーズの青春と谷氏へ捧げるためのものと言うべきだろう。 
 はじめはロッカーズのメンバーは4人だった。ギタリストから歌を歌うボーカルへと目覚めた主人公・ジン。 ジンは各々の理由からどこか脱力したような自らが率いるバンドのメンバーを見、刺激を求めていた。 みなの夢の一歩を踏みしめるにはバンドの仲間達を奮い立たせ,また引き締めさせる存在が必要だった。  そしてやってきたのがギタリストの谷だった。 申し分ないバンドマンとしての実力にロッカーズに活気がつく。 まもなくしてようやくプロへの道のスタートラインにつき夢の実現に向かい舵をとった。 ロッカーズは新メンバーが仲間に加わり, 新たな出発点でゼロから前進し,強力なライバルの出現によりロッカーズはヒートアップし勢いにのっていく。 そして困難を乗り越えプロへと近づき,そしてロックバンドとしても成長をとげていく。
 最近ではロックバンドであっても歌って飛び跳ねてというロッカーズの時代のようなバンドはそうそうないのではないかと思う。 しかも登場人物の率直な気持ちがそのまま詞の中に盛り込まれているようなのが尚更素敵。 だからこそ、というべきだろうか舞台となる80年代を過ぎて時が流れた物語の中で刻まれる時が今も(ロッカーズが)素直にかっこいいと思えるし見れる。
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by jd69sparrow | 2007-04-08 02:06 | 映画タイトル ら行

ロング・エンゲージメント

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 時代は20世紀初頭のフランス、戦争の真っ只中である。 フランスとドイツは敵対する関係にあった。 戦争で遠くはなれた恋人たち、男たちは愛する者のもとへ自分の命を無事持ち帰るために戦い、女たちは彼らの生還をただただ信じ,待つのみである。 これは戦時中,万国共通であっただろう。 無事戦いから兵士たちが帰還し、再び会えることができたなら例えどんなカタチであっても涙あふれ,嬉しさこみあげることだろう。 それは奇跡がかなった瞬間である。 しかし、いつどこで何が起こるとも限らず,また命を奪いかねないのがこの「戦争」なのだ。 これによって人生の終幕が降りた者たちも少なくないはずだ。 しかし、「信じる」という思いはとても大切である。 それが支えとなるのだから。 戦争へと赴いていった人々が無事であるということを必死で願い奇跡を求める。 長い長い「エンゲージメント」が続く。 恋人と離れ離れとなり,知らされた事実をそのまま受け入れられず.何度も悲しみにふける。 
 兵士たち五人が軍内で命を代償に罰せられる時が来た、彼らは一人一人思う人がいて思う思い出があったに違いない。 人は守るべきものができたとき、どうしても帰らなければと強く願う。男たちの境遇は様々であるがその中に一人,若き兵士がいたマクネ。 彼には婚約を結ぶ愛すべき人がいた。 マチルドである、彼女がこの物語の語り手で主人公である。 歳も近く,幼き頃からのつながりが彼らの中にはあった。 しかしマクネの死がマチルドのもとに訪れるが、彼女はまわりが何と言おうとも彼の生還を強く信じ、愛とその知らせに謎を見出した彼女はその謎をどうしても解き明かしたかった、また“糸”をつなげたかった。 マチルドに知らされた事、また戦争へ赴いたマクネ自身には多くの人が関わりあっていて、真実へたどり着くには謎を解き明かす必要があり,長い長い距離が広がっていた。  “遠回りをすればいいこともある”。
  
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by jd69sparrow | 2007-01-30 11:56 | 映画タイトル ら行

ルパン

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 大怪盗の代名詞とも言うべきであろう“ルパン”は20世紀の初めに小説家モーリス・ルブランの手により冒険&推理小説の世界に登場した。 やがて日本のアニメにもその名が登場する。それはアルセーヌ・ルパンの孫という設定で描かれたものだと言う。 どちらにしても変装の名人で怪盗という稼業を営んでいる。 そしてそ神出鬼没で空気のようにつかめない存在である。手を簡単にするり抜けてしまう。 
 アルセーヌ・ルパン、彼はあらゆる宝を華麗に我が物とするが手を血で汚すことは好まない。とてもおしゃれで上品な紳士という顔を持つ,“怪盗紳士”なのである。 そんなルパンの命がけの戦いと冒険の物語が「ルパン」なのだ。
 フランス。 ルパンは幼少時代から戦う術を父親から学んでいた。 そして彼は怪盗の血を受け継いでいる。 その父親は何物かによって命を奪われてしまう。 月日が流れ、アルセーヌ・ルパンは怪盗へと成長する。 フランスのある場所に財宝が眠っていてその場所を指し示す手がかりがフランス各地に隠されていることを知った彼は魔女と呼ばれる女,ジョセフィーヌと手を組み,財宝を求め手がかりを追っていく。
 人を欺き,変装をし、ルパンは確実に 着実に標的をつかみとる。 宝を奪う才能だけでなく身を守る術を知り尽くす強さも持っている。 ルパンは恋をして,人を愛す。 そして目的を果たしていくけれど彼の中にはいつも父親がいて、その影を追っている。 さらに愛する父親の身に起こった悲劇が脳裏に焼き付いてる。 それに対する無念さもあっただろう。 父親の存在が消えぬがゆえに時に苦しむのである。 人間味のあふれる姿がそこにはあった。 そして彼の流す涙は宝石よりもとても綺麗に見えた。
 実写として映画に登場した「ルパン」。 原作となる「アルセーヌ・ルパン」のシリーズを個人的には映像として見たいところである。 今回の「ルパン」の物語は彼が怪盗になるきっかけから怪盗に至り,その直後が描かれている一部というか概要に過ぎないように思える。 変装の名人とされるルパン、華麗なる“手さばき”なるものをもっともっと見たくなるという期待が持てる作品であったと思う。 主人公が謎を一つ一つ解きながら宝を求めていく推理ものとしてのおもしろさ、見ている側も一瞬,目を欺かれてしまうような仕掛けもあった。 ルパンの父親についての深みがかったところも見受けられた。
 “血は親から子どもへと受け継がれる”。 その能力を発揮させられるかどうか、あるいはその力をどう使うかはその血を受け継ぐものしだいで、またその人にそれを引き出すきっかけが訪れるかもまた然り。
 ルパンとジョセフィーヌの関係は怪盗の同士であって敵である。 因縁というのは大げさかもしれないが少なからずそれに限りなく近いものを感じられ,二人は敵にも味方にもなりうる、また時にはどこか互いに惹かれるものがありつつも二人の間には一線や冷たい壁があるというのは変わることのように思えた。 それは両方ともが謎を一つ二つ常に持っていると感じさせられるところと言っていいかもしれない。  
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by jd69sparrow | 2007-01-29 23:53 | 映画タイトル ら行

RENT

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 とても希望にみちたミュージカル映画だと思う。 もちろん物語の中には深刻な場面もドラマも多くふくまれている。 途中途中でちゃんどドラマな部分がふくまれているから希望へとつながるのだし、現実を見た問題が取り上げられているからこそ関心がより深まる。 そして「愛」というテーマがあるからこそ決して見終わった後、後味の悪いものにもならなければ暗い気持ちにもならない。 そこがとてもよく構成されている点であろう。 
 ミュージカル映画はたくさんある、それは作品によって様々だし、伝えるもののカタチがそれぞれ異なっている。 けれど観客たちへエンターテイメントを提供するという点はどれにも共通するものに違いない。 人を楽しませたり、考えさせたり、感動をあたえたり・・・などなど何かしら感情がわかせる。 それはミュージカル、映画を問わないと思う。 ミュージカルと映画の融合は映像というスポットライトがあてられその舞台を見るというカタチになる。 またミュージカルの種類も様々で「オペラ座の怪人」のようにその名のとおりオペラという芸術を媒体に創られるものもあれば「RENT」のように愛という情熱をそそぎハーモニーを奏でるものもある。
 常に思うのがリアルに舞台を感じられるということ。 映像であって生とは感じ方も迫力も違うけれど物語の質がおちるということはまずない。 この作品を映画を通してみて思うのが実際がどういうものなのかは完全に把握すのは不可能であったにしろ、映画を見ていても舞台の光景が浮かび上がってくるような感覚になれることだ。 ここではこういうふうに舞台の絵図が組まれ,このようにどう舞台で人物が動くなどといったことが思い浮かべられる。 だから本当に“映画を見ながらミュージカルを見る”という感覚になれるのだろう。
 物語の舞台はアメリカ・ニューヨーク。 7人の男女の若者たちが「愛」をそれぞれの方法で表現する、あるいは解いていく。 彼らの生き方というのはそれぞれ少しずつ違うけれど彼らの心の根元には「愛」がある。 愛、芸術、現実問題とテーマは様々。 主人公たちはどこかしらに問題や悩みをかかえているて、それぞれが持つ悩みは時にぶつかり合ったりもする。 どんな状況下にあっても彼らの夢は色あせることはないと信じられる物語。
 登場人物一人一人が孤独であったりとか、中々愛することのできない気持ちなどを持っている。 そんな仲間どうしが集まることで彼らは境遇に接点のあることを見出し、だんだんと自分の殻からでることを可能にしていくし、また孤独から脱していくのだ。 みなに共通するウこと、それは「夢」。 誰もが明確な自分の未来への夢を持っていて、それをかなえるために現実の中でもがいている。 
 一つ言えることは決して深刻な気持ちで終わることがないということ、テーマがシリアスであると見終わった後にもその映画で受けた印象というのが残るけれどここでは暗くなることはない。それは登場人物たちがそういう気持ちを持っていてもそれに立ち向かおうといおう姿勢を大きく示しているからだろう。
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by jd69sparrow | 2006-12-07 01:12 | 映画タイトル ら行