カテゴリ:映画タイトル か行( 75 )

麒麟の翼

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by jd69sparrow | 2012-01-31 18:40 | 映画タイトル か行

きみはペット

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by jd69sparrow | 2012-01-24 21:28 | 映画タイトル か行

キャプテン・アメリカ the first avenger

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【あらすじ】
 1940年代初頭。 第二次世界戦、ヒットラーという二大脅威の時代、彼は誕生した。 希望を見出すのが困難だった時代の救世主、それが“彼”だった。 スティーブ・ロジャースは アメリカへの愛国心が強く,国のために軍で戦うことが夢だった。 しかし、病弱で小柄な 彼の答えはいつも決まっていた。 何度、つき返されても,親友バッキーに断念を薦められようとも 決して怯まない。 やがて彼の努力が報われる時がきた。 栄ブラハム・アースキン博士の目にとまったスティーブはアメリカ軍がヒトラーを裏切り暴走するヒドラこと,シュミットに対抗するべく,考案した「スーパーソルジャー計画」の対象者に選ばれるのだった。
 アースキン博士の発明した,血清を打つことでスティーブは見違えるほどの進化を遂げ,「スーパー・ソルジャー計画」は成功の兆しが見えた。 しかし、密かに潜り込んでいたヒドラのスパイにより,博士は暗殺され,スティーブは取り残されてしまう。 そんな彼を次に待っていたのは “キャプテン・アメリカ”という名のマスコットとしての道だった。 SSRというアメリカの組織のエージェント,ペギー・カーターによって自身の本来の道を取り戻し,スティーブは真に“キャプテン”という名にふさわしくなるべく、一人立ち上がるのだった。

【感想】 
※エンドロールが完全に終了するまで、着席のままでお願いします!

 原作が最初に書かれたのは、1940年と,あって今回の物語の時代とシンクロしている。 自由と平和が何よりも求められた時代に,キャプテン・アメリカというアメリカの自由を背負った,ヒーローの登場は必然的なものと言えるだろう。 蜘蛛の糸や鉤爪など持たず,増強された身体能力とシールドのみで戦った,最も人間的なヒーローは まさに"first avenger"にふさわしい。 つまり、「最初の英雄」。 今もなお愛されるのは、現代につながるものがあること、そして 時代が進化するにつれて,失われつつある大切な精神が彼にあるからである。 キャプテン・アメリカの最も魅力的な点は、製作者が指摘するように“努力のヒーロー”という誰もが彼を憧れと出来るところに尽きるだろう。 現に彼は出身地を偽ってまでも,どんなに自分がリスクをかかえていても,あきらめずに志願しつづけるという努力が報われて,初めてキャプテンと呼ばれるまでに登りつめているだ。 他の多くのマーベル・ヒーローたちは望まぬして能力を手にするというパターンや生まれれながら能力を身にまとっている場合が目立ち,そういうヒーローたちの登場が続いての,“キャプテン・アメリカ”の登場は時代設定は古くありながらも,とても新鮮である。 それは、時代が“今こそ原点に戻るべき”なのだということを指しているのだとも考えれる…そして人は努力しつづければ、必ずそれを見てくれる人がいるのだということにも改めて気づかされる。 また、特別な能力がなくても、彼には澄んだ心と仲間が進んでついていきたくなるような信頼がある…ということにも大いに納得できる。 
 彼を演じる役者本人が語るように、私たちは自由を手にするようになり,かつて 戦争の時代にあった結束力に生きるというよりも、自分勝手になりがちである。 しかし、結束することを私たちは完全に忘れたわけではない。 それは2011年の始め頃に発生した,東日本大震災がそれを証明している。 人は、危機に直面した時,初めて結束するのだ。 とは言え、皆が皆,実感するほどまでは届かぬものの,世界が危機にさらされていることは事実である。 だから、やはりもっと キャプテン・アメリカが希望を与えた,当時のような結束がまさに必要なのだと言える。

 「逃げても追われる。 だから相手が諦めるまで立ち向かうんだ」
 という主人公の言葉には心打たれるものがある。 これは まだキャプテン・アメリカになる前に、どんなに強い相手に叩きのめされても,何故逃げないのかとペギーに問われたことへの答えである。 彼は決して自分の欠点にも困難にも屈しない。 弱者だからこそ、わかる自分の弱さを受け入れ,バネにする,なんとも心の強い人物だ。 
 他にも名言はいくつかある。 上司に「ヒトラーを殺したいか?」という問いには「誰も死なない方がいい」という,この上ない平和主義を証明し、これまでにない力を手に入れても,自分が特別だとは思わず、「ただのガキ」だと言う。 これら全てが彼の本心であり,飾らず,偽善者でもないところがいい。 嫌なことに直面しても相手を見返す覚悟で立ち向かうことが大切なのだと語られている。

 マーベル・ヒーローと言えば、その能力の次にインパクトが大きいのがコスチューム。 キャプテン・アメリカもそう。 頭から足のつま先までのコスチューム全体が国旗…つまり、国旗を着ているという感じで 今までのヒーローの中ではかなり派手な方だろう。 スパイディのようにコスチュームには二段階あるのが,面白いと思う。 手作り感のある衣装を見たときは ニヤリしてしまった人も少なくないはず。 その後、あのカッコいい衣装となるわけだ。 ただ、スパイディと違うのは コスチュームを身にまとうものの,正体を隠しているわけではないし、見た目からしてマスク部分の露出が多い。 さらにつけ外しする場面も多め。 仮面ヒーローの見かけであって、仮面ヒーローではない。 コスチュームはあくまで“制服”と言えるだろう。
 しかし、このコスチュームよりも象徴的と言えるのが、円盤状のシールドである。 盾であり、相手に攻撃を与える武器でもある。 フライングディスクのように使うところがカッコいい。 問題は完成系のこのシールドではない。 主人公が常にシールド,つまり、盾を持って戦う行為じたいにある。 チンピラとの喧嘩では,ゴミ箱の蓋、スーパーソルジャーへの進化直後の“最初の”敵とはタクシーのドア(壊れてはずれたもの)、マスコットになったときも,真のキャプテンになってからも常に戦闘時の彼の手にはシールドが握られている。
 “盾”が持つ意味・役割。 それは“大切なものを守る”ということにある。 自分の身を守ることから始まり、それは仲間や多くのアメリカ国民を守ることへとつながる。 真の英雄の使命というのは、大切なものを守るということなのだ。
 どちらかというとシリアスであり、コメディ要素は控えめなマーベル・シリーズだが、ファンがワクワクするような要素が多い。 唯一、個人的にピンときたのはキャラクターの中に“スターク”とあったことだ。 その役柄を観れば、すぐその正体に察しが着くだろう。 もしかしたら、名前だけで気づく人もいるかもしれない。 その他にも他のマーベル作品にリンクするところがあるので、作品を観る時に是非注目して欲しい。 それを決定付けるのが『ジ・アベンジャーズ』である。 マーベルという他にない,ヒーロー・シリーズの集大成というべきだろうか。 
 漫画原作のこういうタイプの映画によく見受けられるのが、ツッコミどころ。 しかし、それがマイナス要素だとは思わない。 逆に面白いと思えるからだ。 今回の『キャプテン・アメリカ』にもいくつかある。
 まずは、レッドスカル。 レッドスカルは,ヒドラという組織のリーダーであるシュミットの別名。 それは、スティーブと同じ血清によるものだが,その見た目はダース・モール的なものがある。 マーベル版、と言うべきだろうか。 いかにも漫画チックなダース・モールみたいな。 
 あと、もう一つがキャプテン・アメリカのレッドスカルとの死闘後の展開。 他のマーベル・キャラクターと同じ時間の軸に生きるキャラクター設定と、『ジ・アベンジャーズ』に登場させるためのストーリー設定として 時を経ても同じ姿をしているのは必然的なものなのだが、70年経っても若いままというのは なんとも羨ましい。 しかし、孤独とも言える。 ヒーローというものは、人々から期待され,望まれるけれど 実は孤独を抱えているのである。 彼らがヒーローとして生きていくのを後押ししてくれた存在を失うというジンクスがあるというのが一つの要因と言えるだろう(全てのマーベル作品を観たわけではないので断言は出来ないが)。
 面白いという点に話を戻すと、お約束なのが マーベル・ヒーローの生みの親である,スタン・リーのカメオ出演。 まるでパンダマン(『ONEPIECE』より)を探すのと同じくらい、探すのが難しい。 見つけられたら、いい事ありそう・・・というくらいだ。 しかし、今回ではこの話題に触れた部分が見当たらなかったので 出ているかどうかは不明。
 近年のマーベル作品でシリーズものを見かけないのは,マーベル作品と限らず、映画自体,シリーズ化することには かなりのリスクがあるからかもしれない。 『スパイダーマン』、『アイアンマン』、『X-MEN』(『ハルク』もある意味シリーズものか)くらいだろうか。 しかし、マーベル作品は皆、コミックで連載したものであり,映画で語られるのは その一部に過ぎない。 数多くあるエピソードをひとつ選ぶのもかなり困難なことだろうし、ましてやシリーズ化となれば もっと困難となるだろう。 『キャプテン・アメリカ』も過去に何度もコミックに復活しており、キャップ(キャプテン・アメリカの愛称)も様々な戦いにおいて活躍をしている。 それと同時に現代に至るまでに かなりの苦悩の中で生きている。 出来れば映像で観てみたいけれど 原作だけでも観ることが出来たらと個人的に思うのである。 そこで常に鍵・テーマとなるのが 「正義とは?」という,現実世界においても 難しいテーマだ。 愛国心を持ち,常に「正義」と葛藤するキャップ。 彼の見る正義の姿は穢れゆき、自身を苦しめるも 白旗をあげないキャップは まさに“ファースト・アベンジャー”という称号にふさわしい。仲間の危機を救うために自らを犠牲に出来る本物の“ヒーロー”だ。
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by jd69sparrow | 2012-01-17 17:38 | 映画タイトル か行

カーズ2

2011年7月30日(土) 公開初日♪

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<あらすじ>
 ラジエーター・スプリングスで結ばれた,ライトニング・マックイーンとメーターとの友情の絆が世界で試される! マックイーンは、レーシングカー。 メーターとの友情は彼のデビュー戦の日から始まる。 デビュー戦にして、挫折を味わったマックイーンがたどり着いたのはラジエーター・スプリングスという名の地図から消されてしまった,田舎町。 マックイーンはレッカー車のメーターと出会い、町の人々と触れ合いながら成長し、メーターとの友情も深めていく…というのが第一作目。

 第二作目となる『カーズ2』は、マックイーンの世界戦が舞台。 世界のレースで四度もトロフィーをモノにしたマックイーンは,休暇をとるためにラジエーター・スプリングスに帰ってくる。  しかし、メーターがテレビ番組に電話をかけ,イタリア代表 フランチェスコ・ベルヌーイへ,意図せずマックイーンの代わりに宣戦布告をし,マックイーンはフランチェスコの出る東京でのレースへ参加することに。
 マックイーンと共に東京にやって来たメーターは,そのレースの裏で進行されている事件に巻き込まれる。 イギリスから来た諜報員たちに,事件を追うアメリカからの諜報員と間違われたメーターは、闇の計画を阻止する任務に加わることになる。 レースは世界各地に展開され,マックイーンにも危機が迫る! メーターは親友を守ることが出来るのか…。


<感想>
 『トイ・ストーリー』のウッディとバズのような友情物語から一新、スパイアクションとして生まれ変わった『カーズ2』! この壮大なる冒険とスケールは 実写に負けない面白さがある。 ピクサー作品の中で最も世界が広いのが『カーズ2』である。  個人的には、乗り物に感情をつけるのは『機関車トーマス』というイメージが
先に来るのだが、ピクサー独自の味があり,決して二番煎じではないのだ。 それに、一つ大きな違いがある。それは、顔の描き方。 作り手側が言うように『カーズ』は、素材を活かし,キャラクターたちの感情をつけている。 
 車たちがメインである,本作では飛行機や船などのキャラクターも登場するし、様々なレーシングカーを観ることが出来るのだが それだけではない。 注目は日本・東京! 日本の伝統文化、和の風景、そしてトレンドなど 細部にまで そのこだわりが観られる。 日本へ来る外国からの観光客のリアルなエピソードと反応が観れるのも面白いところ。 この物語の最初の部分を彩る東京の場面のバックボーンを知るとさらに映画が魅力的に思えるだろう。 そしてもう一つ、注目したいのがここで登場する,日本色の車たち。 歌舞伎や相撲をする車たちがとても魅力的で、メーターがそれにちなんだ格好で登場する一こまにも注目である。 
 スパイアクションという設定はとても意外だった。 その主役がメーターであることも。 でも、ある意味必然だったとも思う。 これは実写にそのまま置き換えられると思う。 ジェームズ・ボンドのようなスパイがいて、ボンドガール的なパートナーがいる、そして彼らのミッションに偶然巻き込まれた主人公がいるという最高な素材が揃っているからだ。 スパイアクションの醍醐味と言えば、緊張感ただようミッション遂行やアクションである。 スパイものにアクション要素が加わると、街の景観もポイントになってくる。 実写さながらの美しい街並みがCGの中にリアルに再現されていて、その街に旅行しているかのような疑似体験すら出来るから、凄い。
 今回の話は誰かの成長の物語ではない。 メーターの冒険が中心で彼が自分に自身をつけるまでの話というか、友情という絆において大切なこととは何かを問う物語。
 魅力は人間社会を車の視点でリアル、忠実に再現されているところ。 人の視点が車の視点に…車の前輪が「手」であるという設定はとても面白い。 乗り物が乗り物に乗ること、その乗り物が乗る,乗り物もまた生きているということ。 さらに違う乗り物どうしのコンビネーションがカッコいいところ。 
 ピクサーと言えば、ほんわかした感動ストーリーという印象があるし、そこが魅力だと思う。たまに こうしたスケールの大きい物語があってもいいと思うけど、この路線をたどり続けすぎて欲しくない。 物語は常に「心温まる」ものとされているのは変わらずあるのけれど、いつまでもそうあって欲しい。
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by jd69sparrow | 2012-01-05 18:41 | 映画タイトル か行

コクリコ坂から

2011年7月16日(土) 初日。

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<あらすじ>
 1963年。 まだパソコンも携帯もなかった時代の神奈川が舞台。 海はおばあちゃんの持つ,アパートでおばあちゃんや妹、弟、それにアパートの住人たちと共同生活をし,毎日彼らの食事を作ることと庭に旗を揚げるが日課だった(それは船乗りだった父を思っての幼い頃からの習慣だった)。ある日、海は通う高校で運命的な出会いを果たす。 俊。 海の旗のことを学校新聞に詩で綴った,文藝部の三年生で部長である。
 カルチェラタン。 それは男子の部活動が集う古き建物。 カルチェラタンは、多くの生徒たちから愛される場所だが、今 取り壊されようとしていた。 その危機的状況から、カルチェラタンを守るべく、俊たち男子たちは毎日討論会を開いていた。 海のある提案で、カルチェラタンを守る計画は本格的に始動する。 そんな中、海と俊の間には特別な思いが芽生えるが 二人の出生の真実が二人に衝撃をあたえる。 

<感想>
 ファンタジー要素の一切ないジブリ作品は久しくない。 1960年代のティーンたちの日常と青春を描いた心温まる,また ちょっと ほのぼのした物語。 ファンタジーがない分,温かみのあるこの時代をふんだんに表現されているのだ。 ストーリー自体は特別ではないけれど、その特別ではないところが逆に魅力なのだと思う。 
 海と俊、そしてカルチェラタンが主役のこの物語。 主に焦点を当てたいのが…海たちの青春と言いたいところだが、個人的にはカルチェラタンである。 現実で考えたら 入りにくそうだけど 埃まみれな建物でも魅力的に描くのがジブリ・マジックと言えよう。 木の温もりがあって,その息遣いも感じられる カルチェラタンには男子高校生たちの夢と希望が宿っている。 部活動が集う場所だけど、そこにいる生徒たちは まるでこの場所の住人だ。 住人たちは皆、生き生きしている。 そこに住まう人たちが 生き生きしているとその建物も魅力的になる。 そう思った。
 「新しいものばかりに飛びついて 歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」という劇中の俊の言葉はとても印象的であり、心をぐっとつかまれた気分になる。 新しい時代が到来しようとしているこの時代も、今も変わらないものがある。 それは京の町を近代化してしまった事実を連想させられた。 それに、古い建物を壊し,次々と新しい建物を作る現代人の傾向を叱咤するかのごとくである。 少し大げさかもしれないが、俊のこの台詞が世界中に届いたらなぁと思う。
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by jd69sparrow | 2011-12-30 18:37 | 映画タイトル か行

カンフーパンダ2

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<あらすじ>
 龍の戦士選ばれた,パンダのポーは 晴れてマスター5と呼ばれるカンフーの達人の仲間入りを果たした。民の平和を守るため,ポーはあちこちを巡っていた。 ある日、音楽の村に狼の盗賊が現れ,退治に行くことがキッカケでポーは過去の悲しい記憶を思い出し,彼らの任務はあと一歩のところで失敗に終わる。 そして次に彼らを待っていたのは,ゴンメン市を牛耳るシェン大老からゴンメン市を救うという任務だった。 早速旅立つ,ポーたち。 しかし、両親との別れの記憶、自分が何者であるかという疑問と,何故両親は自分を捨てたのかと悩みがポーの中に生まれ、悩みを抱えたまま突き進むのだった。 
 ポーの悲しい過去。 その謎を知るのはシェン大老,ただ一人。 ポーにとってこの任務は過去を探るためでもあった。 カンフーを封じるため,強力な大砲を大量に抱えた、シェン大老との激しい戦いが繰り広げられる。 強敵・シェン大老と戦うための鍵となるのがカンフーの奥義・「内なる平和」。 ポーはこの技を習得出来るのか。

<感想>
 『カンフー・パンダ』の魅力は大きく分けて二つ。 ポーというキャラクターの魅力とギャグやジョークの効いたコメディであることだ。
 字幕版、日本語吹き替え版ともに名だたる有名人がアテレコをしていることも魅力的だが そのキャスト一人一人の声がキャラクターとマッチしているというのが凄い。 観る人によって好みは分かれると思うが それを二分するポイントは主人公である。 それぞれ全く違うイメージが持てるし、どちらにしても それぞれの味が出ているので どちらがいいと選ぶのは非常に難しい。 個人的に、前回は日本語の爽やかで愛嬌のあるポー、今回は字幕版で鑑賞して観ると,コメディアンで もろポーとうキャラクター全快という感じ。 さらに悪役・シェン大老を、悪役をセクシーにまた,とても魅力にみせる,名優が演じていることもかなり、今回の『カンフー・パンダ2』という作品を盛り上げている。
 英語版のポーは「ポー=ジャック」というくらい、一心同体という印象を受ける。 ポーはジャック・ブラックというコメディアンの魅力をそのままアニメにしたかのようである。 明るく、人並み超えたポジティブさ。 早口で台詞が話される中にポーのうちから出てくる感情がリアルに表現されている。 キャストがキャラクターを作り上げているというのは、このことだ。 ポーというキャラクターだけでも、ボイスキャストだけでも成り立たない,二つが揃って初めて人々を魅了するのである。
 ポーはパワータイプのマスターと言える。 その力は龍の戦士に選ばれた,今では頼もしい戦力。 しかし、ポー自身、他のマスターたちより一見,不器用。 だけど、ポーでしかなしえない手段で器用に危機を乗り越え,もろバレになりそうな事態もうまぁく すり抜けるのである。 そこにはこの作品のもう一つである,コメディという魅力が隠れている。  8割以上、笑い要素が盛り込まれており ポーという濃いキャラクターが物語全体のテンポを良くし,コメディというエッセンスを作品全体に注いでいる。
 個人的に好きな場面。 獅子舞のドラゴン版みたいなのにポーとマスターファイブが入るくだり、ウルフ隊長(シェン大老の部下)とポーとの一騎打ち、前後するが,この二つのチャプターの最初にポーが人目をするリ抜ける場面、予言おばばとの2ショットで寝たフリをする短いシーン…など多くある。
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by jd69sparrow | 2011-08-20 22:39 | 映画タイトル か行

劇場版 BLEACH ~地獄篇~

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<あらすじ>
 人が死を迎えたとき、向かう先は二手に分かれる。 ソウルソサイティと呼ばれる世界と地獄。 いわば、天国と地獄であり、そのどちらに導かれるかは,その人の生前での行い次第。 死神は肉体から離れた魂を導く,いわば案内人。 現世で死神の力を覚醒させた,主人公・黒崎一護は゛死神代行”として,死神たちともにhロウと呼ばれる,魂の抜け殻を取り締まるため、日々戦っている。 死神と人との間に生まれた一護は、死神たちの集まる,護廷十三隊の隊長に匹敵する力を持つ。 そして一護には死神と人間の他にもう一つの゛顔”があった。 ホロウとしての顔が。 ホロウの仮面を持つヴァイザードの最終進化形態にして,禁断の領域の力をも持っている。 その力の噂は地獄までに届いた。 何事もない日常。 しかし、そうは続かない。 地獄へ一度落とされた者たち,すなわち゛地獄の咎人”たちが一護の力を利用するために,死神および一護たち現世の人間たちに宣戦布告。 一護は,彼らに妹を連れ去られ、もう一人の咎人の力を借りて,連れ去れた先、つまり 地獄へと向かうのだった。

<感想>
 地獄。 何度となく、銀幕に出てきた舞台。 死神と言えば,地獄から来た「死の番人」というイメージを個人的に持っていたのだが,ここでは全く違う。 溶岩の解けた,火の海に岩がその上にあって…という簡単なものではない。 パラレルワールドと化した,地獄はまるで 遠い先の未来の地球とでもいえ様か。 アトラクションを乗り,色々な色に染まる世界を見るか如し。 それは例えるなら「イッツ・ア・スモールワールド」で船に乗るかのようで,次々に世界が変わっていくから面白い。
 漫画、アニメとなった映画は最近ではほとんど観ていない。 唯一毎年観ているのが『コナン』。 それ以外のものは皆無だったし,面白くはないだろうと思い込んでいたが、今回それが見事に覆されたのである。 ハリウッド映画に出来そうなくらいの最高のエンタテインメントになっている。 日本映画で言えば、『GOEMON』、『キャシャーン』の監督・クリエーターの方々によって,ハリウッドでは『シン・シティ』か『マトリックス』のクリエーターによって 実写を可能にそうではないかと思う。 特に日本映画の例としてあげたクリーエーターの方々。 
 最近の映画では展開が読めてくるものがあるけれど、それでも楽しませてくれるのが現代映画の特徴とも言うべきだろうか。 本作もその一つ。 その要因ともなっているのが やはり カリスマ的な死神たちと,ストーリー展開の早く,中身も濃密であることが言えるだろう。 そして綺麗で繊細な線で描かれていることが一つ言えるだろう。  ゛死神”のイメージを覆したことだけでも かなりの魅力であるが、今回はなんと言っても舞台が゛地獄”であることもファンを惹きつけるポイントと言えよう。 加えて、それを惹きつけるのが謎に包まれた地獄からの使者。 正確には使者ではないが、咎人が死神の味方し,悪を企てる咎人たちを倒す旅へと誘うところが とてもスリルがある。 さらに。 その咎人,つまり単身で味方する謎の男,のキャラクター性にも注目していただきたい。 名前コクト(黒糖からつけた?…とは限らないけど)。 その敵がシュレン率いる悪の咎人軍団である。 シュレンの部下たちも相当な個性はだが、やはりここは コクトとシュレンを比較したい。  正反対な二人。 シュレンはコクトとは正反対なタイプ(妖艶な感じ)でこちらも魅力的なのだ(キャラクターが発するオーラや切れ長な目とか)…が! やはり個人的にはコクトが物語を引っ張っている鍵であり,今回の映画をより魅力的にする要因だと思うのである。 なにしろ強い。 そして、一護と同じ,妹を持つ゛兄”であること。
 それから! やっぱり声優さんの個性を無視するわけにはいかない…というか無視するべきではない。 べジータ 対 ゾロ (対 ティーダ)のバトル。  あえて声優さんをこの名前で言うことにしよう。 べジータは,『セーラームーン』でタキシード仮面を演じた,セクシーさに,アムロを熱演した実力派。 ゾロは『スッキリ!』のナレーターで表現する明るさと,ゾロを演じる渋さとを二面性を演じている。 ゾロ演じる,コクトもまた,刀を武器とする剣士。 なんだか…ゾロ(を演じる声優さん)って剣士が合うよな…と思う。 
 話を戻そう…。 コクトが何故、魅力的なのか。 個人的見解というか、意見なのだが 銀さん(『銀魂』)、ワッカ(『FFX』)、ブルックの影(声優さん違うけど…『ワンピ』)など色々なキャラクターの個性やルックスを全てミックスしたような魅力があるからだと思う。 これはあくまで 私がコクトに注目する理由。
 もう一人!! 絶対に忘れてはならない,キーマンは 一護。 日に日に強くなってゆき,最近では死神と人とのハーフであることも判明した死神代行。 死神代行…事実から 死神゛代行”というのもわかる気が。 映画のテーマにもなっているが、守りたいという心が全面的に出ているところが物語を面白くする。 「守りたい、護りたい」と。
憎しみを乗り越え、本当の強さを手にしていく主人公の魅力がやっぱり一番!! しかし、強い死神である一方で性格としては 抜けていると言うか,呑気な一面があるところがいい。 石田の指摘には大いに納得。 この呑気さが 様々な厄介なモノを自らに寄せ付けてしまうことの大きな原因という指摘だ。  
 しかし、進化する一護に魅力を感じずにはいられない。 斬新な゛バンカイ”、仮面、仮面からの完全ホロウ化、そして… 地獄の力をも自らに取り込んでしまうなどなど。 完全ホロウ化に関しては、 チョッパーが暴走するのと同じで凶暴さこそ兼ね備えるものの,その強さに魅力を感じてしまう。 個人的にはバンカイ後のザンパクトウ,ザンゲツをイメージさせるため,かなり格好いいのだが、今回の地獄の番人たちの力を得た,姿が一番印象的でカッコいいと思うのである。 髑髏の仮面が頭にあるのがとても印象深く、スカルの衣装を身にまとった姿は神々しさすら感じる。 しかし、これは映画だけの期間限定だと思われるため,本編で再び観れることがあるのかどうか、可能性は低いと見ている(個人的に)。 だから、クライマックスシーンは好きだ。 コクトに、「地獄の番人たちも、自分に託している(泣きついている)」というふうなセリフはとてもインパクトのあるセリフだと思う。 気が付けば,地獄の番人たちが,さらなる進化を遂げた一護に頭を下げているところも忘れ難い。 そして極め付けに,コクトへ容赦なく鎖が迫ってくるところ。 一護のセリフも凄くかっこよかった(言葉じたいは忘れたけど、その鎖が意味することを解説している)。
 『FFX』の召喚獣や『スリーピーホロウ』の首なし騎士の復活を思わせる,冒頭の場面。 この結末を知ると改めて観て確認したくなる。 それは、ヴァンパイアの復活の瞬間にも思えた。 その時、冒頭に出た骸骨から復活を遂げていく,咎人の正体がわかるだけに、映画を復習したくもなる。 果たしてこんなグロテスクな絵がこのような作品にかつてあっただろか?というくらい、リアル。
 地獄とは実際どのような場所なのか。 行きたくはないが、その謎につつまれた世界がいかなるものなのか気になる。 ひょっとしたら溶岩のたちこめるような場所ではないのかも? 色々な想像が出来る。 しかし、使者にとって居心地の良い場所ではないことは確か。 心が折れるまで死ぬことは出来ず、怨念がそこで生きていくための糧。 なんだか悲しいような、恐ろしいような。 
 『BLEACH』も歴史としては、10周年になるそうだ。 その記念,節目となるのが今回の『地獄篇』。 やはり今回の『地獄篇』が記念作品というのは、納得。 地獄が戦いの舞台となることに意味を感じる。 意外なのは『コナン』のように毎年一つずつの公開ではなく,前回の劇場版とのスパンは2年。 毎年あるのもいいけれど、それぐらいの期間があると 待ち遠しくなると思う。 オリンピックのごとし。 漫画といえど、『ワンピース』同様、大人も楽しめる作品である。 むしろ、子供向けというよりも,大人向けではないかとさえ思う、特に『BLEACH』においては。  次の劇場版への期待がふくらむというもの(次があるのかはわからないけれど)。 そして一つの漫画作品としては、主人公の進化への期待も大。 どこまで行くのか。 最終的に一護は死神に完全になるのか、それとも現状維持か…はたまた 死神の世界から離れるのか。 
 今回の劇場版、第四作目にして,個人的には,初めての鑑賞となるのだが、過去の三作品がとても気になる。 そして(しつこいようだが)次回があるなら、次回も。

※満足度:★★★★★ MAX!
…シリアスさもあり、アクションとしてのド迫力にコメディも加わっていて
とても楽しいから♪
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by jd69sparrow | 2010-12-31 20:47 | 映画タイトル か行

ゴースト ~もう一度だきしめたい~

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2010年 12月1日(水)、『映画の日』

<あらすじ>
 七海がジュノに出会ったのは、パーティのあった,とある夜だった。 酒によっていた七海は事の成り行きを把握できぬまま、朝をむかえ,本当の意味でのジュノとの初対面となる。 誤解をしてしまった彼女は,改めてジュノの家を訪れる。 そして一つの事実を知った。 七海の話に全く口を挟まない彼は、韓国人だった。 キム・ジュノ。 陶芸を学びに来日しており、まだ時間も経っていなかったのだ。 一方、七海は自分の会社を持つ,実業家。 まるで別世界で生きる、二人の運命の出会い。 しかし、七海が陶芸好きということが 一気に二人の距離を縮めたのである。 
 二人の間に愛が生まれるのも,そう時間はかからなかった。 結婚と言う絆で結ばれた二人。 彼らの幸せは長くは続かなかった。 ある日、記念日を祝おうと待ち合わせた,七海とジュノだったが 七海はその道中で何者かにバックをひったくられて,勢いあまって その場に倒れこむ。 立ち上がる彼女が振り返った先には血だらけの自分に必死に呼びかけるジュノの姿だった。 七海は命を失い、゛ゴースト”となったのだった。
 (生前、中々)言えなかったことを どうしても伝えたい。 その願いを胸に霊媒師・運天を通じて,ジュノに呼びかけるのだった…

<感想>
 『ダーリンは外国人』が記憶に新しい、国際カップルの話。 しかし、アジア人どうしの組み合わせというのは、個人的に初めてだ。 欧米人が相手の場合とは どこか違う化学反応がとても面白いと思う。
 まず、ポイントとなるのは,この映画がリメイクだということだ。 一言で言うならば,オリジナルに決して劣らぬ作品。 そして、これ以上ないくらいのベスト・キャスティングと言えるだろう。 それは挿入歌やエンディングを歌う歌手に然りだ。 
 もう一つ、ここに付け加えたいのは 男女逆転であること。 オリジナルでゴーストになるのが男性に対して、それが今回は逆となっている。 よく愛する男性を失った女性の女性の悲しみを描く話というのは 見かけるけれど、その逆って案外ないような気がする。 ジュノというキャラクターはとても新鮮な立場と言えるだろう。 私はまず、このキム・ジュノという人物に注目してみた。
 美男美女の美男にあたるジュノ。 その生活ぶりは とても物静かだが,とても温かな包容力と癒しオーラがあり、その上子供たちからも好かれるほど、とても人間味があふれている。 派手な生活よりも゛陽だまり”でただ空を眺めるような感じ。 陶芸の作品を作る毎日の傍らで、彼は病院に通い,そこで入院する子供たちのために、手作りの模型や動物の可愛い瀬戸物で子供たちを楽しませると言う,非の打ち所がないほどの,とても理想的な異性。 七海がお酒に酔った翌日に、ジュノの家で目を覚まして、ジュノの頬を叩く後の優しい笑顔で世の女性は、心を,ハートをわしづかみにされる思いだったのではなかろうかってくらい、くすぐられる嬉しさがこみあげてくる。 同じアジア系の非日本語圏の人ならではなのか,そうではないのか…とにかく、ちょっと たどたどしい感のある片言の日本語が,観ている側に語りかけるかのように響いてくる。  
 そしてジュノといえば、その情熱の深さが魅力である。 男泣きがこんなに美しいと思ったのは、生まれて初めてだ。 恥じることもなく、ストレートな感じがいい。 だからこそと言うべきなのか。 愛する人のために、思いを表に出すのに熱がこもってるのは。  物静かなジュノが突然情熱的になる。 まず、一つは「愛してる」の言葉を中々言えない七海に疑問をぶつける場面。 これほどの情熱を持って,大切な人を思う人は 一体,世の中にどれだけいるのだろうか。 ためらう七海にビシっと言う,「僕は七海の会社と結婚するんじゃない!」って言葉…名言といってもいいだろう。 物静か且つ低い声で七海を問いただす,小さな苛立ちにさえも相手への思いが詰まっている。 
 刑事に「出て行ってくれ!」と叫ぶ場面は とても印象深いものがある。 そしてその一喝で,二人の刑事の意地悪っぽさが引き立つ。
 七海とジュノのような出会いって現実にもあるのかな? お酒に酔っていたら、親切な人が車に乗せて,「送りますよ」って家まで送ろうとしてくれたり、その人の自宅に泊めてくれたりってこと。 光でイルミネーションのごとく輝いている噴水の前で出会った二人。 このようなシチュエーションって結構見かけるけど、やっぱり美男美女がここで出会うのが凄い。 どこの噴水なのかきっと、みんなが気になるのではないだろうか。 多くの人が憧れるであろう場面だ。 
 しかし…その上、何事もなく朝が来るなんてことあるのか…。 だから、七海のシラフに戻ってから見せた反応は当然と言えば当然なのかもしれない。 七海はその後、誤解したことを誤りにジュノの自宅を訪れるという, 律儀な一面を見せている。 勝手なイメージだが、大手企業の社長さんがそのようなことをするというイメージがないだけに驚いた。 やはり主人公も女性なのだなって失礼ながら、思った。
 そこでのくだりが忘れられない。 一気に七海がしゃべるのに対して、ジュノはただ耳を傾けるだけで何も言わない。 本当のところは、日本に来て一年だから,日本語がただ聞き取れなかっただけっていう話なのだが、私にはジュノが聞き上手に見えたし、黙って聞いていることが、ジュノの優しさにも思えた。 
 叩かれても、ふって軽く,優しく笑うのがなんとも女性の心をくすぐるというものだ。 とこどどころで見せるこの笑顔に注目していただきたい。 この一瞬一瞬だけでもお腹いっぱいになりそうである。
 ジュノのセリフで忘れ難く,胸にぐっと来る言葉がいくつかある。 一つは「七海の幸せは、僕が守る」で、もう一つは「守ってあげられなくてごめんね」というセリフ。 あと…付け加えるなら、「僕は、七海の会社と結婚するんじゃない」という言葉だ。 この三つ目の言葉に関しては、女性が男性にかける言葉として聞きなれている気がするけれど、ぐっとくる。
 残り二つのセリフもとても心に響くし、物語の鍵を握ると言っても過言ではない。「七海の幸せは…」という言葉は 現実となるし、「守ってあげられなくて」って言葉も泣きそうな気分になりそうなくらいの感動フレーズだ。短い一言の中に感動ありけり。 どのタイミングで言うかは映画を見てのお楽しみ。
 ここで一度、本筋から離れる。 どうしても言いたいことが一つあるからだ。 それはこの映画のキャスティングの素晴らしさ。 役者だけでなく、歌手に関してもそう。 これ以上ないという程。 特にウーピーが演じた霊媒師を演じた樹木さんについては、製作側の言葉どおり「この人しかありえない」。 何度も断られた上での,出演の実現が素晴らしい。 何度も断ったけれど、いざ クランクインすると 役者魂を全開で取り組むってところが名優と言えよう。運天。 その登場場面の直前の場面はまるで、『千と千尋の神隠し』でも観ているよう。 よくこんな絵ってドラマとかでもあるなぁとも思った。
 もう一人注目したいのが、歌手。 こちらもこの人以外、ありえない。 最後の『アイシテル』という歌も、挿入歌も。 挿入歌に関してはタイミングがベタな気もしたけど,それが逆にイイのかなとも思った。 主題かもタイトルの「アイシテル」という言葉が映画の鍵ともなるわけだから、素敵だと思う。 タイトルがカタカナの部分がいい。 七海だけでなく、ジュノが主人公であり,彼の話でもあるのだと実感できるからだ。 オリジナル版でも御馴染みの二人が轆轤をまわす場面はとてもロマンテック。
 ハングルと日本語、二つの言葉が行きかう,この作品。主人公二人と未春の三人が使う。 しかし、話す人によって言語への印象が変わる。 未春のは、なんだか悪女…と言ったら大げさだけど,よい印象は受けない。けれど、やはりネイティブは違う。 ジュノのハングルはとても優しい。 ハングルの音の響きに初めて魅力を感じた。 アジアの二大・大国の共演はとても相性が良く,心地よいハーモニーと科学反応を示している。 
 美術的にも魅力的なところはたくさんある。 一番はジュノの家。 轆轤を作るスペースに庭、風通しもよさそうだし,住みやすそう。 しかもこれまでに,そこで暮らした人たちの温もりが残る,何気に歴史あるところがいい。 これと正反対と言えそうなのが、取立て屋のアジト。 いかにも立派な会社名をかかげたプレハブ倉庫のような空間。 それはビルの屋上にちょこんと存在するのが、こんなスペースに何故か憧れる。 
 緊張感のある場面。 それは二つ少なくともあげられる。 このようなロマンティック・ストーリーでつきものと言うべきなのか、意外と言うべき気なのか(意外という点で言うと、所々に盛り込まれた゛笑い”に是非注目していただきたい)。 一つは、「ゴーストの狂気」。 真実を知った七海には怒りしかなった。 犯人と真犯人をそれぞれ追い詰める場面は恐ろしい。 その一つが、信頼していた人の裏切りの場面。 正確には裏切りの後の場面だ。 別の映画にも似た場面はあるけれど、状況が状況なだけに緊張感が高い。 ここが一番ドキドキした。 
 日本人が中々、思っても口に出せない,「愛してる」の言葉。 同じアジア人でもストレートにいつも言ってくれるのが日本人には馴染みがないが、嬉しいだろうと思う。 それを口にすると幸せを失うかもしれないと恐れる七海の気持ちにも共感できるし、言い続けるジュノの情熱にも心が温かくなる。 魔法の言葉だと思う。 「いつ何があっても、この言葉さえ言っていれば…」っていうふうに、この映画の本編かパンフレットの解説で見かけた。 確かにいつ何があっても言い続けていれば、後に゛愛”に関しての未練が和らぐと思える。
 オリジナルへのオマージュも、もちろんある。 それは轆轤を回す場面やゴーストになった主人公が大切な相手,もう一人の主人公に意思を伝える場面もそう。 しかし、ラストカットはアジア版だけのオリジナル。 状況としてはハッピーエンドでないけれど、その場面を見るとハッピーエンドに思えるのだ。
 話はそれるが、運天のジュノ宅への訪問シーンについて。 ここは色んな意味で印象深い。 物語の鍵となる運天。 七海の思いをジュノに伝える重要な役割を持つ人。 七海の声だけが聞こえ、ゴーストを憑依させることも出来る(この点においては、この後者の能力のわかる場面がちょっと衝撃的)。 七海の憑依した場面でのジュノの゛2ショット”はやはり見せ方がうまい。 当然と言えば,当然かもしれないが。
 また、ジュノ宅の外側を写した場面ではお向かいさんと運天との短い会話のやりとりがあるのだが、キャスティング的に観ると意味のある場面に思える。 フジカラーに観れる,樹木さんのキャラクターがもろに活かされている。
 物語全体、主人公二人がする行動一つ一つが憧れる。 ゴーストになった七海の行動と,七海への思いが少しもぶれないなど、彼らの互いへの愛の深さが観られるからだ。 「結婚しよう」と言ってすぐにバイクを走らせ、誰もいない教会で式をあげるというのが凄い。 牧師をジュノがハングルで演じるのが面白い。 そして、指輪交換で二人がその場で用意した指輪は、どんな高価な指輪より,愛の絆を感じる温かなものである。 
 オリジナルとリメイク。 決してオリジナルのコピーではなく、それどころかリメイクとは感じさせない完成度である。 男女逆転となるオリジナルとの違い。 オリジナルを真面目に観ていない自分が言うのは可笑しな話だが、個人的にはアジア版が好き。 西洋ではないところがまたいい。 それに残されたのが男性であり、大切な人を思い続けるのが心温まる。 

*満足度:★★★★★(満点)

▼作品情報▼
『ゴースト ~もう一度だきしめたい~』
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by jd69sparrow | 2010-12-25 20:22 | 映画タイトル か行

GAMER

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<あらすじ>
 2034年。 時代はネットによって成り立つ社会と化している。 とても2000年そこそこの現在の比ではない。 バーチャル世界に依存した人たち。 その一方で、その世界に拘束された人たちもいる。 二つのゲームが世に出回っている。 それは『スレイヤーズ』と『ソサエティ』。 前者は囚人が戦士として 殺人を繰り返す,サバイバルゲーム、後者は疑似体験する娯楽。 二つに共通するのは、ゲーマーがプレイする世界が現実世界のものであり,登場する人物が実在の人物であるということだ。 
 無実の罪で死刑囚となったケーブルは、『スレイヤーズ』の一員であり,キャラクターの一人だ。 このゲームでは、30バトルを勝ち抜けば,自由が約束されており、ケーブルはあと残り3試合と迫っていた。 しかし、ナノ細胞を埋め込まれた彼は、プレイヤーによって自由を奪われている。 他人にコントロールされているのである。 意思こそ自由だが、カラダの自由はゲーム中,効かない。 よって、脱獄し,自分の意思で動くことなど困難。 
 ケーブルには家族がいる。 娘は『スレイヤーズ』の創設者に奪われ、妻は『ソサエティ』の住人として働いている。 家族三人の自由を取り戻すため,彼は死闘へ乗り込んでいく。

<感想>
 『スレイヤーズ』と聞くとどうも,日本人としては,漫画を思い出す。 だからこの言葉の意味するところがとても気になる。 この一見して現実離れした設定のゲーム。 果たして本当にこの先の未来を見据えた時、“現実離れ”していると言えるだろうか。 リアル体験の出来るゲームに依存した人たちがあふれているという点は現実的。 この作品にはもう一つのゲームがあり、それが『ソサエティ』というゲーム。 それぞれ一人ずつ、映画の主要人物となる二人を操る,プレイヤーが存在するのだが 二人のプレイヤー共にそれぞれのゲームをするプレイヤー・イメージとして代表格といえるかもしれない。 擬似世界の人間とリンクするというのは、『マトリックス』で既に存在する。 ただし、そこでは自分自身にリンクしているが この『GAMER』という作品では他人とのリンクとなる。 今のネットにしかりだが、簡単に性をも越えられる。 つまり、男が女のふりをするということが例としてあげられるのだ。 だから、ニートのキングとも言えそうな男が女性とリンクして会話している映像など,かなりエゲツというか,気持ち悪い。 しかし、そのプレイヤーがとんでもなく、太っていて脂肪の塊みたいとなっているとか,その人が自分の足では歩けずに操縦できる椅子に座って動くというところを見ると、『ウォーリー』(@ピクサー)を思い出す。 ウォーリーが地球を飛び出して向かった世界では人々が皆,宙に浮かぶ,ベビーカーの椅子だけみたいな乗り物に乗っている。 彼らは皆、その椅子に備わったコンピューターで生活していて,ゲームにあけくれる者もいる。 当然、自分の足では歩かないゆえに,みんな かなりの肥満体型。 
 ゲームは確かに面白いし、現実では中々体験することの出来ないことを実現させてくれる。 しかし、「麻薬と同じ」という定義には恐ろしいけれど納得。 人格さえもかえてしまうあたり,それを裏付けている。 というのも、私自身ゲームに集中してしまうと,そうだからだ。 一度ハマると何時間でもやり続け、誰かが声をかけると「ふざけるな!」という勢いで激昂する。 麻薬も、タバコも、お酒も…そしてゲームも,カタチこそ違えど,結局は人にもたらす作用は同じなのだと思う。 ハマるとダメだとわかっていても自分でブレーキがかけられなくなるのだから。 
 どちらのゲームを見ても魅力的には思えるけれど それは自分にとって良い影響はもたらさない。 そればかりか自身を自分の手で堕落させることになる。 もっと現実を見て、現実を生きろ。 なりたい自分になれないのではなく、なろうとしないだけ。 努力次第で近づくことまでは出来るはずだ。 そんなことがこの作品から読み取れる。
 この近未来の世界はパラレルワールドのようでリアルであるのが恐ろしい。 きっと近い将来、『スレイヤーズ』や『ソサエティ』のようなゲームが誕生するのではないかと思う。 それによって損なわれるものがあるというのに、時代の流れを止めることは出来ない。 難しいというべきか。 ゲーマーが増えるということは、人との直接のふれあいが減るということで、場合によっては人間性が欠けるおそれもある。 だから,ゲームは麻薬という理論が成立するのであり、実際間違ってはいないと思う。 パソコン、つまりコンピューターが支配する世の中が訪れる危険性があるということ。 それは様々な映画によって予言されている。 しかし、囚人どうし,それも死刑囚だからといって 他人により、操られることで動く自由すら奪われ,自分が望まないことも実行させられてしまうのが恐ろしすぎる。 心は拒否しても体が動いてしまうということが。 だから、主人公がこのゲームに入るキッカケとなる場面で,感じる苦痛は凄まじいものだと思うのである。
 偽りだらけ、コンピューターにあらゆる観点で依存してしまっている世の中には断じてするべきではない、そうここで語られているようにも思える。 もう少し濃密かつ,深く掘り下げてストーリー展開が出来たのではないかと思うのだが、ここでテーマとされることはリアル。 
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by jd69sparrow | 2010-12-10 07:03 | 映画タイトル か行

君に届け

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<あらすじ>
 高校生になった春。 黒沼爽子に大きな変化が訪れる。 口数が少なく、ひょんなことから『リング』に登場する“貞子”に間違われて以来、周りから貞子と呼ばれ続け,目を合わせるとみんながみんな口々に「すみません」と言う。 そんな地味で他人とはあまり関わらない人生を送ってきた爽子だったが、桜の木下で風早という自分とは正反対の男子にあってから光が差し始めるのだった。 爽子は人が嫌がることをなんでもこなした。「人の役に立つ」こと、「一日一善」がモットーにかかげている。 暗い印象から考えにくいけれど、とてもポジティブ。 そんな爽子の魅力は風早によって引き出されてゆき、開花し始めるのだった…

<感想>
 友情に恋に。とってもほんわか心の温まる映画である。 爽子には友達が少ないけれど,そんなことが信じられないくらいこの主人公の魅力は大きい。 そのポジティブさが面白くて是非とも友達になりたいくらい。 肝試しのお化け役であろうが、誰かの役に立てるなら!っと考えられる精神はすごい。 霊とか呼べるんじゃないかっていう会話を耳にした彼女が、「…どうしよう、お役に立てない…」と悩む様子がなんとも可愛い。 あまりに謙虚な爽子は涙をこらえる顔もとても面白い。 中々、自分の思いを人に伝えるのが苦手なのが 人をよせつけにくくしているのだ。 こうして見てみると黒沼爽子という主人公は身ふょ苦あふれる人物なのである。
 そんな彼女と友達になるのが意外な人物達。 これまた、爽子とは正反対な友達。男勝りな子にオシャレを極めたような子。 改めて、人は中身だ!と思った。 決して二人の見た目が悪いと言うわけではないけれど。
この二人の友人と爽子の三人の友情が今回の見所の一つ。 爽子を思う二人に、二人を思う爽子。 この両者の思いがそれぞれ描かれて 涙が滴るほど感動してしまった。 人間関係、友人関係。これほど身近なことはなく、だからこそ泣けたのだと思う。
 三人にそれぞれの恋がある。 それはみんな違うものだけれど、いずれも「片思い」という共通点がある。みんながみんな恋をしていてどうなっていくのかという期待感でわくわくする。 ほろ苦いものだったり,温かいものもあったりと,いろいろ恋はあるけれど 三人それぞれの恋の決着がつくところがいい。 爽子と風早のお互いがお互いを片思いという設定はとても惹かれるものがあった。 今回の映画の場合はそれが最初からわかっていたけれど(それでも面白い)この、お互いがお互いを思いやっている事に気づくまでに距離があるという話といえば、私は『ブリジット・ジョーンズの日記』を思い出す。 自分は片思いだと思っていたが、実は相手も自分を愛してくれているという,その主人公にとっても、観客とってもサプライズな感じがたまらなくて、そこからの“つながり”を感じさせる本作に惹かれないはずはなかった(個人的に)。 
 風早の「ボールは相手に届けと思って蹴らなければパスが届かない」というようなセリフはまさに、この作品全体を表している。 風早は爽子へ自分の思いが届けと一生懸命で、爽子は彼女の蹴るボールが全てを表していた。 “相手にこの思いよ、届け”って強く願い、あんなふうに恋が出来たなら…と憧れる人も少なくないのではないだろうか。 というか、恋をするときの気持ちがこの作品の主人公たちの恋によって見方が…というか恋する思いが(良い方に)変わる人もいるのではないだろうか。
 片思いのすれ違い…。 それぞれの恋と言って ほろ苦くも温かいのは 風早の幼馴染たちの恋。 千鶴と龍、それぞれの恋。 ちょっとネタバレになるのだが、二人も爽子たちのような恋なのだと思いきや、少し違う。千鶴が想っていたのは龍ではなく、龍のお兄さん…という事実を知ったとき 切ないなぁと思った。 それ以上に、千鶴の想っていた相手が結婚が決まってたということを知らされた時の千鶴がとても切なくてならない。 でも、その後…という良い展開が読めるので 良いなぁと思った。 この二人の恋模様で、龍というキャラクターの魅力がすごく伝わってくるからというのが理由の一つ。 無口でちょっとぶっきらぼうに見える龍は実は熱い思いを秘めている。 “お兄ちゃん”と呼びたくなるくらい大人びていて、親友への思いも熱くて心温まる。
 作り手が言うようにこの作品は、最初から男女が恋仲ではなく、恋が実るまでの道のりを描いたもの。 だから特別な感じがして面白い。 恋している相手が違う相手に恋しているなど,ありがちな感じがするけど それくらい現実の恋で身近なこと。 だから共感がもてたり、感情移入してしまう。
 恋は険しい道を辿るほど、実った時の幸福感が格別である。 そんな印象の持てる物語。 初恋の人と結ばれるって言うのも素敵だし、何より恋に友情にちょっと不器用な主人公が憎めないし,愛らしい。 感動ありのとても面白い映画です☆
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by jd69sparrow | 2010-10-01 16:51 | 映画タイトル か行